新生。 新たに生まれ、新たに変わる。 一つの時代が終わり、蒼い旗が立つ。 白狼が生きるのは、新時代より。 新たな剣の下、餓狼、天に届く。
1 羨望。丘の上から見下ろした風景。街道を整然と進む、隊列。軍規は厳しく、精鋭らしい整った動きは美しくある。これから、戦いに赴く戦士たち。ふと、その中の一人と目が合った。突風。風が巻き起こる。強い視線。少しだけ気圧される。 年が明け、先帝の喪も終わった。同時にフルジア帝国は行動を開始したのだ。出兵。自領で起こり始めた反乱に対するものだった。先帝ネブカドネツァル二十世の死はそれほどまでに衝撃で、支配領土では今が好機と反乱を起こす勢力があった。 崩御から一ヶ月。フルジアという強国の土台が揺らいだ。そう思われている。英雄の死により、これから崩壊が始まるだろう、と。故に、独立するように反乱を起こす者たちがいるのだ。 十七歳。金髪の少年は、フェンス越しに討伐に向かう軍を見下ろす。 愚かだ、そう思った。分析する限り、新帝は無能ではなかった。むしろ、優れている。続発する反乱を喪という名目で放置し続けてきた。一ヶ月。その間に反乱勢力は相互協力の体勢を作り、兵力も増している。 それを新帝は待っていたのだ。反乱は、叩き潰す。それも完膚なきまでに。単独で小さな勢力の反乱なら、軍が動いただけで沈静化してしまう可能性もあった。腐っても帝国軍には勝てないと判断されるだろう。だが今なら、正面から衝突するはずだ。 反乱分子が出てくるのを待ち、しかも集約させ、一気に殲滅する。以後の反乱を潰すには、効果的である。ここで根絶やしにしておきたいのだろう。そこまで考えて、新帝はやはり優秀で、反乱軍は乗せられているとしか思えなかった。 暴君か、あるいは名君か。まだ二十一歳と若い。両方の素質を持っている。 下にいる家臣たちも優れていた。軍はティンクベルンがしっかりと目を光らせ、フォンアイツェルン、ガヴォットと将軍たちも健在だ。政治面でもブリーゼマイスター、リヴァンスツォンを中心に、固まっている。その頂点に優秀な皇帝ときている。フルジアはなお、いや、下手をすると以前より強固だ。 しかし皇帝はなおも人材を欲しがっていると聞く。種族、階級を問わず人を見ている。蓄電した国防長官の座をかけ、没落した貴族を競わせている。レティツィア家という下級貴族の娘を側近に取り立ててもいる。人が国を作るということを理解しているのだろう。 仕官をすれば、受かるという自信が少年にはあった。ブリーゼマイスターより政治は見えるという自負もあった。だが、仕えようとは思わなかった。プライドというわけではなかったが、争いや政治はもういいと思っている。 すでに軍は眼下にいない。それでも、いつまでも少年は街道を見つめていた。
子供だということで、シャルンホルストはレジスタンスに、半ば強制的に組み入れられた。遊びながら見張り役をする、伝令を務めるなどの任務があった。フルジア占領下のシリウスで、抵抗活動を行っていたのだ。 あまり乗り気ではなかった。周りの子供たちもそうだった。大人の中でも、そういう人物はいた。ティンクベルンのシリウス統治は決して悪いものではなく、むしろアンドロメダに属している時より生活水準は向上していた。機械の導入と、大軍の駐屯によって商業は活性化していた。 シャルンホルスト自身も、フルジア軍に好意を持っていた。女性が多かったが、凛々しくて格好が良かった。服装を真似たりしたものだ。彼らは決して横柄な態度をとらなかったし、近寄ってくる子供に対しても優しかった。 アンドロメダの軍は逆だ。まだフルジアが来る前、太陽系同盟軍が駐屯していた。前衛基地にしようとし、建築物を作る時には強引に民家を破壊したり、人々を労務につかせたりもした。 だから、スパイのようにフルジア軍を探るのは嫌いだった。レジスタンスこそ敵のように思えたのだ。かつてのSSU軍の如く。 やがて戦いが始まった。ユドン市南部で激戦が始まったが、しばらくは何も無かった。だが南部要塞が抜かれ、市街戦が始まると様相が一変した。フルジア軍は早くから北部への疎開を推奨し、軍を使って住民の避難を支援していた。市街戦が始まる直前、強引に連れ出された民間人もいたという。 市街戦になると、リューヴ軍はユドン市を攻囲し、街は餓え始めた。ショッピングセンターから物が消え、残っていてもリューヴ軍が略奪した。やがて民家にも押し入るようになった。補給が無いのは、リューヴ軍も一緒だったのだ。 レジスタンスはリューヴ軍と戦う自衛軍のようになった。シャルンホルストは、頷いた。作戦を立て、時には指揮官としてリューヴ軍と戦った。 皮肉なことに、その勉学が戦争に役立ったのだ。だが勝てるわけもなかった。レジスタンスは崩壊し、そのリューヴ軍も崩壊した。ディリゲント・シャルンホルストはシリウス難民としてフルジア軍に救助され、本国へ送還された。 こうして、フルジアの難民キャンプで生涯を終える。故郷に戻ることもなく、戦に巻き込まれることも断り、何の変哲もない人生を行くのだ。
翌日、紙に書き付けた報告書と上申書をキャンプのリーダーに渡した。フルジア政府から仮設住居を設置する通達があり、衛生施設や給水施設からの位置関係などを考慮して設置場所を計画したのだ。あまり過密にし過ぎても問題がある。 シリウス・キャンプはフルジア都から南西部の郊外に設置された。北には工業地区がある南の外れだった。もちろん、フルジア住民とは隔絶されている。フェンスで居住区域が定められており、その中では自由だった。外に出るのに許可が必要というわけではないが、上下関係の激しいフルジアという社会に飛び出そうとは思わなかった。 テントが並び、政府が設置してくれた各種施設がある。食糧は週に一度、配給される。食糧事情は悪くなかった。衛生環境も良好とは言えないが、今のところ疫病の発生などはない。フルジア政府の手腕はさすがで、ディリゲント少年が口を出すことは何も無かった。 だが、仮設住宅を設置するとなると、話は変わってくる。シリウスに帰還するかどうか、あるいは帰るとしても遠い将来になるのか。ここにいれば、食うには困らない。衣服も与えられる。だがユドンは、壊滅したのだ。 どれほどの数を、どこに設置するか。調査をして、ディリが決めた。およそ七割は残る。一割はフルジアでの就職が決まり、二割がテント生活を望んだ。 ディリの役割は、もう無かった。テントの中で、うずくまる。働こうとも、学ぼうとも思わなかった。戦いをしに兵士になろうとも、望郷の念さえ無くなった。このまま、ここで死ぬのだ。何もせず、何も残せず。 何故か、辛かった。
2 雪が降ると、皆がテントの中に入った。ディリは苦心して手に入れたラジオをつける。他の人間に見つかると面倒だった。薄汚れた服のポケットに入れ、目を閉じて聞いていた。 優しい声だ。この歌手は本当に好きだった。アリア。歌が流れている。それだけで、ささくれた心が癒される。しばらくすると、録音された楽曲ではなく、肉声が流れてきた。 「えぇ、皆さんこんばんはー。ここルテティアからわたし、アリアがお送りするこの番組ももう三回目。さぁいつまで続くのかなぁ?」 思わず、顔が綻んだ。どうやら冠番組をもらったらしい。テレビではなくラジオ、というのが彼女らしいと思った。今年から始まったようで、不慣れな司会だった。 「えと、じゃあもうめんどくさいんでゲスト呼びます。もしもーし、第三回目のゲストのフィルウィリミテア教神皇、オフェリア・“ルートヴィヒ”・フォーレ様でっす」 「……ねぇ、アリア。俺、ラジオ出演、聞いてない」 暗く沈んだ、女性のような声だった。オフェリア・フォーレ。騙されたのか。滑稽な話だ。ディリは無意識のうちに笑い声を漏らしていた。事の流れとしては、アリアが生電話かけたら、ラジオ出演だったらしい。 「まぁまぁいいじゃないですか、陛下。今ナニしてたんですか?」 「家でご飯食べてる」 「はい。じゃあ近くに誰がいますか?」 「フィア。無言で聞き耳立ててる」 「じゃあここでお手紙コーナーっ」 「……そもそもお前さ、俺の話膨らませようって気、ないよね?」 「はい、CM中にどしどしお手紙送ってね。オフェリア様に対するご意見ご質問ご感想どうぞぉ」 酷い番組である。スポンサーのコマーシャルが流れ始め、ディリはラジオを取り出した。これで直接メールを送ることも出来る。何となく、送ろうと思った。遠く離れた星へ、思いを。この身の不遇を嘆いても、どうせ異界の出来事だ。どうしようもないし、どうにもならない。 だからこそ、送ってみようと思う。愚痴のような、はけ口を。 「おっとぉ、オフェリア様っ、メールです。やったね初めてだよ〜」 「今時ラジオなんて誰も聞いてないからな」 切ない番組である。
週に一度の楽しみが出来た。心は快方に向かっているのか、それで少し、外に出ようという気にもなった。欲しいものがあるわけでもなかったから、金銭を稼ごうとは思わない。ただ、街並みを歩くのである。人の顔、物の流れ、街の空気、そんなものだけを眺めていた。 フルジアは、活気に溢れていた。物流が盛んで、経済が活性化しつつある。先帝の崩御した時はどうしようもない暗さと重さがあったが、全て消し飛んでいた。重税で人々は苦しんでおり、緊迫感のようなものはあったが、賑わっている。 図書館に行ってみた。読みたい書物などは無かったが、国際情勢を知ろうと思ったのだ。フルジアの図書館は新しく、蔵書数も多かった。ユドンより学べることは多い。そう思いながらも、ロビーにあったソファに座ったニュースを見る。 やはり、反乱は簡単に鎮圧されていた。一度の武力衝突で反乱軍は四散し、指揮官は殺されている。圧倒的な軍事力だ。自分でさえこう思うということは、反乱勢力はもっと怯えるだろう。 故郷のシリウス星はカメリア暫定王国軍が占領していた。オリオルにあった難民キャンプも解放され、ユドン市は徐々に復興しているという。ただ、フルジアと国交は無かった。旅客機でシリウスに帰還することは望めない。 そこまで眺めて、ディリは席を立った。何をしているのだ、と思った。自分は単なる難民で、将来の不安な、仕事も家族も無い孤児である。社会にうんざりし、世界に愛想をつかした。自分の才能は信じているが、役立てようなどと思っていない。 だと言うのに、何故、分析などをしているのか。自己嫌悪に陥り、ディリはシリウス・キャンプへ向かって歩き出す。 心のどこかに、妄想がある。それは自分が世界を動かし、あるいは世界を変えたいという願い。そのためなら命さえ惜しくない。この才で、世界を糾したい。そんな妄想があった。立ち上がりたいのだ。叫びたいのだ。ここにシャルンホルストはいるぞ、と。 嫌な男だ。救ってほしいと願いながら、自分で立とうとは思っていない。偏屈で狭量な自分に嫌気が差す。 それでもまた、メールを出すのだった。決して届かない、叫びを。
アリアに二度目のメールを読まれた後、詩を書き留め始めた。父は売れない詩人で、ディリ自身も昔は父に憧れ、手ほどきを受けたものだった。 そうして、穀物の入っていた袋の端に、文字を書き付けていく。一度始めると、止まらなかった。テントの住人は皆、仮設住居に移っている。一人きり、孤独な空間で、気付けば一日中、袋に向かっていたこともある。 心の声。目の前に書かれた文字群は、それだった。 胸の中に溜まった、澱み。濁ってはいない。腐っているだけだ。叫んだどころで届かない。声にしたところで聞こえない。だから、書いている。自分は小さな人間の一人で、難民。未来など無い。ここでこうして、朽ちるだけだ。澱みと共に。 唯一の抵抗が、刻まれた文字だった。何かを残したい。生きた証。抱いた夢。生まれた意味を。 書く場所が無くなれば、テントの裏にも書いた。何でも良かった。誰に読まれるわけでもないのだ。呪い。胸に澱む怨嗟の声。呪いに似ている。この思いは、腐りきっている。 認められないのだ。このままを。十七歳。このまま、腐っていくのか。耐えられるのか。だが、どうしていいのかもわからない。仕官をする気は、無かった。役所で小さな仕事を与えられるだけだ。大きなことをしたい。 大望。本当に、幻想だった。少年が抱く妄想だ。口惜しい夢が胸の中にある。しかし、もう何の熱も持ってはいない。諦観と希望の狭間で、自分はこうして、悶えながら腐っていく。 「ヴォルフガング・シャルンホルスト、俺だよ」 テントの入り口に、キャンプの統率者が立っていた。 話を聞くと、シリウスに帰る手筈が整ったのだという。フルジアの保護は受けられなくなるが、軍がシリウスに輸送艦を出して送り返してくれる。ユドンの復興という仕事もあり、またオリオルにいる縁者を頼って帰還する者も多いという。 キャンプの大半が、帰りたいと伝えていた。彼はそれを教えに、ここに来たようだ。帰れる。だが、帰ってどうするのか。カメリア軍が用意した仕事につき、ユドンを復興させるのか。労働者として帰還するというのも、悪くはない気がする。 「しばらく、考えさせてください」 「おう、いいけど。答えが決まったら俺に言ってくれ」 即答が出来なかった。ユドンに帰って、働く。他の人と同じように、だ。 違う。そんなことをするために、生まれてきたのか。瓦礫を退かすために。街に電柱を立てるために。違う。本当は、そんなことはしたくない。 誰か、救ってくれ。そう思いながらも、心は帰還したがっていた。たとえユドンの政治家になったところで、何が変わるわけでもないのだ。 人は、他の人と同じであるからこそ、普通だ。政治家になろうが労働者になろうが、きっと他の誰とも変わらない。それが、現実で、腐った夢の帰結だった。
3 テントの外は、かなり片付いていた。帰還組の人々は徐々にフルジアを離れ始め、すでに三割の人間はシリウス・キャンプから消えている。設置された仮設住居の撤去も始まり、ひどく、広々と感じられた。 フルジア軍が撤去などを行っているようで、キャンプの中でも彼らの姿が見えた。その光景を眺めていると、ふと、指揮していた人物が近寄ってきた。 「どうしました?撤去がそんなに珍しいですか?」 穏やかな物腰で、言葉も丁寧だった。こんなフルジア兵を、好いていたのだ。軍服ではなく、私服の女性だった。ディリは首を横に振る。暇だったから眺めていただけだ。そこに意味はない。 「……少しは残しておいてください。僕は残りますから」 絶望の声。拒絶の声。世を捨てた、いじけたひねくれ者の声だ。 「何か事情がありそうですね。何なら、聞きましょう」 喋ってみたい。そんな衝動に駆られた。朽ち果てていく中で、誰かに想いを知ってもらいたいのか。一度、心がそう思うと、歯止めが聞きそうになかった。 作業は別の誰かに指示され、女性はついてきた。並んだテントの中に、すでに人はいない。テント住まいをしていた人間は、長くここにいるつもりがない人ばかりで、シリウス帰還が決まった途端、即座に出てしまったのだ。その中の一つに、入った。 女性の座る仕草がひどく、目に付いた。動作が堂に入っている。優雅、というわけではないが、気品があった。おそらく、貴族なのだろう。あまり衛生環境がいいとは言えない場所だったが、気にもしていないようだった。 「それで、どうして君は残るんですか?ここにいたって仕方がないでしょう」 「いいのです。ここが僕の居場所、ですから」 言葉は、あまり上手く言えなかった。つとつとと、途切れながら話した。流れるように語ることは出来なかった。怨嗟だからだ。呪いだからだ。絞るように、胸から零れ落ちていく気がした。 「これでいいのか、と思い悩むことはあります。学んだものを、吐き出せずに朽ちていいのか。修めたものを、腐らせていいのか。何か成す為に、人は生まれてくるのではないか」 「ならば、立ち上がればいい。座していては何も始まらないのです、シャルンホルスト」 「……何を始めると言うのですか。戦って人を殺すことを?僕はもう疲れた。人と同じに生きるのは御免です、何かを残したい。生きた証とでも言うのでしょうか。ですが、それが何かわからない。今は戦乱の時代、百人を斬り捨てることでしか残せないなら、僕がこの世界にいる必要は無い」 共に戦おう、とは彼女は言わなかった。拒絶。世界に対する拒絶しかなかった。 それからは、自分のことを話してみたりした。シリウスで戦わされたこと。ユドンで家族を失い、流されるままフルジアに連れてこられたこと。不幸でしか彩られていない己の歴史を語った。 彼女は特に慰めることもせず、頷きながら聞いていた。オマエのせいだ、と嫌味をこめて言ったつもりだった。軍がある。戦争がある。だから、人が死ぬ。彼女が戦をする人なら、責任が無いとは言わせない。 言葉が、途切れた。そのまま流れなくなった。話は終わったのだ。語るべきことはもう何も無い。彼女は音もなく立ち上がり、去ろうとしている。去る。いいのだろうか。去ればいい。皆、誰もが、ここから去ればいい。自分はここに立ち止まり、座り込むのだから。 「座しているのも、また人生だ。だが私、オフェリアは、また出会うことを期待している」 去っていく。オフェリア・ネブカドネツァル。皇帝の名前だった。
三度目のラジオを聴きながら、ディリの手は止まっていた。書き付ける言葉はある。だが思いは違う場所にあった。 オフェリア。皇帝は難民キャンプなどに現れ、拗ね者の話を黙って聞いていた。大きい。度量の大きさ、器、全てが自分とは違っていた。皇帝は立ち止まらない。常に前を見て、走り続ける人だった。自分とは違う。住む世界も、見ている世界も。 それが、悔しかった。初めてだ。初めて、自分より優れた人を見た。優れていると思っている人物と会ったことはある。だがいずれも、論破されたことは無かった。世界を動かす人物を、この程度かと失望しただけだ。 だが、オフェリアは違う。到底、自分の敵わない相手だった。見下すこともせず、黙って聞いていただけだ。自分には出来ない。 当然だ。オフェリアは皇帝で、優れている。自分とは違って当然だ。 考えるのを、やめた。寝転がって、アリアの声だけ聞き続ける。耳に心地いい声。そして歌。オフェリアやアリアのようになりたいわけではなかった。ただ、夢が。 なら何が出来る。何を成せる。闇がそう呟いている。呻き声だけが反響した。自分のものだ。自分の口から、漏れたものだ。何をしたいのか。ただ世に拗ねているだけだ。本当は何も出来ないのではないか。 いや、何か出来るのだとしても、座しているだけだ。 「失礼するよ。私の家のラジオはオリヴィアが占領していて」 不意にテントが開いた。オフェリア。笑顔を向けて、私服で訪れてきた。ディリは即座に座りなおした。オフェリアはテントの裏側に書かれた文字を眺めながら、適当な場所に座った。喋らない。アリアの声だけが、場所を支配していた。 「そういえば、この前、君はアリアにメールを送った」 内容を、オフェリアは知っていた。自分の不遇を嘆く文章、世界をこう変えるべきだという提案。とにかく、心が発した叫びだった。 「私とアリアは友人で、幼馴染でもある」 今日は、オフェリアが語る番だった。人生。オフェリアが歩んだ人生を、語った。聞いているうちに、ディリは自分の頬が濡れていることに気付いた。涙。どうしてか、涙が流れる。 悲愴だった。そして、孤独だった。自分の不遇など、ちっぽけなものだ。オフェリアは過酷な人生をたった独りで、誰にも理解されることなく歩み続けている。それは今も、変わらない。 いつしか、アリアの番組は終わっていた。聞こえなかった。目の前の皇帝しか、もう見えていない。 「比べてはならない。比べるべきでもない。だけど私は、どうしても君が、昔の自分に見えて仕方がない」 神の如き才能を与えられ、活躍の場を奪われた。居場所も、家族さえも奪われた。それでもオフェリアは、立ち上がったのだ。どうしてだ。問いは皇帝と、自らに。黙ったままのディリに、オフェリアはそんな理由を言っていた。 似ている。ならば、自分は何だ。うずくまり、座っているだけではないか。 このまま、生きられる。だが、そこに価値は無い。 「前も言ったが、座して口に糊をするのも人生。それを咎めることなど誰にも出来ない」 颯爽と、去っていく背中。白金に似た後ろ髪が揺れている。 また、呻き声が聞こえた。
久し振りに、外に出た。幕の中にいると、腐敗した心が溶け出しそうだったからだ。 自分は何だ。人だ。オフェリアも同じ、そこを行く人もまた、同じだ。それでも座っているだけの自分が、わからなかった。羽ばたこうと思えば、羽ばたける。その先の空に希望を持てず、羽ばたくのをしないだけだ。 だが、オフェリアなら。オフェリアならば、そんな空を希望で染め上げてくれるだろう。 似ているのならば、きっと同じ空を見上げられるはずだ。そう思った時、目は大きく華麗な建築物を映した。宮殿。気付けば宮殿の前まで歩いていた。だが、階段を上ることは出来なかった。 卑屈だ。何と卑屈な人間なのか。一歩、足を前に出したとしても、オフェリアの場所まで辿り着くことは出来るのか。いくらオフェリアといえども、世界を変えることは出来ない。どれほど希望を持ったとしても、人一人では、何も変えられない。 平和など築けるはずがない。世界など変わるはずがない。
シリウス・キャンプからほとんどの人が消えた。残っているのはごくわずかな人々で、シリウスに帰る人ではなかった。ここに残る。そんな人だけだ。 キャンプ全体を片付け、新しく整備するのだという。フルジア軍がかなり大掛かりに撤収を始めたため、ディリはキャンプから出た。夜になればまた戻り、眠る。もう何千も暮らしている場所ではないのだ。縮小するのも当然だった。 散歩をする。毎日、コースは決まっていた。図書館に行き、書物を読む。それから、やはり無意識のうちに宮殿の前に立つのだ。今日も同じだった。夕暮れの宮殿は赤く染まり、家に帰る貴族たちがまばらに現れ始める。 おそらく、自分はオフェリアを探しているのだ。そして何と、言われたいのか。 日が落ちるまで待ったが、皇帝は出てこなかった。諦めて、日々に帰る。挫折に、帰るのだ。大通りを南に向かって歩き出す。周りの人々。様々な顔。やはりこうして、日々を生きるのが人というものなのだろうか。普通というのを求め、生きることこそが。 ふと、何か聞こえた。ラジオから流れる歌のような、奏。風に乗って流れて来た音楽を、耳で辿り、歩き出す。口笛のようだった。東へ向けて歩む。民家などない。ちょうど、シリウス・キャンプから真東の外れだ。 さほど歩かず、白い館が見える場所に出る。目の前には、笑顔を見せるオフェリアがいた。ああ、この笑顔が見たかった。吸い込まれるように、ディリは近付いた。
「共に進もう。明日は訪れるものではなく、私たちが作るものだ」
自信。そして、威厳。目の前にいるオフェリアは、とにかく大きい。いつかこのような人間になれるのだろうか、と場違いにそんなことを思った。 手が差し伸ばされていた。もう、悩みなどない。そうだ。変えられるかどうかではない。変えてしまうのだ。精一杯生きて、その結果でしかない。自分は今、生きてさえいない。死んでいる。蘇らせてくれるのか。 「はい、陛下。御供させて、いただきたいと願います」 「私が頼んでいる、ディリゲント。共に、歩こうと」 一つの時代が終わった。終わったままか、あるいは、新時代か。 その時代を作るのが、我々だ。作らなければならない。強い、使命感のようなものをディリは感じた。
4 翌日、宮殿の会議室のような場所に呼ばれた。中にはフィアという女性が待っていてくれた。オフェリアの側近らしい。挨拶をすると、無表情で座るよう指示された。待ち続ける。続々と人が入ってきた。それでも、数名だ。数えるほどしか集まっていない。 最後に、オフェリアが入室した。それで、全員らしい。 「困りますね、陛下。私はセシル・バルツァーとしてやってきているのですが」 「悪いな、ゼクス。これが最後だ」 バルツァーはリューヴ政府の外務次官だった。先帝の弔意を表明しにやって来たのだ。他に六名。その中にはフィアも含まれている。これが何の集団なのか、ディリには見当もつかなかった。 「ヌルトの脱退によって、ヴェルクの維持は不可能になった。給金も払えない。ヴェルクは解散する。いや、私が引き継ぐのだが、それはフルジアの情報機関として、ということになる。そこでレギュラーの皆には、どうするかここで決めてもらいたい」 クンスト・ヴェルクという情報機関。ヌルトはリディアーヌ・ラ・フォリアだった。まとめる人物がいて、初めてヴェルクは成立するのだ。独立し、独自に動くレギュラーメンバーだけでは成立しない。このままフルジアの間諜となるか、あるいは独立するか。 「アインス、それにドライとフィアは決定だな。アハトもすでにアインスの下にいる」 「私はリューヴ政府に残ります。ツヴァイ、貴方を裏切るようで心苦しくはありますが」 「気にするなよ。ズィーベンはどうだ?」 「オレも、部隊に戻る。案外、居心地がいいんだぜ、コレが」 ゼクスはセシル・バルツァーとして生きる。ズィーベンもまた、所属しているリューヴ軍に身を埋めるつもりらしい。オフェリアはそれをあっさりと認め、頷いていた。 「フュンフは?」 「悩むところだ。が、やっぱいいや。俺も抜ける。何となくお前の下が嫌だ。人遣い荒いだろ?」 「ひどい話だ。ノイン?」 「ヴェルクに残ります。誰かの指示がなければ、自分は役に立たないと思いますので」 「わかった。残るのはフィアとノインだけだな」 オフェリアは立ち上がり、何かを机の上に滑らせた。それが現金で、脱退を決意したレギュラーメンバーに渡される。 「退職金と思ってくれ。今まで、共に過ごせて楽しかった」 「ああ、オレもだ。気に食わなかったが、最高のエージェントだったよ、ツヴァイ」 「それは、皆だ。これ以上優れたメンバーは、きっといない」 最初にフュンフが立ち上がり、それから徐々に人が減っていった。ドライだけが脱退メンバーの中でも残っている。どうやらオフェリアの護衛を命ぜられているようで、しばらくフルジアに滞在するのだという。個人的に親交があるらしい。フィアとノインだけが所在無さげに立ち尽くしている。 初めて、オフェリアと目が合った。ようやく自分の出番があるらしい。 「ディリ、フィアとノインは情報組織の人間だ。知りたいことがあるなら、彼女らに聞くといい。上手く、使え」 顔合わせの意味だ。ディリは立ち上がり、何となく頭を下げた。
「最初から出来る人はいない。皆、教育される。まずは私の側にいなさい」 執務室で二人きりになった時、そう言われた。正直、安堵した部分がある。まずは才能を見極めようというのだろう。それより何より、オフェリアから学べるというのが嬉しかった。ディリは独学で勉学をしたため、師というのはなかった。 だが、同時に不思議な感情もあった。フルジアの教育方法だ。貴族の義務といっていい。稚児として預かり、育てる。その中には夜伽の技なども含まれるという。オフェリアは先帝と、まさしく寝食を共にした仲である。シリウスとは違う文化に、戸惑いを隠せなかった。 奇妙な感覚がある。オフェリアは女性に見えて仕方がないが、男性と言っていた。ディリは同性愛というのがわからなかったし、するつもりもないのだが、オフェリア相手なら有りではないかと思う。期待、というほどではない。故に奇妙なのだ。 「え?あー、うん。そーゆーのはどうしようかね?」 思い切って、ぶつけてみた。するとオフェリアは照れたように言葉を濁し、目だけが笑っていた。その困った表情に、一瞬、心が動いた。元から綺麗な人ではあるが、こういう表情をすると可愛い。威厳と迫力がまるでなくなり、普通の女の子に見えるのだ。 「まー、お前にだから言うけど」 性別がない、と彼か彼女かわからないが、そう言った。見た目は本当に女性だった。体つきは痩せていて、どちらともとれる。そこまで考え、深く読むのはやめた。オフェリアは性別がない。それでいいではないか。間違っても惚れていい相手ではない。 「だから、パス。そういうのはお前が愛した人を相手になさい」 「はい。少しばかり残念ですが、ね」 「……まぁいいけど。さて、そろそろ本題に入ろうか」 浮ついた空気が、引き締まる。オフェリアは微笑したまま、ソファに座った。ディリも勧められ、対面に座る。今日のオフェリアは着流しのような服を簡単に着こなしているだけで、胸元が見えて少しドキドキした。 「市街の治安がなかなか落ち着かない。原因であるシリウス・キャンプを外したいと思う。ディリ、意見は?」 心臓を掴まれたような、言葉が聞こえた。深く考える。シリウス難民が市外にキャンプを作ったことで、民が流入した。そのせいでフルジア人は怖がりもするだろう。だから治安が浮つく。難民キャンプを除去するという目的があって、オフェリアはシリウス帰還を行ったのか。 決して、甘さがあるわけではない。今の一言で、オフェリアという人をまたひとつ、知った。当然だ、甘さなど、人の上に立つ以上は捨てなければならない。 「強制退去。しかし、僕は賛成しかねます。人々がフルジアに馴染むには、定職につき、フルジア人と同化することが大切だと」 「よろしい。そうだ、ディリ。情も甘さも不要だが、優しさを捨てるべきではない。人として、無くしてはならないものがあると私は思う」 どうやら、試されたらしい。いい分析をした、なおかつ、オフェリアが満足をいく答えをした。 「そのために、我々が何をするか。そこなのだ。政府として、難民を公共事業により雇用する。そんな感じで、だ。それを考えるのが、ディリ」 人差し指で示される。少し考えてみる。住み込みの仕事。その仕事を作るのだが、全く意味のない事業では効果が薄れる。労働者としての価値。そして事業としての価値。相互作用を生み出せば、ふたつは上手く合致する。 執務室のドアがノックされる。青い髪の、ディリとさほど年の離れていない青年だ。ティア、といった。カメリア人で、クンスト・ヴェルクの第三位エージェントだった。 「クソ野郎が会いたいってよ、オペラ」 「……やっと腰を上げたか。追い出してやる。ディリ、来なさい」 ティアもオフェリアも、表情に怒りが満ちている。一体どんな人物が面会を求めているのか。それよりティアの言葉も凄い、と思った。愛称で呼び、しかもクソ野郎ときた。 貴賓室に入る。中にいたのは、カメリア人が三人。直立している護衛と、ソファでくつろぐ使者だった。フェリーチェ・パヴァロッティというカメリア軍の使者。この人物と交渉し、オフェリアはシリウス人を帰郷させたのだった。 「オフェリア様、どうして僕を同席させるのですか?」 耳打ちしてみた。小声で答えが返って来る。一人だと殺してしまうかもしれない。さらりと怖いことを言って、オフェリアは無表情のまま対面のソファに座った。さすがに座るわけにもいかず、相手の護衛と同じようにオフェリアの後ろに立った。 「シリウス人は皆、帰郷させましたから、帰ろうと思います」 「帰れ」 一言。フェリーチェの表情が強張ったのが、ディリからもはっきりわかった。 「だが、その前に。オレは貴方と和解しなければならない」 「和解って何だ。別に私は怒っていない」 「何が気に入らないのか知りませんが。背後からカティアを襲わせるわけにもいきませんので」 カチン、と。スイッチが入った気がした。 地面を蹴り、跳躍する。護衛二人の顔面をオフェリアは握り、フェリーチェの眼前に仁王立ちした。表情は見えないが、見えない方がいいような気がする。 「ほうら、ソレだよ皇帝陛下」 「貴様こそ礼儀を知らんようだ。主君を呼び捨てとは」 「ああ、馴染の女ですからね」 くしゃ。護衛二人の頭が無くなった。二人の死体が地面に落ちる。ディリは失禁しそうになるのを、何とかこらえる。怖い。怖すぎだよ陛下。というか、人がいても殺すんじゃないかこの人。 血を頭から浴びながら、フェリーチェが立ち上がる。背は高い。見上げるオフェリアの額に鼻をつけ、思い切りに睨みつけている。 「来るか、フルジア?」 「死ぬか、カメリア?」 不意に、フェリーチェの拳が振るわれた。オフェリアは軽くいなし、左手を首に伸ばす。一瞬。蒼く輝いたような気がした。フェリーチェが倒れるように、ソファにダイブして転がった。崩れた体勢のまま、オフェリアを見上げている。 「いい証拠が出来たようだな。帰って国に自慢するがいい。フルジアの皇帝に殺されかけましたとな」 「必ず、テメェを殺してやる」 首に三本の火傷のような跡を残して、フェリーチェは駆け出していった。 「今度は王女を連れて来い」 「絶対、嫌だ」
5 オフェリアという人物は、午前に出仕して深夜に帰る。郊外の邸宅に家族と住んでいるようだ。だが規則的というわけでもなく、宮殿で寝泊りすることもあれば出仕しないこともある。 仕官してちょうど一週間。公益事業について思案したことを伝えようと思っていたのだが、午後になってもオフェリアは宮殿に顔を出さなかった。ただ側近であるフィアがいたため、そちらに話を通そうとした。 家の場所を教えられ、直に会いに行けとフィアには言われた。まだ冬の日。晴天だったが、肌寒い。ディリは端末に資料を詰め込み、レーヴェ邸に向かっていた。フィアは実直で優秀な事務官で、自分の職務を確実に遂行し、決して逸脱はしない。しかし頑固なわけでもなかった。信頼が厚いのもわかる気がした。 レーヴェ邸は、さほど大きくのない屋敷だった。ヴェルブングやギーゼルベルトと比べると、かなり質素なものだ。元々レーヴェ家は二級貴族だからだろうが、住居を変えるつもりがオフェリアには無さそうだった。郊外にあるため、周りは自然しかなかった。庭が広い、というのがまず印象に残る。 「おや、君は確か陛下に登用された」 「はい、ヴォルフガング・シャルンホルストです、司令官」 家に近寄ると、ちょうど中から人が出てきた。ヴェルブング・ティンクベルン連合軍司令官。雲の上のような人だが、気さくに声をかけてくれ、名乗った。彼は頷くように首を振って、そのまま去ってしまった。どうやら司令官との話し合いを内密に行うため、オフェリアは家にいたらしい。 玄関では、王女ゲオルギーネが出迎えてくれた。挙措などがたおやかな、高嶺の花という呼び方がぴたりとはまるような人だ。皇帝陛下よりよっぽど王族らしい。中に案内されると、オフェリアと少女が向かい合っていた。 「あれはオリヴィア。兄上様の妹君ですから、わたくしの妹になりますね」 オリヴィアは口が利けないのだという。顔は可憐で、オフェリアによく似ていた。ゲオルギーネとの血の繋がりがない、ということをディリは知っていたが、どうやらオリヴィアとオフェリアは本当の姉妹のようだった。 ふくれっ面で、オリヴィアはオフェリアから視線をそらせていた。口は利けないが、感情は出せる。オフェリアは可愛らしい白いニットの帽子を手に、困っている様子だった。近寄ると、外は寒いから防寒対策をしろ、と言っているようだ。 面倒なのでイヤです。オリヴィアの顔はそう告げている。 「オリヴィア、あまり兄上様を困らせてはなりませんよ。遊びに行くのでしたら、暖かい格好をしていきなさい」 ゲオルギーネが言うと、オリヴィアは頷いて駆け出した。そして部屋からコートと手袋をして家から飛び出していく。まだ十歳かそこらだろう。それにしては、清純な美しさというか、将来を期待させるような美貌がある。 「まったく、困ったものだなあ、ディリ」 「おや、私がいることにお気付きでしたか」 鼻で笑い、オフェリアは着座を促した。帽子をテーブルの上に置いた、その表情は寂しげながらも楽しそうだった。家庭。なくした何かが、きっとここにはあるのだろう。 「先ほど、司令官を見ましたが」 「ああ、今は新参も多く、体制を大きく調整する頃合かと思って。要職は軍部が独占しているから階級がまず第一、そして国政に関わる軍人以外の政治家に関する、序列のようなものだな」 例えば、近衛師団の副指令を務めるガヴォットと、国務長官として首相を務めるエーファ。階級だけだと、エーファは一般人になってしまう。そして新参であろうと、決して軽視してはならない位置をつける。序列というのはそういうことだとディリは認識した。 「体制をかなり変更している。軍も同様に、だ。これからは速やかに。長期戦など論外。そろそろ、戦争は終わらせなければならない」 軍の編成も変えていた。今まではリディアーヌ・フォリア率いる国内の第一軍、ヴェルブング率いる国外の第二軍と二分され、頂点にゲルトラウデ・ネブカドネツァルがいるという状況だった。総力戦となったシリウスでは国内軍も投入されたが、基本はヴェルブングが戦争をしていた。 オフェリアも、大きく二分していることには変わりない。だが、ひとつの軍団を増設していた。防衛師団と大書された資料を見る。今までの近衛師団の役を担い、フーガ家が指揮官になっている。代わりに、第一軍である近衛師団は、遊軍だ。オフェリア自身が率いる、遊軍。天下を奪うためのもの。 第二軍がギーゼルベルトの参謀師団で情報戦や治安維持に動く。これは国内軍で、数も少ない。第三がヴェルブングの外征軍団、第四がヴァルトラウトの機甲師団で役目は変わらないが、少しの兵力が第五軍の防衛師団に回されている。総数に変化は無い。 「先帝は滅多なことが無い限り、近衛を動かしていない。無駄だと思って。憲兵のように特務軍を常設していれば、実戦部隊が国内に留まる必要はない」 「軍のことまでは頭が回っていませんでした。私はシリウス移民について、答えを考えてみたのです」 「聞こう」 「はい。フルジアにて大規模な工事が必要とは思えません。援助を求めているのは、そして民の不満が多いのは、シーリアです」 ほう、とオフェリアは息をついた。間違っては、いないはずだ。この皇帝を超えることは難しい。だが、認められたいと願っていた。ディリはシーリアについての見解を述べ、公益事業の必要性を説いた。軍による力の統治。それがシーリアの現状で、なおかつ総督のヴェルブングは前線に貼り付けられている。 「二日後、百官を集め会議とする。ヴェルをシーリアに戻し、前線はヴァルトラウトに任せよう。ここからは情報戦。アンドロメダの挙動を待つ」 「仰せの通りに」 「餓狼が天を得たかな。ディリ、参謀部につけよう。ギリーの部下という形にはなるが、しばらくは私の側にいるといい」 「参謀部と言いますと、軍事ですか」 「そう、その才能に自信があるだろう?」 「……正直に申し上げます。政治などは頭の中で考えたことがあるだけで、これで正しいのかと今、不安になっています。軍の動かし方や立案などなら、多少、経験しております」 「速戦に生きてきた。しかし今は、穀物が一朝一夕で生まれないということを身をもって知るといい。軍事だけでは、国は作れない。政治だけでも、力は足りない。その双方を理解することを覚えなさい。比重は均衡に、柔軟に」 「はい。また、学ばせていただきました」 どんどんと、賢くなれる。限界と思っていた知識が、オフェリアとなら突破出来た。充実している。愉しくもある。学ぶ。それが、全てだった。 ジーナが温かい茶を淹れて、居間に立っていた。ありがたく、王女よりもてなしを受ける。ここでは家族。自分の師の妹なのだ。師。オフェリアのことを、いつからかそう思い定めるようになっていた。万物、全てにおける教師である。 先生は、微笑むようにこちらを見ていた。優しい、蒼い目だった。
何度か、ディリの言葉を聞き逃しながら。うとうとと、オフェリアは眠ってしまったようだった。会話の最中に眠るなど、よほど疲れていたのかもしれない。この一ヶ月はほぼ不眠不休だった。いつまでも消えることの無い、執務室の灯火。身を削って、オフェリアは執政を指揮していたといっていい。 一言、眠ったオフェリアに礼を言ってから、体を抱き上げた。ひどく軽い。ディリは若いながらに体格も良かったから、なおさら、そう感じた。軽くて小さな皇帝だった。眠る姿は、少女のような可愛げと触れることをためらうガラスのような美しい気品があった。 ゲオルギーネを呼んで、部屋に運んだ。私室も質素なものだった。 「せめて夢の中では、安らかに」 一言だけを残して、扉を閉めた。ここにいるのは、皇帝陛下ではない。別のもの。オフェリアという一人の人間だ。寝ている時くらいは、安寧でいてほしい。どのような宿命も運命も、捨て。 「優秀な方なのでしょうね。兄上様が熱心に耳を傾けることなどしばらくありませんでした」 廊下を歩きながら、ゲオルギーネはそんなことを言ってきた。言葉には皮肉な含みがある。新参で、貴族でもない。制圧下にあった植民地の人間が、幕僚に加わった。良い感情で迎えられる人間が多いとは思えなかった。 実力を見せ付けるだけでは、どうにもならないこともある。序列とは、オフェリアが考えた苦肉の策なのだろう。 「特に、二級貴族にお気をつけなさい」 「ご忠告、感謝いたします」 「このレーヴェ邸は皇帝従属家である。従者である貴方がいることに不自然はない、ということも覚えておきなさい」 逃げられる場所、安全な場所。身を隠す場として最適である。何かが起こるかもしれない。その時には遠慮も無用だとゲオルギーネは胸を張った。 居間に戻ると、フィアの姿があった。相変わらずの黒衣。気配も感情も消された人物を眺める。窓の外を。見ている。雪に埋もれた庭がある。 「シャルンホルスト、陛下のご様子に変わりはあったか?」 「と、言いますと?」 「何でもいい。眠る間際、何をしていたのか。何をしていたのか。些細なことでも引っかかることがあれば教えろ」 フィアの厳しい視線には、慣れていた。そこに切迫した響きを感じてしまった。焦り。あえて言えば、そういうことだ。いつもとは、少しだけ違っている。 状況を説明すると、彼女は安堵した様子でソファに腰掛けた。気付かないうちに立ち上がっていたのだろう。膝の力が抜け、自然と体が崩れたようだ。 「睡眠障害というより疲労の蓄積という印象を受けました」 「多分、正しい。ここ最近、陛下の精神状態は充実しているのだろう。悩む間もなく忙しい、ということかな。ただ、昔を思い出す」 「昔ですか?」 「……陛下の母、実母だが。睡眠障害が元で亡くなっている」 初耳だった。両親を亡くしてゲルトラウデに引き取られた、というのがオフェリアの経歴だ。ゲオルギーネも聞いたことが無かったのだろう。やや驚いた様子で、冷めたティーカップを手にしている。フィアはオフェリアから直接、話を聞いているらしい。 「誰にも気付かれず、死を迎える。そんな終わりは寂しすぎる」 「今は気をつけたいですね。先帝の一件もあります。陛下の身に何かあれば、フルジアという国家は間違いなく危機を迎えます」 暗殺。フルジアは傾いている。かつての力を取り戻し、強国となるにはオフェリアの力が必要だった。オフェリアにもしものことがあれば、容易くフルジアは崩れる。それがディリにはわかっていた。戦争の勝利をアンドロメダが望むのであれば、第二、第三の工作員が送り込まれても不思議はない。 「そうかな。私には――――」 まるで、この国が。 オフェリアという人間の命で、購われているようだとフィアは言った。
二日後のことだ。政庁でシーリア案を煮詰め、ようやく上奏するほどにまとまった資料を眺めていると、宮殿に呼ばれた。百官が集められる会議。ディリは資料を手に、政庁を後にした。 宮殿前の長い階段。いつかの儀式のように、人で溢れている。人波をかきわけ、階段を上った。宮殿前の広場に、人名が大書された旗があった。民衆も、官僚も。誰もがそれを眺めている。 序列。その発表だと直感した。もちろん、先頭で翻る第一位の旗はオフェリア・ネブカドネツァルのものだ。 「来たか、シャルンホルスト。陛下も粋なことをされるものだ」 旗の下、シーリア総督帝国軍第二総軍司令官序列第二位のヴェルブングが笑っていた。それで、気付いた。旗の下に対応する人物が立っているのだということに。オフェリアの姿だけが、無い。 「王女様を差し置いて自分が三位とは思ってなかったですよ、ヴェル。どうして相談の一言もなかったんですかねぇ」 隣。国務長官序列第三位エーファが睨むようにヴェルブングを見ている。王女は序列第四位だった。第五位は空席。レグルス総督帝国軍第二総軍機甲師団司令官のヴァルトラウトは、まだレグルスに駐屯したままだ。 第六位にいる人物とは、初めて会う。ディリにとっては直属の上司に当たるのだろう。参謀師団長、デケネイア総督ギーゼルベルト。いかにも貴族らしい衣装に身を包み、視線を一身に集めている。目が合う。軽く頭を下げると、ギーゼルベルトは片手を顔の前で振ってみせた。 「ほら、皆さんお前待ちだよ。とっとと来い」 レオンハルト・ガヴォット二級貴族。第八位の旗にいた。隣の七位は無言の少女。オフェリアの妹であるオリヴィア・レーヴェがいた。第九位、フィラーナ・ノルマ。黒衣のフィアが旗の下に立ち、手招きをしていた。フィアの本名を初めて目にしながら、歩き出す。 第十位。ヴォルフガング・シャルンホルストは自身の旗を見上げた。 「私が……十位?」 「三位以内は名誉職のようなものだ。六位までも大した差は無い。ガヴォットは実務では国防長官を引継ぎ、オリヴィア様は陛下の妹君。シャルンホルスト、自信を持て。これからはフルジアのトップ10だ」 フィアの声が、どこか白々しく感じられた。いや、自分自身が浮ついていたのかもしれない。声は遠く、淡く。翻る旗しか、視界にない。 ここから――――夢が、はじまる。
( Person Rank 01-10 ) number 1 Kaiser Ophelia Nebuchadnezzar (Ophelia
Ludwig Gertrude Van Faure) ( Sub Person Rank 11-15 ) number 11 Defence
Colonel Sebastian Fuge
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