
仕事を始める前に、必ず下に降りる。四歳になったルカの手をひいてアヤソフィアから下に、託児所へと子供を預けるのが一日の始まりだった。
そのままフライト・コントロールに入る。朝の九時。メンバーが揃うのを待つ間、リゴレットは窓の外に広がる宇宙を見ながら喫煙をする。これも、日常だ。そのうち司法のイザークが現れ、軍のティア、外務のフィア、財務のフェリクスにフェリーチェ、ハムなど、ソフィア・ビュザンティオンを動かす面々が集る。
揃ったところでアビゲイルが来る。雑談に近い会議を行って、情報を交換し合うのだ。コーヒーを飲みながら、談笑をする。アビゲイルがメールの受信を知らせた。アスワドからだ。
「ティア、アデレードのヤツはまだオレらを入れないつもりかよ?」
苛立っているのはリゴレットだけではなかった。イザークもフィアも、何より言われたティア自身もオフェリアとの再会を心待ちにしているのだ。リゴレットももちろん、会いたいと願っている。一人でここを背負うという不安。オフェリアに会えば、それが解消されるような気がした。
だが、アデレードが会わせようとしない。ルテティア・パリシオールムに閉じ込めているのだ。過保護すぎるアデレードのやり方に不満は募っていた。
「僕も言ったさ。いい加減にしろと」
今は戦場となっているレグルス星で、風雨による大規模な水害が発生し、リゴレットは即座にソフィア・レギオンの派遣を命じた。ティアが指揮をとって救助活動に当たったのだが、ここぞとばかりにアデレードが現れたのだ。いくら呼んでも顔さえ見せなかったアデレードと直に会話をするチャンスがあった。
「それで、何て言い返しやがった?」
「『貴方、家族でもないのにフォーレの家に口出ししないで』」
考えはまだ変わっていないらしく、居丈高に言う口調を真似てティアが報告した。
「まあまあ、アデレード様にはアデレード様の事情があるのでしょう。そんなことより、アスワドからの手紙ですよ」
苛立つリゴレットの文句を遮るように、アビゲイルが文章を取り出した。まずリゴレットに回される。アスワドからの手紙は二月に一度くらいの頻度で届く。内容は実にくだらないことが書かれており、ルテティアでの暮らしが目に浮かぶようだった。
声に出して、読んで聞かせる。まだ肌寒いルテティアには雪が残り、体を動かそうとしたオフェリアが派手に転んだ。滞在しているアマリアが雪玉を作ってアデレードに投げたらオフェリアに当たった。実にどうでもいい内容が、笑いと郷愁を生み出す。
妙に和むのだ。清涼感のあるイメージが、各自の頭に浮かぶ。アスワドの手紙は、煩雑な日常にリラックスさせる時間を与えてくれる。
「どこまでも運の無い男だな、オフェリアは。そろそろ可哀想になってくる」
笑って、和んで、余裕が生まれた。手紙をアビゲイルに返し、コーヒーを飲み干した。一日の始まりである。
1
新しく買ったエアー・バイクに乗って空を駆ける。朝の会議が終わった後、アヤソフィア宮殿から飛び出して空を走るのがティアは好きだった。
見下ろす街並みがゴーグル越しに見える。街は日々、進化している。まるで生きているように見えるのだ。陽光を浴びて輝く白日の摩天楼。一日たりとも、同じ光景にはならない。今日もどこかでビルが建てられ、人の息遣いが聞こえる。
レグルス難民を受け入れたことで、ソフィア・ビュザンティオンはますます規模を拡大させていた。人口、およそ三十五万人。遠からず五十万に達し、いつかは百万人が住み大都市になる。未来の百万人を幸せにするのが自分の仕事だった。
大きくなった。何もかもが、時と共に大きくなった。いつの間にか、ティアは三十歳を目前に控え、青臭いだけではいられないのだと悟った。夢も理想も、声高に叫んでいるだけでは駄目なのだと知った。こうして眼下に広がるように形にしなければ、ただ空虚なだけである。
夢を抱いた。ソフィアという大きな夢だ。リゴレットもイザークもフィアも、同じ夢を抱いているのだとティアは思っていた。世界を変える原動力になる。未来を、この手で作るのだ。例えば戦争を終わらせて平和にすること、例えば悩んで困っている人を幸せに出来るような力を持つこと。
ただ、ティアの夢は細かいところで彼らとは少し違っていた。過去はそれぞれに違うものだ。カミーユ人として生を受けた。リューヴに住まわされ、自由の羽を奪われ、被差別者に生まれた。暗く心の底でたゆたう感情がある。怒りに似て、恨みに似て、あまり表には出せないものだ。
カミーユ種ならば誰でも持っている。カミラは協和という道を選び、平和な解決策でより良い明日を作ろうとしている。カティアは過激な発想だったが、一気に自由をもぎ取ろうとした。どちらも正解であるが、どちらの道とも違う道をティアは行こうと思っていた。
金があるなら食べ物を買おう、力があるなら土地を奪おう、そして自分たちの楽園を作ろう。自由にこの世界に生きよう。そのために、何をすればいいのか。耐えず自分に問いかけてきた。
政治を知っているわけではない、学力が優れているというわけでもない。ただ、力があった。人を薙ぎ倒し、蹂躙する力だけがあった。暴力であり、暴威である。活かす道を見つけ、教えてくれたのがオフェリアだった。
精一杯、自分はぶつかればいいのだ。考えることはオフェリアがしてくれる。軍隊はリゴレットが動かして、治安はイザークが見て、外国とはフィアが話し合って、人々が政治をしている。同じ夢を抱いた仲間たちがこんなにいるのだ。自分は、自分の生きる場所で精一杯働けばいい。
見えてきた。蒼海鎮。あそこが、自分の生きる場所である。
蒼海鎮は千五百人の定員で成り立つ鎮台という部門で、兵務局に属する。五十人の中隊が十個集って五百人の大隊となり、大隊が学年でもある。入学資格は十八歳から二十七歳までの年齢制限しかない。士官学校と思われがちだが、実際は王都大学兵学部が士官学校に当たり、こちらはより実戦的なものを学ぶ。
所属も軍属であり、言うなれば志願制の軍隊における初期教育機関である。特に第三学年の成績優秀者三百名はソフィア・レギオン神兵旅団に属し、実際に戦場へ赴くこともあるだろう。ティアの仕事は、この蒼海鎮の指揮官で、神兵旅団では蒼海鎮百名を加えた五百名の歩兵大隊を指揮することだった。
第三学年はもうじき、卒業である。ティアは卒業試験の結果発表を行うため、講堂に足を運んだ。すでに整然と並んだ五百人の精鋭部隊が待っている。この五百人は、どこの軍隊に行っても恥ずかしくなかった。タイタン軍でも、リューヴ軍でも、目覚しい活躍をするだろう。
卒業後、軍属になる者には大尉の階級が与えられた。ACMFにおける大尉であり、中隊長を務める指揮官たちである。リューヴ軍に志願する者が全体の四割に当たり、後はカヴァレリア・ルスティカーナが多かった。ここにいる彼らの中には四年前のタイタン分裂のあおりを食って、ソフィアに移住してきた者も多い。ソフィア兵務局は一割ほど。実戦部隊の神兵旅団に配属されるのは、首席卒業者のみである。
合否を発表し、一人一人に証書を渡した。蒼海鎮第四期生。三割の人間はソフィアに残り、パーシヴァル・シュトラスブルクのカヴァレリア騎士団に残るか、あるいは兵務局職員になるか。また顔を合わせることもあるだろうが、目に涙を浮かべる者も多かった。
厳しい鍛錬だった。タイタン人が弱音をあげるほど、辛いものだった。ティアは心を鬼にして彼らを鍛え上げた。だから言える。どこに行っても、必ず活躍をする。必ず生きて戦場から帰還するだけの能力がある。誇りに思え。君たちは素晴らしい人間に育った。軍でなくともいい。社会に出て人の上に立つべき人間に育ったのである。
軍隊とは、ある意味で人間形成の場なのかもしれない。上下関係、そして生死を共にする友情は固く、一致団結して困難に立ち向かう精神を養った。きっと社会に出ても、それは役立つはずだ。そう信じていた。
「さて、いよいよ一人で世に立つ時が来た。友との別れに涙することはない。君たちの、蒼海鎮第四期生の友情は不滅である。ソフィアの蒼い海に育まれたことを誇りに思え、ここはいつでも君たちを温かく、そしてちょっとだけ厳しく迎えてくれるだろう」
涙の顔に、少し笑みが戻る。困難にぶつかった時、ここを思い出せ。そうすれば、どのような困難も簡単に見えることだろう。
「最後の命令を伝える。本日午後六時零分、アヤソフィア前に全部隊は集合せよ」
生徒たちがどよめきの声をあげた。これでようやく忍耐が終わった。そんな感傷に、ティアは水をかけた。まだ終わりではないのだ。そんな、と叫ぶ者までいた。もう忘れたいほど辛苦の時を過ごしたというのに、終わりはないのか。
「服装は自由、家族に夜を徹しての任務だと伝えるのを忘れるな。これは極秘任務であるから、誰にも喋ってはならない」
怒鳴るように言い放ってから、にやり、とティアは笑ってみせた。
「夜通し遊べる最後のチャンスだ。華々しい門出を手荒く祝ってやる」
騒ぐようにして家路につく生徒たちを見送る。これから軍隊に属する者は、異性と接する機会を失い、禁欲の生活が続くことだろう。せめて、今夜だけは。学生最後の夜くらいは楽しませてやりたいと思う。
第一期生の時から行っているパーティだ。極秘任務と称し、遊びまわる。これを知っているのは蒼海鎮の卒業生と、自分たちだけなのだ。言い出したのは、オフェリアだったような気がする。イザークに一日だけ、文句を言う口を開くことを禁止してあった。
ティアは蒼海鎮から出て、バイクに乗ってアヤソフィアに戻った。一度、家に帰って着替えよう。それから押さえてある式場を見る。黒いオベリスクから上を目指し、A5オフィサー・ルームに入る。アビゲイルを呼び出してバイクを上の駐輪場に戻すよう頼み、ティアは自室のドアを開けた。
軍服を脱ぎ捨てる。ゴーグルを投げ、クリーニングに出してあった衣服を目にした。
ぴこぴこと光るメッセージに気がついた。健康診断を受けろと書いてある。神兵旅団でやっている健康診断をまだ受けに行っていないことを思い出した。リタからのメッセージを眺めながら、健康にだけは自信があるぞと呟いてみる。
自動で作られた昼食を取り出し、テレビをつけた。あまり時間が無いので一人でランチだった。テレビからはレグルス戦の状況が流されている。リューヴや太陽系の報道と違い、ソフィアのマスコミは抜群の信頼性がある。
クリスタ市の攻防戦は膠着状態にあるようだ。南北に走る旧国境線を挟んでの対峙だったが、フルジア側の猛攻を受けて足止めを食っている。さすがに、シャルンホルストだった。被害の数だけならアンドロメダは負けているのだ。
モバイル・デバイスが鳴る。テレビの音を小さくしてから、受話器をとった。
「ヴァーグネル」
「よぉティア、レイフ様だけど」
「何だ、フュンフか」
ボリュームを元に戻した。レグルスの状況を見ながら会話をする。レイフはアリーと共にリューヴ軍に所属していて、ちょうどテレビ画面の向こうにいるはずなのだ。
「こっち、手伝ってくれないのか?人手が全く足りてないんだけどよ」
「断る。蒼海鎮がレグルス介入したらおかしな話になるからな」
確実な情報がレイフから流される。さすがに元クンスト・ヴェルク諜報員。レグルスの戦況を詳細に伝えてくれた。手助けが欲しいというのは、盗聴を考えた時の口実なのだろう。経緯から言ってソフィア軍に助力を頼むのはおかしなことではなく、断ることで中立性が明らかになる。
食い下がるようにレイフは言葉を続ける。メモを取りながら、ティアは時折、質問をした。クリスタ市はACMF四十万、フルジア軍二十万の兵力での奪い合いだった。艦砲射撃と光学兵器を使うことでシャルンホルストは兵力差を補っている。
上陸してから半年が経過するが、アンドロメダは被害を増すばかりだった。フルジア軍はクリスタ西部もろとも敵を吹き飛ばしている。ナーディル・アルダシールは核攻撃を考え始めたようだ。非人道的な攻撃は止めなければならない。
電話を切ってから、一気に昼食を胃に流し込んだ。フルジアの味方をするつもりはない。我々は、人の味方でありたいのだ。
2
A4展望室を貸しきってのパーティだった。蒼海鎮卒業生の手によってすでに飲食物が運び込まれている。ティアが顔を出すと、ハム・リーティアが嬉しそうに近付いて来た。蒼海鎮の第一期生に当たる。年齢にはまだ二十歳なのだが、特例で十五歳からの入学が許されていた。
年齢制限などあってないようなものだ。例えばバテン・カイトスのケフェウスは五十をとうに過ぎているが、二百年の寿命で考えれば、人間に換算して二十から二十五歳くらいだろう。ハムはリューヴ種だ。十五歳でも知能や精神は十八歳に達している。
美しい景観の広がるビジョン・ラウンジ。立食パーティだ。ネオンの灯が取り付けられ、準備は着々と進んでいるようだった。ハムと二人で歩き回って状況を眺めてみる。何も問題がないことを確認して、健康診断を受けようとしていたことを思い出した。
箱の上に乗った酒瓶を見る。それから、ハムを見た。
「ポチョムキンは、誰かが死ぬぞ」
「リゴレットが言ってたんです、少佐。それが無きゃ祭りじゃないって」
精製アルコールのような度数を誇る酒。髭面の中年男性が微笑むラベルを見ながら、無礼講かと思い定めて放置してみることにした。お調子者が、そう、ハムのような男が飲んで倒れるのが関の山なのだが。それも、パーティか。
踵を返してA2ハイジーニックスへ。リフトに乗ってフライトコントロールのあるレベルに出る。通路を伝って衛生管理局のドアを開けた。
白衣姿のリタが待っていた。先に連絡はしてあったのだ。小僧が着飾ってどうした、と嫌味な言葉で突き刺してくる。苦笑しながら、ティアは上着を脱いで上半身をむき出しにした。
「例のパーティさ。ほら、蒼海鎮の卒業式にやるやつだ」
「馬鹿騒ぎか。ワタシは、嫌いだ」
様々な検査を受ける。てきぱきとしたリタの指示に従っていると、あっという間に終わってしまった。別室に通され、しばらくするとリタが現れた。検査結果を待っているのだろう。部屋に残った彼女と二人きりで会話をした。
十八歳とは思えない分析力に、舌を巻く。真面目な話になるとティアには全くついていくことが出来なかった。マルガレーテ・シン・シャル・イシュクンのクローン。超がつくほどの天才児。驚きは何も無かった。凄いな、と感心するばかりだ。
「オマエももう三十になる。結婚などはせんのかね?」
「何だそれ、僕を誘っているのか?」
「そうかそうか、入院をしたいのか。任せろ、一番太いカテーテルを尿道にひねりこんでくれるわ」
まさに下世話な。そう言おうとしたが、やめておいた。本気で検査結果を捏造されかねない。
「そういう君こそどうなんだ。リタ、もう十八なんだから恋の一つや二つはしてるんだろう?」
「そんなモノしてるヒマなどないわ、阿呆が。そもそもワシを気に入る男なんぞおらんわい」
「とんでもない口調になってるぞ」
少し興奮した様子のリタをなだめる。研究の毎日だ。恋など望むだけで、叶うものではないのかもしれない。蒼海鎮の男子生徒にはそれなりに人気があるのに、とティアは思った。黙っていれば可憐な少女なのである。顔も、不機嫌そうな表情に隠れてはいるが、実は整った容貌をしているのだ。
「フン。所詮、愛情なぞ性愛に過ぎんわ。このワタシの天才的頭脳に匹敵する遺伝子があれば喜んで体をくれてやる。優秀な遺伝子をもらって妊娠すればよいというのが愛の正体だ」
「ロマンが無いなあ。君に匹敵する遺伝子の持ち主など、そうはいないだろうに」
「だから、無駄だと言っているのだ、阿呆が」
随分と検査結果が遅い。ますます機嫌を悪くするリタに訊ねると、そんなものは明日の朝まで出ないと言われた。
腹が立ったので、復讐をしてみる。リタをパーティの同伴に誘ってみたのだ。思うに、この少女は攻めるのは得意だが防御がまるで駄目だ。紙のような装甲を言葉で貫き、慌てふためく女医に別れを告げた。
アヤソフィアへ下って兵務局のオフィスに入る。レイフからの情報を伝え、国際情勢における軍事的行動を分析する。報告書に目を通し、レグルス宙域近郊でのみ軍事活動が活発化していることを再確認する。今のところ、他で大きな動きは無かった。
動向を注意しなければならないのは、太陽系だった。マクベス・ライル暗殺から未だ迷走を続けている。息子のセロは火星の兵力をかき集めて、独断でACMFに加わっているのだが、地球と太陽系の政治的な活動については混乱しているままだ。
すでに軍事力を失って有名無実化している太陽系同盟が、次にどう動くか。そのまま解体されるのが望ましいのだが、地球を中心とした太陽系は未だ政治的な繋がりを持っている。ユーロパやタイタンが地球の支配体制を打ち破れずにいる。
時計が六時に近付いた。ティアは報告書だけをまとめて、司令部に送った。リゴレットやイザークにも頭を使ってもらわなければならない。それから、オフェリアにもだ。一応、ルテティア・パリシオールムに送信はしておく。
鏡の前で着衣の乱れを確認し、再度、上へと向かった。A5展望室の前に、ドレスを着た少女が俯いて待っていた。
「――――何をしているんだ、リタ?」
悔し紛れに言ったことが、現実になってしまったらしい。ティアの言い分に烈火の如き怒りを見せるリタを宥める。平謝りである。まさか本気にするとは思っていなかった。というより、本当に来るとは微塵も考えていなかった。
「クソ忌々しいなッ。この駄目遺伝子め、阿呆が感染するだろ、近付くでない」
悪態をつく少女。最近は、この最低の言葉遣いが持ち味のように思えてならない。卒業生に率いられて、続々とやって来る生徒たちと目が合う。会場の入り口で謝る男と怒る女。状況を見た者たちは、時に笑い、時に冷やかし、そして背を押してくれた。
会場では音楽が鳴らされ、酒が振舞われ、宇宙という広大な海を背にパーティが始まっていた。集った生徒たちが寄り添い、笑い合って最後の時を過ごしている。
リタを隣に、人波を縫って歩いた。声をかけられ、激励の言葉を返してやる。感激するような表情を見せる生徒たちは、本当に愛らしかった。馬鹿騒ぎだと嫌悪感を見せていたリタもまんざらではなさそうな顔をしている。
「あら少佐、リタを連れて歩くとか凄い根性だね」
男性と踊っているリン・フェイが首を曲げてこちらに向いた。
「もっと褒めてくれ、そうでもしないと報われない」
地球軍を統括しているカーウェイ将軍の娘。修道院を出て蒼海鎮に入ったのだ。きちんと父親の承諾を得ての入学であり、余計な圧力が他所からかかることは無かった。このリンが、第四期生の首席卒業である。今後は共に仕事をするのだ。
「そうだ、リン。お楽しみのところ悪いが、ちょっと来てくれ」
バーの方へとリンを誘って歩く。用意していた神兵旅団の軍服を受け取り、見せてやった。上着だけを取り出す。蒼海鎮とも兵務局とも違う制服だ。最も人気があるのが、この神兵旅団モデルの軍服だった。白を基調としたデザインの服を見るなり、リンは満面の笑みをティアに見せた。
「歓迎する。神兵旅団の一員として、今後は背中を任せる。リン大尉」
上着を着せ、徽章をつけてやった。嬉しそうな顔で敬礼をしてみせるリン。まだ可愛さの残った仕草に、思わず頬が緩んだ。
「そういえば、アデレードと連絡はとっていたりするか?」
「アデーレと?はい、たまにですけど。今じゃすっかりアイドルですもんね。サイン欲しかったりとか?」
「違う。会ったりはしていないか?」
ふと思いついたのだ。アデレードの友人であるリンを通せば、ルテティアに行けるのではないか。
「お互い忙しかったから、会ってないです。去年の夏に一度、アデーレがこっち来た時は遊びましたよ」
くい、と袖が引っ張られた。考え込もうとした矢先に、リタが袖を引っ張ったのだ。振り返ると、女性のような顔をしたカミーユ人が立っていた。優雅に一礼をし、挨拶をして来る。顔を上げ、長いストレートヘアをかき分ける仕草を見せた。
「少佐、お礼を申し上げたいと思っておりましてね。旅団に推薦していただけたと」
実は、四期生の中からもう一人だけ旅団へ配属する人物を選んでいた。今年は二人が神兵旅団に入ることになる。リューヴ系のカミーユ人で、二位の成績で卒業した。マリユス・ブロスキという男で、通例での最年少入学に当たるエリートコースを歩いている。もちろん、旅団でも最年少である。
「お前は優秀だ。リンという豪傑と同期だったのが不運だったが」
例年なら首席卒業に匹敵する成績だった。カミーユ人の戦闘能力と、優れた指揮能力を有する男なのだ。このまま実戦の中で揉まれていけば一軍を背負う将にもなる大器だった。リン・フェイが異常なまでに好成績であっただけだ。
「彼女の才能には及びません。非才の身ですが、少佐の恩に報いるために粉骨砕身していく所存です」
「よせ。ガラじゃないことは言わなくていい」
「――――ええ、実は自分のために頑張りたいと思っていますよ」
目に暗い光がある。この男の欠点といえば、どこか冷たい印象の野心家であるということだけだ。容姿は端麗、智謀に優れて胆力もある。武芸もよくこなした一等の人物だったが、リゴレットは嫌っているようだった。
才能はある。だから推挙した。身内人事というわけではなく、むしろ毒を進んで飲んだようなものだった。一筋縄ではいかない。飼い慣らすのは不可能だ。もっとも、神兵旅団はそんな人間の集りでもあるのだが。
「そんな狼のようなお前に、期待している部分がある。まあ、好きにやることだな。ただ、僕やリゴレットには従え」
「勿論。では、またお会いしましょう。――――戦場でね」
涼しげに笑って、隣にいた女性を誘ってホールへ。鋭利なナイフのような印象。まだまだこの広い世界には、予想もつかない男がいるものだ。
宴も時間が過ぎれば、どんどんと人がいなくなっていった。酔い潰れる者もいれば、二人きりで消えていった者もいる。マリユスの姿を探したが、とうにいなくなっていた。
まだパーティは続いている。日付が変わってもなお、ムーディな音楽に酔いしれる若者たち。ティアはリタを連れて、例の高純度アルコールに倒れた者を抱えて医務室に運ぶことにした。後は若い者だけで楽しむといいのだ。
髭、髭と呻く若者をベッドに寝かせる。調子に乗りすぎてしまったのだな、とリタが呟いた。しばらくは酒など見たくもなくなる。ティア自身、過去に味わったものだった。介抱するリタの横顔は、不思議と不機嫌さがないようにも見えた。
医務室のガラス戸を叩く音がした。見ると、神兵旅団の大尉が立っている。ウィプサニア・カナリスだ。ドアを開けて入れてやる。どうやら自分に用事があるらしい。
「ティア、行きたまえ。ここはワタシに任せてくれていい」
「悪いが頼む。今日は付き添ってくれてありがとう、礼を言う」
気にするな、と凛々しく返って来る答えを受け、医務室を出た。歩きながら報告を受けた。
兵務局が救難信号を受け取ったとウィプサニアは言った。座標はレグルス星系とカニス・マヨール星系の間。おおよそ、ノティオンとレグルスの中間地点に位置するらしい。あのあたりに惑星は多いが、知能を持った生命は棲んでいない。
「リューヴ船籍の小型船艇です。今、乗員を調べています」
「時間は?」
「受信は今から十二分前。ACMFCに照会しているところです」
リフトに乗ってアヤソフィアに下り、急いで兵務局に入った。巨大なスクリーンには星図が描かれ、座標と惑星の位置を示していた。光点はフルジア方面へ向かっているようだ。
ウィプサニアが受話器を差し出してきた。ACMFCと連絡がとれたらしい。ナーディル・アルダシール中将です、と呟く声が聞こえた。すぐに受話器を耳に当てる。同時にツェルニーとの回線も繋げるように指示をする。
「こちらでも救難信号は確認がとれた。乗っているのは政府の視察船だ」
名前が表示される。視察団の代表はウル・アンナ・ネルガル・シャレゼルと出た。リューヴ政府高官の娘で、まだ若い。今年から外務省に務めている女性だ。ティアとは面識もあった。
「フルジア軍の攻撃だろう。あの近辺は敵軍が制している」
「すぐに大使館に連絡をしろ、ミュゼットを叩き起こせ。中将、救助活動を展開できますか?」
無理だ、と答えが返って来る。当然だろう。敵の勢力圏に支配された宙域に軍艦は出せない。ACMFCのツェルニーの回答は捜索活動を始めるというもので、いくつかの艦船と兵力を派遣するらしい。敵軍には見つからないように、小出しにするしかない。
しかしそれでは発見確率が大幅に減少してしまう。ミュゼット大使に連絡を入れ、人道的立場からの救出活動であるから攻撃をするなと伝える。そこまではティアの権限で行うことが出来た。
「信号はこちらでも追跡しています。ではネリグリッサル外交官の救助はACMF司令部と共同で」
ナーディル・アルダシールとの回線を切断し、ティアはようやく椅子に座った。信号追跡、宙域近郊の艦船の把握、敵対勢力の有無などを部下に調べさせる。かすかに、自分が酔っていることにティアは気付いた。感覚が少し鈍いのだ。
こめかみを小突くように叩いた。画面を注視する。ゆっくりと画面の右へ進む光点。
「少佐、少し眠ってもらって構いません。裁断が必要な案件が発生した時点で起こしますから」
隣にウィプサニアがやってきて、肩を叩いてきた。眠るべきか。瞬時に判断し、頷いた。
3
一度起こされ、光点が消失したことを知らされた。座標の特定を命じ、再び眠る。起きたのは朝の八時だった。六時間ほど眠ったようだ。
消失地点はドラド宙域にある惑星と断定された。生死は今のところ不明である。大使館からの答えはまだ無い。一度、船を進めたツェルニー軍が打ち払われていた。正式な外交ルートで申し込まなければ、単なる口実と捉えられてしまう。
少数での救出チームを派遣すべきか。幸い、フリゲート艦スカラ号を使えば一日で到達出来る距離だ。朝の会議で持ち出そうと思い、資料をまとめる。一度、トイレに立って顔を洗った。
A2フライト・コントロールに足を運ぶ。自分では気付かなかったが、相当な酒が入っているようだ。司令室に入ったのは午前八時四十分。いつものようにリゴレットが煙草を吸いながらコーヒーを飲んでいた。ただいつもと違うのは、リタがいることだ。
「おはよ、ティア」
「ああ、リゴレット。それにリタも」
「検査結果が出た。わざわざ持ってきてやったのだぞ」
そういえば、健康診断を受けたことを思い出す。全く、健康診断の四文字は常に頭から抜け落ちるように出来ているらしい。結果は全てがクリア。何も問題など無かった。
椅子に座って気持ちを落ち着けてから、先にリゴレットへ話を通した。緊急を要する事案であるが、今のところ、動ける状況ではない。大使館の応対待ちなのだ。ただ、夜までに回答が無ければチームを派遣しようと決めた。
会議が終わった後、もう一度、寝直すか。そんなことを考えているうちに、人が集り始めた。今日はそのままリタも出席するようだ。頭の中で誰をチームにしようか考えつつ、会議が始まるのを待った。
隣にイザークが座り、最後にフィアがやって来て会議が始まる。雑談の中で未明に起きた事件を報告する。緊急だが何も出来ない。答えは変わることがなかった。少なくとも夜までは安直に動くべきではない。ティアも同じ考えだった。
「あれ、またアスワドからメールですよ。あ、昨日の続きですね。長編のようです」
笑いながら、アビゲイルがデジタル化されたメールを手紙にする。こんな朝は、アスワドの手紙で始まるのもいいかもしれない。思ってティアは目を閉じた。リゴレットが読み上げるのを待つ。リタが意地悪く笑ってリゴレットを茶化す。
「おいおい、オフェリアからだぜ!」
目を開けた。リゴレットが手にした手紙をこちらに向けた。おお、と声があがる。オフェリアの字である。美しい筆跡が目に鮮やかだ。あの人はやることなすことキレイなのである。
「ひでェな、おい。『親愛なる海賊どもへ』だとよ」
「誰だってお前の顔を見れば海賊だと思う。残念だったな、リゴレット」
楽しみに手紙が読み上げられるのを待った。こほん、とリゴレットが咳払いをして間を作る。イザークが待ちかねたように、早くと言って急かした。同感である。オフェリアの声が、言葉が聞きたい。ティアは心からそう思った。
「『隠棲して静養を始めてもう三年目になる。サーシャの過保護ぶりには腹も立つだろうけど、何せ、久々に双子が揃ったのだから。見逃してくれると嬉しい。私もそろそろ暴れたくなって、サーシャに雪玉をぶつけてやった。見事に転んでしまったのだけれど。そちらもソフィアの中に閉じこもらず、たまには外に出てみるといい。特に、リゴレット。腹がたるんでない?』」
苦笑してリゴレットが読むのを止めた。うるさいな、と一言だけ文句。イザークが事実だろうと反撃し、さっさと続きを読むように指示した。
「『ここにいると、世界のことなど忘れてしまう。使命とか、義務とかを。とても大切なはずのもの。けれど、それは必ずしも必要ではなく、幸福と繋がるものとは限らないのかもしれない。愛する人たちと共に暮らし、笑い合って生きていければ、私は充分に幸せ。……こんなことを書くと、君らはサボってないで早く帰って来いと言うかもしれないけど』」
言わない。誰も何も言わなかった。もう充分苦しんだだろう。愛の無い絶望の世界で、道を迷ってばかりで、それでも走り続けたのだ。ゆっくりと休んでほしい。ただ、皆、寂しいのだ。
「『正直に言うと、こんなに私が遊んでいられるのは、君らがいるから。君たちの知恵、勇気、そして理想と夢、希望。それがあるから、安心して遊んでいられる。私は色んな世界を見てきたけど、君たちはこの世界中にあるどんな政府や団体より強い絆で繋がっている世界一のメンバーだから。だから、私はそこにいなくても笑うことが出来る。たまに、寂しく思うこともあるけど、再会を思うと楽しくなって不安なんかなくなる』」
褒められるのは、初めてかもしれない。オフェリアは決して褒めようとはしなかった。例えばシャルンホルストやアマリアは褒められた。それは、彼に学ぶ者だからだ。リゴレットやイザークは、部下であったが弟子ではなかった。自分のやり方、自分の生き方を持っていた。
生き方に意見をすることなど、誰にも出来ない。生き方は人それぞれに違うものだ。誰もティアの持つカミーユ人への思いを褒めることは出来ず、貶めることも出来ない。だから、オフェリアは褒めなかったのだ。
手紙はまだ続いていた。美しい言葉がリゴレットの口から発せられ、空気を輝かせた。激励されているような、諭されているような気分にティアはなった。静かな時間だった。まるでそこにオフェリアがいて、自分たちに道を教えてくれるような、そんな気分になった。
「『どうか、歩き続けて。時代は君たちと共にある』」
最後の一文は、そんな終わり方だった。息を吐いた。何か、体の底から力が湧き上がってくるような気分に陥る。やってやろう。自分の生き方を貫こう。決意。それがティアの体に満ちているのだ。
手紙が落ちた。おや、と思ってティアは視線を上げた。もう一枚。どうやら手紙は二枚あったようだ。
アスワドから、とリゴレットは言った。
「『庭で、オフェリア様が逝かれました。青空の下、ひとりで眠るように』」

Dear pirate
空が落ちる日。
夕暮れの空に降る星々のひかり。
君らは天に満ちる光を道標にして歩いた。
綺麗な輝きを目指して理想を求めた。
美しい煌きに誘われて希望を知った。
いつか叶える目標を夢にして、空には祈りを、星には願いを。
落日の刻。赤く染まる空と、藍に落ちる光。
宵が空を覆って、星が堕ちた。
それでも見失うな、道標を。
遺され、託された光を胸に抱けば、君らはまだ歩き続けることが出来るのだから。
水辺でアエラが笑っている、手を振っている。
もう十歳になったんだよ。信じられる?
無邪気な魂には救われるばかりで、日々は驚きと愛に溢れて――――
気恥ずかしいから、そろそろ筆を置くことにしよう。
どうか、歩き続けて。
時代は君たちと共にある。
Spring N.G.0332
Love,
Ophelia
4
時間が止まった。それも永遠にだ。
最初に動いたのは、落としてしまった手紙を拾おうとしたリゴレットだった。すり抜けていった何か。手紙を拾った手が、震えていた。誰にも気付かれないように心がけ、アビゲイルに手紙を返した。
冷静を保とうとした。自分に、こう言い聞かせる。リーダーは誰だ。今、ソフィア・ビュザンティオンを統率しているのは誰だったか。リゴレット・リエンツィ。自分自身だ。こういう時こそ、自分がしっかりしていなければならない。
まず何をすべきか。確認。情報を確認することだ。アスワドが勘違いをしたのかもしれない。万が一ということもありえる。だが、リゴレットの体はすぐに動かなかった。確認をしたくはない。もし真実だと頭が認識してしまったら、どうなるのか。
信じられない。半信半疑だ。これほど呆気なくオフェリアが死ぬなど、考えられない。しかしアスワドが嘘を書くとも思えず、オフェリア直筆の手紙にははっきりと死が書かれていた。
どんな思いであの手紙を書いたのか。自分の死を知り、覚悟し、何を遺そうとしたのか。思いは託された。ここに、遺そうとした。
我に返った時、司令室には誰もいなくなっていた。どれほど長い時を立ち尽くしていたのか。仲間たちはすでに今日を始めている。リゴレットは大きく息を吐き、そして吸い込んだ。アビゲイルを呼んでルテティア・パリシオールムへ通信を繋げる。
ユミルの女官が出て、待たされる。いつもはここで電話が切られた。だが、今日に限って、アデレードの顔がスクリーンに表示された。それだけで、リゴレットは情報の真偽を悟ってしまった。
「すでに葬儀も終えました。こちらに赴く必要はないわ」
冷たく、淡々とアデレードはオフェリアの死を口にした。生まれる感情がある。何かはわからない。怒り、悲しみ、全てがないまぜになって心を乱していた。
大きな喪失感だけがある。不安。思って、震える。オフェリアがいない。いないのだ。これからは自分がここに立たなければならない。三年間、実際に立っていた。しかし背後にオフェリアがいたからだ。話など出来なくても、後ろにオフェリアがいることで立っていられた。本当に困った時、助けてくれる人がいた。
また時間が抜けた。何も映し出さないスクリーンを見上げ、椅子に座っていた。茫然自失。どうすればいいのかわからない。そして、教えてくれる人は、もういない。
アビゲイルが現れた。通信が入っているという。繋がせた。今度はツェルニーが登場した。
「何ということだ……情報はフルジアの流言ではないのか」
世界が揺れている。はっきりと、リゴレットは感じた。ツェルニーも口を開いて呆然としている。誰でも、呆然とする。あってはならないこと、信じられないこと。今、世界が直面しているのはそういった負の奇跡だった。
「とにかく、だ。軍の衝撃は少ないと思う。ACMFとオフェリア様はあまり接点がなかったからな。問題はそちらだぞ、リエンツィ大佐」
「こちらも、問題はない。ネルガル・シャレゼルの救出チームの派遣と、フルジアとの外交交渉を始めています。交渉期限は午後七時。これを過ぎた段階でティアがチームを率いてそちらに」
知らずと言葉が口から漏れていた。思っていることとは逆に、言葉は出て来る。どうすればいい。頭では悩んでいても、体がどうすればいいのか答えてくれている。ツェルニーが頷き、通信を切った。次いでカルディアが画面に現れ、似たような会話を交わした。
緊急のメッセージも届いていた。リエンツィ伯爵をアルゴナウティカ艦長に任命するという内容のものだった。今までは、名前だけだとしてもオフェリアが責任者だった。名実共に、自分が頂点に立ってしまった。
メッセージの送信元はバテン・カイトスだった。オクタウィア。回線を調べ、対話を試みる。スクリーンには音声のみと表示がされ、聞き覚えのある声が司令室に響いた。
「オレを艦長にするということですが、いつまで?」
「適任が現れるまで。私たちもルテティアに向かいます。その後、ソフィアに寄るでしょう」
指揮系統をはっきりさせておきたい。まず思ったのがそれだった。
「後継者は誰に?」
「それが、決められていません」
オフェリアの子供がアルゴナウティカの長となる。まず考えられるのがそれだ。血筋ではアデレードかアエラの二人。聖侯爵の爵位を持つアデレードがやって来るかと思ったが、どうやら違うようだった。ベルベデーレは基本的に男性が継ぐもの。特に天宮は他の宮家と違って、女児が立てた宮ではない。
まず男児でなければこの船には乗らない。しかし男児がいないため、リゴレットが受け継ぐのだ。後継という意味では自分がそれに当たるのかもしれないと思った。
「家はどうなるのです?」
「フォーレ家はアデレードが継ぎます。ウリエルの名を。天宮は、最終的にはアエラに継がせるかもしれません」
幼年で、養育権はカティアにある。ごく一般的な生活を送っているはずだ。無理に母親から引き離し、皇族として学ばせることをオクタウィアはするだろうか。アデレードはカティアを嫌い、アエラを嫌っている。可能性はあるが、低いと判断する。
名だけ継がせるということも出来るが、一般人の中で育ったアエラに与えるのは不安はある。どこの誰が少女を担いで、ソフィアの正統な後継者であると名乗りを上げるかわからない。少しでも不安材料は無くすべきだ。となると、天宮は断絶ということになる。
「では、オレがソフィアを継ぐしかないということか。わかりました」
「お願いします。あの子も、それを望んでいたでしょうから」
不意に、実感が湧いてしまった。遺志。オクタウィアの言葉から、それを感じたのだ。もうオフェリアはこの世にいないのだと理解してしまった。それは悲しく、切なく、冷たかった。
情報がソフィア・ビュザンティオンを駆け巡っている。報道機関がオフェリアの死を発表し、世界に向けて発表されていた。
リゴレットは一通り、各国首脳と話し合った後にフィアを呼んだ。司令室にやって来たフィアの顔色はどす黒く見える。おそらく、最も付き合いが長かったのがフィアだった。気にかかることが二つある。フィア自身のことと、大使館のことだ。
後悔。フィアを見ていて、そんな二文字が頭に浮かんだ。フィアは後悔をしている。側にいられなかったことを、死を看取れなかったことを。なぜなら、彼女は従者だった。今までずっと、従者であるという姿勢を崩さなかった。最後の最後で、その職務を果たせなかった。
「アデレード・フォーレを許すことはないでしょう。オフェリア様を殺したのは、あの女だ」
痛いほど気持ちがわかる。会いたかった、とても会いたかった。しかし邪魔をする者がいた。アデレードにはオフェリアの死がわかっていたはずだ。わかっていて、自分たちと会わせなかった。
アデレードさえいなければ、死を看取ることも、側にいることも出来た。そう思うと、やりきれない。悔やんでも悔やみきれない。オフェリアが望んでいたもの。それが、最後の壁になってしまった。皮肉な話だ。欲しがってようやく手に入れた、家族の愛というものが。冷たい壁になった。
「一人だった、孤独だった。苦しんで、独りで苦しんで、最後がこれですか……?」
周りには誰もいなかった。ただ一人、アスワドだけが。その死に気付いた。孤独に死んでいったオフェリアは、最期に何を見た。
傷つき疲れ果てた先にある終着は、独りで朽ち果てるという運命だった。
「どうして、どうして、報われない最期を。大勢の人に見送られるべきお方だったのに――――ぃッ!」
「もう、止せ。オレたちが側にいても、何も変わらなかったに違いない」
運命は変えられない。オフィーリアという少女の夢は、曲げることが出来ない。双子だけが住まうという夢は、孤独な死で幕を閉じる。後悔してもいい、嘆いてもいい。だが、自責の念は持つべきではない。
自分の仕事。それは、ソフィア・ビュザンティオンを守ること。嘆いていては守れない。嘘でもいいから、強くあれ。断固たる意志だけが、この世界を守ることが出来る。
「フィア、大使館の動きを探ってほしい。報告をして、そのままカルディアを訪ねてくれ」
「何故?」
泣き濡れた顔が上がり、リゴレットを見上げた。フィアの涙。初めて見るもの。ここまで感情を出すフィアを初めて見る。
「アンドロメダ、いや、世界にとって大きな損失だ。オレたちは秩序を維持しなければならない。背骨が抜かれた世界では、互いに連携しなければ折れ曲がってしまうからな」
死で何かが変わる。決定的な何かが変わる。オフェリアというのは、秩序でもあった。最終的な拠りどころだ。それが無くなった今、暴走を始めることも懸念される。神の死んだ世界が、荒廃する。それを何としても防がなければならない。
「カルディアとのパイプは必要だ。オフェリアがいないと思い、ソフィアに攻め込もうとする者もいるかもしれない。あるいは、倫理的なことで違反する者も」
「――――そうですね」
消え入りそうな声がして、フィアが背を向けた。足音も、気配さえも殺して出て行く背中。任務を与えれば、それをこなす。フィアは一流のエージェントだ。与えられた仕事はしっかりこなす。それで少しでも気を紛らわすことが出来ればいいと思った。
痛い。何もかもが痛い。それでも、立って歩かなければならない。
昼過ぎ、午後三時頃に報告を受けた。大使館にパトリツィア・ミュゼット大使は不在であるというものだった。
大使館には権限がある。大使の命、情報を保護される権利がある。その特権を活かしてミュゼットは極秘裏にソフィアを脱してどこかに潜伏しているようだ。こちら側が無理に大使館を調べることが出来ない以上、狡猾に条約の隙間を狙った動きだった。
とにかく、これで大使館が何の動きも見せない理由が判明した。いくら待っても無駄である。人命を救うために、すぐさまチームを派遣しようとリゴレットは決めた。
ティアに連絡し、救出チームの編成を頼む。ツェルニーに状況を説明し、支援を依頼した。
今日一日、ずっと司令室にいる気がする。椅子から立ち上がった時、ドアが開く音がした。振り返る。イザークだ。今までどこにいたのか、リゴレットは知っていた。通常の業務を遂行していたのだ。保安の任務に当たっていた。
ニュースを聞いて暴動を起こす輩がいないとも限らない。普段と同じく、しかしいつもより厳しく、イザークは巡回を続けてソフィア・ビュザンティオンの治安維持に努めていた。ようやく踏ん切りがついたというところだろう。
何かをしていなければ、気持ちが折れる。リゴレットも夢中で動いていた。何をしていたのか、よく思い出せないのだ。ひょっとすると、とんでもないミスをしているのではないか。不安だけが大きく膨らんでいく。
「艦長就任、おめでとう」
ぼそりと呟いて、イザークは階段を上っていった。上はA1エリアである。施設はただ一つ。思い出してリゴレットはイザークの背中を追った。
階段の上にあるのは、艦長室だ。艦長しか入ることが出来なかったため、今まで誰も入っていない。三年前がこの扉の先に眠っている。そこに、オフェリアはいるのではないか。幻想に過ぎない希望だけが詰まった部屋だ。
「アビゲイルに言われて、部屋を片付ける。アクセスする」
機械音がして、扉が開いた。
何の感慨もなくイザークが室内に入っていった。続いてリゴレットも入る。ベッド、ソファ、少ない家具と並べられた制服。気密性が高いせいか、室内は当時のまま保存されていた。室内を眺めながら、ソファに座ってみる。周囲にある品々。その全てが、今では――――遺品と呼ばれるもの。
「私には出来ない」
立ち尽くしたまま、イザークが言った。こちらに背を向け、机の前に立つ姿。
「三十二だ。若すぎるし、早すぎる」
そのとおりだと思った。自分たちより、オフェリアは若かった。三十二歳。たった、三十二年間しか生きられなかった。それも、病でだ。自分ならきっと耐えられなかった。あんな手紙を残すことなど出来なかっただろう。
「死を、たくさん見てきた。いつの間にか私は慣れてしまっていた、人が死ぬということに」
庇ってくれた姉、偉大な先輩、親友、そして妹。たくさんの人間が亡くなった。自分もイザークと同じだ。気付けば、死という痛みに対して耐性が出来てしまっていた。名も無き兵の死も、大親友の死も等しくあるということを忘れてしまっていた。
「でも、耐えられない。こんなに悔しいのは、こんなに痛いのには耐えることが出来ない」
立っていられない。イザークは崩れ落ち、床に手をつき、声をあげて嗚咽を漏らし始めていた。
「生きていてほしい、また会いたい。ねえ、どうすればいいのリゴレット――――」
近付いて、肩に手を置いた。震えている。泣きながら、体が震えている。涙を自分に禁じた。強くあれ。そう自分に言い聞かせて、初めて見せるイザークの顔を直視した。
「ここには、意志がある。オレたちが忘れない限り、永遠に生き続ける」
自分の胸に触れ、それからイザークの頬に触れた。同じ夢を持った、同じ理想を追いかけた。自分たちが歩き続ける限り、オフェリアの意志は生き続ける。意志に貫かれた体に、そして心に、光は宿り続ける。
いつでもあいつは前にいる。その背中を、ただ追いかければいい。そうすれば、きっと望みは叶うはずだ。目指した未来を見ることが出来るはずだ。いつか過ごした時のように、三人で歩いていけば。
「想いは時と世代を越えて、いつまでも在り続けることが出来る。オレはそう信じているよ」
理想が叶った時、視界に広がる未来には、彼方に抱いたものが息づいている。
5
足音がして、リゴレットは振り返った。
三人の男女が部屋の前に立っている。ティアだ。もう準備は整ったらしい。目が合うと、覇気に満ちた表情で小さく頷いた。部屋に入り、救出チームの名を挙げた。マリユス・ブロスキとリン・フェイ。異存は無かった。
座り込んでいたイザークが顔を拭い、笑みを浮かべてソファに座った。片付けているところだ、とティアに説明をする。箱の中にわずかしかない私物と衣服を詰める。本当に私物は少なく、ここで過ごしたことが幻のようにさえ思える。
「なあリゴレット、夢は叶うものかな」
「知らねェな。叶わなきゃ、テメェで叶えればいい」
違いない、と笑って。ティアが背を向けた。何となくその背中に声をかけてみたくなった。部屋から出て行く間際でティアを止める。作業をする手を休めて、体ごと彼に向いた。
「神は死んだ――――が、まだ僕たちがいる」
首にかけたゴーグルを、ティアは装着した。見覚えのある品。あれは、オフェリアが昔、ティアに贈ったものではなかったか。その目を、見たことがある。身分を隠す、偽りの目。
背を向けたまま首だけを曲げ、ティアは口元だけで笑ってみせた。不敵な表情。そうだ。まだ俺たちがいる。どんなことがあっても、何が起きても走り続ける者たち。夢は一つ。互いに期した想いのために、走り続ける。
「ティア・ヴァーグネル。これより救出の任につく。後は任せた」
「ああ。気をつけてな」
三人を送り出し、リゴレットは在りし日を思い出していた。隣に視線をやると、やはり抱いた思いは同じなのか、儚い笑みを浮かべるイザークがいた。
神は、そして意志は、まだ死なずに空に残されている。
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