[三日目]
見て、聞いて、口を開いて思考が始まる。母胎は手を取り成育へと導く
私は神として生まれ、育てられ。
嘘で塗り固められた楽園で、箱庭で生きて。
我が運命など知らず、我が責務など問わず、我が存在さえ気付かずに。
もしも許されるなら、白痴の罪を許してくれるなら。
苦楽を共に、夢も運命も分かち合って生きたいと思うようになりました。
1
北へ向かう旅路は、楽しく、辛い。地図上では、人がいる集落まで今日中に辿り着くのは難しかった。
もちろん、道路などあるはずがない。草原や森をかき分けて進むのだ。旅を始めて数時間もすれば、こんな星大嫌いだと私は喚き散らすようになった。
だって、やってられない。早く帰りたい。風呂に入り、清潔なベッドで眠りにつきたい。それが日常だったのに、どうしてこんなことに。ありえない。不満で頭がいっぱいになった頃、私は事の元凶に文句をぶつけるのだった。
「そうよ。ルートヴィヒが私を誘拐なんてしなければ、こんなことにならなかったんじゃない。ツェルニーとの結婚式、まるでテロリストみたいに強襲するから、こうなったのよ。ねぇ、どうして。どうしてあんな馬鹿をやらかしたの。そもそも私は、望んであの場所にいたの。邪魔したのはルートヴィヒじゃない」
一気にそうまくしたてる。背負った荷物に潰されそうな見た目のルートヴィヒは、それでも軽々と草地を進んでいた。飄々としたその態度に、カチンと来る。
歩調をあわせ、隣に並ぶ。私たちは連れ立って歩きながら、目を合わせようともしないルートヴィヒと鋭く睨みつける私の構図を作り出した。
「……だって。あんな結婚、認められるはずない」
「へー。どうして?」
「だってゴットリーだぜ!アイツ、サーシャと結婚する気があったのか。だったら失望だよ。どんな面して俺に会う気だったのかねぇ」
「――――どういう意味?」
「ツェルニーは父さんの親友だった。母さんの最期を知ってるなら、口が裂けてもサーシャと結婚したいなんて言うはずがない。レアティーズに対して反感を持ってるもんだと思ってたけど、違うみたい。本気で俺とレアを間違えているのかも」
こういうルートヴィヒの言葉は、新鮮だった。私はあまりにも、自分の世界を知らなさすぎたのだ。私のことを一番よく知っていて、教えてくれるのは、共に過去を過ごした人しかいない。ルートヴィヒは数少ない一人なのだ。
母の死因と、その最期を聞いた。友人の裏切りで幕を開ける母の死だからこそ、友人である人物が繰り返すわけにはいかない。もしツェルニーに良心が残っているのなら、あの惨劇を繰り返すような真似は出来ないはずだ、とルートヴィヒは言っていた。
だから、許せなかった。私が結婚することに怒ったのではなく、相手がツェルニーだったから怒った。
「……ちょっと。だったら私がどんなヤツと結婚してもいいって言うのっ!」
「それは、自由。間違った結婚なら自分が傷つくだけだよ――――」
バツイチで再婚者のルートヴィヒは語る。その寂しげな口調に、私は少しだけ罪悪感を覚えた。
「でもでも。じゃあ、仮に私が、そうねぇ……カルディア・ベルテシャツァル大統領と結婚したらどうする?」
「玉の輿だねぇ」
「……馬鹿」
なかなか手ごわいヤツである。私の予想している答えを、絶対に言わないのだ。はぐらかされていると感じる私はますます激昂し、掴みかからんばかりにルートヴィヒに挑みかかる。
お門違いな問答なのだ。確かにルートヴィヒが私を誘拐したせいではあるが、この状況は事故による墜落であり、遠因であって原因は事故そのものにある。結婚を反対しろと言うような台詞も、兄はスコアだと言っているのだから矛盾した話である。
「じゃあ、サーシャはどうなのさ?」
家族名で呼ばれることに、最初から抵抗など無かった。サーシャと呼んでくれる人は、この人しか、いない。
「カティア・フレーニについてどう思っているか、ということなら。悔しいと思うわね。だって、私、アナタとはまともに会ったことなかったから。先を越されたって感じ?」
「ワケがわからない答えだ」
「だぁって、見たいじゃん。私はロクにルートヴィヒと話したことないのに、勝手に独占してさ。先に私に挨拶して許しをもらうのがスジってもんよ」
「……阿呆」
「なんですって?」
「――――何でもありません」
歩幅を広めて先に進もうとするルートヴィヒ。勝った、と思った。
私たちはこんな会話をしながら、先に先にと進んでいた。話題が尽きることなど無かった。彼がどう思っているかは知らないが、私にとっては、この会話は過去を取り戻すものだった。迷惑でもいいから、少しでもこの会話を長く続けたいと思う。だからこそ、話題は尽きないのだ。
「ルートヴィヒ。不思議、貴方は私に驚かないわ」
私のことを知らない人間が、私の地を見ると大抵、驚いたリアクションをする。それを滑稽だの馬鹿だのと罵倒してくる人間もいた。聖女という先見のイメージとのギャップがあるのだろう。しかしルートヴィヒは、さも当然と私と向かい合っている。
「あはは、だって、そのままだから」
昔の私と、何も変わっていないという。そう、昔から私は、こういう人間なのだ。強気で傲慢で、高飛車でプライドに満ち溢れた性格なのだ。それが、無知だったから。滑稽であったというだけ。もう誰にもそんなことを言わせるつもりは、ない。
「じゃあ、貴方の昔は?」
「泣き虫でございましたヨ。いつもレアティーズにイジめられては、アデレードに守られていたのデス」
「アーリャ、言わないでください」
肩に乗ったアーリャが笑いながら告げ口してきた。彼女は私の記憶と直結している。私が覚えていないようなことまで、知っているのだ。今は意図的に消去された記憶を復元しようと努力しているらしい。
ルテニウムという金属があれば、復元は完璧になるのだそうだ。鉱石と貴金属を組み合わせることで新たな効果を得られるとのことだが、その原理はよくわからなかった。隕石種は謎に包まれていて、聖書の記述でしか知ることは出来なかった。
ルートヴィヒの体内にもアーリャの欠片が入っているようだが、それは自我を持つには満たない分量のようで、特に身体的変化は見られなかった。アーリャのように外で具現することもない。
「ハイ。オフェリアちゃんがそう願うなら、私は何も言いまセン」
「なぁ、アーリャ。君はどうやって自我を持つに至った?」
「自我は元々あるのですが、外部に出力する手段を持たないのデス。石は泣いたり笑ったりが出来まセン。私は外部出力装置を得て、アデレードの知識を利用して発現しているのデス」
彼女には、まだ個性と呼ぶべきものはほとんど無い。生まれたばかりの赤子に、個性があるかと問われれば答えは否定になるからだ。だが、断片は見せている。私の体と記憶にある知識を使っているのだったら、私と同じ存在になるはずである。しかし、私とは違った行動を彼女はする。考え方も違う。
アーリャ自身の記憶と組み合わせて、個性の獲得に成功をしているのだ。それはこれから、知識を吸収して自分のものとすることで、ますます自分らしくなるだろう。隕石種は、決して生命ではないとは言えない。ただ、出力することが出来ないだけ。
「私はオフェリアちゃんに寄生したかったのデス。アデレードは考え方が狭量で偏っていマス」
正直で、純粋な言葉に苦笑する。アーリャにはまだ、欠けているものがたくさんある。遠慮、羞恥心といったものは、まだ獲得しきれていないのだ。私の知識として知ることはあっても、まだ体験も教わりもしていないからだ。
「そんなことはないよ、アーリャ。私よりサーシャの方が知識は豊富だ。私には戦争の記憶が多いから、君を悲しませることになるだろう。人にはそれぞれ、優れたところと駄目なところがある。その両方を知りなさい」
諭すようなルートヴィヒの言葉に、アーリャは深く頷いていた。そして私も、関心するように驚いた。優しい口調は、聞いていて心地がいい。教えるということ。人に何かを教えるのは、難しい。ルートヴィヒのそれは、思わず頷いてしまうような心地よさと広さを感じさせた。
「君は非常に頭が良い。私もサーシャも、いつか君に追い越されてしまうね」
「そんなことは、ないのデス。オフェリアちゃんは、凄い人なのデス」
「そう、それが遠慮ということ。人と人を比較することに意味はないから。知識も、武芸とかも、優劣はつけられるものではない。考え方に正解というものもない。故に、比較に意味はなく、優れているからと驕ってはならない。でも、アーリャは本当に賢いから、さっきのは本心だよ」
教え方が上手いとでも言うのだろうか。アーリャは深く感銘を受けたような態度で、ぺこりと頭を下げていた。そして嬉しそうに私の肩の上で飛び跳ねる。教育者としてルートヴィヒという人は優れているのえはないのか。私はそんなことを考えた。
ああ、そうだ。私は、この人に育てられたんだ。比較に意味はないと彼は言ったが、人格や人の上に立つ人間としてなら、レアティーズより随分と優れている。私がそれを伝えると、彼は笑って否定した。そうだったらいいな、などと甘い言葉を吐いてだ。
「レアと私の決定的な差は、帝王学を学んでいるかいないかだと思っている」
「帝王学って、人の上に立つ人間の心得みたいなものでしょ?」
「ああ。私やロジーナはアルバ・ロンガという学校でナオミさんに教わったんだ。奴は、学ばなかった。まぁ、帝王学の基本は家の存続に関することだから、あまり意味はないけどね。あの頃の私とレアは、猪武者だったよ」
兄とルートヴィヒの昔話。本当に仲の良かった親友のこと。懐かしむような視線で、ルートヴィヒは昔日を語る。それは滑稽で明るい笑い話。しかし、もう取り戻せない幻想の話だった。
2
「料理はねぇ、ルートヴィヒ。なんとゲルトラウデさんに教わったのだー!」
自信は三十分で粉々に砕け散った。
「……おかしい。おかしいわ。何故、貴様の方が美味しいのさー!」
「味付けは似ていマス。風味も似ていますカラ、師匠は同じと見まシタ。しかし、オフェリアちゃんの方が美味しいのデス」
「そもそも、焚き火じゃ大したもの作れないよ」
焚き火を囲んで昼食とする。私とルートヴィヒが作った料理は、同じ流派だというのに決定的に違ってしまっていた。フォーレ流料理術であるが、ゲルトラウデの亜種とガートルードの本家の違いか!
「いや、経験だろ」
打ちひしがれる私に、確かな答えを提示するルートヴィヒ。教わった期間も教えてくれた人も違うらしい。私はかつて、ゲルトラウデに数日間教わっただけだった。しかしルートヴィヒは母ガートルードの技術を盗み、カペラ・ローゼンミュラーやハーミア・リラから手ほどきを受け、五年間という家事経験を持つ人間だった。
素直にルートヴィヒの料理を味わう。少し、懐かしいと思える心。私は、この料理を食べて育ったのだ。母の味、というのだろうか。忘れていた味だと思った。そう、金髪を下げた後姿は、私の深遠に眠っていた母の記憶と重なる。
「アデレードも修行すれば、立派なお母さんになれるでしょう。修行するのデス」
「そうだよ。私に出来て、サーシャに出来ないはずがないんだから」
こんな会話をしながら、昼食をすることなど、夢にも思わなかった。いつか、いつか、この人がルテティア・パリシオールムに帰る日は来るのだろうか。もう十六年だ。気付けば、ルテティアで過ごした時より長く、帰郷は果たせずに。
「いいかな。少し、真面目な話をしたい」
食事を終える頃、ルートヴィヒは表情を引き締めて私にそう言った。
「今後のことだ。まだ話していなかったから。サーシャ、イザーク・ルリアについて教えてほしい」
北に向かう経緯は、大まかではあるが教えてあった。伝染病である隕石種の蔓延、その原因となった隕石の衝突。その調査が目的である。そして隕石種のサンプルを摂取し、ルリアが持つ医療器具でワクチンを作り、この星の人を救うことだ。
さらに言うなれば、ルートヴィヒの快癒には長石類の隕石種が必要で、それを探す目的もある。ワクチンを打つかどうかは決めていないが、このまま文明社会に私たちが復帰すれば、ひょんなことから世界に感染が広まりかねない。
そういった経緯は話してある。しかし、五年前にこの星に漂着し、科学技術を見せ付けて神と呼ばれるようになったタイタン人、イザーク・ルリアについて深くは話していなかった。
ルートヴィヒにルリアのことを話し、私との会話についても教えた。私やアーリャは、知識はあるが応用はきかない。ルートヴィヒの見解を、待つ。
「その男は、何かを隠している。どうやら脱出しなければならない状況があるらしい」
「どうして?この星に残りたいから伝染病を解決したいんじゃないの?」
「いや。彼らは感染者を恐れてはいない。だったら森にでもいる感染者を捕まえて、サンプルを採取すればワクチンは作れる。わざわざオリジナルの場所にサーシャを派遣したということは、遠ざけたかったからに違いない。いてもらっては困る理由は何か。逃げることが難しくなるから。なら、船を入手する算段もついているということになる」
ルートヴィヒの分析は、さすがに巧みなものだった。私では考え付かないことを、次々と言ってのける。私は驚嘆しながら、話の続きを待った。ルートヴィヒなら、我々がどう行動すべきかも考えているだろう。
「スターチェイサーは私が爆破した。使えないが、部品の残骸はあるだろう。それと自分の乗ってきた船の部品で、急造の宇宙船を作るのかもしれない。チェンソーやドリルも作ったのだから、情報端末で設計図を仕立ててれば、不可能じゃない。人手はあることだし」
「じゃあ私たちは?」
「北に向かうべきかな。何にせよ、このままではアンドロメダに戻ったところで死神になるだけ。ワクチンなり隕石種の除去なりを出来る体制を築いておかなければならない。ルリアは放っておこう」
冷静に、優れた戦略を構築する。私は感情的に、アーリャの除去という言葉に飛びつきそうになったが、こらえた。ルートヴィヒは何も間違っていない。アーリャを除去するためだと言ったわけではなく、対処方法がなければ余計な被害を出してしまうと言っているのだ。
「ルリアに船を作らせる。もし私たちの帰還に間に合えば、それを使えばいいし。間に合わなかったところで、私とサーシャは皆が探している。フルジアのパーツを使った宇宙船がアンドロメダに入れば、すぐにバレる。フルジアにバレたとしても、私たちが捕捉されればリゴレットたちにも動きようが出てくる」
おお、とアーリャが声をあげた。そこまでは考えが及ばなかった。二人ですっかり関心していると、ルートヴィヒは浮かない顔で、ただ、と言葉を続けた。
「気になるのは、何かを隠していることだ。脱出したい理由がある。それが何か、だな」
熟考を始めるルートヴィヒ。まるで、後光のように。その背後で蠢く何かを、見た。
アーリャを取り込み、立ち上がる。落ちていた鍋を引っ掴み、私は全力でルートヴィヒの背後に忍び寄る何かに横殴りに叩きつけた。強い反動。手が、痺れる。硬いのだ。へこんだ鍋を取り落とし、勢いを削がれた敵が一瞬、ひるんだ。
「お任せくだサイ」
右腕が勝手に、動いた。敵は、人。この星の原住民。隕石種に寄生され、宿主となった者。同胞とも呼ぶべきソレを、アーリャの右腕が殴りつけた。痛さは感じない。軽く当てるような感触。しかし、殴打をもらった敵は、軽々と浮き上がって遠くへ殴り飛ばされていた。
さらに背後で物音。振り返ると、ヴァイゼル・トレーネを抜いたルートヴィヒが、私の背後に迫る一人を斬り上げていた。霧消する影、灰となって消え逝く。煙る向こうに膝をつくルートヴィヒの姿。腹部から出血し、痛みに耐える表情は苦悶。
「アデレード、アレをやってみませんカ?」
「なにをっ?」
ルートヴィヒの後ろから、複数の影が躍り出る。三人。これで全てだろう。
「イスラフィルとかいうヤツでござりマス」
イスラフィル・フォーレ。ウリエルという神の焔を具現させるリューヴ貴族、プロシア侯爵家が持つ技術のことだ。私は、それを行使したことがない。使い方がわからないし、何より、私では出来ないのだ。ルートヴィヒという燃料を得なければ、使えない。私はただの、器だから――――
それでも、私は。無意識のうちに、ソレを開いた。
右手を天に。五指を開いて、空に向けた。今の私は、オフィーリアのデリヴァランス型クローンではない。クリソベリル・アレキサンドライトと融合した、新型種。既存のフォーレと同じと思うな、出来損ないのクローンと一緒にするな、私は正統なるイスラフィルの後継、フィルウィリミテアの末裔、アデレード・アレクサンドラ。
大気を、切り裂く。猫目の裂空。ルートヴィヒのイスラフィルが位相を変換する光の線ならば、私のソレは二段構えの光の帯。火薬そのものとは違う、弾丸を込めた拳銃の方が、優れているに決まっている。
第二のイスラフィル。私は、天地二段の剣を、怒濤の如く撃ち放つ。
空より降る光は雨、地より放つ光は帯。広範囲に降り注ぐ数多の光線、より洗練された、より戦術的な技術を持って、私は殲滅に成功する。威力も効果も桁が違う。イスラフィルでは貫通さえ出来なかった彼らを、容易く散らす神の所業。
陽光を浴び、大地に光臨する。七色に推移していく光彩の髪を靡かせて。それは美しく、美しく、麗しい天女の生誕に違いないと――――
「それは当然ですヨ。見る角度によって、光の加減で、私は様々な色に見られますカラ」
私の髪からはいずり出たアーリャは、肩の上で胸を張って自慢げだった。さらさらと流れる七色の髪。金色だが、毛根の方はやや青みがかった黒から赤へと推移していくグラデーション。それを、ルートヴィヒは綺麗と言ってくれた。
「それよりも。オフェリアちゃんの剣が気になりマス。隕石種を物理的に殺せるなんて、びっくりデス」
神剣ヴァイゼル・トレーネ。かのフィルウィリミテア神が実際に使っていた本物の神剣だった。鉄ではなく、鉱石で作られた剣だとアーリャは言った。発電する伝導性の高い鉱石と、抑制する鉱石を組み上げて作られているらしい。
「それだ。思い出した、抑制鉱石。硬化を食い止める作用があったはずだ。古代リューヴではワクチンなど作れなかったから、伝導性をゼロにして隕石種の侵食を食い止める鉱石を粉末状にして薬にした」
「わかりましたカラ、剣を納めてくだサイ。おっかないのデス」
触れれば、アーリャも殺される。不可能という次元を超越する剣。どうやらアーリャにとっては唯一の天敵のようだ。
ルートヴィヒはまだ自由に動ける体ではなかった。開いた傷口から血が滲み出ていたが、ひとまずは止まっている。歩行程度の運動であれば支障はないのだが、走ったり飛び跳ねる行為は難しい。しかし、今後は大丈夫。私はアーリャという弾丸精製装置を手に入れた。イスラフィルを放つことは、可能だ。
戦闘となれば、恐怖も感じず、ただ手にした武器で射抜くだけ。ルートヴィヒという弾倉と違って連射は出来ないものの、強烈な一撃なら放てる。
私たちは再び歩き始め、北へ。遥かなる地を目指す。
3
やはり、その日は野営となった。私は不満しかない。屋根を寄越せとは言わないが、せめて布団くらいはあってほしいものだ。しかし、服のまま草地に寝転がって就寝するという方針を打ち出され、私は精一杯の反論をしてみせた。
無いものは無い、と一蹴される。無いものは布団や風呂だけではない。食糧や水も永遠ではないのだ。いつかは無くなる。その前に集落へ行って補給しなければならない。
「メンドクサイ。やー、もー、帰りたいよぅ!」
「あははサーシャちゃん、どこに?救助されなきゃ無理だよ。一応、ここフルジアだし」
衝撃発言である。現在地など知る術も無かった私は、今の今までこの惑星がおとめ座銀河団に位置していることなど、知らなかった。フルジア領土である。敵国だ。ここから家に帰るには、電磁宙域というバリアを突破し、前線を通過しなければならない。
諦めである。そんなことは不可能なのだ。ルートヴィヒは諦めきった顔で笑っているのだった。
「ちょっとルー、何とかしなさいよ!アンタ皇帝でしょ!」
「あ、元ってつけて。国外追放の罪人ですから」
「……嘘。信じられない。それ、お先真っ暗じゃない」
「アンドロメダでも一緒。レアティーズの前に引き出されて射殺さ」
死神か、この人は。アンドロメダもフルジアも敵に回して、頼れるものは何も無い。絶望に拍車がかかった気がした。唯一、救助を望めるのはリゴレット・リエンツィらの勢力だが、今のところ現れる気配は全く無かった。
「ヤだヤだヤだ!帰るったら帰る、おフロにベッドにティーセットが欲しい!」
「ん、我慢して。ほら、サーシャ笑って。キャベツっぽい野菜だよ」
「大嫌い」
差し出されたキャベツを掴んでルートヴィヒにぶつけてやる。あでっ、と反応。額に命中したキャベツが宙を舞い、しかし額を押さえていたルートヴィヒにキャッチされた。キャベツで買収する気なのだろうか。ならば見当違いも甚だしい。
「ほらほら、ピーマンさん」
「大嫌い」
種をほじくるルートヴィヒに容赦なく口撃。私がピーマン嫌いなことを知っていてやってるとしか思えない。嫌がらせというやつだろう。
さらに何か出そうとするルートヴィヒを睨んで止める。口を開こうとしたので先に口火を切る。
「うるさい黙れこの馬鹿るー。キライったらキライ。大嫌い、嫌い、嫌い、ルートヴィヒなんか――――嫌いっ」
「……そか」
ヘコむルートヴィヒが、手にしたニンジンをキレイにへし折った。怒っているわけではなさそうだ。焚き火で熱している鍋に分割したニンジンを投入し、ご機嫌取りのつもりなのか、ピーマンを外した。そのまま生で種をとったピーマンをかじり始めるルートヴィヒ。
ぽりぽりとピーマンをかじるという切ないシュールな光景を横目で見ながら、私は一切、ルートヴィヒと顔を合わせなかった。
「――――ねぇ、なぜ退位を?」
ひとつ、気になったことがある。五年前に皇帝になり、栄華を誇ったフルジアの国家元首が、どうして地位も名誉も捨ててしまったのか。私のような権威だけの栄誉ではない。何をやるのも、するのも自由自在。フルジア国内において不可能なことなど、何も無かったはずだ。そんな理想を、どうして捨てられたのか。
欲というのが、無いのだろうか。だとすれば、ルートヴィヒという人間は、どこかが狂っている。フルジアの五年は、きっと幸せで、きっと満ち足りていたもののはずだ。自分から望んで、それを捨てたのだろうか。だとすれば、究極の馬鹿でしかない。
「戴冠式をやり忘れたから、ダメだってさ」
「……やっぱり、嫌い。あっち行け馬鹿るー」
肝心なところで、嘘。はぐらかされたという怒りをそのまま、私は言葉にした。
茜さす空。夕焼けではなく、黎明の空だ。
それまで、私はこの空の色が好きではなかった。ユーロパで見た夕焼け空が、あまりにも、悲しい色だったから。一日の終わり、別れの時を示す色に見えた。だから、あれから私は夕焼けが好きではなかった。
遠くに森、そして山。平原と流れる川。他には何も無い。自然に抱かれ、一日の始まりを示す空が、紫から赤へ、そして、青に変わり行く。茜の空。正直に、私は美しいと思った。まだはっきりとしない目覚めで、隣にルートヴィヒを感じながら、無心で空だけを見上げる。
不意に、ルートヴィヒが動いた。朝に弱い私と、彼にとっては珍しく機敏な動きだった。敷布団にしていたアーリャを叩き起こして、さらにモバイル・デバイスの画面を立ち上げる。
「……どうしたにょ?」
「夜だったんだ。この星に来て、多分三日か四日。それまで一度も、夜など来なかった」
恒星が、空に昇る。それは不意に、訪れて。明けの空を、徐々に朝へと変える。
「見ろ、サーシャ。地平線からじゃない」
夜は、一点の孔を穿ち。黒い月。漆黒の点から天が染まる。空高く恒星が飛び出し、瞬く間に明るく輝き始める。
まるで雲に隠れていた陽光。空の一部に、黒い雲があるのだ。そこから、二つの恒星が姿を現した。
この星に恒星は三つある。上手く回転することで、この星に夜と言う概念を消し去っていた。常にどれかの恒星が、空にあるのだ。だから、陽が沈み、陽が昇るを繰り返す。そうやって、夜を奪っていた。ルートヴィヒが言うように、四日目にして初の夜明けを見たのだ。
「あの黒い月は、何だ」
「光を飲み込んでいマスね。黒月の周囲だけが、未だ夜のままデス」
私は、覚醒した。寝ぼけた頭が、透明から意識を持った私になる。
「ブラックホール、というヤツじゃないかしら?」
四日に数時間、恒星が日蝕のようにブラックホールに隠れてしまう。それで夜のような現象が起きたのだろうと私は仮説を立てた。
「いい時計代わりになりそうね。さ、支度しましょ。早く人のいるところに行きたいわ」
何事かを考え込むルートヴィヒにけしかけて、出発の支度を始める。どうせ考えてもわかることではなかった。仮に何かをわかっても、対応策が出来るほどの余裕があるわけでもないのだ。今は、一つの目標を達することだった。
奇跡的に、起床から一時間も経たないうちに私は行動を開始した。荷物をまとめてルートヴィヒに背負わせ、アーリャを肩に乗せ、先導役となって草原に挑む。
逸る気持ちはある。今日こそは、集落に行かなければならない。そして食糧を調達し、ついでに沐浴をするのだ。
「あ、待ってサーシャ」
「駄目ぇ。ほら早く来なさい、いつまでもグズグズしてると置いてくわよっ」
元気よく歩き出す。そう、ルートヴィヒに欠けているのは、この元気だ。だから強引に、楽しく明るい世界へ彼を誘う。ルートヴィヒが元気いっぱいに走り回る光景を思うと気持ち悪いのだが、めそめそ泣いているよりは、良いだろう、と。
そう私は――――昔から、思っている。
「そっかそっか。ルートヴィヒが元気無いから私はこういう役目を演じたのよねぇ」
「……何を言ってるの。私が元気を失ったのはサーシャの子守りで疲れたから」
「え?」
「逆説的に考えるのはよくない。それは、詭弁だよ。やっぱり、記憶が抜けてるのかな」
少しずつ、戻ってきてはいる。カイアファやゲルトラウデ、そしてアーリャのおかげで、私は忘れていたこと、知るべきことを知った。だが、まだ足りてなどいなかったのだ。それに少々、ショックを受けた。ルートヴィヒも、やはりと言うからには、薄々感じていたのだろう。
また私は、道化になっている。まだ私は、ピエロのまま。そんな在り方が、ずっとずっと、嫌だった。
「全てが簡単には戻らない。また、全て元には戻らない。私が君の兄になるには、あまりにも時が経ち過ぎて」
いつしか、レアティーズ・スコアと過ごす時の方が、長くなっていたのだ。だから私は、ルートヴィヒがわからない。それを批判する権利が、他の誰にある。それでも私は、もう白痴の夢を見ていようとは思わなかった。
ただ、真実を。
「どうして、そんなに私を気にかけるの?」
「私にとって君が、全てだった」
私には、わからない。彼にしか、わからない。しかし、私にわからないというのが、悔しくもある。忘れてしまった遥かなる私は、ルートヴィヒをどう思っていたのだろうか。それはきっと、同じなのだろう。別々になるはずのない、別の人間とは思えない、同じ存在だった。
半身がもがれたようなもの。それでどうして、気にならないと言えるのか。
「ルートヴィヒ、気にしないで」
感情は様々で、複雑で。後悔、絶望、懺悔に憎しみ。そこに光めいた感情は、きっと無いだろう。
だからせめて、そろそろ、救われなければならないのだと、私は思った。
「たとえ違う道、どんな運命でも、ルートヴィヒは私を迎えるの」
結末は、一緒だろう。この人間の不撓の意志と、不屈の意思がある限り。
故に、私は。何を不安に思うことも、何を絶望することもないのだろう。
4
イスラフィル・セカンドを感染者の胸部に叩き込み、粉砕する。ルートヴィヒの手を煩わせることなく消せるようになった今、私は随分と戦闘というものにも慣れたのだと思う。
集落が近付くに連れ、敵襲も増えた。やはり人のいる場所の近郊には、感染者が増えるのだろう。四度目の襲来を撃退し、ルートヴィヒは周囲一帯の情報を確認している。どうやら、集落の近郊にいる感染者は、これで殲滅出来たようだ。
同族殺しに、アーリャは逡巡することがなかった。不思議に思うこともあったが、私だって敵兵士に襲撃されれば殺してしまうだろう。責める資格はどこにもなかった。
しばらく歩くと、件の集落が見えてきた。南にあった集落と同程度の規模で、百名足らずが生活を営んでいるようだった。やはり監視役のような人が立っていて、私たちは説明をしなければならなかった。北に落ちた隕石孔の調査だと言うと、すんなりと村長の家まで案内してくれる。
この集落でも、伝染病に悩み苦しんでいる。それを解決する術が、今は無い。私のような特例は、あるわけではないのだ。だから私は不必要に説明をしなかった。
「私とこのアレクサンドラは、感染を食い止める術を持っています。感染者に触れないこと。そして感染者を殺すこと。感染した人間に対して、今のところ効果的な治療は出来ません。感染直後なら対処も可能ですが」
「おお。それは、どのような?」
「感染部位の切除。主に腕などを切断し、傷口を焼いてください。感染者は十割で死ぬ確率を、七割には出来ます。が、確実ではありません」
全ての説明をルートヴィヒに任せた。彼は巧妙に正体を隠しつつ、しかし救いを諦めなかった。
「隕石の落下が伝染病の元凶であると思います。落下現場に行けば、より詳しいことがわかるはずです。希望はまだある。私は必ず、救ってみせる」
「藁にも縋る思いであります。どうぞ、今日はこの村で羽をお安めください、白き人」
腰の低い中年の男性だった。そして口の上手いルートヴィヒに関心しながら、私は素直に休息を喜ぶことにした。
「お風呂っ、まずは体洗うの」
「駄目。治療手伝ってからね」
「……大嫌い」
村長に案内され、私たちは近くにあった家に入った。その間も、ルートヴィヒは周辺の感染者の撲滅などを説明し、なお感謝されていた。
家にいたのは昨夜感染したとされる少年だった。皮膚の硬化はまだ見られない。しかし病原菌の摂取量が多かったのだろうか。倒れ伏して荒々しく呼吸をしている様子だ。アーリャの分析によると、皮膚より先に内臓器官が硬化し始めたのだそうだ。
デバイスを使ってルートヴィヒは少年の体を解析する。隕石種の多くは肺に分布している。肺を切除すれば、生きられない。彼は少し考えた後、ヴァイゼル・トレーネを抜いた。頭の中でアーリャが怖がる。神剣の刃を削り、粉末の屑を水に溶かせて、強引にそれを飲ませた。
「効果があるかどうかは、わかりません。もし駄目なら、私自身がこの子の命を断ちます。せめて穏やかなまま、眠らせるのが最善かもしれません」
丁寧にお辞儀をする婦人に別れを告げ、私たちは再び村長に案内されて、無人の家に招かれた。家主はすでに亡くなられたのだろう。まだ生活感の残る室内だった。多少、気後れするものを感じたが、素直にありがたいと思う気持ちの方が強かった。
そこまで、疲労していたのかもしれない。私は村長が気を遣ってくれたのだろう、お湯の沸いた風呂場に直行することにした。
「あぁ、生き返ったねぇアーリャ。気持ち良かったしょ?」
「ハイ。発汗量を調節しようとしたのデスが、発熱が酷くてやめまシタ。お風呂は良いのデス」
風呂からあがると、私の服が洗濯されて干されていた。どうやら宿泊するつもりらしい。ルートヴィヒの気遣いに感謝しつつ、着替えの鞄を探したのだが、見つからない。洗濯できなかったのだろう、汗臭い下着だけが残されていたが、再び身に着ける気も起きない。
仕方なく、アーリャに頼んで服とする。空中に撒布された隕石種は服の形にまとまり、私の体にまとわりついてくる。ネグリジェのようなそれを身に着けて、私は室内のルートヴィヒを呼びつけた。
「お気に入り以外、フォラにあげました」
「そんな顔してるなら乙女心くらい理解しろっ、馬鹿るー!」
「だからフォラさんにあげたんだよ」
「あー、もうっ。嫌い嫌い嫌い嫌い大ッ嫌い、消え失せろ――――!」
ルートヴィヒを追い払って、お気に入り以外と言うならどうして全て呉れてやったのかを理解に苦しむ。何だ、全て嫌なのかアイツ。私の服は一着だけ。腹が立ったので、ルートヴィヒの衣服を奪うことにした。一生アーマースーツ着て暮らせってんだ。
代わりに風呂場へ追いやって、着ていた服を洗濯してやる。これでルートヴィヒの服はアーマースーツだけだ。乾いていた替えの服を奪うことに成功し、見事に慌てふためくルートヴィヒの風呂あがりが見れたのでよしとする。
「ルっちゃーん、この服キツいんですけどぉ」
「ミサイルみてぇなおっぱいしてっからだよ。帰ったら覚えてろよ、忠実なる私の下僕が復讐するだろう」
すっかり捻くれたルートヴィヒの完成である。
濡れた髪に、蒼い外套。アーマースーツに陣羽織を重ねた姿に、少し驚いた。その時、私は初めて、ルートヴィヒという「男」の真髄を見た気がしたのだ。からかうつもりも、すっかりと失せてしまった。そう、初めて――――格好がいいと、思えた。
神将。そんな言葉が、脳裏に浮かぶ。神々しさを湛えた誇りの武人。思い出せ。目の前にいるのは、決して弱虫で私に媚びへつらうルートヴィヒではない。臣民に尊ばれ、その名は遥かに響く、天下の名士。偉大なる皇帝陛下だったオフェリアである。
ああ、この姿に。人は憧れ、そして信じ、仰いだ。
明日を望みに、共に参らん。我こそ剣、我こそ王。護国と勝利の剣になりて。
「ねぇそれ、レリックでしょ。聖遺物って本で見たわ」
「ん。お節介な人たちが気を遣ってくれたから。見た目なんか、どうでもいいのにね」
この人の思考はおかしい。聖遺物をもらって、どうでもいい発言である。その服、その剣がどんな意味を持っているのか、知らないはずがない。
本物は、違うのか。もしレアティーズだったら、心底欲しがるもののはずだ。本物である証明になる。だがルートヴィヒは、無くてもきっと構わない。それこそ、本物の証であろう。羨望。あるいは憧憬。ああ。そうだ。どうしてレアティーズがルートヴィヒと相容れないのか、わかった。
本物の神は、眩しすぎて。私でさえ、直視出来ない輝きがある。
「……ルートヴィヒは、ずるい」
「それは、サーシャが過去を悔いているからじゃないかな。私と君は、同じなのに」
私は、ルートヴィヒにはなれなかった。だから、今のルートヴィヒが、眩しく見えるのだ。かつて憧れ、いつかなるはずだった理想が。目の前にあるのだから。無言でその姿は、私を責める。どうして無知でいたのだ。どうして――――何も知らず生きたことを、良しとしたのか。
動け。世界を、救え。それが、私の運命だったはずなのに。
ルートヴィヒが二人いれば、きっと世界は救われた。フルジアとアンドロメダ、その二つを結ぶことも不可能ではなかった。全ては、泡沫の夢。白痴に消えた、いつかの願い。
「さっき、サーシャも言ったけれど」
そんな、罪深い私でさえ。彼は救おうと。
「そうさ、サーシャも。立ち上がるのはすでに決められていたことで、どんな道を行こうが変わらない」
笑って、私を慰める――――結末は、同じだと。それが運命。あらかじめ定められていた宿命は、人を救うということ。
その縮図が、この星に眠っている。
村長が用意してくれた夕食をとり、真昼の夜を迎える。
この惑星に漂着しておよそ八十時間が経過する。助かるという見込みは、未だ見つからない。出かけていたルートヴィヒが帰って来る。その表情は、明るいとは言えなかった。昼間に診た少年の家に呼ばれて行ったのだが、結果はその顔を見てわかってしまった。
ヴァイゼル・トレーネには抑制鉱石という侵食に対する耐性を持つ効果の石が素材の一部に使われていて、隕石種の治療法として効果を期待していたのだが、微量では効果が出なかった。純粋な鉱石であればまだしも、ヴァイゼル・トレーネは様々な金属も含まれている。
元々、荒療治としか言えないような代物だった。だから、仕方がない。私がそうやって励ますと、ルートヴィヒは明るい声と表情を見せた。心配をかけさせないように、と。わざと明るく振舞っているのだろうな、と私は思った。
「今日は大して進めなかったから、明日は早く出ようか」
「ええ、構わないわよ。今日はもう寝る?」
「――――ん。寝床とかって、あるのかな」
部屋は一つだけ。片隅に置かれた毛布とベッド。それが一組しかないことに、ルートヴィヒは苦笑してみせた。
「あらぁ、村長サンも気が利くわね。夫婦と見たのか姉妹と見たのかわからないところだけどね」
「後者に一票を投じるよ。ちょっと行ってくる」
「別にいいんじゃないの。後者に一票を投じるなら、ね」
この人に限って間違いはなく、違和感や嫌悪感はどうしても生じないのだ。肉親だからか、あるいは男性と認識していないからか、よくわからない。が、気軽にそう発言していた。
困った様子で立ち続けるルートヴィヒは、まだ苦笑を続けている。似つかわしくないな、と思って観察すると、どうやら苦々しい顔をしているのを笑みで隠しているようにも見えた。私は強引にルートヴィヒのアーマースーツに手をかけて脱がせる。
下腹部の創傷が、開いている。小ぶりな乳房のすぐ下に、膿と血の出た傷。少し、化膿しているようだ。瘡蓋がじゅくじゅくと濡れている。
「やせ我慢、禁止ね。ほら、寝なさい。アーリャ、どうすればいい?」
「体液には多少の隕石種が含まれているハズですカラ、多量な膿を拭き取って患部に触れないようにしまショウ。明朝には塞がると思いマス」
突き飛ばすようにルートヴィヒをベッドに押し倒し、言われたまま、手近にあった布で膿を拭き取った。患部を清潔にして、触れないようにする。洗濯してまだ乾ききっていない布を手に、患部に貼るように包帯代わりにしてやる。
「馬鹿るー、動くな」
もぞもぞと身をよじって逃げようとするルートヴィヒの腹部に拳を入れる。
「……だって、恥ずかしい」
「どこの純情乙女さアンタ。お兄ちゃんなら実の妹に上裸見られて恥ずかしがらない!」
やや強めに、患部の上に貼った布をぺちりと叩き、応急処置を完了させる。この人は本当に、不思議な人である。スーツをあげようとする手を止める。そんなに密着した防弾着を傷口の上に着せるわけにはいかないのだ。
しかし昼間の罰もある。まる出しで寝るといいさ。
「おヨメに行けない?おムコに行けない?ドッチさねェ?」
「嫁をもらってるんだから、どっちでもないんじゃない?」
「おお、ナルホド」
「……生殺し」
何となく、私はこんな困った顔に愛着が湧いて仕方がなかったのだった。
遮光カーテンを閉めて、毛布の中に潜り込む。もう眠っていたルートヴィヒが、かすかに目を開いた。
ベッドは狭い。まさか同衾することがあるとは夢にも思わなかったのだが、止むを得ないというか、どうでもいいのだった。さして隣の人物に気を遣うこともなく、ごろりと転がっていつもの寝る体勢をとる。
人には、寝やすい姿勢というのがあるようだ。私が熟睡できるような、最も体に馴染んだ姿勢をとると、目の前にルートヴィヒの顔があった。
――――目が合う。額がつくほど、顔が近くにある。やや、興奮するように。私はまじまじと私の顔を見る羽目になった。本当に、よく似ている。目尻がやや垂れているだろうか。それくらいしか、私との違いはわからなかった。
少し、恥ずかしい。鏡を見ているようなのだが、目の前の顔は私ではなくルートヴィヒなのだ。
「……ちょっと。照れるからあっち向いてよ」
「クセなのさ、こっち下にしないと寝られない」
「私もよ。いっつも左腕を下にして寝てるんだから」
鏡。私は左腕を体の下にして左を向き、ルートヴィヒは右腕を下に右を向く。だから、自然と私たちは向かい合う格好になっていた。互いに、譲らない。だがこのまま顔を合わせたままの方が寝にくい気がして、私は反対方向に体を半回転させた。
もぞもぞと背後で動く気配。あちらも同じように反対を向いたようだ。ベッドの端と端、落ちるギリギリの線で踏みとどまる。
身じろぐ。仰向けになったり、うつ伏せになったり。体をぐるぐると動かしながら、私はなかなか寝付けずにいた。隣の人もそうなのだろう。しきりに体を動かしては、もぞもぞしていた。
そう、結局。寝られないのである。
ルートヴィヒが反対を向いていることをいいことに、私は体を回して左手を体の下に挟んだ。右手を顔の前に持ってきて、ああ、やはりこの姿勢だとリラックスする。さらに腰を入れ、右足を左足の上に交差させて左側に持ってくる。ここまで体重をレフトにシフトすると、最高なのである。
しかし、その右足が、もつれた。どうやら、ルートヴィヒの左足と絡まったようなのである。
「……ちょっと。何でこっち向いてるの」
「寝れないんだ。サーシャ、足が乗ってるよ」
「ルートヴィヒこそ、私の左手に手ぇ乗ってるわ」
鏡のようだから、私たちは向かい合って姿勢を映し合わせている。この姿勢が一番、しっくりくる。ルートヴィヒの目と合うのだが、それさえ気にしなければ、純粋に寝られる。
「癖というのは、怖い」
ぽつりと、ルートヴィヒが呟いた。それで私は、何となくこの状況が理解できてしまった。
この姿勢は、私が生まれてから、ずっと変わらないのだ。私の左側には結合双生児がいた。それは眠る時でさえ離れない、体の一部で繋がったもの。左側に結合しているのだから、自然と私は右利きになり、眠る時は左を向かなければならない。
ならば、もう片方の双子は、その反対であるはずだ。左利きで、右を向いて眠る。私は左手、彼は右手を繋ぎ合わせる結合。そのまま眠るには、この姿勢でしかありえない。
「ルートヴィヒ。どんなに時間が経っても、変わらないことだって、あるのね」
「……ごめん。私は、嬉しいと思ってしまったんだ」
謝らせてしまう私の態度。本能では認めていながら、私はずっと、頑なに否定し続けていた。時間の経過が、私の兄をレアティーズと認めたのだと、言い張り続けた意地がある。しかし、これは決定的ではないか。いや最初から、私は、本当は、誰か――――わかっていたのに。
心は、揺れる。だからこそ、ルートヴィヒは、謝った。謝ってもなお、口にしたかった言葉がある。素直に嬉しいと思った、と。心から、そう思って。ルートヴィヒは、口にしてしまった。
「手を、繋いでみて。そう、昔みたいに」
左手に、右手が重ねられて。ぎゅ、と。握る。その感触を、どう表現すべきか。私にはわからなかった。懐かしいとか、恥ずかしいとか、そういう感情は生まれなかった。感慨を得たわけでもなかった。ただ、自然だった。
あるべき姿に、戻った。離してみると、違和感を感じてしまう。私の左手は、常に、誰かと繋がっていて。離してしまうと、寂しく、違和感が残る。握って、思う。ああ、どうして私は繋げていなかったのだろう。これが普通なのに。
人が服を着て出歩くように、赤子が泣き声をあげるように、私は左手を繋ぐのに。どうして私は、それを我慢して、それを認めず、それをしなかったのだろう。もう、離そうとは思わなかった。
「サーシャ。右手、そのままがいい」
顔の前にあった右手が、自然とルートヴィヒの腹に触れていた。痛みが、引くらしい。どうしてか理由はわからないが、触れていて心地よいのなら、眠るまで触れていようと思った。せめて、今だけは。満身創痍の英雄に安らぎを、と。
私と貴方は線対称。私が幸せだと、貴方は傷だらけ。
でも、繋がると私たちはひとり。ふたりでひとりは幸せもいっしょ。
5
しっかりとした睡眠をとると、朝の目覚めは爽快である。
テーブルについて、アーリャの淹れた紅茶を二人で愉しみながら、快晴な空を見上げる。どいつもこいつも同じ顔をしている、と私が言うと、アーリャの見た目が少しだけ変わった。便利なヤツだ。
「そろそろ、出かけまセンか?オフェリアちゃんがいないのデス」
「――――ふぅん」
紅茶をすすりながら、私は窓枠の外を眺めていた。
「……アデレード、起きてもうそろそろ一時間デス。まだ目が覚めまセンか?」
十二時間も寝たというのに、やはり寝起きの悪さは変わらないようだ。私より一時間ほど早く起床し、きっかり一時間経ってから覚醒したというルートヴィヒは、室内にいなかった。おや、と思うことで私も覚醒を始める。
飲み干した紅茶に顔をしかめる。単なる泥水のような気がした。アーリャは自慢のアルカリイオン紅茶デスと言うが、絶対ウソだと思う。
「隻腕の男がオフェリアちゃんを探しているようでシタ。さ、行きますヨ」
「あぁん、待ってよアーリャ、私まだお寝ぼけ中〜」
小さくなって肩に乗られる。準備は完了、ということか。私は立ち上がって深呼吸した後、この家から外に踏み出した。
ルートヴィヒの居場所はすぐにわかった。村長の家の前に人だかりが出来ていた。やや盛り上がっているような、しかし葬式のような寂しさもある。取り巻きの人波を掻き分けて、私はその中央にいるルートヴィヒを探し当てた。
彼に集まる衆目。そして、求めの声。
誰しもが、救いを求めていた。誰しもが、希望を預けていた。懇願。どうか救え。祈りはひとつ、ただ生きることへの執着。我々が生物であるなら、生への願いは当たり前にある。それが今、断たれようとしていて。人々は恐れ、途惑い、そして絶望を味わう。
「ここにいるは神の人だ。必ず救いはあるだろう。だから皆、そう慌てないでくれ」
アーリャが言っていた隻腕の男が、大声を張り上げて群集を退かせようとしていた。彼の言葉には、現に自分が救われたのだという主張があり、ルートヴィヒが単なる偶像ではなく、救う力を持つ偉大な人物であると証明するようだった。
キラボと名乗る青年は、ルートヴィヒを庇うように前に立って、人々を落ち着かせようとしている。
私は、ただ、ただ。具合が悪くなるほどの、人の想いに、嘆きの夢に、求める声に、押し潰されるようで。
知らなかったのだ。民衆が抱く生への執着、ただ当然にそこにあるものが脅かされる恐怖、直面する絶望の重さを。救いとは、その重荷を責任として全て背負うということ。人を助けるということと、人を救うということは、意味が違うということを。私は、知らず、知ろうともせず、気付きもしなかった。
重い。痛い。この身はきっと、耐えられない。その重さに潰れ、きっと自棄になる。
一人なら、助けられるかもしれない。痛みに苦しむ人を、癒そうとし、駄目なら励まして、その死を看取ることくらいはやれるかもしれない。だがそれは、救いと呼べるのだろうか。もし一人が救われたとして、では何故、全員が救われない。
――――神とは、誰かのために幸せを与えるものか。違う。誰のためにも幸せを与えるものだ。だから、特例はあってはならない。一人を救うなら、皆を救わなければならない。そうやって、全員が幸せになれば、それが幸せだと気付くものはいなくなる。それが、きっと救いということ。
そんな報われない生き方を――――ルートヴィヒは、二十五年間も続けてきたのか。
「わかりました。その願い、叶えよう。必ず皆を助け、救うと私は誓いましょう」
その言葉を、この人は、幾度も口にして。自分の願いを、捨てて生きてきた。
それは責務、それは運命。きっとルートヴィヒは、迷うことなく救うために生きる。どうして、と問えば。宿命だからと彼は言うだろう。
私には、到底、無理だ。同じ存在であるはずなのに、こんなにも遠い。私は輪の中央には行けず、人々の想いに押し潰され、前に歩けなくて。眩しい神だけを、眺め、信じるだけ。
――――でも、それじゃあ。いつまでも、幸せになんかなれないのに。
私は、アデレード・アレクサンドラ。貴方の半身なのだから、その重荷を片方背負ってもいい。
共に。喜びも幸せも、痛みも分かち合って生きる、運命の双子なのだから。
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