手は血と罪に濡れ、骸の野山に我は立てり。
 贖罪を知らず、罪悪も無く。
 ただ亡くした涙の声が聴こえた。
 それは、歌に似て。
 怨嗟の声は狂言が生んだ歌に似て。
 声を亡くした少年は、今日も歌劇の幕を開く。

 

 派手な爆音が木立を揺らし、新緑を散らした。さほど珍しくはない光景を背で感じ、少年はゴーグルの位置を調整した。視界の色彩を変えて、彼は是と頷く。

 生い茂る原生林。人の手がまったくといっていいほど加えられていない未開の地。第一歩は踏み出され、しかし第二歩は退路を遮断することだった。彼らは、着陸直後に自らの艦艇を爆破したのだった。

 後ろから、少年に対して声がかけられる。それは他愛もない、そして聞く価値すらない愚痴に過ぎない。男の野太い声。何の感情すら出さず、心から無視して少年は歩き出した。

「おいおい、帰る船を燃やしたってのに、誰も彼も興味ナシかよ」

 彼は大柄な体をオーバーな身振りで演出し、心底、残念がった。無論、本気ではないことを誰も彼もが知っている。

「未開の惑星というわけではない。探せば小型艇でも輸送艦でも見つかる。帰路を案ずるより、歌姫の位置を特定するのが、先だ。カント技師」

「当然なことを言う人だね、アンタ。オレは暗いジャングルの暗い顔二人を励まそうって魂胆なワケ」

 嘲笑に似た、抑えた笑い声が聞こえた。対するのは小さな舌打ち。後方に続く男性二人の挨拶はそれで済んだようだった。当然、残る一人である少年にも、興味の声がかかった。少年は再び背中で黙殺し、腰に取り付けてあるモバイルを外す。小さなディスプレイに、打ち込んだ番号が表記される。

 しばらく森を進むと、少し開けた場所に出た。森の広間、という感じの空間。体力ならまだ余裕がある。しかし、闇雲にジャングルを掻き分けるつもりもない。この場にいる三人とも、それは同様であろう。中背の男が腰を落ち着けたのを皮切りに、二人も足を止めた。

 三度、少年に声がかかる。よほど興味があるのか、あるいは喋りが好きなのか。二人は後者だな、と判断している。先ほどの笑いも、それが原因だろう。

「レーヴェ、といいましたか。それで、貴方がこの仕事を請けた理由は?」

 初めて、中背の男が興味を少年に向けた。姓を呼ばれ、顔だけは向けた。おそらくゴーグルが無ければ、嫌悪感をむき出しにしていることは悟られてしまっただろう。ここは社交クラブか場末のバーか。少年は心の中で吐き捨て、二人を見すえた。

 三人は互いに初対面だった。出発前に顔を合わせ、名を知り、即席の小隊ができあがった。仕事を請けた理由も、その思惑もまちまちだろう。ただ、それは仕事とは関係がない。目的に対する熱意になるのならばいい。要は、目的を達成すればいい。その経過に、仕事を選んだ理由は意味がない。少年はそこまで考え、やはり口を開くことを禁じた。

「オペラ・レーヴェ。私は貴方を知らない。それでは信じて背中を預けられない」

 真摯な瞳で、ゴーグル越しの目を見つめる青年。ひたむきに、信頼を押し付けてくる姿。答えはない。端整な顔が、やや厳しいものと変わった。青年は、何を言っても反応すら見せない機械のような少年に、わずかだが、失望を覚えていた。無言で任務にかかる姿は、頼れる背中だったためか。少なからず、頼れる存在になると期待していたのだ。

「……」

 答えは、未だ無い。ひょっとすると出るのかもしれないが、期待は別の声にかき消された。

 

 歌姫救出。彼ら三人が背負った任務は、遠く異国の星に落ちた歌姫を探すこと。

 世界は実に、巨大になった。争いもまた、大きくなった。人が人を傷つけ、村が村を追い、国が国と戦い、星と星が衝突し合う争いに発展した。彼らが生きる世界もまた、例外なく戦火に燃えている。銀河と銀河がぶつかる戦争は、広大な戦線と莫大な犠牲を生み、未知を伝える教師になる。

 誰もが思う。戦争など無いほうがいい。それを声高に謳(ウタ)う歌姫がいた。

「ディーヴァ様、墜落地点から動いていますか?」

 ノイズ雑じりの通信。連絡が入ったモバイルに向け、青年―――イザークが語りかける。彼の整った顔には、期待感も焦りも見えない。返す歌姫(ディーヴァ)の声は、その正反対ではあったが。イザークは冷静に、渡されたモバイルの向こうにいる歌姫へ声をかけている。

 歌姫はまだ十八の少女。しかし、年齢では片付けられない力がある。歌姫ことアリア・ローゼンミュラーは圧倒的なカリスマ性と、人々を惹きつける力を持った人物。

「わかりました。現在地から動かぬように。本日中にお迎えにあがりましょう」

 通信を終え、ディスプレイには地図と彼女の位置を示す光点が映る。三人がいる位置から考えれば、歩いて行けない距離ではない。しかし早急すぎる答えに対し、オペラはゴーグル越しに睨みつけ、カント技師はあからさまに溜息をついた。

 ベル・カントは技師である。エンジニアとして今回の任務に参加しているが、体格や行動からは技術者とは程遠い。彼は屈強な肉体を持つ種族であり、そもそも人間ではない。おそらく、人間であるイザークの警護も兼ねているのだろう。あるいは、救出後の歌姫警護か。どちらかなど、オペラにとっては推察する意味のないことだった。

「ほぼ真北か。直進するルートもあるけど」

「駄目だ。途中に集落がある。東から迂回して行くしかないな」

 二人がルートを決める。歌姫救出は、決して他者に知られてはならない。遠い、カメリアという惑星に墜落した歌姫のシャトル。まず、位置が悪かった。カメリアは戦争の前線、その只中に位置し、敵勢力に情報が漏洩する可能性がある。歌姫が敵にさらわれるとなれば、これは大問題に発展するだろう。

 故に、今回の任務は隠密行動が原則である。三人とも、この一件が両勢力にとっても一大事であると理解していた。

「答えてください。そこにいるのは、貴方ですか?」

 不意に、ディスプレイから声が聞こえた。画面には、見知った彼女の顔がある。街頭のヴィジョンで、多くのモニターで眺める顔。街角のスピーカーから聞こえる声。それが名を呼び、映っていた。怪我くらいはしているだろうが、無事な姿で映っていた。

 二人が、オペラへ向き返る。彼はいつもどおり無感の顔で、訴え続ける少女を隠した。

 

 東への迂回ルートを突き進む。原生林はやがて減り、のどかな草原へと到達した。数少なくなった樹木の下、警戒態勢のままで小休止をとることにする。

 陽はおよそ中天。この星の自転周期はほぼ二十時間に満たない程度。地球と土星衛星タイタンの出身である彼らにとってはやや短く感じられるだろう。

 携帯食料を口にしながら、二人が雑談を始める様子をオペラは見ていた。場所をわきまえているのだろう。声は小さく、馬鹿笑いをすることもなかった。

「私はティールで輸送船警護の仕事をしている。最近はどこも治安が良くない。まぁ、おかげで。そのような仕事が成立するのだから文句を言えた義理ではないがね」

 イザークは自らのことを率先して語る。彼のような傭兵にとって戦争は仕事であり、重要な稼ぎどころなのだろう。彼らの存在は総じて規律的で、警備会社を思わせる。傭兵業。依頼主と契約し、組織は規律と信頼を持って依頼主に応える。イザークのような人間でなければ、信頼は途絶えてやがて仕事は無くなるだろう。無頼者であれば、守るべき輸送船を襲いかねないのだ。

 美青年は語り終え、視線をエンジニアへと移す。無駄に堅苦しい言葉遣いと、規律的な行動。まるで模範だ。完璧主義者か、あるいは完璧であろうと願う欠点だらけの人間なのか。

「どこも人手が足りない状況だ。末端の、規律が行き届かない兵が送られることもある。そう、オレみたいにな。単なる技術屋だぜ、オレ」

 油断させるつもりか、とオペラは思った。タイタン人というのは、地球の人間とは違う。優れた体格、身体能力と知力を有した優生種。ベル・カントはにやりと笑い、太い首を鳴らした。言葉に他意はなく、深読みする二人の気を逸らすような態度だった。

「仲良くやろうぜ、相棒。オレたちは神を信じ、神に抱かれて生死を泳ぐ脆弱な命、だろ」

 その言葉に、初めてオペラの感情が動いた。誰もが信じる神様の存在、赤子も熱心な信者も知っている。運命論など信じない。この手で、この足で立たなければならないヒトの弱さと偉大さ。神がもしいるのなら、せめて、弱者を救ってみろ。

 

「――――神は死んだ。剣で運命を貫かれ」

 初めての言葉は、そんな、絶望の呟きだった。

 

 草原を抜けた先は、再び森林が待っていた。北の森林地帯。ここまで来れば歌姫にもあと少しという地点まで到達し、オペラは走り出した。

 木々を縫い、時に上昇し、枝を蹴り空中を支配する。圧倒的な速度。疾風に似たそれは、木々のざわめきと共に進んでいた。

 不意に、風が止む。真下には迷彩服を着込んだ、四名の兵士。確認すると同時に、落下した。

 黒い影が木々に躍る。落下は二つ。陰と、ヘルメットごと切り落とされた首。同時に真下の兵を殺害し、隣で哨戒任務につく兵士の背後から、二度、心臓を突き刺す。手にするは短刀。それを左に展開していた兵士に投げつけ、右へ跳躍する。喉を拳で突き、背後に回って首へ抱きついた。

 近付く二つの足音。それが現段階での味方だと理解し、素早く、首をへし折った。

 地に膝をつき、兵士の装備を確認する。ヘルメット、迷彩服。徽章は軍曹を意味し、小隊指揮官だと把握した。あとは私物がいくつかと、小銃。

「味方だな。この装備は同盟軍のものだぜ」

 カントの口調は、咎めるようなものではなかった。ただ淡々と、事実を述べているに過ぎない。確かに、ヘルメットや小銃は地球を軸とした同盟軍のもので、この星が所属する勢力である。歌姫にとっても、味方である。

「……ならば、なぜ殺した、オペラ・レーヴェ」

 対照的に、イザークは咎めてきた。味方は味方と信じ、物事を割り切れない子供の言い分を。

「同盟軍がここにいる理由は歌姫に近付いている証拠だ。しかし、彼らは歌姫を保護しているわけではない。フルジア側から守るためにいる。のこのこと俺たちが近付けば、撃たれた。これは潜入。同盟軍だろうと知らせてはならない。深く読めよ、同盟軍が守っているのは何かを」

「歌姫を敵から保護しているのだろう?実際、アリア・ローゼンミュラーはすでに軍関係者によって救出されているのかもしれない」

「違う。彼らは内、即ち歌姫がいる方向を監視していた。歌姫を包囲して脱出しないように。依頼主は、リューヴ政府。同盟軍に通知せず、極秘裏に歌姫を救出する。その道を塞いでいるのは誰?」

 地球とて、数多ある銀河の一つを支配しているに過ぎない。事実、太陽系を中心とした地球圏も、第一銀河団に所属している。その第一銀河団の中枢、同盟の盟主的な存在がアンドロメダ銀河にあるリューヴという星だった。

 この戦争は、第一銀河団のリューヴと、第二銀河団のフルジアが戦っている。リューヴの陣営で第二の勢力となった地球圏同盟と、最大勢力であり政府中枢のリューヴ。脆弱な同盟という絆で結ばれた第一銀河団は、些細な出来事で敗戦の道を行けるだろう。

 戦争とは、政治でもある。今、自分たちが置かれている立場を考慮すれば、下手な動きも許されない。

「そんなことは、どうでもいい。私は人道、倫理について貴殿を問うている。だが、理解した。貴様は人の道を踏み外した悪鬼だ。後悔も本音も無いのだろうよ」

「それは間違いですね。オーちゃんに限って、悪魔とは心外です」

 腰のあたりから、大声が響く。モバイルを引っこ抜き、しかし電源を切ることはできなかった。今、救出対象である標的の位置を見失うのは問題であろう。なおかつ、自分の位置も把握できなくなる。

 怪訝な顔で、二人が手の中にある歌姫を眺めていた。

 

「ディーヴァ様、お知り合いなのですか?」

 ひったくるように奪われたモバイル。イザークは冷静とはいえない口調と表情で歌姫に問いかける。

「ははぁん、読めた。お前、意外と情に厚い性格なんじゃないか」

 口元を歪ませながら、最後尾を歩くカントが言う。二人の行動について、特にオペラは気にしなかった。釈明することも、止めることも意味がない。あと数時間もせずに張本人と対面するのだ。

「はい。よく知っていますよ?」

 この場で公言する意味がわからなかった。意図が掴めない。何が何と繋がっているのか、まだわからない。ひょっとすると、彼女自身も何かの罠ではないか。しかし寄せ集めの三人を罠にかける必要性が感じられない。

 何より、歌姫の才能に少々、驚いた。ただ一言。それで場は落ち着き、ある程度ではあるが和んでいる。一触即発のような、分裂の危機。どの位置で口を挟めば効果的なのかを、狙いすました一言だった。おそらく、彼女が歌姫としてだけでなく、世論に支持されている理由の一角は、そういった弁論術にあるのだろう。

 ただ、耳障りだ。彼女の美声は、ノイズだ。

「お会いしたこともありますよ。彼が覚えているかどうかは微妙ですけど、ね」

 家族のことしか記憶にはない。幼い頃に会った少女など、覚えていない。もし仮に、小さな歌姫がオペラを見たのなら、こちらだけ覚えていないというのも理不尽だ。母でも妹でもない。記憶に眠る女の子など、他にいない。

 そう、姉妹がいた。きっと今でも、青空の下で祈る姉妹が、どこかに。

「うお、すごいな。歌姫様と直に会ったことのある人間って、初めて見た」

 カントと目が合う。そういえば、確かに歌姫と会ったことのある人物というのは限られている。それが余計に神秘性を高めていた。絶大な人気を誇る偶像は、神のごとく直に見えず神秘となる。

 それは、偶像崇拝に似て。神を信じずとも、歌姫は信ずるという不思議な図式を打ち立てた。

「ルテティア。歌姫の家族も、世話をする人物もいる」

「神様の住む星、ってヤツだろ。んなこと言っても、特権階級と聖職者しか行けないだろうが」

「いや、確か知人でも行けたはずだ。昔の話で、今は違うかもしれない」

「ははぁん。また読めた。お前、もう別れちゃったんだろ、そーだろ」

 やはり、事態を複雑にするだけのようだ。喋るのをやめて、オペラは再び前だけを見始める。

 宗教の話が嫌いなのだ。人々は名も知らぬ神の存在は遠く感じ、身近と感じる歌姫を偶像と定める。宗教を背景に持った彼女は、おそらく、世界で最も人望の厚い人物である。

 世界中のどこにでも、日常に宗教は密着する。頭で信じることではなく、すでに肌で体験していること。それは冠婚葬祭、儀礼に関係し、それでも人々は宗教を意識しない。だが、神に順ずるとされる歌姫が世にいるのなら、歌を通じて人々に意識させるのだろう。

 そういう意味でも、この一件は一大事なのだ。人々を鼓舞する神の代理。被害は単なるアイドルの喪失には止まらない。リューヴを中心とし、アンドロメダ側は神に叛く大逆、という名目を持つ。もし、敵の兵士が歌姫の胸を貫いたなら、人々は憤り、戦争は過熱する。

 誰もが、利用されている。歌姫でさえ、道具。それに、少しだけオペラは不快感を覚えた。

 

 夕暮れが背後に輝き、ゴールは近い。万一に備え、拳銃をチェックしながら速度を落とした。実弾兵器は希少ながらも時代に残っている。敵方であるフルジアが用意した電磁波攻撃。コンピューター機器から何まで、電子機器を破壊する兵器はリューヴ側の機能を麻痺させた。近付く戦艦でさえ壊れる。開戦初日に投入されたそれは、以後の未来における科学の発展を止め、力が全て、物資による時代へと逆行させた。

 いつ、また機械が破壊されるとも限らない。電子機器の需要は激減し、武器は刀剣類に移行し、コンピューターは紙に変わった。物資を持つ者が力を持ち、物資を力で奪う無法地帯ができあがった。力の無い女子供は淘汰され、屈強な男が台頭する。そんな時勢に、光と降りたのが歌姫だろう。

 そんな時代で。エンジニアなどやっていけるはずがなく、イザークが生き残れることもできない。

「もうじきご対面だな。どうだ、オペラ。ドキドキすんのか?」

「彼女に合わせる顔など無い」

 ただでさえ、うっとうしい。これ以上そのノイズを聞かせてくるなら、会いたい人物とは到底、思えない。口を噤まないのならこちらも方法を考えるしかないだろう。

 その場に座り、懐古することなど今はない。オペラだった九年間も、その後の九年間も精一杯に生きて、今を作った。後悔も、誇ることさえなかった。信念と罪は等価で、均整がとれていた。

 傭兵のイザークも、技術屋のカントも同じだろう。違いなどない。人にはそれぞれ、隠しておきたい過去と、誇りたい過去がある。オペラ自身にはその両方が無いだけである。なら、それは同様だと言えないか。人生は空虚そのもの。虚ろなままで生き、空っぽになって死ぬ。

「私は私の人生に誇りがある。自分に、嘘をつくことなく生きてきた。故に、今を誇れる。手も汚した、人も殺した。だがそれでも、今を誇れる」

「それが嘘だ、セリア・イザーク。自身を誇れるなら、具足を脱いで女だと公言すればいい」

 背中越しに、後ろを歩くセリア・イザークに言い放つ。最初から知っている。二人がどういう人物で、どういう目的を持った一行なのかも。任務につくのなら、情報収集は当然のことである。そしてその活動こそ、自分の得手とするところでもあった。

 力が全て。今はその時代だ。機械文明は淘汰され、智恵や発明よりも力で奪うことが全て。そんな時代に女性と生まれたイザークの悲劇など知る由は無い。どんな劣等感を抱き、コンプレックスの塊だろうと知ったことではない。そして追求され、激昂したところで真実は覆らない。

「ちょっと待てよ。じゃあ、なに。アンタ、女だったの?」

 カントが驚く。演技かどうか、オペラは見破れなかった。彼も同様、隠しておきたい何かは持っている。そもそも、技術者が救出作戦に加わることがおかしいのだ。エンジニアを必要とすることがある。無論、カントの本当の任務を知っているのは、彼自身だけだろう。

 徐々に、疑心暗鬼が生まれてくる。何を求めているのか、本当に三人とも目的は同じなのか。偽りの仮面、その下に潜むものは何か。

 利用されている。最初に、オペラが肝に銘じたことだった。

 それもまた、ひとつの人生だろう。

 ゴールは近い。すでにモバイルには光点が四つ。最後に位置を確認し、通信機を叩き壊した。代わりに、銃を握る。

 緑に茂った森の中。三人は、歌姫に出会う。最初に動いたのは、当然のようにオペラ・レーヴェだった。

 

 群生する樹木。中心にそびえる大樹を取り巻き、蔓が巻いて蔦が絡む。風は鳴いて、葉を揺らした。しかし、生命までは届かない。息吹の止まる森の中、三人はそれぞれに、中央にある大樹だけを見つめた。

 大木は、どこかおかしかった。緑が絡むその中心、不可解なヒトガタが見えた。白い肌を覆うように巻きつけ、口腔にて集束する。それは一見して、木の女性が森を産んでいるように思える。

「寄生されている、のか?いや、生かされているのか」

「両方だな。樹木から栄養素を与え、与えられる相互作用。まぁ、苗床とはよく言ったもんだ」

 光景は壮絶。木々を育み、かつ生かされる人間。おそらく、それが歌姫の正体と気付くまで、相当の時間を要しただろう。気付けなかったのはセリア・イザークただ一人ではあったが。

「墜落した輸送機は?前線への慰問の最中で音信普通になったのだろう?」

「そんなものは無い。最初から最後まで、歌姫アリアはここから動いちゃいない。歌姫ってのは、電子の中の生物、ディスプレイの中にしかいない存在だってよ。人々が生み出した虚構(フィクション)、架空の存在、その正体は『星』とか言ってたな」

「何だそれは。では救出という任務は何なのだ、私は確かに」

「いや。オレは救出などと言われた覚えはねえ。どっかが断線して音信不通になったらしいから、配線関係の修理に呼ばれた」

 無防備にカントが近寄る。手には用意した器材。その足が、止まった。

 歌姫という存在は虚構。本体は森を育む苗床。彼女は電子上にのみ意識を表し、歌う。イザークはその正体を見せられるために、そしてカントは繋ぐ導線を直すために呼ばれた。

 ならば、少年はいかなる理由で呼ばれたか。

 

 手が伸びる。

 無骨な銃を握った手が、歌姫へ向けられる。

 

「何を考えている、レーヴェ。銃を下ろせ、こんな非人道的なことが許されるものか。彼女を救出する。そのために動いてきたのだ」

 木々を切り裂き、歌姫を助け出す。今、イザークの頭にあるのは、そんな正義感だけだった。対立するように、オペラは銃口を定めたまま動かない。止める。イザークは銃口の先に立ち、さらに言い募っていた。

「彼女は、君を知っているのだろう?そして君も知っている。助けるのではなかったのか」

「本国ではそう言っていたな。リューヴの狙いは歌姫を元に戻すこと。そのためにカントは呼ばれ、修理しなければならない。フルジアとしては真偽を確かめる必要があるだろう」

「貴様もしや、間諜の類か。フルジアに潜入するリューヴの諜報員か」

「勘が鋭いじゃないか、セリア・イザーク。俺はフルジアにどうということもない情報を流す。そしてその反応をリューヴに送る」

 歌姫失踪。この情報をフルジアに流すのは、リューヴにとっては乾坤一擲の賭けだろう。フルジアは即座にここ、カメリアに部隊を派遣し、確保に乗り出す。先遣として、諜報員が派遣された。フルジアに潜入するオペラ・レーヴェは、歌姫がカメリアにいることを報告し、その動向を見定めなければならない。

「なら、銃を向ける必要はないはずだ。貴様の任務は、この光景をフルジアに報告することだろう?」

「ああ、そうだ。試すような真似をして悪かった。さあ、アリアを助けようか」

 銃を下げる。イザークが安堵した表情で背を向けて歌姫に向かい――――

 しかし三発の銃声が森に響いた。

 

 穴が開き、血が零れる。歌姫の体はわずかに跳ね、白い肌に赤が混ざる。

「レーヴェ、貴様本当に――――!」

 続く銃声。オペラはさらに引き金を絞り、頭部、胸部と狙いをつける。銃声の度に、アリアの体は赤を撒き散らしながら跳ねた。

 計十二発。拳銃の装弾数全てを撃ちつくし、スライド・オープンした銃を投げ捨てる。

「殺した。歌姫を、殺した――――?」

「チ――――まだ息があるか」

 蔓は弾け、重さに耐え切れなくなり、千切れた。歌姫の肉体は音も無く地面へ崩れ、倒れた。動き出すは二人。状況を冷静に把握して近寄るオペラと、状況がわからず取り乱すイザーク。

 強引に押さえつけようと接近するイザークの頬を拳で圧し、躊躇もなく殴り飛ばしてオペラは前へ。赤に染まる森。倒れ伏したイザークは赤に燃える瞳で睨みつけ、涼やかに少年は怒れる赤を流していた。抵抗など無く。枝が折れる音、葉がすれる音、着実に足音を鳴らして近付きながら、もう一人の仲間を見やった。

 カントは圧倒されながらも、微笑と共にただオペラを見ていた。咎めることもせず、賞賛もない。好きにやれ、と達観した視線で少年を見ている。それを意外に感じつつ、ふと自分が痛みを覚えたことを感じた。

 体が浮く。森の枝を背で折り、勢いを殺しながら地面を転がる。痛むのは頬。先ほど、オペラ自身がイザークにしたことと同じことをされたらしいと、止まってようやく気がついた。

「オレはお前みてえにプロ意識が強いワケじゃあ、ないが。そこのイザークと目的は重複するのだよ。オレは民衆に向かって歌姫を返す。セリア・イザークはアリアを救出する。ほら、結果は同じだろ?」

「違う。アリアを救えば歌姫は消える」

「それこそ間違いじゃねえの、バカスパイ。救ったアリアちゃんに歌ってもらえばいいだろが」

 立ち上がり、自信満々の表情でいる男を見上げる。視野が狭いと訴えてくる瞳を、正面から見返す。カントは単なる技師などではない。イザークよりもよほど大局で物事を考えられる、知性的な人間。粗野な態度も演技。油断を誘い、さらに言いたいことを正面から叫ぶ男。粗暴な人間と思われれば、どんな暴言でも許容されるだろう。不思議な人間だな、とオペラは場違いに思った。

「お前の目的は、歌姫の現状をフルジアに流し、対応をリューヴへ伝えること。だったら、いいじゃねえか。すでに逃げちゃいました、でオッケーよ」

 しばし、考えてみる。三人でアリアを助け、このカメリアから脱出する。歌姫はリューヴに戻って兵の士気を高め、戦争はまだ終わることを許さない。カントがそこまで考えているのなら、充分すぎる策謀家だろう。そして、その世界ならまだ、自分も生きられる。

 二人が動き出し、アリアに近寄るのを遠目で見送る。治療をし、救出をする。そして我らは英雄になるのか。

 

 カメリアは軍事拠点であり、民間人はほぼ皆無である。およそリューヴとフルジアの中間地点に位置し、近年になって人工的に作られた惑星。小型の衛星に近い。オペラの読みでは、戦争における重要なポイント、地球側にとっては維持すべき前哨基地だ。ここを抜かれると、太陽系まで一直線に進める。

 戦争の最前線。いわば、槍の穂先である。刃の切っ先に自分たちはいて、歌姫がいる。単なる偶然とは考えにくい。歌姫は、落ちたのではなく、居た。最初から、そう、この星が造られてからずっとここに居た。ここから、電子上へと訴えていた。もっと安全な、例えば首都のリューヴでもよかったはずだ。

「銃創、それも前時代的な実弾による傷だ。簡単な応急処置しか出来ないが、不思議だな。弾は全て貫通、傷はすでにふさがりつつある」

「苗床だから」

 この分だと、もう少しで意識も取り戻すそうだ。今では蔦も蔓も全て切られ、彼女は改めて、この世に再誕した。初めてその目で見る世界は、どのように映るのだろうか。せめて、彼女の声のように、美しくあれば。目覚めに怯えることも、後悔することもないだろう。

「しかし、なんだ。意外とあっさり引き下がったのだな」

 意地悪そうに口元を歪ませて問いかけてくるイザークに、同じく嫌味のような笑みを返す。

「打算を覚える年頃だから」

「皮肉も覚える年頃だろう」

 空は藍。気の早い一番星を梢に見上げ、ほう、と息を吐く。今宵は冷え込んでいるのか。白い靄が空へ吸い込まれ、やがて消えた。感傷も感情も、息の如く消え去ったのなら、生きることは楽になるのに。束の間、そんな弱音が脳裏に白く浮かんだ。

「アタマから信じてはバカを見る。いつも損する人間になることも否めないが、ソイツ自身はきっとハッピーなままだろうぜ」

 治療を終えたカントが、意味のわからない言葉を発しながら隣に座った。慰めか、助言か。ただ、アリアの声のように、耳障りな声ではなかったのが救いだった。

「ソイツは気付けないからな。周りが損だ、馬鹿を見るだのと喚いても、ソイツにとっちゃ幸せだったりするもんだ」

「なら、道はソイツ自身で決めればいい。周りが言ってきかないのなら、尚更」

「しかし生憎と、私はお節介なのだ。馬鹿を見るとわかってしまえば、どうにも正さずにはいられない」

 誰のことを言っているのか、わからなかった。三人、横に並んで星空を眺める。きっと誰のことでもない、空虚な独り言だ。だから各々が、好き勝手に言葉を作れる。そして誰も、批判もしない。論破は出来ても、思想はきっと変わらない。

「死に急ぐな。それが今日限りの相棒としての言葉だ。共に行こう。それが私の想いだ」

「生きて帰れたら、考える」

 思いのほか素直に言葉が出た。それが感情というものだろう、と素直な気持ちで迎えてみた。

 

「本当を言うと。俺は任務や作戦なんてどうでもよかった。今回限りは、私情でのみ動いていた」

 軽やかな気持ちで、告げてみた。一日にも満たなかった共闘関係に終止符を。未来も過去も見えない現実に幕引きを。一日の最後に別れを告げ、関係を白紙に、二度と見舞えることはなく。

「――――殺したかっただけだ、アリアを」

 ただそのためだけに現れ、目的を達せられるのなら、死こそ本望。窮地を迎えた今こそが、我が本願の叶うべき刻限だろう。三人はどちらに転べど殺されて、フルジアにアリアは殺される。リューヴなら、アリアは救われぬまま歌姫になる。

「それは――――何故」

「権威と権力というのは別物。分離しなければならないもの。もし彼女が、宗教という権威をバックボーンに、権力に阿(オモネ)るまま、民衆へのプロパガンダとなったのなら、それは政教の合致に他ならない。そんなのは、誰のためにもならない。道具扱いされる歌姫も、戦争の名目とされる神様も、信仰を持って侵攻とする人々のためには、ならない」

 神様を守るために銃を持て、信仰のない敵を撃て。今、彼女が言っていることはそれだ。彼女の生死は共に重大な意味を持ち、結局、リューヴはアリアを撃つかもしれない。ただ、それは今後、未来を変える弾丸になるだろう。今、彼女が死ぬのなら。過熱した戦争が向かう先は、滅亡への終着でしかない。

「貴方は――――誰だ」

「名など忘れた、記憶など失くした。意識さえ消え去り、感情を除した。誰でもない、誰とあろうこともない」

 ただ、意志だけのために。捨てられない何かのために。本気で、アリアを殺したい。

 

「殺してください、オペラ様。それが世界のためならば」

 

 酷く、痛む声が聞こえた。カントの隣に立つ女性。翼を失った歌姫が、立っている。

「元々、殺されるために私はいます。この心臓が止まった瞬間、連動してカメリア内部が崩壊し、人の手で造られた星は砕けますから」

 カメリアは巨大な人工衛星。リューヴの防衛線が突破されて造られた巨大基地のようなものだ。難民を収容する目的で作られた小さな星。

 全てが解ける。カメリアの位置。それは防波堤に似て、銀河系とフルジアを結ぶ中間地点。前哨基地としていずれは激戦に巻き込まれる。

「巨大な自爆装置だと言うのか、駐屯した敵軍を殲滅するための――――」

「フルジアが敵である以上、複雑な機械は通用しません。私が死ぬと、木々が枯れ、星が分離します。自然とは、それほどの脅威を持つのでしょう」

 根は枯れ、星が文字通り分離する。アリアと大樹を完全に分断すれば、養分を失った森が消える。膨大な時間をかけた時限爆弾。一度、根が無くなれば無数のパーツで組みあがったパズルは瞬時に離れてしまう。

 この星に森が多い理由。アリアが繋がれていた理由。そして、前線にいる理由。

「なんだそれ。どうやっても、歌姫を助けることなんか出来ないってことかよ」

「はい。だから、殺してください、と」

 それが世界のためになるなら。フルジアの先鋒を宇宙へと消し、戦争を終わらせることができるなら。今まで、たった数年間しか自由の無かった、生を謳歌したことのない哀れな操り人形を殺せばいい。

 迷うことなどあるものか。事実、一度殺しかけている。今更、罪を重ねることを恐れてはいない。どこを探しても、否定する理由が見つからない。

 それでも。なぜか、迷いがあった。

「フルジアはもう来ているんです。現に、オーちゃんがここにいます」

「第一に斥候、そして次が本隊。レーヴェがここにいるのなら、本隊も来ているということか。上陸するのも時間の問題で、早めに時限爆弾は起動しなければならない」

 イザークの声は冷静だった。冷静に、現状を把握しようとしている。逃げ遅れたリューヴの兵も、この星の住民も道連れにして星を壊せ。そのために、自分を殺せとアリアは言う。

 言葉を発しようと口を開いた。そうして、何を言っていいかわからないことに気がついた。

 

 カントを連れ、しばし、場を離れる。こういうところは、気の回る男だ。妙に感心しながら、先立つ大きな背を見ている。その肩には何本もの槍が入ったケースがあり、重量だけでも相当なものだろう。筋骨たくましい姿。そこに刹那――――父親の姿を見た。

「さて、難題だな。最後の決断はお前だ、オレらは放棄する。どっちに転んだって文句は言うが理解はすると思うぜ」

 若干、トーンを落としたカントの声。ここで決めろ、と彼は言う。そして決めたのなら、迷わず、実行しろと。清々しい表情で責任の所在を明らかにし、委ねた。ここまで言われると、いっそ、爽やかに感じる。

「俺が、決める?」

「当たり前だろ、バカスパイ。ホント、お前ってヤツは意志がねえのな」

 意志が無い。考えが無い。なぜなら、自分が無い。九年前に失っている。反論は許されず。ただ黙って、事実だけを享受した。彼の言葉は真実、そのとおりで。今更ながら、自身の真実を知った。

 意志というのは、ずっと一方通行だった。上から「意志」が伝えられ、「行動」をする。脳から指令が出るように、自分の脳は他の誰かだ。それは命令という形でやって来るもので、反抗の二文字は存在しない。

「楽なんだよ、ソレ。何も考えなくていい。行動でミスしたら自己の責任だろうが

、思考でミスすることが無いから。一回くらい、悩んでみろよ。それで出した答えなら、失敗はきっと無い」

「失敗するかもしれないだろ」

「失敗ってのは、目的に対する効果の無さだ。本気でお前がアリアを殺そうと決めたなら、いつか必ず、殺すだろ?」

 長いスパンで見れば、失敗は無いというのか。意志さえ失わなければ、失敗など無い。意志を抱いたその瞬間が、成功。カントは、そんな意志を決断しろと言っている。

「でも、これは一発勝負だ。成功か失敗かの二極しかない」

「いいじゃねえか、失敗しても。死んだら終わり。死後のコトで気を揉んでも仕方ない」

「でも、それは俺の責任だ――――きっと皆、怒るよ」

 不意に、笑い声が森に弾けた。腹の立つほど大声に。つい、手が出た。それなりに本気で、鉄拳制裁で鼻を叩く。悪い、とは思わなかった。むしろ、先ほどのお返しというつもりもある。

「何を気にする、何が気になる。そんなガキっぽい不安は、お前には似合わねえ。嘘だらけの人生だろ」

 まだ笑いながら、彼は言った。考えることは、難しく。いっそ誰かが決めてくれればいい、と弱音を浮かべた。

 

 イザークが上着を脱ぎ、アリアに着せている。まだ一本だけ、へその緒を連想させるような蔓と繋がっている。それさえ断てば、アリアは解放され、しかし星が死ぬ。

 彼女を救いたければ、そうすればいい。

 そしてアリアを連れて逃げればいい。結果として、この星にいる数多くの人間が死滅するだけだ。殺さないという選択肢もある。リューヴはいずれ起爆装置として利用するだろうが、民衆を巻き込むような真似はしないだろう。

「なぁ。アリアちゃんとオペラって、どういう関係なんだよ?」

 最初、初めてこの星に来た時のような明るさでカントがアリアに訊いていた。まだ、自分は彼女と会話をしていない。思い浮かばないのだ。何を言うのか、どうするのか。答えなど、出ない。

「六歳までルテティアにいたんです。ローゼンミュラーはフォーレの従属家ですから、お見掛けする機会も多かったですよ?」

「――――ああ、そういえば。よく遊んでいた女の子がいた、かも」

 森の中にある白い屋敷を思い出す。父がいて、母がいた。家族がいて、友達がいた。給仕とも仲が良く、遊び相手となった給仕の娘もいたかもしれない。

 最初に口にした言葉は、そんな陳腐な、昔話。

「フォーレ、だと?」

「色々あって。今は家を追い出された」

「なら、そういうことにしとくぜ。なるほど、ゴーグルはそのためだったのか」

 苦笑し、ゴーグルを上げる。青い瞳は薄く輝き、やがて落ち着いた。言及しようとしない二人の態度に感謝しつつ、素の視界で三人を見る。

「今は滅亡寸前の純粋なるリューヴ人とは。なら妹君は、最高司祭のアデレード・フォーレ様か」

「はい。あれから、どうされていたんですか?」

「フルジアにいた。肩書きが無くなったおかげで、成長した気がする」

 悲しいことだけではない。人生の中に、悲しみだけということがあるはずがない。人は楽しみ、故に悲しむ。人は苦しみ、そして楽しめる。思えば――――やはり後悔は無い。そして後悔をしたくはない。

「ならば、尚更だ。オペラ、アリアを救おう」

「英雄ってのは一を殺して百を救う人間のことだが、別にお前は英雄になりたいわけでもないだろ。思うとおりにやれよ、非難されて困るような人生ってわけでもなさそうだし」

 二人の言葉は、どこか、胸に響いた。そう、困難なことなど何も無い。この星の住人を皆殺しにしたとしても、何を恥じることがあろう。

 ただ、救いたい人がいるなら。どのような罵倒も罵声も、甘んじて受けようと願ったのは――――初めてではない。

 最初から、そんな生き方を選んできたのなら。何を今更。迷うべきことがあろうか。これ以上、罪を重ねることに何の抵抗があろう。命を奪うことには慣れている。だが、救ったことはきっと、無い。だから迷ったのだ。自分に正義があることを、知って。

 命は尊さは平等である。が、命の重さは差異がある。それを理由にするつもりはない。ただ助けたいから、助ける。時に傲慢に。故に強情に。自分自身の総てを懸け、ただ一つ、揺らがなかった想いには須(スベカラ)く応える、と。

 

 生まれた時からこの魂は、

  助ける守り手だと誓っていた。

 

「アリア、俺はオペラ・フォーレだ。信仰と共に生き、そして死ぬ聖者の血。今、世界は、きっとお前を欲している」

 だから、救う。

 再び人々に光を照らせるように、助ける。

「今この時のみ。誓いにのみ、生きる」

 決意はここに。

 アリアを片手で抱き、星から歌姫を解放した。

 

 助けることと、救うことは意味が違う。わずか一時の苦難を肩代わりするのが助けること。一生分の何かを与えることが救うこと。自分はただ、救いたかったのだとオペラは思った。

 死が救いと思った。それもまた、道なのだ。だが、彼女にとってのベストではない。死は単なる助けであり、救いではなかったということ。

 崩れ行く星を見つめる。強奪した小型艇。眼下に広がるは、わずかながらも膨張した人工の星。緑が失われ、すでに死の星となっているだろう。脱出する船、そして消えていく、命。

「どうして、とは訊けません。世界中にとっては不幸でも、今この瞬間、私だけは幸福ですね」

 生きる者は、死者を背負わねばならない。命を奪うとは、そういうことだ。その重さに耐え切れないのなら、自殺でもすればいい。せめて忘れず、背負うことが自分の責務。

 それが、未来に生きるということなのだろう。

「レーヴェ、針路はどうする」

 操縦席のいるイザークが問うてくる。明日への航路。選択肢が、少しだけ、増えてしまった。

「――――ルテティアへ。アリアを帰そう」

 我が家に帰る。すでに帰る家などオペラには無かったが、立ち寄るだけなら許されよう。

 助けた重みが、存外に、心地よく感じられた。