現実と理想。希望と絶望。

 二人は違う思考で、同じ意志を持つ。

 願いはここに。ただひとつ。

 自由の翼を、新たなる世界を、願って。

 

 いつか、同じ旗の下で――――

 

「うむ。やはり短髪が良い。似合っているよ」

 刈り上げた金髪。三十歳を超えて、顎の無い輪郭はますます剛直に四角く見えた。整えられたわずかな顎鬚に指で触れた後、頭を撫でる妻の手をリゴレットは握った。

 初夏を迎えた。同盟軍としてひとまずの結束を見たACMFに、今度は政治力を持たせる。カルディア・ベルテシャツァルを中心に、アンドロメダ・クラスターの改革が行われていた。もちろん、背景で助言を行っているのは、遠き砂の星にいるオフェリアだった。

 都市計画も順調だった。資金面でもシューベルティアーデ財団の援助を受けるようになった。テレジア・シューベルはオフェリアの友人らしく、彼女の夫であるフェリクスの保護をすれば資金援助をする、という話だったようだ。そのフェリクス・シューベルは都市開発に明るく、フェリーチェと二人でソフィア市開発に励んでいる。

 全てが上手く運んでいる。背後には腹部が目立つルキアの姿。束の間の平穏は、幸せに満ちている。

「子供の名前、考えてる?」

「オペラに頼もうかと思ってるぜ。詩人だからなアイツ」

「それは賢明。お前ではヘンな名前になりそうだからな」

 酷い言い分である。苦笑しながら、内心、そんなことはないと反論してみる。

「男児がいい。娘だと、お前の屈強な顔を受け継いだら可哀想だ」

「失礼な。オレぁこう見ても女顔で通ってた男だ。トリスタンにでも聞いてみれ」

 どちらでもいいのだ。どちらでも、喜びには違いがない。あえてどちらかと言うと、リゴレットも男の子がよかった。夫も妻も、家族は女性ばかりなのだ。義兄とも義姉ともつかない人間もいる。

 せめて息子くらいいなければ、非常に肩身が狭いのだ。女ってヤツは、すぐ結束しやがるからな、と。リゴレットはつい愚痴を漏らした。

「タイタンにも行ってみたいものだ。お前の故郷を、お前の家族にも会いたい」

 彼女はなにやら、写真のようなものを取り出して、見せた。結婚式。ああ、オフェリアの結婚式の写真だ。ルキアは懐かしむように写真を見ていた。五年前。忙しくて、今ではこんな結婚式を挙げることなど出来そうにもない。

「これだ。トリスタンの横にいるのが、妹だ」

「なかなかの美人ではないか。ふふ、まぁ私には敵わんがな」

「お前、性格悪くなってきてるぞ。くそ、リタのせいか、あの子悪魔――――」

「言うな言うな。私のような美人を捕まえられたお前を褒めてるのよ」

 好きになったのは、きっと出会う前からだった。オフェリア。きっと、惚れたのは、オフェリアにだった。颯爽としていて、強く美しくあって、それでも、脆くて弱い、泣き虫を、愛した。その気持ちを、もう誤魔化そうとは思わなかった。

 だから、出会う前から、この女性を愛してしまっていたのかもしれない。奇妙な縁だ。敵か味方か、あえて問わなかった。それは今でも、問わない。訊ねてしまえば、何かが壊れるような気がした。

 兄のゾンマーは死んだ。弟のヴィンターは敵だった。同じく兄のフリューリングも、敵だ。今、ここにきて。オフェリアの目的は明確になりつつある。裏で、裏で、決して表にならない工作を続けている。

 それは、政教分離ということだった。フィルウィリミテア教とリューヴ政府を乖離させる。信仰と権威が結びつき、不安定な権力がルテティアとリューヴを漂っている。それを、断ち切る。繋げようとするものが、敵なのだ。レアティーズの一派は、間違いなく敵だった。そして、デルフィオーレに出入りする教義派たちもだ。

 ルキアはどう思っているのか。訊ねるのが、怖かった。

「ルキ、久し振りに街に行ってみようぜ」

「構わない。ただ、ハイジーニックスに寄る。定期健診というやつさ」

 妊娠は四ヶ月を過ぎている。流産の可能性はかなり減って安定期に入っている。こんな世界情勢で、気を遣ってくれた皆のおかげでもある。感謝しながら、今はここで、自分に出来る精一杯をすることだ。

 次、もし誰かが困れば手を貸してやればいい。それが友であり、仲間であり、家族だろう。

 

 病院は街にもあるが、ルキアが通っているのは特殊な病院だ。リゴレットは深く聞くつもりがなかったが、オフェリアを見ていれば通常の妊娠ではないのだとわかる。二人はきっと秘密を共有している。それはエヴォルブとデリヴァランスのクローンとしてだ。

 艦内で主に防疫など公衆衛生を取り扱う衛生管理局に立ち寄る。中には憎き女医が待っていた。

 マルガレーテのクローン体、マルガリータ・アシャレド・ナツィル・ニラリ。大きな白衣に着られたような見た目でやって来て、さっさとルキアを連れて奥に引っ込んでしまった。説明さえない。さすがに、あのマルガレーテのクローンだと思わせる行動と態度である。

 しばらくして、別室で待機しているとリタだけが戻って来た。幼い顔だが、眉を寄せて険しい表情をしていた。少女はいつもこんなしかめ面をしているので、不機嫌なのか上機嫌なのか判断しにくい。

「エヴォルブを孕ませるのは失敗だ。早まったな、ワタシ」

 少女の言葉の意味が、よくわからなかった。きっと自分は、とても間の抜けた表情をしていたに違いない。

「受精や着床は成功だった。親が染色体異常を保因していることから、異常児になる可能性が非常に高かった。まぁ、人とは思えん遺伝子欠陥品のデリヴァランスほどではないがね」

「……つまり。奇形児、とかいうアレ、か?」

 知らず、声が上ずっていた。

「それは不適格な表現だ。奇形児とは何も腕がない、染色体が足りないというだけではなく、染色体が多い、足が三本あるなど不足ではなく多いケースにも当てはまる。いや、話を戻そう。奇形児という言葉は曖昧すぎて好かないし、奇形児であって奇形児ではない」

 回りくどい言い方に、つい苛々としてしまった。そんな心を、何とか閉じ込める。ここでリタに怒鳴りつけても、何も意味がないし解決もしない。黙って、落ち着いて、話を聞くことだ。

「先週の羊水染色検査で、染色体異常が見つかった。ダウン症候群だ」

「なに?」

「一見して奇形であるとはわからない。外見上はな。問題は、中身だ。心疾患などがあるかもしれん。それから、これが一番の問題だが、知的障害があるだろう」

 言葉が、出ない。何を言えばいいのかわからない。憤ればいいのか、悲しめばいいのか。

「怖がらせて悪かった。リゴレット、周りを見てみろ」

「あァ?」

「アデレードも知的障害があった。オフェリアには無かっただろうが、肉体はアレだ。しかしあの二人はどうかね。人として素敵ではないかな。そこらのガキどもより、よほど立派じゃろう?」

 言われ――――気付いた。

 子供が異常児であると言われ、今、何を思ったのか。その絶望を、味わった。しかし本当に辛いのは、本人だ。両親以上に、子供が辛く生きることになる。

 苦境を乗り越え、成長をすれば。オフェリアのように、アデレードのようになれる。それは希望だ。彼らはハンディを克服し、コンプレックスを押し隠して、尊敬されるべき人間にまで成長した。それは、本当に、素晴らしいことではないか。

「希望もあるさ。母親はリューヴ=レイス。アデレードほどではないにしろ、精神遅滞は微々たるものだろう。脳の性能が我々とは違う。十歳で学ぶ計算式を、五歳で修得できる。それが七歳に遅れたとしても、一般人より優れている。だから、これは気にするな」

「そうなのか?」

「そうなのだ。知能指数というものがあるが、平均は100で、知的障害は70から50くらいかな。リューヴ人の平均は180とも200とも言われている。確かにリューヴ人で知能指数が120しかなければ知的障害だろうが、我々にとってはとてもそう思えないだろう?」

 珍しくわかりやすい説明をリタはしてきた。それほど、リゴレットの顔色が良くなかったのだろう。

「他の問題は、何とかしてみせよう。遺伝子治療を施してみる。これは、神からワタシへの挑戦状だ」

 覚悟。ひしひしと、それが伝わってきた。オフェリアとルキアが違うように、マルガレーテとリタもまた違う、別の人間だ。信用に値する、味方なのだ。小さな肩に大きな使命と罪を背負った。この少女に、何の罪がある。オフェリアに、どんな原罪がある。

 怒りを、覚えた。マルガリータを否定することは、目の前の少女を、そしてオフェリアの存在を否定することだ。それでも、許されない。許さないとオフェリアも言うだろう。

「頼む、リタ。お前しか頼れない」

 十四歳の少女に、全てを託した。それでいいのだ。助け、助けられ、人は、生きていける。

 

 アヤソフィアでフェリクスに会った。都市開発担当官である。今はルフト界面に捕虜収容所を建設している。これは急ピッチで進められ、そろそろノティオンから捕虜が送られてくるはずだった。

「お前、これホテルじゃねぇの?」

 ほぼ完成に近付いた映像を見て、呆れた。まるで高級ホテルのような建物が、連なって建てられていた。ルフト界面の遊歩道からは離れているが、ハンガーから近く、移送のしやすさが考慮されていた。

「そうですよ。彼らはアンドロメダに来たことがないですし、やはり故郷に近い風景で過ごしたいでしょう。心象を良くすればそれが何かに繋がるかもしれないです」

 心配なのは資金の問題だったが、それもシューベル財団が手配したようだった。財団はフルジアに本拠があるから、フルジア兵の保護には積極的に資金を出すだろう。

 最上階でルフト界面を眺める。アヤソフィアの行政区画は華美な内装で宮殿のようでもある。窓からは外の風景、下ろされたスクリーンにはホテルの列が見えた。ふと、そこに人が映り、ぴょこんとこちら側に飛び出してくる。アビゲイルだ。

「通信で入港許可を求めてくる船籍アリです。どうしましょう?」

「誰だ、アビー?」

「パーシヴァル・シュトラスブルク氏です」

 オペレーターに問うルキアの顔がこちらに向いた。知っている。パーシヴァルは、トリスタンの弟だ。故郷で鍛冶屋を営んでいた。政界や軍にあまり野心も興味も無いらしく、緊急でトリスタンの代理を務めるくらいで、後は武器を作ってカヴァレリア・ルスティカーナに供給するくらいだった。

「別にいいぜ。Cデッキ、開けてやれ」

 同時に、通信を開いた。フェリクスを司令部から退室させ、椅子に座る。窓の一つに、パーシヴァルの精悍な顔が映し出された。

「――――義兄貴、大変だ。暗殺だ」

 喚くように、暗殺だとパーシヴァルは叫んだ。

 どうやら太陽系で事件が起きたらしい。暗殺事件。誰が殺されたのか。問い詰めても、恐慌状態のパーシヴァルの言葉はいまいち要領を得なかった。アビゲイルに司令部までのアクセス権限を発行するよう伝え、ハンガーから転送されて来るのを待つ。

 

 入ってきたのは、イザークに連れられた、子供を背負った青年。

 

「慌てないでくれ、リゴレット。トリスタン・シュトラスブルクが、殺された」

 目の前が、瞬時に薄暗くなり、それから、赤くなった。

 立ち上がる。しかし、動けなかった。喋ることも出来なかった。何かの感情がそうさせているのだ。しばらく絶句した後、それから、何が起きたのか、考えるようになった。

 

 すぐにでも飛び出したい気持ちを、何とか抑えた。

 騒然としているアヤソフィアの最上階には、残っていた閣僚たちが集まっている。画面にはノティオンのACMF司令部、リューヴにあるアンドロメダ・クラスター本部、それからオフェリアがいるであろうウルサ星系フェクダ星が映って会議に参加していた。

 事はそう簡単なものではない。太陽系同盟でも政変が起きており、マクベス・ライル議長が刺殺されていた。犯人は発覚しておらず、高度な技能を持った暗殺者による手法だった。議長は各国で持ち回りとなっていて、ライルの次はトリスタンだった。皮肉な話だ。

 新議長が決定されるまでは、トリスタンの次に当たるユーロパのプリシラが代行することになっている。が、プリシラはノティオンからの帰路で太陽系にはいない。画面に映るプリシラの顔は、無表情であった。

 最後に入室して来たのは、オフェリアだった。いや、見間違えか。オフェリアと同じ格好をしている、アデレードだ。どうして、とは問わなかった。彼女がその服装をして扮するということは、ソフィア・ビュザンティオンにはオフェリアが居るということのアピールでしかない。

 彼女はきつく縛った胸を引っ張るようにして調整しながら、悪態をつきそうな表情で椅子に腰掛けた。

「AILAが作った回線だ。盗聴の恐れはない」

 フェクダのオフェリアが言った。惑星間ネットワークを介し、鮮明な映像と音声が届けられている。クローディアス・カーライルが築き上げたもので、フルジアの電波攻撃に耐えられる通信設備になっていた。

「アンドロメダ・クラスターとしては、正式に抗議を申し出たいと思います」

「無駄だな、カルディア。太陽系同盟という緩衝材がある限り、声は届かん」

 批判的なナーディル・アルダシールの声は、実に的を得ていた。ただ、その太陽系同盟も混乱している。明日の太陽系がどうなるか、そして銀河系全域がどう動くかが、全くわからないのだ。プリシラのようにアンドロメダ・クラスターに加盟するのか、それとも太陽系同盟による支配を続け、アンドロメダと銀河系で宇宙を割るのか。そうなると、銀河系は完全に分裂することになる。

 あまり建設的な発言は出なかった。埒が明かない。業を煮やしたリゴレットは、とん、と指で机を叩いてから立ち上がった。アデレードが、考え事をしているのだろう、指で艶っぽい唇に触れながらリゴレットを見上げた。

「ヴォルフラムの野郎をどうするかだ。ヤツは声明を発表していないのか?」

「フュンフの情報ではアンドロメダにつくことを示唆する発言をしている。リゴレット、冷静になって。そこには私かお前が残っていないと駄目だ。飛び出すような真似は、するな」

 こちらの心を見透かすようなことを、オフェリアは言ってきた。

「黙れ!テメェに何がわかる、オフェリア。テメェが勝手にフェクダに行ったんだろうが!」

 場が、静まり返った。それは、初めて見せる確執。順調に物事が進んでいた中で、初めての衝突だった。

 発言しようともしない、無駄な会議。リゴレットは無言で背を向け、憤慨したまま扉を蹴り開けた。すぐにイザークが追いかけてきた。その気配をリゴレットは背中で感じていたが、無視して歩き続ける。向かう先は、Bデッキ。

 ソフィアに駐留している軍勢は、一千三百だ。フルジア兵三百と、ルテティアから投降したリューヴ兵が一千。それらは全てオフェリアに追従してフェクダに入っている。他の兵力といえば、二年前に開校した王都大学の兵学部を卒業した先の士官学校生徒しかいない。二学年があるが、実戦に耐えうるのは第一期生三百名のみであろう。

 士官学校、蒼海鎮と呼ばれるそこにティアがいる。移動しながら、ティアに連絡をとってBデッキに集合させるように伝えた。プリシラから貸与されている旧式の小型戦艦インディペンデンスの前で、睨むような視線を送るイザークに振り返る。

「馬鹿はよせ、リゴレット。オフェリアの言うとおりだ。直にフルジア軍捕虜も来る。ここを空けることは出来無い」

 いざとなれば、立法府のカティアがいる。どれほど役に立つかはわからないが、カリスマ性だけはある女だった。そのカリスマも、近頃はめっきり俗化しているように思えた。リューヴ政府との交渉失敗や、ゾンマーとの戦いで姿をくらました件など、昔ではあまり考えられなかったことだ。

「ルキが残る」

 蒼海鎮第二学年三百名。早足でやって来るティアたちを見て、その中に妻の姿を見つける。ルキアは何も言わなかった。だから、リゴレットも何も言わなかった。

「すぐ戻る。来い、イザーク中佐」

 フィデリスとオフェリアがACMFを作るに当たって、まず行ったのが指揮系統の統一だった。階級制度の見直しが図られ、基準を作り、権限を統一した。リューヴ軍の少将が師団指揮官であるのに対し、太陽系同盟軍の少将は方面軍司令官を務める。その齟齬を無くすことから始まった。

 蒼海鎮はACMFの階級制度と同じくしてある。ソフィア軍の将校であれば、リューヴ軍の将校でもあるということだ。蒼海鎮は学校とは名ばかりの実質的な軍隊であり、卒業時には大尉にまで昇任することが出来た。第二学年の成績優秀者の中には、中尉を拝命しているものもいるだろう。

 そうなると、イザークやリゴレットにも階級がなければ軍の指揮が出来ないことになってしまう。特例が設けられ、実戦経験の長さと功績で特進が可能になった。イザークは中佐、ティアが少佐、リゴレットは大佐である。ソフィア軍司令官のオフェリアは、少将でしかない。

 三百人が乗船を終え、まだ不審の目を向けるイザークを睨みつけ、出航を決めた。

 

 待っていろ、友よ。すぐに迎えに行くから。

 

 

―――――――――――――――――――――

“Hohepriester” ---Tristan Strassburg

May. 25, Neo.Globe.0327

Titan Strassburg emirate capital Areus

 

 原野で勝利の旗を持ち。いつか、再び。友と喜びを分かち合う日が来るのだ。

 我ら、巨神。誰にも屈せず、誰にも媚びず。雄々しく大地にそびえ立つだけ。勝利と自由の旗を振り、肩を抱き合い頬を寄せよう。

 それが、トリスタンが抱き続け、貫いてきたものだった。

「騎士団を、解散する。武器を捨てよ、鎧を脱げ。それぞれの土地に帰り、再び時を待つのだ。今まで共に戦え、光栄だった。感謝を。限りない、感謝をここに」

 シュトラスブルク首長国の首都アレウスに、敵が迫っていた。同数、いや、たとえ寡兵でも、太陽系同盟軍を打ち破る自信はあった。しかし、攻め入る敵軍は太陽系同盟の最新鋭装備を持ったタイタンの兵士なのだ。ここで内戦を起こして、誰が何の得をする。

 同胞を、殺せない。それがトリスタンの答えだった。それでも敵は攻めてくる。自分は、甘いのだろう。だがそれでいいのだ。

 上空も包囲されている。セロ・ライルの大艦隊が埋め尽くしている。陸上兵力は十万とも予想され、勝算などどこにもなかった。

「再起が、あるのですか」

 若い兵士だった。トリスタンが彼の年齢の頃、この騎士団を設立したのだった。昔を、懐かしむ。除隊したばかりの兵士。太陽系同盟の専横に嫌気が差し、自暴自棄のようになり、それでも、立ち上がろうと決めた。この足で、立つ。そんな簡単なことが、難しくて、難しくて。叶わぬ夢でもあった。

「ある。必ず、ある。君にも、そして敵にも。タイタン人の中に、我々の志は生きている。この身はたとえ朽ちようとも、独立の礎になれるのなら、悔いはない」

 想いを預けられる者がいる。夢を託せる友がいる。リゴレット・リエンツィなら、そしてオフェリアなら、きっと夢を受け継ぎ、叶えられる。故に、恐れるものなど何も無い。

 ふと、思った。ひょっとすると、ルイ・シャルパンティエも、今の自分と同じことを思ったのかもしれない。

「生きるのだ。生きて、生きて、志を貫け。それこそが、我がタイタン人の一生である」

「ならば、トリスタン様も」

「俺は、いいのだ。道は生きることに続いているが、俺の道は死しかない」

 一人でも多くを生かしたい。この命で、ここに集まった若い夢を救えるのなら、喜んで死のうとトリスタンは思った。心から、そう思った。それは、今、出来ることだ。勝つことは出来ずとも、夢を遺すことは出来る。

「泣くな、友よ。俺は死なぬ。志は、死なない。夢こそ、人生であった。夢さえ失わなければ、死なぬのだ」

 リゴレット、君はこんな俺を笑うだろうか。くだらない夢などにしがみつくなと君なら言うだろう。君はとても賢く、現実的な、理想論者だった。だから、君には人がつかなかったのだ。君はすぐに人の悪口を言う。思ったことを言ってしまう。それでは、誰もついて来ないだろう。

 道は俺が作ってやったぞ。だから、お前は進め。ただ真っ直ぐに、進め。

「さらばだ、友よ」

 集まった兵士たちを、志を同じくした友たちを、故郷へと帰していく。彼らは手にした剣を、槍を、武器を叩きつけるように捨てていた。悔しいのか。そんな光景を見て、トリスタンは安堵していた。大丈夫だ。この若者たちがいる限り、この星の未来は、きっと暗くはない。

 遠くで、悲しそうな目をしている女性。イレーネ。きっと理解は出来ないだろう。間の抜けた男たちだと笑ってくれてもいい。パーシヴァルに全てを押し付けるようで、それだけが悔いだった。

 

 まだ幼い我が子を見る。

 お前が大きくなったら、そこに、どんな世界があるのだろう。

 

―――――――――――――――――――――

 

 

 兵の指揮は、カナリスの娘であるウィプサニアとハム・リーティアに任せた。二人とも蒼海鎮の第一期生に当たる。三百を先頭に、リゴレットは正々堂々と凱旋を果たす。

 兵士は皆、喪章をつけ。粛々とシュトラスブルク領に入っていく。リゴレットの周囲には一人、また一人と騎士団の人間が集まり始め、その軍勢を増していった。この旗に、集った仲間たち。どこにいても、トリスタンとは気持ちで通じていたはずだった。その証だ。

「かなり増えてきたな。ティア、前軍の前についてくれ。蒼海鎮の学生が出会い頭に会戦となると厳しい」

「オッケイ。数は、百から百五十ってとこか。武器は貧弱だけど、やるしかないわな」

 大きく頷くティアが集まってきた兵士を率いて先頭に移動する。戦の時に頼れる指揮官というのは、数少ない。その中の一人がティアだ。何度か共闘し、その力量は充分にわかっていた。勇猛果敢であり、状況を見る目も悪くはない。何より、規律や命令違反は絶対にしない。部下として最高の人材だった。

「……驚いたな。私はてっきり、我を忘れているかと」

「あんなモノは芝居だ、芝居」

「芝居だと?」

「オペラとのケンカのコトだろ。オレもアイツも演技だよ。分離主義に敵対する者をあぶりだす好機なのさ」

 今ほど幕僚たちが世界に散らばっていることはなかった。それぞれが別々に行動し、任務を遂行することなど初めてだ。今までは、そうするほど力もなかった。隙を見せれば、脆く崩れる力しかなかった。

 ソフィア・ビュザンティオンは今や空っぽだ。いるのはどこかおかしなカティアと変装したアデレード、フェリーチェくらいのものだ。もちろん、軍隊で攻められればひとたまりもない。しかし簡単には攻め込めない背景を作り出した。アンドロメダ・クラスター軍というものがそれだ。

「オペラの目的は政教分離。フィルウィリミテア教と政治機構の癒着を引き剥がすことだ。レアティーズがリューヴ国軍を動かしたり、ツェルニーが政界を牛耳るような真似をさせないことだ」

「ああ。お前に言われずとも、把握している」

「その点で、カルディア・ベルテシャツァルは優秀な男だ。レアティーズの親友という立場でありながら、むしろ敵対してるんじゃないかと思わせるほど政治的に離れている。カルディアとオフェリアは政教分離という点で一致した。リューヴ内外の神政政治家を排除し、フィルウィリミテア教の権威を後ろ盾にゴリ押ししようとするヤツを消す。そうしなければ、アンドロメダ・クラスターはレアティーズやカイアファのモノだと叫びかねない」

 それが、教義派の教えでもある。全てこの世は神のもの。刃向かうのは悪であり、敵である。ならば戦で決着するしかない。ドグマリストが政治に密着している限り、戦争は終わらない。悪になる理由は何でもいいのだ。悪のレッテルを貼るだけで、それはこの世全ての悪となる。

 故に、新たな体制を作った。アンドロメダ、銀河系、マジェラニック。第一銀河団を連邦政府とも呼ぶべきシステムで固めた。それは従来のリューヴ、地球の二頭体制ではなく、フィルウィリミテア教と深い関係もない。今はまだ軍事同盟に過ぎないが、オフェリアが草案を作り、やがて各国政府の共同体になる。

「で、だ。現在ソフィア・ビュザンティオン市にはカティアくらいしかいない。もしオレやお前がドグマリストなら、とあるものを盗みたくなる」

「アデーレか。彼女を拘束すればレアティーズの顔も向けられ、オフェリアへ発言することも出来る」

 あの空白の数日間。オフェリアとアデレードが空に消え、戻るまでの間。何かがあって、何かが生まれた。それを二人は決して他言していない。秘密がある。リゴレットは邪推するつもりなど無かったが、一つの推論がある。

 カティアがヘンになったのは、それが原因ではないか。ルキアが子作りという問題をカティアにぶつけた時、面白い情報が漏れた。オフェリアとカティアの間に、何かがある。フルジアでは盛んに愛し合っていた二人が、めっきり枕を共にすることは無くなったとルキアは言う。

 一方のアデレードは、修道女となって禁欲生活を送っている。秘密にしていること。それが自ずと見えてくるのである。あの双子姉妹は、和解した。そこにある絆は、果たして「家族」のものだろうか。

「オペラは、妹を信じている。何故かはわからないが」

「嘘が下手だな、リゴレット」

 多少、驚いた。嘘が下手と言われたことは人生で一度も無い。むしろ、嘘つきの名人だった。青春とは、言葉遊びで相手を馬鹿にすることだった。それが、この地に立っていると、身に沁みるようにわかった。

「今、ソフィアにいるのはオフェリアと言いたいのだろう?」

 イザークは、よくわからない言葉を口にした。

「なんだって?」

 思わず聞き返す。するとイザークは、怪訝そうな目を向けてくるだけだった。

 どうやら、怒りで周りが見えなくなっていたのは本当らしい。

 

 確かに出兵は、独断だった。

 冷静だという説明はしなかった。怒りに身を任せ、不毛な議論を続けようとする会議を断ち切り、後先を考えずに飛び出した。それに間違いはなかった。オフェリアはこうなることを予想し、芝居を打っていただけだ。

 嘘は無い。嘘など無い。ヴォルフラムへの殺意に、嘘など、無い。

「ならばもういいだろう。戻ろう。下手をするとオペラが危ない」

 止めようとするイザークの声を無視し、進軍を続ける。数度、無視しているとイザークも気付いたようだ。これは、ブラフでも何でもない。本気でタイタンを侵攻しているのだ。最大のヴァルトブルク領を攻略し、シュトラスブルク領を取り戻す。目的は、それだけだ。

「何を、無理だ。こっちの手勢は三百だぞ」

「見ろ。ティアの部隊は二百にはなっている。遺志はやがて千になり、万を超す」

「ヴァルトブルクは少なく見積もっても五万の将兵を擁しているのだぞ、リゴレット。例えお前の予想が当たっても、勝算など無い」

 もう遅い。ティアからアレウス市街が見えてきたと報告を受けたと同時、懐かしい街並みが緩やかな丘陵の先に見えた。アレウス市は周囲を盆地で囲まれ、田園地帯が広がっている。やや、斜面となっている大地。そんな台地の上から都市を見下ろす。

 街道は多い。その中からリゴレットは、周囲が農地ではない東部の国道を選んだ。ティアに伝え、進軍の方向を変える。

「イザーク」

「何だ、大馬鹿者」

 腰に拳銃。槍を肩に、両手に構えた二槍の型。

「全軍を任す」

 言って、リゴレットは丘を駆け下った。いつでも先頭で。それが俺の戦だ。それが、俺と、友と、師の戦のやり方だった。最後まで変わらない。変えてはならない。このやり方で、俺たちは英雄の名を手に入れたのだ。

 そんなことを考えた。背後から飛んでくる声も、周囲の喧騒も、何もかも、見えなく、聞こえず。

 街道に面した集落から、次々と人が飛び出してくる。いつか勝利の旗の下で。再起を願った勇者たちと共に。果たせなかった、願いを。今こそ――――

「ついて来い、故国の騎士!この旗について来い!」

 腹の底から叫んだ。友が築き上げた。誘われたこともあった。もしも共に歩んでいれば、こんなことにはならなかったのかもしれない。カヴァレリア・ルスティカーナ。二人で作った戦士たちの夢。それはいつしか、大勢の仲間たちと共に抱いた偉大なる夢になった。

 見ていろ、友よ。お前の遺志は、必ず、果たされるだろう。

「リゴレット様、敵の大将はルリアという男です。ヴァルトブルクはすでに領地へ」

 騎士団の旧友が近付き、言った。イザーク・ルリア。聞き覚えの無い名前だった。二つ年上の三十三歳で、徴兵を拒否したためにタイタン軍には入っていない。だから、知らないのだ。

「パーシヴァルとローエンは無事だ。妹は?」

「自害なされました」

「なに、本当か?イレーネだぞ、イレーネ・リエンツィ。トリスタンは彼女を大切に扱ったはずだ」

「拘束され、ルリアに妻となることを強要されたようです。今の時代では考えられませんが、貞潔を守った、としか――――」

 思えば、妹は不運な人生だった。過保護すぎた。あまりにも、過保護すぎた。それはリゴレットが、姉のジルダがそうさせた。騒乱の時代から守ろうと決めた。しかし、それが裏目に出た。自由奔放に育っていれば、いくらでも命を繋ぎとめることは出来たはずだ。

 死人が、多すぎる。リゴレットには、もう、実感など湧かなくなっていた。涙さえ出ない。昂った感情が、より一層激しく、深く、燃え上がるだけだった。

 炎の視線で、街を見る。侵入さえ許さないつもりなのか。ヴァルトブルク騎士団は、市街から討って出て、街道に防衛線を築き始めていた。

 

 敵が銃を向ける。積み上げられた土嚢の向こうに、敵がひしめき、銃口が重なっている。

 付き従うカヴァレリア騎士団を止め、リゴレットは単身、一歩だけ前に出た。銃弾が発射され、それを右手で受け止める。フルジア軍のアーマースーツだ。光学兵器だろうと実弾兵器だろうと、従来の兵装では打ち破ることは出来ない。

 二槍を構え、リゴレットは独り、走り出した。

 

 

―――――――――――――――――――――

“ Die Welt ” ---Ophelia Ludwig Gertrude Van Faure

May. 30, Neo.Globe.0327

Sofija Byzantion city core Ayasofya

 

「エ――――ロイカか。ユリイカか、エウレカ?何だこれは、この文は何だ?」

 リューヴ語で書かれた文章を、読めない。誤訳の言葉を耳にしながら、オフェリアは深く椅子に座ったまま動かない。

 見たことのある顔だ。アヤソフィアに侵入してきたその男、見覚えがあった。大統領候補と噂されているアリク・デン・イリの近くにいる人物。アヤソフィアの中枢部をわずかな兵力で制圧し、オフェリアを閉じ込めて何かを探している。

 あのドアの向こうに。誰がいるのか、想像はつく。部屋の中を物色する兵士、詰問する男、それらを無視してドアの向こうだけを凝視した。

「アデレード、まだ黙るつもりかね」

「……ドアの外に立っている黒服の男装名人にでも聞きなさい」

 ここにいるのは、アデレード・フォーレしかいない。その情報を知りえるのは、AILAのネットワークを管理している者だけだ。即ち、クローディアス・カーライルと繋がっている誰かがいる。それはアンドロメダ・クラスター内部の話だ。

 アリク・デン・イリはサピリオ出身の議員だった。その背景にナーディル・アルダシールやサマンサ・ラマートがいることは確かだ。ナーディルやサマンサが力を持てば持つほど、アリク・デン・イリの発言力も増大する。

 名目上、教義派のトップはベルテシャツァルの名を持つ人間だ。リューヴを神より託され、実際に統治する者。しかし現職のカルディアは教義派というより自由派の人間であり、政教統一の主義は持っていない。教義派自由主義者とでも言うべき信仰派閥に属している。

 となると、アマデウス・ツェルニーが消滅した今、教義派の頂点に立っているのは誰か。もし大統領候補がサピリオを通じてサマンサ・ラマートと関わっていると面倒なことになりそうだ。

「エロイカ。そうか、エロイカ英雄か。この英雄という本には何が書かれている?」
「ただ、真実が」

 それは、脚本なのだ。時代の脚本。過去から未来へ。現在はその本に集約されていると言っていい。おそらく、オクタウィアならば同様の書物くらいは作っていよう。

 レアティーズは宗教の在り方を考えてなどいない。それは近年に続発する聖職者も同様だ。オルフェオも、カイアファも、腐敗したフィルウィリミテア教に頭まで浸かっている。ただ一人。オベロンだけが改革に乗り出そうとした。

 教義派の力を削ぎ、宗教から乖離させ、原理派で政府を固める。信仰そのものを罪と裁くことは不可能だ。しかし聖書を曲解し、名を利用して民衆を扇動するような行為は許されない。教義など、無いといえば無いのだ。原理こそ全て。そう思えばいっそ清々しくある。

 しかし原理は体現できない。古代のリューヴ民族と現在の世界はあまりにも変わっていて、現代風の解釈をしなければならないのも当然だ。ならば、解釈の仕方を教え、変えていくしかない。

 フィルウィリミテア教を、蘇らせる。遥か彼方に消え去った、悠久の歴史を呼び戻し、復興させる。それこそが、神に見捨てられて背いた、オフェリア・フォーレのやるべきことではないか。神は剣で殺された。それを、蘇らせてみせる。

「人と神は違う。決して同じではない。愚者の言葉を神託と間違えてはならない。もし神が愚かな言葉を発した時、それはすでに神ではない。神は人が思っているほど、崇高でも荘厳でもない。ただ、中庸なだけだ」

 男が開いていたページを、オフェリアは翻訳して読んだ。書いたのは、自分だ。その脚本を、これから、舞台の上に。

 

「――――神のフリする愚か者たちへの絶縁状だよ。オフェリアはこの世に一人だけだからね」

 

 縛られた体を、引き抜く。折れた指、剥がれた爪、唇に当てて。

 血のルージュを、美しく膨らむクチビルに。

「出てこい、ハイネ。お前たちは誰一人として生かして帰さない」

「何を、」

「デルフィオーレに巣食う教義派も同罪だ。イスマイール・アリク・デン・イリ、サマンサ・ラマート・アダド・ニラリ、クローディアス・カーライル。全て、消す。アマデウス・ツェルニーの如く。しかし私はこの手でお前を潰す、アガーテ」

 ドアが、開く。

「同じモノを学んだ、同じ場所で育った。いや、育てられた。誰より近いと思っていたのに」

 無言の黒い女性が、前に前にと歩き出す。その背後から、蒼海鎮の第一学年を率いたアスワドの姿が見えた。ここで、殲滅する。全てを捕え、自白をさせ、教義派を消し去る。

「オフェリア様、リン少尉がBデッキのサピリオ兵と対峙しています」

 出口を兵士で固める。誰一人、逃がさない。室内にいる五、六名ほどの兵士は抵抗の様子さえ見せなかった。アリク・デン・イリの側近は顔を青くして立ち尽くしている。この場で動いているのは、オフェリアとハイネの二人だけだった。

「その本には全て、書かれている。絶縁状だよ。オフェリアはこの世に一人だけだ」

「先ほども、聞いた。オフェリア」

「――――ああ」

 会話が、途切れた。

 

 

“Папесса” ---Adelaide Aleksandra Gertrude Van Faure

May. 30, Neo.Globe.0327

Titan Strassburg emirate capital Areus

 

 行く手を、太陽系同盟地球軍が阻んでいた。セロ・ライルの指揮する地球艦隊、十万の陸軍を積んだ大部隊である。

 逸るリゴレットたちの救助に訪れた。フェクダから率いてきたのは専ら、航宙艦だけで兵力は皆無だった。この艦隊はリゴレットを乗せ、引き揚げる輸送艦のようなものだ。だから、陸上兵力を乗せなくていい。元より、タイタンで陸戦を行って勝てる要素など無い。

 輸送艦隊では地球軍と戦う術が無い。慌て始める士官たちを、アデレードは流し見た視線で無視した。代わりに、心の底で願う。

「ルっちゃんに手伝ってもらいまショウ」

 頭のどこかでそうささやく。声がする。天使の声だ。

「そうね。ルートヴィヒ、悪いけど借りるわよ」

 まるで独り言だ。それでも、アデレードは脳内天使に語りかけるようであり、決して独白だとは思っていなかった。目を閉じる。ひとつ、願う。ハルモニウム。この髪の先に、繋がる絆を思い浮かべる。目を閉じながら、徐々にルートヴィヒの思考を、感じる。

「そのコックピット前面、素材は?」

 少し上ずった声で、前面ガラスの組成を答える士官。アデレードは答えを聞き届ける前に、蒼い目を開いた。即座に計算を開始する。前面ガラスを貫通し得る波長を生み出し、敵艦を撃ち抜ける波形はどのようなものか。

 それも、数秒。何気なくアデレードは利き腕である右手を開いて押し出し、顎を上げてその爪などを眺めていた。まるで、ネイルを気にする女子学生のようで。士官たちは呆然と神を見上げていた。視線が、わずかに上がる。口元が少しだけ緩む。挑戦的な目に艶やかな唇。確かに、美人だろう。

 見惚れたか、あるいは。士官たちに考える間も与えず、思考を止めたまま、アデレード・フォーレは世界を破壊し尽す。

 発せられる光は船を透過し、一つの恒星の如く煌きを発するヘル・レイザーの剣。導き出される光景は地獄。焼き尽くす未来に、新たな時代を突き刺す刃。

 光、走り。白光に燃える夜空を。未だ残る軌跡の先に、粉々に砕かれ、船体がへし折れ、船の墓場と化した宇宙が広がっている。

「ふん――――三隻、残した。まぁいいわ。艦長、上陸準備をなさい。さっさと動かないと馬鹿たちは死ぬわよ」

「今のは、何です。恐ろしい、神の裁きだ」

「そんなところね。地球人は神様を大事にしてくれないから、バチが当たったの」

 妖艶に笑って、アデレードは颯爽と背を向けた。もう空に用事は残っていない。後は、上陸するだけだ。

―――――――――――――――――――――

 

 

 タイタンの夜空に浮かぶ大船団。その全てが味方だと判明した瞬間、イザークは撤退命令を出した。アデレードのルテティア・パリシオールムとフィデリス・ツェルニーの乗るエンデバーが空で待ち受けているのだ。

「ラファエル、南東3キロメートル後方にエンデバーが着艦している。蒼海鎮を乗せろ」

 司令部で指示を出し続ける。すでに敵軍に攻勢を仕掛けられ、友軍はギリギリ踏みとどまっている。最前線でティアの指揮するシュトラスブルク軍が持ちこたえているため、蒼海鎮の学生たちが何とか潰走せずにいられる程度だ。

 まず、学生を退避させる。それからティアの軍だ。リゴレットとは、連絡がとれなくなっていた。

「ほう。あれがカナリスの娘が指揮する部隊か」

「はい、ツェルニー大将。歩兵第二中隊はティアと協力しつつ撤退を」

 旗艦インディペンデンスにフィデリスがやって来て、衛星からの映像を見ながら言った。ウィプサニア・カナリス少尉が指揮する左翼の中隊は上手く撤退している。ハム=ラファエルの右翼は壊滅状態に近く、三割ほどが斃れていた。順序よく撤退させなければ、中央のティアが困ることになる。まずは、右翼からだった。

「ひとまず宙域は制圧した。セロ・ライルは降伏している」

「先ほどの砲撃は一体?」

「わからない。ルテティア・パリシオールムから発せられたものだ。アレとよく似たものを、シリウスで見たことはある」

 アデレードの乗艦する戦艦から強力な砲撃があった。それは地表にいるイザークからでもはっきりとわかるほどの光。どれほどの威力があったのかなど想像もつかない。ただ、恐れを抱いたライルは降伏を選んだ。

 惑星さえ破壊する神の焔。イスラフィル。その剣の切れ味は、まるで、悪魔の笑みのようだ。

「リゴレットを救出したいのですが、大将。何か作戦はありませんか?」

「難しいな。ヴァーグネル少佐の部隊を撤退させるのでさえ困難だ。さらに敵陣深く突っ込んだリエンツィ隊となると、思い浮かばない」

 画像で見る限り、そのティアでさえ前に突出している。正面で三方向から攻撃を受けている形にある。本来なら側面から援護をして後退させるべきだが、右翼はすでに撤退を始め、左翼もいつまでも保てない。中央が殿軍のような形になってしまっていた。

「失礼します。クルーゲ隊、ビッテンフェルト隊と共に準備完了です。いつでもご命令とあれば、死地に赴きます」

 フルジア兵百五十名の中隊を率いる二人が司令部に顔を出した。豊富な実戦経験、調練を重ねた精鋭部隊、個々の力と組織の力を兼ね備えた世界最強のフルジア近衛軍であれば、精強なタイタン軍とも渡り合える。即座に、イザークは頷きで答えていた。

「クルーゲ大尉、アデーレはどうした?」

「それが、先に前線へ向かわれました。さすがに先帝陛下の妹君であられます。勇猛果敢な指揮官です」

 二人がインディペンデンスから去り、静かに、イザークは戦況を見つめる。アデレード・フォーレ。その名を小さく呟いた時、目を貫く強烈な光が前線の方向から飛来した。

 

 蒼海鎮一期生三百名のうち、死傷者は五十名ほど。生徒たちをルテティア・パリシオールムに乗船させ、フィデリスとアデレードが用意していた輸送船団には集って来たカヴァレリア・ルスティカーナの兵士を乗せている。総勢で、一万は軽く超えている。

 戦火を逃れようとする難民、ヴァルトブルクに賛同しかねる者、トリスタンを慕っていた者など様々だ。フィデリスは彼らを全て受け入れ、輸送船に乗せている。イザーク自身もインディペンデンスから出て、手勢を指揮して収容に務めていた。

 負傷兵が多くなった、と体感できるようになった頃。夜の闇を駆け抜けてくる一団が見えた。ティアだ。大柄な男を肩に担ぎ、負傷兵を背負い、人に覆い被られながらも屈せず進む勇士の姿。

 大声で叫び、呼ぶ。気付いた。鋭い目がこちらに向く。イザークは指示してティアが担いでいた負傷者を下ろさせ、インディペンデンスへと急ぎ、乗せる。

「リゴレットが……やられたのか?」

 肩に担がれていたのは、失神しているリゴレットだった。金髪が血に濡れ、服もあらゆる箇所が破け、血が付着している。着込んだアーマースーツも部分的に裂けていた。それだけで、どのような激戦だったのかは想像に難くなかった。

「腹部に創傷だ。任せた、イザーク。僕は何をすればいい?」

「待て、ティア。アデーレは?」

「前線に一人残ってる。交渉をしながら時間を稼いでる。先に出航してて、と言ってた」

 本当に彼女がそう言ったなら、従うしかない。彼女なら、信じていい。たとえ置いていくような決断になったとしても、ひょっこり甲板に現れては口を尖らせることだろう。ティアは些か、信じられない様子ではあったが、半ば強引にインディペンデンスに押し込める。

 見れば、ティアも負傷しているようだった。友軍を撤退させつつ、少数を率いてリゴレットを救出に向かったのだろう。その勇気は、やはり称賛に値するものだ。リゴレットがティアを軍人として認めていたのも頷ける。

 これ以上、戦場に残る意味は何も無かった。ソフィア・ビュザンティオンでも問題が発生している。オフェリアは、無事だろうか。策略は上手くいったのだろうか。

「ツェルニー大将、ソフィア軍は一刻も早く帰還したいのですが」

 最後の一兵を収容したのを見届け、無線でツェルニーに呼びかける。ソフィア・ビュザンティオン市総務省兵務局員一千三百名。もう、戻る者はいない。
「構わんよ。事後処理はこちらで行おう。ヴァルトブルクも敵対するほど間抜けではないと思っているよ」

「そう願っています。では、後は宜しくお願い致します」

 乗り込もうとしたその時、まだ無線が鳴っていた。

「――――訊ねたい。やはり、アデレードは、オフィーリアなのか?」

 デリヴァランス。そんな呼ばれ方で、アデレード・フォーレの名前を消してしまっていいものか。瞬時に、イザークは答えた。オフェリアもアデレードも、デリヴァランスなどという言葉でひとくくりにされるものではない。ルキアも、ゾンマーもそうだった。

「違います。彼女は、アデレード・フォーレ」

「だとすれば、希望だな。神童を超えた聖女がいるなら、未来はきっと楽観視していい気がする」

「ええ、全く」

 今度こそ無線を切り、インディペンデンスに乗り込む。デッキを抜けてコックピットに入り、士官たちに出航を命じる。

 帰ろう。そんなことを考えた。いつしか、帰る場所が出来ていて。空の上にある街に、帰るのだという思いが強くなった。居場所は、あそこだ。

 ずっと流浪の旅だった。それはイザークにとっても、おそらく、リゴレットにとっても、流浪には違いなかった。今は、立場というものに縛られながら、それでも、生きる場所と、使命と、力を捧げるものがある。

 大気圏を出て、遥かなる夜へ。リゴレットの容態を知ろうと立ち上がった時、ふと、青く広がる地平線が目に入った。

 光の線が、タイタンという惑星を引き裂いている。ちょうどアレウス市がある位置だ。光の軌跡。その距離は何千キロメートルにも達しているだろう。

 神の焔が、巨神の星を割った。

 宇宙から観測できるほどの巨大な極光。その壁が、まるで、この引き裂かれた銀河系を象徴しているようにも見えた。

 

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