新たなる秩序。 銀河に降る夢を、繋ぎ合わせて作る未来。 全てを壊すわけではない。全てを活かし、新たに変える。 変革を。同じ夢を抱くならば、この翼に集まろう。 変わるのは世界か、それとも、自分自身か。
1 政治家の娘。それが立場だった。だから、いつからかそれが自分になった。 いつしか自分は、アンナという少女から政治家の娘に変化していた。それに気付いた時は手遅れで。もう普通の女子高生にはなれなかった。このまま、いつかは政治家の道を進む。いや、道はもう進んでいて、このまま政治家になるのだろう、と確定された将来を見ている。 リューヴは激しい権力闘争を繰り広げていて、それは近くに歩み寄れば、肌で感じられるほどのものだった。議長派と大統領派、大別してこの二つの派閥が争っている。父は、どちらかというと大統領派だった。ただ、あまりはっきりと提言したことはなかった。 アンナは十八歳になり、どの大学に進むかもほとんど決まりきったことだった。リュケイオンか、カルスか。優秀な政治家の登竜門のような二つの大学だ。そこに、三つ目の選択肢が生まれたのは昨年の夏の出来事だった。 天都ソフィア・ビュザンティオンがリューヴにやって来たのである。アルゴナウティカと呼ばれる超巨大な母艦がゼルスに停泊し、あまりにも巨大すぎることから、フラリス市北西部の沿岸に移動した。海の上に浮かぶ巨大都市である。 テレビは最初、ひっきりなしにニュースを流していた。アルゴナウティカには兵士と呼べる者はわずかしかいなく、多数のカメリア星とシリウス星の難民を乗せていた船だった。だから最初は、父もアンナも、カミーユ人自治区のあるリューヴ政府に援助を求めてきたのだと思った。 軍隊と呼べる軍隊がなく、また敵意も無かったことから、リューヴ政府は受け入れを許可した。アルゴナウティカからは当初、カティア・フレーニ元カメリア王国元首が交渉に訪れていたようだが、破談した。そこで初めて、ソフィア市は資金援助を求めているわけではないとわかった。 対等な交渉。超大国のリューヴ統一政府と、対等な立場で話し合いに来ているのだ。資金を恵んでください、と媚びているのではなく。共に終戦へ向かって協力しようではないか、と言っている。それに、驚いた。 終戦。それは、即ち敗北ではないのか。不利な立場にあるアンドロメダ側が、屈服するということではないのか。 「我々は中立である。リューヴと結べば、フルジアとも結ぶ。妾はシリウスでそれをやろうとしたが、失敗した。一再があるのなら、成功しか残されていない」 カティアはそんなことをインタビューで言っていた。つまり、調停役である。その時アンナは、なるほどと思った。アンナが思うということは、リューヴの政治家も思ったはずだ。 本来、調停に動くとすればフィルウィリミテア教の存在がある。ルテティア・パリシオールムが各地の内戦で調停役となったこともあるし、第一次の休戦協定はフィルウィリミテア教のオベロン・フォーレが調停役となったからだ。そういう実績が、宗教にはあった。 しかし、現在のルテティア・パリシオールムは、さながら軍国だった。二万の将兵を指揮し、実際に前線でフルジア兵を殺している。そのルテティアに代わって、ソフィアが調停役になろうと言うのだ。ソフィアの頂点には、前フルジア皇帝ネブカドネツァル二十一世と、フィルウィリミテア教最高司祭アデレード・フォーレがいる。 ソフィア・ビュザンティオンにはフルジア人もカミーユ人も、リューヴ人もいるのだ。あの都市の中だけは、戦後の世界が築かれている。 そういうものに触れてみたいと思ったのが、志望の動機である。 試験はとても難しかった。リュケイオン大学にもカルス大学にも受かったが、プロシア王都大学は、落ちていた。結果には、驚いた。アンナは多少なりとも学力に自負はあったが、その自信を打ち砕かれたような気がした。 「そう気を落とさない。ソフィアには、もう一つ大学があるらしい。こちらは私大だが、女子大のようだ」 気落ちしたアンナに、父はそう教えた。一次試験を受け、こちらも高いレベルだったが何とか受かり、二次試験を迎えたのだった。 二次試験は、面接だった。ソフィア・ビュザンティオン市は昨年まで居住者の受け入れや観光客を拒否していたが、年明けから規制を緩和していた。今までは政府関係者しか入れなかったのが、居住者以外であれば入れるようになっていた。おそらく、リューヴ政府との交渉が進展を見せているのだろう。 リューヴからの進学者は、王都大学が十数名、アンナが受ける学園は数名しかいなかった。狭き門。そのレベルに圧倒されながら、アンナは父と共にタクシーでレストア市に向かっていた。
Dデッキと呼ばれるメインゲートの前にタクシーを停め、中に入る。非常に広々としたエントランスロビーで、ここで受付をしてから、都市部に入ることが出来る。ここは都市の外殻部で、まだ全面開放には至っていないので外殻が残っているのだそうだ。 受付でiIDカードを渡すと、半透明のカードで返却された。新しいIDになる。このIDは従来の個人情報に加え、アルゴナウティカ船のセキュリティチェックを通るためのものだった。アンナのカードには、D2とD1のアクセスエリアが書かれていた。父はすでに持っていて、それにはA7も加わっている。 D1がこのメインゲートで、D2はこのデッキの上、貨物室などがある場所だった。父に誘われ、リフトに乗って都市部に出る。リフトから降りるとビルの一階部分にあたり、そこを出て初めて、都市の大地を踏むことが出来た。 振り返ると、漆黒の剣。天高く突き立つ剣のような高層建築物があった。アヤソフィア。街の中央にあり、行政機関なのだと父は教えた。ビルの前でタクシーを捕まえ、学園の名を告げると、賑わう商業地区を通過して、車両は北の方角へと進んでいった。 「へぇ、いいとこのお嬢さんなんですねぇ。ウチの女子大、ヘタすりゃ王大よりレベル高いんですよ」 運転手は、さりげなくそんなことを言っていた。少し、街の自慢のようにも聞こえて、ここに住む人は自らの都市を好いているのだと思った。 「リューヴからですか。そりゃ、凄い。いやミーハー気分で来るヤツもいてね、受かった人を初めて見ました」 受験に落ちたというのに、どうしても見てみたくて受験生のフリをする女子もいるらしい。アンナも実際は二次面接を残していたのだが、リューヴから五、六名程度しか受かっていないので、初めて受かった人物を見た、という運転手の言葉に異を唱えようとは思わなかった。 「何故、ミーハーなんですか?」 「そりゃアデレード様がいるからじゃないですかね。オフェリア様もいるし、ほら、地球の将軍の娘とかもいたはずですよ。VIPばっかが名を連ねる凄いとこなんですわ」 景観は次第に、自然を残した地区に入っていく。遠くに見える森の中、突き出る建物を見つけた。 その建物には近寄らず、タクシーはすでに停まっていた。近代的な建築物がある。聖ユーリヤ学園、という名前の女子大学。その教養学部の試験が、始まろうとしていた。
面接は、父と二人でだった。試験というよりは、入学後の説明のようなもので、説明会に近いと思った。特に難しい設問を出されたわけではなく、入学後に何をしたいかとか、どこに居住するかなどを訊ねられた。 そう、問題がある。それは住居の問題だった。 「他の受験生の方は、リューヴから通われるそうですよ。そのうち移住も解禁になるだろう、と」 今のところ、移住することは出来ない。マンションを借りて一人暮らし、というわけにはいかないのだ。将来的に解禁になるかもしれない。あるいは、リューヴを離れて他の惑星に行くかもしれない。そうなれば、通えなくなる。 「困ります。私、絶対にこの大学を出たいんです」 政治家への道が、こんな不安定なものであってはならない。アンナは断固として、ソフィア市移住を訴えることにした。父も困り顔で面接官に対している。 「うぅん。寮に住むのであれば、問題はないのかな。そこらへん、ちょっと自信がないです」 「寮があるのですか?」 「寮、といいますか。まぁ、ご覧になりますか。そこの責任者様に訊ねればきっとわかるはずですし」 森の方向を指差し、面接官はあの突き出た建物を教えた。ユーリヤ修道院という名前のフィルウィリミテア教の施設。宿泊することも出来るのだそうだが、定住は難しい。修道院はリューヴにもあるが、修道士になるための養育機関のことだ。 女子大に付属するような形で、女子修道院があった。世界でも珍しいファンダメンタル派の修道院なのだそうだ。普通、修道院はリベラル派のものが多い。自由に聖職を目指すというもので、規律もそれほど厳しくない。フィルウィリミテア教の聖職者になるための専門学校のようなものだった。 とりあえず、修道院を目指すことにして、女子大を辞した。父とアンナの二人は、森へと足を向け、険しい道を歩んで行く。
監督役のシスターに誘われ、院長の部屋に通される。部屋には誰もいなかったが、すぐにやって来ると説明を受け、二人きりで待ちぼうけた。 修道院は、驚くほど古かった。建物自体は、なかなか大きい。手入れが行き届いていて、古くとも立派な建築物であった。おそらく、史料的価値がある。レプリカ・セイクリッドに似ている装飾などが院内の通路などに施されていた。 しばらく待っていると、一人の女性が入室してきた。 「アルバ・ロンガ卒、院長のオフェリア・フォーレです」 その風貌を見て、圧倒される気分にアンナは陥った。オフェリア・フォーレ。この顔は、もう有名になり過ぎている。フルジア女帝。そして、聖女アデレードと同じ顔。父も同じように、口を半開きにしていた。守られた聖女と同じ顔の、フルジア皇帝に会えるなどと、誰が思うだろうか。 不可能。無理。そういった次元を、超越して。 「……私は、一応、神官としての勉学もしていたので。それで、院長を押し付けられたのです。どうぞお掛けください」 「ほ、本物ですか?」 「どうでしょう。ただ、前のフルジア帝と一緒ではあります」 驚きながらも、対面に座った。オフェリアは優雅な仕草と優しい微笑みを見せ、ご用件をと口にしていた。 「修道院に住むには、修道女とならなければなりません。しかしまぁ、いいんじゃないでしょうか。女子大と修道院は関係がありますし、特例ということで」 さすがに、ソフィア市の最高権力者である。特例として認められ、こうして晴れて、ウル・アンナ・ネルガル・シャレゼルはユーリヤ学園と、ソフィア・ビュザンティオンに入ることが出来たのである。
2 かなりの報道記者が入ってきている。その前でにこやかに談笑し、握手をするところまでが、表向き。 リューヴ大統領が初めてソフィア・ビュザンティオンを訪問。プロシア公オフェリア・アエロナウティカ公爵と謁見、となるだろうか、と翌日の見出しをカルディアは待機中に考えていた。あるいは、交渉に進展、とつくかもしれない。 教育機関などを見て回って、最後にアヤソフィア天宮殿でプロシア公国閣僚と向かい合った。美辞麗句を言い合って、最後に握手をしたところで歓談は終わった。カルディアはそのまま帰ることなく、今は用意された別室で待たされているところだった。 まず、バルツァーの功績が大きい。外務省を動かしてプロシア公国と外交を始めることが出来た。アマデウス・ツェルニーが神皇カイアファによって非難される今こそが、復権の時だった。 「お待たせいたしました、大統領」 一人の女性を伴って、オフェリアが入ってきた。密談というわけではない。彼は報道の人間を追い返し、中央省と呼ばれる人事管理、公的事業を司る省庁の長を連れて来ていた。それがフィラーナ・ノルマという二十四歳のドラド人だった。 顔合わせは、済んでいる。特に挨拶をするわけでもなく、着座した。 「この前は妻が失礼をしたようで、それについては謝罪しましょう」 第一次の接触では、カティア・フレーニが全権大使となって交渉の窓口に当たっていた。彼女によってソフィア・ビュザンティオンの目的や内側は見えたが、その威圧的で強硬な態度に閉口した閣僚たちが追い返してしまった。 あれは恫喝に似ている。同盟せねば斬り殺すぞ、ともとれる会話は鋭く強く。峻烈な人ではあったが、協調性には欠けていた。 「クラスターへの加盟は、どうですか?」 「まぁ、推薦を受ければ加盟することは可能ですが、意味がありませんよ。アレは有名無実なものです」 「それは、貴方の判断でしょう」 ソフィア市はプロシア公国として、一国の国家に匹敵する体制を築き上げていた。対等な条約を結ぶためにも、アンドロメダ・クラスターへ加盟したいと望んでいるようだった。国家の推薦を受ければ、加盟は出来る。しかし、最早、クラスターに意味はなくなっている。 「リューヴ大統領、などという肩書きの方がよほど、不要だ。カルディア大統領、余計なものにしがみついていると、大局を見落とすでしょう。今の貴方が、四面楚歌であるように」 「そのとおりだと思います。出馬は、止めましょうか?」 大統領の任期は五年。カルディアは二度目の大統領選を迎えようとしている。前回はツェルニーが大統領かと噂された時だった。しかしツェルニーはアンドロメダ・クラスターへの工作を行っていて、カルディアは大統領一年目と同じく傀儡として国家元首の地位を手に入れた。 最初は傀儡。その次も、権力など無かった。ならば、今度も。 「もしも、戦争を終わらせるのであれば、併合が必要になります」 オフェリアは答えを口にすることなく、話題を変えてきた。 「ツェルニーは失敗した。地球と連合してフルジアを攻めることは出来た。しかし、結果は?」 「全て防がれ、大打撃を食らいました。そう、貴方によってです、ネブカドネツァル二十一世」 「私がいなくとも変わらない。仮に今の陣容で攻勢をかけても、ヴェルやディリを抜けるとは思えない」 第二次反攻作戦インペラトール・シャッタードは、レアティーズが考案した作戦だった。多方面から敵領土への侵攻を根幹に、レグルス星系へ複数の進軍路から攻勢を仕掛けた。動員数は220万人。地球の太陽系同盟軍と共同の作戦だった。 結果は、惨敗である。ノティオンが攻略され、レグルス星系に入った自軍は壊滅した。その痛手から回復したとは言い切れず、リューヴ国軍は軍団を一つ解体し、太陽系同盟は将兵五十万を失ったと言われている。 敵の総帥はオフェリア。目の前に座っている人物だった。しかし、オフェリア自身は二万の遊軍を指揮していた師団長に過ぎず、ヴェルブング・ティンクベルンの百万、ヴァルトラウト・フォンアイツェルンの五十万が効果的に動き、防衛に成功したと言える。 「アンドロメダは一つにならなければならない。軍が、というだけではありません。資源もある、人も多い、フルジア帝国に劣っている部分など何一つないのに、バラバラだから負ける」 「新たなる秩序が必要だと仰るのですね」 「リューヴ人が、地球人が、と言う状況ではありません。アンドロメダ・クラスターは、今、手足をもがれている。何も出来無い無能なもの。手も足も腐っているなら、羽をつけてやりましょう」 前に進むには、手だけではなく、足だけでもなく、翼が要る。新たな歩み。リューヴでも地球でもなく、手足に圧せられていた者たちを背負えば、アンドロメダは大きくなれる。 「まるで、フルジアを敵としているようです」 カルディアには、オフェリアがフルジアを潰せと言っているようにしか思えなかった。だから、それが不思議だった。いまいち、信用できないと心のどこかで思っているのかもしれなかった。 「フルジアは、完成されています。秩序が、在り方がすでに完成されています。それは、この国には合わないでしょう。フルジアのやり方では、世界は広すぎる。秩序が崩壊することになる」 「では、アンドロメダでは?」 「今のままなら、負ける。変わるのです、大統領。新時代の秩序を作る。それこそが、未来の世界。未来の世界に、過去の世界が勝てるはずがない。進む。前に、明日を築く。フルジアもリューヴも、世界の構成要素に過ぎません」 リューヴに勝たせるつもりなど、この人間は毛頭ないのだ。新たな世界を構築すること。その世界とは、未来の、戦後の世界。この人間は、未来を作りにアンドロメダへ舞い降りたのだ。 フルジアだけでは足りない。リューヴだけでも足りない。戦争を終わらせたいわけではない。目指す未来は、十年、二十年、あるいは百年先の、明日。 格が違う、とカルディアは感じた。今まで、どこかでソフィア市の市長と喋っているという先入観があった。つまり、小さな政治家なのだと見下していた。だが思えば、オフェリアはフルジア皇帝だ。自分と同じ、あるいは上の政治家だった。
「軍事同盟。つまり、『アンドロメダ軍』の設立が最初の一手になります」 言って、オフェリアは具体的な改革を語り始めた。 「現在のアンドロメダ・クラスターは軍事的な意味を持ちません。太陽系同盟やリューヴ政府などがそれぞれの管理下で徴兵し、軍隊を作り上げています。これら国家間、惑星間の垣根を取り払った多国籍軍を作る。土台はあるのですから、兵力の提供によって結びつくのが妥当でしょう」 そもそも、アンドロメダ・クラスターの軍事力は、惑星間の紛争を解決するためのものだった。規模も小さく、他銀河団と戦争状態にある今では全く意味をなしていない。 オフェリアの言うアンドロメダ軍とは、太陽系同盟軍やリューヴ軍とも少し違っていた。指揮が違うのである。例えば、タイタン兵士は太陽系同盟に組み込まれ、地球の司令部に命令を与えられる。オフェリアが言いたいのは、連合の司令部、国籍や星籍という概念そのものを崩壊させるものだ。 「例えば惑星から一人、代表を選出します。現在の総会は国家単位での選出ですが、タイタン代表やアルドラ代表を加えよう、ということです。国力の背景による発言力に差は生じるでしょうが、現在のアンドロメダでは非常に僅差かと」 国力で言えば、もちろんリューヴや地球といった超大国が主導権を握っている。しかし戦争特需によるティールやアルドラの景気は侮ることが出来ず、タイタンやユーロパの人間が戦線を支えている。その発言力に、大きな差はない。 「人事などは、考えていませんか?」 「軍に関して、これはという人間はリューヴ軍のナーディル・アルダシール。それから太陽系軍のリン・カーウェイ。独立勢力を率いているルイ・シャルパンティエ。アルドラのアイリーン・リアン。各惑星代表は、それぞれの星で選挙を行うべきでしょう。政治家や国家元首がそのまま代表になるのではなく、惑星の住人に対し影響力がなければなりません」 「オフェリアさんは、どうです?」 「どうでしょう。例えばフルジアでは、私がいなくとも何も変わっていません。仮に今の陣容のままで攻勢を仕掛けても、ヴェルやディリを抜けるとは思えませんから」 「それは、先ほどもお聞きしました」 もちろん、シャルパンティエやナーディル・アルダシールといった名将もいる。しかしそれ以上に、オフェリア・ネブカドネツァル二十一世は、司令官として非凡なものをもっているのだ。カルディアの誘いに、オフェリアははにかんだ笑顔を見せた。それに、どきりとする。 「――――私は、駄目ですね。プロシアは調停に動きます」 アンドロメダ軍と、フルジア軍。この二極が出来て初めて、調停ということが可能になる。今の段階ではおとめ座銀河団が太陽系に侵略しているという構図で、様々な勢力がありすぎる。おそらく、まとまらない。まとめられた二つの国家をとりなす、というのが調停役として考えられる最良の手段だ。 「司令官に、レアティーズ・カデンツァを迎えたいとは思いますが。まず、無理ですね。アイツは権力を手放そうとはしない」 「――――やはり、認められませんか、彼を」 レアティーズは、友だった。オフェリアとレアティーズ、どちらが正しいのかという問いに、カルディアの胸中で答えはすでに出ていた。しかし、その答えを、どこかで否定している。おそらく、感情が。友への背徳を許せない。 「権威と権力は別でなければなりません。宗教が、力を持つ。それは許されない。私たちは、絶対に、誰かの為に動いてはならない。幸せのために誰かを不幸せには、できない」 それは多分、本物だから、言える。 心情はきっと別だ。しかし、オフェリアが正しいのだと思った。
3 夏になる頃、アルゴナウティカはリューヴを出立した。同時に、外国籍の住人の移住を受け入れることを提示した。 銀河系にて浮遊する都市ソフィア・ビュザンティオン。地球、マンティネイア、リューヴ、そしてティールの四惑星の中心地点に停泊するようになり、新たな交通の要衝となりつつあった。その巨大なハンガーとドックで、さながら、駅のような一面も見せ始めている。 このように、移動することもあるというのをアピールするためだった。それでも、移住を希望する人間は多かった。 「移住者が増える、それも富裕層の人間が別邸のようにしてリゾート地や新天地を望むのはわかっていたから。次は、ノティオンあたりに増えるかな」 たまたま修道院に来ていたオフェリアは、質問をするアンナにそんなことを言った。 「じゃあ、最初からわかってた、と。移住を制限していたのも計算だったのですか?」 「休戦世代の人間が三十歳を超えて所帯を持ち、かつ自宅を欲するようになる年になるから」 三十年ほど前、休戦を迎えて動員されていた兵士たちが帰郷を完了させた。そのことにより、出生率が倍増し、ベビーブームと呼ばれる世代が次々と生まれたのだ。少年期に再び開戦となり、独立思考の強い世代だと言われている。リゴレット・リエンツィやレアティーズ・カデンツァの世代がそうだ。 彼らが大人になり、経済を支え、そして安定した所得とある程度の資産を持つようになった。すると、次はマイホームを構えることになる。集合住宅やマンション暮らしを都会で営んでいたのが、高級住宅街へ進出していく。 その受け入れ先に、ソフィア市がなることをオフェリアは想定していたということだ。 アンナはずっと、オフェリアという人は軍人なのだと思っていた。無論、軍人ではある。しかしそれ以上に政治家なのだ。それも父やカルディアよりもずっと優れた能力の政治家である。 例えば、このソフィア市の経済もそうだ。完全に物価が管理されている。どれほどの値段で物資を輸入し、卸す価格まで細かく設定されている。数年に渡って物資の値が安定するまで続けられる。これはオフェリアが皇帝だった時のフルジアと同じ計画経済である。 しかし、難しい。経済の動向を常に管理しなければ、物価は破綻する。あるいは粗悪な製品が出回ってしまう。成功して軌道に乗せるには、大変な商才と管理能力が問われることになる。 フルジアは、それで成功した。軍需物資と民需物資の均衡を取り戻し、製品の質を向上させ、供給量を安定させて物価を落ち着けた。四年という短い歳月でフルジアが息を吹き返した。それは、先帝のゲルトラウデとクリスティーナが、十八年の歳月を要したことだった。 「……勉強になります。大学の講義などより、オフェリア様と話す方が学べると思います」 「その言葉、懐かしい気がする」 彼はまんざらでもなさそうに笑って、フルジアの昔話などをしてくれた。卓抜した見識と政治力に基づいた昔話だ。 貴重な時間。ここに来て間違いではなかった、アンナはそう思える瞬間を過ごしている。
ソフィアは四つの権力で成立している。議会で法律が制定され、それに基づいて裁判が行われ、人々をまとめる行政機関があり、そしてあらゆる情報を提示する報道機関である。 マスコミの力が、非常に強いのだ。それは独裁国家であるフルジアでは、絶対にありえない光景だった。情報の統制が一切、行われていない。アンナはテレビを見ながら、続々と入港して来る各国の軍隊を眺めることが出来た。 リューヴ政府が中心となって、アンドロメダ銀河軍司令部が設置されつつあった。リューヴの議会で大統領カルディア・ベルテシャツァルが世界へと発信したメッセージ。共に戦い、共に生きようという願い。それが、聞き届けられつつある。 手始めに、武器や糧食を用意したリューヴ軍がカルディアに率いられてソフィア市に入港した。同調するようにアルフェラツ星系で募兵したエウクレイデス・カナリスの軍がやって来た。そしてサピリオ星のナーディル・アルダシール・アル=マダーインである。 彼らは旧リューヴ軍であったが、指揮系統を一新していた。すでに、リューヴ国軍ではなく、各惑星からの代表だった。惑星間連合の匂いが強くなったのは、サマンサ・ラマート・アダド・ニラリがティール星のギルドを連合させて傭兵軍団を作ったのと、独断で前線からやって来たアイリーン・タゴール・リアンのアルドラ軍が来てからだった。 ACMF。アンドロメダ・クラスターに属する惑星の連合軍。リューヴの武器を求めてやって来た者もいれば、共同作戦を目論んで集まった者もいる。様々な思惑があって、しかし、全ては勝利のために。 全てが順調に進んでいると思われた中、衝撃的なニュースが入った。 ルイ・ラダマンテュス・シャルパンティエの――――死。 「何が起きたのかはわからねェ。だが、少佐のエリュシオンが壊滅した。ルテティア・パリシオールムに攻め込んでだ」 そのニュースが流れた時、アンナはオフェリアたちと食事をとっていた。飛び込んで来たリゴレット・リエンツィが血相を変えて、慌てた口調で場もわきまえずに言った。 「カイアファたちがこっちに向かってるそうだ。ルテティアが、とんでもないことになってやがる」 「――――そう。シャルパンティエは、トリックを仕掛けたのか」 「ああ、命懸けの魔法だ。オレたちは、どうすればいい、オペラ」 神に弓引いた、逆賊。一般的な認識は、そうだ。ルイ・シャルパンティエはあろうことか、神のいるルテティアに討ち入った。 レアティーズの暴走から始まり、神皇カイアファの台頭、アマデウス・ツェルニーの凋落と、ルテティア・パリシオールムでは政争に似た暗闘が繰り広げられている。そこに、最後の一撃が放たれた。表向きは何も変わらない。裏では、カイアファは武力の背景によって追い出されたのだろう。 「……Cデッキにレギオンを召集。アンナ、力を貸してくれないか?」 全くの部外者だと思っていたアンナに、目が向いた。微笑みのないオフェリアの顔を、初めて見る。 シャルパンティエとは、親しいわけではない。しかし、どこかで似通っていた。おそらく、この世界で。最も近しい想いを抱いて、死に生きている。 目指すは、未来。明日を願うことが、夢。そんな悲しい理想を抱いた、ふたりだった。 夢とは――――きっと、悲しいもの。
フルジア兵三百が整列していたハンガーに、アンナはオフェリアと二人で入った。昇降機で上を目指し、リューヴ軍のハンガーに足を踏み入れる。 オフェリアが所望しているのは、輸送艦だった。スカラやスターチェイサーといった小型船はある。しかし、兵員を輸送する揚陸艦はないのだ。リューヴ軍から貸りたい、というのが彼の希望だった。 「おう、ツヴァイ。何だどうしたよ?」 「アリー。出陣する、船を借りる」 巨漢の男、第三軍の外人部隊だった。少し、ざわついた。アンリ・ベルティエ中佐がナーディル・アルダシール中将と二人でアリーと会話をしているこちらに近付いて来ていた。アンナは、父を通じてソフィア軍に協力して欲しいとナーディルに訴えてみた。 ルテティアに攻め込むつもりなのか。いや、ならば三百名という数はおかしい。オフェリアの狙いは、まだわからない。 「ルテティア軍は今のところ、俺たちの味方だ。貴殿はそれを討つというか?」 背の高い偉丈夫だった。四十二歳のナーディルは、低い美声でオフェリアに問い訊ねる。元々、第三軍はルキウス・バルカの軍だった。しかし第一次反攻作戦の折にシリウスで戦死し、副司令官だったナーディルが第三軍司令官になった。 「アレは敵になる。ルテティアは世界を制覇したいだけだ。私たちがACMFを作ったとしても、またルテティアが神だから上に立つと言い始める」 「ヴァン様は優れた軍人でもある。共同戦線を張る分には異存ないが、指揮をしたがる癖はあるな」 フルジア皇帝のオフェリアと区別するため、今までは神皇と言っていた呼称が、オフェリア・ヴァンと忌み名で呼ばれるようになっていた。ナーディルはその例に漏れず、ルテティアの王の名を呼んでいた。 「まだ時期ではない。ルテティア軍を、少し減らしたいだけ」 「よかろう。確かにフィルウィリミテアが増長するのは面倒だ。ベルティエ、オフェリア殿の指示に従え。オフェリア殿、ベルティエ中佐を使われるといい。一個師団をつける。ウル・アンナ、後で面倒になるのは御免だ。書面で父上殿に通達はさせてもらう」 「感謝します、ナーディル将軍。アリー、レイフ、フルジア兵を入れてやってくれ。私は幕僚をまとめてから最後に乗船する」 わかりました、とだけアンナは返事をし、慌しく動き始める軍営を遠目に眺めていた。 航宙母艦ルテティア・パリシオールム号が接近中、とアビゲイル・リーティアが報告を入れたのは、オフェリアが出立した後のことだった。
4 砲撃戦にはならなかった。互いに、輸送艦。攻撃力はさほどではないのだ。 オフェリアはルテティア・パリシオールムの右舷に船体をぶっつけ、ハッチから強引に切り込むことにした。師団では多すぎる。百名ほどの中隊を六つ用意して、おおまかな作戦を立てた。 「敵、兵数は千。指揮はアマデウス・ツェルニー。副官にルキア・バルカ。どうする、ツヴァイ」 レイフの報告。乗員は、さほど多くない。 「私の軍が先行、船首へ向かう。リューヴ軍は船尾に。数は任せます、中佐。それと範囲が広いので、私は後詰が欲しい」 「了解しました。船尾には三百でいいでしょう。五百を公爵の後進に当てます」 「オレはベルティエ隊につくぜ。三百の指揮はそれで足りる」 船尾を攻めるのがベルティエ、アリー、リゴレットの三隊。船首へはオフェリア自身の他に、ティアとフィアの二人を選んだ。 「イザークは後詰の兵を頼みたい」 「任されよう。掃討作戦を展開すればいいのだな?」 頷き、ハッチへ向かう。 敵艦、右舷から侵入。警報が鳴り響く通路で、光学銃の光線が飛び交った。レーヴェ隊が盾で防ぎ、空駆ける竜がその牙で敵を砕く。即座に敵を殲滅し、後続部隊に続くよう指示を出した。自軍と敵軍が密着している状況では、電磁障壁を展開するわけにはいかない。 「フィアはクルーゲと協力しつつ中央部の制圧、コントロール・ブリッジまで目指せ。ビッテンフェルトはクルーゲ隊で、フィアを援護した後左舷に進出。ティアは私と共に」 三百が散開し、船首を目指して歩み始める。オフェリアは二十名ほどの部隊をティアと二人で率いて右舷通路を進んだ。 敵。一斉にレーヴェ隊が発砲を始めた。盾で遮蔽しながらの射撃。通路上の敵を排除し、その進軍は決して遅くなどならない。 「むう。射撃、苦手なんすよ」 ティアがぼそりと呟いた。確かに、彼が放った弾丸は、一発も敵に命中することはなかった。その前に、全て打ち倒されてしまっている。自慢の大剣も、背負ったままで使う機会はなさそうだ。 「好き嫌いはよくないよ。しっかり練習しときなさい」 「はぁい。帰ったらそうします」 さすがに、カミーユの一人。白兵戦闘ならば、リゴレットにも劣らない男だった。ただ、全てが白兵戦であるとは限らない。むしろ、電磁障害のない戦場で白兵戦は行われることがほとんどないのだ。使い分けだろう。うまくスイッチしながら戦術を構築すれば、敵を混乱させて叩くことが出来る。 敵には、やはり戦意が無かった。ルテティア・パリシオールム軍に、大義名分はすでに無い。戦闘を強要された兵士たちをギリギリで支えていたもの。それが崩壊している今、彼らは一挙手一投足に厭世観を露呈させていた。 完膚なきまでに叩き潰し、時に降伏を受け入れながら。ただアマデウス・ツェルニーだけを探していた。この無意味な争いに、終わりの無い闘争に、終幕を願いながら。
――――――――――――――――――――― “Mond” ---Lucia Antigone Barca Sep. 21, Neo.Globe.0326 Star Ship “Lutetia Parisiorum”
発端は、ケンカだった。 それはありえないこと。彼らイコライザーは、個性など持ちようが無く、意見の衝突など生じるはずがない。だから、イコライザーがケンカをしている、というのは驚きでしかなかった。 「そんなの、詭弁です。1a胚の連中は自己中心的で、俺たちとは、違うんです」 取っ組み合いのケンカを演じた中心的人物をルキアは呼んで、話してみた。彼の話によると、人工子宮によってグループ分けがなされていて、同じ子宮から産まれた人間だけを兄弟としているようだった。年齢も調整されているので、差は生じない。しかし彼らはどこから知ったのか、製造番号の新旧で年齢差を作っていた。 1b胚の864体目に当たるイコライズ・オフィーリアは、すらすらとケンカの理由を言う。感情らしい感情。同じ顔をした連中との敵意。ライバル心。競争心。彼らは複雑な環境の中で、必死に生きているのだ。それを、見直すようにルキアは彼らを見始めていた。 「では私は、君の姉ということになるな。実は私も1b胚クローンだが」 デリヴァランス以外は、皆が人工子宮から産まれている。1b胚の556体目。それが、オフィーリア・ヘルプストだっただけ。そういえば、もうずっと昔に、ただ一人だけ救助されていた。792体目のイコライズ・オフィーリアは、今フルジアにいて、名前と個性を持っている。 記憶さえ共有し、全く同じように育てられても。人は決して同じにはならない。目の前にいる傷だらけの少年も、自分も、フルジアのイコライザーも、違う人間だ。 特に処分は思い浮かばなかった。目覚めた自我。芽生える個性。そこにいるのは、イコライザーとくくられる者ではなく、オフェリアやオリヴィアといったように、個人と個人の集まりなのか。ならば、自分は。本当に個人になっているのだろうか。エヴォルブという物差しでしかないのではないか。 束の間、悩んだ。ディファイアンスへ連れて行き、記憶の適正化を行うか。単なる兵器としてのイコライザーに、自我など必要はない。必要最低限の知識を共有していればいいのだ。 答えは明白だった。いくらでも作れるという命。だから武器であり兵器にもなる。その原理は、正しい。死。それを乗り越えるならば、いくらでも、戦場で朽ちればいい。 それは、本当に。 「教えてくれ、『死』とは、『命』とは、なんなのだ」 蘇生。心臓が止まれば、新たな心臓に取り替えればいい。腕が無くなったのならば、新たな腕をつければいい。もし記憶を、肉体を、そのまま作り変えれば、生を継続することが出来るのか。その定義は何処に。 私はルキア・バルカなのだろうか。それとも、エヴォルブ・オフィーリアの命のひとつなのだろうか。その問いを、彼らを引き連れた戦場で、リゴレット・リエンツィに与えた。
「ゾンマーは、死んだ。それを覆せると思えるならば、オレとオマエは相容れない」
リゴレットの答えは、単純なものだった。兄の死を思うたび、心が震える。悼み、憎悪、復讐心。なんでもいい。感情が、心臓を掴み、揺らすのだ。 「兄は、戻らぬ。リゴレット。貴様が、殺した……ッ!」 「――――複雑、だな。嬉しいんだか、悲しいんだか」 全ての理性が、言うのだ。彼は、正しい。明確な答えを提示した。もしも自分がルキア・バルカであり、個性を持った個人だと言うのならば、ゾンマーの死を認め、リゴレットを許さない。もしも自分がエヴォルブ・オフィーリアの構成要素に過ぎないのであれば、ゾンマーの死は覆され、リゴレットを許そう。 決して、相容れない。それは喜ぶべきこと。しかし何故か、悲しみがある。 「この痛みは、お前も同じか」 「オレを許すな、ルキア。オレもオマエを、認めない」 「シャルパンティエか。所詮、我々は敵同士。仇敵同士が相容れることなど、無いのだな――――」 会話が、無くなる。 此処は戦場。仇敵のふたりが出会ったのならば、やることはひとつだけだった。 ―――――――――――――――――――――
ルキアとツェルニーの二人は、何を思って攻め込んだのだろう。勝利を思い描き、復権を望んだ。その願いを、オフェリアは聞き届ける気が無かった。 「ゴットリー、お前をこの手で殺す」 コックピット。フライト・コントロールで、指揮官を発見する。左右に兵を展開させ、刃向かう兵士を打ち倒し、ツェルニー一人を包囲した。オフェリアは入り口に立ち、宇宙を眺め続ける壮年を見下ろしていた。手には、銃を握り締めて。 「……懐かしい。その名で呼ぶのは、友だけだった」 「父は、関係ない。もうオルフェオは死んでいる。ここにいるのは、私とお前の二人だけだ」 時代の覇権をかけて、争う。明日に生きていいのは、ひとりだけだ。立場が逆ならば、ツェルニーは容赦なくオフェリアを殺すだろう。そのために、彼は戦艦を用いてやって来たのだから。そして、父の名を出しても、それは無関係だと無慈悲に言う。 覇権。時代を担うのは、どちらか。その決断が下される時。 「 銃を強く、強く握った。
「――――
アマデウス・ツェルニーを殺し、フィデリス・ツェルニーとして生き返らせる。それだけで、いいのだ。そう自分に言い聞かせた。 運命を争覇するのは、オフェリアとレアティーズだけでいい。今の時代に、アマデウスは不要だ。しかし新たな時代には必要になる。だから、殺した。そして、蘇らせる。 「オフェリア、どうして」 「どうしてかな。昔から――――貴方は嫌いになれない」 父は関係ない。これは、オフェリアとツェルニーの間のこと。背を向けて、顔を見ずに、しばしオフェリアは過去を夢想した。父がいた、レーガル・イザークがいた、そしてツェルニーがいた。そんな時代も、かつてはあった。 失われたもの。それが今、輝いている。いつか、いつの日か、その尊さに、皆が気付く。 だから、死すとも、悔いなど残らない。それはきっと、彼の中でも光り輝けるものになるのだから。 「今、世界は動いている。全軍の指揮を任せられるのは、フィデル、貴方だけだ。もし新たな世界を見たいなら、私について来るといい」 誘った。共に、明日へ。敵の将軍だろうと、暗殺者だろうと、何者であろうと明日は来る。共に歩めば、きっと変わる。何かが。そして、未来がだ。 それを信じている。後ろにいるのを、信じている。
5 秋も深まる十一月になり、アンナは、とあるパーティに呼ばれた。修道院からは他にアデレードとリンという少女が出席するようで、三人で送迎の車に乗り込んだ。 「アデーレ、聞いてる?ねぇ、今日のパーティってナニさ?」 聖女と同席、という車内で緊張をしていたアンナの後部座席で、喚くような声。リンは全く、畏怖やら敬慕やらといった感情を出さず、ゆさゆさとアデレードの肩を揺さぶっていた。 「……あ、ごめん。魂抜けてたわ」 「そう容易く、抜かれてもらっちゃあ、困るんですケド。今日の宴会は何のためかって聞いてるのさ」 「宴会じゃないわよ、馬鹿。叙勲式。フィルウィリミテア教の神聖式典。カイアファが来てくれてるから私やんなくていいし。オードブル食ってりゃいいんじゃないの?」 何か、想像と違う口調だった。想像というか、昔にあった聖女様の演説とは程遠い。すごく乱雑な説明をアデレードはして、リンもそれで満足してしまったようだった。そんな二人の会話に、なかなか入ることが出来ない。 無言の車内。車は緩やかにアヤソフィアの前で停車し、雨でも降り出しそうな天気の中、足早に建物の中に入った。 「ちょっとセリア、セキュリティ解除されてないわよっ。さっさと仕事しなさいよ――――!」 リフトに乗ろうとして、アビゲイルに止められる。アクセスエリアのコントロールにアクセスし、イザークを呼び出したアデレードは、早くも怒声じみた口調で保安主任をなじっていた。残念ながら、三人とも階上へ通じるアクセス権限が無かったのである。 「いや、それがだな。式典があるから今日は厳しいのだよ」 「馬鹿言ってる場合じゃないでしょう。ゲストが入れないっておかしいでしょ」 「いや、だからだな。そっちに権限者が行くから、四人で来てくれ。すまん、忙しいから切るぞ」 無情にも、保安主任は聖女の募る怒声を無視して通信回線を切った。思うに、アデレード・フォーレなる人は世間の目と身内の目ではギャップが激しくあるのではないのだろうか。そんなことをアンナが考えていると、ロビーで待ちぼうけをくらう我々の前に、一人の女性がやって来て声をかけてきた。 その姿を、知っている。ちょうど小学生くらいの頃に大ブレイクした歌手、アリア・ローゼンミュラー。今でも、ファンだった。美しく澄んだ歌姫の高音を、覚えている。最近はあまり楽曲を発表しなくなっていたが、根強いファンたちに支えられていることだろう。青春はアリアと共にあったといっても過言ではない。 やや、老けたとアンナは思った。当然だ。十年前のアイドルのままでいられる人間など、いられはしない。しかし老けたというより大人の女性らしくなったというのが適切だろう。幼い表情のアイドルから、二十五歳の女性になったということだ。 「お待たせしました、アデレード様。お二人も、はじめまして。さ、参りましょうか」 たおやかに礼をして、にこりと微笑む姿は同姓でも憧れるような仕草だった。可愛らしさはそのままに、相変わらず美しい声だと気付く。 「何をしているの、ネルガル・シャレゼル。行きますわよ、ついて来なさい」 アデレードに注意されて、慌ててリフトへ向かって歩き始めている三人に追いついた。どうやら、見惚れるなどという間抜けなことをしてしまっていたようだ。
「……マジで、サーシャ。聞いてなかった?」 アヤソフィアの最上階では、呆れ顔のオフェリアが待ち受けていた。いつもの着流しのような格好ではなく、正装にフェルト・クライダーという青い羽衣のようなものを身にまとっている。それがとても似合っていて、素直に格好がいいと思えた。 「お前も、叙爵、されるんだよ」 「初耳。どうすんのよルートヴィヒ、私、シスターな服じゃん」 「間違いじゃないけどさ。叙爵だからなぁ……」 栄典には二種類あり、叙爵と叙勲がある。前者は爵位を授かるもので、これは王家の血統に繋がる貴族や、国家に対する功労者に与えられるものだ。ほとんどが世襲で受け継がれ、一代だけというのは特例でしかない。 もう一つ、叙勲は勲章を授かるもので、国籍が違っても問題がない。基本的に一代だけであり、世襲はされない。 アデレードは爵位をもらうのだという。フィルウィリミテア教から拝受する爵位は、古くは封土と共に与えられたものだ。その代表例が、バテン・カイトス一帯に封じられて公国を築いたプロシア公爵のフォーレ家や、今のフルジアに封じられて帝国の基礎となったカストラ王爵の若宮などだった。 「あれ、オフェリア様、プロシア公ではないんですか?」 ふと、気になって口にしていた。プロシア公フォーレ家に子は二人。オフェリアとアデレードだ。オフェリアが公爵位を持っているのならば、アデレードも持っているのではないのか。 「ああ、そうだよ。けどそれ嫡男だけ。基本的に天宮とセットだから、天宮を継げないサーシャは爵位ナシ」 「拙いわね、この服で公爵ですなんて言えば笑われる……」 残念ながら、どう見てもシスターだった。 「いっそ笑われてしまえば、イイじゃないか。はっはははは」 「突き刺すわよ、馬鹿るー。もう大嫌いだ、アンタが笑われちまえ――――!」 思うに、この二人は揃うとイメージが変わる。高貴なる神の血族という尊崇の念など消し飛んでしまいそうだった。 「アリア、二人をお願い。ちょっとサーシャの服、探してくるから」 「はい、りょーかいです」 「座席はミラの隣あたりでいいから。では、よろしくね」 可愛らしい敬礼をオフェリアに見せ、案内役を任されたアリアにリンと二人でついて行く。リンは父親が地球の将軍であるという理由から出席しているらしく、アンナと立場が近い人間だった。その割には、随分と砕けている印象を受けた。林菲というのが本名らしい。 上空5000メートル、地上と合わせて四階層、下から三番目のアヤソフィア2000階に当たるルフト界面に出た。雲は眼下に。晴れ渡る空だけがある。透明な床には、カーペットが敷かれていた。今日の天気が悪いのはこれが遠因のようだ。 その光景に、絶句した。広がる空の地。そこに、人々がひしめいている。人。これほどの数の命を、オフェリアは背負って。 「これが、アンドロメダ軍です」 ACMF。アンドロメダの銀河団から、それぞれの星から集った仲間たち。故国を守るため、そして、新たなる未来のために。 ここに、垣根は無い。被差別種族から、タイタン人やアルフェラツ人、そして敵であるフルジア人までがいるのだ。全軍の数は計り知れない。ここにいるのは、まだ一部でしかないのだ。それでも二十万人は軽く超えているだろう。 明日は、きっと今日とは違う。新たなる未来。翼に集う仲間、アンドロメダは生まれ、そして、変わる。
古代リューヴの聖セイクリッド皇国、帝王。そして四人の王。ベルベデーレが祝福する中、神聖なる式典が続く。 リューヴ大公爵の爵位を持つカルディアやリュディア公爵のノアが見守る。その立ち位置から、祝福を受ける英雄たちをアンナは見上げていた。左右には、集った兵士たち。歓喜の声、祝福の宴。そして生まれ変わる儀式。 リゴレットが 一際、大きな歓声だった。二十年に渡って、リューヴ国軍を支え続けてきた。フルジアと停戦を結んだ。総長になり、ルテティア・パリシオールムの権力を認めた。過ちも功績も、罪も正義もあった。それでも、認められて然るべき人間だった。 アマデウスは、死んだ。ここにいるのは、フィデリスなのだ。 「全軍、私に続け。我々は戦う。戦って、勝ち取る。フィルウィリミテアが示す未来を、リューヴもフルジアも無い、新しい世界をだ」 全ての夢が、新しく。新時代の夜明けを目指す者たちが、集う。 フィデリスの隣に、オフェリアが立った。最後は、この人だった。カイアファが爵位を与える。プロシア公爵から、ルテニア王爵に。ベルベデーレの皇族、神皇の皇位継承権を持つ五人に並ぶ六人目の王。 王は、何も言わず。ただ友の手を握った。 少しずつ。しかし確かに、オフェリア・フォーレに代わっていく。
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