青い空、青い海。
 世界には青が満ち溢れている。
 晴れ渡った天を見上げながら、手を伸ばして。
 人はそんな姿に問いかけた。
 名乗る。
 奏でる声が、青い世界に響き渡る。



 寝苦しい夜だった。ベッドの上で何度か寝返りを打ちながら、寝付けずに悶々としていた。今宵は、熱帯夜か。眠ることを諦めたのは、一時間以上そうしてから遠く夜空に浮かぶフェクダ星の美しさに気付いた時だった。
 上裸に薄い上着だけを羽織り、部屋から出た。外に出ると、わずかに風。伸びた髪を風がさらう。袖が空に舞った。
 ミザール星の夏の夜。星都ファシア市の外れに立つ。遠くに見える都市郡の真上に浮かぶ大きな星。フェクダ。美しく輝き、しばらく無言で見上げていた。
 ――――あの光の中で、彼女は生まれ育った。
 後悔はしないと決めた。もう涙は流さないと誓った。そうしないと、彼女は報われない。だから、彼女のためにも、泣いてはならないと思った。無理にでも口元を結い、笑みを作りながら見上げる。頬を打つ風が、どこか気持ちよかった。
 動く影をビルの狭間に見る。視線を落とした。こちらに向かって動く影がある。目を凝らす。揺れ動く影は女性だろう。足を引きずるようにして歩いている。怪我をしているのかもしれない。迎えるように歩き出してみる。
 まだ若い女性だった。服は破れ、髪の毛は焼け、体中に怪我を負っていた。朦朧とした意識がこちらを見上げる。モバイル・デバイスを取り出し、スキャンをかけてみる。ウラーナ・ネリグリッサル。リューヴの若き官僚だ。
 面倒なことになる。直感でわかった。厄介ごとに巻き込まれる。だから見捨てるべきだ。この街に住む誰もがそうするように、見なかったことにして家に入る。それでいい。
 踵を返し、家に入った。玄関の鍵を閉める。居間に戻ると、男が起き出していた。
「――――誰ですか、それ。何で連れて来てるんです?」
「悪ぃ。間違ったんだ」
 ソファに転がし、右肩を回す。本当に間違えた。それは単なる気の迷い。まだ残っていた小さく陳腐な良心というものだろう。
「リューヴのネルガル・シャレゼルだ。何をどう間違ってミザールに堕ちたのかは知らん」
「大方、フルジア側にでも拿捕されたんでしょ。オレぁイヤですよ、フルジア軍にケツ追い掛け回されるのも、フェクダから送られた捜索隊に銃弾打ち込まれるのも」
「俺もそれは嫌だ。明日の朝にでもお引取り願うさ……おい、そこのブランケット寄越せ」
 薄手の毛布をかけてやり、リビングを後にする。彼は気になって仕方がないのか、立ち尽くしたまま自室に戻ろうとはしなかった。まさか夜這いすることはないだろうと思い、放っておく。重い人体を持ち上げたためか、肉体には程よい疲労がある。
 これなら眠れそうだ。下手に世話を焼いて覚醒する前にベッドに横になった。目を閉じる。淡い光が目蓋を照らす。今夜は雲が一つも無い。夜に輝くフェクダの月光が、明るい。
 昔は――――酒でも飲んだだろう。今宵は、良い月が出ている。スコアは少しだけ昔を思い出し、忘れようと毛布を頭まで引っ張り上げた。
 夜が長いのは、記憶を巡らせ、思考がグルグルと回るからだ。何も考えず、何も思わず、ただ目を閉じ、意識を閉ざせばいい。そこには夢などなく、純粋な眠りだけが待っているはずだから。何も無い。何も。穏やかなまどろみしかない。
 少し、うとうととした。意識が戻ると、月光は強い朝日に変わっていた。夜は遅く、朝は早い。睡眠時間はいつもわずかしかなかった。そしてあっという間に過ぎる。ここ最近は、本当に夢など見ていなかった。
 部屋から抜け、便所で用を足し、洗面台で髪に水をぶっかける。ついでに顔も洗い、歯ブラシを口に突っ込んでからリビングに向かった。
 テレビをつける。朝のニュースがやっている。前髪から水を滴らせながら、キャスターが読み上げるニュースを眺めた。レグルスでの戦闘も飽きてきたのか、最近は違う話題がメインになる。レグルス星系第三惑星で地震が頻発しているのだそうだ。
 歯を磨きながら、キッチンに立ってコーヒーを淹れた。置いてあった灰皿を持ち上げ、溜まっている吸殻を捨てる。むくり、とソファにあった毛布が持ち上がったのが見えた。声をかけようとして、まだ口の中に歯ブラシが入ったままだと気付く。
 毛布を被った頭がこちらを向いた。スコアは台所に歯磨き粉を吐き捨て、口をすすいでから顔を上げた。
「おはよ。コーヒー、飲むか?」
 ぼうっとした表情。状況が掴めていないのだろう。カップを二つ運び、一度戻ってから灰皿を持って居間に戻る。対面のソファに座り、テーブルに置いてあった煙草を取り出して火をつける。灰皿に煙草を立てかけ、カップを持って茶褐色の液体に口を付ける。
「……貴方、見たことがあります」
「そりゃな。俺、結構な有名人なんだぜ」
 テレビの音が煩わしく思えてくる。思考が漂白されているからだ。リモコンを手に、音量を下げた。
「服ならくれてやる。治療したけりゃ病院にでも行け。落ち着いたら帰れよ、朝飯くらいは食わせてやるから」
 煙草の灰を落としながら、そんなことを言ってみた。ようやく状況を把握し始めたのか、ネリグリッサルの顔には疑問の色が浮かび始めていた。目の前にいる男が誰かわかったらしい。疑問と困惑。彼女が抱いている感情が、スコアには何となく理解出来た。
「カデンツァ。何しているんですか、こんなところで」
「見てわからないのか、人助けだよ。迷子になったリューヴ外交官を助けてやってる」
 少しは感謝をしてもらいたいものだね、と冗談を口にして笑ってみせた。ソフィア・ビュザンティオンの修道院で新原理派として育てられた彼女にとっては、このレアティーズ・カデンツァは敵であろう。オフェリアの宗教思想を忠実に受け継いだ人物ならば、決して許しはしない。
 彼女の瞳には敵対心が芽生えている。それは当然のこと。助けた自分が間違えていたというだけだ。間違いだと知っているから、特別な感情は生まれなかった。事実、出て行けと最初に言っている。間違いはすぐに正すべきだからだ。
「私をどうするつもりですか、人質ですか」
「嫌だよ面倒くさい。お前の処遇はさっき言ったから」
「面倒とは失礼な。私を人質にして身代金とか政治的アクションとかするのでしょ?」
「……ああ、悪いのは体じゃなくて頭か」
 このまま放り出してやろうか。簡単でいい。思い浮かべると、すぐに実行したくなった。思い留まらせたのは、うるさいでやんす、と起き出してきたアハトの顔だった。ここで放り出せば、それはそれで面倒なことになりそうだ。少なくとも納得して出て行ってもらわなければ、静かな生活は守れない。
 交渉中なので、朝食の支度はアハトに任せた。まだ少し残っていたコーヒーを一気に飲み干し、正面から説得にかかる。
「いいか。俺とアイツは面倒に巻き込まれたくない。戦争も政治も御免だ。だから、お前に関わりたくない。困っている様子だったから一晩、泊めてやっただけだ。空腹だろうから朝飯でも食って、それから帰ればいい。別に俺は止めないし、むしろ留まられたら困る」
 本心は、少し違うのかもしれない。この戦争から逃げたくなどない。真正面から立ち向かうべきだ。ただ、自分の望む形でだ。巻き込まれたくないというのは本音である。自らの意思で加わりたかった。
 今回の一件は事故のようなものだ。突発的な事件。それは解決して、終わらせなければならない。ネリグリッサルがこちらの言い分を理解し、無事に帰る。全てはそれからだ。きっちりと説明すると、馬鹿ではないのか、ちゃんと理解を示した。
「ひとつ教えてください。世間から離れた理由は?」
「――――死に切れなかったから、かな」
 死ぬべきだった。そう、死ぬべきだったのだ。オフェリアの代わりに、死ぬべきだった。だが、ルテティア・パリシオールムから脱するだけに終わった。生命とは、浅ましいものだ。覚悟も意思も超えて、腹が減り喉が渇いた。耐え切れなかった。死に切れず、まだ生きてしまっている。
 戦場に戻ろうとする意思は、死に場所を求めてのことなのかもしれない。いや、確かに死を求めているからだと言い切れる。オフェリアが栄光を集めている間に、影でひっそりと散る。逆転している今、自分だけが生きている。友も仲間も、皆が死んだというのに。自分だけが、生きている。
 命の持つ浅ましさに腹が立つ。生き汚い自分に苛立つ。無様に生きて、ネリグリッサルから蔑視を受けるよりも。雄々しく散るのが男ではないのか。それが、持ち得る全ての力で人の上に立った自分の最期ではないか。夢、破れたのなら。いつまでも意思のない死体でいたくはない。
 埋もれた生よりも、名のある死を。望みは、それだけだ。
「――――何だか、予想していた人とは違います」
 そんな感想を漏らす彼女の小さな声に答えられず、視線を逸らしてテレビを見た。音。止まる。時間も止まった。スコアはそのニュースに釘付けになった。動揺を悟られないように、と。体を動かした。リモコンをとり、音量を上げる。
 オフェリア・フォーレの死が報じられて。星歴0332年、六月二十日。享年は三十二歳。死因は多臓器不全。淡々と、言葉が流れた。



 ソフィア市との提携を行おう、というのが父の考えだった。ウルサ・マヨール宙域の運送を取り仕切る企業。世界で唯一、民営で航空宇宙運送業を担っている男だ。誰も反対意見は出さなかった。
 この広い宇宙に浮かぶ星という点。これを繋げるのが航路というものだ。航路には旅客機が定期的に行き交う。人、物、そして文化が交流する。それは素晴らしいこと。しかし、莫大な費用がかかる。だから他の宙域では国が経営に参加する第三セクターのような形をとっていた。
 元々、ミザールには人も物も少なかった。父のコンスタンティン・リウィウスは休戦時代に母とこの星を訪れ、持っていた小さな船艇で物流に関わる仕事を始めた。最初は小さな会社だったのだが、開戦により事情が変わった。ミザールは密貿易の中継ルートになり、アンドロメダ・フルジア両政府は黙認していた。
 それから、少しずつ規模が大きくなり、今ではウルサ・マヨールの航路を支配する大企業になった。しかしソフィア・ビュザンティオン市が移動する交通要衝というとんでもないことをやり始め、物流の操作と航宙運送業に乗り出した。最新式の設備と、何より上を取り仕切る社長が優れていた。すぐに他の第三セクターを弾き出し、我が社に準じる地位にまでやってきた。
 オフェリア・フォーレと手を結ぶというのは悪い考え方ではない。むしろ、成功すればこれ以上ない発展が見込める。ウルサ宙域のみのシェアから、この宇宙全域に経営の手を伸ばすことが出来るだろう。
 ファシアの中枢にあるエアロスペース・ダルマチア社のビルは官庁のビルよりも巨大だ。実質的にこの惑星を支配していると言ってもいい。支配者の娘、コンスタンティアは正装してビルを見上げていた。会社を早退したのには理由がある。
 昨晩のことだ。フルジア船籍の軍艦がミザール星に入港して来た。珍しいことでも何でもない。ただ、乗組員が逃亡したらしく、兵員が捜索に出ていた。父にも挨拶に来たらしい。父は、逃げたのがリューヴの政治家だと言っていた。
 その時、ピンと来たのだ。ちょうど、コンスタンティアが肩入れしている人物がいる。三年前に逃げてきた男をコンスタンティアは支援していた。いずれ、必ず何かをする男だ。十八歳だった自分は父に内緒で個人資産を使って彼を支援することに決めた。
 タクシーを止め、男の家へ向かう。好意を抱いてはいる。それ以上の感情は無いと思っていた。何となく、好きなのだ。人間的に好ましい人なのである。応援したくなった。何か、自分にはない煌きのようなものを持っている男だったが、それが消え失せていた。
 だから、輝きを取り戻してほしいと思った。スコア・カデンツァという男は、英雄の容貌をしている。ファシア市の外れにタクシーは停車し、ぽつんと建っている民家が見えた。周りは畑で、目立つことこの上ない。
 玄関に立つと、ギルデンスターンという男が出て来た。スコアの部下というか、秘書のような男だ。いつも応対はギルデンスターンがする。
「あ、ヤバ。大将、コニーさんでさ」
「ヤバい、ね。ちょっと上がらせてもらいますよ」
 後ろを向いてスコアに助けを求めるギルデンスターンを突き飛ばし、強引に中へ入った。リューヴの外交官がこの街で生き残るのは難しい。誰かの援助がいる。きっとスコアも、自分が援助しなければ野垂れ死んでいたことだろう。
 やはりである。居間のソファには見慣れない女性がいた。自分と同じニューレイス・ヒューマン。おそらくサピリオ系なのだろう、茶髪だった。自分とさほど年齢は変わらないように見える。まだ二十五かそこらだろう。
「スコアさん。別に怒ったりはしませんけど、こういうコトをするなら一言、声をかけてもらえませんか」
 腰に手を当て、ソファに座ってテレビを見るスコアをコンスタンティアは問い詰めた。ネリグリッサルは驚いたような顔をしているだけで、何も言葉を発しなかった。そして、それはスコアもだ。じっとテレビを見たまま、微動だにしなかった。
 様子がおかしい。そう思って、コンスタンティアはテレビを見た。ニュース。あ、と口が開いた。
 おそらく世界で最も著名な顔。金髪、海のように蒼い目、白い肌に整った顔立ち。美麗な顔が画面に映り、キャスターが臨時ニュースを告げる。死。記事の内容はオフェリアの死を伝えるものだった。もちろんコンスタンティアもオフェリアを知っていた。会ったことはないが、辺境の惑星でも名と顔は有名だ。
 コンスタンティアはリューヴ系のニューレイスだった。母方を辿れば、オフェリアとは遠い親戚に当たるはずだ。父が言っていたソフィアとの提携は、ヴィルトゥオーシであるオフェリアと会えるかもしれないという期待を自分に抱かせた。
 会ってみたかった。痛切にそう思った。途方もない天才だった。他の人間はどう思っているのだろう。そんなことを考えて、隣を見た。スコア。オフェリアとは、敵だった仲だ。喜んでいるのだろうか。
 スコアは―――――ただ泣いていた。
 口を少し開いて、頬には一筋の線がある。潤んだ瞳から零れる涙。とても不思議だった。スコアは、オフェリアの敵であるはずなのだ。喜びこそすれ、泣く理由はどこにもない。
 顔が上がった。スコアはまだ涙を流し続けたまま、こちらを見た。目が合う。綺麗な瞳が濡れている。
「敵だった。されど、友だった。死んだなどと、信じられるものか」
 言葉には驚かされるばかりで、スコアは乱暴に涙を拭って立ち上がった。じっと座っていられない。憮然とした表情で立ち尽くし、何度か首を振った。

「皮肉な話だ。俺が生き、オペラが死ぬのか」

 自嘲に似た笑みを浮かべ、スコアはネリグリッサルの隣に力無く座った。自分も対面に腰を落ち着ける。ギルデンスターンがコーヒーを淹れて運んできた。
「コニー。これでもなお、俺に生きろとオマエは言うのか――――?」
 死のうとしていたところを、自分が助けた。恩を感じてのことか、今は死のうとしていない。しかしスコアは耐えず自問を繰り返していたはずだ。生きていてよいものか、死ぬべきではないのか。葛藤の先に待っていたのは、オフェリアの死だった。
「はい。オフェリアさんでもそう言ったでしょう。貴方が泣くほどの人であれば」
「……ああ。だから、辛くなる」
 乱暴に煙草をとり、動かないはずの左手でスコアは火をつけようとして失敗していた。着火装置をテーブルに叩きつける。ゆっくりと、ギルデンスターンが火をつけてやった。
「アハト」
「残念です、としか。ツヴァイは天才でした。天才であるが故に、孤独でありましたろう。大将も天才ですが、まあまあ凡人ですから。オレたちでも理解することは出来るんですけどね」
 独り。オフェリアという人は孤独に死んでいったのだとギルデンスターンは言った。誰にも理解されず、孤高に生きて、寂しさに狂って死んでいった。英雄の最期は、あまりにも悲惨なものだった。
 どうでもいいことだとコンスタンティアは思った。会ったことのない遠い親戚より、絶望に打ちひしがれるスコアが大切だ。何とか励まして、慰めなければならない。まず思ったのがそんなことだった。不思議な人だ。敵が死んで泣いてしまうような男に、不思議な魅力を感じる。
 一人になりたいと言って、スコアは自室に引き上げてしまった。追って来ることを拒む背だった。

 リビングでは一つの結論に達していた。
 ウル・アンナ・ネルガル・シャレゼルを早急にアンドロメダへ送還すること。満場一致でこれが決まった。フルジア軍からの追求も、ACMFCの捜索部隊からの追及もかわすにはそれしかない。匿っていてプラスになる材料は何も無いのだ。
 そうと決まれば早速、コンスタンティアは会社に電話をかけた。小型の旅客機を手配して飛行場に確保させておく。操縦は自分自身ですることにした。あまり事を公にするべきではない。同時に父親に連絡も入れた。下手に姿をくらますと、スコアの容疑が一つ増えることになる。
 準備を整えたところで、ギルデンスターンがスコアを呼びに行った。そろそろ昼になろうかという時間。さすがに動いてもらわなければならない。
「ほら、涙をお拭きなさい。気の毒だけれど、ついてきてもらわなきゃウチも困るから」
 泣いていたネリグリッサルを励ます。会社としても、ミザールで事件が起きるのは困るのだ。個人的にもスコアが逮捕されるようなことになるのは嫌だった。巻き込まれた彼女には悪いのだが、早く処理したいというのが願いだった。
「オフェリア様が亡くなられるなんて、想像もつきません」
「誰だって死ぬのは当たり前のこと。神様だろうが誰だろうが死にます。間の抜けたこと言ってないで、立ち上がって」
 ソファから彼女を立たせ、スコアが出て来るのを待つ。親しかったのだろうか。ふと、そんなことを訊ねてみたくなった。しかし口には出さなかった。関係のないことだ。死者と会話をする趣味は、自分には無い。死者は死者だ。もういなくなったもの。
 まだぐずつくネリグリッサルをあやしながら、テーブルの上に残っていたコーヒーを飲んだ。すっかり冷たくなっているソレを口にしながら、ひたすらに待つ。
「……貴女、ちょっとオフェリア様に似ています」
「あらそう。はとこ、だったかしら。会ったこともないですけど」
 母方の祖父とオフェリアの祖父が兄弟だったと母親に聞かされたことがある。六親等の血族でわずかに血も繋がっているのだそうだ。そんな話をすると、ネリグリッサルは驚いたような顔をした。高貴なる血筋と他人は言うだろうが、実感したことも役立ったことも無かった。
 これほどまでにオフェリアが人に慕われているのは、何も血筋だけではないだろう。実際に時代に生きて名を残したからだ。確かに神に連なる血統というのは存在するだけで尊ばれるものだが、それでコンスタンティアがこれまでの人生で良かったと思えることは何も無い。
 せいぜい、仲間うちでの自慢話になるくらいだった。もしも有名になりたくば、自らの力で何かを成すべきだ。そんな考え方が、スコアと合ったのかもしれない。
「貴女は、誰なのですか――――?」
「コニー・D・リウィウス。ただの会社員よ」
 驚く彼女にそう言ってやったところで、奥からスコアが出て来た。



 ミザールを出て五分で問題が発生。追尾して来る二隻のフルジア艦があった。
 停船命令を受け流しながら、針路をカニス・マヨール星系方面に向けて進む。最高速度ならこちらが上回る。攻撃されるとは考えにくいが、乗り付けられそうになれば振り切ればいい。
 舵を握るコンスタンティアの腕はなかなかだった。後続の船との距離を一定に保ち、照準を合わせられれば揺れて外す。任せていれば大丈夫だとスコアは確信していたが、ギルデンスターンとネリグリッサルの二人は不安そうな表情を浮かべていた。
 スコアは手を伸ばし、通信装置の隣にあったボタンを押した。どこからか拾ってきた無線がラジオを鳴らす。アップテンポの曲調が船内に響き渡る。
「加速だ。振り切ってしまおうぜ」
 操舵手の肩を叩く。コンスタンティアは笑ってエンジンの出力を上げた。速度計の数値がみるみるうちに上がり、後続の軍艦がレーダーから消失する。通信が入っていたが音楽にかき消されていた。
「……この歌、知ってるな。学生ん時――――コピーした」
「あら、音楽活動でもしてたんですか?」
「アリア・ディーヴァに歌を教えたのはオフェリアだぜ?」
 学生時代を思い出す。オフェリアと、自分と、そしてアデレードがいた。ナオミに言われてリューヴのハイスクールを占拠して騒音をかき鳴らしたこともあった。あの頃。しがらみも何も無かったあの頃に、戻れたらいいと思った。
 もう戻ることは出来ない。どれほど願っても、もう戻らない日々だ。
「ネリグリッサル。友を大切にしろ。リン・フェイにアデーレを、大切にしろ」
 目を合わさずに、スコアは悔いを口にした。兄だから言うのではなく、本当に友達を大切にしてほしいと思ったからだ。さもなくば、自分のようになる。後悔をしないと決めたが、ルーシャに悪いと思いつつ、オフェリアの死というものには嘆かずにはいられなかった。
「アデーレは悪いヤツではないから。まあ性格はキツいし口うるさいが、いいヤツじゃないかな」
「――――はい、わかっています」
「なら、よかった。今回の件で恨まないでやってくれ」
 レーダーが船の接近を確認する。画面を見た瞬間、スコアは体が硬直した。フリゲート艦スカラ号。ソフィア・ビュザンティオンの小型艦が接近している。後続のフルジア艦とは距離が開いているが、ここで止まればすぐに追いつかれる。
 スカラを振り切るのは難しい。アレは世界最速と言っても過言ではない船だ。フルジアの技術力を結集して作られたオフェリア専用艦。目的は明確だ。ならば、誰が乗っている。曲名が表示されている画面の隣で、通信が入っていることを示す文字が浮かんでいた。フルジア艦からではない。スカラからだ。
 応答すべきか否か、束の間だがスコアは悩んだ。スカラには相応の武装もある。逃げ切れる相手ではなかった。音を消し、周りに静かにしているよう伝えてから、コンスタンティアに会話をさせる。彼女は素早い動きで操作盤の一角へ細い指を伸ばし、画面にスカラを映した。
「こちらはアエロスペース・ダルマチア社所属の小型貨物船、ミザール本社営業部マーケティング課のリウィウスです」
「ソフィア・レギオン所属スカラ号、パイロットはACMFC大尉マリユス・ブロスキ。船内捜索にご協力を。停船してこちらの指示に従ってください」
「拒否します。本社を通して停船命令を出してください。外国政府より干渉を受ける謂れが当社には御座いません」
 毅然とした態度でソフィア軍に向かうコンスタンティアは頼もしかった。確かに正論である。そして本社と連絡をしている間に時間を稼ぎ、機会を作るという魂胆だろう。ブロスキ大尉という人物をスコアは知らなかった。見た目はまだ若い将校だった。
「非常事態でしてね。リューヴ政府の外交官がここらで消えてしまったのですよ。人命がかかっている事態ですので、ご協力願えませんかね」
「こちらも急を要しています。アルドラ星支社でとある問題が発生し、急行しなければなりません。積荷はありますが政治家は乗せていません」
 何とか取り繕っている。本当ならさっさとネリグリッサルを引き渡したいところだが、ここでソフィア政府に捕まるとスコアの身は保障されない。アルドラに着陸し、ネリグリッサルを渡して逃げるのが得策なのだ。彼女さえ無事に帰れば、その後に何を言われても言い訳は立つ。
 この場さえ凌げばいい。強硬な態度でブロスキを跳ね除けるコンスタンティアの口は上手く、下手に出ている相手に付け入る隙を与えなかった。スコアは感心すると同時に、どこか相手に不気味な印象を持った。確かに大手企業に対する態度としては妥当だが、ブロスキという男はどこか油断がならなかった。
「停船してしまおうか。フルジア艦が来れば、スカラも動く」
 小声でコンスタンティアに助言をした。ブロスキは明らかに誘導的な尋問をしている。おそらく埒が明かないだろう。いつまでも言い争っているよりも、停船してフルジア軍艦に助けてもらおうとスコアは思った。

 宙域が戦場に変わった。軍艦が三隻と民間船が一隻。接収を受ける間際、宙域に入ったフルジア軍機甲師団所属哨戒船は少しの間、動きを止めていた。ACMFCと見るか、ソフィア・レギオンと見るか。もし後者なら条約によって戦闘は回避されることになる。フルジア軍とソフィア軍は中立条約が締結されているからだ。
 双方の目的はこの民間船ということになり、どちらが接収するか話し合わなければならない。フルジア側は逃走したリューヴ外交官を取り戻して交渉の材料にするだろう。ソフィア側はACMFCから委託されて救助活動を展開している。
 所属はソフィアでも任務行動はACMFCに該当するため、フルジア軍はこれを排除することが出来る。なぜなら、ソフィアはアンドロメダにも中立であるからである。ソフィアがアンドロメダと追随して行動をしている場合、これはアンドロメダの一部と見なされ、フルジア軍には中立を無視して攻撃が出来る。
 しかし事故に遭った人間を救助する活動事態はどちらにも属さない中立的なものである。現に、先年のレグルス水害ではソフィア・レギオンが被災地に派遣されたがアンドロメダは攻撃を加えなかった。今回のケースでは遭難しているのが政治家であるということから、政治的な意味合いを含んでいるのである。
 宙域は奇妙な静寂に包まれていた。この複雑な背景を両陣営はどう見るのか。交戦をするのか、それとも接収を巡って交渉をするのか、あるいは強引に拿捕するのか。
 スコアは船を発進させた。追って来ることはあるだろうが、場面は混乱していると言っていい。好機。ゆっくりと船は進み始め、徐々に速度を増していった。緩慢な動きで追って来る三隻に、はっきりと動揺が見て取れた。
「失敗したかなあ。スカラ、接舷するつもりだぜ」
「こうなりゃマジでネリグリッサルを人質にするってのは?」
「それは、止めておこう」
 昔の自分ならどうしただろうか。人質にして、交渉の材料にした気がする。今はそんな気になれなかった。どうせ死ぬなら、派手に散ってやるか。自暴自棄にも似た想いがあるだけだ。
 しかし、どこかでそれを止めている自分がいた。生き残れ。誰かが命じている。生き残るには、ネリグリッサルを人質にするやり方は上手ではない。もしも捕まるようなことになっても、堂々と胸を張れるのならば、きっと救いはあるはずだ。そんなことを思った。
 葛藤が生まれていた。
 生きるべきか、死ぬべきか。それが問題だ。
「コニー、悪かったな。俺に脅されていたとでも言え」
 がん、と船が揺れた。スカラが乗り付けてきたのだ。左舷。アハトを呼んだ。武器が投げられた。銃ではなく、剣だった。剣と共に生きてきた。コンスタンティアの見上げる視線に微笑みを返してやる。
 オフェリアが死んだ今、俺だけが生きながらえるわけにはいかない。
 コックピットから出ると、少し広い客室がある。さらにその奥へ。ドアを開けて貨物室に入ると、右側のハッチが開いており、侵入しようとする敵が見えた。カミーユ人。咄嗟に体が動いた。銃弾を回避し、鞘のついたままの剣で足を払った。起き上がろうとする胸に当て身を食らわせる。
 白刃。後ろに跳ねて目の前を通過していく刃を回避した。体勢が崩れた。短い呻き声が聞こえた。アハトの腹部に剣が突き立っていた。跳ね上がり、アハトを右肩で突き飛ばした。
 女。リン・フェイ。カーウェイの娘は優秀な将校だと聞いたことがあった。凛とした顔をこちらに向けると同時に斬撃を繰り出してくる。一、二と体をよじって回避し、そのままの体勢で勢いを込めて蹴りを放った。腹部に突き刺さる蹴撃。体を回し、もう一度、今度は膝を入れて崩した。
 体が動く。まるで、オフェリアとケンカをした時のようだ。これが命の、最期の煌き。
「カデンツァ――――」
 もう一人。ハッチから侵入して来た男が、名を呼んだ。三人が崩れ落ちた場所に立ち、スコアは声の方向を向いた。
 ティア・ヴァーグネルが目を見開いて立っている。リゴレットに派遣されたのはティアなのだろう。おそらく、武芸であれば現世界の頂点に立つ男だ。左腕無しで勝てる相手ではないとすぐにわかり、心に諦念が生まれた。
「スコア、まだ生きていますか。問題が発生です、フルジア軍艦隊が」
 貨物室のスピーカーから緊迫したコンスタンティアの声がした。ティアの方を向いたまま、スコアは動かなかった。ティアも同様に、動かなかった。



 同時に武器を下げ、言葉を交わした。状況はどちらにとっても不利であり、ここで戦う意味は無くなっていた。
 レグルス方面から到着したフルジア軍機甲師団艦隊が接近していた。戦域を離脱しなければ、二人とも拿捕される。均衡していた複雑な状況から、圧倒的優位に立ったフルジア軍が強硬手段に出ることに現状は変わっているのだ。
 まず、お互いの認識を共有させた。それから目的を。ティア側はネリグリッサルの救出で、スコア側は逃走だった。ティアは、それを認めた。スコアを見逃すとティアは言った。罠かもしれない。しかしどうでもいいと思っている今、ティアと共闘することに何の疑いも持たなかった。
「アルドラ側に広がって追ってきている。逃げ道はレグルスか、あるいはミザールか」
「デネボラという案もある。スカラなら船籍を偽ってデネボラ系に入れるだろ」
 二人でコックピットに入り、座標を見ながら作戦を立てる。
「船は二隻。どちらかが囮になるしかないだろう」
 こちらを見るティアの目が大きくなった。おそらくスコアの言葉の意味が理解出来たのだ。
「冗談じゃない。カデンツァ、お前は死ぬ気か」
「オマエが来た時からな。急げ、時が惜しい」
 失神しているリンとブロスキ、それに傷を負って重傷のアハトを残す。コンスタンティアが操縦し、ネリグリッサルを運ぶのが民間船だ。スカラにはスコアが乗って操縦し、デネボラ方面へ逃走して注意を引く。スカラがネリグリッサルを救出したのだから、敵はこちらを追うはずだった。
 ギルデンスターン。苦しそうに目を閉じる姿を、目に焼き付けた。さらば。声には出さず、心で言う。いつも一緒だった。友だった。そう思ってる。いつまでも、友のままでいてくれ。願わくば、健やかに。
 ハッチに手をかけたところで、ティアに止められた。背中を向けたままギルデンスターンを頼む。
「左腕の無いお前がフルジアで生き残れるとは思えない。僕も行く」
「馬鹿か。それにどんな意味がある」
「フルジアには少しコネがある。僕なら脱出は出来る。いいから来い。スカラを誰かに任せることは命令で出来んからな」
 強引に引っ張られ、スカラの中に連れ込まれた。ハッチが閉まる。そのままコックピットまで連れ込まれた。運命に身を委ねる。シートにだらしなく体を投げ出し、スコアは煙草を取り出した。艦が少し揺れた。ドッキング部分が外れたのだろう。
「そういや、デネボラはオマエの故郷だったか」
 近くにあった使われた形跡の無い灰皿らしきものを取り出し、動き始めたスカラを操縦するティアに声をかける。ティアはこちらを向くことなく答えた。
「何を言ってるんだ。僕はリューヴ生まれだぜ」
「知らないのか。ベルゲルミルがヴェルレーヌの養子になったのにはちょっとした理由があった。そうか、こんなことを知っているのも、俺だけになっちまったのか」
 あの頃、ルテティアに住んでいた者。アデレードは覚えていないだろう。休戦時代にあったティアを巡る物語を知る者は、自分の他に誰もいなくなっていた。
「父を知っているのか?」
「一度、会ったことがあるな。聞きたいか?」
 ティア・ベルゲルミルソン=ヴァフスルーズニル。それが彼の本名だった。だが、そのことを知る人間はあまりにも少なく、由来を知る者はもう自分しかいない。
 祖父スルードはデネボラ星系ヘリス星にあるカミーユ・コミュニティの出身者で、祖母をマーガレータ・ニュッケルハルパという。ハーミア・リラの友人だったユミル種の女性だ。ティアという男は自分ともオフェリアとも深い関係にあったことを、今は誰が知っているのか。
 彼は頷いた。出自を知りたい。元より、カミーユ種は出自を大切にする文化を持っている。そして仲間たちを大切にし、血の拡散を好まない。固い家族の絆を持つ種族だった。
 道は長い。語る時間は充分にあるだろう。

「ヘリスという惑星にはリューヴにあるようなカミーユ人居住区があるということはあまり知られていない。先住民族はデネボラ・ヒューマンだが数は少なく、フルジア人の保養地となっている。三百年前のカルクス戦争の時代には、ヘリスは公転周期がアンドロメダに属していたそうだ。つまり、カルクスの近くにあったということだ。母星が破壊された後、難民としてリューヴに渡った者の他に、このヘリスに移住した者がいたのだろう。その末裔をヴァフスルーズニルと呼び、コミュニティを築いている。スルード・アウルゲルミルソンはリューヴのコミュニティと併合しようと考え、ルテティア・パリシオールムにやって来た。オベロン・フォーレは惜しみない助力をしたが、休戦交渉の過程で落命した。オルフェオ・フォーレの戦争介入などが原因とされているが、とにかく離婚していた妻のアディーラ・ヴェルレーヌはリューヴに戻り、カミーユ人居住区に入った。この時、スルードの息子であるベルゲルミル・スルーズソンを連れて養子にした。スルードの恋人だったマーガレータはユミル種だったから、子を成すことは出来なかった。ベルゲルミルの母親が誰かはわからない。ただ、アディーラに託している。スルードとマーガレータはその後、ヘリスに戻ったと言われている。ヘリスでは苗字がなく、父親の名に息子、あるいは娘を意味するヘリス語の単語を付け加えるのだそうだが、オマエはベルゲルミルのソンという苗字を持つわけだ。ヴァーグネルというのはベルゲルミルのフルジア語読みだな。ティアには軍神という意味があるそうだが。オフェリアはカメリア星の建造には反対だった。スルードの提唱したヘリスをカミーユ人居住区に使用と考えていたようだ。アリアを埋め込むなどと非人道的な考えだったからな、とにかくカメリアをブチ壊した。オフェリアにはカミーユ人の誇りのようなものがオマエに似て少しはあったのだろう、常にカミーユ人の保護を頭に置いてやっていた。生前、ソフィア・ビュザンティオンにリューヴ在住カミーユ人を全て移住させる計画もあったようだ。スルードの考えを受け継いだのが、実はアイツだったのかもしれない」
 一気に喋り終え、語ることでしか伝えられないものだと悟った。この目で見てきた物語ではなく、ティアの一部を彩る過去でしかない。
 スコアは煙草を消した。ドッキングされる船がかすかに揺れる。コックピットのロックを解除し、侵入してくる敵の流れに身を任せる。
「……なあ、お前は。どうしてあんな過去を?」
「オフェリアの代わりをやったことか。もう御免だな。アレは、疲れる」
 一時はアンドロメダの頂点に立った。全軍を思うがままに動かせる権力と、民衆全てが尊ぶ権威があった。オフェリアの代理であるということ以上に、レアティーズ・カデンツァの才能だったからだと思いたかった。俺だから出来たこと。そう信じたい。
 後悔など何一つない。悔やんでしまえば、ルーシャは浮かばれない。だから、胸を張っていよう。世界を混沌に陥れたかったのではなく、平和にしたかっただけだった。この手で戦乱の時代に終息をもたらしたかった。オフェリアがいなくなったから、友である自分がやらなければと思った。
 平和になったその時、英雄と呼ばれるようになって初めて、名を名乗れると思っていた。

「全てこの世は夢、幻の類なり。野望も理想も、狂気でさえ、生への執着に違いない――――」

 ただ一人、それが無かった人物がいた。オフェリア。だから慕われ、そして本物の夢を抱いていた。



 フルジア軍に逮捕され、銃殺かあるいは監獄かと覚悟を決めたが、連れてこられたのは豪邸だった。デネボラ総督府ではなく、ディナヴィア・ハーバーと呼ばれる観光地にある邸宅だ。
 逮捕から三日間ほどはフルジア軍船の中で拘留され、デネボラ星に到着してから豪邸に移送された。ティアも理由はわからないらしい。先頭に二人、後ろにも二人。四人のフルジア兵に囲まれて豪邸に入った。遠く見える砂浜は美しく、フルジアでも最高級の保養地だった。
 白い浜の奥には湾口設備が整っており、スコアが乗せられた軍艦も停泊しているのが見えた。廊下の窓から景色を眺めていると、先頭の二人がドアをノックする。女性の声が聞こえた。ドアが開けられ、中に入るよう指示される。
 女性は三十代、中肉中背で長髪だった。顔はかなり整っていて、若く見える。椅子が二つ並べられており、彼女は立ち上がって座るよう示した。兵士が室外に出され、ティアが口を開けた。
「……シューベル、テレジア・シューベルさん?」
「ええ。何度か会ったこと、あるわね。二人ともどうぞお掛けになって」
 優雅な口調で着座を勧められ、おとなしく椅子に座った。武器は取り上げられており、安全だと判断されたのか、手枷が外された。この二人は面識があるようで、話が通じる。スコアは任せておくかと対談のスタンスを決めて煙草を取り出した。
「単刀直入に、まず一点目。ティアくんの身柄はソフィア条約によって保護されているわ。任務の内容から無力化を実行しましたが、決して危害を加えるためではないと理解してほしい。いつでも送還することは可能だから」
 ティアが礼を言い、テレジアが微笑んだ。きょろきょろと周りを見ながら、スコアは灰皿を探した。再会の挨拶を交わす二人を尻目に、机の上に置いてあった高級そうな灰皿をとって膝の上に置く。
「……ちょっとは落ち着けよ。じっとしていられないのか?」
「うるせえなあ。俺には関係ない話だろ、勝手にやってろよ」
 小声で隣から注意されるが、気にもしなかった。
「いいかしら、二点目よ。貴方、確かクンスト・ヴェルクだったでしょう。報酬を支払うから情報を提供してくれない?」
「不思議なことを言いますね」
「別に貴方が所属している組織に不利になる発言を強いることはないと思うけど。無料で教えてもらうのは何だか気が引けます。それに、ちょっとした個人的なことですから」
 ああ、とティアは何かを思い出したように呻き、頷いた。あまり興味は無い。どうして自分が連れてこられたのか、スコアにはよくわからなくなった。
「旦那さんはお元気ですよ。今は――――そう、ライン・ヴァルト地区を公園にするとかで造園計画を練っています」
 ソフィア市の北側には森林地帯がある。まだ開発の手が及んでいない地区で、一部を切り開いて蒼海鎮の訓練場に利用している程度だった。北東には史跡が数多く残され、そのうちの一つを修道院として使っている。フェリクス・シューベルが加わっているのは、この北区の北東を保護公園にするというものだ。
「あの辺りは訓練がてらに僕も足を運ぶことがありますが、修道院やら神殿やら城砦やらがたくさんある。その景観に負けない公園設備を作るには彼の力が要ります」
「史跡の保護とか、あの人が好きそうね」
「奪ってしまったようで申し訳ない話です。国境線を越えるくらいならいつでも助力しますが」
 シリウス人のフェリクスとフルジア人のテレジア。同じシューベルの姓を持つ二人。国境を挟んで別たれた夫婦というのが話の主題らしい。珍しい話でもなんでもないと思い、スコアは完全に興味を失った。俺たちは、死で別たれたというのに。
「――――それで、オフェリア様はお元気でいらっしゃる?」
 無知である。ティアは思いもよらない質問に戸惑いを見せ、こちらに振り返った。目が合い、伏せられた。煙草を灰皿に押し付けて消し、煙を吐き出したまま口を開いた。
「死んだぜ。二十日のことだ。病死だとさ」
 わざと軽薄な口調で言ってやった。言葉くらいは軽くしておかないと、自分自身が意味に押し潰されそうな気がした。軽々とした言葉はまるで実感が湧かず、心を平静に保ってくれる。テレジアは目を丸くして、それから細めてティアを見た。うな垂れるようなティアの態度に、真実だと悟るのだ。
 力なく、とすんと。テレジアは腰を砕いた。デスクとセットのチェアが無ければ床に崩れてしまっただろう。椅子に座った彼女は、しばらく無言で、机の上に置かれた書類を凝視していた。その目に文字など映っていないのだろうが。
「この人、オフェリアと親しかったのか?」
「ああ。財界に広い人脈があり、テレジアさんもその一人だった。計画経済導入のために市場を統制するにはテレジアさんたちの協力がどうしても必要だったから。何度か宮殿に来ているのを見かけたことがある」
「ふうん。それでオマエと面識があったのか」
 隣に座るティアが呼ばれた理由は把握した。自分の役割は、死を伝える死神か。思ってスコアは苦笑した。

 茫然自失となっていたテレジアの目に光が戻る。おとなしく座っていたティアがスコアを呼んだ。構わず窓を開け、穏やかな風が室内に流れてくる。レースのカーテンが風に揺れる。バルコニーの向こうには海が広がっていた。
 良い景色だ。そう思った。バルコニーを背に立ったまま二人の方を見る。三本目の煙草に火をつけたところだった。
「よお、何だってそんなにショックを受けるんだ。前の主君だろう、所詮。ゲオルギーネが死んだわけではない。フルジアは何も変わらない」
「ふん、誰だって心中ではオフェリア様の時代が良かったと嘆いているわ。そう思われることがわかっていたから、シャルンホルストと芝居をしたのに」
 おや、とスコアは思った。今まで、フルジアでのオフェリアは国を乗っ取りかけた悪者のイメージだと思っていたのだ。そうしなければ、英雄のまま去ったのでは、苦難の時に呼び声が高まり、ゲオルギーネの立場が無くなってしまう。
「今、国は滅亡への道を歩いている。はっきり言って、民は餓えている。数少なくなった富を軍と貴族だけが分け合って、一般民衆の生活水準は著しく落ちている。シャルンホルストはオフェリア様の残された富を必死に食い延ばしているが、有効な打開策を見つけられなければ滅亡の二文字だけがある」
 椅子から立ち上がったテレジアが、こちらを向いた。
「だから私たちは英雄を欲しているのよ。オフェリア様だけが、希望だった――――」
 激しい言葉だった。国家を憂う者の言葉。進退窮まり、滅びだけが見えている。人はその時、すがるのだ。どうか、誰か。助けてくださいと。
 矛先が自分に向かないようにしてオフェリアは去った。そして、もう二度と戻らない場所に行った。彼らは、きっと思っていた。いなくなるのは仕方が無い。だから望まないようにしよう。そして目的が達せられた時、ここに戻って来てくれるのだと信じていた。
「――――そうか」
 しかし、願いは届かない場所へ。全てを達したオフェリアは、空へと帰っていった。声も祈りも届かない天へ、光は落ちていった。
 間違いだった。オフェリアがフルジアにいたということは、運命がもたらす大きな歪みでしかない。なぜなら、彼はオフェリア・フォーレ。ルテティア・パリシオールムにあって、神々の住む楽園から人々を見守っている天使だ。
 ――――ならば。本来、機械都市に向かったのは、誰か。
「その願いを、叶えてやる」
 背後から風が流れている。滅亡への道を歩んでやる。どうせ滅びの未来ならば、運命に抵抗する役がいなくては。最期にぴったりだ、スコアはそう思った。
 フルジア。俺と共に、死のうではないか。
「ティア、ギルデンスターンを頼む。治療して刑務所にでも入れてやれ。俺はレグルスに入る」
 再び呆然とした表情のテレジアの向こうを、不敵な笑みを浮かべてスコアは見た。
「……アンタは、とことん悪役になるんだな」
「誰だって正義の味方になりたがる。悪役だと言われても、自分の力で正義になってやればいい」
 神よ、見ていろ。
 オフェリアの代わりではなく、これより、俺は自分の人生を生きよう。

 港から一隻の船が飛び立つ。ティアが乗った航宙艦をバルコニーから見送った。
 空は青。海も青。リゾートを眼下に、背後から伸びてきた手がカップを渡す。見たこともない飲み物だが、臆せずスコアは口をつけた。わずかに赤が混じった透明色の液体を嚥下する。甘みがじわりと口に広がった。
 酒か。フルジアの酒もなかなかだ。もう少し渋みがあるほうが好きだ、そう思いながらも二口目。やはり少し甘い。そして酸味が強いように感じた。
「フルジアの酒は甘いな」
 隣にテレジアがやって来て、同じようにバルコニーの欄干に手を乗せ、グラスを置いた。無言で瓶を出してくる。
「これは、特別。もう十六年」
「高いんじゃないのか?」
 瓶を受け取り、ラベルを見た。確かに星歴0316年と刻印されている。文字は読めなかったが、オフェリアと書いている単語があるように思えた。フルジア語などさっぱり読めないのだが、何となく、人名はわかる気がする。
「もらいものだから、値段は知らない。あのお方が好きだったリンゴの蒸留酒よ」
 翻訳することを諦め、グラスの横に隣に並べて置いた。
「十六年前の――――結婚式で」
 遠い空を見るような目で、テレジアは朴訥とした顔でこちらに振り向いた。ラベルには、きっとこう記されているに違いない。オフェリアと、ヴィオレッタと。十六年前の遠い日に結ばれた二人を祝して。

「祝ってやれなくて、すまなかったな――――」

 さらさらと、傾けたグラスから流れ落ちていく。この蒼い空に、赤い涙が流れていく。それは雲を貫き、海に注ぎ、やがて空に帰るだろう。
 もしも運命が違っていたら、俺は君の結婚式を祝ってやれただろうか。お前の新しい門出を、祝福してやっただろうか。束の間、そんな光景をスコアは思い浮かべた。きっと素晴らしい日々になったはずだ。それが迎えられず、悔しかった。
 グラスが手から落ちた。空へ、白い砂へ落ちて。不意にスコアは現実に戻された。隣からは泣く声がした。泣く女は、好きではなかった。女性はいつでも笑っていて欲しいと思った。それで、気付いた。理想の、夢のような世界では、ルーシャと出会うことも無かったのだと。
 現実は一つしかない。いくら夢を思い描いてみても、決して叶わない。叶ってはならないのだ。死を無かったことに、してはならない。そんなことに気がついた。されど、この身が死を超越して生まれているという矛盾。オフェリアの抱いた葛藤は、どのようなものだったのか。
 嘆き、悲しんで。絶望を味わって。それでも、人は前に進める。そんなことをオフェリアに教わった気がする。時が決して巻き戻らないように、生命はただ流れ、そして死に逝く。
「悲劇は終わった。もう、泣かなくていい」
 だから、人は願う。
 どうか明日は、より良き未来を。
「大丈夫。明日はきっと良い日になる」
 良い未来を手に入れる。この手で、掴み取ってみせる。スコアはそう誓って、青空を見上げた。
「貴方は、誰なのですか――――?」
 空に向かったまま、目を閉じた。風が心地良い。隣から聞こえる問いかける声に答えようという気になった。誰なのかと訊ねられたことは、今までの人生で、一度も無かった。だから、答えは不器用なものになった。
「スコア。レアティーズ・スコア・カデンツァという名前さ」
 俺という人間は、ここにいる。
 他の誰でもなく、他の何処でもなく、俺はここにいるんだと空に教えた。

 

 

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