「アンタがケフェウスか?バテン・カイトス軍の?」 「――――ああ。そうだ」 ソフィア・ビュザンティオンのロビーにて。光輝く絢爛なエントランスを、物珍しげに眺める男。リゴレットは声をかけた。イザークも一緒だ。ケフェウス・デルフィニア=アンドロメダがバテン・カイトスから直々にやって来るという話を聞き、迎えるために下りて来た。 バテン・カイトスは未開の惑星だ。オクタウィア・アンドロメダが惑星の代表となり、カイアファたちベルベデーレが逃げ込んだ星ではあるが、軍事同盟に加わるほど近代戦闘を行える技量は無かった。ケフェウス一人が、かつてオフェリアに師事していたこともあり、指揮官として誘われていた。 「凄いところに来てしまったなぁ。早くオフェリア様に会いたい。知らない人ばかりで、どうも、落ち着かないんだ」 「悪いな。規則で外殻部に入るにはチェックを受けることが決まっている」 「その前に、ほら、ID出来上がったぜ」 受付で作られたカードをリゴレットは渡し、ケフェウスは見よう見まねで首からぶら下げた。まだ制服は貸与されていないが、軍の階級は大尉が与えられることに決まっていて、ソフィア・レギオンに配属される。千三百名の実戦部隊の指揮官である。 不審げにイザークがケフェウスの右手に注目する。握り拳で持った――――魚だ。 「ほら、土産だ」 「魚だな」 「シメサバだよ」 塩で締めた鯖をイザークに手渡し、チェックを終わらせた。やや戸惑いながらイザークが先導しようとし、ピタリと動きを止めてしまった。視線。ふと向いた先。混雑するロビーで迷子になっている少女がいた。 歳は五つか六つ。長い髪で、前髪が揃っていた。色は黒から濃紺といった感じだ。目が大きく、将来はきっと美人になる顔だ、とイザークは思った。幼年といえる歳のはずなのに、やけに表情が落ち着いていて、大人びた顔をしている。 迷子なら、見捨てるわけにもいかない。思い切って、声をかけてみる。 「お嬢さん、どうした?」 少女は、答えようとしなかった。後ろにいたリゴレットも興味を抱いたのか、覗き込むように美しい、珠のような少女に顔を近付ける。 あれやこれやと詰問しても、少女はぴくりとも動かず。最後にぽつりと、名前だけを言った。 「――――あえら」 「アエラ?聞いたことがないな……」
1 見た目はヒューマン。指の数は五本で、亜人種ではなかった。受付で生体チェックを受けると、人種の欄は空白になっていた。エラーだ。つまり、データベースにない新種ということになる。 出て来たアエラのIDカードを見ながら、イザークは小首を傾げた。ひとまずケフェウスの案内はリゴレットに任せ、この正体不明の少女をどうにかすることにした。ひょっとすると、諜報員か何かなのかもしれない。正体を隠すために種族を偽っている。ディファイアンスならそれも可能に思える。 「アエラ。パパかママは?どこから来たの?それともソフィアに住んでいるのかな?」 「ママといっしょ」 少しだけ、話してくれる。どうやら的を得た質問なら答えが返って来るようだ。再度、父親のことを訊ねてみる。 「ここで働いてるって」 「ソフィアでか。なるほど、読めてきた」 情報を整理してみる。アエラの両親はソフィアにいる。しかしアエラ自身はソフィアのIDを持っていなかったことから、外部の人間で居住しているわけではない。つまりだ。アエラは何らかの理由で外部に住んでいて、ソフィアへは両親を訪れるために来たのだろう。 「パパは、とっても偉い人」 情報が追加される。エントランスのソファに座りながら、整理を続ける。 この問題の解決は、父親か母親に会わせればいい。母を捜すより、偉い父親を探す方が早そうだった。ソフィアで偉い人と言えば、もちろんオフェリアが筆頭に上げられる。しかしあの男はパパというよりママとかシスターであるから、除外だ。 地球人には見えない。リューヴ系だ。サピリオ系にも見えなかった。リューヴ系の政府高官で、既婚者。そう考えると、すぐにでも見つかる気がした。 「じゃあ、パパを探しに行こう。お姉ちゃんも一緒に探してあげるから」 「……ん」 小さく首を縦に動かし、呟くように答える少女。可愛らしく、かつ、上品な動作に見える。お嬢様か何かなのだろうか。 手を握り、とことこと歩き出す。保安主任と一緒なら、どこにでも行ける。周囲の人波は、皆揃ってテレビを眺めていた。カルディア・ベルテシャツァルがリューヴ大統領を辞任を表明し、リューヴでは大統領選が行われているのだ。まだ選挙までは時間があるが、長期政権となったカルディアの後任を誰もが注視していた。 各デッキには転送装置というものがあり、フルジアのそれと原理はよく似ているようだ。イザークはアエラを連れて、エントランスのあるDデッキからBデッキに移動することにした。ちょうど、BデッキにはACMF司令官フィデリス・ツェルニーがいたはずだ。 フィデルっぽい。父が偉い人で、ソフィアにいる。リューヴ系。その情報は、何となくフィデルっぽかった。何よりフィデリスなら、娘を好んで呼ぼうとはしない。謙虚に辞退する姿勢を見せるはずだ。 あるいは、その近くにいる人間か。とにかく、フィデリスに会ってみようと決めた。
天宮船アルゴナウティカは二層構造である。AからFまで、六ブロックを繋ぐ外殻部は飛行する機能を備え、内層を切り落として航宙船となる。この航宙艦部をシャリオ・ガルニエと呼び、厳重なセキュリティが敷かれている。一般人が入ることは、不可能である。 内層は都市部と呼ばれ、ソフィア・ビュザンティオン市がある。七区画で区切られ、外殻部とはD1中央下部昇降口、E1船首昇降口、F1船尾昇降口から入ることが出来る。人の移動はD1のエントランスを通して行われ、巨大な貨物などが船首・船尾から搬入される。 中枢にはA7アヤソフィアがあり、これは事実上の行政府だ。最上階は外殻部と繋がっており、さらに屋上には巨大な宮殿がある。都市部は高度で四階層に分けられ、それぞれの界面とアヤソフィアが繋がっている。レーゲン界面、ルフト界面、ヴェレ界面の三つは外殻B、Cデッキにある格納庫に繋がり、現在はシューベルティアーデのホテルが立ち並んでいる。 全長一万八千メートル、全高は一万二千メートル、全幅一万メートル。都市部は百二十平方キロメートル。乗員数は数え切れない、世界最大の航宙母艦。以前までその栄誉を担っていた超大型指揮専用艦ゲルトラウデ・ネブカドネツァルでも全長は六百六十六メートルであり、そのネブカドネツァル級航宙艦を百二十隻収容することが外殻部のハンガーでは可能だ。 過去にダメージを受けたBデッキも、さすがに三年も経っていれば完全に修復されている。右舷のBデッキは主に外国軍に貸与している。左舷のCデッキが兵務局で利用している軍事施設だ。もちろん、イザークはその全てを把握しているが、ソフィアの職員全員が把握しきれる情報量ではなかった。 「しっかりとついてくるのだよ。ここらは迷いやすいからね」 リューヴ軍兵士に訊ねると、フィデリスは右舷カタパルトにいるらしい。新造軍艦の建造を確認しているのだろう。イザークは少し強めにアエラの手を握り、ハンガーからカタパルトに向かって通路を歩いた。右舷だけでとにかく巨大な軍事施設だが、通路を迷わなければ何も問題はない。 階段を上って、右舷管制塔に入った。窓ガラスの向こうにはカタパルト・デッキが広がっている。カタパルトにも三階層があるが、ここは中層に当たる。船艇がいくつか、ハンガーにではなくここに係留してあった。その中の一つに目を引く巨大な母艦がある。 アエラは壮大な風景に目を奪われ、とことことガラスに寄って額を押し付けていた。微笑ましくそんな光景を見守ってから、椅子に座っていたフィデリスに近寄る。 「やあ、見てくれイザーク中佐。大きいなあ」 まるでアエラと同じである。子供のように目を輝かせて、来年就航予定の新型艦を見つめている。329年式光壁搭載型航宙母艦デウス・エクス・マキナ。ACMFの旗艦となるべき船だ。 昨年から目下、ソフィア・ビュザンティオンでは軍艦の建造が急ピッチで行われていた。カナリス中将率いるアルフェラツのリュケイオン大学がガンマ線バーストによる電磁障壁の中和、解消に関する研究を実用化させ、軍艦に搭載することが早急に求められた。 戦費はリューヴと地球が捻出し、ティールとイオの鋼材をかき集め、ソフィアとムリフェインの研究者が集い、アンドロメダ・クラスター全域の力を結集させて行われたイージス・プロジェクトは、世界各国に新型艦を提供することに成功した。 デウス・エクス・マキナはその粋たるもので、この大型艦を持ってプロジェクトは完成する。その時、いよいよフルジア帝国へ大々的な反攻作戦を展開することが出来るのだ。 「これは、夢なのだよ。この船が、アンドロメダを希望へと導いてくれる。そんな気がする」 「随分とロマンチストですね、大将」 「ああ、夢見ていたい。ここに座ってアレを眺めているだけで幸せになれる」 「ところで、大将。あの子を知っていられますか?」 本題に入る。フィデリスは目を新型艦からアエラに向けた。長い髪の後ろ姿。ガラスに反射する少女の表情は、わずかに緩んでいた。そんな愛くるしい少女を、彼は知らないと答えた。 「君の娘ではなかったのか?」 「……将軍、私にあれほど大きな娘がいるとお思いか?」 「君は自分の年齢を忘れたのかね」 今年で三十になる。確かに、六歳前後の娘がいてもおかしくはない。イザークは苦笑しながら、気持ちだけはいつまでも若い、と思うことにした。
軍営に立ち寄る。アンリ・ベルティエの師団が前線から戻り、兵舎の前で訓練を行っていた。中隊ごとにランニングを行っているようで、広い軍営を走り回っていた。常に訓練を欠かさず、その姿勢もだらけているように見えて、隊列に乱れは無かった。 リューヴ系の種族なら、リューヴ系の軍団に聞いてみよう。そんな簡単な思いつきでベルティエ隊を訪れる。 「アリー・アッシャール。士官室を確保する。ベルティエ中佐を連れて来い」 「人、遣い、荒いんだよテメェは――――!」 ランニングしながら通り過ぎていくズィーベンに命じ、息も絶え絶えに反応を示したのを聞いてから、兵舎を背に士官室のあるレベルへ向かう。B3レベルのアクセス権限なら、イザークにもある。使われていない部屋を見つけ、そこを確保する。 B、Cデッキの軍営には士官用の個室が備え付けられていた。兵舎には兵卒が宿泊することが可能で、そこは大部屋になっている。現在はACMF司令部の三万とベルティエ隊二万が駐留しているが、士官室にはまだ余裕があるようだ。 ソファ、寝具、電化製品が一式揃っている士官室は、手軽に住むことが出来るよう設計されている。時計を見る。午前十時になろうとしている。イザークは冷蔵庫を開けながら、朝食の有無を訊ねてみた。アエラは反応を示さなかった。食べたか食べてないのか、よくわからない。 「他に、飲みたいものとかない?」 「――――ラムネ」 「ラムネ?」 聞き覚えがない。悩んでいると、アビゲイル・リーティアがドアを開けて出現した。室内にいきなり現れることも出来るが、どうやらアエラに対して配慮をしたようだ。 「リューヴ語ですね。レモネードのことです」 「ああ、なるほど。悪いがアリーにでも言って用意してくれるか?」 「はい。アエラちゃん、ちょっと待っててね」 やはり退室する時も、きちんとドアから出て行き、消えた。 しばらく待っていると、制服を着た好青年と瓶を持ったアビーがやって来た。アリーはまだ訓練中なのか、姿を見せなかった。アビーは瓶をイザークとアエラの二人に渡し、にこりと微笑んで見せた。どうやって飲むのだろう。イザークが悪戦苦闘をしていると、隣に座っていたアエラが嬉しそうに瓶を抱えた。 「しかし、瓶とは。またレトロな」 「Aデッキにラムネ製造機があるんですよ。昔の機械なので、今の清涼飲料水メーカーのカップに対応していなくて。あら、アエラちゃん、お上手ですね」 きゅぽん、と開封するアエラ。何か栓抜きのようなものを手にしていた。イザークが自分の瓶も開けてくれるように頼むと、嬉しげに瓶を受け取って栓抜きを当てた。きゅぽん、と音がして球が落ちる。それから炭酸水らしい効果音が聞こえてきた。味は、レモネードだ。 「さて、ベルティエ中佐。この少女を知っていますか?」 「……見覚えはありませんね。記憶にも。その子が、何か?」 「正体不明なのだ。父親が乗船しているようだが、探しているのです」 レモネードをこくこくと飲み続ける少女を見ながら、ふと、考える。古代リューヴ語を喋る少女。翻訳機の表示には、現代リューヴ語の表示が出ている。リューヴ圏で広く使われている言語で、ベルティエもズィーベンもアエラと同じ言語を使っている。ただラムネという言葉だけが古代語で、アビーにしかわからなかっただけだ。 「やや、カミーユ訛りがあります。その髪色といい、カミーユ人という可能性は?」 「確かにカメリア人なら多数が在住している。その可能性が一番高いかな」 しかし、カメリア人男性というだけで、この船には何万といる。むしろニューレイスやサピリオ人などの方が探しやすい気がした。貴重な情報ではあったが、手がかりにはなりそうにない。 「他に、何かありませんか?」 「ううん、どうでしょう。古代リューヴ語は普通に生活していれば馴染みの無い言葉です。親がリューヴ語の研究職、とか?」 「……あるいは、父親か母親がリューヴ人である可能性もありますよ」 ぽつり、と。アビーが何気なく漏らした一言。それはとてつもないヒントに思えた。
2 「馬鹿か、貴様。私のどこに男性器があるというのだ」 授乳中の新婦は明らかに機嫌を損ねながら、息子を抱いて眉をつりあげる。 「お前はオフェリアの妹なのだろう、だったらあってもいいではないか!」 「黙れ!ならば目の玉広げて凝視してご覧!」 息子を抱いたまま、立ち上がった姿。手早くパンツのホックを外して下半身ご開帳。馬鹿なのはとても遺伝だな、と素直に思った。オフィーリアの血とはある種、呪われたものなのではなかろうか。 「……何をしているのかな、ルキ。ついでにイザーク。オレが上に行ってる間に世界はどうなっちまったんだ?」 A5レベルに設置された上級士官室。ここにリエンツィ夫妻は住んでいて、イザークも上級士官室の住人である。さながら、高級マンションに似ていて住み心地はトップクラスだ。オフェリアとカティアや、フェリーチェなどは都市部に家を構えているが、フィアなど上にいることが多い者はここを利用していた。 「リゴレット、紹介しよう。アエラちゃんだ」 「ロビーにいた子だろ。それはわかる。親を探してるってのもわかる。しかし今が!この状況がわからねェ!」 「――――遺伝だよ、遺伝。多分な」 とりあえずルキア・バルカに服を着るように命じ、夫妻と向かい合って問題解決に挑む。 リューヴ人の親、というのは考えつかない。リーティアではなく、フォーレでもない。ハイネの娘は他ならない自分であったし、後はアルエくらいなものだ。しかしアルエがソフィアに関係が深いかと問われれば疑問である。 となると、イコライザーやエヴォルブ・オフィーリアではないかとイザークは推論を立てた。 「赤ちゃん、かわいい」 唸る三人組。その間をとことこと歩く天使がいた。アエラはルキアが抱いている赤子に近付き、おそるおそる見上げた。触ってみてもいいですか、ということらしい。言葉にしなくとも通じるのか、ルキアは頷き、アエラは赤子に手を伸ばす。 「かわいいです。ふにふに」 「……なんか。どっかの誰かに似てる気はするんだがなあ」 「その誰かが出てこないのだ」 誰かに似ていると思う。しかし、それが誰なのかわからない。
アヤソフィアから出て、街に赴く。車両を用意して目指す先は西区にある青海鎮だった。 空を走りながら、真下の光景に心を奪われている少女の横顔を覗き見る。色の白い肌だ。細やかで、美しい。きっと美人に育つだろうな、と何となく考えた。 蒼海鎮の敷地に入り、車両を待機させた。セーラー服に身を包んだ生徒たちが目に入る。何故だか可愛いと評判で、女子生徒が入学を希望するケースも増えているのだとリゴレットが言っていた。きちんとした士官の戦闘服をファッションと思われているのが、どこか滑稽だった。 しかし、それには理由がある。オフェリアのせいだ。蒼海鎮に限らず、政府職員は制服を着用する。一般の公務員はフライト・アテンダントに似た紺色の制服が支給され、カティアやフィアが着ている。体のラインが映えるようなデザインで、首に巻いたスカーフが印象的だった。 軍服のデザインも面白いものだった。尉官はセーラー服、佐官は政府職員と似たデザインだが、スカーフではなく水色のネクタイが支給されていた。今現在、イザークが着用しているのもそれである。ソフィア軍はフィアの統括する総務省の下部組織であり、兵卒はなく全員が士官で構成されたエリートだった。 総務省兵務局。人員はおよそ一万人を確保しているが、ほとんどがデスクワークに従事している。開発局と連携して土木作業などを行っているが、二千人は実戦部隊として訓練を施されていた。 神兵旅団と名付けられた二千名はフルジア兵三百、リューヴ兵一千、蒼海鎮から三百、イコライザー五十名程度と、通信業務などを行う兵務局員三百五十名で編成されていた。イザークの知る幕僚のほとんどがこの旅団に関与し、イザーク自身は旅団司令部の参謀を務めている。 この神兵旅団が、ひどく人気を集めている。オフェリアが発案した軍の美化が成功しているのか、格好の良い軍服と可愛い制服に身を包んだエリート士官たちの集まる蒼海鎮は、進学希望者を集め、その選別に忙殺されているような状況だ。 軍人たるもの美しくあれ、などと。よくわからない発言をするオフェリアではあったが、確かに整然と行進をする青海鎮の生徒たちは見栄えが良かった。アエラもまた、見惚れるように彼らを眺めていた。 「待たせた。今年は忙しくなりそうでね、入学希望者が千名を超えたよ」 門のところにティアが小走りでやって来た。定員のおよそ二倍に達している数を口にしながら、アエラの方をちらりと見た。 事情を説明し、車に乗せる。音を遮断しているため、運転手に話し声は聞こえない。助手席に乗ったアエラも、こちらの声は聞こえていないだろう。 「僕の子じゃない。見たところ六歳くらいだろ。僕が二十歳の時の子になるけど?」 「そうだな。いや、そうではないかと思っていたが」 ティアが二十歳の時、フルジアにいた頃になる。仮にフルジアの女性との間に子供がいたとしても、現状でアエラがソフィアを訪れるのは不可能に近い。 星歴0322年。ちょうど――――オフェリアが結婚した年だ。 「……まさか」 何かが、閃いた。今まで、父親を探していた。しかし、それはひょっとすると、間違いなのではないか。 「オペラさんの子供だと?」 「違う。そんなはずはない。そんなことは、起きるはずがないのだ」 オフェリアは、子供の作れない体だ。ルキアは特殊な方法を使って懐妊したが、その方法さえオフェリアには許されていない。ルキアはオフィーリア・クローンから卵子を提供してもらった。しかし、オフィーリア・クローンから精子を受け取ることは不可能だ。なぜなら、オフィーリアは女性である。 「いや、可能性としてはゼロではない。しかしゼロに限りなく近い数値だ」 子供を作る機能だけは残されている。ただ、あまりにも異常すぎて、可能性は限りなく、低い。奇跡のような確率を考慮するより、身近な答えがそこにはある。 「じゃあ何に気がついたんだ?」 「カティア・フレーニだ。カティアは星歴0321年の暮れまでシリウスにいた。翌年に生まれる子供がいたとすれば、それはオフェリアの子供ではないと思う」 結婚したのは夏だった。オフェリアのことだ。そう簡単に体を許したとは思えない。あの男のコンプレックスは相当なものだ。カティアの前で、肌を見せるようになるまでには時間がかかるはずだ。シャルンホルストも言っていたではないか。オフェリアとカティアは最初、お互いに距離を置いていた。立場がそうさせたのだと。 だとすれば、カティアの子供はオフェリアの子供ではないのではないか。少なくとも再会から二ヶ月以内に妊娠していなければ、星歴0322年に子供は生まれない。そしてその可能性もまた、ゼロに等しい。 「まさか。それこそ、無い」 「言い切れるか、ティア。お前しか知らないことだぞ」 「カティアさんはずっとオペラさんのことを想っていた。他の誰かに身を許すとは、思えない」 「しかしカティアしかいない。カティアなら娘にリューヴ語を教えることも出来た。そして両親揃ってソフィアに住んでいるとなれば」 婚前。カティアを好きだった男がいたはずだ。 それは彼女の幼馴染。最も近しく、最も好意的で、オフェリアを嫌っているあの男だ。 「フェリーチェ・パヴァロッティだ」 「――――可能性はある、けど……」 これが、オクタウィアの言っていたオフェリアの悲哀なのだろうか。このスキャンダルが、全てを滅ぼしてしまうものなのだろうか。いつか必ず別離するといったオクタウィアは、このことを知っていたのか。
3 昼をユーリヤ学園の近くでとった。レストランは女生徒に人気なようで、テレビでやっていたのを見た。食事には恬淡としていたイザークだったが、たまにはこういうのも悪くない、と思っていた。 アエラは満足そうな顔で昼食を食べる。食べ終わったイザークは、ただゆっくりと食事を進めるアエラを眺めていた。目鼻立ちは、母親似だ。食べるのが遅いところなどは、オフェリアに似ている。しかしそれでも、父と娘にはなりえない。 それは、きっと絶望。オフェリアを悲しみの底に叩き落す絶望だろう。 「ごちそうさまでした」 見ると、アエラは手を合わせて食事を終えていた。どれほどの時を思考に耽っていたのだろう。ウェイトレスが皿を片付ける光景を眺めていると、背後に見覚えのある人影が映った。まずい、と必死にアエラを隠そうとし――――派手にテーブルクロスに引っ掛けた。 豪快に倒れるテーブル。飛び散る食器。客の全てが、こちらを見ていた。 自分の間抜けさを呪う。慌てても何もならないことを痛感しながら、こちらをにやにやと見つめる女を見据えた。 「見苦しいわよ、セリア。ほら、こっち」 アデレードに誘われ、ウェイトレスに謝ってから彼女のテーブルに向かう。いつまでもその場で立ち尽くしているわけにもいかなかった。 彼女のテーブルにはカーウェイ将軍の娘であるリン・フェイと、ウル・アンナ・ネルガル・シャレゼルがいた。 「ああ、君で良かったアデーレ。一瞬、オフェリアかと」 「なに、セリア。ルートヴィヒにやましいコトでもあるのかしら?」 上機嫌にいやらしい微笑を浮かべる聖女。というか何でここにいるのだ。 「すみません、イザーク中佐。アデレード様がどうしても、と」 「そうだよ、悪いのは全部アデーレのせいだよ。ウチら悪くないし、ウラーナを叱らないで」 「ネルガル・シャレゼルに罪はなかろう。問題はリン、アデーレの二人だ。オフェリアに言いつける」 二人のいる女子修道院の戒律に反している。質素やら清貧やらを重んずる修道院では、許可のない外出は認められず、なおかつ、女子大生の集まるレストランで暴食したと知れば、院長は厳しい罰を下すことだろう。 ひとまず、オフェリアにバレる心配はない。一つだけ交渉の条件に成り得る弱みを握り、イザークはようやく椅子に座った。 「わかったわよ、ルーには言わない。貴女も言わない。それで話を聞こうじゃない」 「ありがたい。リンもネルガル・シャレゼルもそれで頼む。オフェリアにだけではない。他言無用だ」 念を押す。それから、アエラを紹介した。 「もしもだ、アデーレ。君の付き合っている相手に隠し子がいたら、どうする?」 これはもしもの話ではない。ただ双子の姉と妹を入れ替えただけの話。それをアデレードもわかったのか、こちらが望む回答を茶化さず、即答してくれた。 「男なら考慮、女なら殺すわ」 友人二人が、シンとなる。この非情さを理解しかねるのだろう。 王族、あるいは名家とはそういうものだ。子孫を残さなければならないが、血の拡散は望まない。男児ならば、考える隙も生まれるかもしれない。養子にして、家を保つことに苦慮する可能性もある。しかし、女児なら。結婚していずれ家を出て行くならば、生かす価値さえない。 「――――もっと軽く言え。周囲がドン引きだぞ」 「セリー?答えてほしいの、欲しくないの?どっちー?」 「前者である。もっと穏便な答えで」 「そうね、別に生かしておいてもいいけど。でも難しいわね。馬鹿るーの娘でしょ。完全に身分を隠して、世間から隔絶して育てなければならない。そうしないと、後継者って問題でややこしくなるし。少なくともその子にはこのアルゴナウティカを相続する権利がある。さて、この船の所有者は一体どんな権利を有するでしょう?」 ソフィア・ビュザンティオン市、そして外殻シャリオ・ガルニエ号の長だ。単なるオーナーなのか。オフェリアの資産、所有物、その全てを相続するには、それなりの力が要る。知識、教養、学ぶことは数多い。無知なままで継げば、その力は自らを破滅に、そして他者をも巻き込む。 「ま。ワタシ様なら後継者にしないケド。だから、世間から隔絶して知らない場所に閉じ込める。出てくると厄介だもの」 「そうだな、それがいい」 「でもルートヴィヒは馬鹿だから、そんな薄情な選択はしないでしょうね。たとえ血の繋がりなど無くても、あの人にとって子供というのは特別な意味を持つはずだから」 「……そうだな」 一言だけ余計なのだが、アデレードの言葉はさすがに説得力があった。イザークたちがあれこれと心配するよりも、この人物に訊ねるのが一番だ。 「――――アエラちゃんは、どうしたいの?」 ふと、アデレードが優しげな声を出した。いつも不機嫌そうな、あるいは妖艶で憎たらしい声の持ち主が、こんな優しく甘い声音で語りかけられるのかと驚く。そっと隣を見てみると、アエラはアデレードをじっくりと凝視していた。 「あの、おばさん――――」 「……だぁれが、オバさんだこのクソガキが。この世から消えたいのかァ?」 気の迷いだったようである。魔神アデレード・フォーレは眉を寄せ、思い切り少女を睨みつけながら暴言を口にする。お門違いな暴言だ。 「叔母さんだろう、確かに。オフェリアの妹ならな」 「認めねー。絶対、認めねー」 「あの、あのっ」 「もしもーし、皆さん。お呼びですよー?」
――――三人一緒がいい。 それがアエラの願いだった。家族が揃って暮らせれば他に何もいらない、と。健気な少女はそんな簡単で、届かない夢を語った。 結論は出た。娘は一緒がいいと願い、父もそう願っている相思相愛。それを邪魔することなど、何人にも許されないのだ。父親を迎えて、母との暮らしを続ければ、彼女の夢は容易く叶えることが出来るではないか。 それでも、最新の注意を払おうと考える。カティアとフェリーチェの娘と、オフェリアを会わせる。情報が漏れれば、とんでもないスキャンダルだ。 どんな絶望さえ、オフェリアは笑顔で迎える。罪など、無い。そう言って、絶望さえ抱きしめる。 たとえ悲しみで満たされたとしても、オフェリアはアエラを認める。そんな気がしていた。だから迷ったのだ。しかし、止める権利はない。全ては、あるがままに。 「凄い。すごくキレイです」 ソフィア・ビュザンティオンが神聖リューヴ時代の遺跡であることの象徴。剣を象ったオベリスクの先端、ちょうど剣先に当たる部分はアヤソフィア天宮殿がある。 空の京。 昼と夜の狭間。空と地の境界。見下ろす光景は真昼の空と雲、見上げる風景は夜半の空と月。 百メートルはあろうかという柱。崩れ去った門の跡だ。六つの柱を抜けると、聖堂へ続く階段があった。柱と柱の間にはところどころ壁画のようなものも残っていた。アエラは古代遺跡のような風景を眺めながら、大聖堂へと入っていく。 中も巨大である。ホールは横から光が射しこみ、美しい装飾と内装を映す。宮殿というからには、たくさんの部屋がある。それも豪華に飾られた、オリュンペイオンにも負けないほど豪奢なものが。さらに奥へ続く回廊を進んでいくと、声が聞こえた。 観光客は、いなかった。昼下がりの天宮殿。大聖堂にはこちらに向く二つの人影があった。ドーム状の天井、アーチのように四方の壁面上部が飾られている。人はまず、その巨大さと、豪華さに目を奪われる。 それでも、アエラは目の前の人物を凝視していた。アデレードに懇願するような目でだ。 「アスワド、警護はイザークがいるからいいよ。下で待っていて」 「はい。では中佐、よろしくお願いします」 こちらに戻るところだったのか、そのまま歩いて来る。警護のアスワドはイザークたちを横切って聖堂から出ていった。その後ろ姿を見て、顔を戻そうとした時、ふと、アエラの顔が目に入った。 ――――満面の笑み。初めて見る、少女の笑顔。 「やあ、可愛いお客さんね。お嬢さん、お名前を伺ってもいい?」 「――――アエラ、です」 「そう。素敵な名前だね」 その意味は、イザークにはわからなかった。この邂逅は、果たして、善悪のどちらに属するのか。 オフェリアはアエラの頭を優しく撫でている。嬉しそうに目を細め、拳を握って胸の前で固める少女。口の端が大きく上がっていて、笑いをこらているような、恥ずかしいような、そんな顔をしていた。 「その、だな。オフェリア、聞いてくれ」 「カミラさんの娘だよ」 「……は?」 「カミラ・フレーニの娘さんだ。私にとっては、姪ということになるね」 あれ、と。何か、今まで、壮大な思い違いをしていた気がする。 思わず、笑い出してしまった。なんだ。とんだ徒労だったのではないか。そんなことなら最初から気兼ねせずにオフェリアに会わせていればよかったのだ。安堵する心が笑みを生み、それは三人に伝播し、通じるものだ。 「全く、寿命が十五年は縮んだぞ!」 「何を勘違いしていたのか問い質したいところ。セリー?ひょっとして、」 「わあ!うるさいレーヴェ、それじゃ私は行くからな!後はよろしくどーぞ!」 もうレーヴェ姓ではないのに、慌てていたためか、昔の呼び名を口にしてしまった。急いで背を向けて後をオフェリアに託そうとすると、呼び止められた。カティアには、言うな。そんなことを口にしてだ。 カティアとカミラは不仲だと聞いている。そういった複雑な事情には、目を瞑るべきだ。それが、友情というものだとイザークは思った。
4 二時間ほど、上でアエラと触れ合った。カティアに、よく似ている。ふにふにとした頬に触れてあげるだけで、アエラは嬉しそうな顔をして喜んだ。 午後三時頃、オフェリアはアエラと手を繋いで下に降りた。Aデッキで聖座と呼ばれる行政権を持つ内閣組織の面々と会議があった。ベルベデーレがバテン・カイトスに避難している今、ソフィア市の行政権はオフェリアの手に握られている。 A2司令室にアリアを待たせてあった。すでにメンバーはアヤソフィア最上階に向かっているのだろう。リゴレットもイザークも、フライト・コントロールに姿は無かった。 「私の部屋を貸すから、アエラを預かっててくれる?」 二人を連れてA1艦長室のドアを開けた。ここのドアは艦長であるオフェリアと、保安部が許可申請をすることでしか開かない。オフェリアは上着の裾につけたIDカードを用いてドアを開け、二人に笑顔を向けた。 「いいですけど、今日の晩ご飯は一緒に食べてくれますか?」 「ああ、構わないよ。アエラもそれでいいかな?アリアお姉ちゃんと私と、それからうるさいヤツと夕食を」 「ん、はい。いっしょに食べたいです」 よし、と髪をひとつ撫でてから、足をアヤソフィアに向けた。 リフトから一直線にアヤソフィア最上階にある会議室に入る。総務省のフィア、司法省のイザーク、兵務局のリゴレット、総務省開発局のフェリーチェ、財務省のフェリクス・シューベル、元老院議長のカティアと並んで座っている。 さらに窓ガラスをスクリーンにした画面も、立体的にアビゲイルが、それにツェルニー、カルディア等首脳陣が顔を出していた。 「選挙の状況をお伝えしたくて。保守党のアリク・デン・イリは支持率の低下を止めることが出来ず、エヴィル=メロダックが勝つような展開です」 リューヴでは大統領選を控え、早くも大統領候補が名乗りを上げ、そしてテレビ番組を通して支持率や演説を行っている。カルディアは大統領を辞任し、アンドロメダ・クラスター総長として全力を尽くしてもらう。 「春にはソフィア法を批准させていくつもりです。フルジアへは、ジェラールを通じて呼びかけましょう」 「そちらは、オフェリア様にお任せしましょう」 内政は順調に進んでいる。今のところ、問題は外交にしかない。即ち、速やかに戦争を終わらせるにはどうすればよいのか、という一点だ。各国が協力し合える体制を作った。今度は、それを法制化することだ。そして、政教を明確に分離する。それで野心を持つ信者は弾くことが出来るだろう。 流れいく会議を耳にしつつ、オフェリアは別のことを考えていた。そう――――夕食のことだ。 アエラはどんな食べ物が好きなのだろう。あの姪っ子が喜ぶのは、どういう食事なのだろう。さっきはラムネを欲したというが、ならば修道院にラムネを並べまくるというのはダメか。ダメだな。 「オフェリア?」 「……ああ、ごめん聞いてなかった。晩飯、考えてた」 「はははは、暢気なことだ」 「カティア、私は今日修道院で食べるから。泊まると思うのでよろしく」 「はい。お帰りをお待ちしています」 さっさと会議を終わらせて、オフェリアは立ち上がった。いざ、買出しである。
シスターたちがこぞって買出しに名乗りを上げ、監督役のアリアが随行することでことなきを得た。オフェリアは再びアエラを託し、修道院で電話機を握っている。 少し滞在させてやってほしい、というのがカミラの望みだった。彼女らしくない発言に途惑いながら、しかし、拒絶する言葉は浮かばなかった。可愛い姪ならいつまでもここに置いていても構わない。本気で、情が移り始めている。 ソフィア・ビュザンティオンは、日々その重要性を増している。学術都市として豊富な文化遺産と教育施設、教員を備え、この修道院もファンダメンタル派が運営している世界で唯一の聖職者養成帰還だ。熱心な女子信者が憧れるような場所になり、こんな時代だからか、軍人を志す者も蒼海鎮を目指す。 政治的な重要度から、人々の日常的な重要度へ。人を育てるという場所は、きっとこれから、とても大切な場所になるような気がしていた。 誰かに物事を教えるような器ではない。オフェリアは自分をそう思っていた。他者に物事を教えるような人格者ではなかった。様々な罪もある。人に何かを教えるには、この手は汚れきっている。 もう若くないのか、と自問することがある。それはカメリア星の破砕を思い出した時、ジュリエッタ・ミュゼットを殺したことを思い返した時、そして、この手からすり抜けていくヴィオレッタの命を脳裏に過ぎらせる時、くどく過去を振り返ることがあった。罪が、罪として深く心に根付いている。 せいぜい、苦しむことだ。裁かれなかった罪は、永遠に消せない罪業。それこそが、この身に課せられし罰なのか。 それを――――無垢な少女が洗い流してくれるような気がした。 不思議な話だ。人を救うと決めたのに、人に救いを求めている。 「アエラちゃん、すっかりオペラさんに懐いてますね」 院長の私室にはアリアが戻ってきていた。窓の外は、夕暮れ。 「――――今まで、多くの人に教えた。サーシャに始まり、フィア、オリヴィア、ディリにアマリア」 「皆さん、素敵な人になりました。それはオペラさんの教え方が良かったからでしょう」 「どうなのかな。元々、そうなる人だったんだよ、彼らは」 まだ握り締めていた電話機を置いた。汚れきった手。まだ、この手は何かを変えるような力を持っているのだろうか。人の運命を、未来を、変えられる力を。 「ここのシスターたちは、皆、オペラさんを慕っています。尊敬し、学んでいます」 女子修道院の院長を務めたのは、アリアの強い進言があったからだった。適役はアリアだった。それでも彼女は、院長にオフェリアを推した。ひょっとするとアリアは、教えることを止めさせたくなかったのかもしれない。 「アリア。私は、アエラに教えてやりたいと思う。強く、そう思った」 シャルンホルストに対した時と似た気持ちだ。彼には、フルジアの全てを託した。託すことの出来る相手が、彼しかいなかった。だから全力で育て上げた。アエラに、遺せるものは何も無い。ただ自由に、未来を力強く幸せへと変えていく、生きる力のようなものを与えたい。 命は、そうして継がれていく。意志。強い意志が人から人へと輪廻していけば、強い想いを託すことが出来たのなら、未来に私という夢は生きられる。 それが、唯一残った、浄罪の道。 「傲慢、かな。自分の罪を、他人に押し付けるのは」 「いいえ、決して」 歌姫の言葉は、短く強く。涙をこらえたような顔で、頷いていた。
ドアの外から声がかかる。オフェリアは動かしていた筆を止め、入室を許可した。夕食の支度が出来た、とアリアが中に入って告げる。 隣にいたアエラがとことこと小走りでやって来て、ソファに座っているオフェリアにダイブする。女の子にしては少し背が高いかもしれない。この分だと、大人になる頃には抜かされるかも、などとオフェリアは抱きしめながら考えていた。 胸に頬をこすりつけてくるように甘えてくる少女。この子は、よほど家で寂しい思いをしているのだろうか。カミラの娘なら、厳しく育てられているだろう。そこに愛情を感じられなければ、きっと悲しい家になる。 髪を撫でながら、ならば今だけでも、せめて甘えさせてやろう。そう決める。 「アリア、悪いけど」 「どうしました?」 「晩ご飯、ここで食べていっていいかな?」 ふと、思いついたのだ。家で二人で食べるより、カティアに会わせるよりも、ここで一緒に食べるべきだ。アデレードもいる。リン・フェイやウル・アンナもいる。大勢で、賑やかに食事を。そうだ、今日は食事中の歓談も許可しよう。清貧と沈黙などと言っているより、大切なものがあれば優先すべきだ。 「なに言ってるんですか。さ、もう支度できてますから、早く来てください」 気が利く。考えを見透かされているのだろうか。微笑を崩さず、オフェリアは立ち上がって食堂へ入った。整列して座るシスターたちは俯きがちに、口を結んで沈黙を保っている。威厳さえ感じられる静かな神聖。テーブルの上に運ばれた料理は、いつもより豪勢だった。 「今夜はお客さんがいるから、無礼講ということで」 「イエッサー、オフェリア殿下!アエラちゃん万歳だねぇ、こりゃ毎日来客を望むってもんさ!」 告げた途端に盛り上がってしまうリンを筆頭に、がやがやと少女たちは私語を始め、もう収拾などつくはずもなく。黙ってオフェリアは食事を開始した。年頃の女の子の会話を止めるほど難しいものはなく、野暮なものもない。 普段、抑圧された生活を送っている反動か。あるいは、そもそもこいつらに清貧という言葉は理解できないのか。横に座ったアリアを見ると、気恥ずかしそうに目線を逸らした。いっそ全員、蒼海鎮に入れて叩き直してやろうか。 「リン、何でアエラを知ってる?」 「ほりゃ、はっひイザーク中佐が教えてくれたほ」 口から肉の骨をはみ出させながら答える馬鹿者を見る。この光景を父親が見れば、きっと卒倒すると思った。地球軍がアルドラに駐屯していて本当によかった。そうでなければ、きっと将軍に殺される。 「え、アイツ言い回ってんの?口の軽い女だなあ」 「ルートヴィヒの隠し子なんでしょ。ああ、カティアのだったけ?売女くせえ奴だとは思ってたケド、どれほど尻が軽いのかしら」 「カミラの娘。サーシャ、お前ホントに修道女か?」 おかしいな、修道院に入ってから、この妹は口汚さが増している気がする。まるでどこぞの、と考えてオフェリアは思考を止めた。あの女を思い出してしまうと、突拍子も無く事件に巻き込まれ、にこりと笑う天敵が登場してしまう。忘れよう、と努めて思う。 つるつるとサラダうどんを食しながら、アエラを見た。豚肉の生姜焼きがお気に召したのだろうか、おいしいと発言しながら笑顔。和む。 「ルっちゃん、今日は私と寝るんでしょ?」 「ッ、痛い!鼻が痛い!アレクサンドラ――――!」 「すげえ!オフェリア様、鼻からうどん出してるよ!」 咳き込んだせいでうどんが鼻から出てしまった。慌ててそれを引っこ抜き、爆笑する一同の中、意地の悪い笑みを浮かべる元凶に投げつける。 「お前は多分、アーシアの妹じゃないのか」 「ソレを言うなら貴女の妹にもなりますヨ」 「アリア、それとって」 ヴァイゼル・トレーネを引っこ抜いてみせる。ひい、と情けない声をあげて縮こまるアデレード・アレクサンドラ。冗談はここらで止めておかないと、その血、完全に凝固させるぞ。 隣から、笑い声。けたけたと笑う少女の声。どうやら、お姫様はこの宴席のような騒がしさが面白いらしい。 なら、まあ、いいか。などと。少女が笑ってくれるなら、この騒がしさも悪くない。
5 胸が高鳴る。息が苦しい。 逃れられない絡みの糸。地獄よりこの左腕を、この足を、この首へ。それは、呪縛。それは、怨嗟。引きずり込もうと挑む罪と罰。 「オペラさん、寝室のご用意が出来ましたよ」 すぐに立てなかった。アエラが無邪気にこちらを見ている。すぐに立ち上がって笑みを見せ、アリアに礼を言わなければならないのに。体は、言うことをきかない。一瞬、見せてはならない顔を作った。 「ああ、すぐに」 「――――はい。アエラちゃんはどうしますか?」 まだ待ってくれ。使命はまだ果たしていない。やるべきことが残っている。あと少しでいい。死神が足踏みするくらいでいい。一年が欲しいわけではない。一ヶ月でいい。それくらい、大目に見ろ。フィルウィリミテアなんていうヤツはカイアファみたくいい加減なんだろう? 違う。死神は、魔神の方か。金髪のシャルツァネミテアという名の女性を思い出す。それは深く、深く、記憶に刻まれた姿。自分が神官として学んだ中に眠っている。 「……聞いてます?」 「ん、なに?」 「一緒がいいんだそうですよ。大丈夫ですか?」 「もちろん。何ならアリアも添い寝してやろうか?」 「いえいえ、お邪魔になるでしょうから」 笑って、アリアは退室した。部屋にはアエラと二人きり。不安そうな顔をしてはいけない、とオフェリアは自分に言い聞かせた。 ――――アラディア。 黒い髪なのに、少女だというのに、何一つソレには似ていないのに。何故か、振り向いたアエラの微笑が、死神のソレと酷似して見えた。 ああ、そうか。 私に死を運び、渡すのは、君なのか。 「さ、もう遅いから、寝ようか」 気付いた想いに、確たる証拠など何も無かった。不意に、そう思ってしまっただけだ。 それでも、唐突過ぎる死の予感に。拒絶することは敵わなかった。
今日は終わった。 明日も、笑顔でいられますように。
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