

1
久し振りに、イザークとリゴレットと揃った二人に会う。この陽気に浮かれつつ、やっほうと元気にドアをブチ開けた。カティアと愛し合った後だし、そりゃ気分もハイテンションだった。
「お、やっと来たかオペラっておおおおぅ!」
「なんだい?久し振りだからって、すげえリアクションじゃないか!はははは!」
笑って、対面のソファに座った。二人は目を丸くしたまま、口を開けている。しばらく会わないうちに、変わってしまったのだろう。初対面の頃と比べ、今のオフェリアは、別人のようでさえあろう。イザークは少し、女性らしくなった。リゴレットは髭を生やし始めて、厳つさを増している。少し、痩せたか。
それでも、会わない時間を越えて。皇帝という立場など簡単に超えて。友人というものは、いいな、とオフェリアに思わせる。
「さて。イザーク、リストは?」
「……ぁあ」
パレス・アエロナウティカの籍をもらい、古びた書物のようなそれをテーブルの上に置く。
「で、だ。オマエさ、何でこんな面倒なことさせるわけ」
「決まってるじゃないか!ボクとっ、カティアのっ、輝ける未来のためッッ!」
一拍ごとに区切り、力説。筋肉男は目の焦点がズレ落ち、男装女は口を半開きにしてリアクション。
「……おい、リゴレット。オフェリア・レーヴェさんはこんなアホなお子様だったか?」
「いや、イザーク。オフェリア・レーヴェくんはオレの記憶とは違っている」
「そう、お二人とも。オフェリア・レーヴェちゃんはカティアが絡むとバカになるのです」
第三者の声がした。オフェリアの背後から聞こえるそれは、両手を前に突き出して、嫌な微笑と共に参上する。
「――――お久し振りです、おバカども」
「コイツもキャラ変わってないか?」
「いんや、イザークよ。フィアという女は昔っっっからムカつくヤツだったさ」
むず、と背後に手を回して頭を掴み。頑なにひっついて離れない従者を、何とか引き剥がそうと努力する。
「フィア、お前、離れろよ。っつーかどこ掴んでんだまたカティアに怒られるだろもうお前なんかクビだよクビぃ――――!」
「これが本当の手ぶらというモノです」
両手でわしっと乳を掴むフィアの言葉で、おやおかしいなと思う一点。あれそういえば、俺、服着てきたかなぁ、と。オフェリアは実に間の抜けた自問をしてみた。
「ち、お、そうか。いやだったら、服」
「気付くのが遅いです。おいおいオフェリア様、大丈夫ですかァ?しっかりしてくださいよぉ?」
「む、ムカつく……」
「ナンだ。フルジア人は皆バカなのかと思ったところだった、ははははは!」
「そうそう。まぁ気付かなかったお前はバカだけどよ、あはははは!」
「二人とも、すげぇ腹立つのね」
もうフィアを一切無視することにして、話を進める。晴れやかに爆笑する二人をどうどうと鎮め、マジメな顔で取り繕って、先の二人の質問に答える。
どうしてこのような、面倒な手続きを踏むのか。彼らはそう不思議がった。
「ど、同性愛はやっぱりフルジアでも禁止……?」
「うるさいバカ。ワタシ様は皇帝でござる。女帝ではないのよ」
「いいから。レーヴェがバカだとわかってるから」
「なんだって。じゃあお前だってバカじゃないかイザーク!」
立ち上がり、フィアが間抜けな声を上げながら強く胸を掴む。ああ、もう。どいつもこいつも。
「お前の方が、バカだ」
「まぁな。コイツ、バカだからな」
「そんなことわないぞリゴレット。私が、バカだと、何故思う」
「あはは、聞いたかリゴレット!コイツかなづかい間違った!」
「よくそんなのわかったな……」
座っているイザークに指を突きつけると、彼女は立ち上がって猛烈に反論をしてきた。呆れ顔のリゴレットは半笑いで見上げるだけだ。
「うるさい、レーヴェ!バカにバカと言われたくない。私がバカだと言うなら、そうだ、証拠出せ証拠!」
「証拠、ねぇ?熱心に反論するほど、バカが露呈するよ?」
「ははぁ、それは反論になっていないぞ。やはり。レーヴェはバカなのだな」
「じゃあお前も証拠だしてみろ。ほうら、出せないだろ。だってバカだもん」
「何を!だったらリゴレットだってバカだろうが!」
「ちょっと待て!何でオレがバカなんだよ!」
「……そうだよな。イザークはバカだけど、リゴレットはもっとバカだもんね」
全くだ、と。哀れみの目で見下す二人。怒り心頭、といった様子のリゴレットはやはり立ち上がり、雄叫びで宮殿の執務室を揺るがす。
「いいか、イザークはバカだ。なぜなら、打ち立てた作戦はことごとく失敗する。見通しの無さは即ち、バカだ。そしてオペラはもっとバカだぜ。忘れもしない四年前。寝ぼけたお前が大根と間違えて魚雷買ったことをオレは覚えているッ!」
「いや、買ってないから」
「バカめ。リゴレット、貴様は喋れば喋るほどバカになるのだ」
「ちょっと脚色しただけじゃねぇかよ畜生。しかしオペラがバカだというのに変わりはない。なぜなら!忘れもしない四年前。シーリア基地の通風孔に背が届かないのに登ろうと言った!あの時の背中の痛みを、オレは忘れないッ!」
「忘れろよ。ネチっこいなぁ」
「リゴレットはネチっこいですからね、オフェリア様」
「この女ぁ……フィア!お前だってロケットに人間三人乗せて飛ばしやがって!バカじゃないか!」
バカ戦争、勃発。
誰が誰と罵りあう大決戦だったが、実のところ、全員が■■なのはご愛嬌。
「――――そこの四人、バカバカうるさいですよ。少しは静かにしてもらえませんか、ねぇ……?」
そして新キャラ登場。背の高い優等生、ディリゲント・シャルンホルストは参謀らしく腕を組んで、涼やかな視線で事の成り行きを冷たく見守っていた。
「ここは、宮殿です。王族や宮廷関係者が執務、あるいは住居としているフルジアの神聖な場所ですから。あまりお喋りに興じられると困るのですよ。私が説明いたします。四人はおとなしく正座してください」
「……にゃんだと。ディリ、お前偉そうだにゃー」
「お黙りください、陛下。口閉じてこの服着てください」
側近はカティアに与えられた服を己が皇帝に押し付け、黙って着替えるのを横目で確認していた。
「オフェリア・ネブカドネツァル皇帝陛下はフルジアにおいて神聖なるお方です。対してカティア・フレーニ王女は敗戦国の捕囚ですから、立場は天と地ほどの差が生じます。このお二人が結婚、となれば色々と面倒なのですよ。民衆はオフェリア様の不可侵性を崇め、その伴侶には相応しいお方をと思っております。これは先帝、ネブカドネツァル二十世も同じ考えでありまして、終生ヴィオレッタ・レーヴェ夫人に対して嫌悪感を持っていたようです。また、現在、フルジア都郊外にカミーユ・キャンプがあり、そこでは王女の復権を狙っている者がおります。これもまた、オフェリア様に王女を奪われたとよからぬ遺恨を残す可能性があります。国内においても、シリウス出兵に関して不信感を抱いている者がおります。まさに神速で駆けつけたあの作戦でありましたが、その迅速さが仇になり、まるで王女を奪うために出兵したのではないかと反論が起きるのは至極当然と思われます。そしてネブカドネツァル王妃となれば、フルジアの皇帝譜にも記載され、フルジア人となってしまいます。これではカメリア王女との兼任も出来ますまい。これらのデメリットを考えた結果、結婚には反対でありますが回避策としてオフェリア様個人の戸籍であるパレス・アエロナウティカ・オブ・オフェリア=フォーレの配偶者として記載させればネブカドネツァルの戸籍に入ることもなく王妃となることを避けることも可能でしかも神様のお姫様なんていうすっとぼけた称号を手に入れてまさに一石二鳥って、人の話を聴いてくれませんかねぇ……?」
「あー?だって長いんだもん」
最後の方、息継ぎさえしてなかった。ディリの熱心さに呆れながら、リゴレットと組み手を始めていたオフェリアは、仕方なく椅子に座った。イザークだけは真面目に話を聴いていたようだ。
「慶ぶことではないか。せめて、今回くらいは。オフェリア・フォーレに相応しい式にしてやりたい」
イザークの一言で、何となく浮ついていた場が静まった。もうオフェリアも茶化すつもりではなくなっていたし、リゴレットも真剣な仕草で考え込む様子だった。
そう、オフェリア・フォーレなのだ。あるいはオフェリア・ネブカドネツァルでもいい。華麗で派手な結婚式でもいいではないか。今の今まで、苦痛に耐えてきた人生に。一つくらいは彩りを添えても、誰も文句など言わない。
「ありがとう。だから、皆に会いたかったんだ」
「照れるじゃねぇか。よっし、オペラ。オレに任せろよ。我に秘策アリだ」
胸を叩いて握り拳で答えるリゴレットの表情は自信に満ちて。何事かと問うオフェリアを強引に席から外してしまった。
2
作戦、そのいち。オフェリアを起こすのは、不可能に近いのだ。
「――――何でだ」
呼び出したフィアの表情が、凍った。リゴレットは逃げ出そうとするフィルの腕を押さえつけて、フィアの前に立たせる。知っているだろうか。フィラーナ・ノルマの姉を。フィリス・ノルマはかつて、妹を助けてと神に祈った女性だ。
「何者だ。何故、自分と同じ顔をしている」
厳しい口調で、フィアは詰問してきた。それを宥めるように、イザークがフィアを押さえた。
「これが、私とリゴレットが敵としたものだ。死人を蘇らせる神々への叛逆者たち。フィラーナ・ノルマ。君は昔、オフェリアに会ったことがあるそうだ。姉に連れられて、な」
それは、もう昔の話。瀕死のフィラーナを連れて祈ったフィリスは、神の光に包まれてその宮殿に入った。そして懇願した。神に。
「瀕死だったのは、二人。救えたのは一人。だから、その時にオフェリアはゲルトラウデに怒りをぶつけた。これはゲルダから聞いたことだから間違いない。フィア。君はオフェリアとゲルダに救われたということになる。どうして捨て子の君が、フルジアという国家で生き残れたと思う?」
ゲルトラウデが、知っていたから。そうとしか言えなかった。そしてオフェリアが育てた。それはまるで、罪滅ぼしのように。
「……それで。私に、用事ですか?」
フィアは努めて冷静に、そう答えた。顔にはまだ険しさが残ったままだった。冷たい口調だ。いつもより、格段と冷えた言葉。
「作戦、そのいちってヤツだ。フィア、手伝え」
この世には、不思議が多すぎる。いるべきはずの人間がいなくなって。いないはずの人間がいるどころか、増殖している。その不思議は、運命を否定して倫理を破壊する。フィアは今、その敵に立ち向かっている。
無感の表情からは、何も読み取れなかった。ただオフェリアのためだと告げると、小さな顔をこくんと頷いて答えた。フィリスの目的も、これで果たされる。妹との、再会を。喜ぶ暇もなく、喜ぶ余裕もなかったのであるが。
オフェリアは宮殿で眠っているのだと聞く。宮殿に入ろうとすると、アマリアという女官が道を塞いだ。リゴレットは構わず敵対する姿勢を見せ、フィアとフィルを走らせる。すでにイザークは別行動だった。
「襲撃だぜ、お嬢さん。さぁオレを止めてみやがれ――――!」
部屋には、カティアもいる。寄り添って眠る光景に、不思議な感情をフィアは覚えた。
「……温かい」
全てが、温かい。温度も、感情も、優しさも。眠る二人は温かく、抱き合って。
対して、襲う姉妹は一言も喋らず、氷のような冷たさしかない。当然だ。覚えていない。いきなり姉だと言われ、しかも死人と言われて、どうしろというのだとフィアは不満を胸に抱いた。
「オフェリア様」
多少、大きめの声で呼びかけた。
「オフェリア様」
初めて、声が重なった。ちらり、と横を盗み見る。タイミングを合わせようとしているフィルと、目が合った。小さく舌打ちをして、フィアはもう一度、オフェリアの名を呼んだ。
もぞもぞ、と。カティアが動き。そして目を開けた。
「――――ッ!?」
「オフェリア様」
暗闇の中、フィアが二人で名前だけを連呼。不気味な光景にカティアが硬直し、やがて震え始めた。小さくオフェリアの名前を呼びながら、そして服の裾を握りながら、カティアは本気で恐怖していた。
やがて、目覚めの時。寝覚め最悪の皇帝が光臨する。
「……にゅ〜〜〜〜」
薄く目を開いたオフェリアは、じとっとフィアたちを見上げた後、寝返りを打ってカティアに抱きついた。ここまでは、想定されていたこと。フィアとフィルはさらに身を乗り出し、オフェリアのすぐ横まで顔を伸ばしてささやいた。
「レグルスが燃えてるよ、オフィーリア」
「平和なところに行こう、オフィーリア」
呪文のように、繰り返し。繰り返し。オフェリアの耳元で声を投げかける。くるんと回った首。目が、四つの目と合い――――急速に開かれた。
「お、オバケかあの時んすyはんjs――――ッ!」
「起きましたね。では、参りましょう」
アマリアは、強い。鼻歌雑じりで相手をしていたが、途中からリゴレットは本気で勝負を挑んでいた。
剣に力がある。隠し持っていた短剣で弾くのが、精一杯だ。攻撃に専念されれば、こちらは防御するしか手はなかった。繰り出してくる一撃はいずれも、重く。力の出し方、緩急のつけ方が上手いと感心した。
「どこで、学んだ?ここまでの遣い手は、そうはいねぇぜ?」
「オフェリア様、直伝でございます」
ふ、とアマリアが笑った。手を抜いていたということだろう。本気を出さずにアマリアは、宮殿に入られないようにするだけだった。大したものだ。リゴレットはひとしきり感心した後、夜空を見上げた。アマリアもそれにつられるように、見上げる。
「――――なんですって?」
「うぉい神サマ、そりゃあ、やりすぎってヤツだよ」
見上げた夜空は、朝焼け。ごうん、ごうん、と。駆動音を響かせる空が落ちてくる。最初、アマリアはもちろん、下手人であるリゴレットにも、ソレが何か理解することが出来なかった。
とにかく、巨大な。フルジアの都、その全土を覆うほどの空が落ちてくるのだ。アマリアはわずかに焼けた空と、漆黒の空を見比べ、ただ絶句している。その横を裸の女性二人を誘う姉妹コンビが通過した。フィアはオフェリアを、フィルはカティアを担いで突っ走る。
「よし、イザークと合流すっぜ」
「待て、お前たち何を――――!えぇっ、フィラーナ様?」
錯乱したアマリアが追いかけてくる。時刻は、もうすぐ夜明けの五時。政庁を抜けて、フルジアの北側に向かう。
「にゃあー、いやぁー、オバケー!」
「アマリア、アマリアさん助けてッ!」
背後から叫び声が聞こえる。燃え上がるアマリアが加速する。作戦、失敗だったかもしれない。
フルジア都の北側に、巨大な公園があった。イザークの姿を見つけ、リゴレットは手を振った。その――――瞬間。空から巨大な剣が隕石のように落ちて、イザークの背後に突き立った。
「て、てきしゅうー!近衛集めて!フィア!」
「落ち着けバカ。ああ、やっぱりお前はバカだよ……」
舞い降りた天空の剣に、目をやった。漆黒の剣は天を衝かんと高く雄々しく、大地に埋まって空を見据えていた。
「いらっしゃいませぇ。ようこそソフィア・ビュザンティオンへ!」
剣の接地部分に、入り口がある。このオベリスクに入ると、一階フロアは全てロビーになっていて、デスクに三人の受付嬢がいる。オフェリアの混乱はついに限界に達し、壊れ始めていた。それもそうだ。いきなりフルジアの街中にオベリスク投下して、なおかつそこに入り込んでいるのだ。
「はい、新規登録者はこちらにどうぞぉ。他の方は座ってお待ちくださいね」
「だとよ。オフェリア、行け」
どん、と素っ裸で混乱しているオフェリアの背を突き飛ばす。イザークとリゴレットは、デスクの正面に設置されているソファでその光景を見守ることにした。
左右四つにゲートが設置されている。まずそこをくぐらされる。デスクで解析され、IDが作られ、すでに所持している情報も上書きされるそうだ。半透明のIDカードをデスクで交付される。
「……およ。オフェリア・フォーレ様、オフェリア様っ、お会いしとうございましたよ」
「あら大変。メインブリッジにご報告して」
「あああ、あの。ここちらがが、IDでしゅす」
「――――にこり」
「ほ、微笑んでくださいましたよぉ!」
「ラヴ!ラヴオフェリア様!ラヴィー!」
パニックになりかけているデスクを眺めながら、あの受付嬢三人組は真面目に仕事できるのかと不安を覚えた。しかし、すぐに連絡が行ったようで、エレベーターから降りてくる三人組のおかげで、場はより賑やかになる。
「あらあら、これはぴんちってヤツですね。あの子が笑ってる時は本気ブチギレの感じですよ?」
オフェリアと同じ顔をした、年上の女性が笑いながらやって来る。言っていることは危険極まりない。この船を動かした張本人、オクタウィア・ファイーナ・ガートルード・ヴァン・フォーレ、オフェリアの姉である。
そして、降り立った神。カイアファ・フィルウィリミテアは的確に指示し、邪魔になる人物をまとめて上に連れ出していった。
3
何かをチェックしているイザーク。顔を寄せて、覗き込んだ。気付いたのか、イザークは顔を上げて憔悴した表情で見上げてくる。
「ティアとカミラさんはカミーユ枠だろう?リーティア司教とオクタウィア氏を一緒にしていいのか?カイアファ様がいるからまぁ、いいか。私やお前は友人ということでいい。問題はフルジアだ。ゲオルギーネ王女はどうする?」
「席次か。そんなもん、あのディリゲントとかいうヤツに任せればいいんじゃねぇ?」
「そうかフルジアの閣僚も忘れていたな。くそ、ジュリエッタ・ミュゼットとかいう第二夫人もいるではないか!」
ぶつぶつと髪の毛をぼさぼさにして、イザークは席次を考え続けている。リゴレットは無言で、その腕をとって外に連れ出した。錯乱状態の新郎は放置し、もうアビゲイルに任せてしまえばいいのだ。
そのまま、思考に没頭するイザークを連れて歩いた。フルジアの朝。今日も快晴になりそうだった。
「しかし、予想以上に多くなったな。皆、こんな状況でヒマなのかね」
「オペラに対する感情の裏返しだ。どうしようもない親族どもはオペラを投げ捨てていたのだからな。負い目もあるだろう」
それに、カイアファの力が大きかった。ベルベデーレの権威を持ってすれば、リューヴ=レイスだろうが誰だろうが呼べないことはない。ただノア・リーティアだけは。アマデウス・ツェルニーを呼びたかったと漏らしていたのが印象的だった。ツェルニーはオフェリアの父の親友だった男なのだ。
政庁を前に、勝手に中に入っていく。ディリゲント・シャルンホルストの執務室のドアをぶっ叩き、施錠されていても気にせず壊すように開けた。
「じゃ、そういうことで。イザークをよろしく」
唖然とするディリゲントにイザークを渡してドアを閉める。いくら閉めても半開きになるドアに背を向けて、式典というのは面倒だと思った。ただイザークは、こういうのが好きなのだ。だから邪魔をしてはいけないと、リゴレットは宮殿から出てしまった。
外に出ると、不思議な人が歩いていた。腕を組み、悩みながら朝のフルジアを闊歩するロングヘアの女性。声をかけ、目が合う。彼女と会うのは、二度目だ。
「なにしてんだ、ルキ?」
近付いて、片手をあげる。彼女は視線だけをこちらに向け、しかし足を止めてくれた。まさか来ているとは知らなかったのだ。
「勝手に略すな。ルキア・アンティゴネ・バルカ・エヴォルブ・オフィーリアとでも呼べ」
「……それ、冗談か?」
思えば、ルキアが笑ったところを見たことがない。彼女はオフェリアと同じ美麗な顔に、険しさだけを残してこちらを見つめてくる。
「正装をしろと言われた。この服ではいけないのか?」
「ルーちゃん、馬鹿だろ」
「リゴレット・リエンツィ。その略し方は非常に面白いが、次に言ったら、その毛が生えた心臓にイスラフィルを叩き込む」
真顔で冗談ともつかないセリフを吐くルキアは、非常に怖かった。笑わない、という点では出会った頃のオフェリアに似ている。そう、最初はこういう人だったのだ。それが、四年会わない間にすっかり変わった。もちろん、今のオフェリアの方が魅力に溢れている。
ルキアは乱れたロングヘアを無造作に縛り上げ、私服にリューヴ軍支給のコートという奇抜な組み合わせのファッションをしていた。人工子宮育ちはこれだから、困るのだ。
「私は、何を着たらいい?」
「ドレス。お前美人だから、絶対似合うぜ」
即答。しかしリアクションは無い。ルキアは眉一つ動かさず、理解した、とだけ告げた。
「しかし、無い。買って来いと言われた」
「お使いか。よし、付き合ってやるよ。オレもサンダルで略装ってワケにもいかんしな」
幸い、フルジア市街は知っている。それなりに滞在しているのだ。日々の散歩で、紳士服売り場も喪服売り場も知っている。
言い訳じみた言葉と、リゴレット自身は気付かなかった。知らず、この女性に惹かれているところがあるのだ。
買い物は、難渋した。当然である。女性のドレスを売っている店などリゴレットは知らなかった。そもそもフルジアにドレスという存在があるのかどうかも疑わしかった。
とにかく、文字通り路頭に迷った二人を救済したのは、それっぽい店に正装を受け取りに着た見事な髭の男性だった。
「よければ、ご案内しよう。君は私の服を着ればいい。女性物の衣装を男性が買うのは、この国では難しいのだよ」
男女の概念が逆の国家だ。男子が奴隷のように扱われているフルジア帝国において、女性に正装を贈るという行為は禁忌らしい。この男性のように、身分証明などをして貴族であることを訴えなければ難しいのだそうだ。
彼は車両を用意し、リゴレットたちは特に不審がることもなく、安易に乗っていた。基本的に、この国の人は親切である。特に貴族は、すごく上品で丁寧で、親切なのだった。紳士的な振る舞いをする男性に好印象を抱きながら、緩やかに進む車の中でこれからを夢想する。
「しかし、いいんですか?オレが借りて」
「構わんよ。私は軍服を着ればいいだけの話だ。ちょうど、君と私は体格も似ているしね」
男性の体格は、屈強だった。鍛え上げられた軍人なのだ。リゴレットにも引けをとらない肉体に、整えられた美しい髭。やや彫の深い顔と、ダンディさが満ち溢れている。
「時に、そちらの貴人は。豪華な衣装は面倒くさいだろう?」
「よくわかっている。そうだ。私は面倒くさい」
「……お前さ、偉い人なんだろうからもうちょっと言葉考えようぜ」
低い声で笑いが聞こえる。男性は頬を緩ませて笑いながら、そうかそうかと頷いた。
「青年、この女性を口説き落とすのは難しいようだ。持てる限りの誠意を見せることだな」
最後に恋の指南までして、貴族文化とはなかなか面白いと思ったところで車が止まる。運転手がドアを開け、ルキアに続いてリゴレットも降りた。
そして、困惑した。見覚えのある風景だったのだ。
男性に連れられて、その屋敷を訪ねる。出てきたのは、ゲオルギーネ・ネブカドネツァル王女。今、確信する。そうここは――――オフェリア・レーヴェの邸宅ではなかったか。
「支度は出来たかい、ジーナ?」
「わたくしとオリヴィアは。ヴェル、そちらの二人は?」
「リゴレット・リエンツィSSU軍軍曹と、ルキア・アンティゴネ・バルカ嬢だ。アンドロメダの英雄と、バルカ将軍の孫娘である」
油断。リゴレットは名前さえ見抜かれ、反射的に筋肉に力を込めた。この隣にいる男は、フルジア軍をまとめる総司令官、ヴェルブング・ティンクベルン。
「そう硬くなることはない。そもそも呼んだのは君たちではないか。感謝しているよ、私は。ここであの方を祝ってくれて。フルジアとアンドロメダ、そしてルテティア。決して相反するものではないのだと、君らは言いたいのだろう」
それが、昔だ。十九年前、ヴェルブングはゲルトラウデと共にルテティアに住み、ツェルニーたちと出会いながら、オルフェオとオフェリアの親子と接した。その形を、再現しようとしているだけなのだ。過去に出来たことが、今に出来ないはずがないのだ。
死に行く者もいる中で、それでも、夢を再び叶えられる。それは、一瞬で。しかし理想は叶えられる。ならば、一瞬と一瞬を積み重ね、いつかは永劫となればいい。
「ここにはオフェリアの衣装がある。オリヴィアにはまだ早いだろうから、君が着るといい。きっとよく似合う」
「礼を言う。リゴレット、少し待っていてくれ。私は服を貰う」
「――――ああ、好きにしろよ」
にこりともしないお嬢様を見送って、玄関先で突っ立っているのも何なので、中に入ることにした。
4
天宮船、アルゴナウティカ。フォーレ家が所有する航宙艦である。
だが、それは千年前の世界の話。史料の中にしかない物語だとオフェリアは思っていた。こうして、その内部にいるまでは。そして中にいる今でさえ、容易く信じられはしなかった。
仕組んだのは、カイアファらしい。イザークをフルジアに。その方法として、カイアファはアルゴナウティカを動かした。千年の封印を超えて、天宮船は蘇った。起動には様々な条件があるようだが、エヴォルブ・オフィーリアの協力で克服していた。
カイアファは、きっとオフェリアの未来を読んでいる。オクタウィアの入れ知恵だろう。
天宮船は上空20000メートルにて待機し、オベリスクだけを地表に投下していた。どういう仕組みなのかはわからない。ただビルのような高層建築物がフルジアの北部に突き立った。今はそのビル内にいるということだ。
「――――困惑していますか、オフェリア?」
窓の外を眺めていると、背後から声がかかった。振り返る。聖職者の服に身を包んだ、叔父の姿があった。ノア・リーティアはゆっくりと、微笑と共に近付いて。すぐ隣に立った。
「貴方も来ていたのですか」
「新郎の家族が姉一人、というのも寂しい話でしょうから。アデレードはいませんよ。レアティーズの監視が厳しすぎた」
裏切ってしまった、家族。故郷を捨てて、アンドロメダに背を向けて、自分は今、ここにいるのだ。妹に何か言う資格はないだろう。
「嬉しくはありませんか?」
「まさか。そんなことは、叔父さん。私には、過ぎた幸福ですよ。式を挙げることなど、考えてもいなかったから」
「ならば、喜びなさい。皆、お前の笑顔が見たくて来たんだから」
家族、親友、盟友。そして新たな伴侶。これ以上、望むものなどない。全て捨ててしまったものが、こうしてまた、煌きを取り戻して光り輝いている。なんと素晴らしいことだろう。なんと喜ばしいことなのだろうか。
「お前の両親はね、オフェリア。決して幸せな結婚ではありませんでした」
「……え?」
「周囲に望まれた、という理由しかなかった。デルフィオーレで、見ただろう?お前の母は、どんな顔をしていた?」
デルフィオーレに飾られていた、ジオットが描いたガートルードの肖像を思い出す。あの時、リゴレットは間違えたのだ。笑っている女性の肖像を、ガートルードだと言った。だがそれは間違いで、くすんだ顔で今にも泣き出しそうな切ない表情をしていた、肖像画が、正解だ。
「本当は結婚なんかしたくなかった。だけど、オフィーリアとオクタウィアが生まれて。けれど死んでしまって。絶望の底にいた姉を救ったのが、オフェリア、お前と妹なんだよ」
どうして、作ったのだ。どうしてオフィーリアのコピーを作った。その罪を、どうして犯した。今までずっと、考えていた。理由はノアが語ってくれたようなものだ。愛していたから、では。理由に不足だろうか。
「だからお前は、喜びなさい。幸せを得る権利が、あるのだから」
ノアは、微笑をしながら言った。様々な意味がこめられた言葉だった。しかしオフェリアは、言葉通りに受け取ろうと思った。
「さ、指輪を渡しなさい。ちょっと準備に手間取っててもう少しかかるのだけど、待っていなさい」
何せ、急な話だ。それがまるで芝居のようで、滑稽に思えて。オフェリアは、はにかみながら首にかけた指輪を預けた。
「ああぁぁぁぁっっ!ウゼぇ!何だよ、祭りでもしてんのかこの国はァ!」
「ひぃっ!ナオミ先生、通行人を蹴り飛ばさないで!」
労働者は嘆く。この通行人に多さは、非常に邪魔で作業を遅らせる。奇声と共に、着飾って笑い合う通行人に蹴りを入れて、威嚇するように睨み付ける武宮ナオミを必死で止める労働者たち。
「どうもすみません、この人、危ないのです」
「気にしません。こちらも今、ちょうど建国祭なので。今日が最終日、建国記念日で観客動員数も多いのだ」
ロジーナ・アルマヴィーヴァとヴァルトラウト・フォンアイツェルンのコンビだった。珍しいというか、ありえない組み合わせである。ヴァルトラウトは近衛師団を指揮して会場設営に取り掛かり、ロジーナはナオミと式次第をもう一度確認していた。軽いリハーサルのようなものだ。
「そいつぁ、いいな!盛り上がるじゃないのさ!」
「……婚礼で盛り上がる、というのが理解できません」
「将軍さん、フィルウィリミテア式結婚完全版は最後が乱痴気騒ぎなのです。特に偉い人の結婚式だとそうなんですよ。要するに、民衆に結婚を披露する、という」
テンションを上げる矛盾したナオミと、解説を入れるロジーナ。さすがに、アルバ・ロンガで学んだ師弟である。式典に関する不備はなさそうだった。
「ノアの時はやり過ぎたほどだったな。あの時はオルフェオが調子こいてな、酒に火をつけやがった。あの時の、エドヴァルトの焦りっぷりには腹ァ抱えて笑ったぜ」
「はい。だからウチは結婚式しなかったんです!」
「その代わり、今日は燃やしてやろう」
燃えるのではなく、燃やす。ナオミの発言に恐怖しながら、作業はゆっくりと進んで行く。
高層建築物のようなビル。立地条件は完璧だった。巨大な公園。ビルの入り口がある方向とは反対の南向きの面に。階段がつけられた三階建て程度の高さの入り口があった。入り口の前は軽く広間になっていて、そこで式を行うようだ。
今は、何故か階段下付近に会場を作っていた。酒の樽を運び込み、料理を並べる。乱痴気騒ぎとナオミは言い、万一に対処するには公園という大地の上がいい。そう判断したのだろう。
一体、どんな式典なのか。恐怖しながらヴァルトラウトは、準備を急がせた。
ただ、どうせ駆けつけた婚儀なのだ。楽しくなければ、ならないのだ。
オクタウィアという人物は、とにかく、厳しかった。
「神聖式典の名を冠する正式な神前婚儀です。立会人は一切、口を開いてはなりませんし、厳粛に式典は進みます。今回、貴女の結婚相手は天宮という皇族になり、貴方は嫁ぐという形式になります。貴女がやらなければならないのは、二つ。オフェリアの佩いた剣に鞘を当てて預かってしまうことと、右手を出して手袋をつけてもらうことです。後はオフェリアの真似をするか、ノアの進行に従えば問題ありません」
みっちり、神式婚の儀礼を学ぶ。朝から始まり、すでに昼を過ぎていた。ノンストップで教わり続け、何となく、式典の在り方がカティアにはわかった気がした。
つまり――――大変なことになった。今まで深く考えてはいなかったが、相手は神様なのだ。神と結婚するからには、荘厳で華麗な式典をクリアしなければならない。そのレクチャーをするために、オクタウィアは新婦の待機部屋に訪れているのだった。
「あ、そうそう。名前ですが。カティア・フレーニと書いてはダメですよ。貴女の名前は、『パレス・アエロナウティカ・オブ=アクソ・カティア=フォーレ』になります」
「……呪文ですか?」
「違います。名前ですよ」
とにかく、大変なことだ。結婚式というイベントを、ここまで急にやるとは思わなかった。そもそも結婚式自体、行うと思っていなかった。
「人、いるんでしょうか?」
「さぁ?新郎新婦共に両親が死んでいますから親族は少ないですが、各国のVVIPやらリューヴ皇族は来ています。ですから、失敗は許されません」
「ぷ、プレッシャーです……」
レッスンが終わったのは、もう夕方になるかという時間だった。空腹を覚えたが、食事をしている時間はなさそうだ。
会場の準備がほぼ終わり、オクタウィアが呼ばれた。指輪を預けて、カティアは部屋で一人になる。教わったことを思い返しながら、胸の鼓動が速くなるのを、覚えた。
「た、大変だッ!」
その心音を、跳ね上げる声。ドアを突き破る勢いで入ってきたオクタウィアは血相を変え、明らかに動揺していた。
「来て、カティアさん。衣装の着付け、急がなきゃ」
どうやら、何かを着なければならないらしい。
時刻が、午後五時を回った。
リゴレットは、美しく着飾り化粧まで施したルキアと会場に到着した。シンプルなドレスながらも、スタイルの良いルキアの線が強調されて素晴らしい変身ぶりだった。これなら、どこぞのお姫様と呼ばれても納得がいった。
階段を上り、イザークの姿を見つける。席次は決まったようだ。会場は装飾が施され、二十数個の椅子が四列キレイに並べられていた。リゴレットで最後だったのか、左右の階段にはカーペットが敷かれていく。会場の正面、建物への入り口には水晶か何かで作られた巨大な剣が突き立っていて、その隣に一際高い壇があった。
準備は、整っているらしい。差し出された、皇族の系譜が記載されている帳簿にサインを求められる。
「うお……エウロパの妃王にベルベデーレ全員、ヴィルトゥオーシのジオットまで来てるのか!すげえ!」
リゴレットは、証人という席次の一番目だった。二番目のイザークには友人代表と書かれている。称号や肩書きを書く欄らしいが、リゴレットには何も無いのだった。いい席次ではあるが、その下にルテティア・パリシオールム司教などと書かれているとさすがに緊張する。
「ぶ。フィア、ひでぇな」
「もう友人代表でいいだろう。彼女もそうするといい」
五番目、フィアの欄には、「稚児」と男らしい字で書かれていた。雄々しい。清々しくて涙が出そうだった。一番目にリゴレットは名前を書き、三番目がルキアだった。家族ではないが、血族という微妙な問題をクリアするには、席次を上にするしかないだろう。
指定された椅子に座った。二列と二列で真ん中に通路がある。リゴレットの隣は親族のティアで、通路を挟んで隣にイザークとルキアが座った。背後はフィア。ニヤニヤしている。珍しいこともあるものだ。さらに探検したくなり、前は誰かと眺めて見る。ウェーブがかった髪の真横に顔を突き出す。
「……なんですの?」
「し、失礼しました」
ゲオルギーネ・ネブカドネツァルに一瞥。VVIPを前に、萎縮してリゴレットは体を引っ込めた。背後から笑い声が聞こえる。振り返ると、フィアの横に座っている黒い龍、ルイ・シャルパンティエだ。
「なんで少佐まで――――?」
「あァん?仕方ないだろ馬鹿者。神前婚儀完全版には保証人がいる。既婚の男女だ。貴様らは独身ばかりだからな、呼ばれた。ロジーナとヴェルブングだそうだ。それに、オフェリアとは寝食を共にした仲だ。保護者だぞ、俺は」
ユーロパにオフェリアがいた頃はシャルパンティエが保護していたのだ。そんなこともあったな、と思い出したところで、ついに神が光臨した。いよいよ、式が始まる。カイアファ・フィルウィリミテアは、あの一際高い壇に立ち、次いでノア・リーティアが水晶の剣の前に立ち、胸のあたりまでの壇に指輪を二つ、置いた。
もう、口を開くことは許されない。神聖な結婚式の開始である。
5
礼装。オフェリアは白と黒の二重になったロングスカートのようなものを穿き、両手に黒く大きな篭手のような手袋をして、裾の長い外套のような上着を着て、階段を上った。背後には、付き添うアマリアがいる。
籠をを持った彼女を背後に、手に白刃のヴァイゼル・トレーネを持って。階段を上りきる。多くの人々に見守られ、その視線を感じながら、正面まで歩いた。
「失せよ、天使。私の決意は揺るぐことなく――――」
天使は、誘う者。誘惑に負けない強い意思で結婚に臨む。オフェリアは儀式に基づいた言葉でアマリアを返した。次は、カティアの番である。
足音のする階段を見つめながら、階段の下にも人が集まり始めていることを感じ取った。フルジアの民衆だ。今日という日。建国記念の今日。街の活気は溢れ、そして人がこの神聖に、気付く。
アルエを連れたカティアが、目の前に現れる。それは、ただただ、ひたすらに。美しいモノだった。今まで見た中で、おそらく、最も。美しく綺麗な、存在だった。証人の方からかすかに、感嘆の息が漏れたのがオフェリアにはわかった。
同じ白と黒で二重に彩られた、荘厳なドレスだった。着付けにどれほどの時を要するか、想像さえ難しい。フリルがあるわけでも、特に凝った装飾があるわけでもない。しかしそれでも、職人の業が垣間見える、神性の衣装。
「失せよ、天使。私の意志は揺るぎませぬ――――」
同じ言葉をカティアが言って、入場が終わる。一緒にノアを見る。目が合った叔父は、少しだけ微笑んでみせた。
「此処に、御神が見守る御前にて。神聖なる祝福に満ちた婚礼の式典を執り行います」
もし、ノア・リーティアという人間に祝ってもらえるなら、それはどれほど恵まれたことだろう。これ以上の司教は、どこにもいない。世界最高の司教による祝福だ。
「神々の系譜を開き、その名を読み上げましょう。天に宮持つ、パレス・アエロナウティカ。天空を切り拓く偉大なる神。ソフィア・ビュザンティオンの空に住まい、アヤソフィアの聖殿に在る」
ノアは、フォーレ家の歴史を読み上げる。初代から始まり、何代も、何代も、その業績を讃えるのだ。
「ユーリヤはプロシアにて知能を授け、オーリガは滅びの運命に抗う。パレス・アエロナウティカは永劫不滅に、人々の救いとなって、空に祈りを、そして光を」
なかなかに端折ってくる。ノアもさすがに、コツを掴んでいるようだ。
「――――オルフェオの子、オフェリア・ルートヴィヒに至るまで。その運命の光は、途切れず」
目の前に、開かれた皇譜が置かれた。今日という日を証明し、末代まで残される人の記録。参列者の名で彩られたそこには、夫と妻の欄が空白になったままだ。筆をとろうとしたカティアを、小さくノアが手で制した。それで、オフェリアにはカティアの緊張がわかった。
いつの間にか、前にはカイアファとノアだけではなく、ヴェルとロジーナ、籠を持ったアマリア、そしてあまり見覚えのない永宮ミカがいた。
「神よ。私は、カティアを愛しています。私には罪がある。生まれながらの原罪もある。呪われた私の運命。それは、孤独に耐え抜かなければならないもの。いつか、悲しみで終焉を迎えるのならば」
ノアが、少しだけ顔を歪ませた。ここは結婚する二人が永遠の愛を誓うところだ。それを、否定することからオフェリアは始めた。
決まりきった言葉など、口にしたくはない。定められた運命など、知ったことか。
「まるで、幻想のように。泡沫の夢を私は見ているのでしょう。いつか私は、死ぬ。その時、私は笑っていたい。いい人生だったと、微笑で終わりたい。カティアが、いてくれれば。私は永遠に、たとえ死のうとも笑っていられる」
少しだけ、笑った。カイアファを見て、オフェリアは口元を緩ませた。
「――――ここに、誓おう。終生のみならず、いつか失う明日にあっても君を愛することを」
カイアファが、頷いた。次は、カティアの番だ。つとつとと、慣れない調子で始まったカティアの言葉。それでも、さすがに威厳が感じられるのはどのような魔法なのだろう。
「なれば妾も誓いましょう。貴方の生涯が妾の愛と、幸福で満ち溢れ、そしていつまでも続くことを」
指輪を手にした。これは、互いの財産、所有物を交換して共有するということらしい。迷わず、カティアの指に、初めて指輪を填めた。彼女から差し出される指輪に、手を委ねて。交換する。そして、指輪の無い手で剣を顔の前に構えた。
鞘。カティアが手にした鞘。納刀され、ヴァイゼル・トレーネを渡す。剣を納める、という平和の証と母性の象徴。次いでオフェリアは右手の手袋を外し、カティアの手にすっぽりと被せるように装着させる。白いドレスに黒い手袋。守護を意味する象徴なのだそうだ。
先に筆をとり、皇籍に名を刻む。そのすぐ下に、カティアが自筆で名前を入れる。前のページには、オベロンとアディーラの結婚が刻まれていた。父であるオルフェオは長男ではなかったから、天宮の名を継いでいないのだ。
その皇籍を、永宮ミカが手にした。月下氷人という役割なのだ。仲人は、夫婦どちらとも親しくない人物で、冷静に婚礼の正当性を評価、把握する。籍を確認し、証人へ見せて周り、最後にカイアファへ奉納する。
「私、ヴェルブング・フォン・ティンクベルンはオフェリア・フォーレが生涯、妻と共に生きることを保証します」
「同じく。ロジーナ・アルマヴィーヴァ=エウロパもカティア・フレーニが夫と共に生きることを保証します」
既婚が条件である保証人という役割の二人が神へ告げる。全ての準備は整った。これは、神前の儀式。最後に神が、この婚礼が正しく行われ、承認に値するものだと判断した結果、結婚が成立する。
「オフェリア。私は君を知っているのだが、本当の君を知らない。だが、君の罪は知っているよ。おそらく、その生涯は呪いに満ち、そして受難しかないのかもしれない」
カイアファの言葉。これは、神の言葉。だというのに、カイアファはまるっきり、自分の言葉だった。
「僕は君が、好きだよ。リューヴで別れた時、どれほど困難な道を行くのだろうと涙した。だが君は、踏破した。行ける。君なら、どのような運命でも前進できるはずだ。純粋に、僕は嬉しいよ。君の幸せに立ち会えて、尊敬するオフェリア・ルートヴィヒという人間に出会えて」
背後から、美しい音色が響いた。立ち上がったアリアが、歌い始める。アリア。アリアがいたのか。聖歌が流れる。その旋律は、思わず涙が零れるほど、美しい。そう、これは神聖なる儀式。美しく綺麗なのは、当然のこと。
思わず振り返った。穏やかな表情で、優しい歌を。微笑と共に奏でるアリアを、見た。
「皆、祝おう慶ぼう。此処にオフェリアとカティアの婚姻を承認する。さぁ、喜びを謳おう――――」
「ッしゃあ!オフェリア、おめでとう!」
早まるリゴレットが歓声を上げる。馬鹿だ。まだ式典は終わっていない。しかし勘違いした初結婚式の参列者が歓声を上げ始め、先走った人間が立ち上がって狂喜乱舞する。思わず、笑った。何だ、皆バカではないか、と。オフェリアは笑ってカティアを抱きしめて持ち上げた。
「あはは、皆さん早まりすぎですよ。では式典を終えますので、皆さん、御祝いの一言を一斉にどうぞッ」
ノアでさえ、笑って式を最後に壊した。厳格に終えるのではなく、楽しく騒がしく、締める。司教は手をあげ、合図し、フルジアの中心に歓喜の声が響き渡る――――
夕暮れ。燃える夜空を。
建物のガラス全面で生中継された婚礼を見たのか、公園には数多の人々が集まっていた。建国祭が終わって駆けつけた者も多いだろう。すでに、食事や酒が振舞われ始めている。
フルジア皇帝ではなく、一人の聖者が結婚をした。あえて、フィルウィリミテア式の婚礼にして、ネブカドネツァルの名前出さなかった。その意味を、理解するでもなく、漠然と人々に浸透していく。
「祭りは終わらないぜ、そうれ飛び込め――――!」
リゴレットの合図で、階段を駆け下りて行く。オフェリアも、カティアを抱いて飛び降りた。人だかり。参列者も観客も、誰もが集まってコップを手に騒ぎ始める。
「かぁッ!あの陰鬱ヘタレがねぇ……」
早速、酒を持って来たナオミが絡んできた。ベルベデーレ・チームである。ミカだかエリだか猫の変態やらが集まってくる。
「ナオミさん、何を言いたいのかわかりませんが」
「いや。別に。たださ、ここにお前の親友がいたらな、と考えちまっただけだ――――」
それで、少しだけ。オフェリアは遠い日に思考を飛ばした。
レアティーズ。一番、祝ってほしいのは。お前に、だったのかもしれない。ここには、驚くほど揃った皆がいる。しかし、決して全てではない。それはまるで、ハッピーエンドなどあるはずがないというようで。
「いやァ、カティア可愛かったよぉ〜!」
抱きついてくるロジーナを回避して、カティアが被害を食らう。ぐはは、と笑い始めるナオミのおかげで、気分は乱痴気騒ぎに戻り始めてくれた。困った様子でシャルパンティエがロジーナを引き剥がし始める。
「悪い。もう酔っ払ったようだ」
「気にしないで。ロジーナさん、前から酒弱いじゃん」
「えっと……シャルパンティエ?」
「カティアまで呆けた顔でバカみたいなことを聞くのか。今更、遅い。教えてやらん。ほら、ロジーナ、行くぞ。今日は俺たちもオフェリアに負けないくらいハッスゥルだ!」
「あ、すいませんRTVリューヴテレビ放送の者ですがー」
「映像くださーい。はい、義兄さんこっち。あらカティアさんやっぱ近くで見ると姉さんそっくりー!」
テレビ局の取材が来る。早い。カメラやらフラッシュやらがたかれて、え、これ写真も撮るのと不思議がっていると、ソニアの笑顔が真正面にあった。
「ソニア、ソニア?ソニアー!」
「わわ、義兄、どしたっ!」
「いやビックリだ。何年ぶりだよ、元気だったか、苦労してないか、お金に困ってないか、彼氏できたか?」
ソニアの存在は、意外だった。まさか来るはずがない。前妻の妹なのだ。負い目しかオフェリアには無かった。だから、気になるのだ。
「すげぇ!ソニアちゃんオフェリア様と喋ってる」
「あん、そりゃ家族だかんね。シャルヴェンカさん、次はカティアさん撮ってあげて」
「……何だか、モデル時代の時みたいで照れるわ。オーちゃん一緒にぃ」
「あ、カティア?カティア・フレーニってあのモデルの?うおぉぉファンだったんすよー!」
「ソニア、大丈夫か?困ってること、ないか?何でもするぞ、フルジアに帰りたかったらいつでも、」
「あーもー、うるさい愚兄ッ!」
「――――泥棒猫の、妹は、こちらに、いるのですか……?」
怨念の声。着飾ったゲオルギーネ・ネブカドネツァル王女はソニアを見るなり、襲い掛からんとする。天敵なのである。昔から仲が悪いのだ。テレビ局の二人を追い散らし、ふう、と息をついてこちらに微笑んでくる。
「油断も隙もありませんわね。兄上様、それに姉上様、とても素敵でした。わたくしもいつか、ああいう式を挙げたいものです」
「あ、姉上様だってオーちゃん!ジーナちゃんは可愛いですねぇ」
どうやら、こちらは仲良しの様子。おかしいな。ゲオルギーネはヴィオレッタとソニアが嫌いで、ヴィオレッタに似ているカティアはアリなのか?
「ええ。だって、姉上様は清楚な美しさもありますから、見事なのです。憧れ、というものですね。同じ王女として」
「へーぇ。ところで、アマリアまだカゴ持ってるね」
アマリアとディリのコンビを呼び寄せて、まだカゴをぶら下げているアマリアに教えてやる。そのカゴは子宝に恵まれるようにというもので、最年少で最も子供である人物が式典の最中、持っている。だから、終わった今ではもう持たなくていいのだ。
「……なら。陛下ももう耳は外していいのでは?」
「えっ、アマリア!教えてしまうのですか!可愛いのに!」
「そうだよ、オーちゃんこれ凄い可愛いのに!」
「――――はい?」
頭に手をやる。ヘッドフォンのように、髪の毛の間から伸びる何か。引き抜く。耳かけのようなソレは、ユーロパ人の耳を象った、猫の耳のようなものだ。
いつから、つけていたのか。そう思い、振り返った。
「……イサク、出てきやがれ、イサクぅ――――!」
「にゃ、お呼びかニャッ!」
突如として眼前に現れた、黒宮伊咲の顔面を殴りつける。ふにゃぁ、と倒れるイサク。
この人物は、ベルベデーレに属してカイアファの実の姉だったりするのだが。とにかくハイネを越える変態だった。男装、猫を愛する心は偏狭、それに両性愛。コイツは男だと認識してブン殴るべきなのだ。
「ね、ネコミヤとお呼びよ!」
「認めねー。絶対、認めねー」
猫耳を投げ捨て、さらにイジめようとしたところを、若宮エリに飛び掛られてとめられる。さらにその背後に、付き添うように永宮ミカの姿。
「やめてください天宮くん!猫さんが可哀想です!」
「バカー!コレのどこが、バカにしか見えないだろ!」
「それれもベルベレーレのひろりです」
「ミカ、お前酔っ払ってるだろ!」
この小娘コンビは、アルバ・ロンガ時代から手強かった。威嚇しながら、イサクを踏みつけて二人と敵対する。学生時代からの因縁なんだ。ここで、決着をつける。
と、意気込んだところで。むに、と。胸を背後から揉まれていた。
「ここでフィアさんかよぉぉっ!」
思わず突っ込み、振り解こうと体をよじる。その度に足元のイサクがにゃあにゃあと喚き、背後にぺったりと張り付いたフィアは離れない。
「……確かに。これは、良い乳ですな」
「そうでしょうそうでしょう。オフェリア様の乳は、まずカタチが良いのですよ」
「適度なカタさである。フィア、お主もやるのぅ」
敵は、二人か。両手を同時に背後に回し、二つの首を掴んで地面に叩きつけた。イサクが、断末魔。
死んだ猫の上で仰向けに倒れる変態二人を見る。フィアは、もう日常茶飯事なのでいいとして。どうしてその隣で、ニコラが寝転がっているのだろう。
「てへ?だってオフェリアくんのオッパイ気持ち良いんだもん☆」
「……だからって、さぁ……」
「いやマジでマジで、うーぽん。貴方ほどの乳は、宇宙広しと言えど、そうはいない。やっぱりわたしと付き合いましょうダーリン」
ウリエルの略なのだろうか、と。ふと彼女が呼ぶ愛称に疑問を抱いた。
「結婚式の当日に言うことじゃないよね?」
「オフェリア様。乳を愚弄するのですか。はぁん、そうですかそうですか。貴方が、まさか、そんな人だとは思いませんでしたよ……」
フィアに腹を立てつつ、アルエの変態具合に呆れつつ、逃げ出すようにオフェリアは、いつの間にかいなくなったカティアを探すことにした。
「げっへへへ!姉ちゃん、いい乳しとるのぉ!そぉい!そぉい!」
「アルエ、右から回り込むのです。クッ、さすがオリヴィア手強い――――!」
遠目から、オリヴィアが変態二人に追い掛け回されているのを観察する。隣で、ため息。はぁ、と重苦しく息をはき、ちびりとグラスを傾けるのは、フィアと似た顔をした年上の女性。
フィリス・ノルマ。かつて、オフェリアが救えなかった、命がある。
「あの子、どうしちゃったんでしょうか」
「さぁ、知りません」
追求するのは、やめておいた。答えは決まりきっている。ディファイアンス。決まった答えを聞くために、辛い質問をしようとは思わなかった。
その代わり。自分の真情を、伝えようと思ったのだ。
「私はね、フィル。やはり人の心だ。君が生きていてくれて嬉しいし、レアティーズがいることもまた、嬉しいんだ。生まれてしまったモノを否定することは出来ないし、それでは私自身も否定されるべきだ」
死。それは、回避できるものかもしれない。だが、回避していいものなのか。その判断を、誰が下せる。
「フィアも、きっと唯一の家族と再会できたら、これほど幸福なことはない。でも、私はこれ以上を許さない。必ず、止める。君はその狭間で生まれた、奇跡でいい。唯一の、救いだよ」
「ありがとうございます。私もまた、オフェリア様に会えて嬉しいと思います」
笑顔があった。まるで、フィアが笑ったようだ。だからその笑顔を、今度は二つ同時に見てみたいとオフェリアは思った。
「あ、オーちゃんココでしたか」
「――――アリア。久し振り。よく来てくれた」
「そりゃ、旦那様の結婚式ですよっ。将来、お二人を私がお世話するかもしれないんですよっ」
口を尖らせてアリアがやって来る。久しい友との再会だ。思わず、近寄ってきたアリアを抱きしめていた。遠く離れていたのに、ずっとアリアだけは近くにいてくれた気がする。それはきっと、君の声が遠くまで響くから。
抱擁をし、体を離す。そこで、もう一人いたことに気が付いた。オフェリアは人影に深く、礼をした。ヴィルトゥオーシ、ジオット・デル・フォオーレ絵師だ。
「面白い国ですな、ここは。まこと、意欲を掻き立てる」
「光栄です。フィオーレさんの描くフルジアを見たいですね」
「その前に、だよ。お前さんの母と姉は描いた。次はお前さんを描かせてもらうよ」
ガートルードとオフィーリアの肖像を思い出す。その横に、オフェリアが並ぶ。その光景を一瞬、夢想して。オフェリアは小さく頷いて笑みを見せた。
「その笑い方、母親そっくりですな」
「意識したことはなかったのですが。そうですか。少し、嬉しいです」
「お主は、離すな。掴んだ幸せを、死んでも離すな」
「必ず。いつか妻と二人でデルフィオーレへ向かいます」
倒すべきは、この絵師ではないのだ。デルフィオーレという組織は、複雑だ。ハイネだけではなく、ノアも母もデルフィオーレだったのだから。
「うひひっひ!お尻もソォウ、キュゥトッ!」
「アルエ、右です。あ、ノイン左、左に回り込みなさい。オリヴィア、貴女を守ってくれる兄も姉もいないのです……ふふふふ」
「〜〜〜〜〜〜!!」
「オフェリア様、呼んでますよ?」
「ああ。アリア、行こうか。ではフィオーレさん、また、いつか」
ハイネたちには目もくれず、手招きをしているイザークへと向かって歩いて見る。少し、酒が入り始めたのか。足元がわずかに、揺れた気がした。
イザークはヴァルトラウトと一緒だった。面識なら二人はある。何を話しているのだろう、と少し気になった。
「いや驚いたのだ。ヴァルトラウト将軍は博識である。私の、目標だ」
「何がさ」
「管理能力も秀で、軍事に関する統制も優れている。私の、理想なのだ!」
「褒めても何も出ないぞ、イザーク。自分などより陛下の方が理想にはいいのでないかな?」
「……あー?コイツですか将軍。コイツはバカですし、ダメだ。完璧超人だから」
扱いの差に愕然とする。褒めているのかけなしているのか、よくわからないイザークの言葉に酔いが感じられた。もう、空は夕暮れの赤から藍色に染まっている。
「やっぱりセリアさんもそう思います?」
「アリアさん?おーい、アリアさんどうしたぁ?」
「うむ。オルフェオさんにそっっっっくりだ」
「やっぱり。そうですよね、似てますよねぇ」
「どこがだよ!父さんと、どこが似てる?あの人はぁ、斧で全てを解決するよーな人だよ!」
ヴァルトラウトが高笑いをする。そのタイミングがよくわからなかったが、とりあえず無視してアリアとイザークに詰め寄る。
「――――諦めろ。親子なんだから」
見下したイザークの視線に、つい腹が立つ。こちらも、やはり酔っているようだ。
「ははぁん。じゃあ、イザーク。お前の母親も凄いんだろ」
「何?」
「お前――――ハイネの娘だけど」
「はぁっ!?」
「お前、ガブリエル・ハイネの娘だろ。自分の育て親の顔、忘れたの?」
笑いながら、宣言する。イザークが家出をしたのは、十二かそこら。ハイネが自暴自棄になる頃だ。
「お、覚えていないが……母がとにかくヘンだったのは、印象にある」
「でしょ?はは、そもそもだよ。ねぇ、セリア。自分の姿格好がさ、誰かさんに似てると思わない?」
詰めより、イザークの頬に手を当てる。そして体を見る。黒い髪、男装の人間。それは、まるでどこかの変態のようで。
「う、うわああぁぁぁ……」
「深層心理で、覚えてる。残念でした」
一時期、共に暮らした仲である。これ以上は、やめておこうと思った。
「ねぇ、うーちゃん。あれアレ、見て見てぇ」
アルエに呼ばれて、アリアと二人で目を凝らす。遠くのテーブル。二人だけでいいムードの男女がいた。
「誰?」
「カヤとオクタウィアだよ」
そういえば、カイアファはオフィーリアが好きだったと言っていた。なら、その双子の妹にターゲットが移ったとしても、不思議は無い。少し、楽しくなってきた。
「いーい感じじゃーん」
「やっぱ付き合ってるのかな。かな?」
「がんばれ、カヤさん〜!」
三人で応援する。カイアファには、そろそろ幸せになって欲しい。次の結婚は、カイアファでもいい。それならオフェリアは神父でも神様でも演じてみせようと思った。
「……待て。え、じゃあアイツ、兄になるの?」
「そうだね。お義兄さんですね」
「ぶっちゃけもう関係ない気もするけどね」
アルエの言葉に救いを見出す。確かに、もうごっちゃごちゃで関係ない気もする。
「そして、ふふふ。アヤしいのが、もう一組ぃ」
「ん、どれ?」
「あれあれ、見てご覧よ、オフェリア・フォーレくん」
さらに、奥だ。楽しげにアルエは指差し、結婚式場となったテラスのような広場を見上げる。二つの影。そして、階段下で見守る二つの人。どこもかしこもである。誰の結婚式だったのか、もう皆は忘れてしまっているのではないか。
アリアと二人でそちらに行ってみる。近付くと、それがイザークとティアだとわかった。二人と合流し、階段下に体を伏せ、見上げる。
「誰だ、あれ?」
「へへへ、聞いて驚け!筋肉ダルマのリゴレットと、エヴォルブ・オフィーリアだよ!」
「うわー!それ凄いよー!」
興奮する。女のエヴォルブといえば、ルキア・アンティゴネだけだ。今日は飛び切りキレイな格好で訪れて、群衆の鼻の舌を伸ばしまくりだった。
「よく聞こえん。行くぞ」
「賛成。匍匐前進で」
イザークと二人で階段をよじ登る。さらについてくるティアとアリア。ギリギリのところで体を裏返し、仰向けになって二人の会話に耳を澄ませる。
楽しげな会話。リゴレットは笑いながら話、ルキアは「何だ、お、何を?」「どうした、それは何だ?」みたいな感じで興味津々のご様子。こちらもつい楽しくなって来る。リゴレットはややくぐもった声で、聞こえない。だがルキアの声ははっきりとわかった。
「リゴレット、いきなり、何をするのだ」
「こら、顔にかかったぞ」
「汚れてしまったではないか」
物凄く、気になる。イザークが体をうつ伏せに戻し、目を細めていた。
「斥候、準備せよ」
「了解だ」
二人で、一瞬だけ顔を上げた。そして、見るのだ。寄りかかろうとするその巨体を――――!
「行くぞ、確保だぁ皆の者!」
「きんにくー、ころーす」
「きんにくをつぶーす」
「きんにくーかえれー」
四人で飛び出し、リゴレットに飛び掛る。同時、反対方向からも援護が。双方向から取り押さえられたリゴレットは地面に頭を押し付けられ、喚き始めていた。オフェリアは顔を上げ、ルキアを見た。確かに服が濡れていたが、どうも、酒か何かを零したようだ。
「ルキア。大丈夫?」
「ああ。オフェリア、今日は美しかったぞ。結婚おめでとう」
ルキアは少し微笑んで、そう言ってくれた。素直にありがとう、と礼を返す。
「その、何だ。私もいつか、今日の貴方のようになりたいと思う」
「そうか。頑張れ、いつでも手伝うから言って。ルキアをキレイにするから」
「……照れるじゃないか、オフェリア。わかった。その時は、甘えさせてもらおう」
照れ笑いが、すごくいい。そんな会話をしていると、真下の犯罪者が飛び跳ねて起き上がった。
「ごるるるらぁぁぁあ!!なーんでだよ、どーしてだよ、オレ様頑張ったよねー?」
「「――――リゴレット、うるさいぞ」」
ルキアとハモって、見下した視線を向ける。完璧な息。エヴォルブとデリヴァランスのコンビネーションが決まる。リゴレットはますます怒り狂い、涙を浮かべて笑い始めた。
「納得いかねえぇッ!オフェリア!何でオマエだといい展開になるんだよ!オレ様バカみたいじゃん!」
「いやバカだし」
「だってきんにくだし」
「性欲丸出しだしよ」
「私デリヴァランスだし」
「私その妹だ」
「ははは。世の中って、不公平だよなァ……」
哀しい笑いと共に、リゴレットは崩れた。どうやら腹部に強烈な一撃が入ったようだ。犯人は誰だろう。誰でもいいか。まぁいいか。どうでもいい。
「ようやくお目にかかれました。オフェリア陛下、以後お見知りおきください。トリスタン・シュトラスブルクです」
暗闇の中、灯り始めた街頭がトリスタンとその隣の女性の顔を映した。精悍な顔つきの男性だ。爽やかで、好感度は高い。リゴレットとは大違いである。
「ああ、貴方がか。カティアが世話になりました」
「リゴレットから色々とお噂を聞いていましてね。なるほど確かに、お綺麗だ。こいつが惚れるのもわかります」
「は?」
どうやら、リゴレット・リエンツィはオフェリア・フォーレが好きらしい。だから、同じ顔のルキア・バルカに恋してしまったらしいのだ。
「まぁ……私も気持ちはわからんでもない」
「イザークならいつでも歓迎だ。こいつはだめー」
「トリスタァン!お、オレの居場所を返してー返してー!このバカ野郎、もうコイツの前に出れねぇ!」
「……お兄ちゃん、フケツね」
「トリスタァン!お、オレの居場所がどんどん無くなるぜ!そしてイレーネ、オレはホモじゃあないぜ!」
どうやら、トリスタンと同棲しているというリゴレットの妹のようだ。イレーネ・リエンツィはぺこりとお辞儀をし、お祝いを述べてリゴレットを踏んづけて、トリスタンと二人で笑いながら去っていった。
明るく騒ぐ結婚式場。リゴレットはキレながら、イザークはグチりながら、ティアは暴言を連発し、アリアは笑いながら。酒が回った宴席を盛り上げる。オフェリアはその輪から、こっそりと抜けてみた。
カティアがいないのが、気になる。もう長いこといないのだ。下で盛り上がっている人間に訊ねながら、ようやく、公園の端で新妻の姿を見つけた。
少しだけ、酔いが醒める。ベンチ。カティアの隣に、誰かが座っていた。静かに穏やかに続けられる会話。その輪に加わろうと思ったわけではない。ただ、カティアを迎えに、足音を消しもせずオフェリアはベンチに近付いた。
とりあえず俯いたカティアの頭を撫でながら、隣にいるフェリーチェ・パヴァロッティを見下ろした。どんな内容の話だったのか、おおよその見当はついていたが、追求する気は起きなかった。
「カティア――――終わったなら、行こう」
手袋をはめた手で撫で続ける。カティアの手が、そっと手に添えられてきた。
「俺、お前、嫌い」
「そっか。ま、私もお前は嫌いだけど。もう、いいか?」
立ち上がったカティアを迎えて、手を繋ぐ。フェリーチェの視線が、こちらに向いた。片言の言葉が、感情の表現を消していた。
嫌いなら、祝う気がないなら結婚式に出席する必要はない。辛くなるだけだろうに。それでも、彼は来たのだ。幼馴染を祝うために、だ。その気持ちに、素直に感謝した。
「これからは、お前がカミーユを引っ張らなければならない。実力をつけろ。カティアに負けないほど、実力をつけろ。お前は、必要な男だろうから」
それだけを言って、背を向けた。夜道をカティアと二人で引き返す。公園は、不思議な熱気に包まれていた。参列者、集まった人たち。式典も建国祭も、まだ終わらない。
「オーちゃん、優しい」
「どうだろうね」
「うん、優しいよ」
少しだけ、手に加わる力が強くなった。握り返して、思いに応える。
式場となっていた場所の前に、また人がいた。今度は、見覚えがなかった。しかしカティアが握る想いの強さは、今までになく、強く。
そしてオフェリアは、気付いた。この目の前にいる女性には、話さなくてはならないと。
「初めまして、皇帝陛下。カミーユ難民委員会代表、カミラ・フレーニです」
強く。握られる。離さないで、と訴える強さ。
カミラとカティア。この姉妹の確執を、オフェリアは表面上しか知らなかった。リューヴにいて祖母の死を看取り、族長を継いでリューヴ自治区を統治する姉と。移民団を率いてカメリアに渡り、破壊されて難民となり、ユーロパで堪えシリウスで攻防を繰り広げた妹。
「一言、お祝いを。ご成婚、おめでとうございます」
「ありがとうございます」
カティアだけが、何も言わない。カミラの言葉も、どこか淡白に思えた。
「……私は、」
無言で去ろうとするカミラに、声をかけた。まだ、何と言っていいのか、まとまらない。
「私は、この子と生きていきます。どのような道を歩もうと、決してこの手を離すことはしない」
「そうですか」
「必ず、救ってみせる。フルジアもカミーユも、総てだ」
宣言のようなものだ。カミラは止めた足を再び、動かして。去っていった。
「妹を、幸せにしてやってください」
と、だけ。残して。
救いは、まだ遠い。
「そんで、カティア。オーちゃんはこう言ったの。『……母さまがいなくて寂しいよぅ』って、あははっ」
「ホント?それ、凄い面白い。ねぇアリアもっと、もっとないの?」
歌手とモデルは、人をダシにして盛り上がっている。放っておくとキリが無いのだが、下手に加わると火傷をしそうなので、あえて放っておいてみる。
祭りも、そろそろ終わり。観客は引き揚げ始め、ぞろぞろと参列者が式場に戻ってくる。下にあった料理や酒も、あらかた無くなったようだ。エーファが一人で準備も片付けもやっていて、ようやく上にあがってきた。
「ねぇ、オーちゃん。ほら甘えてごらん?」
「……あー……うん」
もう、誰も彼もが壊れる夜。底抜けに明るい夜に。ごろんとカティアの太腿に転がってみる。
「ごろごろー」
「あ、可愛い」
見上げた夜空に、愛する人の笑顔。唇を合わせて――――夜に華が咲いた。一瞬。ほんの数秒だけ彼女の唇を味わって、顔を離し、ほらと空を指差す。
夜空に打ち上がる、建国記念の花火。歓声は、近くからも、遠くからも。見上げたカティアからもだ。
「オフェリア」
どこからか、名前を呼ばれた。今日は呼ばれっぱなしだ。カティアが声の方向を見て、オフェリアはそんな彼女の顎を顔から見上げていた。
「おめでとう。どうぞ末永く、お幸せに――――」
6
後日談。アルゴナウティカは停泊してカミーユ・キャンプにも活用されている。リゴレットやイザークは残ったが、他の各国首脳やベルベデーレの人間、ルキアやアリアたちは帰っていった。
そして、ソニアから写真が届いた。映像も残っていたが、画像で見るのも新鮮だろうと。ソニアの好意を開いて見る。
「あれぇ。こんなの、撮ったっけ?」
「うん、撮ったよ。ほら、オーちゃん真ん中だ」
宮殿で、参列者を呼んでみる。カティアから体を離し、皆でそれを見た。誰もが、あの時の笑顔を思い出して笑って。エーファが準備の大変さを語り始めて辟易するのだ。
「ちょ、陛下なんでですかコレ――――」
レオンハルト・ガヴォットが奇声をあげる。花火を打ち上げていた彼は、どうしてか写真に写っていなかった。後で名簿でも見たのか、ソニアはきちんと配慮をしてくれた。集合写真の右上に、IDの写真が小さく貼られている。
それで、また皆が笑った。確かに、こりゃひどいと。レオンハルト以外が、笑顔に包まれる。
「また、こうやって集まれるといいよね」
誰かが、そう呟いた。楽しかった。笑いがあった。そして、幸せだった。
人はどうして戦うのかと問うが。ならば、こちらも問い返そう。どうして、我らはこのように笑い合えるのに、そうしない。
戦いの理由を求めるなら、この写真で充分だ。誰もが集まり、騒いで笑える世界を作れたら。それは、きっと。素晴らしいことに違いない。
国家の枠を、宇宙の境界を越えて。人はきっと、繋がれる。
「今度は、どんな祭りにしようか――――?」
「まず、新婚旅行などどうですかね陛下。実はここに」
チケットを二枚、取り出すディリ。デケネイアのリゾート行きのチケットだ。カティアの表情が喜色に変わる。
まぁ、こういう。二人きりのお祭りも、悪くないだろう。

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