興国。産声をあげた小さな世界。 守るために蒼い姫は全てを捨てて、独り立ち向かい。 明日を見るために、神なる姫は総てを捨てて、独り立ち上がる。 そして運命を破壊するために、欺瞞の王は道を見つけ、血で固めた。 興亡の攻防。背負った命は重く、また何かを、失った。 それでも。固く繋がる想いが、意志を貫く砦となる。
1 心気。澄んだ気勢を身に感じる。向かい合うのは肉体ではなく、おそらく、精神。真剣を手に、対峙は続いていた。 やがて、気勢は猛る。咆哮に似ていた。感情が爆発する。迫り来る、刃。受け流しも、受けることさえもしなかった。剣閃は上段より、袈裟に全力で切り下げる一撃。左。小さく跳躍した。左手がまだ残っている。 切断、と思った瞬間。左手を抜いた。強く、篭手を打つ。刃の腹で拳を打ち、相手は顔をしかめた。痛みで剣が落ちている。斬ろうと思えば、斬れた。そうなれば落ちたのは剣だけではなかっただろう。 「……有難う、御座いました」 やや、息を切らせながら、相手は膝をついた。オフェリアはすでに剣を鞘に納めている。気力の衝突では、互角だった。一瞬の動作。ただそのためだけに、従者は膝をついて疲労を隠せない。立ち上がるまで待ってみよう、とオフェリアは思った。 今年から従者にしたレティツィアの少女は、いい腕をしていた。護衛に、とフィアが勧め、近衛に迎え入れたのだ。腕を磨けば、隊長の器である。今はレオンハルトに任せきりだが、いつかはこのアマリア・レティツィアが近衛軍を率いることもあるだろう。 まだ若かった。若すぎるほどに。十五歳なのだ。 「そろそろ、戻ろうか」 声をかけて、立ち上がらせた。もう息は戻っている。アマリアが防具を道場に返している間、入り口でオフェリアは待っていた。道場の管理をしているレオンハルトが現れたからだ。 無精髭を生やし、無造作に髪を束ねた無骨な男だった。もうじき四十歳だが、無邪気すぎるほどに笑うような人物で、明るい性格なのだろう。兵の受けも良かった。実質的に近衛第二師団を指揮している人物でもある。それをフィアがサポートしている、というのが現状だった。オフェリアは近衛第一師団の総帥である。 「このところ、熱心ですな。陛下も武術を極めようとなされているのですか?」 「ずっと執務室に篭っていると不健康だから。それに、純粋に強さを求める人間を、私は嫌いにはなれなくて」 例えば、ティア。例えば、アマリア。打算などない。ただ、純粋なだけだ。強くなりたいという願望。それはオフェリアが知る強い人間、リゴレットには無いものだった。 「まったく、同感です。陛下の剣には不思議な何かを感じられまして。こう、温かみがあるのですかね」 「まさか。温かい剣などありませんよ。武、というものは二種類。ただ己を積み上げるものと、殺傷を目的としたもの。その二つが重なることもまた、ありえないかな」 「強さを求めるのは酔狂、とでも言いたげですな。いや仰るとおりかもしれませぬ」 レオンハルトの剣も、大したものだった。だがティアに叩き伏せられた。美しく自らを研鑽して完成された武術と、殺傷を第一にした武術。強いのがどちらか、と問うのは無粋でもある。後代に伝えるなら、ティアよりレオンハルトだろう。一長一短、とも言えた。 しばらく談笑していると、アマリアが出てきた。レオンハルトに言って道場を閉めさせ、三人で禁衛府に向かった。第一総軍近衛師団の司令部である。宮殿の近くに常時二万の兵力が駐屯している。第一師団の面々だ。 近衛師団の中でも、第一、第二が特に精強だった。この国で最も精強と言っていい。軍規も厳しく、兵の顔は引き締まっている。禁衛府を歩くと、それがよくわかった。負けない。負けるはずがない。この軍が、心血を注いでこの力を築いたのだ。 ディリを呼びながら、司令部に入った。禁衛府には軍営と司令部があり、兵たちの寮と訓練施設と隣接して砦がある。フルジア都を襲撃した場合、この城塞が宮殿を防衛する壁となり、都全体を守備する。 「アマリア、今の段階で動員出来る兵力の概算を」 「はい。近衛第一師団が二万と僅かです。近衛師団は防衛師団と分割され、外征は二十万に足りません」 遊軍にするなら、問題はない。ヴェルブングの援護や、多面展開の作戦に駆り出すだけならだ。近衛だけでの作戦展開は難しい。実際、シリウスではリューヴ国軍だけで三十万は投入されている。SSU軍と合同で作戦を行えば、五十万。単純な数の勝負ではないだろうが、目安にはなる。 「陛下、いよいよ戦ですか」 「考えどころだよ、レオン。今は機会を待っている。どうせ最初に叩き潰すところは決まっているのだから」 フォリア。リディアーヌ・フォリアを殺して、ようやく、この国は前に進める。 敵は現在、ネアポリス星系に入っている。旧フルジア近衛軍を率いて、数はおよそ三十万に膨れている。ノティオン星に駐屯し、SSU軍と密約でも交わしたのだろう。アンドロメダにフォリア軍を排除する意思はないようだった。 ノティオンに攻める、となれば太陽系が黙っていない。そしてリューヴも侵攻を開始するだろう。双方、共に機会を待っているのだ。だから動けていない。もうじき、秋になるというのに。まだ戦闘は始まっていなかった。逆に、不気味なほど、静か。 ディリがノイン・リチェルカーレと共に入ってきた。序列ではディリの方が格上である。情報部をうまく使い始めた、という気がする。 「まだ、あの裏切り者を断罪できんのですか。無念、としか思えません」 「待って、レオン。まだだ。私は決してあの女を生かしてはおかない。待って、必殺とする」 レオンハルトは、声を荒げて豪快に椅子に座った。急にやって来てしまったディリは驚いているようだった。 年明け、フォリア家の一族を全員逮捕した。両親、祖父母、親類。全ての首を刎ねた。ただ一人、息子を除いてだ。激しい怒りとわずかの慈悲。それを見せた、とディリは分析しているようだが、それだけではなかった。フォリア家の全てを剥奪し、しかし序列の最下位に息子を置く。これで人々の目に、はっきりと現状が映る。 「陛下、よろしいですか。クンスト・ヴェルクより情報が入っているのです」 「ディリ、ノイン。何だ?」 「その前に。陛下は今、軍事ではどこを見ておられます?」 「……カメリア軍、かな」 ノティオンとシリウスは近い。同じ星系なのだ。順番としてはシリウスを抜いて、ノティオンになる。現状でノティオンに侵攻すれば、太陽系軍だけではなくカメリア軍とも緊迫する。勃興から一年、まだ経っていない。今はまだ敏感になっていることだろう。 「では、言います。SSU軍が動きました。マンティネイアに大軍を集結させています。カメリア暫定王国政府に対する牽制で、事実、太陽系同盟ライル理事がユドン市入りをしたことがリチェルカーレより確認されています」 「アインスの指示で工作員が潜入し、カメリア軍のシリウス入りを支援したのは確実です。リューヴ軍と繋がっている、と思っていましたがSSUが動いた模様です」 二人の報告を受ける。ノインの情報を、ディリが分析する。この二人の組み合わせは、なかなかのものだ。フィア一人では分析にかける。ディリだけでは情報が不足する。 続けろ、と口にして頭の中を組み立てていく。分析はこの程度ではないだろう。 「はい。元々、シリウスは太陽系同盟に属すると言っても過言ではありません。実際にSSU軍にネアポリス星系は組み込まれています。自分の経験から申し上げますが、シリウス人は銀河系にあり、太陽系が盟主ならその一部だろう、という認識を持っています」 ディリはシリウス出身だ。そのあたりの認識に間違いはない。シリウスという一つの星を、カメリアという異星人が占領した。戦争で荒廃した土地を再建はしたものの、占領されているという認識は消えない。中にはカメリア軍をテロリストの一派、と認識している人間もいるだろう。 「カメリア陣営で、政治を見れるのは元首カティア・フレーニ王女ただ一人です。現在、軍政から立憲君主制に移行している最中であり、オリオルでは選挙も実施されました。シリウス人が執政をするのなら、ライル理事がつけこむ隙はある、と思われます」 「併合かな。フルジアとアンドロメダの戦争にシリウスが巻き込まれるのは必至だ。カティアは、中立を叫ぶ。だがアンドロメダがフルジアを攻めるには、レグルスを狙うしかない。戦略上、補給拠点としてシリウスの位置が無ければ、作戦に支障が出る。まずは通行権と施設利用権の要求」 「頷かざるを得ない、と思います。そして頷けば、フルジアは動くと読む。どこまでカティア王女が譲歩するかというのが問題になります。施政忠告を認めるならまだしも、安全保障も加わるとなると厄介です」 「進駐がそのまま占領になる。気付けば、カメリアは亡国になるだろう。さて、どれほどの余力がカティアにあるか」 昔とは、立場が違う。カミーユ人だけではなく、シリウス人の命も背負っている。どこまで突っぱねられるか。カティアは、優しい。おそらく無理だとオフェリアは読んでいた。人としては美徳だ。為政者としても間違いなどではない。ただ、弱すぎるだけだ。 「――――お二人とも、どういう頭なのだ。自分にはまったくついていけませんな」 呆れるように笑うレオンの顔だけが、明るかった。
2 星歴321年の秋のことである。 オフェリアはフルジア軍会議を開いた。政庁の執務室、シーリアの総督府、レグルスの総督府。そしてディリの四人での会議だった。 シャルパンティエの反乱に備える、という名目でトリトンに太陽系軍が集められている。マンティネイアと二つに分け、ほぼ全軍。さらにリューヴ国軍の建て直しが完了し、アカデルスに進んで側面から牽制の動きを見せている、とヴァルトラウトは報告した。 「陛下、聞いてます?へいかー」 「うん。ヴァルトラウト、案じても仕方がないんじゃないか。どの道、レグルスに攻め込むにゃシリウスがいるわけです」 「トリトンはどう思います、ティンクベルン元帥?」 「放置しておいて問題ないんじゃないのかね、シャルンホルスト。だってトリトンからレグルスは遠すぎだっぜ」 トリトンは防御、というのが見て取れている。攻め込むにはシリウス経由でしかないはずだ。フルジア軍の見解はそうだった。分析に間違いはなさそうだが、奇策を用いてくるかもしれないとディリは不安そうだった。 「まー、安心しなさい。守るだけならいくらでもレグルスは守れるのよ、シャルンホルスト」 「はぁ。お三方ともツワモノですからねぇ……」 軍会議といっても、気心のしれた三人の話し合いでもある。楽観ではないが、余裕があった。ディリはついてこれなさそうだったが。 「面倒だから、まとめる。シリウスがどーにかなっちゃうまで放置プレイ続行」 「了解です。陛下、レグルスで焼き芋大会したいので、エーファに言ってイモ送ってください」 あっさりと会議を終えて、ディスプレイの電源を落とした。 ディリは面食らった様子だったが、よほど緊迫した情勢でなければ、フルジア軍の最高幹部会議はこんなものだった。ゲルトラウデの治世中ではもっと酷い時もあったのだ。いずれも優れた人材で、言わずとも分析は出来ている。状況の認識を共通させる、という意味合いぐらいしかない。 もう夜も更けている。帰宅しようと立ち上がり、アマリアが執務室に入ってくる。今日はディリと三人で外食すると決めていたのだ。 「しかし……緊張感がまるでありません」 「アマリアの言うとおりです、陛下。今は戦時、もう少し真面目にやるべきでは?」 居酒屋に向かう途中、二人の側近は文句を言ってきた。居酒屋行ってる場合じゃないだろ、というツッコミだ。 笑いをこらえながら、先頭に立って歩いた。この二人もいいコンビだ。ディリより年下はアマリアくらいしかいないため、自然とディリも強い口調になっている。本人に自覚はないだろうが。 「いいじゃないか。お前たちは真面目すぎるんだよ。ずっと考えたって名案が出るとは限らない。今はやることが無いから、遊ぶ。それでリラックスして、頭も回るってものよ」 必ずしもそうとは考えていなかったが、言葉にするとそう思えてきた。今は下手に国際情勢を動かさない方がいい。放置して、機が熟すのを待つ。それから、一気に弾ける。時代の流れを見極め、動く時を作る。 今は誰もが、敏感になり過ぎているのだ。何気ないことでも、衝突につながるかもしれない。ヴァルトラウトの軍が少し動けば、シリウスに対する牽制に思われるかもしれない。そうすればアンドロメダは強硬手段に出るかもしれない。カメリアを軍事力で滅ぼし、またシリウスを巡る果てのない攻防になるとも限らない。 「むう。こんなことでも学べるとは、思いもよりませんでした」 「堅苦しいヤツだね」 それがディリの美徳でもある。実直で真面目、勤勉。悪いことだとは思わなかった。やり方を変えろと言う気もない。悪い道に誘っているのが自分の気がして、オフェリアは笑ってしまったのだ。まるで不良のようだ。 角を曲がり、裏道に面した居酒屋を前にする。人が多い。黒服に身を包んだ連中だ。正面に、フィアが立っている。どうやら近衛第二師団のようだ。居酒屋を固めている。 「……陛下。予約したのが運のつき、でございます」 「――――駄目?」 「駄目、です」
レーヴェ邸に強制連行される。皇帝なのに自由が無いとはこれいかに。実は傀儡かもしれぬ。 「……バカ」 「あァ?フィアお前なんて言った?」 しっかりと左右を兵士で固められ、逃げ出す余地は無い。そのうち、家についてしまった。兵が明るい表情で解散していく。仕方なく、四人で自宅に入った。 今日、ゲオルギーネは宮殿らしく、オリヴィアしかいなかった。さすがに空腹だった。フィアは軍服を脱ぎ捨てると、さっさと着替えて調理場に向かっている。今日もいつもと変わらず、家での食事だ。アマリアとディリを食卓テーブルにつかせ、オフェリアも対面に座った。 「あれ、ティアは?」 「見ていません」 ティアとはずっと同居していた。レオンハルトと親密になったらしく、道場で武芸を磨くことくらいしかやることが無いのだ。オリヴィアとも友達になれたようで、よく留守番などを頼んでいた。そのままこの家に住むようになった、というのが正しい。 イザークやリゴレットと旅した昔を、しばし、懐かしむ。ティアはあの頃に、帰る。あの二人と連絡をとることは、可能だろう。ノインを使えば、二人の居場所を掴めるかもしれない。ただ、ティアはまだフルジアに滞在したいと思っているようだ。 電話が鳴っていた。もうじき、夕食だ。受話器をとると、エーファの声がした。 「あ、陛下?ちょっと問題発生」 それほど緊迫した様子ではなかった。話を聞く。 カメリア軍から緊急の外交官が派遣されてきたという。正式なものには見えず、密使のようなものかもしれず、ノインを中心に背後関係を洗っている。本物かどうか、まだ確証が無い。それで連絡が遅れたようだ。 「用件は?」 「それが言わないんです。重要機密だから、って」 最も怪しんでいるのは、その部分らしい。直に、二人きりでの面会を望んでいる。通常であれば考えられないことだ。前回の外交官は叩き出している。カメリア軍とフルジアに正式な外交ルートは存在しない。 「会おう。フィア、夕食は政庁に」 「はい。アマリアをお連れください」 「陛下ゴメンねぇ。じゃ、待ってるわ」 受話器を置く。ソファにあったフィアの軍服を借りて、外に出た。後ろからはアマリアがついて来ている。ディリはフィアと共に来るつもりなのだろう。自分が出る幕ではない、と気を遣ったようだ。そういった気配りも出来る男だった。下手に加わっても追い出されるだけだろう。 外に出た。秋風が、冷たい。身を切るような冷たさだ。
「ルートヴィヒ様、ああ、ようやくお目にかかれました」 政庁。密使とされた女性は、オフェリアを見るなり抱きつくような勢いで喜色を表した。見覚えがある。ユーロパ、ウィノナ市の服飾店を営業していた婦人だったと記憶している。 「皆、下がれ。間違いない、カメリア軍の人間だ」 婦人の手を引き、執務室にまで案内した。アマリアをドアに配置し、人の出入りを規制する。二人きりで話したい。彼女はそれを望んでいる。用件が何か、オフェリアには予想もつかなかった。ただ面倒なことになりそうだと直感があっただけだ。 「覚えていてくださいましたか」 「おぼろげ、ですが。よく私がルートヴィヒだとわかりましたね」 「お綺麗な顔を覚えております。姫様もよく、口にしていましたし」 カティア。懐かしいとは思わなかった。心の中に、いつもいる。政治上の問題として、個人的な感情としてもだ。 「卑怯なことだと思いました。しかし他に、頼れる人がいないのです。フルジアに、助けを求めに。陛下にです」 かつてのコネクションに、すがる。カティアがそれを望んでいるわけではないだろう。そういう人物ではない。本当は、一人ででも助けに行きたかった。立場。それが、縛る。 「では、こうしましょう。シリウスは現在中立であり、アンドロメダともフルジアとも結ばれていない。その中立性を維持するのに、尽力する。もしアンドロメダ勢がシリウスの中立を認めず、武力で侵攻するのであれば、の話です」 「救ってくださるのですか?」 「必ず。状況の説明を」 ノインからの情報と、ほぼ同じことを密使は語った。ライル理事のシリウス入り。知りたいのは、太陽系同盟が何を望み、何を描いてシリウスに訪れたかということだ。そして、どう対応をしたのか。 書類を渡される。偽造のきかない紙媒体での誓約書だ。草案であるのか、まとまってはいたが決定的なものではない。ライルから渡された議定書の草案だと言う。 内容は予測したのと変わらない。アンドロメダ勢力によるシリウス星における軍事行動の容認と、施設利用権の保障を求めている。これに対し、カメリア王国政府の領土保全と独立を保障するというものだ。もしこの条約が締結されれば、シリウスにSSU軍が駐屯することが可能になる。 「姫様は譲歩しながら拒絶しています。何とか時間を稼ごうとも思えますが」 「いや、カティアなら駆け引きは出来る。妙案が出る可能性も、あるかもしれません」 シリウスを実効支配される可能性のある草案だと、カティアはおそらく気付いている。だから渋っているのだ。しかし、マンティネイアに大軍が駐留していることから、武力を背景に太陽系同盟は条約締結を推し進める。その威圧に、カティアが耐えられるかどうかだ。 「こちらを。姫様から託された、書簡でございます」 もう一枚。同じく紙媒体の、手紙だった。直筆の手紙を拝見する。 「……近くまで、我々フルジア軍が護衛いたします。カティアには手紙を書きましょう」 「はい。表向きは、亡国の危機に際してはフルジア軍が援軍になる、ということでよろしいのですか?」 「ええ、そうですね。ただ突っぱねるだけでは、無駄に戦が起きるだけだ。その駆け引きは、カティアにしか出来ません。私に出来る援助は、せめてその重圧を減らすことくらいでしょう」 「充分で御座います。陛下の温情に、感謝いたします」 文字から、目が離れなかった。あるのは、立場も権利も何も無い、赤裸々な直情。答えられるのは、同じ想いだけだろう。助言でも支援でもない。ただ、想いを繋ぐことしか、出来ない。 ただはっきりと、たすけて、と。救いを求む蒼い姫が、見えた。 窓の外。秋風が、強い。
3 ――――――――――――――――――――― “Routa della Fortuna” ---Katia Freni Sep. 2, Neo.Globe.0321 Sirius Hudon Regality Council
風に、木々が揺れていた。遠くにざわめきを感じる。いや、ざわめいているのは、心かもしれない。 シリウスにしては、寒い夜だった。手紙を持つ手が震えた。ルートヴィヒの署名。彼の字に間違いはなかった。何度も見たあの手紙の字と同じだった。流暢な字で彩られている。 この一件が片付いたら迎えに行く。そう書かれていた。目に沁みるようだ。もしそうなったら、きっと楽しい。そして嬉しい。何より望んでいる。この身を縛る運命さえなければ、おそらくすぐにでもフルジアへ向かうことだろう。 守りたいもの、守るべきもの。そのためにどうすればいいのか、といったことも書いてあった。自分の足で立つ難しさを、オフェリアはよく知っている。当然だ。今、まさに彼も同じ想いでいるのだから。受け継いだものが多い分、苦労も増えることだろう。立場は、彼の方がずっと重い。 カティアは初めて、折れることを考えた。折れるのではなく、しなる。向かってくる圧倒的な力に対し、突っ張るのではなく流されることも時には必要ではないか。手紙を読んでから、考えられるようになった。 仮に、議定書のサインをして、SSU軍がシリウスに入っても。好き勝手をさせずしっかりと目を光らせ、確実に統治を続ければ実効支配などされない。フルジアとの関係をもう少し良好にしておけば、動きに牽制をすることも可能だ。 そこまで考え、頷くことを決意した。従者を呼びつけ、マクベス・ライルとの会見を希望した。 「……俺はただ、無念です。あんな盗人みたいなヤツらの言いなりになるなんて」 先を読んだ従者が、俯きながら言葉を発した。カミーユ人ではなかったが、強い興国の意思を感じた。小柄で戦うことなどには向いていなかったが、機敏でよく気が利いた。だから従者にしたのだ。 「そんなことはない、ギルデンスターン。何かに掴まりながらでも、立っていればいいのだ。こんなものは、我らの味わった屈辱の一寸にも満たない」 感情が激しい男なのだ。大きく頷いてから、彼は出て行った。気持ちのいい男だ。それに比べ、オリオルを任せているフェリーチェはどこか心もとなかった。幼馴染であり、気心の知れた友だが、どこか自信過剰な部分があり、慢心がある。 人材は足りなかった。連れてきたカミーユ人は軍人か民間人かで、政治を知っている者は皆無だった。知識人のような人物を何人かで仕事を与えたが、役には立たなかった。蜂起前にシャルパンティエと語ったユドン市の再興計画が基盤であり、細かい肉付けは全てカティア自身でやらなければならなかった。 外交にしてもそうだ。フルジアとの関係を良くしようとしてフェリーチェを送ったが、オフェリアの怒りを買って叩き出されていた。終いには、あのような国に助けを求めるのは恥だ、とまで言い出したのだった。首元に痣をつけて帰ってきたあたり、オフェリアに殺されかけて自尊心を傷つけられたのだろうと容易に想像が出来た。 軍があり、攻められても弾き返せればいい。誰もがそう考えていた。見通しの甘さ。戦をするにも、食糧はどこから出てくるのか。武器はどこで買うのか。資金も糧食も、土から生えてくるわけではないのだ。 ルートヴィヒ。その才覚に、驚嘆した。先年までのフルジアは、とても継戦できるような状態ではなかった。経済は停滞し、シリウスの犠牲で将兵の消耗も激しかったはずだ。資源にも乏しく、アンドロメダと戦争をやっていること自体が奇跡だった。 半年が過ぎた頃から、シーリア星を中心に経済の復興が見えてきたのだ。軍需物資を大量に生産し、余剰分を民間に払い下げた。同様に、過剰分の予算を繰り越さず、国民へと返還した。税は減らないが、戻ってくるのだ。人心を落ち着け、財政の建て直しの均衡をとりつつ、軍事力を増した。 軍を再編し、人材を集め、精強な軍を作り上げ、資金を調達し、人心を集める。確かにゲルトラウデは天才で英雄だったかもしれない。なら、オフェリアは何だ。間違いなく、フルジアの動き方は今までのそれを凌駕している。先が全く読めないのだ。 もし、ここにルートヴィヒがいれば。そう考えたことが、幾度あるだろう。 一人で立たなければならない。わかっている。だが、孤独だ。
ライル理事との会談を行う。ようやくまともに見えてきた国務院という行政機関の一室。カティアは従者のギルデンスターンだけを伴った。余計な口を挟むような人物は、顔を出してほしくない。 「間に合った。失礼します、カメリア王国軍ティア・ヴァーグネルです」 見知らぬ青年が、中に入ってきた。ライルの顔は一瞬、引きつったが、カティアの隣にティアが座ると納得した様子だった。カミーユ人の若者。二十歳かそこらだ。精悍な顔つきが印象的な美男子だった。フェリーチェは整った容姿の美青年だが、こちらは男らしい野性味のある好青年。 「オフェリアの部下です、姫。ってか覚えてないですかね。アディーラ第二養子の息子、ティアですが」 耳打ち。ティア。その名前に、聞き覚えはあった。従弟にあたる人物だ。リューヴで何度か、剣の稽古をつけた記憶を、おぼろげに思い出す。間違いなく、親族である。血を分けた仲間に、心中が安堵する。何より、オフェリアが部下を派遣してくれていたことに安心感を覚える。 「僕はカティアさんの助けになりに、来た。残るよ。ここに。もしもの時は、逃がす」 オフェリアが送った護衛ということだけではない。同じカミーユ人として、志を共にしたのだ。今はその気持ちひとつひとつが、有り難い。国家存亡の時だからこそ、人は真実を明らかにする。本当が露見する今だからこそ、ティアの気持ちに感謝した。 「王女、一ついいですかな」 ライルの顔がこちらに向いている。微笑。だが、嫌な顔だと思った。 「条約締結の折、フルジアへ密使を派遣した理由をお聞かせ願いたい」 罠。まず、そのことが頭に生まれた。密使は隠密だからこそ、密使である。筒抜けであれば意味をなさない。とすれば、こちらの行動、全てが見張られているのか。条約など本当はどうでもいいのではないか。この太陽系の理事は。軍事力で屈服させたいだけではないか。 最早、条約締結以外に、道は無かった。断れば、即座にマンティネイアに詰めた軍がシリウスを強襲する。それが、カティアの目にありありと映っていた。 この窮地を、どう切り抜ける。手紙を思い出した。名前に効力があるのなら、いくらでも使って構わない。オフェリアの名前を出せば、アンドロメダを怯ませることは出来るかもしれない。 「フルジアに、友人がおる。非常に頭の切れる男で、少し、相談をしようと思ったのだ。心を通じた友に」 どうか、助けてください。そう思った。オフェリアの名前で、守って。 「ほう。真のこと、ですかな?」 「無論。オフェリア・ネブカドネツァルは片意地を張らずに流されろ、と書いて送ってきた」 ライルの顔が、また引きつったのをカティアは見逃さなかった。フルジアの皇帝に知らせた。そんなコネクションがあることを、この男は知らなかったのだろう。背景は、ある。深読みをすれば、シリウスはすでにフルジアと同盟を結んでいるとも取られかねない。 たとえ、遠く離れていても。守られている。だから自分は、恐れずに、前へ進める。 「草案に手を加えたい。独立保障など結構だ。アテにならない兵士などより、一握りの麦を送れ。経済支援をこちらは希望する」 草案にあった領土保全の義務。もしSSU軍がシリウスに駐屯し、報復にフルジアが攻め入った場合、シリウスの領土を守るために戦うとかいうものだ。そんな必要は無い。代わりに戦ってもらうことなど不要だ。 「ということは、通行権や駐屯を認められるのですか?」 「この際だ、構わん」 代わりに、経済支援を要求した。一歩も、引かない。認めるからには、少しでも有利な条件である方がいい。 後は、気持ちの持ちようだ。しっかりと、強い意識で。国を守る。 ―――――――――――――――――――――
4 二十一歳という自分の年齢を、オフェリアは若いとは思っていなかった。時間など、いくらあっても足りるものではない。やるべきことが、多すぎた。 旗艦の改修が終わり、名も改められた。第二十代フルジア帝の名を冠した新型指揮専用艦がついに就航である。式典などは一切、やらなかった。代わりにギーゼルベルトに参謀軍を率いらせてフルジアへ呼びつけた。 ネブカドネツァル艦にはせいぜい一万かそこらしか乗せられない。直属の軍だけは乗せられるが、それでは戦にならなかった。 「いよいよ、親征ですか」 船渠にて、ギーゼルベルトと会った。輸送艦がほとんどで、戦艦は一隻しかない。護衛は前線に到達してから、ヴァルトラウトが回してくるだろう。陸上兵力をあまり重視しなかった以前のフルジア軍とは、少し変わってきている。 「遅くても、来春。そう見ている。伴う将も決めている。ギーゼルベルトにはシーリアに入ってもらうことになる」 「構いませんよ、別に。ヴェルブングの後を引き継げばよいのでしょう?」 わずかに、嫌悪感がこみ上げる。あまり好きな人間ではなかった。さも当然、ということを口にしていると嫌味にも聞こえてくるのだ。彼の口調を嫌っているだけかもしれない、と開き直りながら頷く。 「敵は、アンドロメダですか?」 また、だ。当然のことを平然と口にする。しかし、言葉には裏がありそうなニュアンスを持たせている。頭は切れる。自らの優秀さを隠そうともしていない。むしろ押し出している。 「刃向かうものは、全て」 「……怖いお方だ、やはりあなたは」 敵か味方か。その判別は難しかった。ティアがカメリア軍を率いてフルジアに攻めてくるのなら、敵だ。逆にツェルニーが膝を屈するなら、戦うことはしないだろう。障害を取り除く。その一点で、敵味方を区別することにした。 「もう少し可愛げがあれば口説いているのですがね」 「あはははは――――首を刎ねられたい?」 「陛下。真顔で笑い声だけ出すのは怖いので、勘弁を」 すっかり伸びた後ろ髪に手を当てながら、船渠から出た。ギーゼルベルトも後ろからついてくる。気にすることはなかった。フルジアの街を歩きながら、左右につく護衛をやや下がらせる。人々の顔。街の空気を感じたい。 後ろでは、色男がアマリアに声をかけている。大通りを歩くことはしなかった。比較的人の少ない道を選んで、政庁に向かう。それでも、路頭の人々は道を開け、こちらを眺めてくる。名を呼ばれることもある。たまにこうして顔を出すのは、趣味でもあった。直に見てこそ、見えるものもある。宮殿の中からはわからないものがある気がした。 帝都の空は青い。空気は明るく、穏やかに流れる。活気だけでなく、落ち着いた雰囲気のある街。長い歴史が育んだ、独特の風景だ。好きなのだろう。人が、景色が。ゲルトラウデが愛したように、その気持ちを共有している。 音。奏でられる、歌声に誘われた。 友の歌だ。店先から流れる、ラジオを見た。飲食店らしい。店先に少しのテーブルがあり、開放的な店に見えた。 「近衛を禁衛府に。護衛はアマリアだけでいい。あそこで昼食にしようか。ギリー、お前は帰って」 「御心のままに。ほら、行こうか」 衛兵を伴って宮殿に向かう貴族を見送り、二人だけで店に入った。もちろん顔は割れている。オーナーの女性は驚いたような顔をして、席を案内しようとしたが、店先でと頼んでみた。それとラジオの音量を上げてくれとも。 アリアのラジオに耳を傾けながら、茶と軽めの昼食を頼んだ。 「何事ですか、陛下」 「私なりの諜報活動、かな?」 歌が終わり、アリアはメールを紹介し始めた。このラジオはルテティア・パリシオールムから流れているらしい。おかげで中立、ということを強調してフルジアでも聞ける。もし伝えたいことがあれば、直接言えばいいのだ。前には電話をかけてきたこともあったと思い出す。 春夏秋冬、蒼い目の四季が世に出た。そんな詩をアリアは読み上げていた。イザークめ、風流になったものだ。 「アマリア、メールを打ってくれない?」 返答を。聞いたという証を返す。オペラの名前でメールを、歌姫にまで響かせる。 茶を飲みながら、じっと自分の手紙が読まれるのを、待った。
政務はディリに任せ、禁衛府にいることが多くなっていた。ディリゲントが育ってきているというのもあったし、順調に経済も治安も国内の諸問題は解決されている。ディリの仕事を後で目を通して確認し、直すべきところは直す、という方法である。時間はかかる。手間もかかる。だがそれで人は育つ。 昼から近衛第一師団の調練を見る。それが日課になりつつあった。訓練はしっかりとされている。最後の仕上げ、最も厳しいことをオフェリアは兵たちに課す。特に実戦部隊を責めに責める。 オフェリア麾下の師団である。直属のこの軍には、三つの部隊があった。特に有名なのが竜騎士団の名で知られるホバーを装備したリントヴルム隊。本部につき、非正規戦を得意とするフェンリル隊。紫紺の剣を持たせた白兵特化部隊、レーヴェ隊の三隊だ。これから見て、第一師団は特殊な師団とも言える。 遊軍。オフェリアが直に指揮する遊軍だった。レオンハルトの第二師団と共闘し、時には単独で敵陣を貫く剣。 「レオンハルト、北の調練場に移動。第二師団を率いて陣地を防衛。これより最終の調練、模擬戦を開始する」 「はい。これで兵も戦が近いと気を引き締めます」 実弾兵器は持たせなかった。光学兵器であれば、出力を抑えれば失神程度で済む。訓練の時はそう設定してあった。 「竜騎士団は先行、偵察。獅子軍、白狼軍は徒歩で前線へ移動。アマリア、先導だ。私はフィアと本部を率いて進む」 歩けば、夜までにはつく。それほどの距離があるが、戦闘はいつ始まるかわからないものだ。即座に第一師団を召集し、禁衛府に並ばせる。第二師団は輸送船ですでに向かっている。 アマリアの準備を待つ間に、ディリが禁衛府にやって来た。宮殿で一大事、と思ったのだろう。調練であることを説明し、さらに同行するよう伝えた。ディリの才能は軍事にも向いている。一軍を指揮する大将になる必要もあった。 紫紺の剣を腰に、光学銃のヴァーサを腕に装着した獅子軍が出陣していくのを目で追う。整然としている。皆が黒い防弾コートを羽織った女性が大半の部隊。竜騎兵が先行して強襲し、獅子軍が白兵戦闘で敵を殲滅、前衛となって敵陣を占領するというのがこの軍のやり方でもある。 白狼軍に進発の合図を出す。白い襟巻きが印象的な参謀軍だった。フィアが整列させながら前に押し出していく。オフェリアはディリと共に、先頭に立った。車両での移動である。 「颯爽としていますね。近衛軍団は特にそうですが、中でも第一師団は格好がいいです」 「威容、ということだ。堂々と、人々を魅せながら進む。それだけで人は憧れ、兵は誇りを持てる。もう一つ。周辺の慰撫にも効果的だよ」 ゆっくりと車は進む。街道で、兵たちの速度は速い。歩兵はどれだけ速く、長い距離を進めるかだ。戦闘能力より何より、前へ進むことが重視される。戦闘能力は機甲部隊に任せればいいのだ。 「聞きましたか?シリウスは今、混乱にあると言っていいでしょう」 「ユドン条約の内容については、あんなものかなと楽観している。ライルは巧緻な男なのだろう。急きながら堅実だ」 「大軍を移動させてはいません。二個師団をオリオルに入れただけです。軍艦もさほど多くはなく、余計な刺激は与えていないようです。カメリア軍も数は劣りますが、実力で上回るために互角と見ています」 「互角ではない。フルジア軍がいなければ、SSU軍は光学兵器を使用する。旧式装備のカメリア軍では勝つのは難しい。SSU軍五万というのは勝利可能な最低兵力だ。カティアもその程度の計算なら、出来る」 「ですが、我々が動きを見せない以上、ライル理事も口実は生まれません」 「口実は生まれるものじゃない。作るもの。言いがかりならいくらでも作れるだろう。例えば、カメリア軍兵士によるSSU軍への暴行事件などかな。オリオルならユドンにいるカティアの目を盗むことも出来る。その時、カティアが独りで耐えられるか、どうか」 「経済支援を受けることを口実にし、内政に干渉を始める。そんなところでしょうか。もし王女がフルジアへ外交官を派遣すれば、それも名目になります。敵国への密使、とでも。行政権と外交権を握られれば、叛旗を翻すしかありません」 第二次シリウス戦になる。だがカメリア軍に勝利は無い。それでも、カティアは立ち上がるだろう。そうして踏み潰され、シリウスは落ちる。戦になれば、フルジア軍を率いて助けに行くことも出来るだろう。現状では単なる侵略に過ぎず、なおかつカティアも望んではいない。牽制さえ難しかった。 動けない。出来ることは、軍を鍛えることくらいだ。
到着したのは、すでに陽が暮れた後だった。高地に陣営があり、簡単なバリケードと防御陣地が築かれている。 「左側面から攻勢を仕掛ける。急げ、一気に抜く。リントヴルムは二個小隊を残して進発、レーヴェと足並みを揃えろ。フェンリルはマフラーを外し、全軍で続け。レーヴェは二個小隊を外す。外套を脱ぎ捨て、残存部隊に預けよ。指揮はフィア。副官にアマリア」 コートを脱ぎ捨て、走り出す部隊。ほぼ総勢だ。手元に残っているのは通信隊と四個小隊五十名。一万五千ほどが散開しながら左の斜面にとりついていくのを見届ける。 黒衣の五十名と共に、正面をゆっくりと進んだ。索敵範囲を予想し、その前で止まる。 「左は罠、と読みましたが」 息を潜め、隣で草地に寝転がるディリが静かに言った。 「それを確かめる術は、今はない。レオンハルトは熟練だ。私やディリが智謀の将軍だということを知っている。来て欲しいから左を手薄にしているのだろうが、手薄にしたせいで忌避される。ならば本当にあけておく、くらいの奇策はやりかねない」 「もし罠だったら?」 「どこかが動く。罠は罠だけで戦を決めることは出来ない。そこに追撃を加えるから勝てる。どこが動くかを見て、フェンリルは拡がる。陽動の動きを見せる。罠を作動させて動かすのが第一、フェンリルの陽動で動かすのが第二。二つあれば、五十名でも防衛線を突破できるかもしれない」 防御陣地は、陥落しないものなのだ。しかも砲撃も殲滅もしない訓練では、圧倒的に守る側が有利だった。突き崩すのは至難の業だ。被害がないなら、乾坤一擲の賭けをする価値はある。 「正面に二つも戦線を作るのは無意味だ。どちらかが、囮ということになる。常套なら正面、左右、本隊の四箇所だから。そこを、五十名で突破する。本部を強襲し、指揮系統を寸断し、通信を破壊すれば部隊は崩壊する」 フィアから通信が入る。左側面、敵影無し。 「罠に見せかけた、囮か」 正面の部隊が、動き始めた。急激な動きで左側面に向かっている。フィアに連絡をし、 すでにフィアの一万が高地にある本部を強襲している。罠も無かった。一気に迅速に、本部目掛けて突っ込んだ形になった。 「正面の防衛線、その背後を断つ。フェンリルはそのまま右へ流れて来い。正面を挟撃する」 立ち上がった。正面右側の防衛線は、すでに無い。本部の防衛に回っていたからだ。正面左側は右に回りこんだフェンリルと交戦。真っ直ぐ、中央からオフェリアは斜面を駆け上がった。フィアは本部の包囲に成功したらしい。 五十名を正面右側の線の背後に置く。フェンリルと挟撃の体勢をとり、殲滅。そのままフェンリルの五千と合流し、斜面を進む。敵本部の防衛線を包囲する。 一万五千で、二個師団の本部を囲んだ。敵兵の姿はかなり減っている。すぐに、降伏の合図が出た。
そのまま、宴となった。輸送隊が禁衛府より到着し、物資が配られる。酒の類もあるようだったが、オフェリアは固辞した。ディリも受け取らなかったようだ。軍の糧秣を口に入れながら、将を集めて話し合った。 フィアの話によると、アマリアの動きが凄まじかったらしい。本部の戦線を突破して包囲をしたのは、彼女の力によるところが大きかったのだ。ディリがただついてくるので必死だったのと比べ、随分と勇ましい。 第二師団も精鋭だ。だが、それ以上に第一師団が強すぎる。兵の練度も生半可なものではない。指揮の優劣もあるだろうが、動くのは兵士なのだ。指揮官の望むままに動かなければ、作戦は遂行出来ない。 「どうした、ディリ?お前は政治より戦に才があると言っていたじゃん」 「それが、陛下。正規の戦闘は初めてなのです。シリウスでは非正規戦ばかりでしたので」 数多の部隊の行動を掴み、的確に動かす。諸将と連絡を密にする。ゲリラ戦や破壊テロには不必要なことだが、正規戦となるとこれらの要素がまず第一に必要とされる。それを肌で体感したというのは、今後の糧になることだろう。 「負けるはずがない。そう思います。この軍が、負けるはずはない」 ディリは嬉しそうに立ち上がり、高地に立った。見下ろす。兵士たち。これがフルジア軍なのだ。精強で、規律のある、彼がいつの日か憧れた軍。 まだ目覚めていないのだ。この軍は。裏切り者を討って初めて、この軍は存在価値を表現することが出来る。必ず。必ずだ。この剣を背徳の女、その胸に突き立てる。 「――――大きくなった。実に、大きく。明日はまだ、遠いけれど」 オフェリアは立ち上がり、ディリの隣に並んだ。眼下の兵士たちがその姿に気付き、腕を上げた。声を出した。勇みの咆哮。全てが、前に進んでいる。大きく進化している。まだ、届かない願いに向かって。 胸に手を当て、祈った。過去に彼らを率いていた頃より、膨らんだ胸に手を当てて。
「
5 「閣下、フルジア軍が遂に動きました。レグルス軍が出撃。銀河系に入り、太陽系を目指しています」 フュンフの報告を受ける。トリトンのSSU軍が目障りになったのだろう。季節は秋を越え、冬になる。新年には侵攻作戦を開始できると思っていたが、予想より早い段階で先に進めそうだった。 私室を出る。大聖堂の中で、着衣を直した。 「ライルと話はついているか?」 「勿論。アハトに連絡をしますか?」 「そうだな。やれ、と伝えろ」 今、アハトはカメリア軍に潜入している。内部に工作員が一人。シリウスの情報は逐一、ルテティア・パリシオールムに入ってきていた。今頃は第二次ユドン条約の草案に目を通していることだろう。それに捺印するのが、アハトの仕事でもある。 シリウスを、落とす。正確にはシリウスの敵勢力を排除する。前作戦であるカウンター・パレードは成功と言われながらも、失敗だと思っている。戦線を絞って決戦を挑むやり方は、失敗だ。補給線を断たれ、壊滅の一歩手前まで追い込まれた。 総力戦。今度は局地戦を同時多発させ、戦線を引き伸ばし、多方面での戦闘を展開する。負けてもいいのだ。フルジア軍とは底力が違う。一度の勝利はもう踏んだ。次は、先に進むことだ。 トリトンとシリウス。そしてレグルス。戦線を三つにすれば、フルジアは耐えられない。そこまでの兵力はないし、物資も不足する。兵力も資源も、アンドロメダは無尽蔵と言えるほどにあるのだ。質に劣ったとしても、一人で百人は殺せない。逆に言えば、百人で一人を殺せばいいのだ。 「兄さん、どこかへお出かけですか?」 外に出ようとすると、後ろから声がかけられた。アデレードだ。フュンフを止めて、振り返った。 微笑が見える。美しい顔が微笑んでいる。だが――――偽物だ。自分も偽物かもしれないが、同じにするな。俺は、一人で歩き始めたのだ。自分の道を。 フュンフの腰に手を回し、実弾の銃を引き抜いた。構える。何も考えず、撃った。 「心配はいらん。上に本物がいる」 拳銃を返し、死体に少しだけ目をやって、興味を失った。偽物。贋作。この女と同じ末期だけは、迎えない。運命になど縛られない。 ドアを突き飛ばすように、開けた。射光。長い階段の下に、ひしめく群れ。皆、同じ顔をして。同じ姿をして。偽者の集まり。それでも、運命を蹴散らそうとする独立の志士。 「神皇閣下」 「フリューリング。準備は出来ているのか?」 長い髪の男を見る。髭を生やしたその男は大きく頷いた。その背後に弟の姿。短髪が印象的なゾンマーと笑顔のヴィンターが控えていた。 「妹はどうした?」 「ヘルプストはルテティア・パリシオールムに乗艦しています。すぐにでも、出発は可能かと」 新たな戦艦を建造した。大量に兵を動員することを念頭に置いた輸送艦と言っていい。フルジアと戦争をするのに、戦艦は不要だった。陸上兵力。それこそが、重視すべきもので、唯一の勝機。戦艦だけのフルジアは、点は占拠できても面を制圧できない。 階下。千体の、オフィーリア。どれもが 敵は、ただひとり。 デリヴァランス・オフィーリア。オフェリア・ネブカドネツァルただひとり。 「これより、第二次反攻作戦『 そうして、神と呼ばれるのだろう。尊崇は実績から生まれる。神となりたいわけではない。戦争の英雄となれば、そう呼ばれるだけだ。この戦争を終わらせれば、そう呼ばれるだけだ。平和な世界を築けば、神を騙る偽物が、本物になる。
「勝利を。その手で願いを果たせ、その手で世界を築け――――!」
階段を進んだ。振り返らなかった。虚偽の楽園に用は無い。これからは、戦いの刻。己の存在意義を勝ち取るための、戦いだ。戻らない。戻れない。戻れるのは、まだ遠い先の話。 オフェリア。その美しく涼やかな顔に、銃弾を撃ち込むその時まで。
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