その名は、救い。その名は、助け。

 失われた希望を、遺された絶望を、この世界を護る者。

 目覚めた翼。永久の果てに。

 空より光臨するは、双つを併せた完全なる独つ。

 オフィーリア。二十二の四季を越え、帰る。

 

 オフェリアとアデレード。十一の四季を越え、灯る。

 Get up! You’re on, ”Aeon Aider”.

 

 もうじき、冬。強風が吹く水面に並ぶ艦隊を見下ろしながら、やって来る颯爽とした姿を確認する。髪を靡かせ、強い視線がこちらを射抜く。強き女性の姿。近衛師団を率いて上陸したフォリアは真っ直ぐにヴェルブングの場所までやって来た。

 ユドン市から北に30キロほど離れた場所に、オリオルという港町があった。ユドン南部は密林で、大体はこのオリオルを経由して他の町に行くらしい。シリウス第二の都市である。

 今はその湾口にフルジア軍戦艦が大挙していた。補給路を断つために動き続けているヴァルトラウト・フォンアイツェルンも部下に任せて昨夜、一旦上陸した。そして、この人である。リディアーヌ・ラ・フォリア。フルジアの国防長官がついに前線に来たのである。

「戦況は最悪だな、ヴェル。トリトンのことは任せていい。陛下が自ら、出撃された」

「陛下が?」

 今、シリウスで対峙しているのはリューヴ軍だった。太陽系軍はトリトンから突出し、牽制の動きを見せている。それが些か、邪魔になってきたのだ。フォリアに指揮を譲り、ヴェルブングは討伐に行こうと思っていたことだ。

 ゲルトラウデ女王自らが、出陣。やはり、ここ一番では頼れる人なのだ。正確に動きを見計らっての決断だった。ただ近衛師団を割く必要があり、フォリアの指揮下にある全軍をシリウスに結集させられはしなかった。

 現在、上陸しているフルジア軍は十五万ほど。ヴェルブングの外征軍団が五万、ヴァルトラウトの機甲師団が二万、そして増援のリディアーヌの近衛師団が八万。これで三十万とも五十万とも呼ばれるリューヴ軍を滅ぼす。

「まぁいいさ。リディア、君が来てくれた。早速、軍議といこう」

「相変わらず楽観する、貴方は」

 批判的に言うフォリアの口元は、少しだけ微笑んでいる。手厳しく口うるさい国防長官だが、こういった何気ない仕草を見落とさなければ好きになるタイプの人間だ。実際、フルジア圏内の戦力をまとめあげ、外で戦うヴェルと、内で戦うフォリアという構図がある。この二人が共闘すれば、怖いものなどない。

「士気は落ちていない。が、覇気が無い」

「敗北続きだからな」

 こまめに陣中を観察しているフォリアに助言する。夏の終わり。ユドン市内のフルジア軍はほぼ掃討され、北のオリオルに押し出された、という形である。勝利したのはアンドロメダで、フルジアは負けてしまったらしい。

「なるほど、フルジアは負けたのか」

 笑いながら、フォリアが言った。

 

 三人だけで、まずは現状と作戦の趣旨を説明することにした。思いがけないことに、本国のエーファ・ブリーゼマイスター国務長官から送られた補給物資がかなりの数になっていた。フォリアが運んだ物資を集め、本営はさながら、司令部と化した。ディスプレイや通信機を設置した司令部に三人は集まる。

「フィア、とれるか?」

「感度良好です、どうぞ」

 そのディスプレイに、可憐な少女の顔が映る。金髪ではなく、黒髪だった。背景には記憶に残る街並みより、一層破壊が進むユドンがある。

 フィアを中心とした四個連隊をユドンには残してあった。街の中心部にある国会議事堂、その北東にある地下鉄駅を拠点として保っている。他は全て、リューヴ軍に制圧させた。

「リューヴ軍はユドン駅を橋頭堡とし、市街全域を制圧しています。攻囲軍は変わらず、そのまま。ベルティエ隊の損害が大きくなり、後方の部隊と変わって議事堂制圧を試みています。戦況は小康状態といったところでしょう」

 地図を眺める。議事堂と地下鉄中央駅の位置関係は理想的だった。議事堂が制圧されそうになれば、中央駅から打って出る。その逆もある。効率よくフィアは軍を動かし、二点の確保に成功していた。いつまででも耐えれる、と意思を伝えてきていた。

「敵軍、その士気は落ちていますが、攻撃は強硬なものになっています。篭城戦に似ていますが、リューヴの焦りは相当なものです。陣中には食糧が欠乏し、市街のショッピングモールから略奪するものももう残っておりません」

 九月に入った頃には、リューヴ軍の物資不足が深刻化してくるだろうと読んでいた。補給線を分断したのが昨年九月。大量の物資を運んでいたが、それが尽き、略奪に移った。だがもう奪うものも無いのだ。飢え。それが十一月現在のリューヴ軍の敵だった。

 最後の二点。それが欲しくてたまらないはずだ。飢餓に狂ったツェルニーは市街を全て制圧し、そこでようやく作戦を遂行したと言える。唯一残っている弾道による補給路を活かし、兵士を帰すだろう。すでに、かなりの数の兵士がリューヴに帰還していた。攻囲軍は前よりずっと薄くなっている。事実、神皇オフェリア・フォーレの撤退もかなり以前に聞こえている。

「フィア、こう伝えてくれ」

 腹を決めた。ここからはもう、滅ぼしあうのみ。

「これより全軍による反撃を開始する。各員、一層の奮闘を持ってこれに耐えよ」

「諒解致しました」

 通信を終え、ヴェルブングは二人に向き直った。

 

 このオリオルでフォリアが見たフルジア軍は、全てではない。ヴェルブング指揮下の兵力は一万ほどしかいないのだ。残りの四万、三個師団は全てユドン市に潜伏している。表面化しているのは一万のフィア隊だが、三万はビルや民家にいた。ゲルトラウデは実に良いシリウス統治をした。シリウス人はフルジア人に対し好意的であり、逆に略奪を繰り返すリューヴ軍に敵意を持つ。

 フォリアの近衛師団。これは、精鋭だ。ヴェルブングの外征軍のような混成部隊ではない。フルジアで女王を守る精鋭部隊である。八万で攻囲軍を蹴散らし、市街に突入することは可能だ。

「ヴァルトラウトは最後の補給路を遮断してくれ。それでリューヴ軍は、狂う」

「はい、弾道ミサイルを撃ち落とします。フォリア中将、近衛師団の艦を借りても?」

「構わない。自分は貴兄の指揮下に入ろう、それでよろしいか?」

「ありがたい。リディアには私と共にユドン駅制圧戦に加わってもらう。手持ちの兵では少し、心もとなくてな」

 ヴェルブングには、敵の心情が手に取るように見えた。停戦。それしか目的は無いはずだ。ここまで粘るのは、勝利に酔いしれているからで、講和の道を探っているようにも見えた。

 停戦などさせない。シリウスは渡さない。

 補給も無く、退路も無い。そんな敵はどうするか。最早、遮二無二、敵陣へ突っ込むしか活路は無いのだ。それか、降伏。停戦など言わせない。降参するか、死ぬかのどちらかしか選択は無い。食事もなく、次々と餓死している軍隊を叩き潰すのはそれほど難しくない。

 だが、迷いもあった。白旗ではなく、停戦を訴えかけてくるなら、乗ろうとも思っている。これ以上の人死は避けたい。シリウスでの犠牲はあまりにも多すぎた。ただし、その停戦も我々が少しでも有利にならなければならない。

 ユドンで斃れた友軍の死体を、リューヴ軍が食らっている。そんな話まで、聞こえてくるのだ。

「ヴェル、侵攻のルートはあるのか?」

「南部工業地帯は疎開が完了し、民間人はいない。南部での陽動をしつつ、機動歩兵が包囲を突破、北部幹線道路より大通りを解放し、議事堂まで繋ぐ。機甲部隊がルートを確保、近衛師団が攻囲軍を掃討し、一斉蜂起だ。まず迅速に国会議事堂まで繋ぐこと。それが第一だな」

 他にいくつか質問が出て、丁寧にヴェルブングは答えた。話し合う機会は今しかないのだ。頭に叩き込むことは叩き込み、後は現場での修整である。作戦の本質さえ忘れなければ、いかようにも出来る。二人ともそれが出来る人間だった。

 作戦を煮詰めた後、ヴァルトラウトがいち早く退室した。彼女には補給線の分断と、陽動の二つがある。やり方は全て任せていた。三人、揃えば不可能はきっと無い。

 ただもし、ここにゲルダとオペラ、それにギリーがいれば。きっと停戦も無く、戦争を終わらせられると一抹の寂しさを抱いてしまった。

 

 雨季。寸断なく雨が降る。暑さはなおも続き、気温は未だ40度近くある。そこに湿度が加わり、環境は最悪になった。

 ユドンは、地獄だった。斃れた兵士は腐敗が進み、強烈な臭気を発した。兵士の過半数が飢餓に倒れ、動く者さえ少ない。市街の90パーセントは制圧したが、まだ作戦は終わっていない。

 熱い雨を浴びながら、カントは水を補給した。水だけは、ある。せめてもの救いだったが、この雨は同時に視界を奪い、睡眠を妨げる。水は北へ北へと流れているようで、おそらく北には川が海があるのだろうと推察していた。

「暑ぃ……何見てるんだ、カント?」

 ティアが横になりながら、立ち上がったままのカントを見上げた。カミーユ種とはいえ、現代人のティアは人より耐熱・耐寒性能が優れる程度だ。そこへいくと、タイタン人は今でも、摂氏50度ほどの気温でもへばることはない。

「いや、なに。炊事の煙じゃ、ねえなと思って」

「どれだよ……?」

 カントら白騎士団の五百名は、ユドン市中央部からやや東にあるレストランに陣取っていた。日中は暑さに慣れるため、外に出ている。他の部隊は屋内で生気なく、倒れているだけだろう。

 だから、この異変に初めて気付いたのは、カントだった。

「南……第二軍司令部か」

 煙が見える。次いで、上空に飛来する音速の貴公子。失念、していた。そうだ、制空権はフルジアが握っている。この青空を切り裂くは、フルジア軍機甲師団機動部隊、星落としの剣スターアタッカー、「スターチェイサー」。

 対地攻撃を繰り返すスターチェイサーは編隊を組み、次々とユドン市南部要塞跡地の方角へ飛び、爆撃をしている。対地爆撃。これはいよいよ、フルジアの乾坤一擲の勝負が始まった。

「アレは、戦闘機?」

「そうだ。ヴァルトラウトの機動部隊。来るぜ、コイツは陽動だ。狙いはユドンしかねェ」

 まだ二発しか撃っていないヴィラスに触れ、それから槍を持った。槍と言っても、斧に近い。小回りが利くよう、それほど長くもない。ティアは例の大剣を杖に体を起こし、伝令を一人呼んだ。そのままタンホイザーに敵襲の旨を伝える。

 西から戦闘音。さらに北に爆発音。状況が見えず、一瞬、カントは考え込んだ。次に目を開けた時には、すでに部下が集まっていた。爆発音は次々と聞こえてくる。至近弾もあるようだ。目に見える場所で爆発を確認する。

「移動だ。場所は、ここ」

 地図で示す。議事堂から北東、現在から北西に位置するホテルだった。ここからなら議事堂の動きも見えるだろうし、大通りに面している。敵が来るなら絶対にこの通りを通行するはずだった。

「議事堂で戦闘が起きている、と想定している。そしてこれは、多分味方の砲撃だ。バルカめ、歴戦とはいえ市街戦は知らんか。あるいは」

「行こうぜ。きっとバルカ少将は、バカじゃねえよ」

 ティアに促され、走り始める。その間も、頭上からパラパラと破砕された建物の瓦礫が落ちてくる。埃のような白い粉。夏の雪を蹴立てて白騎士は、行く。

 

「リエンツィ隊長、隊長!」

 遠くから呼び声が聞こえる。ひっきりなしに続く砲撃の音を貫く声。議事堂はすでに正面。広場を右に折れると目的のホテルがある。

 議事堂からは銃撃が放たれている。対抗するリューヴ軍は、どこか散発的だった。そこから抜け出したように現れたアンリ・ベルティエだったが、本当は南部から兵を率いてユドン市へ入ってきたのだった。

「おう、ベルティエ大尉か。南部はやはり陽動か?」

「ええ、おそらく。陸戦部隊は無く、空爆だけでしょう。反撃する余裕は無く、戦える兵を選別して市街に」

「議事堂は捨て置く。呼応されると厄介だが、今は南進してくる敵を止めなければ」

 議事堂が残っていようがいまいが、関係なかった。ユドン市で孤立しているのだ。放置して攻め打って出るとなると面倒だが、兵力だけならまだこちらが優勢にあるはずだ。押し包める。

「わかりました」

「オレたちはあそこのホテルを中心に防衛戦を作るぜ。大尉はどうする?」

「こちらの方が人数は多い。左右の裏通りに一隊ずつ、私は広場で遊軍を指揮します。戦闘に耐えれそうもない兵を集め、議事堂の牽制に回そう。見た目だけでいい」

「わかった。射撃する場合は壁の隙間から、銃口は出さないようにしろ。敵を発見したらその方向へ向けて爆破でも何でもしてくれ。伝令を走らせるより早い。あと、全員帯刀するといいぜ」

「仰せの通りに。近接戦闘CQBではそちらに一日の長がありますからね」

 散開。白騎士を率いて、ホテルの前に集まる。狙撃手を二名、ホテルと向かえのビルに登らせる。さらに散らせる。班長を命じ、待ち伏せ戦闘を行うように指示した。さらに大体の配置を決め、カント自身はティアを含めた六名でバリケードを作る。

 実際に配置できたのは六十名ほどだ。五百の騎士といえ、死者はすでに百近いし、負傷して動けない者、病で倒れるもの、飢えでまともに動けないものなど様々だった。それらは全てベルティエに任せて、交代要員とした。

 砲撃で破壊された建築物の瓦礫を集め、バリケードを作る。さらに放置された車両などを遮蔽物に。この砲撃で、整備された道はかなりの悪路になっている。また身を隠せる場所も増えた。進軍の速度を少しでも遅らせられる。車両はほぼ、使えないと見ていい。

 不意に、ティアは我が目を疑った。カントにとっては以前に見た光景だ。敵。フルジアが、来た。

「何だ――――」

「フルジア軍第一軍、第一近衛師団、通称『竜騎士団』。フルジアでも精鋭中の精鋭、だ」

 思わず、言葉を失った。眼前に迫るのは、黒い衣服で統一され、単騎で扱う特殊なホバークラフトに乗って自由自在、高機動力を有する機動部隊だ。驚異の速さで、障害物も瓦礫もものともせず、整然と隊伍を組みながら前進する姿は、ある種、美しくさえあった。

「リディアーヌ・ラ・フォリア帝国軍中将の指揮下だ」

 フォリアの名はティアでさえ、知っている。フルジアのトップスリーだ。軍事の頂点、ヴェルブング。政治の頂点、ブリーゼマイスター。そして、軍事・政治双方に活躍し、国内の情勢から、国外の状況を調整する国防長官、フォリア。国外がヴェルブングなら、国内はフォリアだ。若き天才指揮官が、来る。

「竜騎士団は、その副官が指揮している」

 ああ、お前なのか。

 国防省長官麾下近衛師団所属、二級貴族レーヴェ家当主、オフェリア・ヴァン・レーヴェ。

 迫り来る黒い影を前に。カントは刹那、指揮することを忘れた。

 

「補給物資を正面に出せッ、もう何も入っていない!」

 空になった箱を前に押し出す。それで、何とか遮蔽物を作った。時期は、雨季。この豪雨では光学兵器は使えない。それに、市街戦だ。近接戦闘が主体になる。銃弾を防がれれば敵は、前に出るしかない。

 国会議事堂の攻囲が破られ、ベルティエは大急ぎで兵をまとめて、正面にかき集めた。牽制の役目を果たすべき傷病兵の大半が死んだようだ。兵力が、足りない。急造のバリケードを用意し、その裏に兵力を結集させる。攻囲していた兵士を中心に、何とか態勢を立て直す。

 打って出た敵兵。もう立てこもることはしない。

「リエンツィ指揮官より伝令。敵、近衛師団と会戦。リディアーヌ・ラ・フォリアの介入が考えられる」

 伝令は、もう彼からしか来なかった。伝令の役を務められるほど、元気なものはいないのだ。タイタン人ならこの猛暑にも耐えられるが、我々には不可能だった。それでも、外人部隊は他より屈強ではあった。

 フォリアの介入。その言葉で、血の気が引いた。もう決して、優勢ではない。近衛師団が投入されれば、下手をすると兵力でも劣ってしまう。多すぎる兵士が莫大な補給を必要とし、それが無い今、無用の長物となって死ぬだけだ。

「何とか支えろ、ここは絶対に抜かせるな」

 広場を制圧されれば、タイタン軍が挟撃されてしまう。そうなれば、もう勝ち目は無い。ここを抑え、あちらも抑える。今はそれしか考えなかった。

 奇策は無かった。正面からぶつかるだけだ。今は、その力が、無い。

「くそ、兵力が足りない」

 反転し、バリケードから銃口を突き出す。一発、射撃した。残弾も残りはわずかだ。補給が無いとはそういうこと。敵も考える。一瞬、隙間から見た敵陣はゆっくりとしていて、決して愚直な前進策というわけではなさそうだ。同じく遮蔽物を利用し、向かい合っている。

 前に出るしかない。しかし、向かい合っている。ならば、フルジア軍は別の狙いが――――

「ベルティエ大尉、バルカ軍団長閣下が到着なされました」

「なんだと」

 頭を下げ、後退する。射程距離から外れ、ちょうど大通りから見渡せる広場の端に、本当にバルカはいた。豊満気味だった肉体が、すっかりやせ細っているのが目立った。

「第十一師団からかき集めたのだ、大尉。ここで、指揮を執ろうぞ」

「なんですと。少将、ここは危険すぎます」

 大通りの方から一騎のフルジア兵が飛来してきた。それをベルティエは目視で即座に撃ち落とし、倒れた敵兵へ他の兵士が向かった。ナイフか何かで突き刺したようだ。

「ここが正念場じゃ。ツェルニーの攻囲軍も打ち破られ、ユドン西部に結集しつつある。傷病者はユドン駅へ運べ。駅には本部がある。兵力は、三万」

「しかし、では退路は?」

「無い。はは、ベルティエ。元より退路なぞ、あったものかのう?」

 孤立。他の部隊とも連携できない。おそらく、この広場に集まった兵力が最も多いはずだ。ならば、一番安全ともいえた。そう思うしか、無かった。

「……わかりました。では、命令を」

「大尉に任せる。リエンツィと共闘し、広場を死守せよ」

 何故か、ベルティエは身が震えた。ぶるぶる、と。体が震えたのだ。

 誰かに、命令されるということ。それは、この戦場。この死地で。乗り込んできた偉大な少将からのものだ。死んでもいい。そう思った。この指揮官の下なら、全力で戦い、そして、果てても構わない。

「了解」

 気力が、萎えていた気力が満ち始める。これが、指揮官なのだ。常に戦場で、部下と共に命を。

 

 予想外の反攻だった。ツェルニーの包囲網は容易く突破できたが、その後がよくない。機動歩兵は正面から止められ、前に進めていなかった。まだ士気も高い。むしろ、相手側が優勢ですらあるという。こちらは最も精鋭の部隊をぶつけたのに、だ。

 困惑しながら、フォリアは東に進んでいた。前にはヴァルトラウトの機甲歩兵がいる。掃討作戦の段階で出すはずだったが、もうそんな余裕は無い。正面突破が難しいなら、左右から。そう作戦を変更した。

「フォリア、様子は?」

 ヴェルから通信が入った。歩きながら、のんびりとフォリアは答える。

「シリウスまで来て、敗残兵狩りとはな。敵は放っておくだけで全滅だ」

 前を進む機甲歩兵が、時折、思い出したように銃口から火を吹く。散発的、というより。バラバラに座り込んで、すでに戦意さえ無かった。そういった敵を掃討しつつ、東より南進している。

 ひどい状況だった。道端にはリューヴ軍の兵士が一メートルおきに死んでいる。そして、腐っている。雨ざらしにされ、なお、蝿がたかる。強烈な腐臭。飢餓と病に倒れた軍の末期だった。

「ま、それだけじゃ終わらないんだけどよ」

 通信、かと思ったが違う。誰かの声だ。気付いた時には、遅かった。十字路に躍り出る敵兵。分断。前の機甲歩兵と分断するべく、機敏な動きで敵兵が現れる。近衛師団が射撃を防ぎ、そのまま遮蔽物に隠れた。敵もそれは同じだ。撃ち返す前に、瓦礫に隠れている。

「今の声、聞き覚えがあるな」

 部隊はすでに散開している。最も前線の遮蔽物までフォリアは前進し、敵を確認しようとした。鼻先のコンクリートが弾け飛ぶ。小さく舌打ちをしてから、もう一度。顔を出して敵方を見た。

 風雨の向こう。白い部隊。中央――――仁王立ちする男の姿。呆れた。そして、見た。

「……オフェリア・フォーレ。戻っていたのか」

 厄介なことになった。これで、少しは時間を稼がれる。

 

「最悪だな」

 一言、そう告げた。ユドン市東部から攻められたオフェリア軍は潰走し、国会議事堂から湧き出るように突出した三万のフィア軍にバルカ軍は殲滅させられ、西部のツェルニー軍は住民に紛れて潜伏していたフルジア軍に包囲された。この分だと、中央路のリエンツィ軍も前後から挟撃され、潰走するだろう。

 ツェルニー救出にタンホイザーとトリスタンが動き、ユドン駅はほぼ空になった。逃げ込んだ負傷兵がごった返し、外とは違った地獄を作り出している。そんな場所。少女を隠す布を握り、外に出ることにした。そろそろ、カントが逃げ帰ってくる頃だ。

「イキたい」

 布の下から、少女の声が聞こえた。そうか、と頷きだけで返して歩き始める。少女は疲れたように、駅の壁面に背を押し付けて座り込んだ。何となく、広場がいい。そう決めて、北西に足を向けた。

 すでに砲撃も止み、刹那、街は静かになった。

「争いというのは、無残だ」

 残酷すぎる路傍の死骸。横目で見るだけで済ませ、歩き続けた。途中、伝令らしい人物に会った。ツェルニー軍が傷つきながらも東に突破。全戦力を広場に結集させよ、とのことだ。

 やはり、ツェルニーは無能なのか。バルカなら反対するだろう。こうなった以上、各々が市街に潜伏し、ゲリラ戦を繰り広げるしかないというのに。だが、継戦能力はすでに無い。これ以上の戦闘は、無駄と判断したのか。わからない。とにかく、行ってみることだ。

 その後も続々と敗残兵がやって来る。まとまった軍が見えた。金髪と青。カントとティアだ。

 カントはかなりの重傷らしい。ティアに支えられ、何とか前に進めるような状態だ。そのティアも無数の傷で、血まみれだった。

 二人の目が開かれた。合う。随分と、久し振りな気がした。

「イザーク。ふん、やっと来たか」

「すまんな。駅にナオミという女性がいる。その人に治療を受けろ」

 すぐ、すれ違った。タイタン軍もそのほとんどが負傷していて、足を止めようとするものはいなかった。本当は、ノアを連れてきたかった。しかし彼を呼ぶことは出来ない。代理といっては怒られそうな話だが、武宮の召喚には成功してしまった。

 それから、数分間。前線に独りで立った。もう誰も、来なかった。

 

 ユドン駅を残したまま、フルジア軍は進軍を停止させた。市街の東西、そして北部を占領したようだった。駅から南に伸びる道は確保されたままで、市外にある第二軍司令部まで繋がっている。退路らしい退路は、それだけだ。ただ、包囲されていることを考えれば脱出は難しい。

 第二軍司令部にいた生き残りを、南部に回した。それで市街地の20パーセントは保持していることになる。駅から見て北西にフルジアは突出し、扇状の包囲を敷いた。夜になって、とりあえずの戦闘は終了した。

 イザークはカントたちのいるタイタン軍の集団に拠っていった。皆、傷だらけだ。それでも、カントとティアはかなり回復したようだった。イザークはそんな二人に、持って来たパンを投げつける。

「バルカ少将が、死んだ。第三軍団はかなりの数が混乱の中で死んだようだな。逃げ出す兵も多い」

 駅には負傷兵が溢れている。建物が大きかったことが幸いしてか、数えるのも嫌になるほど負傷者がいた。いや、そもそも。兵士で負傷していない者はいなかった。

「……イザーク。どうやってここまで?」

「コネだ。話を続けるぞ。太陽系に向かったゲルトラウデ軍がSSU軍を粉砕し、すでに帰路についている。合流するつもりは無いようだ」

 わずか二日ほどの出来事だった。トリトン近郊でぶつかったフルジアとアンドロメダの戦闘は、二日で終結した。ゲルトラウデの卓抜した指揮が如実に表れた戦だった。それは陸戦だけでなく、艦隊戦でも同じこと。ゲルトラウデがシリウス戦線に加われば、生きてこの星を出ることは不可能だろう。

「さて、質問に答えよう。私とアデーレは旅をする羽目になった。色々、回った。レーヴェとも、会った」

「なんだと?」

「彼は世を捨てたようだ。どうやらデルフィオーレに記憶を奪われ、今では別人らしい。ユーロパで静かに暮らしている」

 デルフィオーレ。そして、ディファイアンス。この両機関を繋げるのが、ガブリエル・ハイネだった。ハイネはオペラの記憶を、誰かに移植している。だからまだ、「オペラ・レーヴェ」が存在しているのだ。まだ、裏で暗躍するツヴァイはいる。

「ナオミさんは、彼の後見人のような人だ。武宮ナオミ。パレス・プレステージ・オブ・ナオミ=セイクリッド。古代リューヴの皇族の末裔だ」

 現在のリューヴ=レイスは当時の一般人である。皇族ともなれば、その能力は肥大化する。ウリエルの光、ガブリエルの移動能力、ラファエルの治癒能力など全ての能力を併せ持つと言っていい。コネ、といったイザークの言葉には、このナオミの存在がある。

「そして私は、全てを知った。カント、この戦を終わらせる。他ならない、オフェリアの力でな」

「すまん、話が見えない」

「すぐにわかる。レーヴェはいないが、いる。私も見るのは、初めてだが」

 助けオフィーリア。今こそ、君が目覚める時だ。

 オフェリアを退かし、レーヴェが戻れる最後の機会を。

 

―――――――――――――――――――――

Narr --- Ophelia Aleksandra Gertrude Van Faure

Nov. 12, Neo.Globe.0320

Sirius Hudon Hudon Central Station

 

 戦争は、まだ陽も昇らないうちから始まった。

 動ける者は少なかった。駅に撃ち込まれた弾丸。最初に立ち上がったリエンツィはティアとイザークを誘い、やがてトリスタン、ベルティエといった勇士の雄叫びに繋がった。立ち上がれる者は、立った。そして武器を持った。死。死のう。

 皆、出てきた。土煙。雨で煙る視界の先には、銃口を突きつける敵がいる。

 怒声。壊れた自動改札機に隠れて、一人の兵士が小銃を構えた。黒い布に覆われた少女の、すぐ前の出来事だ。何を叫んでいるのかなど、わからなかった。ただ感情を、喉からひねり出したのだろう。若い、兵士だった。

 ヘルメットが弾き飛び、脳漿が飛び散って、黒布にまでかかった。兵士が倒れる。アンドロメダはすでに、撃つ銃弾さえ残っていなかったのだ。駅。入り口に敵兵が殺到した。その階段の上から、遮蔽しつつ狙い撃つ。まだだ。まだ、保てている。そう簡単には、終わらないという、気迫。

 駅構内は呻き声しか聞こえない。南北に繋がる線路も、すでに崩れ落ちた瓦礫によって通行出来ない。出入り口は、ここしかなかった。奇跡的に、この駅は難攻不落の要塞と化したのだ。

 フルジアも簡単には落とせないと悟ったのだろう。前衛が引き、二段目が出てきた。やや、後退している。その間にアンドロメダは遮蔽物を作る。自動券売機、改札、何でもよかった。銃弾を防げるなら、何でも横倒しにして、構えた。

「――――チ、何だってあんなところに」

 誰かの舌打ちが聞こえた。誰かがバリケードから飛び出してくる。同時に叫び声。危険を承知で、一人の兵士が民間人の救助に出た。

 ぐい、と。黒い布に覆われた腕が引っ張られる。予想外。立ち上がった。階段を、上る。石段を踏みしめながら、遮蔽物のある場所まで逃げようとした。兵士は必死の形相だ。誰だ。わからなかった。ただ手をとりあって、仲の良い男女のように、石段の上を踊り狂った。

 その右手が。痛くなった。

 貫く礫。繋いだ手を撃ち抜く刃。弾丸が突き抜ける。兵士が、小さく悲鳴をあげて倒れた。それから手を押さえていた。転がるように、バリケードに隠れる。近くの兵士が抱き起こす。大丈夫だ、手だ。止血をする。

 そんな光景を。私は立ち尽くしたまま、眺めていた。

 背。腰。右足。左肩。頚椎。五発の銃弾の痛みがある。振り返った。額。脳天を貫く銀の刃が、見えた。

 

「アデレード、アデーレ……!」

 呼ぶ声がする。セリア。名前を呼んでみた。

「何故だ。何故、力はどうした?」

 忘れたのだろうか。「力」はウリエル、兄のものだ。この体は器でしかない。兄は注ぐ、妹はもらう。それで初めて、成立するというのに。

 オフィーリアの幻想。

 痛みで。脳髄が流れる感触で。私はまだ、死なないのだと知った。

 

 ――――オフィーリアは、『どうか次の双子は生涯を共にするように』と願ったそうだ。

 

 神様の言葉を思い出す。生涯を共に、か。

 それは一体、どのような呪いなのだろう。

 

 夕焼け。似ている。この暁に。海岸。砂浜のようだ。赤く染まる金。赤く染まる金。見詰め合う同じ。存在。人形と人型。姉。兄。

 

「ごめん、行かなきゃ。俺には大切な人が、いるから」

 

 拒絶。

 それは、いつかの私と同じ。答えだった。

 

 痛いと言う声が聞こえる。俺まで、痛い。いつかの夢で聞いたセリフだ。ハルモニウム。ならファイーナも、ずっと痛いのだろうか。双子の片方は、痛いのだろうか。半分をもぎ取られた体で、生きていけるのか。

 思い出せ。自分は誰か。思い返せ。何をするのか。

「私は、Opheliaオフィーリア――――」

 目覚めよ。そろそろ起きなければ。さもなくば、新たな自分など生まれない――――!

 

「オフィーリア・フォーレ。二十二の年を越え、ここにあり」

 

 時代の鍵を握った愚者。今、蘇る。

 背負った責務は救世。叶わなかった夢を、今、見始める。

―――――――――――――――――――――

 

 蒼い光。駅から放たれた光に、目を細める。立ち上がった聖女。名を、オフィーリア。オルフェオの「唯一の」娘。あらゆる思惑を、全ての贋作を消し飛ばす「真」がここにある。

「オフィーリア、だと。二十二年前に死んだはずだ」

 ツェルニーは声を、出してしまった。隣に立つ神。金髪は光に靡き、蒼い瞳が世界を射抜いている。まるで後光のように、浮かぶ光に縁取られた姿は、まさしく、神と形容するに相応しい。黒い布を肩から下げ、アーマースーツで身を固めた現代の女神だ。

「そう、死んだ。でも死ねなかった。その一言で、充分でしょう、ゴットリー」

「……その名を、知っているか」

 過去に捨てた名前だった。いや、栄光の名前に上書きされた。ゴットリー・ツェルニー。それが元帥の本名でもある。知っているのはオルフェオと、その娘くらいだ。驚愕する間、いつしか、フルジアの攻勢は止んでいた。

 アデレード、ではない。オフェリアでもない。オフィーリアなのだ。

 

「私は闘争を止める。さぁ、文句のある人は私を殺してご覧なさい」

 

 虐殺が、始まる。腕が、足が、四肢が容赦なく空を舞い、街までもが、彼女の威勢に耐えられない。何を持っているわけではない。適度にコントロールされたウリエルの光。オペラのように照射するわけでも暴発させるわけでもなかった。光を絞って放射し、凝縮して剣と成す。

 まるで舞うよう。階段上、襲い来る両軍の兵士を、踊りながら弾き飛ばす。戦いが、美しいとは知らなかった。おそらく彼女に、殺意が無いから。まるで愉しむように、舞踏に熱中する少女の所為。周りの大人たちは、皆、巻き込まれて――――

 

「……きっかけ、なのだと思う。そのきっかけに、彼女がなった」

 誰かの言葉で、カントは目覚めた。視界が、無い。頭の上に乗った瓦礫を腕力で跳ね除け、のそりと立ち上がった。

 そして、目を疑った。何も無い。何も無いのだ。人も、建物も、瓦礫しか世界には無かった。まるで巨大な爆破だ。その爆心地に、三人が座っている。オフィーリア、ツェルニー。そして、ヴェルブング・ティンクベルンだ。

 市街の中心部、その全てを吹き飛ばされ。オフィーリアという人物を恐怖した。カントは初めて、恐れを持った。これが、恐怖か。体の芯が、凍るような。震え。思わず、膝をついた。

「およそ二週間ほどかな。埋もれた兵はすぐにでも起きる。民間人や死傷者の処理も必要だろう」

 驚いたことに、カントの体に傷は無かった。殺されると同時に、癒される。誰もが倒れたが、誰もが無傷。そんな奇跡、起こせるのは神だけか。再び、カントは立ち上がり、爆心地に向け歩き始めた。

「これを機に、我らとしては休戦といきたいところだが」

「そうだな。もうこの戦に、大義などないのかもな。ティンクベルン殿」

 二人は立ち上がり、別れた。残された少女の場所まで歩き続ける。瓦礫に腰掛け、黒い布を体に巻きつけた姿。アデレード。思わず、声をかけてみる。彼女は片目を開けて、こちらを見た。

「おはようリゴレット。はいこれ、モーニングコーヒー」

 時刻は朝の七時。曙光と同時だったオフィーリアの覚醒から、すでに二時間近くが経過していた。彼女は布の中に隠した手を伸ばし、白い陶器に注がれたコーヒーを渡してくる。気付けば、もうすっかり雨も、止んでいた。

 雨。そう、雨季のシリウスの雨が晴れることなどない。この日は奇跡。それも、神が起こした奇跡の日。

「うまいな」

「でしょ。何も考えず、ぼけっと朝を迎えて、コーヒーでも飲めば人は平和になるものよ」

 どこか感じが違うアデレードの前に座る。いや、まだオフィーリアなのか。

「なぁオフィーリア、訊ねたいんだが」

「今はダメ。ほらごらん、今日は素敵な朝だね――――」

 眩いばかりの、曙光。世界に建物などなく、ただ青と、まばらな雲だけがあった。気持ちが落ち着く。見上げた空に、神々しさを垣間見る。

 何となく。過去の誰しもが、オフィーリアに期待をしたという理由が、わかった気がした。

 

 停戦である。二週間の停戦。市街地は非戦闘区域になり、両軍が雑居しながら救助活動や遺体の収容が始められた。人道的立場から、補給線の断絶は解除され、食糧もフルジアから提出されている。どこか大らかな停戦だった。

 停戦から一週間、ホテルのあった位置で、カントが仲間がまだ眠っていないか、確認するため一人で見回っていると、見知った人物が目の前に立っていた。フィアだ。金髪ではなく黒髪ではあったが、暗い表情のフィアがいた。

「ご報告します。オフェリア殿下がフルジア入りなされました。現在、デネボラ星系デケネイア星にてギーゼルベルト・リヴァンスツォン総督の保護を受けています」

「へぇ、そりゃ朗報だな」

「はい。噂されていた記憶の喪失からも回復されたようで、これから休戦に向けてゲルトラウデ女王陛下の帰還を待ち、説得すると。すでにこの情報は陛下にも届いています」

 停戦を休戦にする。アンドロメダとしては、もう少し粘りたいところだ。この状況ではレグルス星系を失い、シリウスでの境界線になる。だが、これ以上の戦いは無理でもあった。今しかない。これを逃せば、負ける。実質的な講和だった。

 オペラなら、可能かもしれない。休戦を結ぶことを可能にするかもしれない。

「そこで、リエンツィ軍曹。ひとつ御願いがあります」

「お、何だ。またロクでもないことじゃないだろうな?」

「違います。どうかもう一度、フルジアに来てはいただけませんか?」

 フィアの申し出は、少し予想外だった。

 タイタン軍の遺体を収容し、それも終わった。これから帰還しようと思っていた矢先の発言だ。後をトリスタンとタンホイザーに任せれば、フルジアに赴くことは出来る。だが、なんのために。不思議がっているカントに、フィアは言葉を続けた。

「護衛です。もしオフェリア殿下の説得が失敗したら、前のような事態になることも想定出来ます。現在、クンストヴェルクのレギュラーでフルジア側にいるのは自分しかいません。またティンクベルン司令官たちの支援も期待できません」

「おう。そういうことなら、引き受けよう」

 他のレギュラーの妨害を受ける。その可能性は充分にあった。ヴェルクのトップはオフェリアで、おそらくこの時期での休戦には反対のはずだ。それに、そろそろ、オペラに会いたいという気持ちも高まっていた。

「他に連れがいてもいいのか?」

「自分の知る限りの人物であれば」

「とりあえず、話し合ってくる。それぐらいはいいだろ?」

 イザークやティアと話すことを、フィアは止めなかった。頷きで返し、彼女は背を向けて去っていく。

 もう少しだ。もう少しで、新たな時代を、迎えられる。

 陣地に戻ると、予想外の展開が待っていた。ルイ・シャルパンティエの叛乱。冥王星付近で勃発した突如とした蜂起は、太陽系を混乱に陥れたという。タイタン軍の独走が、シャルパンティエを抑えられなかったと言ってもいい。トリスタンは責任を感じてか、口を開こうとはしなかった。

 カントは、考えを改めた。まずは少佐の叛乱を鎮圧する。そのためには、タイタン軍は一つにまとまる必要がある。今回の独走で地球から文句を言われるだろう。そういった政治から、身を守らなければならない。フルジア行きの話は、もう消えていた。

「ティア。お前しかいない」

 アンドロメダにも、フルジアにも属していない。これ以上ない適任でもあった。ティアに詳しい事情を説明し、頷かせる。休戦という大役を買って出たのだ。果たすのはオペラだが、ティアにも任務は生じてくる。

 その夜、暫定的に置かれた非戦闘区域でフィアと会った。

 ティアになら、護衛を任せられる。そう信じて、強く、見送る。

「じゃあまた。カント、一緒に戦えて楽しかったよ」

「うるせぇ、貧弱が。少しは修行して出直して来い」

 力強い味方だった。タイタン人以外で、認めたのはティアが初めてだ。信じて

、背中を任せられる男だった。だから共に突撃し、命を捨てたのだ。

 ティアは大きく笑って、フィアと二人で夜の闇に消えていった。

 

 ひとり。独りだった。

 世界。その全てから、切り離されたように独りだった。誰も、この姿など見えないのではないかというほどに。そう、ここにきて初めて――――周りはこちらを見ていなかったということに、気付いた。

 それなら。一体、俺は誰なのだろう、と。

「兄さん」

 南ユドン駅。天蓋は崩壊し、壁面もところどころが残っているだけだ。誰もいない、廃墟。誰も気付かない、場所。曙光と共に彼女は訪れ、そして昔と変わらない呼び名を口にした。アデレード。凛とした視線は、いつも見守ってきたものだ。

 アデレードは木漏れ日のような光を浴びながら、正対していた。

「兄さん――――スコア、兄さん」

 彼女は、本物だ。だから皆、彼女を見る。眩いばかりの聖女を見る。誰も、偽物などには興味を抱かなかった。もうこの声は届かない。この姿は、彼らには映らない。最初から映っていないのだ。届く声は、見える姿は、借り物の背景だからだ。

「オマエはまだ、俺を兄と呼ぶのか」

「私が知っている兄は、貴方しかいません。スコア」

 レアティーズ・スコア。それが、本当の名前だと気付くのに、時間がかかった。オフェリア・ヴァンなる人物など存在しない。だから、誰もこの姿を見ることは、無いのだ。

 それでもなお、兄と呼ぶ、アデレードがいた。独りでは、ない。まだ、生きていけると。

「帰りましょう、兄さん。私たちの、家に」

 彼女は、笑っていた。笑いながら、帰ろうと言った。手を、とる。体が触れる。無意識のうちに、その体を強く、引きつけ、何かにすがるように抱きしめていた。

 

 涙が溢れる。もう、独りで立っていられない。

 

 偽物だ。贋作だった。嘘だった。全てが、幻だった。思い続けた願いも、抱いた信念も、何もかもが、砕けた。

 帰ろう。帰って、休もう。堕落した願いだけが、身を支配する。

「……何故だ」

 そして生じる、疑問。本物じゃなかった。偽物だった。それは、何故。どうして。

 

 どうして俺は――――俺じゃなくなったのか。

 

 小さな悲鳴が聞こえる。強く抱きしめすぎたのだろうか。痛がるアデレードを放し、見た。無表情の顔。きっと自分も、同じようなものだろう。

「先に帰れ、アデレード」

 一言だけ伝えて、駅から出た。ゲルトラウデ。もう、頭にはその言葉しか、浮かばない。