最初の言葉は拗ねた声。

 絶望で彩られた拒絶に似た音色。

 おいでと誘う君の声を、無視して。

 

 次の言葉は卑屈な声。

 小さく縮こまる自信の無い音色。

 頼むのは私と謙遜する君の声に、救われて。

 

 いじけた拗ね者を世に導いてくれた天使。

 もしも、立派になった自分から、その天使が空に帰するなら。

 僕は、何と声をかけたらいいのだろう。

 

 別れの声は、どんな色で。

 ありがとう?さようなら?それとも、ごめんなさい?

 僕は、何と声をかけたらいいのだろう。

 

 最後の言葉は晴れやかな声。

 憧れの人を見送る明るい音色。

 

 羨望。丘の上から見下ろしてくる視線に、ディリは少し誇らしげに構えた。

 凱旋である。半年以上の時を経て、フルジア軍近衛第一師団はフルジア本国に帰還した。ノティオンを制圧し、レグルスに襲い来る敵軍を撃退し、星系の守備を固めての帰還だった。大勝利を謳う声が宮殿から響く。凱旋を讃える人々の声が、誇らしく、嬉しかった。

 すっかり肌寒いフルジアの風。正面から、それを受けても。心が冷えることなど無い。帰るべき場所が、こんなにも暖かいとは知らなかった。それはつまり、遠く離れた戦場は冷たく、寂しいということだ。いつかここに胸を張って帰る日を思い、我々は、戦える。

 禁衛府には、入らなかった。その足でディリは政庁に向かった。迎えてくれたエーファに笑顔で礼を言って、政治面での報告を受けるのだ。勝利したが、損害もある。レグルス星系での仕事は終わったので、後は本国からの支援体制の強化が必要だった。

「何とか、軌道に乗れたもんで。国内の世情も穏便で、軍も相変わらず強そうだし」

 エーファは、そんなことを言った。今年で即位から二年。一時期はどうなることかと気を揉み、国家存亡の窮地にあった。それが、国力を回復し、戦争をやって勝てるほどに復活した。それは再生だ。ゲルトラウデを失ったからではなく、ゲルトラウデが宇宙の戦場に捨ててきた負債を回収したのだ。

 オフェリアの執務室の灯火が消えることは無く、ディリもまた不眠不休で仕事をして、ようやく、フルジアは国家に戻れた。それは純粋に喜ぶことで、胸をなで下ろした。

「ようやく積極的な派兵が出来そうですね。兵力の増強も」

「本気かよシャル君。また睡眠削ってくれるつもり?美容の敵なんですけど」

 からからと笑って反応をするエーファに、冗談ですよと返した。それは、後者のことで。積極的な派兵は望むところだった。

 国内のデータを眺めただけで、ディリは疲労を覚えた。帰国したばかりだ。今日は、もう休んでしまおう。エーファに誘われて、おとなしく帰ることにした。今のところ、急を要する仕事は何も無いのだ。むしろ一仕事終わったばかりで、少し、休みがあってもいい。

 腕を伸ばし、大きく体を伸ばしてから、席を立った。十九歳にしては大きな体格。190センチに届く長身だったが、痩せていた。シリウス人は背が高く痩せているのが特徴で、もちろん、ディリもその法則から外れてはいなかった。

 宮殿を辞し、広場に出た。上からは豪邸を与えると言われていたが、何となく、固辞していた。今でもディリはさほど高くなく、広くもないマンションで一人暮らしだった。給料が貯まり続け、何か派手に使おうと思ったが、特に思い当たらず。地道に使うにも、仕事でプライベートな時間などほとんどとれなかった。

 そこに行くと、オフェリアの悠々自適ぶりには感服する。政務をこなし、軍隊を調練し、妻と遊んで人生を謳歌している。宮殿も皇帝の持ち物であり、さらにレーヴェ邸もある。家は二つ、夫人も一応は二人。金の羽振りもいいのだが、皇帝に貯金残高を訊ねるのもなんだかなぁ、と思った。

「羨ましくは、ないけどね」

 近所のショッピング・モールで夕飯を購入した。実に小市民である。しかし、市民の目から見える政治もあるのだ。商店の物価はどうなっているのか。物資の品揃えはどうなのか。物が減れば、当然、品質は落ちて価格は高くなる。二年前と比べて、そのあたりは随分と向上していた。

 惣菜を買って自宅に戻る。どこぞの独身会社員のようだ。出張から帰って来たようなもので、そう思ってディリは、自分の市民ぶりにつくづく笑ってしまうのだった。

 

「はろろー。お元気ですか、お勤めご苦労さまです」

 家のドアの前で。笑って手を振る女性がいた。振り返る。誰もいない。

「あの、僕に御用ですかね。だとしたらすみません、お待たせしたみたいで。テレビの受信料?」

「惜しいです。わたし、映る方なんですよ」

 言われて、気付いた。これは、夢か。

 憧れのアイドルが、目の前に。どうしたことか。なんたることか。落ち着け、とディリは自分に言い聞かせたが、とうに遅い。惣菜の詰まった買い物袋を取り落としていた。慌てて拾おうとするが、歌姫に先を越される。先ほどから変わらない笑顔で、はい、と手渡されて、心臓が壊れた。

 鼻に異変。つう、と鼻血が流れるのがわかった。心音は限りなく鼓動を速く、速く。血流が必要以上に全身に回って、不必要な分が鼻から出された。間抜けすぎる。

「あ、あああの。ずっとファンだったんですが、僕」

「あら嬉しいですう。ありがとうございますう」

 服の裾で鼻血を止めて。おかしな声で、そんなことを言った。言われなれているのか、彼女は大した反応も見せず、何かを急かすようにぴょんぴょん飛び跳ねるのだった。もうお惣菜がどうのという話ではない。今、何が起きているのか。この目の前の光景は何だ。

 駄目だ。全く、理解できん。フルジア一の秀才の脳は、ついにオーバーヒートを迎えるのだ。

「今日はアレなのですよ。ほら、前回のラジオの当選者さん家に出張です」

「……なんですって?」

「お手紙をくれた人の中から抽選で、プレゼントって毎回してるじゃないですか」

 そういえば、あったかもしれない。あったかもしれないが、送った覚えがない。先週の放送では、ディリはドラド星に前哨基地を構築する指揮をとっていたのだ。

「今回はわたしがプレゼントでぇす。――――アリア・ローゼンミュラーさん、ご到着」

 鼻血が出すぎたのだろう、ひどく、頭痛がした。

 

 血を抜いて、冷静になる。手狭なワンルームの自宅である。ディリは素早く冷蔵庫に食材と惣菜を突っ込み、首元を緩めて上着を脱ぎ捨てた。

 これは、何かの罠ではないか。黒幕は多分、金髪のお姉さんだろう。ならば、魂胆は何だろうか。落ち着いた思考を張り巡らせ、アリアの一挙手一投足に集中した。いや、断じて。ファンだからではなく。

 目が合う。微笑み。鼻血の予感で目を逸らす。

「アンドロメダから避難することにしました。レアティーズ・スコアが完膚なきまでに叩き潰されましたから、なりふり構わず拘束する可能性が出てきましたからね」

 聞き逃してはならない言葉を、聞いたような気がする。フルジアに逃げてきた。もちろん、それは政治亡命というわけではない。一時の、緊急措置だ。

「……それは、何よりです。ここは安全ですからね」

「喜んでくれるのですか?」

「ええ。歓迎しますよ」

 アリアを敵視する人間は、おそらくいないだろう。フルジア国内でも著名な歌手だ。敵性国家に属しているとはいえ、彼女個人は関係がない。アンドロメダの旗のように崇められることはあっても、個人に問題があるわけではなかった。

 ヴィルトゥオーシとは、そういうことだ。モデルだったカティア・フレーニには、婚姻という関係が持ち上がってややこしくなっただけで、本来の著名人は国境を越えて尊敬されるに値する。

「陛下の妹君はどうなさいます?」

「アデレード様ですか?」

「そうです。貴女が世話を、というより、監視ですかね。レアティーズ・スコアから守って差し上げていたはずですから」

「捨ててきました」

 思わず、振り返った。目が合う。もう彼女は笑ってなどいなかった。どこか冷たい目で、床を眺めているだけだ。

「近い将来、アナタとは敵になりそう」

「――――同感ですね、歌姫」

 

―――――――――――――――――――――

Папесса ---Adelaide Aleksandra Gertrude Van Faure

Oct. 13, Neo.Globe.0323

Lutetia Parisiorum Cathedrale Olympeion

 

 政教条約が締結されて初めての戦だった。

 神皇が指揮した全軍は、各所で敗れた。上手くいくかと思えた総力戦は、耐えるフルジア軍と迅速に動き回るオフェリア、シャルンホルストの両軍に支えられ、目標であったレグルス星も効果的な守備作戦の前に敗退し、攻略は失敗した。

 被害も多い。ルテティア軍でさえ、かなりの傷を負った。レアティーズ・スコアが必死に再編に取り組んでいるが、かなり困難を要している。オフィーリア・ヴィンターがリューヴ政府と交渉し、カミーユ人自治区から徴兵をするという話を展開していた。

 そんな世界情勢を、アデレードは風の便りに聞くだけで。噂のようなものでしかなかった。

 派手に負けた。中でも、ノティオンの防衛戦でスコアは不甲斐ない結果を残して、無能さを露呈した。単なる猪武者ではないか、という声がリューヴの閣僚からは聞こえてくるようだった。

 少し、立場が傾いた。今の世論は、おそらく敗残のスコアを慰める声より、新たな軍司令官を望む声の方が大きいかもしれない。いや、それ以上に。敵将、オフェリア・ネブカドネツァルに注目が集まっている。まるで神と見紛う姿で戦場を駆け巡った。剣も、服装も、フィルウィリミテア神の残した聖遺物だ。

 神に似ている。そして、勝った。反戦団体の中には、オフェリアを賞賛する者もいるかもしれない。

 茶を淹れて運んできた女官を見て、思考を停止させた。フィリス・ノルマはアリアがいなくなってから、その代理として天宮に訪れている。

 そう、ここは空中の楽園。ルテティア・パリシオールムを見下ろす神の玉座。オリュンペイオン大聖堂の、最上階だ。アデレードは、天に繋がれたまま、身動きの出来ない虜囚だった。下に降りれない。ならば、いっそ飛び降りるしか。

 アリアは、降りた。アデレードに愛想を尽かして、降りた。おそらく戻ることはないだろう。いや、戻った時は、全てが変わった時か。我が兄が死んだ時でしかないとアデレードは感じていた。

「フィル、貴女も大変でしょうね」

 心にも無いことを言って、女官を励ました。別に、どうでもいいのだ。こんな女は、実にどうでもいい。その気持ちが伝わったのか、伝わらないのか。フィリスはただ頭を下げて、退室した。真っ白な部屋だった。室外には、空中庭園。そして本物の礼拝堂があった。

 入れ替わりに、兄が入ってきた。レアティーズ・スコアだ。その登場に、些か驚いた。彼がこの天の獄を訪れることは、今まで一度とて無く。それだけで重大なことだとわかった。

 少し、痩せた。思い詰めることもあるのだろう。窮地とまではいかずとも、今は正念場だ。権力を握っていられるかどうかは、今の働きにかかっている。

「珍しいな。オマエが人を労うとは」

「それを言うなら、兄さんが来るのも珍しいです」

 少しだけ、力なく笑ってスコアはベッドに腰掛けた。

 アデレードの兄は、スコアだ。こんなやり取りを、十年以上続けてきた。だから、兄はスコアなのだ。オフェリアとは、まともに話したことさえ、ない。

「フィリス・ノルマにそう言うってことは、自分も辛いって証拠なのかな」

「さぁ。私は苦と思っていませんが」

「まあ、聞けよ。俺はひとつ、いいことを思いついた」

 頼もしい笑顔。いつも、それを見てきた。窮地に陥った時のスコアの笑顔は、何かをやる予兆。挑戦への兆しだ。それが成功するにしても、失敗するにしても。スコアは絶対に、何もしないままジリ貧を待つ男ではない。

「オマエは生まれついてから、ずっとこの星に幽閉だ。そりゃ、つまんねえだろうと」

「私は望んでここにいますが」

「けど、つまらないだろ」

 何が言いたいのか、よくわからなかった。面白いかどうか。スコアらしい問いかけではあったが、やはりアデレードには理解し難い質問だった。だから、黙って話の続きを待った。

「オマエは、もう大人だ。正直に言う。リューヴに行ってほしい」

「話の中核が見えません。兄さん、正直にはっきりと言ってください。でないと、わかりません」

「……むぅ。ははは、尤もだ」

 苦笑いに見える。本当に、言いたくないことのようだ。

「政略結婚、と考えた。ツェルニーとだ」

「なるほど。面白い一手です」

 リューヴ国軍の司令官で、現在はアンドロメダ・クラスターの総長となったツェルニー。これと結ばない限り、実質的な権利をスコアは得られない。先年の政教条約で両者は手を結んだが、それを強化するのに手っ取り早い手段が、ツェルニーとスコアが義理の兄弟となればいい。

 永続的な権力を。両者に利がある。政略結婚として考えれば、最上の一手だろう。

「悪いようにはしない。絶対にだ」

「アンドロメダで最も権力のある男に嫁ぐというのは、女性にとっては最高の玉の輿ですね。ツェルニーも悪い男ではありませんから」

 高い能力の人格者。神に愛されし指揮官。容姿も優れている。アマデウス・ツェルニーに悪い評判など無かった。

 だから、アデレードのその答えは。スコアにとって、どう聞こえたのかは明白だろう。

 

―――――――――――――――――――――

 

 

 式典などはさっさと切り上げて、内輪だけの立食パーティとなった。

 年が変わり、一年の功績を持ってフルジアでは人事異動が行われた。最も昇進したのが、ディリだった。長く不在だった国防省長官に任命されたのだ。他にも二階級の特進が二名。アマリアとジェラール・ガリアルドが大尉になった。

 フォリアの死を待っていたとも言え、そしてノティオン戦を始めとするレグルス宙域の攻防にて、ディリの功は少なくなかった。だから、賞賛され、批判する者はいなかった。もう、突発的な抜擢ではなく。自分の力で掴んだ栄誉だった。

 受賞式典も終わり、宮殿で宴席となる。終始、明るい雰囲気の場だった。冷遇されているようなフォリアの息子、ゴーティエは参加していない。昨年、ディリとアマリアがいない間に騒動があったのだ。それを配慮してのことだろう。

 宴席には、イザークやリゴレットも加わっていた。お開きになる頃、ディリはオフェリアに呼ばれ、その座に加わった。

「カメリア人キャンプを、アルゴナウティカに移そうと思って」

 オフェリアはそう切り出した。ティアはいるが、カメリア首長のフェリーチェはいない。そういえば、カティアの姿も見えなかった。こういう場で、オフェリアは妻を出そうとしない。公私混同と叫ばれることは多いが、意外と、きちんとしているのだ。

「いまいち、ピンと来ませんね」

「アルゴナウティカの内部はかなり広く、最大で二十万人を収容できるはず。そこに移住させて、いずれは運び去ってしまうのよ」

 上機嫌なオフェリアが、そう未来の展望を語った。今のところ、カメリア人はフルジアに馴染んでいる。しかし物騒ではある。だからどうにかしたい。ここまでは、理解出来た。

 だが、連れ去るというのは。一体――――誰が。

 急に、不安を覚える。それは、オフェリアが連れ去ってしまい、もう戻らないということではないのか。ならば、許すことは出来ない。

「ディリ、お前がこの件に関わることを私は許さない」

「お待ちください、陛下」

「待たない。私の決定だ」

 最近は、こういう物言いが増えてきた。以前ほどオフェリアが、自分で政務を仕切ることはない。その必要が無くなったのだ。決裁が求められる大きな変化が、望めなくなったと言っていい。あるとすれば、ほとんどが軍事だった。

 だから、政務に携わる人間の負担が増している。放り投げたような姿勢と、強引な決定。それに反感を覚える政務官が、日増しに多くなっている。三年前は、全員がオフェリアを認めた。二年前は、カティアの一件で一割が反感を覚えた。そして今は、支持しているのは五割ほどになっている。

 もちろん、ディリに反論など出来るはずがない。ただ頷いて、認めるだけだ。以前ほどの強固さが無くなったフルジアであるが、それを崩壊の予兆とは、誰も思わなかった。ああ、オフェリアも人なのだな、と。威厳が減って親近感を増した。不倫もすれば、投げ出したくもなるのだ。

 何かが――――おかしい。

「まぁまぁ、すっかり専制君主になっちまって、コイツ」

 茶化しながら酒盃を頬に押し付けるリゴレットを見て、本当に気の許せる友人なのだな、と思った。

 それは――――おそらく、何にも代えがたいもの。

「……いや、うん、気を悪くしたらごめん。ただ、ジーナを当てようと思った。お前も顔くらいは出すといい。そしてアドバイスがあれば、してやって」

「あ、はい。そういうことでしたら」

 王女としての教育を叩き込もうという算段なのか。――――何のために。

 何かが、おかしい。だが、何がおかしいのか、わからない。それこそを、策謀と呼ぶのか。

 

 フィアは当然、駄目だ。ノインもクンスト・ヴェルクである。これも使えない。

 調査をしようと思い立ったはいいが、調査に割ける人員を考えるだけでも一苦労だった。オフェリアの息がかかっておらず、しかも目立たず、しかし権力はある人物でなければ、オフェリアを調べることは不可能だ。

 オフェリアに監視をつけたり、スキャンダルを暴くというわけではなかった。ただ、皇帝の動向を知り、何を目指しているのかが知りたかった。フルジアに流れる、かすかな異変。それに気付いているのは、おそらくディリだけだろう。

 これは背徳行為ではないか、と自問する声もあった。しかし、それ以上に、謎めいた日々に終止符を打ちたかった。どうしてと考える苦悶を取り除きたい。それは――――オフェリアが消えることを、否定したいのかもしれない。

 悩みぬいた末、ディリは参謀部に赴いた。内部調査など情報に関することを取得するのだが、それはほとんど、クンスト・ヴェルクが独立してやっていた。ノインことノーヴェ・リチェルカーレは参謀部に属しているので、形式上は参謀部の中の一部門が、クンスト・ヴェルクだ。しかし実質ではない。

 三年前に全軍の再編があった時、近衛師団から参謀師団に移した軍がある。特務師団と呼ばれる第五の一軍だ。これは国内軍に数えられ、第一総軍の軍管区でオフェリアの指揮下になる。近衛がオフェリア、参謀がギーゼルベルト、そして特務の師団長はゼバスティアン・フーガだった。

「これは国防長官殿。某に何か御用かね。実は今、とても暇なのだよ。見てわからんかね?」

 フーガ大佐を呼び出すと、開口一番、ディリはそう言われた。特務師団司令部は、目まぐるしく人員が動き、いかにも仕事をしている風だった。当然だ。近衛はオフェリア直属の護衛で、遊軍である。普段は訓練しかしていないし、参謀師団は情報収得という地味な役目だった。

 そこにいくと、この特務師団の仕事は、かなり膨大だった。国内の治安維持、有事の際には防衛力となることを期待された、国内軍。防衛軍と呼んでもいい。参謀師団と緻密な連携をとり、国内に目を光らせている。さらに司法活動も司り、例えば、警察などもフーガが指揮しているといっていい。

「重要なお願いがありまして。仕事を一つ増やす、と言うと怒られますかね」

「当たり前だ、若造」

 頭をかいて、苦笑する。指揮系統から言うと、国防長官は国内軍の総指揮官だ。フーガ大佐の上司になるだろう。その指令を頭から拒否されては、苦笑するしかないだろう。

 そもそも、このゼバスティアン・フーガという老体は、頑強で一切、意思を曲げないことで有名だった。頑なな貴族思考。女子が優遇を受けるこの国家で名を馳せたのは、ヴェルブング・ティンクベルンとこの五十六歳の老体しかいないと言っていい。

 権力は特級。傀儡として総督に任命したギーゼルベルトや、近衛師団の副将という皇帝の忠実な飼い犬のレオンハルト・ガヴォットとは位が違う。だからこそ、オフェリアにも言いたいことをいい、恐れを知らない吼える老人なのだった。

 そんな人物が相手なら、頭を下げるしかないだろう。

「都の雰囲気に、違和感などは感じませんか?」

「何だそれは」

「私は、この国を見続けてきました。そしてレグルスに行くことが多くなり、昨年はほとんど本国を離れていました。何かが、おかしいのですよ大佐。勘に触れてくるのです」

「小賢しい言い分は充分であるぞ、シャルンホルスト君。はっきりと申してみろ」

 遠回しが、一切通用しないらしい。また、ディリは苦笑した。はっきりと言いにくいから、遠回しになる。確信があるわけでもないのだ。

「陰謀がある、と私は見ています。おそらく皇帝陛下の身辺に関わることで」

「――――暗殺、か?」

「いえ。あ、いや。正直、わかりかねます。これは私の予測であり、分析です。確証は御座いません。陛下の身辺が、慌しいかと。カティア・フレーニ様がフルジアに来られてからですね」

「確かに、シリウス人やカメリア人が多数流入したが。いや、失敬。何も小僧を悪く言っているわけではないぞ」

「ありがとうございます。治安の問題もそうですが、もっと裏で動くものです。アルゴナウティカ船の存在も私は可能性の一つと見ています。あれは、逃走ルートではないかと」

「何かを狙っている人物がおり、何かを成した後にはアレに乗って逃げると言いたいのだな」

「そうです。だからと言って、セリア・イザークやティア・ヴァーグネルが怪しいとは思えません。おそらく彼らでさえ、利用されている駒に過ぎないのでしょう」

 話はすでに、オフェリアがフルジア国内からの喪失という前提に成立していた。さすがにフーガも、察しはいい。話の腰は折られることなく、感付いていることを意味していた。暗殺というのはほんの一例で。他にも誘拐、逃走、何でも考えられる。

 フーガの目が、光った気がした。向かい合うディリに、冷たい意思が伝わってくる。

「それで、小僧。儂は誰を見る?」

 誰が、最も怪しいのか。怪しさで言えば、問答無用でオフェリアが怪しい。しかし皇帝陛下を調べるわけにもいかない。

 おそらく、この一言が、全てを決する。ディリは、自然と慎重に考える。喉が、ひくつく。その言葉が、出ないのではないか。意を決して、発音をする。思うより、大きな声になってしまった。

「――――リゴレット・リエンツィ」

「任せろ。お主はせいぜい、陛下の身辺を眺めておくことだ」

 ――――決めた。後は、祈るだけだ。

 

 隙は無ければ、作るもの。そう教わった。

 オフェリアの身辺に、動きは見られない。フーガもリゴレットの勢力を中心に探っているが、アルゴナウティカはエネルギー切れで動けないという報告をするくらいのものだ。アマリアが言うには、カイアファが持ち去った剣が必要なのだそうだ。

 ディリはアマリアと二人でアリアを訪ねた。敵になる。はっきりと、彼女はそう言ったのだ。だから、逡巡することはしなかった。

 顔を一瞬、見た。それだけだ。言葉を交わすこともせず、アマリアに命じて逮捕した。

 この大胆な動きに、オフェリアはどう対処するだろうか。あるいは裏で通じている仲間たちは、どのような反応を見せる。それだけが知りたくて、ディリはアリアを逮捕し、フーガに送った。在留資格の無い外国人の不法滞在、ということでだ。

 ルテティア・パリシオールム星からの逃亡者だった。ただ著名であるというだけで、見過ごしてきた。もちろん、それはオフェリアのおかげだ。オフェリアを無視して、独断でディリはアリアを逮捕したことになる。

 すぐにディリは、宮殿に呼ばれた。アマリアは帰らせて、一人でオフェリアに会った。

「これはきっかけに過ぎません。カメリア人を全員、国外に追放しようと考えています」

 説明を求める皇帝に、そう説いた。

 フルジアはこれから、さらに大きな戦に向かう。そのための財力を寄生しているカメリア人に支払う必要はない。ましてや、武装して都の郊外に駐屯しているのだ。カティアがオフェリアの妻になった時点で、カティアは代表ではなくなっている。だから繋がりもない。

「本気、ディリ?」

「はい。シリウス人のようにフルジアに迎合するのならいいのですが、彼らがフルジアに来て三年。未だ結束したまま、旧装備で武装して軍事力となっています。カティア様のおかげで反乱という可能性は限りなく低くなっていますが、フェリーチェ・パヴァロッティの短慮では絶対ということはありません」

「攻めてきたら、滅ぼせばいい。それほどの差はある」

「下策で御座います、陛下。次、戦となれば。彼らに失うものはありません。敵地の中心で、全滅するまで戦うでしょう。当然、我が軍にも被害が生じます」

 彼らは難民である。カメリアという母星を失い、ユーロパに寄生してはシリウスを奪った。そのシリウスもすでに破砕され、ない。人道的立場から、難民を救助した。しかし、三年である。同様の立場にあったシリウス人たちは、すでにフルジアで就職し、社会に融和している。

 三年経って。シリウス・キャンプは消滅し、カメリア・キャンプは残っている。この差は、何だ。残っていなければならない理由が、あったのだ。

「昨日、ゲオルギーネ様と話をさせていただきました。アルゴナウティカ船には、一年は生存できる貯蓄があるそうですね」

「確かに、ある。難民船にでもするつもり?」

「はい。リゴレット・リエンツィかセリア・イザークに依頼します。カメリア人を引き取ってもらい、そのまま国外から退去していただきます」

 逃げ道を、潰す。これでオフェリアは、逃れられないはずだ。もしオフェリアが断るようであれば、それは確実に、逃走ルートに数えていい。だとすれば、強引に破壊するしかないだろう。

「――――まぁ、いいかな。アリアも乗船させるからね」

 この答えは、予想外だった。オフェリアは少し考えた後、ディリの提案を承諾したのだった。

 ならば、オフェリアは、まだこの国に残ってくれるのだろうか。いや、あるいは。他の逃げ道があるのだろうか。それとも、まさか。自身の死という線も考えられる。

 考えても、考えても、答えはまとまらない。

「ディリ、一つだけだ。一つだけ、お前にヒントというのをあげる」

「……意図が、掴めません」

「嘘。お前が本当に困った時は、私が皇帝になった時を思い出すといい」

 おそらく、ディリの意図などオフェリアにはわかりきったことだろう。これは、勝負だ。オフェリアに勝てれば、ずっとオフェリアはいてくれる。だが自分が負ければ、オフェリアは、消える。

 負けられない。負けるわけには、いかなかった。何のために、自分は今までを過ごしたのだ。

 

 体制に強く反対する者もいれば、個人的にオフェリアを嫌う者もいる。フーガもオフェリアを好いているわけではないのだが、彼はフルジアという国家を愛していた。だから、課せられた使命を自覚し、淡々とこなしている。

 彼の他にもう一人。この国に対して発言力を持ちながら、オフェリアを嫌う人間がいる。

 これまで、ディリがこういった人間に自分から接してきたことはなかった。オフェリアを嫌うということが、どうしても許せなかったのだ。だから、二人はひどく驚いた顔をして見せた。二級貴族の家だが、新興の貴族であるリチェルカーレやレティツィアと比べると、豪華だった。

 もちろん、個人的な用件で訪れている。だが、きちんと仕事があって、ディリは訪れたのだった。

「まぁ、法務省の仕事ではない気もしますが。頼まれたからにはきっちりこなしますわ、シャルンホルスト様」

 ミュゼット夫人は優雅に微笑んで、一言ちくりと嫌味に似た言葉を付け加えて資料を受け取った。カメリア人の追放を、法律を通してきっちりと行う。皇帝なら一声で出来ることでも、国防長官では無理がある。

 ミュゼット家の当主であるパトリツィアは法務省の人間である。フーガ家とも深い関係があるらしい。そのあたりは仕事柄だろう。代々、フーガとミュゼットは司法で繋がっている。

「それにしても、国防長官直々にご来宅とは、緊張しますな」

「貴方は黙っていなさい。話の腰を折らないように」

 パトリツィアは年上の亭主に釘を刺し、微笑のままディリを見つめてきた。

「そちらで掴んでいる国内に関する情報はありますか?」

「全て参謀、特務の両師団を通じて国防省へ上げていますわ。確かにカメリア・キャンプは目に付いておりましたから、此度のご決断は個人的に喜ばしく思います」

「褒められるとは思いませんでした。陛下を説得した意味があったものです」

 言葉に、やや含みを持たせた会話だった。パトリツィアの表情は、変わらない。だが背後の亭主、ジェレミアは少しだけ表情を曇らせた。それに気付いたのか、夫人は取り繕うように声をあげて笑った。ディリの言葉の裏には、オフェリアが反対し――――カメリア人を容認するという立場にあったことを意味している。

 探り合いは、やめておいた。ディリは、意味なく笑うことはしなかったが、腹を見せず、かつ見ないようにした。そして会話を転換し、気を引くような内容に持っていく。

「国外追放とは、どのようなものなのです?」

「まぁ、単純に言えば不法滞在する外国人をアンドロメダに突っ返すということですね。難民は全て、不法滞在に当たりますから、滞りなくシャルンホルスト様の提案は通ります」

 その不法滞在の意味は、国境で認可を受けていない外国人ということだ。難民は戦場において特別措置で入国しているから、非常に立場が弱い。あるいは、外国人の在留許可を取り消す、というケースに付随して退去させることも可能らしい。何度か、ティールの商人を追い返している。

「後は、刑法でもありますね。国内の、特に政治犯に対する刑の中には国外追放があります。殺人などは極刑に処されますが、ただただ皇帝陛下の悪口を言う者は刑務所に送っても意味がありませんし、そこで布教されても困ります。殺すほどでもないので、追放処分と」

「なるほど。独裁国家ならではですねぇ」

「ええ。まぁ、国家転覆を謀る内乱罪の人間は首を刎ねますわよ」

 例えば、シーリア星の独立運動などは、国家の存続を脅かすものだ。これは即座に対処しなければならない。武器を買い集めた時点で、死刑である。内乱罪は未遂でしかない。成功すれば国家は変わる。

 法律の話をしていると、パトリツィアは熱中したのか、遅くまで話してくれた。少なくとも、変な疑いはかけられていないし、考えてもいないだろう。ミュゼット家にはカメリア人退去だけでよしとして、ディリは帰宅することにした。

 

 勝負に勝ったのは、一月も終わる頃だった。

 アルゴナウティカの船が出航したのだ。十万のカメリア星移民団を乗せ、フルジアから去った。よくあの旧型、というより石器時代の遺物のような船が空を飛ぶものだと感心しながら、空に見送る。

 リゴレットを中心に、ほとんどのメンバーが発ったようだ。国内に残っているのは、誰もいない。イザークも、ティアもだ。これで、オフェリアは、留まってくれる。まだ、夢は終わらないのだ。いや、自分がいる限り、終わらせはしない。

 万一の用心として用意したフーガの特務師団も、使いどころがなかった。一万の将兵を率いていたフーガは苦笑しながらも、これでいいと思い定めているようだ。フーガだけではない。ミュゼットもよく働いてくれた。

 夕方。雪が降り始めていた。少しだけ積もった雪面に、新雪が重なっていく。踏む。足音が、心地よい。

「おう、長官殿。たまには体を動かしに来たんですか?」

 気付けば、道場にまで来ていた。禁衛府と宮殿の裏だ。目の前には、雪が降っているというのに半裸のレオンハルト・ガヴォット中佐がいた。上気した肌から、わずかに湯気が立ち上っている。

「いえ、遠慮しますよ。今は第二師団が禁衛入りですか」

 近衛師団は、遊軍という感じが強くなっていた。今、第一師団はアウバ星に駐屯して臨戦態勢をとり、第二師団がフルジアに入って皇帝の警護をしているようだ。一定周期で、これが入れ替わる。

「はい。三月までは」

「やはり、フルジアはいいですか?」

「そりゃあ、もう。アウバやレグルスなんてのは、酷いもんですよ。まず、メシがね」

「あはは、わかりました。アマリアはアレでいいと言うのですが、改良することも考えましょう」

 出兵は、きっと近い。この戦争を終わらせる。そのために、オフェリアがいて、自分がいる。フルジアが、世界の覇者となる。そして秩序を作るのだ。

 レグルスの攻防を経て、軍は再び、外征の力をつけた。春になれば、今度はこちらから攻める。ネアポリスを飲み込み、リューヴを降す。武器、兵器、軍の兵糧、それらを準備するのが自分の仕事だった。急に、やるべき仕事を思い出したようになり、ディリは充実していくのがわかった。

「特務師団の連中が来てましたけど、あれも酷い」

「近衛師団と比べないことですね。国土の防衛が第一ですから、精鋭というわけにはいかないのです」

「わかっていますがね。隊伍もまともに整えられないようじゃねえ。アレじゃバスティアンも不機嫌になるってもんです」

 頑固な老人の表情を思い出す。原因はそれか、などと冗談めいた会話に華を咲かす。

「自分もあの爺さんに鍛えられたもんです。頑固なところはありますが、根は優れた人なんです」

「知っていますよ。いつまでも現役でいてもらいたいものです」

 人材は揃っている。武器も、軍も整っている。

 後は――――夢を叶えるだけだ。

 

 星歴0324年、二月。

 夜のことだった。ディリはドアを叩く音で目を覚ました。暗い。夜である。眠っていた。ここは自宅で、マンションだ。何事か、と体を起こし、まだ叩き続ける音に反応した。

 寝ぼけたままドアを開けると、フィアが立っていた。雪が降っているのか。外は暗いが、雪に映る暖色の灯が不思議な明るさを醸し出していた。ただ事ではない、と直感する。ディリは一度ドアを閉め、素早く着替えて外に出た。

「フーガ大佐が軽度の戒厳令を」

「え、どうしてです?」

「殺人事件です。国内治安を維持するため、特務師団が都を制圧し、市民の出入りを禁じています」

 レベルは低い。出歩くと注意される程度で、罰せられない。しかし街の外に出ることは出来ないようだった。もう一段階、レベルが上がると閣僚は自動的に召集されていたことだろう。

 殺人事件という言葉に、嫌な響きがあった。オフェリアではない。断じて、オフェリアではないはずだ。だったら、フィアはもっと慌てている。いつもと変わらないフィアの表情は、オフェリアの関与を否定していた。

 

「被害者はジュリエッタ・ミュゼット。陛下の第二夫人です」

 

 ぴたり、と雪を踏む足が止まった。

 一瞬、混乱してしまったのだ。側室であるジュリエッタ・ミュゼットが殺された。まず、理由が見つからない。言われるまで、ディリ自身もすっかり忘れていた名前だ。正室がカティアに決まり、冷遇されているような状況にあった彼女に、重要度は無い。

 殺す理由は、ない。誰にもだ。

 街灯の下で、フィアが振り返ってこちらを見ていた。吐く息が白い。それで、現実を思い出す。再び足を進め、閣僚と合流して国防省に入った。中では、指揮をするフーガが待ち構えていた。ディリに遅いと怒鳴るその姿は、いつも以上に不機嫌そうだった。

「どういうことですか、大佐」

「どうもこうもあるものか。陛下が妾宅で休んでいた。迎えに行ったフィアが、被害者の死体と血まみれの陛下を見つけた。そこで儂が呼ばれたのだ」

「なんですって?」

「――――オフェリア様が側室を斬り殺した」

 一度回復した脳が、再び、混乱した。オフェリアに殺す理由は無い。ミュゼットが、何かを言ったのか。あまり、そちらに目を向けたことはなかった。側室、妾。自分が見るべきものではないとディリは思っていたのだ。だから、全くわからなかった。

 痴情のもつれ、というのがよくある回答だ。しかし、オフェリアには正式な妻がいて、それはミュゼットも認めていた。だから、痴情のもつれというのは、理解しがたい。

「と、とにかくです。大佐、陛下はいずこに?」

「事情を聴くため、拘束とまでは行かないが、別室に控えていただいておる」

 当然だ。例えディリがこの場でフーガを刺殺すれば、即座に逮捕される。皇帝だから、それはない。裁かれることもない。犯人も被害者も判明し、謎など何も無い事件だ。もう解決されている。しかし、この釈然としない胸中だけが、治まらない。

「前代未聞だ。私事で人を殺した皇帝など、前代未聞だ」

 皇帝だから、何をしてもいい。だが、悪逆非道な独裁者は、すぐに滅びるだろう。結局、皇帝といえど、一定の倫理がなければならない。その倫理から、オフェリアは今、外れている。

「……次は、誰だろうなぁ」

 誰かが、ぽつりと呟いた。ミュゼットを殺したとしても、オフェリアが罪に問われることはないだろう。だから、再発もあるかもしれない。そうなった場合、矛先は誰に向くのか。恐怖政治とも呼べる。死に怯えた閣僚たち。拡がる不安。それでも、ディリにはまだ信じられなかった。

 次の噂を聞いた瞬間、ようやく、胸中で恐怖が生じ始める。

 

「ほら――――去年、フォリアの息子も、殺されそうになったではないか」

 

 それは、ディリもアマリアもいなかったフルジアでの出来事。些細な刃傷事件が、不安な家臣たちの胸の中で、次第に大きくなっていく。

 次は、自分。何か失敗をすると、殺されるかもしれない。恐怖が芽生える。それを否定することが、ディリには出来なかった。

 気付いて、しまったのだ。これが、壮大な、オフェリアの罠だと。

 

 フーガに頼み込んだが、オフェリアに会うことは出来なかった。ディリは諦めて、一人、国務省内に設置された執務室に入った。誰も近づけないようにアマリアに行ってある。国防省直属でもある近衛第一師団は、フルジアにいないのだ。頼れるのはアマリアしかいない。

 少しずつ、少しずつ、オフェリアに対する疑念を高める。不安を芽吹かせる要素を一つ作る。自らを追い詰めていくオフェリアの、終着駅には何が待つのか。自明である。

「くそ……くそくそッ!」

 机を叩きつけ、考える。どうすれば防げるのか。どうすれば、オフェリアを守れるのか。これは、勝負なのだ。まだ終わっていなかった勝負の決着をつけるのは、今。

 ヒントを、思い出す。自分の即位を思い出せ、とオフェリアは言った。

 星歴0320年十一月、ゲルトラウデ女王が暗殺され、その一週間後にオフェリアが帝位を継いだ。翌年、ディリはオフェリアに見出されたのだ。思い出す。あの時、絶望しかなかった自分が、光を見た。希望だった。そして、夢を掴んだのだ。

 涙が零れそうになるのを、必死で堪える。今は泣く時ではない。考える時だ。そう、オフェリアもそうだった。一週間、オフェリアは考えたのだ。フォリアの裏切り、故郷を捨てること、様々な思いがあっただろう。それは、きっと今のディリの比にならない。

 オフェリアの心情と、意識を重ねる。帰郷の念。フルジアを脱し、望郷の思いを遂げる。ならば、ヒントなど出さない。ヒントは、挑んで欲しいからだ。このディリゲント・シャルンホルストに。

 オフェリアの人生と、苦楽を重ねる。悲劇に満ちた、幸福とは無縁の日々だ。憎きゲルトラウデに拉致されて養子にさせられ、幸福を掴んだのは、きっと今。ならば、どうしてそれを手放そうとする。どうして、栄華を自ら捨てようとする。

 どうして――――ゲルトラウデはオフェリアを拉致したのだろう。

「……そうだ。原因からして、わからないんだ」

 立場や義理を超越して。だから帰国したいとオフェリアが思うのは当然のことだ。家には唯一の肉親がいて、敵であるレアティーズ・スコアが牛耳っている。それを我慢して日々を過ごしてきた。だから、帰りたいと思うのは、何となくだが理解できた。オフェリアだからだ。守るべき何かを、見定めて。

 だが、ゲルトラウデが強行した理由が見えてこない。しばし、考えて。わかることではないと思った。それに、きっとヒントとは関係がない。皇帝になった経緯ではなく、皇帝になった瞬間を思い出せとオフェリアは言ったからだ。

 

 その日は―――――雪が、降っていた。今日のように。

 

 一睡も出来ずに、夜が明けた。うつら、うつらと細くなった目で思考を続けていると、執務室の扉が開かれる。アマリアが、フーガを連れて来ていた。凶行の理由は、カティアがいなくてミュゼットと口論になったことからだ、などと説明をしていた。

「いつまでも戒厳令を出すわけにもいかん。国民に対し、ミュゼットの死について報道をする。問題は、加害者だ。オフェリア様を裁くわけにもいかない。シャルンホルスト、名案はないか?」

「それなら……犯人を捏造するか、死因を変えるしか――――」

 ――――――――不意に、何かが繋がった。

 そうだ。オフェリアが人を殺したとしても、何の問題にも、どんな罪にも問われない。家臣が不安になるくらいで、それも挽回することは可能だ。だから、ミュゼットの死には何の意味もなくなってしまう。

 意味がない。意味がない。まさか。意味はある。死に意味はなくとも、無駄に死ぬわけではない。

「何だ、良案が出たのか?」

 フーガが、不機嫌そうな目をこちらに向けた。アマリアは、じっと佇んだまま、動かない。

 

「――――黙れ。口を挟まず私に従い給え」

 

 立ち上がる。外は、もう朝。雪は止み、快晴の空が広がる。

 驚いたような表情をする特務師団長を睨みつけ、指揮官は時代に向かって、疾走を開始する。

 

 

―――――――――――――――――――――

Judgement ---Wolfgang Dirigent Scharnhorst

Feb. 2, Neo.Globe.0324

Feorgia Phrygia Palace Place

 

 パレス・プレイス。宮殿前広場に、皇帝が姿を見せる。

 最終幕である。ここから、全てがきっと変わる。漠然とした予感を感じながら、指揮者ディリゲントは歩を進めた。

 ぐるりと舞台は軍に包囲されている。その指揮を担っているのは――――オフェリア・ネブカドネツァルではない。ヴォルフガング・シャルンホルストは大衆の眼前で、片手を挙げてゼバスティアン・フーガ帝国軍大佐に命令をした。

 円陣、中枢に向けられる銃口。オフェリアは胸に、シャルンホルストは背に。向かい合う二つの魂に、必殺の意思が伝えられる。この光景を、世界が見ている。

 芝居か、真実か。

 その問いに意味はない。どちらにしても、悲劇には違いないのだから。

 

「オフェリア――――貴公を逮捕する」

 

 世界が、揺れる。これは反乱ではないのか。あるいはクーデターか。最近はシャルンホルストの動きがおかしかった。反皇帝派と結んで策謀を巡らせていたのではないか。そんな声が、方々から聞こえた。すでに衆目を集めるこの壇上。あらゆる視線が、集まっているのだろう。

 大役を、シャルンホルストは譲らなかった。おそらく、最も辛いのは、この役目だからだ。故に、アマリアにはやらせるべきではなかった。中立であるフーガに任せるわけにもいかなかった。最も近しかった、最も敬愛していたシャルンホルスト自らが、断ち切る、絆。

「身分を詐称し、帝位を自称し、帝国の政治を乱した罪である」

 怒号のような喚声が聞こえてきた。レオンハルト・ガヴォットが近衛第二師団を動かしたようだ。宮殿前の広場に雪崩打ってくる。ガヴォットは猛る瞳を爛々と輝かせ、シャルンホルストを見上げて、吼えていた。

 時が、足りなかったのがオフェリアの落ち度だった。もうしばらく時をかけていれば、皇帝派の家臣を消せた。疑心で満ちたフルジア帝国を築けたはずだ。今の段階では、まだ半数ほどが反対論を振りかざしたに過ぎない。

 だから、皇帝に傾倒する人間が、こうして怒り、狂っているのだ。

「静まれ。今は裁きの時です、中佐」

「貴様こそ何の真似だシャルンホルスト!これは、こんなものは叛乱ではないか。貴様こそ地獄に落ちろッ!」

「私に背くのなら、騒乱罪で逮捕します。いや、独断で軍を動かした。政府に対するアクションとみなしますよ」

 本当に信じられない、という目で、ガヴォットは広場のシャルンホルストを見た。現実。これは、現実。信じて、敬い、共に生きて、命すら捧げた主君への情愛は。この瞬間、砕け散る。

「オフェリアは皇帝ではないのだ。最初から!そう、最初から皇帝ではなかった!」

「嘘だッ!貴様の妄言など信じるものか!」

「……では、問いましょう。先帝であるネブカドネツァル二十世は、どのようにして女王陛下となったのか」

 皇帝・女王となるには条件がいる。それは当たり前のことである。

 血統。正統な後継者は、帝の嫡子である。その血を引く年長者が帝位を継ぎ、帝に即位する。オフェリアは養子であって、養子ではない。暗黙のルールだ。誰もがオフェリアは先帝の子ではないと知っていながら、黙認した。

 

「それに、『即位』していないのです」

 

 これが、決定打。オフェリアは言った。皇帝になった時を思い出せ、と。

「馬鹿な。即位したから皇帝になったのではないか」

「いいえ。即位していないから皇帝ではないのです」

 ガヴォットを押さえていたゼバスティアンに、シャルンホルストはそう答えた。これが、オフェリアが最初から仕組んだ罠の起動装置。オフェリアは皇帝ではないのに、皇帝になった。誰もが疑わなかった。その小さな間違いと、細かく気付くはずもない、名目だけの形式上の過ちに。

「話を整理しましょう。先帝が崩御なされ、帝位は空位になった。後継者は二名。オフェリアとゲオルギーネ王女様です。継承権はゲオルギーネ王女様にあるかと思われましたが、一週間の空白を経て、オフェリアが践祚の勅語を発表し、以後、フルジアの執政を担いました」

 皇帝、あるいは女王になるには。帝位を継承し、皇帝になりましたよと披露する。そして国家という存在を受け継いで国民に知らしめる。践祚をして帝位を継ぎ、即位をして皇帝となる。オフェリアは践祚はしたが、即位をしていなかった。

 名目、形式という話で、実態や実情ではない。だから、反発をしようとする者もいるだろう。だが、皇帝というのは儀式に基づいて生まれるようなものだ。儀式を欠く国家元首など、存在するはずがない。皇帝と儀礼はセット。一方が欠けたオフェリアが、皇帝であるはずがない――――!

 

「故に、ネブカドネツァル二十一世を皇帝と認めない。帝位はゲオルギーネ・ネブカドネツァル『女王』陛下のものと思われる。皇帝を僭称したオフェリアは、政治犯である」

 

 この一言を、オフェリアは四年間も望んでいたのだろうか。

 四年。皇帝になった時、オフェリアは、今日という日を望んでいたのだろうか。滅亡へ向かって歩む人生を、何のために――――

 

 全ては、残される者のために。去った後の世界を、希望に満ち溢れたものにするために。自らを悪役に仕立て、追放されることを望んだ。そうしなければ、去りし者への期待を断ち切らなければ、新たな指導者は立っていられない。

 ああ、ならば。私も悪役になろう、私の憧れた人と共に。

 自分は、育てられたのだ。後継者に。シャルンホルストは、そう思った。未だ言葉を発せぬ我が師を見つめ、後継者に指名されたことを思う。これは、最後の試験なのだ。オフェリアが出した最後の問い。シャルンホルストが、どういう人間になり、どういう夢を見つめるのか。

 

 

 もし、お前がヒントを解いたら――――

  そして、お前が私を超えるなら――――

   私は何も臆せず振り返らず――――この国を、お前に委ねられるんだ。

 

 

「しかし、オフェリアは悪逆非道な執政は行わず、私利私欲であるとはいえ、フルジアという国家に対して莫大な利益を生み出した。功績は大きい。皆の考えをお聞きしたい。オフェリアは暴君であったと同時に、多大な功を残したとは思えんか?」

 広場から集まった人々を見下ろす。賛同の声が上がる。叛乱は、例外なく死罪。せめて、減刑を。それはもう、罪が確定した上での言葉だった。民衆は罪を知って、家臣の半数は追放を叫び、家臣の半数は嘆きを漏らした。

「ならばその功績を持って減刑し、国外追放としたいと思う。さらば、罪の者よ。さらば、独裁の暴君よ。さらば――――忠義の人よ」

 涙を、禁じる。ここで涙を流してどうする、とシャルンホルストは目に力を込めた。全力で、オフェリアを見つめる。睨むように見つめて、その姿を、今生の別れとなった今に焼き付ける。

 シャルンホルストは、挙げたままの手を――――動かせなかった。振り下ろせば、全てに決着がつく。今日を望んだオフェリアの夢は叶い、今日を否定したシャルンホルストの夢が砕ける。だが、砕かなくては。砕かなければ、我が師は前に、進めない。

 それでも――――声が、聞きたいと思った。最後に、早くしろと怒られたいと思って――――シャルンホルストは手を止めたまま、動けずにいた。

 振り返って、人々に背を向けて、オフェリアを見た。

 オフェリア。オフェリア様。私は至らない臣です、私は何も出来ないのです。だから、陛下の教えが必要なのです。そう願って、気付いたのだ。

 ああ、そうだ。私は教わったが――――怒られることなど、一度も、無かった。

 笑顔が、そこにあった。衆目に気付かれないよう、口元をわずかに、微笑みに変えて。最後まで、別れの今まで、シャルンホルストを気遣う表情と、優しさを。

 もう、耐えられなく。頬を伝う熱い涙を、堪えることなど出来ずに。

「――――捕えろ。これにて、終幕である」

 涙ながらに、手を振り下ろした。目の前にいるオフェリアに、兵士が殺到した。終わりだ。終わったのだ。全てが、終わり。ここから、新しい夢が始まっていく。

 そこに、オフェリアはいない。しかし、続けなければならない。

 

「陛下。今度は、幸せに」

 

 誰もいなくなった広場で。シャルンホルストは、ぽつりと、呟いてみた。

 声は届くのだろうか。晴れた空の果てに、この声は、届くのだろうか――――

 

―――――――――――――――――――――

 

 

 ゲオルギーネの践祚、そして即位を経て、第二十二代女王が十八歳の若さで誕生した。

 前任者が思ったままに。滞りなく、何の問題もなく、新帝を祝う雰囲気が帝都を包んでいた。ただ逃げるだけでは、こうはならなかっただろう。追放という結末を用意したからこそ、人々は怒ることもあり、諦めもついた。

 新帝即位に伴って、軍事のヴェルブング、国務のエーファ、外務のシャルンホルストの三頭体制が固まった。

「軍の衝撃は相当なものだ、ディリゲント。アウバではかなりの脱走兵が出た。近衛第一からで、オフェリアを追ったものだろう」

 ヴェルブングは通信でそんなことを言ってきた。ガヴォットをアウバに派遣し、近衛師団は再編しなければならないだろう。近衛第二と合併し、強固な軍を編成しようとディリは思っていた。

「アンドロメダは動くと思います」

「私もそう思う。何だかんだと言っても、オフェリアを敵は怖がっていたからな」

「戦線は耐えられますか、将軍?」

「誰に向かって言っている。あの子が負い目を感じぬよう、私には勝利しか許されない」

 絶対的な信頼感があった。ヴェルブングが自信と決意に満ちて断言する以上、戦線が破られることは絶対に無い。絶対にだ。それを聞いて、安心した。

「ディリゲント」

「――――何ですか?」

「我々は感謝をしなければならない。四年間も、いてくれてありがとうと。本当は、最初からここにいてはいけない人だったんだから」

 そう、ここにいるはずのない人間だった。だから、いなくても当然なのだ。四年間の奇跡がフルジアにあっただけで――――悲しむことはない、と。ヴェルブングに励まされて、笑顔でディリは通信を終えた。

 都の治安は、平然としていた。ただオフェリアの追放から数日後に、フィラーナ・ノルマが出奔した。それはどこかで、当然だと思える出来事だった。フィアと近衛師団の一部が離れただけで、傷は痛くなかった。深く残る傷痕は、無かった。

 ディリは、レーヴェ邸に向かった。今では、取り残されたオリヴィアだけがいる家。もうあの頃の暖かさなど、無い。最後に、オリヴィアを宮殿に連れてきて、この一件は終わりだった。

 イコライズ・オフィーリアの脱走者。それがオリヴィアだと聞いていた。言葉は不自由ではないはずだが、未だディリが彼女の声を聞いたことはなかった。語らずとも意思が通じる。そんな日々だったからだろう。言葉の必要性が少ないのだ。

 レーヴェ邸には、先客がいた。エーファだ。断ってから家に入る。

 エーファがレーヴェ邸を訪れているのは知っていた。オリヴィアに世話を焼いているのだ。思えば、オリヴィアを教育しているのはエーファの提供する学校ではなかったか。居間に入ると、オリヴィアを抱きしめる涙のエーファがいた。

「……うぅ、だってオリヴィアちゃんが不憫でさ」

「何言ってるんですか。ほら、顔拭いて下さい」

 布を差し出し、オリヴィアを回収する。エーファは、いつもと変わらない。変わらないことで、何も世界は変わっていないと示しているのだろう。落ち込まれるより、ずっとよかった。

 それから、説明をした。宮殿に住むことを説明する。だが、彼女は躊躇した。どうやらこの家が気に入っているようだ。

「シャル君。オリヴィアちゃんはレーヴェに籍入れてるんでしょ。ここ、オリヴィアちゃん家だよ」

「ええ。ですけど、一人というのは不憫です」

 そんなことないのです、と。頬を膨らませて、可愛く抗議をしてくる。もう十歳を過ぎていて、大人びた顔が、可愛くむくれる。

「だよねぇ。ならさ、家、残して手入れしておこうよ」

「そうですね。それで、どうかな。この家はきちんと手入れして残すから、宮殿で皆と暮らそう?」

 笑顔で説得。仕方がないですねえ、と。諦めた感じの顔。まずは下見をしたいのです、と目を輝かせて連れて行けと指示してくる。頷いて返すと、オリヴィアは元気よく階段を駆け上っていった。やはり、言葉がなくとも意思の疎通は出来ているような気がした。

 

 オフェリアにそっくりの顔を、幼くアレンジした少女。

 オリヴィアは白い手編みの、丈の長い上着を着てきて。

 ――――ああ、それは。あの人が大切にして、お気に入りだった、白い上着だと思い出す。

 

「似合っていますよ、オリヴィア」

 一言、そう褒めて。新しい時代が到来したのを、ディリは感じ始めていた。

 満面の笑みで、少女は嬉しそうに外へ走り出していった。

 

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