手にした資料に目を通す。国際情勢を詳細に綴ったニュース映像やら、大物人物の動き、別行動をとるメンバーの報告などだ。情報を基に戦略を打ち立てるのは救国の英雄、リゴレット・リエンツィではなく一介の警備員に過ぎなかった。

 向き不向きの問題らしい。直感的に、危機に陥ったその場の判断では野性的な勘を発揮するカントだが、あくまで戦術単位に限られる。長期的な展望を持ち、それに沿った肉付けをするのは苦手なようだ。要するに、面倒くさいことが嫌いなのである、あの男は。

 シェルターのあったアルフェラツ星系を脱し、船は太陽系へと向かっている。スカラの時とは比べようも無い鈍足さで進むボロ船は、艦長の気まぐれ具合に似て、四六時中どこかが故障する。それなりの大金をはたいてカントは購入したはずだが、船艇は年代物でまめなメンテナンスが必要であった。

 アデレードを乗せたボロ船がゆったりとタイタンへ向かっている間も、刻々と世界情勢は変化している。リューヴを発進したリューヴ政府軍はネアポリス星系の最前線、シリウス近郊宙域に達し、フルジア側も警戒を強めている。太陽系の軍は、未だ動いていない。

 新年に神皇へと昇進したオフェリア・フォーレはアンドロメダの象徴として軍に随行。作戦自体の指揮は元帥になったツェルニーが指揮するようだ。大統領であるベルテシャツァルはリューヴにて、全権をツェルニーに委譲している。

 ここまでが目に見えている部分。見えていないクンスト・ヴェルクのレギュラーの動きがまた何か、世界に働きかけるだろう。こちらもオペレッタと名乗る女性が助力を申し出て、カントが承認したらしい。彼女は現在リューヴで情報収集を行っており、オペラ・レーヴェの捜索に当たっている。

 オペラ・レーヴェの生存は疑う余地が無い。タイタン行きと同時進行で、彼の所在も探っているのだ。

「イザークさん。話があるんだが、いいかな?」

 一人きりだったコックピットに、ティアが入ってくる。青い髪の少年は、以外と物事を見る目に長けていた。一応、曲がりなりにもヴェルクの序列三位を務める人物ということなのだろう。イザークは簡単に許可し、背後のシートに腰掛けるよう勧めた。シートを反転させ、彼と向き直る。

「祖母が死んだ。これでカミーユ種はまた少し変わるだろう」

「それは、お悔やみを言おう。君の祖母が族長、だったな」

 重要な話だ。アンドロメダに迎合していない元カルクス星人の遺児たちはリューヴ内に独自のコミュニティを作り生活しているが、族長である人物がリューヴ政府と話し合い、居住地や援助金などを決める。言うなればリューヴ国内の他種族による自治政府のトップが入れ替わる、という形になる。

「少し、複雑な話なんだ。カルクス人には二種類いて、現在の営みを受け入れるのと、新世界を望むのと。カメリアという新たな希望にすがる人たちは現在、リューヴを離れてテロリスト化してる」

 カルクス星というのはかつて、地球に侵略をし、サピリオに破壊された。母星そのものを破壊され、大量の難民と死者を出し、そのカルクス難民がリューヴに現在住んでいるわけだ。そして移民計画の話が出て、カメリアという人工惑星を作った。

 カメリア移民はまたしても、母星の破壊という試練にぶつかり、また難民となった。現在のカミーユ種は二種類というのは、リューヴ在住種とカメリア難民だ。難民たちはカメリア暫定政府を立ち上げ、すでに亡国であるというに、未だ国権を主張している。

「難民委員会の族長は俺の親族であるカミラ・フレーニが引き継ぐ。ここで問題なのが、カメリア暫定政府のトップがその妹のカティア・フレーニなんだ。あ、これは内緒の話なんだけど」

「無論、理解している。そうか、カメリア移住の際、移民団の首領だったのが族長の第二子だったな。族長が亡き今、姉妹がカミーユ種それぞれの頂点に立つか」

 難民委員会と暫定政府。二つは絶対に相容れなかった。今を善しとするCRGovtは国軍と名乗るテロリストを認めず、援助を一切していなかった。暫定政府は今もなお、どこかで武器を手に、戦っているのだ。妹の孤立無援の状況に、姉は手を貸すかもしれない。この戦争の新たな火種である。

「に、しても。カティア・フレーニとはユーロパの富豪ではないか。潤沢な資金はそこから捻出されるか」

「そして若い。血気盛んな人さ、俺みたく」

 カティア・ヴェルレーネ・フレーニ。ユーロパに住むトップモデルだったはずだ。芸能人としてある程度の地位を得て、ユーロパでは指折りの富豪となった。まだ二十四か二十五歳。その人物がカミーユのテロリストのトップ。潤沢な資金とカリスマ性を持つ暫定政府の「女王」だ。

 カミラとカティアが手を結び、仮にカミーユ種が統合されれば。これは恐ろしい事態だ。リューヴのど真ん中に反政府集団が完成し、しかも武器も政治力もある。さらに言うなれば、彼らは戦闘民族で、一人で十人のリューヴ人を絞め殺すことが可能だろう。

 だが、今のところ動きはない。族長が変わり、何かが変わるのは時間が必要だ。――――そう思った時、イザークは戦慄を覚えた。

 シリウス決戦で、もしアンドロメダが負ければ。同時にカミーユ種が蜂起し、政府軍のいないがら空きのリューヴを制圧する。決戦はおそらくあと一年の間に起き、カミーユ種が変わるには充分な時間がある。もしやオフェリアは、これを狙っているのか。

「実はもう一つ。カミラさんによると、祖母の葬儀に『蒼い瞳で坊主頭の青年』が例外的に出席したらしい」

 オペラ・レーヴェ。やはり、オフェリアの野望を打ち破るのは、オフェリアか。

 

 おたまで鍋の底を高らかに鳴らす音が聞こえ、アデレードの怒鳴り声が響いた。どうやら今日の食事当番はカントらしい。食費節約など諸事情のため、食事は一日二回だ。ついに保存食が無くなった我々は、地獄の食事週間に突入する。

「最低。こんなヘドロみたいな食事、誰が食べると思うのかしら?」

 スプーンを投げ捨て、早くもリタイアするお姫様。よくよく考えれば今日はアンタが当番じゃないのか、と突っ込みたくなる気持ちを抑え、作らされた哀れなカントを見る。食材もダメ、調理師もダメ、調味料など無いこの現状を打破することなど不可能だ。

「仕方がないのだ。保存食が無くなった」

「インスタントで品性のカケラさえ無い味ではなくなったと思えば、コレ?ああ、もう、神は無慈悲です。私に吐瀉物を食せと言うのですか。お茶も無い、菓子も無い、口に入れるべきモノが無いこの現状は何と悲惨なことか、神よ私にどうしろと――――!」

 死んでくれたらいいのに。

「いい、その卑賤な口を開く前にお黙りなさい。いいこと?私は別室にいます。許可なく入らないように」

 ここまで似ていないと逆に面白い。オペラ・レーヴェがぶっ壊れてるみたいなものだ。ただ何となく、小脇にキャベツを抱えて去ったのが双子なのだなぁ、と感じた。やはり思考回路は同じらしい。違うとすれば、キャベツ剥いでボリボリ食す光景を見られたくない羞恥心か。一人きりでの食事シーンを想像すればもっと悲惨だが。

 静まり返った食卓。台風みたいなお人が去った後、しかしまだ受難は続く。

 寝室の方向から素敵な奇声が響く。キャベツ持った聖女参上。ああ、ホント。何だろうこの人。他人の神経を逆撫でする名人かもしれない。

「あっち。部屋。片付け。虫。いる」

 半泣きになりながら、キャベツ片手にカタコトの言葉。ああ、ホント。何だろうこの人。他人を笑わせる名人かもしれない。笑われる限定で。

「何で。来ない」

「いや、アンタさっき許可無く入んなって言ったから」

 全力投球でキャベツが投げられ、ティアの鼻に命中する。誰も何も間違っていないのに、被害を食らうとは哀れだが、ここで口を開くときっと負けなのだ。口を開いたのはカントでティアではないのだけども。

 

「アデーレ、アディーラさんって知ってる?」

「『アデレード』よ罪人。いいえ、知りません」

 愛称で呼ばれ、まず反撃。それから答えを言う。このお人の性格やら口調やらに突っ込むと負けなので、もう気にすることは止めた。きっと気にすると止まらず、そのうち胃に穴が開くのだ。適当に受け流すのが一番いい、とすでに決めている。

「ダメだ。コイツ、馬鹿だよ」

 ティアの言うことも一理ある。本当に何も知らないのだ。アデレードには知識が無い。知恵はある。教養もある。だが、一般人の持つべき認識が無い。難しい数式が解けたとしても、歴史上の出来事をいくら知っていても、気遣われれば感謝の言葉を言う、ということさえ知らないのだろう。

 それは後天的な失陥だ。何せ、彼女はオペラと同じ者。先天的に持つモノは同一。ならば後付けで変えられた、ということになる。それならば、まだいくらでも修整は利くのだ。

 思えば、オペラは完璧だった。完璧な不完全だった。その不完全さが人を惹き付けるのだろう。逆に欠陥だらけの完全体は、あまりにも魅力が無かった。

「似てるんだか正反対なんだか……」

「双子、とはそういうものだろう。利き手に表されるように、同じでありながら逆になる。鏡像のようなものだ」

「なら逆に問いますが。オペラ・レーヴェとはどういった人物なのですか。私でありながら正反対である。その存在は?」

 きっとアデレードを鏡に映せばわかる。独善的で自己中心的なアデレード、受身で自主性に欠けるオペラ。ここぞ、といった時に頼れるのがオペラ、頼れないのがアデレードだ。それは経験の違いもあるが、根本的な問題。もし危機に陥った際、オペラの判断というのは正確になる。なぜなら、彼に欠けている自己保身のイメージが、物事を透明にするためだ。

 そうやって、いくつも危機を乗り越えた。公安当局に追われた時、アデレードでは判断を下せない。仮にイザークかカントがパンツァーに乗って船外に出たとしても、助からない。オペラは囮になることが多いが、それが最も適切な判断だった。彼は自己保身が欠けているが、生存の確率はかなり高い。

「他者を思う心。それが君とオペラの最大の違いだ。例えばの話。今の君と九年前のオペラは同じ境遇に近いが、君は今、オペラを思うか否か。そしてその想いを九年、抱き続けるか否か」

「その設問は外れよ、イザーク。私にとって唯一の肉親がオペラ・レーヴェであるという認識が無い以上、対象は兄と認識しているオフェリア・フォーレになる。そうすれば、ほら。私はいつでも兄を想っている」

 ふと、気付いた。初見の時では絶対について来ないと思ったアデレードが、ここにいる。少しでも現実を受け入れて、ここにいるのだ。何を頼りにしているのかと思えば、ルテティアへの帰還しかない。ならなぜ戻りたいのか。答えは、そこにオフェリアがいるから、か。

 口に出す想いもある。だが口に出さないものもある。特にこの兄妹はその傾向が強い。

「ほら、このリアクション。私はオフェリアを知り、オペラを知らない。貴方はオペラを知り、オフェリアを知らない。どちらが優れているかなど、誰に決められることではないわ」

「ならば教えてくれ。私はオペラ・レーヴェの味方なのでな。『敵』を知りたい」

 

 オフェリア・ヴァン・フォーレがアデレード・アレクサンドラ・フォーレの兄であるとは不明だが、常に隣にいたのは間違いがない。長身で痩せ型。長い髪で美形の青年。野性的だが知的で、才気に溢れ、切れ者の印象を与える。挑発的な言動が目立ち、利己的だが友情を重視する人柄らしい。

「そもそも、オペラ・レーヴェの『偽物』に彼は成り得ません。顔はまるで違い、見た目も似ていない。非常に男性的で力強い方ですから」

 替え玉にする、贋作であるといった評価は間違いだ。オフェリアとオペラは全くの別物と考えた方がいい。どちかというと、カントに近い印象をイザークは持った。オフェリアとオペラ、アデレードの関係はひとまず保留にし、純粋に個人として考えてみる。

「……そうか。厄介ではあるが、レーヴェほどではない。まだ御しやすいな」

「はぃ?それはどうして?」

「カントもそうだが、時折見せる才気だ。他者と向かい合い、印象として『この男は出来る』と感じれば、警戒もする。現にツェルニーも予防策を張っている。全軍は移動させず、小出しにし、ツェルニー自身はまだリューヴだ。それは後方が気になるからだろう?」

 逆にオペラ・レーヴェは相手に何の印象も与えない。印象が薄く、存在感が無い。ふ、とした時に戦慄と共に思い出してしまうような人物だ。失念するのが一番よくない。厄介なのは、そういった手合いの人物。人としての善し悪しを抜きにしてという前提がつくが。

 だとしても。敵が強大であるのには違いない。人間性など些細な問題だ。何せ言葉一つで世界を揺り動かすことが可能な「神様」そのものを相手にしなければならない。その人物はアデレードが褒めるほどの天才。素質でオペラに劣るとしても、立場は比較の対象にさえならなかった。

 そんな人物に、あえて敵対する。友人のため、という口実と。現状に満足していない自分の、不満。それが原動力だろう。自分はカントとは違う、とイザークは思う。カントなら、望めば栄誉はあったはずだ。経歴も賞賛されるに相応しく、また能力もあり、自分とは違う。

 大望を抱いているわけではなかった。ただ現状に満足できないだけだ。動機は、そんな単純で些細なもの。それで神にケンカを吹っかける。アデレードが聞けば笑うだろう。自分自身でさえ、嘲笑してしまいそうな動機なのだ。

「さて。そろそろユーロパなんだが。火星すっ飛ばしたから補給しなきゃマズいぞ」

 アカデルス星を出て、すでに一ヶ月。スカラなら一週間もかからない道程を、これでも急いできたのだ。地球も火星も飛ばし、物資は底をついている。暦での季節は冬を越し、春になろうとしていた。坊主とからかうアデレードの髪も、それなりに伸びてきていた。

 

 現在地から最も近いのがユーロパだった。公転周期により状況は変わるのだが、ユーロパかエンケラドゥス、あるいはイオに寄ってからタイタンに入るのが最も効率的である。木星の衛星では最も発展しており、物価なども比較的落ち着いているユーロパに寄航するのは当然だった。

 ユーロパはタイタン、火星と同じく、地球の移民が作り上げた星だ。第二ステージ地球人が住むユーロパは他の移民星と比べると、規模も小さく、星そのものの大きさも火星の半分にも満たない。元々、発展の見込み自体が小さかったのだろう。

 ただタイタンにもユーロパにも、原住民族は少ないながらも、いた。今の第二、第三ステージ人類はこれらの原住民と混血であり、また祖を似た者とした環境適応による進化種であるという二つの影響を受けている。

 第三ステージのタイタン人は屈強な肉体と、強い好奇心、飽くなき探究心が生む高度な知能を手に入れた。それはすでに本家である地球人を追い越すほどだ。対して第二ステージのユーロパ人は、視覚が退化したことによる他の感覚器官の発達をもたらし、しかし文化水準はさほど変わらなかった。

「でもまぁ、暮らしいい街だぜ。治安は他の大都市と比べ群を抜いて良好で、ゆったりとした穏やかなトコだ。景色もいいし、老後を考えて家でも買っておくかねェ」

「そんな金がどこにある、どこに。タイタンにつくまでに破産しなければいいがな」

 前回、オペラの帰還では貧乏旅行ではあったがそれなりに援助があった。今考えれば、最高の待遇だったかもしれない。その貯金も使い果たし、底をつく。燃料を積載し、船渠代を支払い、食材を買って一文無しになるだろう。

 ユーロパの星都、ミネアポリス市の上空へボロ船が落ちる。エアポートまで誘導を受け、危うい感じの自動操縦に切り替わる。左右に揺れ動く船内。やはり誰かの援助を受けるか、あるいは労働をして金を稼ぐかしなければやっていけないと実感した。

 アデレードの名声も大した役に立たないのだ。確かにアデレード・フォーレは高名で誰もがひれ伏す聖女様だが。意外とバレないのだ。名前だけが先行し、顔まで覚えられていないということか。美人だが、現実とはかけ離れた存在が、突如、目の前に現れてもそれが聖女だと認識できないのだろう。

 客寄せパンダにもならない。ただただ文句をブチまける厄介で世間知らずなお嬢様だ。

「ふん、そんな戯言を。ちょうどいい機会です。蛮族の首領に挨拶くらいしておきましょう」

 あ、あと傲慢ってつけて。

「あー……そうか。アンタ、ユーロパのトップ、知らなそうだもんなァ」

 カントの言葉で、ふと考える。タイタンのトップであるシュトラスブルクは有名だ。それは今が戦争だからで、戦場で活躍する軍人だからだろう。ユーロパ、と言われて思い浮かべるのはミネラルウォーターくらいしかない。

 治安がよく、平和な星なのだ。そんな星の首領は、この世界に生きるには辛いのかもしれない。

 

 ミネアポリス市というのは、巨大な湖に隣接して作られた街らしい。空港は街の西部にあり、それでもほぼ中心部といった立地だ。橋の先にはユーロパの大地があり、イザークたちは湖の上に作られた飛行場に立っている。

 どこか、レグルス星系のドラドに似ていた。あの街は途方も無い高山に作られたもので、まるで正反対なのだが、薫る空気や人の表情、街の在り様が似ている気がした。確かに、カントの言うとおり。老後、この街に住めることは幸福かもしれない。

 タクシーを止め、橋を越えて市街地に向かう。人口は三十万にも満たなく、街の規模も大きくはない。それでもそれなりに発展していて、巨大都市とは違った落ち着いた趣がある。定住するにはこれぐらいで充分だろう。

 遠景には山。そして湖へと続く川が見える。街の中心へと流れていく風景は次第に摩天楼を映し出し、ミネアポリスの名物でもある超高層ビルの前で止まった。アデレードはやはり言っても聞かず、この星のトップに会うつもりなのだ。

 運転手の説明によると、このビルは地球の暦でいう2150年に建造され、それにちなんで2150メートルの高さがあるらしい。今より約四百年前の建造物だ。外観は美しく、何度も補修されているようだった。今日ではこんな「うどの大木」を作る街など無いのだが。

「太陽系同盟発足を祝って作られたものでしてね。地球、タイタン、トリトンなどとの友好の証です」

 ユーロパの人は、本当にお人好しだ。こんなモノは、征服の証と違いない。地球による技術力を見せつけ、征服したという象徴だ。そんなモノを大切にし、四百年間経った今でも美しく見せている。壊すことも、汚すこともなく、だ。ちなみに。タイタン人は速攻でぶっ壊してしまったらしい。理由は畑を作りたくて、邪魔だったからだそうだ。

 貧弱となったIDカードで代金を支払い、車から降りる。聖女様は大股でビルへ侵入し、仕方なく我々も後に続いた。設置された受付。担当の女性の前に仁王立ちし、責任者を呼びつける姿はまるでクレーマー。

「バカ。アンタは黙ってろ。どこのバカだよ、顔も名前も知らない人物にアポイントとろうとするとか」

「悪ぃな。全く約束とか無いんだが、ロジーナ・エウロパに取り次いでくれ。オペラ・レーヴェが会いたいんだとさ」

 横槍を入れるカントの言葉に首を傾げる。受付嬢は怪しみながらも電話を手にして、どこかに連絡しているようだ。オペラとユーロパの元首が知人だとは思えない。会う方法としては、ティアを使ってカティア・フレーニに会うところからか、と思っていたのだ。

 名前を聞いて、ふと思い出した。ロジーナという名前には聞き覚えがある。アルマヴィーヴァという名前でピアノ演奏家か何かだったはずだ。世界に知られる著名人の一人。芸術家、ということで名前は知られている。画家のジオット・デル・フィオーレや歌手のアリア・ローゼンミュラーと同じだ。

 ヴィルトゥオーシ。世界にはそういった人物がいる。所属や出身を問わず、全世界に知られ、行動に際する制限を名声により緩和する著名人。裕福で優雅な生活を送り、またそれに見合った能力、人望などがある。政治家などはあまり含まれないのだが。

「ユーロパ圏は統合政府により行政を行う君主制の統治形態を持つ。今時、君主制が残ってるのはココとウチとフルジアくらいなもんさ。とは言え、フルジアと比べここは立憲君主制に近い。世襲による元首が持つ権限は微々たるものだ。ただ元首は在位期間が首相に比べ遥かに長い。保障された権限の中にある首相への助言を基に政治を動かすこともあるだろう」

 受付嬢に案内され、上階へと向かう途中でカントがアドバイスを送る。我々は、いくらなんでも無知すぎた。ピアノ演奏家が大統領や首相であるはずがないのだ。世襲で選ばれた「姫」でしかない。

 ユーロパとタイタンは同じ君主制だ。違うのは、元首であるエウロパは国民から選出された首相に強制ではない助言を行うのに対し、タイタンは元首である首長アミールが絶対的な権力を握っていることだ。しかし十七人もいることで、牽制しあう。その権力は無論、地球という土台の上に成り立つものでしかないのだが。

「太陽系同盟評議会に出席している大国、オレんトコからは十七首長の一人であるシュトラスブルクが。ユーロパ圏からは代々、元首のエウロパが出席している。それを締め付けんのが、地球代表の議長ライル理事だな」

「ふ、二十代の代表二人と比べ、あの男は老けすぎて見るに耐えん。その醜い容姿が威圧となるのだろう」

 今、時代は若返っている。リューヴ大統領のカルディア、そしてルテティア神皇のオフェリア。トリスタンにエウロパ、いずれも二十代の人間だ。だがまだ世代交代とまではいかない。軍はツェルニーが握ったままで、太陽系も五十四歳のライル議長が取り仕切っている。

 アンドロメダに比べ、フルジアはバランス良く世代が分散していた。三十九歳の女王ゲルトラウデが頂点に立ちながら、軍は年長のヴェルブングが目を光らせ、内部は二十九歳のリディアーヌ・フォリアが見ている。もしこのまま、あと二十年間戦争が続けば、と考えると怖い。

 何せ、アンドロメダと違ってフルジアは世襲だ。二十年後の未来。ゲルトラウデはまだ六十歳にも満たない。その頃、アンドロメダの命運を握っているのは果たして誰か。

 

「人材不足は仕方が無いさ。アッチの教育指導方法は異常だろ……?」

 一人呟きながら前を進むカントが立ち止まる。フルジアの教育方法など知ったことではないが、どうやらロジーナのいる部屋の前に辿り着いたらしい。ためらうこともせず、受付嬢により開けられた扉の先へ彼は消え行く。

 室内は広い。私室か応接間か、わからなかった。幅広いワンルームにはヴィルトゥオーシとしてはやや質素な内装と、ピアノがひとつ。そして正面に立ち、我らを迎える主人の姿。やはり見覚えのある顔。長く茶色い髪、前髪は完全に上げられ、その顔ははっきりと視界に現れている。

「ウリエル。それともレーヴェ、と呼ぶべきですか?」

 ロジーナは真っ直ぐにアデレードを見ながら自己紹介をする。微笑と自信。けれど決して嫌味でも挑発的でもなかった。対して、嫌味で挑発的なお姫様はただ戸惑うだけだ。機転が全く利かないらしい。ウソの一つも言えない純情少女と褒めるべきか。

 

「騙りとは卑劣だな。それでは見損なうかもしれない、軍曹。俺の知る限り、オペラ・レーヴェはいない」

 

 のそり、と陰が動いた。その人物はソファに座っていたようで、立ち上がってロジーナの隣に立つ。クセのある黒髪に隠れてはいるが、確かに強い眼光を感じる。カントと正対してなお、揺るがないその威圧感に只者ではないと感じる。

 軽く指で前髪を除ける仕草。現れた容貌は、野性的でありながら整った美顔だった。貴族めいた仕草、振る舞い、そして容姿。ほんの一瞬だけ、それがオペラ・レーヴェの記憶と重なった。

「――――驚いた。まさかこんな場所で少佐と再会するなんて」

「面倒や厄介事は御免だからな、リゴレット。さっさと目的と望みを言え」

 紹介の手間をカントが省く。手短に、しかし要所を押さえた個人の説明。顔合わせと、人物を知りまた一つ、コネクションが完成する。このような何気ない瞬間でも、未来に生きるモノとなるかもしれない。故に、一期一会。大切に。

 少佐と呼ばれた人物――――ルイ・シャルパンティエ元SSU軍少佐はロジーナの夫らしき人物らしい。ユーロパではなくエンケラドゥスの出身で、五年前、カントの上官だった。地球出身者ではないというデメリットがありながら、士官になったエリートだ。先年に除隊し、まだ若く、三十一歳。

 彼がここにいることをカントは全く予想していなかったようだ。カントの狙いは、彼ら夫妻の子供にある。

「ほら、憶えてるだろ。トゥリオイの歴史博物館でアルエが抱いてた子だよ」

 オペラは度々、アルエとは会っていた。とすれば、アルエが預かっていた子供とも会っている。ぷーちゃん、と呼ばれていた育ち盛りの娘を思い出す。ユーロパ人の特徴でもある大耳、であったかどうかまでは思い出せなかった。大きな眼球ではあったが。

 戦闘特化のタイタン人、逃走に特化した能力を持つユーロパ人。アンテナのような大きく尖る耳は優れた聴覚を持ち、嗅覚・味覚・触覚を発達させ、他種族とは比べ物にならない知覚を持つ。それは視野狭窄気味な視覚障害がもたらしたというのが生物学的な見地だ。

「プリシラの話は後だ。それでリゴレット、オフェリア・フォーレに敵対するという貴様らに助力せよと言うか。軍さえ曖昧なユーロパ圏に期待出来ないことくらい理解しているだろ?」

「ああ、そりゃまぁ。オレたちが動かしたいのはタイタン軍です。ま、少佐が手を貸してくれるって言うなら喜んでお受けしますよ。トリスタンまで借りるのは気が引ける」

「嫌に決まってんだろうが。自分で指揮し給え」

 協力はするが助力はしない。そもそもルイは最初に面倒は断ると言っている。無論、カントも期待しているわけではなさそうだった。冗談気味に誘ってみただけだろう。今のイザークらの立場は、犯罪者と変わらない。アンドロメダに対する反乱ととられても仕方がないのだ。

「心意気は買おう。この――――愚かな世界に挑む勇気は、な」

 せめて、ゆっくり休んでいけ。そう伝えて、彼は退室する素振りを見せた。

 

―――――――――――――――――――――

 ---Adelaide Aleksandra Gertrude Van Faure

Spr. 2, Neo.Globe.0319

Europa Minneapolis Trinity column 2150

 

 天空より下界を望む場。

 他に誰もいない展望席。

 風も薫りも無い、切り離された空で私はあの男と正対した。

「言葉どおりの意味だ、レディ。この世界は愚かで醜く、救う価値がどこにも無い」

「少佐。勝手に決めつける神の如き傲慢さを許した覚えはないわ。この世界は『私』のものだもの」

 

 彼の顔色が微妙に変わった。朴訥としていた表情が、少し、微笑んだ気がする。口元には笑みらしき微笑。それがとても挑発的で――――どこか兄に似ている、と思った。そう、この男は。どこかオフェリアに似ているのだ。

「おかしいな。俺の記憶が確かなら、聖女様は神々の楽園にいるのだが」

「ええ、可笑しな話。嗤ってしまいますわ」

 鼻先を鳴らし、私は腕を組んでルイ・シャルパンティエを直視する。真実を知るのは、私だ。だがそれを解き明かしたところで何が変わるわけでもないことを理解してもいた。民衆は暗愚。いかようにも操ることは出来るだろう。そこに手を突っ込むことは、私一人では難しい。

 はっきり言って。私にはイザークやリエンツィの目的などどうでもいい。ただオペラ・レーヴェの友だったから、オフェリアを認めない。そんな希薄な目的、実に些細で瑣末である。

 私は、帰りたいだけだ。

「貴方の話は至極、真っ当ね。人は塵芥の如く湧き出、集積される。その集合体なら世界などというものは塵溜めに過ぎないわ」

 足音を鳴らし、展望台を見て回る。下界。神はこうして、上空より我々を見下ろすのだろうか。

 ヒトはゴミだ。衆愚は神より与えられる指向性を信じ、視野を狭め、思考を止める。この空から見える小粒な点こそが人間だろう。

 

「だから、救う意味があるの。救われるべき哀れで矮小な存在だからこそ、救いを与えなければならない。信じれば救われる。それがこの世界のルールよ――――」

 

 足音が増えている。反応の無いルイの方を見返すと、イザークが立っていた。ルイはすでに気がついていたのだろう。リエンツィは下でロジーナにプリシラという娘の話をしている。イザークは手持ち無沙汰になったらしい。

 私は話を止めなかった。傲慢と呼ばれようが構うものか。救いという力を握らされた宿命である。力の無い者に非難されたとしても、彼らには理解が出来ないのだから仕方がない。私はそれを許容しよう。無知は恥ではない。無知こそ、救われる条件である。

「人は真実を知らず、嘘で固まった妄言を信じた。私は真実を明らかにしましょう」

 今はまだ、その時ではない。兄が絶大な権力を握る今日では、まだ。この決戦の果て。兄が負ければ、時流は私より始まるだろう。その時こそ、真実を解き明かし、偽物を排除するのだ。結局、私の目的はリエンツィたちと同じなのかもしれない。

「ふん、一つの助言と、プレゼントを呉れてやろう。面白い話をした礼に」

 彼は何か、カードのようなものを取り出し投げつけてきた。受け取ったのはID。個人に関するあらゆる情報が蓄積された名刺のようなものだ。勿論、誰もが持っている。個人識別が出来なければあらゆる要所において、不便に感じることもあるだろう。

「オマエは偽物だ。それが真実ではないとしても、今はな。復権を目論むなら、人気を得ることだな。自身の証明に必要なのは、実績と他者からの評価しかない」

 私はIDの無い人間。それが逆に、あらゆるセキュリティをかいくぐり動ける理由だが、個人の証明は不可能だ。この網膜に照合するデータは無く、この指紋に合う情報は無い。幽霊に、似ていた。

 偽ではあるが、IDという実体を持つことになる。ルイーズ・ヴァンフォーレという偽名の女性。目の前に立つ男性の女性名に安直だな、と感じながら私はIDをしまう。イザークやルイはすでに埋め込まれるか、体内に同化しているのだろう。

「俺が手出しするのはここまでだ。後は自分でやれ」

 資金援助は不可能、と言うようだった。無論、最初からアテになどしていない。今の目標はタイタン軍を動かすことで、ユーロパに援助を頼むことではない。

「コイツは叛乱さ。世界には差別が溢れ、暴力と欺瞞で成立する腐敗。被差別者の手で発生する暴力による下克上。トップダウンのこの世界、その頂上にいたことなど忘れろ。さもなくば時代の奔流に犯されるだろう。キミがゴミと言う有象無象のニンゲンは、その多さでキミを喰らう」

 多くの者は少なき者を排斥する。意見の違い、思考の違いだけではなく。それは存在そのものさえ追い込み、奪う。今ここに私がいるだけでも奇跡。この未来、確かに私は消え、そして子もまた、多くの者に消される。いつか、我が子は神の子ではなく、人の子になるだろう。

 このイザークとて、そうだ。地球も昔は差別者と被差別者がいた。富は必ずしも平等ではない。少ないからこそ価値があり、多くは貧困層に。白い肌の富裕層は黒い肌の貧困層に食われ、何百年をかけて平等となった。

 ああ、ならば。

 人は存在そのものが有害かもしれぬ、と。多い者たちを思うと、気持ちが悪くなった。

「――――今。はっきりと自分はわかった」

 展望台より下界を見下ろすイザークが呟いた。指先で空をなぞり、恍惚と眺める態度に反し、しっかりとした口調が聞こえた。ルイも私も、思いがけない人物の発言に、やや驚き、向き直る。神と貴い人との対話に、口を挟む愚か者を。

 

「『真実』など知りたくもない。私が知りたいのは『事実』、ただそれのみである」

 

 視線が上がり、そしてぶつかる。何だ、このニンゲンは。叛逆の人は哀れなほど無知で、驚くほど単純で――――恐ろしいほど、優れていた。理解が出来ず、恐れる。達観した思考は美しいほど透明。中庸の心は凡庸が生む秀逸である。

「神は死んだ、死んだのだ。代わりが聖女という貴女なら、敵でしかない」

―――――――――――――――――――――

 

「うぉい、ソコのお嬢さんタチや。チラ見ばっかしてねーで少しは働いておくれよ」

 照れ隠しなのか奇声を上げて反論するイザークと、鼻で笑われる聖女サマは非常に対照的だ。唇に指を当て、何かを考える仕草はまるでどっかの誰かさんにそっくりだ。ユーロパで二人に何があったかは全く知らないし、知りたくもないが、チラチラ互いの様子を見るのは何だかなぁ、とカントは思う。

「そもそも、アデレードは食事当番だぞ。前回文句言ったんだから自分で作ってよ」

「はいはいうっさいわね。ボク?その生意気な口を黙らせてみせますから覚悟しろっての」

 生意気なのがどちらかは考えたくはないが、ついに立ち上がる聖女の姿を見て感無量。何と、食事当番を果たすというか。労働の二文字はあの女に最も相応しくない言葉だというのに。ティアを黙らせる料理とはまさか毒かもしれん、と警戒しつつカントとイザークは席につく。

 タイタンのシュトラスブルクとは話がついている。明日、星都であるヘスティアで会合する予定だ。カントの友人というからには大雑把な人かと思えば、日時から場所まできっちりと指定された。無論、イザークとしては喜ばしいことだ。

「イザークはホント、作戦とか計画大好きっ子だな。大体は失敗して慌てふためくが」

「シミュレーションし、しっかりと順序だてるのは大切なことだ。その範疇をオーバーした時、私は困るのだ。ここ最近――――というか、君と会った時から理解など到底及ばない世界に連れてこられたせいかな」

 すでに出会いから、一年が経つ。昨年から、随分と変わってしまったものだ。だが、まだ何も変わってはいない。変えていない。全てはまだなのだ。これからの自分により、それは決まる。

「――――だが。そう簡単に抜かれてたまるものか。ガブリエル・ハイネは我々を妨害し、オペラ・レーヴェを殺傷し、アデレード・フォーレを幽閉して替え玉を置いた。そしてオフェリア・フォーレもまた十年前に置かれた替え玉である。ハイネは本物二人を排除した。オフェリアは神皇という神権の最高位に立ち、リューヴ国軍を率いて太陽系ではなくネアポリスに進んでいる。その間、軍権を大統領から完全に奪い、老練な将軍に委譲させた。リューヴ国軍とSSU軍に大差は無い。むしろタイタン人のいる太陽系の方が精強とも言える。連敗のアンドロメダが一夜にして逆襲に成功することはまず起き得ない。将軍は失権し、リューヴは落ちる。カルディア大統領では軍の指揮は不可能である。私の読みはな、カント。オフェリアは負ける気だが、負けるつもりは無い。彼はこの一戦を糧に、政治介入を目論んでいる。神の代理という権威政治ではなく、実権と権威、両方を極める神政政治だ」

 カントのような武力も、オペラのような戦闘能力もイザークには無い。ティアもフィアも、あるいはアリア・ローゼンミュラーさえも武器がある。アデレードのような名声も無い。イザークは単なる「人」で特殊な種族でも政治家でもない警備員である。

 それでも彼女には。優れた管理能力があった。危機を察知し、起こり得る事態を想定し、物事の流れを管理し、支配するという能力がある。あくまで「役割」に過ぎないオペラには無く、カントにも欠如する能力は、この船において必要とされる力だろう。

 そしてそれは、今。最も輝く能力でさえある。

「やっぱり気に入ったわ、貴女。理想的」

 皿を片手に早々と戻ってくるアデレードは、イザークを見ながらそんなことを口にした。かの聖女が人を褒めることがあるのか。しかも理想ときたものだ。戸惑わない方がどうかしている。どうにも、ユーロパの一件で目をつけられてしまったらしい。

「素晴らしい素材。常に中庸な精神で物事を見通すというのは優れた才能でしょう。浅黒い地球人にしては見た目もいいし。是非。側に置いておきたい人材と思われるわ」

「――――んなことよりオマエ、何持ってきたの?」

 真面目な顔で誘惑をかけるアデレードに対し、不満顔でテーブルの上に置かれた皿を指差すカント。実に対照的な批判めいた一言に、さすがの姫様も顔色を変えた。確かにカントの指差したソレは、およそ歪で、何だコレと言いたくて仕方がない。

「ナニって……おにぎり。そもそも米と塩で食事作れって言われて、出来るモノはこんなモノしかないじゃない」

「テメェ買出しはどうしたティア――――!」

 見たところ、ライスボール。炊いた白米を球状にして塩をまぶした携行食らしい。本来なら買出しで食材は増えているはずなのだが、担当した男はダンベルを持ってにこりと微笑んでいた。

 だって、もう着くから食わなくとも。絶望の声が聞こえる。まったく、これで二度目だ。

 

 ヘスティアという街は、十七の領地のいずれにも属さない。草木の無い、堅牢な城塞のような家が立ち並ぶ要塞。城壁で囲まれ、侵入するのは砂しかなく。砂漠のような死んだ土地の中心に立っている。ミネアポリスともドラドとも似つかない無骨な都市だった。

 故に、ヘスティアには良いところが無い。だから十七人の首長はそれぞれに放棄し、無所属の中立都市になったのだ。枯れた土地でも人口は多い。それはカントの故郷でもある、旧ヴァンドーム領よりも多い。

 待ち合わせの場所は街の外れにある古びた居酒屋だった。道中、女性の姿ばかりが目に付いたが、それも数人。いずれも顔をしっかりと隠し、足早に目的地へと移動しているようだった。活気は無く、賑わいも無い。寂しい街だな、とイザークは思った。

 これがタイタンの現状だ。資源は乏しく、人員は戦場に動員され、多数の戦死者を出す。貧困は無い、貧乏でもない。だが、活気は奪われた。この戦争で最も多大な犠牲を払わされているのがここなのだ。

 居酒屋の前も、まるで生気は無かった。カントは気にせずドアを開けて、中で待つ人物と再開した。

「……ようやく登場か。決心はついたか、リゴレット」

 

「遅れてすまん。――――ここまで来るのに、三年もかかった」

 

 遠い日の約束がある。幼く願った夢がある。

 強い者には従い、弱い者は意見さえも言えないというのがこの腐った世界のルールなら、強くなってブチ壊そうと幼心に思い。そしてそれは、不可能ではないと戦場で知った。しかしそれには痛みがいる。流す血の痛みに恐れて、三年という月日を逃げた。

「黒騎士団、白騎士団双方共にいつでも発てる。現在は義士団を募兵し、それは私が指揮しよう。黒騎士首領はヴェーヌスブルク、白騎士はリゴレット、お前に任せるぞ」

「……どういうことだ、カント。これからシュトラスブルク首長を説得するのでは?」

 すでに話は整っていた。イザークの読みは、外れた。しかし良い方へと外れた。タイタンが独力で軍を動かすのは現状では不可能だ。タイタン軍は太陽系同盟の一翼を担っており、その総指揮は議長であるライル理事が持っている。もし勝手に独断で動かしたなら、間違いなく非難される。

 そのため、まずシュトラスブルクを説得し、ライル理事に奏上し、SSU軍そのものを動かさなくてはと思っていたのだ。だが彼は、独断でタイタンを動かすと言った。ユーロパのシャルパンティエ少佐でさえ、自由には動けなかったのに、だ。

 

「ははは――――知ったことか。我々はただ戦争に勝利するためだけにある」

「オレたちは地球軍ではない。アンドロメダ軍、ということさイザーク」

 

 辺境の勇者、ここにあり。広く武名を轟かせる二人が決戦に向け、立ち上がる。

「じゃあオレはティアと、カヴァレリアを集めてくる。トリスタン、イザークと話し合うといい。ウチの参謀役だ」

 言って、彼は。何故か酒場の壁に立てかけてあった長槍を片手に、楽しそうに退室していった。

 

 タイタン軍と言えど、無論、全軍を動かすわけではなかった。軍属である人間、十六歳から十八歳までの徴兵と、職業軍人は除外する。除隊した人間のうち、「騎士団」と呼ばれる民兵に入った者が今回の作戦で動員される。それは志願兵であり、さらにこれから募るらしい。

 白騎士、黒騎士共に数は八百。募兵をしたところで、二千が限界だろう。なるほど、一個連隊ほどの軍勢にはなるわけだ。それでヴェルブング率いる二百万のフルジア第二総軍を相手にしなければならない、と考えれば酷な話だが。

「現在、シリウス近郊における制宙権はフルジアにあり、本星は侵略されていないにしろ、封鎖されている。マゼランの平定を終え、シリウスを抜き、戦線はシリウス、そして太陽系側のトリトン。敵主力はシリウスに結集しており、太陽系方面へ抜ける敵、方面軍は一個、おそらく50万ほどだろう。シリウス近郊にはフルジア軍100万がひしめいており、対して展開するSSU軍はネアポリス全域で100万、太陽系全域で300万といったところか。やはり主戦場はシリウスしかない。リューヴ国軍全軍で400万。まぁ数の勝負にはならないのだが――――希望にはなろう」

 目指すはシリウス。一個連隊を率い、シリウスに入る。これは最早、軍事行動であり、いかなる名目も題目も無い。ただ、勝利が為に。己が信念で希望に応うるのみである。いざ行かん、死地へ。

 勝利の可能性は、非常に薄い。精強なタイタン軍を率いたとしても、勝てる確率は大して変わらない。現に、タイタン軍は総勢200万と言われており、これはフルジアの外征軍と同じ数に匹敵する。決して少数精鋭というわけではない。ようやく、互角になっただけだ。

「ああ、確かに。優れた観察眼をお持ちだ。ただ、もし仮にフルジア軍が太陽系奪取に動いたら?」

 トリスタン・シュトラスブルクは優しげに頷いてから、眉を少し上げて、質問した。笑ってはいた。しかし何か、試されているような気持ちにイザークは陥った。

「動かないだろう。これは決戦である。シリウスを捨て、トリトンを奪いにフルジアが動いたとすれば、シリウスは取り返せる。それは貴方たちが世界に見せ付けた『互角』の勝負ではなく、明確な『勝利』だ。我々にとって、初めての勝利、初めて作戦が成功する意義。『リューヴ国軍』に強烈な意味を与えることになる。トリトンなどどうにでもなる。シリウスを奪えば、地球クラスの惑星を取り返したことになる。そして電磁波攻撃の本体もな。シリウスを前衛基地にし、地球・リューヴ同盟軍をシリウスに結集させたら?戦場における最前線に500万の軍を置けば?」

 むしろ。動いてくれればいい。トリトンを奪おうとフルジア軍がシリウスを空けて動けば、勝利はやがて、戦争そのものの帰趨を変える。だが、そのような愚をヴェルブングは冒さないだろう。フルジア軍は精強で装備も整っているが、数が少ないのが弱点といえば弱点だった。二面作戦が展開出来ないのだ。

「見える。私にも貴殿の描く道が見えた。なるほどそれは、楽しそうだ」

「ですから、シリウスで決戦すべきでしょう。存亡はここに。雌雄を決する一戦だ。全戦力を集めなくていつ集めるのか」

 トリスタンの印象は、穏和で人当たりの良い好青年。短く刈った髪に無骨な輪郭だったが、表情が優しいのだろう。リゴレットとトリスタン。まるで正反対の性格をした、騎士二人。政治などどちらもやりたくなかったのだろう。しかしトリスタンは人の上に立つ道を選び、リゴレットは野に下った。

「――――浅慮、にも程があるわね。SSUから除籍されている民間人とはいえ、武装させ千人を戦場へ移動させればどのような面目も立つはずがない。ライルは非難するでしょう。あるいは。『謀反』と呼ばれるかもね」

 ふと、遠くで退屈そうに椅子に座っていた坊主頭が呟いた。怪訝な顔が目の前にある。トリスタンはアレが誰だかわからないらしい。随分、偉そうなことを言う客がいたものだ。だが、あながち間違いでもなかった。

 戦場で死ぬのは人。この星の人。そして非難されるのも、また同じ。

 

「いえ、そもそも。貴方はここの星の人に自殺を推奨出来るのかしら?」

 

 さも面白そうに、彼女は言った。くすくす、と笑いながら。妖艶な唇に右手の人差し指で触れながら。

 自殺――――とは。正しくもあり、間違いではなく。イザークには反論する言葉が浮かばなかった。勝敗ではない。トリスタンの独断で多数の人を連行し、殺す。結果だけ見れば、そうなるかもしれない。ただトリスタンを信じ、そして死んでいく。

 それは。どことなく。――――教祖を一心に信ずる、信者にも思えた。

「さて、イザーク。貴殿も来るか?ちょうど部下たちが集まっている」

「は?――――あぁ、えぇ。構わんが」

 回答は無く。トリスタンはイザークの手を取り、立ち上がらせ。微笑を残しながら先導を務める。おそらく、その態度にカチンときたのだろう。アデレードの笑みは失せ、冷たい目線だけを彼に送っていた。

 

「失せろ小娘。ここから先は――――餓鬼の出番じゃねェんだよ」

 

 ヘスティアから東に、ステップ地帯となっている背の低い草原で、イザークは一人、備品のチェックをしている。周りには少し離れた場所に黒・白、両騎士のテントが張られ、着々と出発準備は整っているようだった。

 黒い全身を覆うスーツは鎧だ。防刃・防弾のアーマースーツは五着、実弾を用いる拳銃が一丁、光弾の銃が二丁。後は短めの直刀と、ウエストポーチのようなバッグ、実弾が少々。全て、オペラから譲り受けた装備品だ。

 いざ戦場になると、フルジアの電磁干渉により全ての機械が使えなくなる。艦船、無線は元より、レーザーなど光学の兵器も壊れてしまう。炸薬を使った実弾兵器ならば使えるそうだが、それは骨董品に近く、容易に入手は出来なかった。無論、軍の正式採用にも至っていない。

 刀剣類、それから槍。さらに前時代的な武器が戦争の中心になるわけだが、フルジアは遠慮なく砲撃してくれるので、数で勝っていても、勝負にはならなかった。武器も違えば、防具も違う。技術力の差が大きすぎるのだ。

「……な――――んか。光っているな」

 ピコピコと点滅する、握り拳ほどの大きさ、形をした物体がある。一定周期で青く点滅している。爆弾か何かだろうか、と推測し、恐る恐る持ち上げてみる。

「アデーレ!ちょっと来てくれないか、物騒――――ではなく面白そうなモノを発見した」

 目はグリップのような物体を見たまま、アデレードの名前を呼んでみる。無知だが博識である彼女なら、何かわかるのではないか。何となく、彼女なら使用法とか知ってるのではないかと予測してみるのだ。

 うるせー、と叫びながら大股で近付いてくるアデレードへと視線を移し、手にした物体を見せてみる。やはりよくわからないようだ。貸してご覧なさい、と傲慢に言い放って、ぶん取られる。

「注意書き、読みなさいよ。『転門は上部スイッチにより開閉します』だってさ」

「ほぉ。君は変換機無しでフルジア語を読めるのか」

 IDに付随してある翻訳機能で、会話に支障は無い。だが文字となると、眼鏡型をした変換機を通さなくては読むことは難しい。読めても訳せないのだ。自慢げに高笑いをするアデレードから物体を取り戻し、では、と早速。上部スイッチとやらを押してみた。

 

 ――――ああ、よく考えれば。

 フィアという悪魔が何か言っていた、気がするのだが。

 

―――――――――――――――――――――

 見覚えのある風景。正面には黒い空。星だけが、航路を示す光点になれ。

 椅子に座った四人は背を向けたまま、前だけを見ている。イザークとアデレードは、何故かそんな光景を真後ろから眺めていた。気付けば――――何故か、宇宙にいた。

 スカラ、だろうか。記憶に残ったままのコックピット。だが、何故。タイタンにいたはずでは。

 様々な疑問、驚嘆、そして。

 

「時間、ぴったりですね。お待ちしていました、違うか――――なら『お久し振り』です」

 

 一人が振り向いた。これも、いや、これは、ワカラナイ。

 ウェーブがかった髪は長く、背もイザークより高い。その女性は美しく、かつ格好の良い、何よりも見ただけで、イザーク自身、威圧感を覚える。女性の言を信じるなら、会ったことがあるらしい。しかし、わからない。憶えていない。

「『時間』を超えて『世界』を作り変えても、創作者以外はその事実は知り得ないですよ、『ゲルダ』」

 イザークは目を疑った。もう一人。振り返って立ち上がる女性は。透けている。薄らと背後の風景が肌を通し、見える。半透明の女性は不可思議な言葉を口にし、呼ばれた女性は頷くように、微笑んだ。

「――――セリア、落ち着きましょう。理屈も理由も知らない。けど。今、私たちの前にフルジア女王がいるわ」

 そう、彼女の名は。ゲルトラウデ・ネブカドネツァル。フルジアの元首にして最高権力者。フルジアという星、国家、勢力圏そのものが、ここに。ゲルトラウデは女王であり、独裁者であり、国だ。

 

 黒き空を越え、時間と距離を超え、あらゆる制約を超越し。

 世界の頂点に立つ人物は、華麗に星の海へと舞い降りた。