もし――――絶望の中に希望があるのなら。 いつまででも、前を向いて明日に行けるだろう。 君と、共に。
――――N.G.0322 Ophelia Ludwig Faure, Katia Verlaine Freni
1 星都制圧から、ほぼ一年が経つ。カメリアは暫定ではなく、土地を得て、本物の王国になった。 先年の戦争の傷痕は未だ癒えてはいない。瓦礫の残るユドン市を眺めながら、元首カティア・フレーニ 苦肉の策といっていい。銀河系を統率する太陽系同盟、地球の干渉が大きかった。侵略によって築かれた国家、という見方をされている。対策として、原住民族であるシリウス人の手に国家を委ねることを発表した。カティアの従者だったギルデンスターンにも出馬させた。 国会が完成したとは言え、行政権はまだカティアが握っていた。国会の解散も、条約の締結も、カティアだけではないが権限はあった。 妙だ、と彼女が感じ始めたのは。年の瀬に締結された第二次ユドン条約からだった。 太陽系同盟のライル理事の圧力に屈して結んだものだが、国会の召集や民主主義的国家の建設を求められている。代わりに、有事の際はSSU軍が友軍となり、防衛に協力するというものだ。その有事というのは、フルジア軍の侵略に他ならない。 これでいいのだという思いはある。いずれ、国は人に返すものだ。内閣も、元首さえも。その時、自分は一人の人間として国政に加わるよう、選ばれる人間になればいい。幸いにも、カミーユ人はシリウス人に嫌われてはいない。統治も、善政だった。 今は。守らなければならない。いずれ、この星がよりよき世界になるために、だ。 「カティアさん、フルジア軍より通信が入ってるよ。シークレットで」 軍司令部に行くと、従弟のティアがディスプレイを指差して言った。髭を生やした壮年の男性。ティンクベルンと名乗った。政治家などではない。フルジア軍の一翼を担う司令官だった。発信はレグルス星かららしく、ここから最も近いフルジア領だ。 「あと三日です。三日で、我が軍はシリウス星へ到着します、姫」 「何を言うのだ、将軍。フルジア軍が、来る?」 「はい。マンティネイアのSSU軍に全く動きは見られませんが、相当数がシリウスに潜伏している模様です。それを、叩きます。さらに正体不明の船が明日、そちらに到着するでしょう。我々でも掴みかねている高速の大型艦です」 あちらの言葉には、様々な意味がある。シリウスにいるSSU軍を叩き潰す。その時、カメリア軍はどう動くのか。どちらが侵略をしているのか、と訊ねるようでもあった。 もう戦は始まっている。否が応でも巻き込まれる。戦場は、ここなのだ。勝てる方につこう、と即断した。 「フルジア軍の規模は?」 「およそ、二万」 一瞬、カティアは唖然とした。勝負にさえならないだろう。SSU軍は五万を公然とシリウスに入れており、かつ後方に四十万の兵士を備えさせて圧力をかけている。さらに増援として大型艦が明日入るというのだ。 「近衛第一師団が全軍で。指揮はオフェリア・ネブカドネツァル総帥閣下。副官にフィラーナ・ノルマ。新型指揮専用艦ゲルトラウデ・ネブカドネツァルに乗船し、全速で急ぎに急いでおります。七日間の行程を、五日に縮めるでしょう」 オフェリアが急いでいる。とすると、やはり理由があるはずだ。 急襲し、シリウスにいるSSU軍を排除したいのか。何かが違うような気がした。二万なのだ。必要最低限の兵数で、救援に向かっている。五日でなければ間に合わない。何が起きるのか。オフェリアは何を見ているのか。 「――――あの子は、変わりました。ただ素直なだけでしょう。他意はありませんよ、姫」 考えを見透かすように、画面の向こうで笑顔が咲く。
蒼い剣に、目が映る。細長い意思。淡く青く色づいた刀身をなぞる。剣の手入れを、他人に任すことはなかった。私室にて独り。愛剣に自らを映す。刀幅の少ない、細身のものだ。十五歳の時に、祖母から拝領した。以後、十年。この腰にあっては身を守り、意思を貫く味方であり続けた。 この一年は、剣を持たない戦争だった。心を砕いて、作り上げた国。それがようやく、完成するといった場面で、壊される。守りきれる自信などない。両軍に挟まれて崩壊するのが関の山だ。 生き延びる道ばかり、考える。せめて仲間だけは、この身に付き添ってきた人々は逃したい。姉のいるリューヴでもいい。ただここからでは、遠すぎる。 「……ティア」 部屋の外にいる青年を呼んだ。音を立てず、気配だけが室内に入ってきた。深夜。あまり他者には見られたくない光景だな、と場違いに思った。 「ユドン、オリオルに駐屯するカメリア軍の厳戒態勢を。憲兵は市街の警邏を開始。アンドロメダの情報局員が多数、潜入しているものと考えられる」 「 背後で何かが動いている。AILAはその一部に過ぎない。立役者はライルやAILAを利用し、巧妙に姿を隠している。 おそらく、ツヴァイ。諜報員や工作員が多数、ここに潜伏している。今、最も厄介なのが、オリオルでの撹乱だ。SSU軍兵士とカメリア軍兵士が衝突すれば、マンティネイアに滞留している四十万が動く。だがどうする。フルジア軍がシリウスに来れば、遠からず四十万は動くのだ。 この星が欲しくてたまらない人物は、何を狙っているのか。よく、考えてみた。 位置的に、アンドロメダがフルジアに攻め込むには補給拠点としてシリウスほど適した地はない。そう考えると、アンドロメダの上層部が考えそうなことだった。逆にフルジアとしては、絶対に防衛しなければならない拠点である。カメリア軍はその双方の思惑の中を上手く衝いたという形にある。 それだけなら、内政干渉ともとれる第二次ユドン条約の時点で目的は達成される。シリウスを影響下に置くだけで充分なはずだ。占領してしまいたい、となると話は別だった。 野心としか思えない。この世全てを、欲する。壮大な覇者への意思。カルディア・ベルテシャツァルなどではない。アマデウス・ツェルニーとも思えない。新たに、この世に覇を唱える者がいるということだ。マクベス・ライルは現状の権力に満足している。少し、違う気がした。 唯一、思いつくのはゲルトラウデ・ネブカドネツァルだけだ。だがもう亡くなっている。ならば、その子息である、オフェリアはどうなのか。 思い、すぐに否定した。信じているのだ。絶対に。オフェリア・ルートヴィヒがこの身を滅ぼすことなどするはずがない。
夜が明けるにはまだ早い頃、ティアから連絡が入った。 オリオル市にて兵士の姿をした三名を逮捕。まだ潜伏している気配だが、フェリーチェの妨害により捜査が中断された。緊迫したオリオル市内で軍を動かすとは、と警告を受けたらしい。相変わらず、表面の物事しか見えていないようだ。 次に入った報告で、カティアは血相を変えた。オリオル市内で同時多発的に放火事件。厳戒体制のカメリア軍と、急行したSSU軍がもめている。フルジア軍だと言い募るSSU軍と治安維持に努めるカメリア軍は一触即発の状態に陥った。 すぐに、ユドン市のSSU軍も動き出した。それを見てカティアは私室を飛び出した。国務院に飛び込み、滞在していたライルを叩き起こす。 貴賓室で待つ間も、もどかしかった。なかなかライルは出てこない。軍営から報告が入る。強硬な態度でSSU軍がカメリア軍と衝突。負傷者が出たようだ。同時に入港を求める大型艦がドックに現れている。タイミングがいい。船籍不明というが、アンドロメダの船に違いない。 「リューヴからフルジアへ派遣された外交の船と名乗っています。レグルス星へ向かうため、補給を求めると」 「一切、上陸を認めるな。船渠に入ることは許可してもよいが、上陸は厳禁だ。一個小隊で監視」 無用な諍いは防ぐ。補給だけなら、認める。補給さえ拒否すれば、何かの理由になる可能性がある。補給をしたいという名目なら、それだけを認可した。それで口実を作ることを防げるはずだった。 マンティネイアの軍は動いていない。シリウスに上陸するには、数時間だ。常に注意を払っていなければならなかった。 ようやく、ライルが起きてやって来た。着座するのを待つこともなく、大声で彼を非難した。六十になろうかとする老齢の顔は、動かない。 「フルジア軍が潜伏している可能性があるのですよ、王女。カメリア軍の立場はわかりませんが、それを気遣って、我らがシリウスを守ろうと言うのです。その邪魔はしないでいただきたい」 「何を言っているのだ、理事。オリオル市内で放火事件があったのだぞ。たとえSSU軍兵士が犯人だろうと、逮捕して処罰するのはカメリア軍が行うのが筋ではないか。これは軍事行動と決まったわけではない。単なる犯罪であるぞ」 小さく、ライルが舌打ちするのが聞こえた。正義はこちらにある。まだ何も間違えてはいなかった。この男には、いかなる口実も与えたくはない。慎重に、言葉も行動も選ぶべきだった。 「SSU軍を退かせ。もし犯人がフルジア軍なら、引渡しもしよう。援軍をも頼もう」 「何を悠長な。敵はもうすぐそこまで迫っているのかもしれないのです」 「確証がない。とにかく、これは有事ではない。犯罪には法律で対応する。軍は関係ない」 その場で、SSU軍の介入を防いだ。ライルに連絡をとらせ、部隊を退かせる。確認をする。幸い、放火はさほどの規模ではなく、もう鎮火されつつある。犯人の捜査も、市街の治安維持も、SSU軍の仕事ではない。そう定義づけて、追い出す。 とにかく、第一の危機は去った。まだ眠ることは出来なさそうだった。
2 カティアは昼に眠り、夕刻に目が覚めた。わずかな睡眠。テレビのニュースからは、しきりにフルジア軍侵攻かと懸念する声が聞こえてきた。逮捕されたのはAILAの工作員だろうが、自白には持ち込めていなかった。確証が無い限り、発表は出来ない。 もう一つの懸案事項が、ドックに入った大型艦だ。補給は済んでいるだろうが、動かない。内部の情報も入ってこない。船内修理という名目だが、いまいち、信用は出来なかった。オリオルでの警備体制もまだ続いている。一個小隊で見張らせるしかなかった。 フルジア軍の到着まで、あと二日。現状でフルジア軍が来れば、戦闘になる。それを防ぐ方法も、きっとある。SSU軍をしっかりと押さえつけ、動かさない。ライルに名目を与えない。オフェリアの考えを読む。全てがうまくいけば、シリウスでの戦闘を回避できるだろう。 シリウスは、中立なのだ。戦闘こそ違法である。 「姫様、市内のSSU軍が動きました。住宅地へ向かっています」 「よし、追うぞ。二個小隊が先行、後は余が引き連れる。進行を防ぐことはしなくてよい。商店以外の民間人の屋内へ入ろうとした場合は止めろ」 軍営にいたカティアに報告が入り、即座に軍を動かした。買い物くらいはSSU軍でもする。それ以上の干渉ならば、防ぐだけだ。先行部隊が出発したのを見届けて、ゆっくりと歩き出す。それほど遠くはない。目立たないよう、徒歩で移動した。 ユドン市西側に住宅地は密集している。率いているのは三個小隊、二十一名。 かなり激しい戦闘になった、と報告が入った。SSU軍はタイタン人の部隊を動かしたらしく、先行部隊と衝突した。マンションへ踏み込もうとした部隊を入り口で止め、銃撃戦が起こったらしい。視界が悪く、フルジア軍と間違えたという口実くらいはありそうだった。 マンションに近付く。銃撃戦はまだ終わっていない。タイタン軍の背後に回る。数は少ない。七名ほどだ。左右の両翼に一個小隊ずつ回し、包囲した。 「――――止めろ、馬鹿ども。カメリア軍に銃を向けるとは正気か」 大声を張り上げる。指揮官らしい人物が、手をあげた。それで攻勢は止まる。七名は小さく固まり、まだ四方に銃を向けたままだ。中央にいる人物を守る陣形。 「タイタン軍指揮官、シュトラスブルクだ。そちらがカメリア軍なら、交戦の意思はない。指揮官と話したい」 「余だ。カメリア王国王女、カティア・フレーニ。銃口を下げ、こちらへ向かって歩いて来い」 中央にいた指揮官が、先頭に立った。七人とも、表情は驚いたものだった。本当に見間違えたのかもしれない、と。心のどこかで思ってしまった。 「トリスタン・シュトラスブルクか。賢明な代表首長と聞く」 「お褒めに預かり、光栄です、王女」 兵士たちを集めた。さすがに七人の武器を預かることまではしなかったが、トリスタンはどうしていいかわからない様子だった。気遣いは結構、と断ってから、状況の説明を求める。下手に動かない方がいいが、このまま立ち話も微妙な選択だ。移動しながら、話をすることにした。 「軍営から放火事件の犯人がこのマンションにいる、と報告を受けました。フルジア軍の手の者で、護衛部隊が潜伏しているかもしれないとも。抵抗する部隊には発砲も辞さず、と命令が下りました」 「誤報だな。今、マンション内を調べさせているが、犯人は見つかっていない。そもそも、トリスタン。君の行為は我が国の司法権を侵害している」 「いえ、王女様。今朝、ライル理事から昨夜の一件はテロ行為と認定されたと通達がありました。第二次ユドン条約の有事におけるSSU軍の行動について書かれた規則には、司法警察活動も含まれています」 「確かにそうだ。しかしテロだと?余はそのような通達は出していない。そもそもテロ行為は有事に含まれない」 「以前までは、です。先ほど、緊急で条約の一部改正が行われていたようです。そこにはテロ行為も有事に含む、と」 覚えがない。トリスタンは端末を胸から取り出し、画面に第二次条約を出し、有事についての項の細則を映した。覗き込むと、確かに改正されていた。だが改正した覚えはない。 国会の仕業だった。条約の締結はカティアの認可が必要だが、改正に関しては明記しなかった。手落ちである。そして犯人はうまくこちらの隙をついている。内通者、とは考えたくなかった。疑えば誰でも疑えるのだ。そして疑った時から、疑心暗鬼が始まる。 「そのようだ。すまなかった、トリスタン首長」 「お気になさらず。今はカメリア王国を守ることに専念することに致しましょう」 気持ちのいい青年であった。シリウスが、とは言わない。言動の端々に、信頼の二文字が浮かんだ。
軍営に戻る。夜を迎え、暗闇の室内に訪ねる声。シリウスにしては寒い夜。ドレス姿に一枚、上着を重ねてドアを開けた。ティアとライルという異例の組み合わせだった。 内密な話ということなのだろう。ティアを護衛としてなら、話を通せるかもしれない。そこまでして通したい話なのだろうか。ソファに座り、向かい合った。気色ばんだ目を好きになれず、視線はティアを見たままにして。 「軍を、呼ぼうかと思います」 頷かざるを得ないところまで、事態は進んでいる。拒絶の言葉は浮かんだが、口にすることは出来なかった。 「間違いなく、ここで何かが起きようとしている。それは、姫もご存知のはずです」 「急に姫などと呼ぶな、気持ち悪い」 ライルが抱いている予感は、真っ当なものだ。何が起きる。その予想も、おそらく正しい。交戦である。戦闘行為が勃発する。だから軍を呼ぶ。勝つために。防衛などではない。守ることもしない。戦い、勝つために。ライルの思惑は言葉とは裏腹に、ストレートで分かりやすかった。 「どれほどだ?」 「十万ずつ、三回に分けて。ユドン東部に広大な草原があります。そちらに駐屯しようかと」 「総勢で三十五万。まるで先年の攻囲戦を繰り返すようだな」 数だけで、勝負はつかない。無傷だったリューヴ軍が泥沼にはまったのを、ライルも知っているだろう。だが数以外に、頼るものもない。 故に、マンティネイアの全軍がシリウスに入るはずだ。だが計算では十万が残留している。残っているのではなく、いないと考えるのが妥当だろう。すでに五万ほどはAILAと共に潜伏していると考えた方がよさそうだった。ヴェルブングは相当数、と言ったのだ。 「ご安心めされよ。王女様には指一本触れさせませんよ」 「……騎士にでもなったつもりか、ライル。口説くにはお門違いだろう」 「気に障られたのならご容赦を。なに、これほど美しい方は世界を見渡してもアデレード様くらいでしょうからな。年甲斐もなくはしゃいでしまった」 本気か、戯言か。しばし、考えた。何か裏があるのか。アデレードの名前を出したのには理由があるのか。 「深い意味も他の意味もありませんよ、本心です」 なら、腹立たしいだけだ。
3 ドックに入っていた艦。見張りの歩哨を排除し、ライルは彼の者を迎える。タラップを降りる姿。妙な威圧感がある。 「準備が整いました、 スコアはライルに向かって頷くだけで、言葉さえ発しなかった。アハトは首尾よく書類を調えたようで、これからユドン市の撹乱に入るだろう。合流するのは、その後だった。 「フリュー。やれ」 一言で合図を出し、続く兵士たちを散らせる。オリオルに入るのは、五百といったところだ。ゾンマーはユドンに潜伏し、ヘルプストは潜ませていたSSU軍を率いてユドン市を遮断する。ヴィンターが残りのオーダー・ユニットを使って南部に網を張る。それでカティア・フレーニを捕まえられるはずだった。 副官にフリューリングをつけて、スコアはオリオルに向かった。東方から迂回しつつ、一時間でつく。ライルに用事など無かったし、アハトもフュンフも上手く立ち回るだろう。 「お待ちを、閣下。カメリア軍をどうなさるおつもりですか?」 しかし、ライルが止めた。 「潰す。貴様もさっさと逃げろ。死ぬぞ」 「予想以上に、手ごわい存在でございました。特に、カティアが」 「だから欲しがったのだろう、貴様は。まぁいい。それが条件だったからな。首尾よくやるさ」 カティア・フレーニの手腕は相当なものだった。軍隊と民間人を連れてシリウスに入るという密約だったが、最終的には支援を求めると思ったのだ。そこに付け入る隙があるはずだった。だが国家としての体裁を整え、独力でカメリア軍を維持した。スコアにとっては、強硬策をとる意外に道はなくなったのだ。 太陽系同盟の力を強くするために、ライルはカティアの身柄を欲しがっていた。その手腕を買ったのだろう。なおかつ、強力なカメリア軍も手に入る。リューヴ軍に比べて、どこか劣る太陽系同盟がさらに太るには、カティアのような有能な政治家であり軍人でもある才能は活きる。 それだけではない、とスコアは見ていた。女性としてのカティアも欲しているのだろう。浅はかな男だと、心中で笑う。心を屈するような人物ではない。飼い慣らすことなど不可能だ。いつか太陽系同盟はライルからフレーニにとって食われるかもしれない。 「ええ、お忘れかと」 「――――ふん。ゾンマー、行くぞ」 目だけで笑うライルから目を逸らし、背を向けた。好きになれないのだ。
事は早く終わらせなければならない。占領に時がかかると、フルジア軍が到着する。ゲルトラウデ・ネブカドネツァルが発進したのは三日前。この速度だと、五日目には到着しそうだった。恐るべきスピードで、オフェリアはやって来る。読みも正しい。敵にすると、厄介だ。 間に合うことはない。カティアを捕まえ、占領したシリウスで向かい合う。それが、新たな反攻作戦、インペラトル・シャッタード作戦の第一段階だ。この作戦で、オフェリアを砕く。その時初めて、勝利が見える。 先行していたフュンフと連絡をとった。三日前に入り、オリオルの扇動を任務としていたが、手下が何人かカティアに逮捕されていた。 「カメリア軍は、精強です。ですが旧式武器で、白兵戦闘に特化しています。オリオルは、すぐにでも落とせます」 オリオルは先の戦争でも、無傷だった。フェリーチェ・パヴァロッティというカティアの腹心が都市を管理していたが、統治能力はさほどでもない。オリオルとユドンを押さえればシリウス全体の政治を止められる。 意外だったのは、ユドン南部にある小さな農村に政治機構を一点、作り上げていたことだ。もしもの時のシェルターがある。カティアはここに逃げ込むだろう。逃げなければ捕まえられる。逃げても押さえられる。隠れ家を二点にしなかったのは、きっと彼女の性格だろう。 「よし、見えてきた。ゾンマー、一気に落とすぞ」 兵力はどう計算しても、足りない。スコア自身も銃を握り締めた。現段階では、光学兵器が有効である。長大なマスケット銃は背中に差し、小型の光線銃を手には持つ。背後に続く五百のイコライズ・オフィーリアも同様だ。 街の東部より侵入する。検問。予想より早い段階で、敵を見つける。撃った。後ろからも光。速射されるイスラフィルと光線。一瞬。踏破して、蒸発した死体を乗り越える。 「全滅の必要はない、フェリーチェ・パヴァロッティを南へ逃せ」 「閣下、パヴァロッティは市役所です。部隊は東西南北の四方、特に南側の通りに厳戒な検問を設置、交代で市街西部の軍基地に戻っていきます。軍基地には、三千。東西に二百、北側に三百、南に五百の計四千。後は、掴めません」 フュンフの情報が入る。散っている兵が一千はあるだろう。それを蹴散らすのは、必ずしも必要なことではなかった。 即座に市役所に入った。フロアごとに敵を排除していく。民間人も容赦はしなかった。人の気配がなくなる頃、上階へ向かう。 会議室。ドアを開ける。お、と思った。後ろへ下がり、降ってきた刃を回避する。 青い髪。良い体格が視界を遮る。息つく暇もなく、刺突。真っ直ぐ繰り出される刀剣を、銃を横にして受け止めた。かなりの、腕力である。やや、押された。敵は引かずに、銃ごと突き刺そうとしているらしい。 「パヴァロッティか?ゾンマー、助けて、敵だよん」 生憎と、一人だ。銃を横にし、刃を流す。押し合いでは、不利。敵が体勢を崩した瞬間、銃を投げ捨て剣を抜いた。 「待て、その剣、知っている――――」 蒼い刀身。細身ではなく、一般の刀剣より幅は広い。十字の鍔。刺突にも向く先端。突く、斬る、殴ると特化した無骨な刃。 それを、思い切り横に振った。力任せに、驚いたパヴァロッティの顔。肩口に、ぶつける。骨の砕ける音。刀の腹でぶん殴る。剣が、落ちた。倒れる青い髪の男を見下ろし、人を呼んだ。 これで、まず一つクリアだ。重い長剣を鞘に戻し、待てと言われて待つものか、と言葉にしてみた。
SSU軍到着まで三時間、時刻は夜の十一時を回ったところで、オリオルを出た。火を放ち、逃げ惑う人々がユドンに向かっている。火の勢いは強く、乾燥したシリウスでは何もかもを燃えつくすかもしれない。 アハトに連絡をとった。今頃、彼はユドン市内でフルジア軍来襲と噂を作っているだろう。街を混乱に落とす。そこからは、成り行きだった。カティアが踏みとどまって交戦を望むのか、あるいは逃げ出してユドンをゆっくりと占領するか。 カティア・フレーニが街の南部へ向けて逃げ出した、とアハトが言ってくるまで、そう時間はかからなかった。ある程度、予想は出来ていた。有能なカティアのことだ。踏みとどまれば、何かがあるのかもしれないと勘繰ることをスコアはしただろう。 懸念が一つ、減った。逃げるしか道が無くなった時、彼女は逃げる。 「ヘルプスト?」 「現在、残兵狩りを行っています。ユドン市に入る敵兵は、およそ三割。かなり手強く、こちらの損傷も出ています」 「よし、包囲を解け。ヴィンターと二手で南部の捜索に当たれ。ヴィンター?」 「手兵をまとめてます。いつでもイケますよ」 「なら、追え。村に入る前に拿捕しろ」 ヴィンターだけでは、不安もあった。まだ若い。十六歳だが、経験や記憶はオペラ・レーヴェのものだ。大きな失敗はしない。万一に備えて、ヘルプストもつけた。それでも、嫌な予感は拭えなかった。二人とも、オフェリアだ。だがカティアはその上を行くのではないか。あるいは。何かがあるのかもしれない。 「ゾンマー」 「退屈そうだな。少しは骨のあるヤツがいりゃいいんですがね」 愚痴のように、呟いてからゾンマーが数名の部下を率いて離脱した。追捕部隊の指揮は三名。主力の大半を当てることになる。スコアは進路を変え、ユドン東部に向かった。マンティネイア軍の受け入れ態勢を整えている最中の、広大な草原である。 テントが張られ、粗末ではあるが司令部が作られている。全ての情報を集約する場所だ。幕を開き、ライルの姿を見つける。その隣に立ち、全部隊の位置とカティアの行方を探ってみる。 南側。破壊された要塞を越えると林が広がっている。密林というほどではない。ただ、南へ進むに連れて木々は深まっていく。早期に発見できなければ、探し出すのは難しくなる。 しかし、カティアの目的地がわかっている以上、捕まえるのはそれほど難しくはない。村落に一隊を置き、後はユドン側から目的地の村落に向かって扇状に広がった包囲を縮めつつ、前進する。ただ、時間を与えたくない。早めに押さえるための包囲網だ。 「レジア・アナ、ユドンを獲らないのですか?」 おおよその情報を把握し、椅子に座ると、ライルが地図上のユドンを指差した。 「最後でいい。今は追捕に終始したい。余計な行動はリスクでもある」 全力で、カティアだけを狙っている。その答えにライルは満足したようだった。
4 真っ直ぐ南進というわけにはいかなかった。要塞跡地の先には、先年のリューヴ軍駐屯地が残っており、兵士がいるわけではないが、迂回して進むにこしたことはない。 泥に塗れている。雨が降っているわけではない。土と泥。汚れることを厭う余裕など、今はなかった。 「少し休みましょう、カティアさん」 「いや、いい。追捕部隊が迫っているだろう」 「ですけど、フェリーチェが限界です。無理をすると、まったく進めなくなる」 ティアは強引に、休みをとらせた。フェリーチェの顔色は、良くない。しかしまだ歩けないということはないだろう。熱した頭を冷やそうと気を回したのかもしれなかった。小休止は確かに欲しかったのだ。 五人ほどで、南に向かって逃走している。何が起きたのか、まったくわからなかった。気がつけば窮地に立っていたのだ。運命の転換期というのは、いつどこにあるのか、予想さえ、不可能だ。 木にもたれて座ると、少しずつ考えてみる気にカティアはなっていた。ドックに入港した大型艦に兵が潜んでいた、と考えるのが妥当だ。その部隊がオリオルを奇襲し、フェリーチェを追い出して占領。そしてユドンへ向かってきた。 市内は混乱の極みだった。フルジア軍が再び攻めて来た、という恐慌状態に陥っていた。暴動に近い。SSU軍もカメリア軍も無かった。ただ成す術もなく、逃げる決断をしたのだ。どっぷりと、罠にはまっている。そう感じた。オリオル陥落、とフェリーチェが右肩を腫れ上がらせて逃げ込んだ時に、そう思った。 問題は、その罠がいつから始まったものなのか、ということだ。オフェリアが超速で駆け出した理由は、そこにあるはずだった。つまり、カティア自身の見通しが甘かったのだ。ライルがどうの、と言う時点で罠に陥っていた。 それを直感した時、足は自然と南に向かっていた。今は罠から逃れることが、全てだった。 あと二日、いや、日付はすでに変わっている。明日にはフルジア軍が来る。それまで逃げ続ければ、何らかのチャンスはあるはずだ。そんな希望もあったが、どうしようもない倦怠感があるのも事実だった。 「トリスタンと、連絡を取ってみようと思います。彼とは以前、ここで共闘をしたことがあるので」 「やめておけ、ティア。あの男を巻き込んではならん」 通信機を取り出すティアを止めた。トリスタンだけは、清廉だった。軍人として、何の打算も感じられなかった。そんな人物だ、引き込むことも出来るだろう。だがそれを、潔しと思わなかった。 敵なのだ。そういう生き方を、ずっとしてきた。節度、分別、なんと言ってもいい。 「おそらく、誰も殺されまい。アンドロメダの手駒として充分に働いたのだからな。まだ利用価値はあるさ」 自棄になったように、そう言葉を吐いた。 逃げようという気力が、萎えていた。逃走は再起のためだ。だがフルジア軍が来たところで、何が変わるものか。再び泥沼のような戦いが展開されるだけではないのか。一兵卒として役立つくらいしか、自分に価値はない。 ならばいっそ、捕まるか。 「……行きます。明日に向かって、逃げましょう」 ティアはフェリーチェの肩に手を回し、立ち上がった。それを眺めながら、すぐには立てずにいた。
気配が近くなった。何となく、そんなことがわかった。 背後から迫る気配。左右からも圧力を感じる。南にしか逃げ場はない。追い込まれているともいえた。このまま進んでも逃れられない。この先に、必ず何かあるはずだった。 カティアは、立ち止まった。近すぎる。顔を歪めるフェリーチェをティアは大樹の陰に隠し、背負っていた巨大な剣を両手に持った。認識は一致しているようだ。戦闘は避けられない。このまま逃げ続け、集団となった敵に追いつかれる前に、迎撃すべきだ。足止めであるが、止めている時間は短い方がいい。 ティアの剣は、不思議なものだった。とにかく、大きかった。刃こぼれも酷い。石のような剣。おそらく切断するというより、腕力と速度で叩き割るものなのだろう。重さがある分、スイングスピードは速い。 背中を合わせるようにして、立った。ついてきた二人の兵士も同様に、周辺に意識を張り巡らせている。察知されている。いち早く、こちらも敵を見つけることだった。 不意に、右手の木陰の闇から、二名が飛び出してきた。素早くティアが対応し、横殴りに大剣を振るう。何かが潰れる音が響いた。断ち割るように、二名の敵兵が腸を撒き散らせながら大地に斃れた。左から、音。振り返る。剣は抜いてある。一人をカティアは突き刺し、引き抜く間に剣閃が走った。仲間が一人、落ちる。その背中から飛び出し、敵の脳天を撃った。 二人ずつ組んで、敵は襲ってきている。気配はとりあえず、なくなっていた。ティアが屈んでフェリーチェを抱き、引きずるように南下した。その背を追いかける。部下が一人だけ、ついてきた。 突如として。カティアは自分が空を飛んでいることに気がついた。地面が、遠い。眼下に見える地面が、青白く燃えていた。 叩きつけられる。痛み。気にせず、転がって体勢を立て直した。ティア。いた。フェリーチェを放り出すような形で、膝をついていた。 「……砲撃。コイツは、前に食らった――――」 目は北を向いている。視界に、光る魂。真っ直ぐに飛来する極光の蒼。美しい、と一瞬だけ見惚れた。それは眼前に落ち、大地を削り取る。草花が舞い上がり、大量の土がカティアに降り注いだ。 連撃。それも、大量の数だ。夜空を染め上げる蒼い光。まるで星のように美しく。目の前が真白になった。 気付くと、夜空を見上げていた。本物の、夜空だ。あのどこかに、オフェリアがいて、ここに向かっている。残念ながら――――間に合わなかったのだが。 体に傷は無さそうだったが、傷しかない気もしていた。痛まない場所がない。起き上がろうと力を込めても、体中から流れる血液もろとも、力そのものが抜けている気がした。声さえ、出ない。求めの声さえ届かない。 何かが、近付く。人なのか、あるいは死というものか。
目を開けると、オフェリアがいた。髪の短いオフェリアは、まるで知り合ったばかりの頃に戻ったようだ。金髪が目に眩しい。彼は傷の治療をしながら、手にした包帯を手際よくカティアの体に巻きつけていた。なかなか、適当な感じだ。 「保護したよ、レジア・アナ。どこに連れて行けばいいんですか?」 手錠と、それに対応する首輪がつけられた。鎖は真っ直ぐ、オフェリアの手の中に伸びている。 おかしなことをする、と笑った後。不意に目の前の人物が別人に見えた。 「気がつきましたか、カティア・フレーニ。これより本部に連行します」 微笑んだ後、立ち上がった。体は痛んだが、応急処置はされたのだろう。立てないことは無かった。強引に、顎が上がった。呼吸困難になりながら、首輪を引っ張られているのだと理解した。何とか首を動かすと、ティアも同様に捕まったことがわかった。フェリーチェは、見えない。 北に向かって歩いている。捕まった。ああ、そうだ。捕まったのだろう、ライルに。倦怠感が如実に脳内を支配した。どうでもいい、と感じながらも。目の前を行く人物が誰なのか、わからない。知りたい、という欲求だけがあった。 しばらく歩くと、ようやく周囲を確認する余裕も出てきた。後方に、ティア。おそらくフェリーチェもいる。部隊の兵士は十五名ほどで、他の包囲していた部隊も続々と引き揚げているのだろう。敵はもういないのだ。 「貴様、名前は?」 前の背中に、言ってみる。足が止まった。振り返る。顔は、笑顔に近かった。 「ヴィンター。冬って意味だそうです」 「そうか」 「ボク、人と喋るのが好きなんですよ。声をかけてくれてありがとうございます」 目の前の少年が、不意にひどく純粋なものに見えた。オフェリアに似ていないこともない。顔のつくりは近い。弟、と言われれば納得する。ただオフェリアはもっと深い、全てが、深い。顔ももっと端整で、女性にしか見えない。 ヴィンターは、よく喋った。前ではなく隣を歩きながら、家族のことを楽しげに語った。そこに打算や目論見は、見られない。純粋に知って欲しい、だから喋る。言葉を紡ぐ。 「兵卒ではないのだな」 「そりゃ、そうですよ。親の七光りってヤツですか。兄たちが要職なので、ボクも自然と部隊指揮官です」 明るい性格だ。オフェリアを思い出す。二人で語らっていた思い出は、果たしていつのものだったか。昨年のことだった。だが、もう遠い昔に思える。遠い場所、遠い世界で、遠い過去に。
空は――――暁。曙光が夜を、朱に染める夜明け。
森が、燃えているようだ。空を煌々と照らす赤。いや、燃えていた。眼前、丘に広がる森が紅蓮に包まれ、煙を上げ、崩壊していく。ヴィンターの体が強張っていた。何だ、何が起きている。 焼ける世界。焦がす空。暁にはまだ早い時刻、夜明けを告げる空の色を生み出す炎。
その中央に――――神が見えた。
5 会戦は突発に。五名ほどの兵士が前に出て、両手を突き出した。蒼い光。イスラフィルがこちらに向かって放たれる。 徒手の左手を、振るった。この身を光が食い尽くす間際、その全てを払い除ける。イコライザー。均一化された、量産のオフィーリア。手ぬるい、と感じた。能力も経験もオフィーリアと同じはずだったが、何かが違う。光に乗せる想いの重さが、違うのだ。 そのまま左手を、前に出した。目を見開いたイコライザーたちに向かって、一気にイスラフィルを展開する。ごう、と。風のような音のような、無音の響き。五名を確実に消滅させてから、前に出た。 「――――デリヴァ、ランス」 「エヴォルブ。その人を放せ」 鎖を握ったエヴォルブを睨みつける。前に進む歩みは止まらず。会戦は、ここに。出会いは敵意しかない。あの男を、許容できない。認められない。だから、消すしかない。 オフィーリア・ヴィンター。四人目のエヴォルブは、鎖を手放した。最早、戦うには不要と感じたのだろう。冬の名。三人目と同様に、外の世界で育った新しいオフィーリアだ。その才能は、政治。人の下で周囲と協調し、力を合わせて一つの物事を推し進める能力に長ける。 戦闘には、あまり向かない。だと言うのに、ヴィンターは邪魔をするようだった。 イスラフィル。左手だけで、止めてみた。止まる光を、左に弾く。連射。胸に当たった。速射。さらに頭部、左足。次々と被弾する。痛みが生じる。血肉が弾ける。――――それでも、歩みは止まらない。 「デリヴァランスッ!止まれよ、この――――!」 右手で目を守った。見えずとも、敵意を感じる。ヴィンターがどこにいるか理解できる。喚くように連射されるイスラフィルをこの身に味わいながら、やはり、違うものだと感じた。痛みも血も、甘く優しい。故に歩みは、止まらない。 「テメェ、オカシイんだよっ。死ねよ、止まれよ、何で死なねェんだよアンタは!」 右手。掴んだ。ヴィンターの目ははっきりと大きく開かれ、口があらゆる暴言を連ねる。慌てる力で右手を振り解こうとするが、掴んだ手に力を入れて離さなかった。
「死ねないんだよ、お前たちと違って。代わりはいない、私は私しか、いない」
死ぬことなど、許されない。この身に刻まれた運命。果たさなければならない願い。それを遂げるまで、死ぬことは許されていない。 左手が伸びる。思い切り握った左の拳。軌道は、蒼。イスラフィルを纏う左腕が、ヴィンターの頭蓋を歪ませ、砕いた。意識が途切れる。まだヴィンターの右手は持っている。意識をなくしたエヴォルブの体が伸び、そこでようやく、手を放した。大地に、ヴィンターが横たわる。 振り向いた。カティア。死なせない、助け出す。オフェリアは笑って、再会した。
傷だらけのカティアを抱いて、森を駆け抜けた。 「オフェリア、血だよ、血ぃ出てるよ」 「知ってる。だって痛いもの」 頭部から流れる出血だけが、まだ止まらなかった。あれだけイスラフィルをまともに食らえば、普通は生きていられない。ただ何故かはわからないが、耐性のようなものがあるらしい。そもそも、自分以外にイスラフィルを放てる者などいなかったのでわからないのだが。 カティアは、変わっていなかった。それが少し、嬉しくもある。額を撫ぜながら、血を拭き取ってくれた。少し、視界がよくなる。両手がふさがっているため、拭くに拭けなかった。 「陛下、オリオル市北岸湾口に旗艦待機中です」 「遠すぎですから、フィア。とにかく、アマリアにユドンとぶつからせるよう言え。本当に攻めてしまえばやりやすい」 「了解です。ユドン北部にリントヴルムを一隊、残します」 北部を本当に攻め取ってしまうつもりらしい。北側にまで逃れられれば、リントヴルムと共に撤収できそうだった。そこまで、走ればいい。耳から聞こえるフィアの声に没頭していると、道を間違えそうになる。要塞跡地の位置を確認しつつ、南東からユドンを目指す。 胸の中で、カティアはおとなしくしていた。人を運びながら全力で走るのは、困難だった。息があがり始めている。だが立ち止まれない。SSU軍とイコライザーたちが混乱している今しか好機はない。 「……オフェリア」 「なに」 「少し胸、大きくなったんじゃないの?」 「気にしていることを言うんじゃありません」 緊急事態で、窮地だと言うのに、会話はユーロパにいた頃のそれだった。生か死かの瀬戸際で、リラックスが出来た。カティアは気を遣ってそんな話をしているのかもしれないが、それはそれでよかった。人の心の中までは、見えない。ただ、想いを同じくするだけで。 「カティアこそ、太ったんじゃないのか?」 「運動不足だったから?」 「俺に聞くんじゃありません」 少し、速度を緩めた。足も腕も、限界に近い。 「代わりましょうか?そちらの方が重傷に見える」 首を横に振った。女性に抱えられて逃走だなんて、情けなさ過ぎる。せめて最後まで、守らせてくれ。
足を、完全に止めた。カティアを降ろす。彼女は一人で立ち、じっとこちらを見つめてきていた。オフェリアに視線を返す余裕は、ない。ただやって来る、明確な敵意だけを見すえて。要塞跡地から出てくる軍服姿の男を凝視した。 オフィーリア・ゾンマー。二人目の、エヴォルブ。 「ははは、コイツは傑作だぜ。網ぃ張ってたらとんでもねぇ獲物がかかったな」 戦いたい。ゾンマーの目が、そう訴えてくる。無言で、剣を抜いた。ヴィンターとは格が違う。何せ、リゴレットを叩きのめした男だ。本気でかかって、勝てるかどうか。束の間、オフェリアは考えた。ゾンマーの目には、オフェリアしか映っていない。それが不幸中の幸いでもある。 軍事、戦闘に特化したオフィーリア。実力が如何ほどのものか、理解していた。白兵戦闘では、間違いなく、最強の一人。 ゾンマーは、ただ剣を抜いて間合いを詰めてくるだけだった。 「男らしく、剣の勝負と行こうじゃないか。あ、テメェ女だったか」 「さぁ。それはお前の認識次第でいいじゃないのかな」 剣を、合わせた。片手で前に突き出すように構えるゾンマーと。両手で柄を握り、自然に構えるオフェリア。不思議な男だと思った。本気で挑めば、ゾンマーならオフェリアに勝てるかもしれない。それでも余分なものを排除して、剣と剣で勝負を挑んできた。 オフェリアの剣は、長い。ゾンマーは幅が広い剣だった。まともに力でぶつかれば、オフェリアの剣は曲がるか折れるかだろう。森。静寂。燃え盛る背後の音だけが、あった。 声もない。目。語ったような気がした。その目が、頷いた。 気合。弾けるような勢いの気合がオフェリアに届いた。踏み込まれる。間合いを一足で詰め、オフェリアの剣を弾き、大きく振りかぶる。振り下ろされる、間際。軽く後ろに飛んで軌跡から外れた。空を切るゾンマーの剣に、合わせるように前に出た。 全てが、一瞬。回避する動きも、振り下ろす速度も。瞬きほどの時間に起きた、出来事。 剣を持つゾンマーの右肩を、オフェリアの剣が貫いた。左手。押し出す。体を開く。さらに、前へ。ゾンマーの呻く声を乗り越え、そのまま押し出した。剣が地に落ちる音。引き抜き、剣の腹でゾンマーの右頬を砕いた。 昏倒するゾンマーを、見下ろした。目だけが、生きている。燃えるような視線で、睨みつけ。信じ難いことに、ゾンマーは起き上がってきた。 「逃げるなッ、デリヴァランス。まだオレは生きているぞ――――!」 叫びが森に響く。オフェリアはもう振り返らずに、カティアを抱いて歩き始めた。 「まだテメェは勝ってなどいない。待て、止まれ、勝負の続きを」 いつまでも、叫びは森に。血の涙を流す武人が、独り。
――――――――――――――――――――― “L'Apesso” ---Philana Norma Dec. 25, Neo.Globe.0321 Sirius Hudon North Area
「迅速に民間人を受け入れろ。機甲師団と連携をとり、速やかに合流地点まで誘導、案内。導線を確保しろ、連隊が街道の警備に当たれ」 急ぎに急いだ。超速は認識を破壊し、七日間の行程を四日間に縮めた。人の、意思。まるで奇跡のようだ。 次々とフィアは指示を飛ばしていた。オフェリア不在の今、代わって指揮を執るのがフィラーナ・ノルマの役割である。 不審がる者も少なくなかった。皇帝の側近と認識されてはいるが、肩書きは何もない。貴族でも軍人でもなかった。ただ、オフェリアの部下であるというだけだ。それにアマリア・レティツィアやディリゲント・シャルンホルストが従っているから、倣っているという感じがした。 第九位のランク・ホルダーであるという理由で、フィアは強引に推し進めることにした。不平を言う者に構っている時間の余裕はないのだ。 ユドンとオリオルの中間地点である。南東にSSU軍の拠点が築かれ、今は十万の将兵が入っている。ユドン市北部は制圧し、アマリア・レティツィアが指揮を執っている。そこに逃げ込んでくる民間人を保護していた。 こうしていると、オフェリアには見えない者が見えてくる。決して全員、フルジアに生きる全ての人間がオフェリアに従っているわけではないのだ。懐疑的な視線を向けている者もいる。そういった類のことを、フィアには報告するつもりが無かった。 ただ自分が把握しているだけでいい。あのお方のお手を汚すことはない。 「これは、微妙な線です。どうも芳しくありません」 シャルンホルストが、臨時に作った司令部に入ってきて、言った。指揮はフィアだが、現場監督はディリである。アマリアが前線で民間人を保護し、後方でシャルンホルストが受け取る。それを導線に従い、西部に作った機甲師団の着陸地点と、オリオル北岸の湾口に誘導する。 少しでもシリウス人を生かせ、というのがオフェリアの指示だった。どうにも以前からシリウスにはアンドロメダの工作員が潜入しており、何らかの作戦を企画している。少しでも民間人を戦場から退避させ、我々も離脱するというのがオフェリアの策略だった。 「何がだ?」 「北部に流れてくる民間人が少ないのです。前線に向かって歩く者はいませんからね。北部に在住の人間の保護、となっています」 「一隊を西部地区に回せ。脅してでも連行せよ」 「強引に、ですか?」 「何が起きるかわからないのだが、ユドン市の爆破ということもありえる」 オフェリアの見解は、そうだった。ユドンだけではない。シリウスそのものを破砕する、と言った。それがレアティーズ・スコアのやり方だと。シリウスごとフルジア軍を吹き飛ばす。確かに、考えられない話ではなかった。 シャルンホルストが駆け去った後、オリオルの調査結果を読んだ。どうして、先遣したスコアの部隊はフルジア軍と名乗り、火災を巻き起こしたのだろうか。気になっていたのだ。隠したい。何か近づけたくないものがあった。火災で全て隠滅したい、ということでしかない。 ひとつ、大きな井戸のようなものがある。それがかなり掘削されていると報告書にはある。地中深くに、何かがある。それで、理解した。シリウスごとフルジア軍を吹き飛ばす、というオフェリアの見解に間違いはなさそうだった。 自爆ではない。スコアの乗る旗艦ルテティア・パリシオールムがシリウスを去るとなると、危険だ。実際、スコア率いるオーダー・ユニットはユドン市に入っていない。どうして占領しないのか、と疑問だった。それも氷解している。 しばらく、待った。ノインの報告が入る。オーダー・ユニットの姿が見えない。スコアはまだユドン東部のSSU軍司令部にいる。いよいよ撤退が始まる。合わせて脱出しなければ、危険だった。 「陛下は、まだ来ないか?」 アマリアに訊ねる。北部で指揮を執っているアマリアと合流する手筈だった。SSU軍が、かなり投入されている。アマリアは北部を占領しながら、削られるように後退していた。五千ほどで受け持ってはいるが、敵は十万を超えている。実際に全軍がぶつかるわけではないが、かなり苦心しているだろう。 「まだです」 「フィアさん、民間人多数を保護。西部機甲師団駐屯地に」 シャルンホルストからの通信。それを許可し、機甲師団に連絡を入れた。合流地点に輸送艦を送ってもらう。オフェリアだけが、遅かった。 「ゲルトラウデ・ネブカドネツァルに命令。ユドンから北に一キロ地点の上空で待機。手の空いた者はユドン西部に向かい、機甲師団の艦に乗船。撤退開始だ、急げ」 シリウス人全員は救えない。だが、ここが限界だろう。フェンリルの兵士たちが走り始めた。周囲から人影が消えてから、フィアは行動を開始した。南に向かって動き始める。 転送装置にジャミングがかかっている。かけているのがフルジア軍だった。通信を妨害したい。そうしないと、すぐにこちらの動きを読まれて撃破される。 接近すれば、転送で拾える。艦を呼び寄せながら、フィア自身もユドン市に入った。 どうか、ご無事で。一つ祈ってから、フィアは再び大声で指揮し始めた。
―――――――――――――――――――――
6 気がつくと、倒れていた。もう一度目を開けると、体が勝手に動いている。不思議だ。 出血で意識が危うい。ゾンマーの一撃を、全て回避できたわけではなかった。胸が開いている。衣服だけではなく、肉も斬られていた。今はカティアの肩に支えられながら、よたよたと歩いているらしい。 体が、崩れた。大地にのめりこむ。カティアもバランスを崩し、体の上に乗っかってきた。 動けない。疲れきっている。きっと彼女も同じだろう。それでも、気力だけで立ち上がった。意識は、戻ってきている。最期の力、とでも言うべきか。 「オフェリア」 名前。目を開いた。閉じていたのに、気付かなかった。カティアの美麗な顔が頬のすぐ横にあった。視線を追う。前を向く。首を上げるのが、重い。 視界に、またエヴォルブ。今度は女性だ。オフィーリア・ヘルプスト。もう相手をするのも面倒だった。周囲の景色は、街並みだ。どうやらユドン市に入っているらしい。 「馬鹿か、貴女は。この周辺はSSU軍がひしめいている地区だ」 ヘルプストの話し振りから、ユドン東部らしい。今まで見つからなかったのが奇跡なのか、今見つかってしまったのは不幸なのか。よくわからなかった。 「――――教えてほしい。何故、包囲を抜けられた?」 近寄ってくる。敵意というのは、あまり感じられなかった。純粋に不思議がっているように、見えた。カティアは体を固くして剣を抜いたが、オフェリアは前に一歩踏み出してみた。まだ、歩ける。体は前に進める。 「貴女は、私たちと同じではないのか――――?」 疑問。同じだと、同じになれと作られた存在。ヘルプストが抱いているのは、それだ。同じである存在が、他のクローンを簡単に蹴散らし、二人の進化型さえ超越し、なおここに君臨する不思議。同じではない。違う存在。それは、何故か。 「違いなんて、腐るほどあるだろう、ルキア・アンティゴネ。髪型も、目の大きさ、唇、些細な違いがたくさんある。私と同じというお前が、どうして違う髪形なんだろうね?」 バルカの家で、何を学んだ。そう訊ねたくなる。彼女は亡羊と立ち尽くしたままだ。 「私のことを、お前はわからない。私もお前はわからない。違う人間だからだろう」 「ならば答えてくれ。わからないのだ。教えてほしい、デリヴァランス」 「それが、願いとあれば」 ルキアの指先が、頬に触れた。近い。深い青の目。そこに刹那、悲しみを見た。
「私は、何の為に作られたのだ?」
呪いの言葉、全てを諦観で迎えた、言葉。辛すぎるほど、痛い。もしもエヴォルブが全て、このように思っているなら、どれほど悲しいことなのか。エヴォルブだけではない。イコライザーも同じなら。自分の存在に疑問を抱いているのなら。どれほど、辛いことだろう。 知らず、涙が流れた。ルキアの指が、濡れる。彼女は驚いたようで、しかし、手を引くことはしなかった。 「ルキア。君が生きるのに、私が生きるのに、理由が必要だろうか」 違うはずだ。そんなことなどあってたまるものか。 「私の為に、泣いているのか。デリヴァランス」 自分と同じ顔が近付く。抱かれるように、支えられた。そのまま、連れられる。向かうのは、司令部のある東ではなく西だった。
フィアと合流し、街を離れる。無数の銃口を集めながら、ルキアはただ見送るだけだった。敵なのか、違うのか。中立という言葉が彼女にはよく似合う。 去り際、振り返って。 「もし質問が出来たら、会いに来なさい。お前も私の妹にしてやるよ」 「そうしよう。では、さらばだ。我が姉よ」 いや間違ってるから。そう言おうとする頃には、体が空を飛んでいた。旗艦への帰還。シリウスを巡る二年間は、ここにようやく帰結を見る。 全てを失い、そこから手に入る希望は。おそらく栄光に似ていると思った。そうカティアに伝えようと思い、止めた。自分自身で感じることだと判断したからだ。代わりに、強く抱きしめることをオフェリアは望んだ。 まだ、失っていない光がひとつ。この手に戻すことが出来たのだろう。
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