その言葉は雄弁で、饒舌でいて。 聴く者を魅了する甘美な彩りがあった。 勝利。目指すものは、それだけだ。 今、一つの時代が終わる。 そして、新たな時代が幕を開いた。
1 初夏に派兵する、とオフェリアは決めた。ウルサ星系フェクダ星の攻略である。 アンドロメダ軍がアルドラ星に進駐し、侵攻してきたフルジア軍と対戦している。まだ兵力では太陽系同盟に劣り、参加を見送っている星も多い。だから、見せ付ける。誰もがついて来るようなものにするのだ。総司令官のフィデリス・ツェルニーにはそれがよくわかっているだろう。 艦長室に、人を入れることはなかった。妻のカティアも市街地に家を構え、オフェリアも共に住んでいる。今はやることが多すぎる。少し、疎遠になっていた。オフェリアは思案中の草案を書き付けながら、入室許可を求める声に応じた。 イザークが開いたドアの先に立っている。一礼し、入ってきた。 「巡回か。お疲れさま」 艦内外殻部の保安を担当しているイザークは、まさに適任だった。彼女のおかげで、この雑多な艦内の治安を維持出来ていると言っていい。感謝の念もこめて、その労をねぎらう言葉をかける。 「衝撃的事件の発生だ、オペラ。すぐに来てくれ」 「ん、セリア。どうした?」 珍しいことだ。そう思いつつ、急き立てるようなイザークの様子に、腰を上げた。 二人で部屋を出て、司令部を通過し展望室まで下った。Aデッキでは最もセキュリティが甘い場所だった。設置されているバーで軽食をとることも出来る。バーにはアビゲイル・リーティアが立って飲み物を用意し、配っていた。 アビゲイルは、千年前の姫宮当主に当たる人物で、アルゴナウティカ船の副艦長を務めていた。人工知能として艦と同化した彼女は、随所に設けられたセンサーと投影機を使って艦内のどこにでも登場し、スピーカーを通して音声でナビゲートしてくれる。 酒は拒否して、炭酸飲料を二人で頼んだ。どうやら皆、アルコールが入っているようだ。グラスを片手に輪になって談笑している彼らへと近付いた。 「あら、いらしたの。お仕事は順調?」 「カティア。彼女に連れて来られたんだけど、何の集まりかな」 自然と隣に寄り添って、おずおずと腕を絡めてくる。そんなカティアの重さを感じながら、周りを観察すると、観光客がちらほら見えた。一方こちらは、ソフィア市の重役とも言えるようなオフェリアの友たちが集まって、昼間から酒を飲んだくれていた。 「オペラ、悪ぃな。呼びつけるような真似しちまった」 「気にすることはないよ。どうかしたの、リゴレット」 リゴレット。言い出しにくいのか、高らかに笑った。 「バルカ嬢と結婚するのだそうだ」 「――――ばるかさんとは、私の妹のルキアでございましょうか?」 「オーちゃん、はな出てる」 垂れた鼻水をカティアが拭いてくれた。申し訳ない、と思いつつ、リゴレットの隣にやって来たルキア・バルカを視界の中心に捉えた。きっと今、自分は面白い顔をしているのだろうと思う。 「イザークが正しい、姉さん。妊娠五ヶ月になる」 「そんな無茶な!お前どうやったのさ、できれば私にも教えておくれ!」 「ナルホド。それでオフェリア様のご子息をオフェリア様が妊娠されるファンタジーを行えますね」 やけに感心するフィアを放り投げ、膨らんだ腹を片手で支える新妻を開いた目で見る。結婚などより、エヴォルブ・オフィーリアの妊娠という事実が重かった。 「……少し、歩くか」 「リゴレット、奥さんを少し借りるよ」 あまり気持ちのいい話ではなさそうだった。決して明るい表情ではないルキアが、先導をするように歩き出した。少し酔いの回っているリゴレットが楽しげに手を振り、何かを言ったようだがオフェリアには届かなかった。周囲がどっと笑い、歓声が背中を押した。 バーの前には誰もいない。椅子に浅く腰掛けて、アビゲイルに人払いを命じた。 「オフェリア、貴方は。おそらく許しはしないだろう。だから、言えなかった」 「リタに頼んだ?」 「そうだ。小さいシン・シャル・イシュクンは、イコライザーの卵子を私に用意した。だから、これは。……貴女の子でもある」 それは、違うと。オフェリアは言い返した。ありがとう、と彼女は笑ってみせる。 「私は私だ。そして君は君。生まれてくる子は私の遺伝子かもしれないが、君の遺伝子でもあるから」 「その言葉に、素直に喜びたい。ありがとうオフェリア、ありがとう」 「生まれる者には祝福と感謝を。ただただ、愛を」 ルキアは気を遣うだろう。リゴレットもおそらくそうだ。今、話しておかなければ、きっと後悔することになる。周りには聞かせられない、一つの愛のカタチ。 「この感覚を何と伝えればいいのか、わからない。ただ、嬉しいのよ」 誇らしげな――――母の顔だった。羨ましくもあり、嬉しくもある。断ってから、腹部に手を当て、幸福だけを祈った。
政教条約の草案をリューヴ外務省のセシル・バルツァーに送り、ソフィア市内の行政を統括しながら、さらにフェクダ星攻略の作戦を立てた。 軍勢はおよそ三万五千。対するフェクダ星進駐軍は十から十五万というところだ。第二次反攻作戦で太陽系同盟軍二十万が結集したが、オフェリア率いるフルジア軍に打ち破られていた。ウルサ星系は評議会議長マクベス・ライルの従弟であるウィリアムが統治していた。 ライル議長の政治は、巧緻だった。いつしか重役や幹部は一族で固められ、確固たる地盤を築き上げていた。任期などあってないようなものだ。太陽系はライルの築いた巨大な牙城。容易く城を捨て、こちらにつくとは思えなかった。 ああいった政治家は多い。利権、地位、財産を求める者たちだ。決して全ての人間が清廉で高潔というはずがない。そういった人間でも、世界は人が創るものである限り、必要だった。 利害を考える。フルジアに勝てると思えるようになれば、自然とライルはこちらにつく。誰しもが憧れ、ついて来ようと思える世界が理想だった。我らに利があると思えれば、ライルは城から出てくる。ただ、利害関係を考えられる思考がまだ生き残っているかどうかが不明だった。 ある程度、脅しも必要になってくるのかもしれない。自らの牙城が、砂の上に築かれたように脆いのだと知らせてやればいい。 「陛下」 アマリアの声がしたような気がした。その名を呼ぼうと振り返ると、もっと大柄な女性の姿があった。見下ろしてくる視線で、別人と気付いた。声もやや太い。 「リアン将軍、私は皇帝ではありません」 「これは、失礼致しました。卿、全軍、艦隊への収容が完了しました」 「ん、はい。ではこちらも通達を出します」 アルドラ軍アイリーン・リアン麾下の軍団に援護を頼んでいた。オフェリアはソフィア軍一千三百と、ニュースを見て加わってきた混成旅団四千をまとめて艦に乗せる。合わせて、三万五千の兵力である。ようやく修理が完了したBデッキのハンガーでは、慌しく作業が行われていた。 ノティオンの戦いがあったからか、誰も無謀だとは言わなかった。勝算は充分にある。リアンは謙虚な姿勢で、指揮に従うことを明言していた。 「オフェリア、何をしている」 ハンガーに、腹を抱えたルキアがやって来た。 「それは私の仕事だろう。混成旅団の指揮は、私に託されていたはずだ」 「時間がない。前線ではフィデルの軍がフルジア軍と衝突した。ウルサを落とすには今しかない」 「知っている。それが何故、お前の仕事に変わっているのかと訊いている」 ソフィアに入ってからずっと、オフェリアは動くことがなかった。動けるほどの余裕がなかった。政治を見れる者は多い。しかしオフェリアほど造詣が深い人物はいない。それは軍事にも言えることだった。ただ、実戦の指揮はルキア・バルカやリゴレット・リエンツィに任せることが出来る。 フルジアの時と、同じだ。全てを一身に引き受け、こなした。その過酷な日々を取り戻そうとしているからだろうか。リアンとアマリアを間違えるほど、過去と繋がり、そして疲れているのかもしれない。 「行くな。この感覚を、どう伝えればいいか、わからない。だが、嫌なのだ」 「それは予感だよ、ルキア」 フィアが収容を終えたと報告を入れる。旗艦ルテティア・パリシオールム。怒りを孕んでいる声なのに、見送るルキアの表情は、悲しみに満ちていた。 行かなければならないのだ。新たな命を宿した妹同様の存在を、戦地に立たせるわけにはいかない。
2 ――――――――――――――――――――― “Judgement” ---Wolfgang “Dirigent” Scharnhorst May. 21, Neo.Globe.0327 Notion Pion moor
ノティオンの空が、燃えている。 夜空を閃光が照らし、不思議な光景を作り出していた。夜が燃える。上空で戦闘状態に入ったフルジア艦隊が、奇襲のような一撃で崩壊しているのだ。 敵は、まるで今までと違っていた。一時的ではあったが、電磁障壁が解除された。戦争が始まって以来、初めての艦隊戦が上空で展開した。敵艦隊はヴァルトラウトが打ち払ったが、衝撃は大きい。友軍の艦も落とされており、かつ、敵艦隊はノティオン揚陸のための陽動だった。 将兵の損失が大きい。慢心していたのかもしれない。兵を乗せた輸送艦には武装を減らし乗員数を増やしている。その輸送艦がかなりの損害を受けていた。二十万の近衛軍を投入し、レグルスからノティオンにかけての戦線には百五十万の将兵が集まった。 アルドラ強襲は、潰えた。敵は防御から攻撃に回り、最前線のノティオンに侵攻を開始した。 「ノティオンでは勝負にならん。星都の防衛は難しい土地だ。兵站が確立できない。ここは、敵に打ち込んだ楔だ。点であって面の制圧は出来ていない」 「手放すと、ティンクベルン将軍は言いますか?」 「シリウスとは違うのだ、シャルンホルスト」 「将軍の意見はごもっともだと。しかし撤退にも策を用いるべきです。敵を引き付け、損害を与えながらノティオンから撤退する。近衛軍を除き、全軍撤退。外征軍の撤退を援護し牽制しましょう」 ピノンの原野に防御陣地を設営していた。ノティオンには二十万ほどの兵数があったが、近辺宙域からも離脱させ、最終的には敵に明け渡す。ただ、簡単に渡したくはなかった。しかし拘ることもしない。 「敵軍、およそ二十万が進軍中。総指揮はナーディル・アルダシール、前線はリン・カーウェイの軍勢です」 「いよいよ太陽系とリューヴが手を組んだと、そういうことですか」 「宇宙軍はアルフェラツのエウクレイデス・カナリスだ。それぞれが組織を離脱し、個々に手を組んだという感じだな。現に、マクベス・ライルは一兵も寄越してはおらん」 国々が手を結んだというよりは、この難局に対して一人一人が立ち上がったという印象が強い。目的は利権でも地位でもない。祖国を守ろうという目的だけが一致している。手強い敵になりそうだった。今までは戦争が政治的行動の一種と捉え、組織内部で足を引っ張り合ってきた部分もあるのだ。 例えば、マクベス・ライル。例えば、アマデウス・ツェルニー。その二人が、徐々に立場を失している。代わりに台頭して来たのが、それぞれの星に眠る権力者たち。彼らが軍勢を募り、目的を重ねて手を結んだ。兵を送れない星でも、アルドラなどは協力して土地を提供している。 名将と名高い二人が進撃している。武器など兵装も以前とは違うという。精鋭二十万と同数の守備隊。長期戦になれば、苦戦は必至だった。長期戦が国にどれほどの犠牲を強いるのかは、シリウスで証明されている。もう一度、あれを繰り返すことは滅亡と等しい。立て直せる人物は、もういないのだ。 「何をしている。残る意味はないぞ」 すでに踵を返していたヴェルブングに諭され、前線から離脱する。殿軍の指揮はレオンハルト・ガヴォット大佐に一任した。近衛第一、第二の五万が残るという意味だ。 司令部の撤収を横目で見ながら、旗艦に乗り込む。輸送艦が不足していた。二十万を一度に運ぶ数は、無い。三度に分けて往復することになる。少ない兵力で戦線を維持出来るのは、近衛師団しかない。レオンハルトに見送られ、昇降口が閉まった。 「見てください。あの艦隊は、敵ですか」 青い地平線の果てに、並走する敵艦隊が見えた。周囲の友軍に比べ、およそ二倍から三倍の光。カナリス艦隊は駆逐されたと報告を受けていたが、増援がやって来ているようだ。 「ジェネシスとエンデバーです。休戦前の混乱を生き残った伝説の船」 「どういう意味ですか、ヴァルトラウトさん」 「リューヴ艦隊の旗艦で、支柱と言われている。我々の艦とは比べ物にならないほど古いが、当時最先端の技術力で建造されているから、軽視は出来無い。あれが出てくるということは、リューヴは宇宙戦でも本気ということです、長官」 見たことの無い旗艦。決して表舞台に出てこなかったのは、喪失を恐れていたからだ。そんな船が目の前にいるということは、リューヴは宇宙戦でも勝とうとしている。 「輸送作戦を早々に終わらせ、全軍で当たります。なに、我らの艦隊も捨てたものではありません。電磁障壁が無くとも、敵艦を轟沈してみせます」 「報告です。接近中の艦あり。ソフィア・ビュザンティオンから発進した模様です。艦名ルテティア・パリシオールム、指揮はパレス・アエロナウティカ・オブ・オフェリア=フォーレ」 オフェリア・フォーレ。彼の人の艦隊指揮能力を、シャルンホルストは知っていた。戦や政治の能力ばかりが突出しているように見えるが、実際は艦長や都督に向いた人間である。カティア・フレーニを救出した際、まるで奇跡のようにシリウス星への距離を縮めた。あれは奇跡でもなんでもなかった。オフェリアだからこそ出来たことだ。 フォーレ家というのは元々、古代リューヴの宇宙軍総督だった。アルゴナウティカ船もフォーレ家の所有物だ。操船技術や航図製作、艦隊指揮のプロフェッショナルだったはずだ。その末裔であるオフェリアの本当の才能は、フォーレの血としか思えない。 「拙い。ヴァルトラウト、作戦の根幹は撤退なのです。無理に踏ん張ることはない。犠牲を抑えることを、第一に」 「了解した。旗艦ティンカーベルは置いておく。指揮はここで。陛下、いや、オフェリア様が総指揮を執るとは思えないですが」 それはシャルンホルストも同感だった。何か別の目的があるのだろうが、今はそれを推測する時ではなかった。敵の攻勢をいかにして防ぐか。奇襲のような攻勢だ。負けつつある今、無駄に犠牲を出さずに撤退するのが最上の策である。 遠ざかる影。五十、六十という艦船が地平線の果てへ向かっていく。ティンカーベルの司令部には、続々と地表からの情報が入ってきていた。ヴェルブングの隣の席に、シャルンホルストは腰を下ろした。すでに第二陣の輸送艦が帰還し、現在、地表には五万の近衛軍だけが戦線を維持していた。 「さすがに歴戦だ。電磁障壁で旧式装備を使わざるを得ないというのに、巧みに攻略をしておる」 防御陣地は五段に構えている。今までの装備・戦術で最低でも二十日間は耐えられるように組み立てていた。それが、たった数時間で三段まで攻略されている。特に火砲が凄まじく、今まではあまり重要視されていなかった炸裂弾を使って陣地ごと爆破してしまう力押しを敢行して来ている。 世界が、揺れたような気がした。画面が揺れているのだ。何だ。次に、強い衝撃が来た。 「敵、サピリオ艦隊です。指揮はサマンサ・ラマート」 「太陽系同盟ユーロパ軍艦隊、総指揮はプリシラ・アルマヴィーヴァ妃王」 輸送艦が、次々と攻撃を受け、燃えている。ヴェルブングの怒声と共に電磁障壁が展開された。今までなら、これで終わりだ。艦船の電子機器が崩壊し、墜落する。だが、考えを改めろ。これは、新しい敵だ。青白い、そう、まるで尊崇するあの人の光のようなソレが宇宙に降り注ぎ、まるで中和するように、障壁を消してしまう。 負けた。瞬時に、そう思った。 「将軍、撤退しましょう」 「ディリゲント、地表には我が軍の最精鋭が残されているぞ、見捨てるのか」 「救い出す輸送艦はありません。私たちが残ったところで、死者が増えるだけです。捕虜になるのならば、外交交渉で救い出せます。命を、救うために逃げるのです」 鍛え上げた精鋭を、一兵も損じたくはない。そして船も、失うべきではない。ここは体面に拘る場面ではない、とシャルンホルストは判断した。 「しかし、無事とは言えんぞ」 「信じましょう。敵は、オフェリア様です」 正義を、見間違えてはならない。そう教わった。こちらも敵の捕虜を無駄に殺すようなことはしない。それは正義ではないからだ。決して恥ずかしくない生き様を。不器用かもしれないが、貫いてきた。 人は、それほど愚かではない。信じ合えるのが、人ではないか。
―――――――――――――――――――――
「やあ、ウィリアム。ここまで来てしまったよ」 両手を広げ、かつてのエドガー・レイヴェンスウッドの私室でオフェリアは微笑んでみせた。情けなく室内で尻餅をついているのは、フェクダ総督のウィリアム・ライルである。 鮮やかな男だった。シャルパンティエに少し似ていると、レイモンドは思った。颯爽としていて、しかも美しい人だった。オフェリアは、まるで神のように。群がる二十万の敵兵を、一本の腕で割ってしまったのだ。 彼は言った。率いているのは三万だが、背景には五百万の兵がいると。オフェリアを殺せば、アンドロメダが来る。フルジア軍も来襲するだろう。ノティオンの戦いを思い出す。つまり、世界の全てを敵に回すということだ。 「これは恫喝か、アンドロメダが太陽系を裏切るのか、内戦じゃあないか!」 「私に交戦の意思はない。ちょっと話すだけ。そちらが仕掛けてくるのなら、別ね。どうする、ライル。外を見てみなさい。いるのは、太陽系の兵だけ」 アイリーン・リアンの指揮する三万は、彼女が影響力を持つアルドラで集めた兵だ。ここには、全て太陽系同盟の軍しかいない。しかし、志が違っていた。 「軍勢はこのレイモンド・レイヴェンスウッド国王が掌握する。軍事政権は廃止、七年前の専制君主国に戻す。太陽系同盟に属するのか、それともアンドロメダ・クラスターにつくのか。決めるのは国家元首」 「二十万は多すぎます。半数で良いかと。帰郷を望む者、前線へ送る者などの再編成はリアン将軍にも手伝ってもらいたいですね。もちろん送り先は、ACMFCのあるアルドラに」 反射的に、レイモンドはそう答えていた。軍のことなら、少しはわかるつもりだった。オフェリアは特に指摘することなく、視線をウィリアムに向けている。 「さて、貴方はどうします。アルドラに行くか、地球に帰るか」 「馬鹿な、ふざけている」 「帰りたくない、働きたくもない、ここで呆けていたい。それでふざけているのはどちらかな?」 やはり、愚かだ。腐っている。従兄の縁というだけで、無能な男が故郷を思うがままにしている。怒りの感情を覚える前に、レイモンドは呆れてしまった。 「何という傲慢だ。マクベスがいれば、お前を許してはいまい」 その口が開いたまま、ウィリアムの首が空を飛んだ。血の滴る剣が、オフェリアの左手に握られている。他の方法もあっただろう。しかし、これが最も容易だった。オフェリアは首の無い死体を見下ろし、それから顔をこちらに向けた。 「手を汚すのは、私の仕事。この手は汚れきっているからね」 そう言うオフェリアの手は、細く美しかった。 まるで汚れていないように見えたのは、その誇りが、その信念が、洗い流しているからだろう。
3 いつもは雄弁で饒舌な口が、真一文字に結ばれたまま動かない。思考が固まっているのだ。存亡の時。栄光か死かの選択肢。決断の時が、迫っていた。 ウルサ星系、カニス・マヨール星系が太陽系同盟の統治を離れ、アンドロメダについた。 地盤をしっかりと固める。最初にマクベス・ライルが考えたのが、それだった。ウルサやカニス・マヨールは所詮、太陽系ではない。心が揺らぎ、屈するのも仕方がないのだ。しかし、太陽系がそうなってはならない。 タイタンとユーロパ。この二つと地球の総勢をもって、アンドロメダ・クラスター軍を撃破できないものか。トリスタン・シュトラスブルクがアンドロメダに加わると発言し、タイタンは今、封鎖されている。私兵軍団だけならまだしも、タイタンという星ごと加盟しかねない動きだった。 それに比べ、ユーロパは穏やかだった。タイタンの若造をどうするか、と考えが移り始め、ライルは呟いた。ようやく、口が開いた。 「議長、ユーロパ軍がアルドラのACMFCと共同作戦を展開しているようです」 息子のセロが入室し、報告した。リューヴのカルディアを中心とした勢力は、日に日に膨らんでいる。その背後には、オフェリア・フォーレがいると推測していた。その正体がルテティア・パリシオールムのオフェリアなのか、ソフィア・ビュザンティオンのオフェリアなのか、ライルにはわからなかった。 「あの小娘がか。なぜ把握できなかった?」 「艦隊なのです。陸軍は動かしておりません。妃王がアルドラ訪問を行い、およそ十隻の艦隊を率いていました」 各地から集まった連合軍は、まるで今までと違う動きをする。プリシラ・アルマヴィーヴァもその一人かもしれない。何せ、シャルパンティエの娘だ。ユーロパ圏が過激思想へと変わる可能性も充分にあると思えた。しかし、神は少女を赦すか。逆賊の娘でもある。 オフェリアは、赦しはしない。ならば背景にいるのは、赦すオフェリアではなかろうか。 「セロ、わかっているとは思うが、軍をしっかりと固めていろ。隙を見せれば裏切りは続くぞ」 戦力を結集させれば、アルドラのカルディア勢力を容易に上回れる。それは、内戦だ。戦で全てを片付けようとするのは愚かである。政治力で勝負を挑み、いかに地位を築けるかという争いを演じるべきだ。今のところ、明日にでも消滅してしまう可能性のある組織に干渉するつもりはない。 「はい。それと、タイタンからヴァルトブルク首長とルリアという者が訪れております」 「狼が来るとは、珍しい」 数名の兵士に連れられて、二人が部屋に入ってくる。タイタン人にしては珍しい黒髪の青年がヴォルフラム・ヴァルトブルク、タイタンでは最も力のある地域を領土としている男だった。いつもはタンホイザー・ヴェーヌスブルクを使いに出し、本人が領地を出ることはほとんど無い。 着座を勧め、向かい合った。ヴァルトブルクは不快感を隠そうともしていなかったが、冷静さを失っているわけではなさそうだった。従者なのか、ルリアという男性は微笑みを絶やさずにいる。 「領民が、餓えている。制裁を受ける意味がわからん。さっさと止めていただきたい」 「早速だのう、首長。太陽系軍は、太陽系軍。トリトンに攻め寄せる賊軍を打ち払うのは太陽系軍じゃ」 「トリスタンのことを言っているならシュトラスブルク領だけ封鎖しろ。私には関係ないことだ」 常に強気の姿勢を崩さない。見上げた態度だ、とライルは思った。この青年はもう十年、首長の座につき続けているが、一度も屈したり媚びたりはしない。そして、頼れる。タンホイザーと二人で指揮するタイタン軍は、トリスタンのそれより規模も資金も上回っていた。 誇り高い男なのだ。味方につけておいて、損は無い。何より、タイタン人らしい粗暴さを見せず、どこか気品のあるヴァルトブルクは、人間として好ましい。 「タイタンは、タイタンだ。地球ではない。トリスタンでも、私でもない」 穏やかな口調だが、声音には強いものがあった。曇っていた目が、一瞬だけ光と熱を発したようにも見えた。 「タイタン人にとって何が最も善いのか。よく考えてみることだ。信じれば、報いる。わしは信頼しておるよ、首長」 巨人に集る羽虫のように。煩わしいことばかりが起きている。一つずつ潰していくことだ。
太陽系同盟軍、数およそ百万。この第一銀河団で最強の勢力であるという自負がある。この牙城は、フルジア軍にも屈しなかった。ACMFに屈するとも負けるとも思わない。 一枚岩であるということが必要だ。そのためには、反乱勢力と見なし得る存在は排除しなければならない。タイタンが十七首長国ではなく、十六首長国となることをライルは望んでいた。おそらく、ヴァルトブルク首長も同じだろう。 利害が一致すれば、目的に向けて手を結ぶことが出来る。一言も口を開かなかった男、イザーク・ルリアという人物は、ただライルとの顔合わせのために来ていたのだろう。 「イザーク、か」 昔日を思い出す。レイ・イザーク。共に地球で太陽系同盟のために働こうと決めた仲だった。友だったのかもしれない。共に田舎の出身だったからか、気が合った。 あの頃の夢は、もう残ってはいない。何の熱も帯びてはいない。夢は責務に変わり、いつしか、ただそこにあるものになった。 権力とは何なのだ。時折、そう思うことがあった。 地球の評議員となり、少なからず権力を手にした時、妙な充実感があった。その充実感を求め、もっともっと上を、天に近い世界に行こう、目指そうと思った。しかし、友は違った。ライルが出世に必死になっていた時、彼は信仰を愛し、平和のために尽力し、家族を慈しんだ。 幸福を得られたのかどうか。この城のような、独裁者になって得られたのは何か。友が得られたもの。それはかけがえのない何かだったのではないか。結婚など、相手の家柄が全てだった。報じられた、美しくもあった、優秀だった。レーガルの妻は、最下層の底辺に生きるような女性だった。それでも、綺麗だった。 「歳を、とったな」 改めてそう思う。物事に固執し、くどくなった。瑞々しい思考など、夢など、どこに行ってしまったのだろう。 「セリア・W・イザーク。実子ですが、興味がおありで?」 「いやいや、わしに奴の娘に会う資格はなかろう。それで、ノルマ隊長。公安当局が何か?」 「被疑者の捜索、逮捕にです。SSU軍所属なのでMPが逮捕し、起訴します」 わざわざリューヴからやって来たアンドロメダ・クラスターの軍事公安司法警察が来ていた。ライルの顔色を伺ってきたことに、少しばかり満足していた。満足したのは、昔日を思い出したからかもしれない。 「……珍しいのう、ドラド人か」 「はい。イスラ・デル・ソルという集落の出身です」 「最大級の山岳都市のことだな。映像で、拝見させてもらったよ。山脈を橋で繋げた、美しい村だった。奇跡のように空に浮かんでいた。緑が萌え、草木で作った家、谷底を流れる川、清涼な空気まで見えるようだった」 彼女は少し気恥ずかしそうに微笑み、その仕草がまるで少女のように見えた。故郷を褒められ、喜んでいるのだろうか。 地球の片田舎で小さな家を建てて。妻と娘と三人で暮らす日々。晴耕雨読を愉しみ、少しの信仰心を持って生きた友は、幸せだったのだろう。そんな生き方に、自分は今、憧れているのかもしれない。口に出したことはないが、今の地位を捨てて誰も自分を知らない土地で、家族と静かに暮らすのも悪くない。 イスラ・デル・ソルで、空に近いあの場所で、星々に囲まれて、生きるのはきっと幸せなことだろう。心から、そう思う。 「夢というものは、残酷だ。決して叶わないように出来ておる。残酷で、甘美だからこそ、人は抱いてしまうのかもしれん。それは間違うと、麻薬のように自分を蝕む。夢に食われ、どこぞの龍のような生き方をしてしまう」 「夢に食われて死ねるならば、本望でしょう。周囲がどう思おうと、本人にとっては」 「ふむ、確かに」 シャルパンティエは、幸せだったか。夢を追い続けた男が最後に見たものは、何だったのか。 「本人にしかわからぬものだ。他人には、決して理解などされぬ。孤高であるな」 「人の上に立つ者は、須らく、孤独でなければなりません。宿命とも呼べますね」 言えば、響く。ノルマとの対話は、楽しいものだった。才のある女性だ。ライルは会話が好きだった。相手と会話することで、相手の思考を知ることが出来る、新たな自分を見つけることもある。才能のある人間と話すのが特に良かった。 「君、未来はどうなると思う?」 嫌な設問である。ライルはこの問いかけを、才があると認めた者にしかしない。 「戦争の帰趨が全てを決するでしょう。まだ、見えませんが」 「誰もが勝利を望み、勝利を掴み、未来を勝ち取ろうとしている戦乱の世じゃ。ただ一人、動きの読めぬ人物がおる」 「……オフェリア――――アエロナウティカですね」 オフェリア・アエロナウティカ。天宮、という意味の姓だっただろうか。おそらく、ライルとノルマの思考にある人物は同じ。フォーレ家は確かにベルベデーレに連なる人間だ。ベルベデーレとは皇族。近親交配を続けた王家を意味する。王家の近親者。確か、オフェリアの祖母の妹が、神皇の妻だったはずだ。 「交戦か、不戦か。理想として不戦を唱えるのは不思議ではない。理想のために生きるのも正しくはある」 「しかし、理想と狂想は似て。誰が狂い、誰が理性的なのか、その判別は非常に難しく」 「面白い表現だ。詩的で、美しい言葉だな」 「知識人でもあられる議長閣下にお褒めいただけるとは、光栄の極みです」 「ふむ。わしの見解を言おうか。君の思想に影響を与えられるかもしれぬ。わしは、この宇宙を統一するのは不可能だろうと思っておる。宗教というバックボーンで繋がることが出来ても、それは思想であり思考に非ず。考え方なぞ千差万別、十人十色じゃ。十国は決して一大国にならぬ。あくまでも、十国が同盟を組むという形が現実的なものだろう。仮に、世界を統一できるとしても、それは遠い未来。完全で完璧に作られたシステムが要る。それを作り出すには時が要る。『水は飲むと死ねる毒である』という構造を作り出すには長い時をかけて水を飲もうとせず、水が飲み物ではないと思い込むことで初めて水は毒になる。そんな困難な理想で、リューヴもフルジアも無くなった世界はどうなるか。力を持つ群雄が生まれ、薄っぺらい同盟で結ばれるだけだ。例えば、サピリオに強い影響力を持つナーディル・アルダシール・アル=マダーイン。あの男が故郷に凱旋すれば、強大な力を得られる。歳もまだ若い。ネブカドネツァル王家も同様だ。水を毒に変えた歳月が、王家には生きている。つまり、戦乱はそう容易くは終わらぬということじゃ」 未来には、夢も希望も無い。どうしてか。 夢を捨てたからか、夢が無いから捨てたのか。
4 負傷者は全て、ノティオンの病院に入れた。前線に残された将兵は五千にも満たない。近衛第二師団は何とか撤退に成功していたが、輸送船が撃ち落とされているのをレオンハルトは見てしまった。あれでは、生きてはいられない。 心血を注いで鍛え上げた麾下の軍が、無残に散っていく。しかし、まだ残されている者もいる。前線に集まった兵士たちは、間違いなくこの国で、いや、この世界で最強の部隊。自分と、オフェリアと、フルジアの歴史が鍛えた剣である。 ミンネという大尉がフェンリル部隊を率いて、前線とノティオンを往復していた。彼女は外征軍団の旗艦であるティンク・エア・ベレンの撤退という情報を持ってレオンハルトの場所まで走り寄ってきた。 近衛第一には、親オフェリア派の人間が多かった。皇帝を僭称した人物であると言う評価を本国では受けているが、近衛第一の兵士たちは誰一人、そう思ってはいなかった。そういった人間たちと接するのが、レオンハルトには心地よかった。 ゲルトラウデを超える英雄。ゲオルギーネでは、駄目だ。オフェリアでなければならなかった。心底、悔しい。あの時、シャルンホルストのクーデターを阻止することが、きっと自分には出来たはずだ。 「上陸したツェルニー司令官より降伏勧告が届いております」 銃弾が飛び交う前線に設けられた司令部で、飛び込んできたレーヴェ隊の兵を見る。エーデルガルト・ビッテンフェルト中尉は頬から血を流し、美しい外套が汚れた格好だった。精強を誇り、凛々しく立つ美しさは、もう失われている。 「中佐、シャルンホルスト様は降伏するようにと言っていました。恥辱は一瞬のものです。ただ祖国だけを、思いましょう」 「黙れガリアルド。我ら獅子の軍が、敵に屈するものか。死地に立った。軍人として、華々しく散ることは本懐だ」 ホバーを失い、翼をもがれた竜騎士を統率しているガリアルドの進言を跳ね除ける。シャルンホルストの小僧に、何がわかる。自分と、ゲルトラウデと、オフェリアが築き上げてきた誇り。それを穢すことは、何人にも出来ぬ。 第五段、最後の防衛線まで敵は進出していた。殺到するのではなく、隊伍を組み、遮蔽物を作り冷静にじっくりと攻略する様子だった。第五段を破られれば、後はノティオン市街しかない。その裏には山岳地帯が広がっているが、敵の手に落ちていることだろう。 オフェリアがノティオンを落とした時と同じだ。背後に山がある都市で、決して守りにくいという土地ではない。いざとなれば山に逃げ込める。その思考を逆手にとり、山に兵を伏せてオフェリアは追撃作戦を成功させている。それは、四年前の出来事だった。 四年で、立場が逆転している。 「ここで立ち止まれば完全に包囲され、打つ手がなくなる。だが市街に撤退しても同じだろう。帰る船は、ねぇんだからな」 「市街地にも敵が侵入しているようです。上空より、大型艦船が接近」 ミンネに言われ、空を見上げた。黒い影が、確かに見える。それは次第に大きさを増し、地表に向かって衝突するような勢いで空を走っていた。 「所属は機甲師団、友軍です。艦名は――――オフェリア・ネブカドネツァル」 「……レティツィアか?」 ヴェルブングのティンカーベル号が撤退したということは、上空の艦隊戦は決着がついたか、帰趨は決したということだ。機甲師団だけが前線に残っている理由はない。救出に来たのか。それでも、乗れるのはごく一部だ。 市街地の高層ビルを薙ぎ倒し、撃墜されたかのような速度と勢いでノティオンに落ちる。レオンハルトは、ミンネの手から通信機を奪い取った。アマリア・レティツィアを呼び出す。煙とショートする火花の向こうに、彼女がいる。 「私は味方を見捨てない。中佐、救助に参りました」 無事な姿が、船から飛び出し、銃声と共に陣地まで走り出す。もう、市街地にも敵がいるのだ。 「この、愚か者がよ。ヴァルトラウトに説教くらうぞ――――!」 「その機甲師団長ですが、向かっているようです。機甲軍旗艦『アイテル・ツェレン』も針路をノティオンに。レティツィア大尉、怒られますよ?」 「知らない。向いていないのだ。私は戦場を走ったほうが好きなの、ミンネ大尉」 拳銃と剣を手に、単身で陣地へ駆け込んできたアマリアが通信機を投げ捨てた。その姿から、市街地は激戦が予想された。 「負傷者は現在収容しています。全員は、乗せられません」 怪我人を、と言おうとし、彼女はレオンハルトより先に口を開いた。残る者、死す者、降伏する者。それを選ぶつもりが、レオンハルトには無かった。皆が訓練を、皆が鍛錬を共に積んだ。一人一人を公平に扱う。そうやって、軍人を貫いてきた。 指揮官が死ぬのなら、指揮官が死ねと命ずるのなら、彼らは残らざるを得ない。自発的に生き残ろうとすることは期待出来なかった。生きろと命ずる。それしか、残された道はないのか。どれほど悲壮であろうと、道が一つだけとは思いたくない。 故郷に戻る。家に、帰る。それが、難しいことだと、初めて知った。 「ガリアルド、帰還して陛下に伝えろ。敗戦の罪、降伏の恥辱、全ての責任はこの俺がとる」
上陸したフィデリスは、要塞攻略を得意とする将軍だった。今回の作戦も、彼が立てたものだ。攻勢や奇襲を得意とするナーディル・アルダシール、そして防衛戦に強いリン・カーウェイ。三人の軍司令官は実に上手く噛み合っていた。 航宙母艦が敵の惑星に上陸しているという光景は、開戦後、おそらく初めてのことだ。三十年前に就航したにも関わらず、未だ現役で、なおかつ最新式の航宙母艦ジェネシスで、三人は顔を合わせた。甲板から戦況を見下ろす。ノティオンが、近くに見えた。 隣にいたアンリ・ベルティエに、アリーは声をかけてみたくなった。緊張をしていたのかもしれない。あるいは興奮を。 「凄い光景ですね。あの写真家がいりゃ、大喜びしそうだ」 「今、歴史の一場面にいるのかもしれない。私はそう思うよ、アリー」 真昼の空から、大量の隕石が降り注いでいた。打ち砕いた輸送艦が、そして敵艦が、破片となって大気圏で燃えているのだ。報告が入る。ユーロパ・サピリオ連合艦隊、一隻で移動していた敵旗艦を撃沈。同時に、一際大きな爆発が、恒星のような光を放った。 「……神よ、なんということだ」 ベルティエが小さく呟いた。空が燃えている。巨大な航宙母艦の爆発は、地表からでもはっきりと見ることが出来た。そして、隕石の空を彩る。プリシラ・アルマヴィーヴァが撃破したのは、アイテル・ツェレン。敵の宇宙軍で最も多大な活躍を残した機甲師団の旗艦だ。 「歴史は今、変わろうとしている。私は、体が、震えている」 穏やかな声音だ。ツェルニーは眼下の光景を信じられないように、驚いた表情をしてみせた。
「違うな。歴史はもう、変わった」
ナーディル・アルダシールが顎で示す先に。投降したフルジアの兵士たちが連なっていた。圧倒的に女性が多い。黒衣。紫の鞘。折れたホバー。白い襟巻き。近衛第一師団である。精強で、世界最強の軍隊が。頭を垂れて黙々と進軍していた。 先頭に、両腕の無い男がいた。袖が、血で濡れている。 「共に喜ばんか、ツェルニー。これが、渇望し続けた勝利の味というものよ」 顎鬚を撫でながら、悠然と笑うカーウェイ。これは、きっと転機だ。歴史が変わった瞬間に、自分は立ち会ったのだとアリーは全身で感じていた。 天地が、勝利を喝采しているような気がした。燃える空、黒く続く軍勢。この世に、新たな時代をもたらすのだ。
5 ノティオン制圧のニュースを、ライルは執務室で眺めていた。 かつて数十万で駐屯していたが、二万のフルジア軍によって打ち払われた地だった。それが、同数の兵力で打ち破れるほどになっている。ACMFは寄せ集めの軍ではあるが、精鋭中の精鋭をかき集めた軍なのかもしれない。烏合の衆とはとても言えないような勝利だった。 あまり、時間の余裕はない。態度を曖昧にした従弟のウィリアムは、死んだ。いつまでも態度を保留にしておくと、ACMFが地球に攻め込むとも限らない。もっとも、そうなれば戦うだけである。内戦がいかに愚かか、見抜けない阿呆たちに付き合おうとは思わない。 フルジアは今、揺れている。第一次、第二次と反攻作戦を構築したが、いずれも目立った功績をあげたわけではなかった。しかし今回の作戦では、敵艦隊を駆逐し、陸上部隊が敵陣地を攻略した。完全勝利である。その中で、初めてまとまった捕虜を出し、ヴァルトラウト・フォンアイツェルンの死をフルジアは受けていた。 ACMFが動くとすれば、今だろう。回答を用意しておくべきだ。リン・カーウェイのように参集するか、あるいは従弟のように反対するか。無論、前者しかない。だとすれば、いかに自分が利権を握れるかというところにかかってくる。 軍人に全てを委ねるつもりが、ライルにはなかった。兵士は駒である。軍人は肉体労働者のもので、政治家は経営者なのだ。労働者が強力な権力を保持した例がティールだ。治安の乱れは無法状態を作り出し、経営者が労働者に頼み込むという不思議な構図を作っている。 いくら歴戦の名将といえど、政治まではわからない。ツェルニーがいい例だ。総長になり、ルテティア・パリシオールムを盾に上手く立ち回ったが、あまりにも脆すぎた。ルテティアに本物の神皇が戻っただけで、その立場は瓦解したのだ。自分なら、そんな稚拙な真似はしないだろう。 「セロを呼んでおけ。少しややこしい問題がある」 通信で秘書に知らせ、ライルは椅子から立ち上がった。 タイタンの情勢がようやく落ち着きそうだった。ヴァルトブルクは、トリスタンを排除するつもりだ。暗殺か、それとも領土への侵攻か。どちらにしても、トリスタンでは持ちこたえられないだろう。タイタンで最大の勢力となったヴァルトブルクと手を結べばいい。それで、太陽系同盟軍は強くなれる。 手を結ぶなら、貸しを作ることだ。トリスタンには領土というものがある。トリスタンの殺害に成功しても、制圧戦に時がかかる。軽減させるために、こちらからも兵を出す。セロを送り、ヴァルトブルクが制圧にかかる時を削減させればいいのだ。 「地球は、わしのものだ。第二の地位くらいは用意してもらわねばな」 加わろう、と決めている。今のところ、アンドロメダ・クラスターが強力な軍事同盟を結んだというだけに過ぎない。カルディアが政治工作を行っているようだが、自分が出ればそれなりの地位を用意しなければならないだろう。 面倒な相手はカルディアくらいのものだ。軍人は、どうにでも動かせる。 「……若造が。わしは小僧が生まれる前から戦ってきたのだぞ」 どこかに、憎々しげにニュースを見た自分がいた。本当なら、今のカルディアの地位に自分がいるはずだろう。様々な邪魔が、障害があった。それでも、全てを乗り越えて、より強くなって、ここに来た。 机が近かった。違う。何故だかはわからない。どうして、自分は机に突っ伏してしまっているのだろう。両手をつき、ライルは体を起こそうとした。 力が入らない。何かが、抜けていくようだ。 抜ける。何が。血だ。夢だ。そして――――命だ。気付いた。胸から、そして口からもぽたぽたと血が零れている。どうして。不思議だった。そして不思議なまま、死んでいくのではないかと思った。 胸に手を当てた。銃創。誰かに、射撃されている。 ライルは力を振り絞り、背後を見ようとした。そのまま、椅子にもたれ、床に倒れたのがわかった。体が、おかしい。言うことを聞かないのだ。立つことも、座ることも許されず。ただ、寝転がるしか出来なかった。 抜けていく。夢が、魂が。 大きく息を吐いた。しかし、もうライルには吸うことが出来なかった。
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