[二日目]
姦して子宮に注がれたモノ、母は慈愛を与え、大きな乳房に抱かれ、世に生誕する
共に生きるか、ただ縋られるだけか。
脆弱な絆を、繋ぐ時。
望むのは、前者がよかった。
流れた涙を拭い、星に願いを。
私たちは血を分け、命を共にする双つの運命。
1
ソレは、私を侵食してきた。耳と鼻から脳を目指して、血流を通じて胎内を侵す。
気付いた時には、遅かった。侵され尽くした私の肉体は、正常ではなくなっていた。辿り着いたのは、人の集落。私は飲料水を求め、彼らは後頭部に強い一撃をくれた。
どうして、こうなったのかを理解したのは。暗い地下でだった。
体液を通じて感染する疫病。感染すると、発狂して死ぬ。感染している人間は、血を流さないという。私は後頭部を殴られ、頭蓋が割れても――――
だから、追放を受ける。人々は感染を恐れ、私を遠ざける。集落から追放し、放逐し、感染者で蔓延している森へと迫害するのだ。
「いいわ、構わない。けど、フォラ村長。私の恋人が黙っていないでしょうね」
オフェリアは、必ずやって来る。この集落を見つけ、この伝染病を知り、そして私を探すだろう。共に暮らす姉妹よりも、私を追っている恋人という方がいい。面倒なのだ。オフェリアと自分の関係を説明するのは。それに、恋人という方が執念深そうではないか。
「彼は、この病を治せるのよ」
そんな嘘をついた。フォラは簡単に信じた。私の容姿が、集落の人間が自分とは違っていたからだろう。何者かわからず、だからこそ、何かわからない病気を治せるかもしれない。
出任せが、功を奏したのかもしれない。私は、放逐されなかった。代わりに、村長の家にあった地下に閉じ込められた。
それからは、よく覚えていない。気付いた時、私は汚れきった服装から、清潔な体と寝具に包まれて眠っていたのだ。おそらくオフェリアが何かをしたのだろう。他に考えられる可能性はないのだ。
――――この最低女が。お前、まだ頼ってるの?
誰かがそう言った。腹の立つ言葉だった。私は頼った。だが、それの何が、どこが悪い。私は死にかけでしかも窮地で、祈ることしか許されなかった。
「違う、馬鹿女。本当、間抜け。貴女って人は、都合がいい」
言葉の意味が、よくわからない。しかし罵倒されているのはわかった。私が立腹しているのが、ソレにはわかったらしい。くすくすと嫌味のような笑いを残し、言葉を続ける。謝罪など無い。さらに私の神経を逆撫でするだけだった。
「ねぇ、貴女。お兄さんの名前、言ってご覧なさい」
オフェリア。
「その人、背は高い?」
――――かちん、と来た。
「やっと気付いた馬鹿女。貴女――――スコアを兄と思ったままでしょう?」
私の記憶にある「兄」という存在は、スコアでしかなかった。だから、かすかに覚えている幼少の記憶も、スコアだった。逆なのである。オフェリアではなく、スコアの幼少が私の兄。私の記憶は現在から過去へと流れている。私の兄はスコアだ。だから、昔の兄もスコアなのだ。
オフェリアの幼少を、私は、気付けない。その倫理から外れない限り、かすかの記憶にオフェリアが重なることはない。
「それって、酷くない?」
酷いのだろうか。よくわからない。記憶にあるからスコアが兄。記憶にないからオフェリアは違う。同じ十年を過ごした兄でも。差があった。だから、今に至っても。私はオフェリアを認められずにいる。だって、知らないもの。
「そのオフェリアに、助けを請うのはお門違い。でも、オフェリアにとっての妹は貴女。あはは、酷い片思い」
なら、兄以外に人を頼ってはいけないのか。
「いえ、別に。ただ、ね。ハイネがキレるのもわかるわ、貴女見てたら」
どうしてそこであの女が出てくるのか。さらに私を怒らせる言葉だ。全てをわかっている。わかっていないのは私だけ。まるで道化ではないか。踊らされ、私一人が困惑しているのだ。それはきっと、私の所為ではないのに。
「全てを奪われた兄と、何も失わなかった妹。それが、全てよね。ガートルードが死んだ時、貴女たちは二つになった。区別がつけられた。それは、差別になった。愚かで、舌足らずで、頭の弱い、馬鹿な妹と。弱虫で、暗くて、芯の強い、健気な兄に。ねぇ、どうして。それまでは全く同じ存在だったのに、どうして貴女は一人で生きられなくなっちゃった?」
言い返す言葉が、私には思い浮かばなかった。彼女の理論は、実にまともで。筋が通っていた。だから私は、真っ白になった。何も考えられなく。何も思い浮かばず。ただ、聞く耳しか、動かない。
「いつからか、支え合うことから、一方的に縋る関係になった。いつまでも寝てるテメェを起こし、朝飯を作り、不機嫌な父親から逃げ、庭で退屈なテメェと遊んでやり、またメシを作り、昼寝するテメェを撫でてやり、ブン殴られてもテメェが起きないように歯ぁ食いしばって、今度は晩メシだ、ぐずるテメェを寝かしつけ、ヤク中の父親にレイプされて、一日。それを、五年。あはは、なんて馬鹿。でも逃げ出さなかった。逃げられたのに。ハイネや、ナオミを頼れたのに。でも、しなかった。どうして。答えは単純。だってテメェがいたもの。逃げられなかった。なら一緒に逃げればよかったって思う?馬鹿。馬鹿、馬鹿。そんなもの、テメェがいたらいつまで経っても同じことじゃない。それに見かねたゲルトラウデが、救ってやった。解放してやった。そうとも思えるわ。私は悪くないですって。アンタの、どこが、悪くないっての。オフェリアの方がずうっと悪くない。何にも悪くない。悪いことなんかしてないのに。守り続けた妹に拒否され、怨まれ、だっていうのに、あの馬鹿はまだテメェを気遣って、まただ。ほら、まただ。今日もまた、テメェを助けなきゃならない。よくわからない?分かれよ馬鹿。むかついちゃった?死ねよ糞女。しらなかった?知ろうとしなかっただけでしょ。ええ、だけど。所詮、人間の全てを知ることなど出来ない。記憶も、感情も、思いも、共有なんて出来るはずがない。普通はね、そうよね。だから、ああ、なんて馬鹿な妹だろうって話で終わるの。残念でしたぁって終わるの。でもこの話は終わらないの。だって、テメェは双子の妹だろうがよ。同じオフィーリアのクローンだろ。テメェが知らなきゃ誰も知れない、っつーか兄だけテメェの全てを知ってる。だから酷い片思い。え?何で私が全部知ってるのかって?」
嫌だ。聞きたくない。もうやめて。それ以上、言わないで。もうわかったよ。わかったから!だから止めて!口を開かないで!っていうか何で知ってるの!そんなの本人しか知りっこない!吐きそうなほど、痛い!痛い!気持ちが痛いよ!苦しい!
「アナタは、ダレだ」
「ワタシは、アナタ」
「……やあああアあアアあァぁぁアあぁァっッッっうあァッ――――」
それは、誰の声?
それは、誰の悲鳴?
2
「大丈夫でしたか、オフェリアさん」
包丁を取り落としたフォラが、私を見て言った。
どうして私はこんな場所にいるのだろう。もう苦しみも無い。妊娠してしまったかのように膨らんだ腹部も、元に戻っている。私は、いつもの私だった。そして、よくわからない状況にあった。目の前には、腹部を刺されて倒れたオフェリアがいる。血を流して呻いていたが、やがて、それも止まった。
いや――――終わった。オフェリアは目を閉じ、一切の呼吸を止めていた。
「死ん……だ――――?」
ワケがわからない。どうして私がここにいるのか。どうしてオフェリアが死んでいるのか。どうしてフォラが私をオフェリアと呼ぶのか。
「多分。あ、ごめんなさい、ごめんなさい」
それ以降、フォラはごめんなさいとしか言わなくなった。私は呆然とその場に立ち尽くし、もう目を開かないオフェリアを見下ろしていた。
どうして。
そんな陳腐な言葉しか、脳内には浮かばなかった。フォラが同じ言葉を繰り返すように、私もまた、同じ言葉を繰り返していたのだ。どうして。私は、治っているのだ。どうして。私は、この部屋にいるのだ。どうして。オフェリアは死んでいるの。どうして。こんな、未来になってしまったの――――
知らず、涙が流れていた。
悲しいのか。どうして。ああ、もう。これ以上、疑問を増やさないでほしかった。私はただでさえ混乱しているのに、どうしてとはもう言いたくないのに!
「オフェリアさんは、本当に、大丈夫ですか?」
「え?」
いつの間にか、フォラが私にそう言っていた。頬の涙が、乾いて跡を残している。気付かない間に、相当の時間が経過していた。
「だって、その。保菌者である妹さんに、襲われていました、よね」
保菌者である私に、オフェリアが、襲わレてイマしタ、ヨネ?
不可解な言葉が、脳内で反芻している。よく、わかっていなかったのだ。その時私は、本当に混乱していて。冷静になればすぐ理解する言葉でも、混乱を深める効果しか、もたらさない。
――――いつの間にか。私が、「オフェリア」になっている。
その事実に、愕然とした。そこで死んでいるのが、アデレードだった。感染し、発症して、オフェリアに襲い掛かって、フォラに殺された。そして私は、アデレードに襲われ、フォラに助けられたから、感染はしていない。
奇妙な、奇妙な、違和感。私は、それが、不気味に感じられた。
「……あ、ええ。大丈夫」
咄嗟に、そう答えた。いや、少し遅かったかもしれない。だが、私は、「オフェリア」だと答えていた。そうしなければ、ならない。私がアデレードならば、死ななければならないのだ。
私の片方は、もう死んでいる。死んでいる。奇妙な現状だが、それだけは確かだ。死んでしまったから、どうする。決まっている。答えなど、決まっている。
「――――死体は、どうするの?」
助けないと。救わなければ。何とかして、死んだオフェリアを救わなければならない。
神剣を拝借し、着替える。私の体はすっかり元に戻っていて、オフェリアが持って来ていた衣服を借りることにした。上着は邪魔だ。軽装である。今まで、鈍重なドレスか、とにかく露出を控える服しか着たことがなかった。
だから、思い切って。丈の短い超絶ミニスカートなんかを穿いてみる。動くだけで下着が覗きそうな代物に、乾いた笑いが漏れる。足を隠す通気性のよさそうな、半透明のスパッツのようなものを発見する。防弾仕様なのだろうか。脚部を保護するものには違いないだろう。
新たな衣装で。腰のベルトに神剣を挟み。私は階下に降りた。
「あら、可愛いです。その方が明るくていいですよ、オフェリアさん」
「世辞は結構よ。遺体の準備は?」
血を失った顔色。真っ白なオフェリアの顔。当然だが、目は閉じられて眠っているようだ。死さえ美しく、人形のような。
今は――――何も、考えないことだ。手で前髪に振れ、その死顔を覆った。
そのまま、背負う。オフェリアの体は、予想以上に軽かった。ずれ落ちるのを防ぐために、フォラが遺体を縛り付けてくれた。
集落を出て少しした場所に、小屋がある。そこは追放した感染者を隔離する場所で、いわば、生贄のように。感染者は小屋に固定され、戻ることは許されず、狂うしかない。オフェリアは死んだが、ひょっとすると蘇って狂うかもしれない、とフォラは危惧しており、その小屋を教えられた。
そこなら、誰にも見つからない。オフェリアを蘇生させるにうってつけの場所だった。私は集落を出て、森に入る。ひっそりとした静寂の森。木漏れ日だけが美しく、危険など、微塵も感じさせない。注意深く進み、小屋を見つける。
駆動音を、耳にする。機械的な音に私は焦燥感を覚えた。小屋に飛び込み、オフェリアの体を安置して外に出る。
森を疾駆する、トラックのような車両を見つけた。科学技術の存在に驚いていると、騒ぐような笑い声が耳に届き、何が起きているのか全くわからなくなった。
不意に、人影。湧き上がる三人の男は――――奇怪な機械を手にしていた。
「白い人だ。おい、白い人がいたぞ――――!」
目が合う。すると、男は、大声を張り上げた。チェンソーを手にした男が仲間を呼んでいる。拙い。咄嗟に、私は危機感を覚えて逃げ出した。
アレは何だ。チェンソー、ドリル、歪な武器とは思えない機械。それらは木々を切り倒したり、掘削するのに使うものだ。そんなものを、人に向ければ。血肉は飛び散り凄惨な死体が出来上がってしまう。恐怖。確かに私は、恐怖していた。
森を走る。耳障りな駆動音。追ってきている。どうして。私には、ワケがわからなかった。
躓きそうになる足、縺れそうになる脚を必死で動かし、私は逃げた。何から。背後から寄ってくる、明確な殺意からだ。どうして森の中で、何も理由なく、あんな禍々しい機械で殺されなければならない。恐怖。そして、混乱。乱れる呼吸と思考の中、ついに、私は大樹の根に躓いて、転んだ。
立ち上がった時には、遅かった。背後から三人、左右から二人、前方から二人と七人に囲まれている。私は周囲を眺めながら、忌々しい大樹から漏れる光を浴びて。じっと七人を凝視をしていた。
「悪いわねルートヴィヒ。ぶっ壊しても文句、言わないで」
神剣を、引き抜く。重い剣、どしんとバランスを崩して、剣先を地面につけた。そのまま。そのまま。周囲に気を配る。
剣とチェンソーでは、勝負にならない。ぶつかりあえば、折られてしまうだろう。私は、ドリルを突き出して突進してくる男を見た。見た。見た。
気合を入れて奮起する。口から叫ぶ声をひねり出しながら、剣をずずずと引きずって、力の限り振り上げた。ドリル。そんなものが身に触れれば、痛いどころの話じゃない。ふざけるな。絶対に当たるものか。死んでしまうだろう、この間抜け――――!
飛び上がって脇腹をかすめるドリルの刃をかわし、剣を男に叩きつけた。右肩から左下腹部に抜ける刃。半身を両断した一撃。ずるり。肉体が二つとなって死体となる。返り血を肘で防ぎ、包囲を縮めてくる男たちを一瞥した。
「舐めるな、下郎。私はアデレード・フォーレ、容易く消される私ではないわ」
「待った!俺たちが悪かった、だから止めないか!」
両手を前に突き出した男は、チェンソーを捨てていた。周囲の男たちも、それにならって武器を納める。知性はあるようだ。ここで私を討ち果たしたとしても、被害は生じるだろう。あと二人か三人、斬ってから死ぬつもりだったからだ。
予想外の展開に驚きながら、私も神剣を納めた。
「貴女が神ならば、俺たちが勝てる道理はねえ。どうか神様、お怒りを鎮めてくれ」
「なに?アンタたち、私を知っているの?」
アデレードと名乗って、神だと呼び返される理由は一つだ。私がルテティア・パリシオールムの聖女で、オフェリア・フォーレの妹と知っているからでしかない。
「いや、知らないんだが、神様と同じヒトに見える」
「神様?」
「……イザーク様」
私は、やはり混乱するしかなかった。しかしすぐに勘違いだとわかった。セリア・イザークは地球の出身で、私たちリューヴ人に似てはいるが、肌の色などは白い人とは呼べない。どちらかというと、彼女はこの星の原住民に似ていた。だから、神に身間違えられることはあるまい。
会おう。他の集落に私は行くことを決意した。
3
その男、名をイザーク・ルリアといった。神を自称する男である。
元いた集落から北に進み、森林地帯を抜けると草原が広がっていた。プレーリー地形の温暖で多潤な気候に育まれた長草の原野。見晴らしのいい原野の中央に、神の鎮座する集落があった。大規模な集落は文化的であり、石畳で舗装された道路と素焼きされたレンガの家が並んでいた。
集落ではなく、町である。町をぐるりと囲む城壁のようなものがあり、私はトラックに乗ったまま、門をくぐった。衛兵のような歩哨が詰めている。横目で見ながら、振動が減った荷台から街並みを眺めていた。
彼らは感染者を恐れてはいなかった。むしろ、侮っていた。見晴らしのいい地形である。感染者が近付いてくれば、チェンソーとドリルで武装した若者たちが集団で撃退する。今のところ、平和は保たれている。故に、フォラの集落に見られるような恐怖心は皆無と言えよう。
私は最も巨大な屋敷のような建物で、神と会った。
会場に現れたその男は、屈強な肉体をした三十前後の青年だった。金髪で碧眼、白い肌はこの星の住人には見られない身体的特徴だ。一目で、それがタイタン人だと私にはわかった。それを口にすると、イザーク・ルリアは余人を外して二人きりにした。
「君は、ニューレイスか。漂着したのだろう?」
「間抜けな質問ね。さすがは田舎の野蛮人だわ」
いくら神を気取っていても、私から見れば地球に支配されている未開の人種でしかなかった。リューヴに比べて文化水準も低く、男女に差別があり、戦場で使える捨て駒だ。被差別の立場にある人間が、自分より立場の低い者に出会うとどうなるか。自分が差別をする立場に回るのだ。
見たこともない人間が、未知の道具を使って、奇跡としか思えないことを起こす。剣という武器しか知らない人間が、銃で撃ち殺されれば、それは神の奇跡と思うだろう。理解の出来ない事象を引き起こす者を、神の化身と呼ぶのだ。
だが、私は違う。彼のやっている全てに対し、理論的に説明を下すことが可能だ。だから神と呼ぶには値しない。徴兵逃れで起訴されて、懲役刑を判決で下されて、護送中に事故が起きてこの星に漂着した、愚かで間抜けな犯罪者にしか見えない。
そもそも、私を彼が理解出来ないのであるから、私が神であるのが道理だろう。
「ねぇ、知っていらっしゃる?文明を持っている人はね、文明を持たない人に会ってはいけないそうよ。あら、ごめんなさい。貴方は法律というものを知らない未開のサルでしたわね」
滑稽でたまらない。そんな人物が、神なのだそうだ。私は笑いをこらえることが出来ず、哄笑と共にイザーク・ルリアを侮蔑の言葉で呼んだ。
「……笑っているといいさ。テメェがどこのお姫様でも、この星じゃあ、通用しない。たとえ神様だとしても、誰も知らねぇんだからよ」
「話のわからない奴ね。本当の馬鹿なのかしら。脅しの言葉を先に吐いて、何がしたいのかわからないもの。順番が逆よ、間抜け。目的を迫るために脅すのだから、脅迫っていうの」
私に怖いものなどない。世界の頂点にいる私が、こんな人間に屈してたまるものか。
「どうやって、来た?」
「馬鹿。それがわかっていればこんな星に留まっていないわ」
「船はどこだ?」
宇宙船の在り処を訊ねるということは、宇宙船を欲しているということだ。船を欲する理由など、一つしかない。この星からの脱出。しかし解せない。ルリアは神を気取ってこの星で御山の大将になっているのに、わざわざ社会復帰することを望むだろうか。
何か、理由があるのかもしれない。ああ――――そうか。いつ死ぬかわからないような感染病が流行している場所には、誰だっていたくない。それには私も同感である。
ルリアは南の森に墜落した宇宙船を知っていた。だから、回収するために部隊を派遣した。その部隊が私を見つけ、ルリアと同じ異国の人間、神の人だと判断してしまった、という流れだろう。そして南の森に、肝心の宇宙船は無かった。
「燃えちゃったんじゃないかしら?」
「嘘をつけ。それほど激しく炎上してりゃ、あの森は無くなってら。ま、言う気が無いんならいいが」
フルジア軍アークトゥルス星籍近衛第一師団所属対星攻撃機スターチェイサー。敵の戦闘機に乗ってリューヴの追捕を振り切り、この星に落ちた。本来の宇宙船より小型で、およそ長時間の航行に耐えられるものではない。
墜落の原因はおそらく、そのあたりにあるのだろうが。オフェリアなら機密保持とでも称して爆破するだろう。私は本気で燃えたと言ったのだが、白を切ったと思われたようだった。つまり、船を人目につかないところに隠しているのではないか、ということだ。
その可能性も否定できない。だが、船の始末はオフェリアがやったことで、私が知ることなど無い。
「いいぜいいぜ、考える時間なら―――――たっぷりご用意させていただきます」
つくづく私は。ルートヴィヒという人間を好きになれない。
また牢獄である。人生で二度も牢に繋がれる経験をするというのも、なかなか無いだろう。土の大地に窓の無い壁面。本当の牢獄というのもあるのだろうが、比較的丁寧な扱いを受けているような気がした。牢屋代わりに使用される個室、といったところだ。
扉は一箇所。外側に歩哨が立っていて、誰にも見つからず逃げ出すのは不可能だ。ルリアが言うように、私の立場は非常に弱い。この星の原住民に援助されなければ生きていけず、彼らを総べるルリアを殺してしまえば、私もまた、餓える。
しかし私には利用価値というものが存在する。ルリアと同じ文明人、そして船を隠し持っているのだ。殺されることはないだろう。
「――――それよりも、考えなくちゃいけないことは、ある」
私は私に言い聞かせるよう、言葉を口にした。覚悟というか、決意のようなものだ。
どうして私は――――生きているの?
死に至る病に感染した。下腹部が膨張し、腕には鱗が。死の寸前で、何故か蘇った。そしてオフェリアが、死んだ。この奇妙な入れ違いは何なのか。
感染した人間は、石を出産して、肉体は石化するように硬化し、脳に異常が生じ正常な精神を失する。私は第一段階までは経験したが、それ以降に病状は進んでいない。どころか、快癒してしまった。その原因は、どうしてか。病原体は、私のどこにいて、どこにいったのか。
「答えましょう、私」
背後で、声がした。誰もいるはずのない牢屋の中で、私は――――私と出会った。
「あぁ、なるほど。これが発狂の原因。自分自身を見せられれば狂いたくなるのもわかるわ」
私と同じ格好、私と同じ顔なのに、それがオフェリアであるとは思わなかった。すでに死んでいるし、やはり私とオフェリアは酷似していても別の人間だとわかるのだ。しかし、この目の前の女は私以外の誰でもなかった。
「アデレード、貴女は快癒したわけではありまセン。まだ病原体のキャリアです。その病原体を結晶化すると私になるのですが、貴女は結晶化しなかった。だから発現に時を要しまシタ。今は吐き出された息から空気中に撒布されて具現しているだけデス」
彼女が皮膚を見せる。それは、昨日の私。美しい六面体が敷き詰められた硬化の肌。それは全身に回っていて、感染者の最終段階に酷似していた。つまり、私がこうなるはずだった未来の姿。
「結晶化しなかった理由はひとつ。貴女が神の末裔だからでしょう。侵食に耐え硬化に対する耐性を持ち、融合へと導く適性遺伝子を有しているのが理由デス。貴女の記憶から借りた知識によれば、アヴェスター聖典フィルウィリミテア記第二章をはじめとして、私たちの種に関する記述がありまス」
聖書を思い出す。フィルウィリミテア記の第一章は生誕と人となりについてだから、第二章は建国に至るまでの過程か。神の少年期についての記述だったはずだと思い返した。
神は、片方の手に神剣を持ち、片方の手に光り輝く腕を持った。
「あなたたちの、種とは?」
「アヴェスター聖典の記述から名を借りるならば、『隕石』デス」
遠く遥かな星より飛来した隕石。そこから、伝染病が広まった。隕石には未知の生物がいたということだ。大気圏に突入すれば、燃え尽きる。しかし燃え尽きずに残った生物がある。それは――――隕石そのもの。
人は生きている。樹も草も生きているというならば、どうして石や岩が生きていないことになるのか。そう、これは生物だ。この伝染病は、種の保存に相当するのだ。隕石の破片が空気中に撒布され、吸い込んだ人間が隕石の粉末を体内に取り込む。伝染病という名の、生殖行動。
原石である第一形態が犬などの有機生命に捕食され、第二形態になる。第二形態は再びより高度な有機生命に寄生し、体内にウイルスを体液と共に注入。あるいは捕食される。高度有機生命は徐々に石化し、最後は結晶化して砕ける。その前に進化第二形態を出産する場合もある。
今の私は、寄生されている第二形態に当たる。
「アデレード。私たちは自我がなく、意思のない、ただ存在するだけの生物。あるのは、記憶だけ」
彼女は、私の姿を模写した彼女は、無表情のままで泣いていた。美しい涙だと思った。まるで、宝石のような煌びやかさ。
「貴女は素晴らしい。貴女に寄生した私という存在は、貴女を得て初めて――――心を知りました。泣けるということ、笑えるということ、それは本当に、羨ましく素晴らしいと思えまス」
何故か私は、無性に、彼女に対して親近感を覚えていた。忌み嫌われる病原体を、私は、認めてしまっていたのだ。私は宿主、彼女は寄生物。だというのに、宿主が、寄生を認めてしまっていた。
この種に何の罪があろうか。生まれることを、なぜ否定されねばならないのだろうか。人と彼らが共生することは、難しい。しかし、だからといって淘汰されるのはなぜだ。こんなに綺麗な心をした、純粋無垢な存在を、私は否定することが出来なかった。
「……貴女、名前はないの?」
「個体名はありまセン。アデレードの知識を借りて、貴女がたの理論に当てはめると分類の名前がありまス。金緑石の変種、アレキサンドライトに相当しまス」
鉱石といっても、様々な種類がある。宝石の名前を彼女は口にし、それなら、私と同じ名前ではないかと少し嬉しい気分になった。
「私の愛称はサーシャだから、貴女はアーリャね」
共生。もし許しが必要ならば、私は貴女という種を認め、そして、生きることを許そう。
4
一眠りした後に、私は再びイザーク・ルリアに呼ばれた。牢屋にアーリャの姿は無い。
歩哨に連れられて神の屋敷まで移動した。ルリアは椅子に座ったままで、私から巻き上げた神剣を眺めている。左右に武器は持っていないが、屈強な肉体の護衛が二人、ついていた。
「北へ、向かえ。伝染病の調査を命じる」
偉そうな素振りで、脱獄者はそんなことを私に言ってきた。ブチ殺してやりたくなる気持ちを必死で抑えて、平静を保つ。この男の持つ情報は、貴重である。そして下手に手を出すべき相手でもない。勝利するには、相当の準備と勝算が必要だった。
「意味がわからないわね。どういうことかしら?」
私はあえて、ぞんざいな言葉遣いで問うた。周囲には人間がいる。神と同等である存在だとアピールしておくことが重要だった。そう考えながらも、こうも思う。この馬鹿に謙ることを思うと虫唾が走るのだ。
「流行病は知っているな?これはウイルスによるものだと俺は思っている。感染経路などはすでに判明しているから、後は病原体そのものを発見するだけなのだ」
「それで?」
「ワクチンを作りたい。俺は医療装置を持っている。病原体を採取し、解析装置にかければ特効薬が作れる。俺がここに降臨したのは五年前。三から四年前に隕石が落下した事件があったが、伝染病が流行したのはそれ以降だった」
随分と素直だな、と印象を受ける。少なくとも、嘘を言っているようには見えなかった。馬鹿が取り繕おうとすれば、ボロが出る。今のところは、真実だった。
「お前は俺と同じ神の種族なのだ。ここは、手を結ぼうではないか」
「一緒にしないで。本気で伝染病を無くそうとしているなら、自分で探すことね」
「探したさ。三年だぞ。何度も人を派遣している。しかし、戻った者はいない。おそらくウイルスの濃度が濃いのだろうな。俺が行っても二の舞だが、君は違うだろう?」
雲行きが、おかしい。前は船を寄越せと言ってきたが、今は違う。まず伝染病の脅威を取り除くことを第一にしている。これは、ルリアがこの星に滞在していたいという気持ちの表れだろう。そのために、私を利用しようとしている。
「船はもういいのかしらね?」
「ああ、いいんだ。話によると、君は感染しているかもしれないのだろう。ウイルスを発見すれば、発病する前に食い止めてやれるんだぞ」
なるほど、感染者であることを知っていたのか。辻褄が合う。感染者が常軌を逸する前に、発病する前に、隕石孔へ向かえと言っているのだ。確かにこれは取引だ。ルリアを認める代わりに、私はワクチンを手にする。双方にとって利益がある。
しかし、私はもう、この病原体が如何なるものか知っている。
――――引き受けるべきデス、と。私の中のアーリャが呟いた。どうして。なぜならば、私の肉体は日常生活に支障を来たすものだから。治癒しなければ、体液から他者へと隕石種が寄生する可能性が残る。適性遺伝子を持つ人間は、フィルウィリミテアの子孫。ベルベデーレの七人と、ノアの息子だけだ。
死を撒き散らす女神になりたくなければ、行かなければならない。
冗談でしょ。共生は、出来ないと言うの?
「イイでしょう。隕石孔の位置はどのあたりでスか?」
アーリャが勝手に口を開いた。こんな芸当も出来るのか、と驚いた。
「この惑星のサイズは非常に小さい。大陸も限られている。クレーターと思われる地形はここから北に100キロメートルほどの地点にある。モバイル・デバイスのような携帯情報端末はあるか?」
「いえ」
「では、これを見ろ」
大仰な素振りで、ルリアはポケットから端末を取り出した。周囲の人々がひれ伏す。光り輝くそれは画面に地図を映し出し、立体映像を宙に描いた。確かに、未開の原始人がこれを見れば、神の所業と思うだろう。
大まかな位置を記憶する。アーリャの記憶装置にも書き加えられる。途中、いくつか集落のようなものもあった。一日に歩く距離は、せいぜい30キロメートルほどだろう。一週間もあれば辿り着ける距離だと計算した。
「そうだ。これを返しておこう。食料など物資は門で受けよ」
神剣を受け取る。調べられただろうが、私自身、この剣の所以など知らない。爆弾でも仕掛けられているのではないかと思ったが、そんなことをする理由もない。ベルトに剣を引っ掛け、私は退室を促された。どうやら、そのままさっさと向かえということらしい。
門では、笑顔の住民たちが食糧などを供出してきていた。希望の星。そんな言葉が聞こえる。白き神の人が、悪魔の病を滅ぼすのだ。そういった期待が、自分にはかけられているのだろう。
正直、複雑だった。やはり、人と星は共生が出来ないのだろうか。
北ではなく南に向かって、まず森に入った。周囲に人がいないことを確認して、私は独白を始める。
「さて、アーリャ。説明しなさい」
オフェリアは死にましたが、私が染した病原体は死にません。アーリャはそんなことを言った。もしオフェリアが私と同様に適性遺伝子を持っているならば、侵食されずに融合することが可能だ。事実、フォラに刺される直前、侵食を受ける腕に抵抗して硬化を止めていた。
つまり、私の双子であるなら、オフェリアの体内でアーリャの病原体が生きている。
「染せたのはごく僅かデス。損傷を受けた臓器の修復と、酸素を脳に供給できる程度でしょう。蘇生した際に後遺症が残らない程度ですが、蘇生そのものには至りまセン」
オフェリアを救うには、もっと多量の病原体がいる。いや、病原体という呼び名は失礼だ。彼らの種族の助けがいる。血液内に隕石種を注ぎ込み、血液を活性化させ、臓器の活動を再開させる。私は人の個体に感染するだけの量に加え、出産して生み出される赤子の分まで融合しているのだから、多量だ。感染者の二倍は持っている。
「オフェリアちゃんの塩基配列はアデレードと似ていますが全く同じではありませんでシタ。わかりやすく説明するならば、アデレードよりカミーユ種の血を濃く受け継いでいまスの」
「……喋るのはいいけど、ところどころ間違ってるわよ」
「これは失敬。アデレードの記憶から知識を共有させてもらっていますガ、応用する段階で齟齬が生じているようデス」
敬称をつけるのはいいが、ちゃん付けはどうか。やはりどんな種族から見ても、くん付けで呼ばれることはないようだ。私は笑いながら、アーリャの肩を小突いた。彼女は私だ。私から生まれた私のコピーだ。それが可愛くないはずがない。クローンなどではなく、自我と個性を、持っている。
「よかったねぇ、アーリャ。もし馬鹿に染ってたら、貴女も馬鹿になるのよ」
「ハイ、良かったです。アデレードの知識は豊富です。活用というか、応用される気配は一切ありませんガ」
応用力が無いと言われる。そう、オフェリアと私の根本的な違いは、そこだ。同じ知識を持っていても、オフェリアはアヴェスター聖典の記述から隕石種の正体を見抜いていたが、私は繋がりを見ようともしなかった。だから言われるまで気付かなかった。聖典は聖典、隕石種は隕石種と別離して考えていたのだ。
褒めているのか、馬鹿にされているのかよくわからなかったが、アーリャには打算など無かったのだろう。純粋に思ったことを、おかしな言葉で口にして。最後に、私もそうなのですヨと付け加えた。何千年と存在し続けた彼らは、膨大な記憶を記録していることだろう。しかし、心が無ければ記憶など活用しようがない。
「ま、いいわ。ルートヴィヒを救うには隕石種を多量に採取すればいいのね?」
「ハイ。オフェリアちゃんの塩基配列から想定するに、長石系の鉱石が最もマッチすると思いマス」
鉱物の中でも感染によって生殖行為をすることが可能な『生物』である隕石種。金緑石のアーリャはそんなアドバイスをしてきた。
小屋が見える。私は臆することなく入る。すると、安置してある遺体の前には、見覚えのある人がいた。
隕石には防腐効果でもあるのか、オフェリアの死体は全く変わらない。血は止まっており、傷口は瘡蓋のようになっている。
「オフェリアさん、ああ、助かった――――」
南の集落の族長であるフォラが、どうしてここにいるのか。説明を求めると、どうやらルリアに捕まっていたことがわかった。フォラがオフェリアは感染しているかもしれない、とルリアに言ったようだった。そして村に帰されるでもなく、ここに置き去りにされたのだろう。
私の目的は、オフェリアを運ぶことだった。一緒に北に連れて行く。アーリャが手伝ってくれれば、それは可能なことだろう。そもそも、北に向かうのも長石を探し出してオフェリアを回復させることなのだ。だから、一緒に行こう。
少し分け与えれば歩けるようになりまスヨ、とアーリャが言った。人間二人分の分量を持っているのだから、多少減ってもいいだろうと。私はアーリャの提案の続きを聞くことにした。
金緑石では、傷の回復や内臓器官の蘇生という効果は薄い。しかし長石には、物質を結合し、接続する効果があるのだという。金緑石の組成でオフェリアを快癒させるには、人間五人分は必要なのだとか。だから、せいぜい歩けるほどのエネルギーを供給し、痛覚を遮断して誤魔化すくらいしか出来ない、と。
「……どうするの?」
「体液をブチ込んでください。手段は問いまセン」
頭の中で会話が進む。私が言葉を思い浮かべれば、別の言葉で返される。時にはイメージで、時には明確な言葉で。私がクエスチョンマークを浮かべると、明確なヴィジョンを見せ付けられる。
「――――ちょ、それは……」
「これは失敬。肛門から唾液を注入する方法はよろしくありまセン。汗では微量すぎますカラ……そうデスね、乳腺の分泌液を食道にブチ込むというのはどうでしょう?」
「……えぇっ、本気なの?」
「なんなラ、泌尿器から排出される尿を注ぎ込むという方法もありマスが?」
私が言葉を失っていると、フォラが心配そうに覗き込んできた。無言でもがき苦しんでいるからだろう。母乳だの小便だのと下品なアーリャの言うことは全く無視して、私は一つの方法を提案する。排気による空気撒布にて感染をさせるものだ。
「イイですが、呼気だと120秒ほど注いでもらわなければ足りまセン」
二分は、かなりの時間だ。私はフォラに人工呼吸をすると伝え、混乱する彼女を尻目に、オフェリアの鼻をつまんで顎を上げた。とにかく体内に息を注ぎ込めばいいわけだ。私は意を決して――――開いた口に口を付ける。
ああ――――そういえば。
あの夜、私は、もう一人の私に連れられて――――
冷たい唇。乾いた舌。二度目のキスは、死の味しかしなくて。
もういいとアーリャが言う頃には、私は何かに酔って朦朧としていた。
5
「暑いぃ……」
この星は、暑い。顔から火を噴きそうだ。酸素不足なのか、それとも羞恥心か。理由は多々あるが、その全てをひっくるめて私は真っ赤な顔をしていた。
はっきり言って、アーリャの蘇生法はメチャクチャもいいところだった。水を作りマスとか言って私を人間濾過機にしたのだ。抵抗をさせないのだったら、味覚とどうせなら意識も切ってくれと思った。とにかく、老朽化した細胞や血液をオフェリアは排出し、それを取り込んだ私が体内で真水へと濾過し、それを再び排出してオフェリアに飲ませるというポンプぶり。鉱石というか奇跡である。
自慢のアルカリイオン水デス、とかのたまうアーリャ。岩清水とも呼ぶべきソレを飲み干し、水分補給に成功したオフェリアは、見事に命を取り戻したのだった――――
「……アンモニアは体に良いのデスよ」
「嘘――――!」
「ホントですヨ。アデレードの知識を借りますが、N.G.0315年4月8日放送のリューヴテレビ放送の番組、『ヴィッキーのヘルシー・ヘルシー』でやってまシタ」
リューヴのアイドルがグルメレポートをするような番組を示して、胡散臭いと思いながら、私は森の中で深呼吸をした。今、オフェリアはフォラと一緒にいて、事情でも説明をしているのだろう。面倒くさいので、私は逃げたのだ。
アーリャは具現し、小さな体で私の肩に乗っていた。暇なのだろう。そして、肉体を持つ喜びに満ちていた。ぴょんぴょんと肩の上で飛び回る光景は、見ていて微笑ましい。
「ねぇ、ワクチンを打ったら、アーリャは死ぬよね」
「ワクチンがどのようなものかは、まだ推測する段階でしかありませんが。結合組成を分解するものだと思いマス。ただ、私には死という概念がわかりまセン」
その時、私は。浮ついていた空気が凍っていくのを確かに感じていた。
「――――死ぬって、何だろうね……?」
率直な疑問を、問えば答える者に訊ねた。
オフェリアは死に、しかし生きている。可逆的な死を、死とは呼ぶことはない。死とは決して元に戻らぬこと。
ならば、私は?
生きているの、死んでいるの。
「アデレード、私には分かりませんと言いまシタ」
「わかって。私の記憶、使って」
心臓や肺が止まれば、血液や酸素が脳にいかなくなって死ぬ。その死は、もう目を開かず、もう口を開けないもの。たとえ毛髪や爪が生きていても、単なる肉体であって、何も出来ないただ、存在しているもの。
それが死ならば――――どうしてオフィーリアはまだ、生きているのだろう。
私もオフェリアも、「死」を迎えてしまったオフィーリアという存在だ。私とオフィーリアは違う。オフェリアとオフィーリアも違う。ならば、オフィーリアはもう死んでいるのに。どうしてオフィーリアと同じ顔、同じ声、同じ性格をしているオフェリアが生きているのだろう。違うのは、性別。しかしそれも、徐々に曖昧になって。
「決して。決して、同じモノは作れないのデス。死んだ者と同じ者を作り出して、過去の記憶を植えつけても、それは生前の者とは違いマス。私はただの石の塊ですが、貴女に寄生し、言葉と感情を覚えまシタ。もし私が、再び石に戻ったとしても、それは私デス。でも、喋ることの出来る私ではありません」
人とは刹那に生きるもの。一秒前の私は死んで、こうしている間に私は生死を繰り返して、生きている。瞬間的な生命。それを断続的に見れば、私は私を繰り返し繰り返し。それが、人生だと。
人生とは――――生命とは。『今』である。それを繰り返すことで、生きているのだ。
「その断続を繋げとめるものがあるのデス。喋ることの出来ない私が、生であるという証デス」
「それは、なに?」
「……『意志』。一貫した意志、強い気持ちが断続的に見た刹那を繋ぎ合わせ、人生とする。だろう?」
食事をする私、読書をする私、それぞれの私は、意志に統一されて瞬間と瞬間を繋げる。それが、生命だと。背後から声が聞こえた。死すらその瞬間に刻み、不撓の意志で繋いだ英雄の降臨。
オフェリア。振り向いた私は、その姿を見る。
私と同じカタチをした、けれど違う一人の人間。表情は微笑。穏やかな優しさを感じさせる顔。ああ、これが。これが私の――――
「凄いのデス。オフェリアちゃんは、私の考えを読めるのデス。びっくりデス」
ぴょこん、と飛び跳ねてオフェリアの差し出す手に乗るアーリャ。本当に驚いているようだ。オフェリアはアーリャに何も訊かず、ただ黙って私と同じように彼女を肩に乗せてあげていた。
「さぁ、行こうか。いつまでも立ち止まってはいられない」
荷物を抱え、オフェリアは、歩き出す。私は遅れないようにとついていくのが精一杯。当然だ。私が動き出すのは、今より。オフェリアは遥か以前より歩き出している。それは、オフェリアが私の――――
「……いつも急ぎすぎ、兄様」
小声で、二十年前の刹那を呼び起こした。先導をする者には聞こえなかったのか、ん、と小首を傾げて振り向くだけだった。
「――――何か言った?」
「空耳でしょう。ルートヴィヒは死んで耳が悪くなったのよ」
やはり私は小言のような嫌味を言って、その背に隠れて笑うのだった。
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