[ O d y s s e y ]   /Seed See Selenicereus  "Opela, Canto, Isaac, Alia"

 
四大天使が一人、「神の伝達」こそ、ガブリエル・ハイネ。ジブリールと呼び。

四大天使が一人、「神の代理」こそ、ミカエル・アルエ。ミカールと呼び。

四大天使が一人、「神の光」こそ、ウリエル・フォーレ。イスラフィルと呼び。

四大天使が一人、「神の癒し」こそ、ラファエル・リーティア。アズラエルと呼び。

頂点に讃えるフィルウィリミテアに代わる、原理の者、ファンダメンタルがデルフィオーレに揃う。

懐かしい世界へとオフェリアは、帰還を果たす。

 

 リューヴ。世界の中心に、スカラが舞う。あらゆる人、物、全てが集まる世界の中枢。第二位ともされるフルジアとは規模が違う。ここは確かに。世界の中央。全ての始まりにして、全てが終わる場所。

 空港の設置されたゼルス地区でさえ、フルジアよりも大きい。行き交う人の波に圧倒されるようだ。アリアは先頭に、二人を連れて中枢へと歩き出す。――――約束の刻限だ。

「オペラ・レーヴェがオフェリア・フォーレでなくとも、ウリエル・フォーレには違いない。故に、ファンダメンタリストは君を容認する」

 ガブリエルの言葉だ。オペラは一足先に、ティールからリューヴへと移動していた。カントらはティアをイザークの会社に就職させ、アリアの修理を済ませ、昔話に花咲かせつつ、のんびりとリューヴで合流をする。

 全ては、フィルウィリミテア教にある。ルテティアに入るには、許可が必要。特権階級により保護され、都合のいいように使われる神様に会うには、その特権階級から与えられる許可がいる。スカラで近付けば、対空砲で撃ち落とされるだろうし、何より、面倒で厄介だ。

 ファンダメンタリストという集団があるらしい。言うなれば「原理主義者」である。教え、伝え、後世に残る神の断片を、そのまま読み解く者。対して「教義主義者」という独自の解釈を入れる集団もあるが、一般的には信仰に義務がなく、自由が認められている以上、大衆は「自由主義」ともなる。

 生誕に祝われ、弔いに使う。儀礼としてしか宗教を使わない一般人は、リベラル。カントやイザークもリベラリストになるだろう。そもそも、全体数から見て、熱心な信者を教義主義とし、それ以外を自由主義とする。原理主義は、ごくごく少数、聖職者の一部でしかない。

「……いや、ドグマリストとファンダメンタリストの違いがわかんねー」

「教派、とも違いますしね。では、フィルウィリミテア教の教えとは何でしょう?これは神学の問題ですよ」

 デルフィオーレへと向かうアリアが、質問をする。移動中、軽く考えてみる。神様がいて、それを信仰する。一般人にとっては、宗教などそんな程度の知識だ。その神様がリューヴを作り、守る。神を信仰すれば、というか。神に助けを求めれば救ってくれる、ということ。

「まぁ、オペラ様では無理なのですが。要するに『腕が折れた、助けて!』と言えば治してくれるということです。それを本当にやってのけたのが、発端ですね。オペラ様はウリエルですから、『神の光』、すなわち『炎』を司る聖職者。『ここ寒いって、助けて!』と言えばあったかくしてくれます」

「わかりやすい宗教だなァ、オイ」

 神は存在する、というのが根底にある。神の代理人はファンダメンタルの四人。フォーレ、ハイネ、アルエ、リーティア。いずれも神に連なる種族であり、それぞれ、能力を分け合っている。ハイネは声を届け、アルエは知識を与え、フォーレは輝き、リーティアは癒す。

「それらを統率するのが、王である神、フィルウィリミテア、ということで。無論、『現代にも存在します』」

 神は、今もいる。

 その言葉に、些かカントは衝撃を受けた。四人を総括する王。つまりは、全能。それはもう、神と形容するしかない存在。それがルテティア・パリシオールムに実在する。故に、チェックは厳しく、容易く侵入することは不可能とも言える。

「対して、教義主義というのは拡大解釈をする人のことです。例えばフィルウィリミテア、まぁ人名なのですが。彼と敵対した悪神もいましてですね。善悪二神論で武装された宗教なわけで、戦争は起きちゃうよね、って言ってるわけです。コレを教義主義者は、『争いは起きる。勝つのは正義』としているわけで」

「結果から見て、フィルウィリミテアを正当化しているわけか。原理をそのまま読むか、発展させるかの違いと言いたいのだろう」

 この戦争も、教義主義者から見れば当てはまる。正義はフィルウィリミテア、つまりはリューヴとなり、戦争はリューヴの勝利で幕を下ろす、と告げる。確かにその言葉は甘美で、人は信じるだろう。原理主義者は何も語らず、ただ黙り、帰趨を傍観するのみである。

「デルフィオーレは、ファンダメンタリストの極秘会議場のようなものでして。ジオットという画家の屋敷なのですが、厳重な警備と高名な画家のおかげでリューヴ大統領とて無断では入れない場所になってます」

「ああ、聞いたことがあるぜ。ジオット・フィオーレ。宗教画か何かで有名な人だな」

 今はそこに向かっているようだ。オペラの居場所は、ジオットの屋敷。リューヴの市街、中枢の中央へと足を向けている。アリアがいるなら、おそらく問題は何も無い。歌姫様はオペラの残したゴーグルで顔を隠しつつ、久し振りのリューヴを楽しんでいるようだった。

 今まで情報として閲覧していたのと、実際に見るのとは違う。空気、風、匂い。それらがより強く、現実感を生み出す。

 

 嫌な記憶が蘇る。デルフィオーレと呼ばれる花の屋敷。広い庭園には、監視するかのように歩行戦車が立っている。動く素振りは見せないが、視線は確かに感じられる。警備は厳重。歩行戦車が守る花園を、進む。巨大な館はまるで公邸のようだ。

「――――あ、れ。私、この景色、見たな」

 オペラのいる部屋へ入る。二階、開け放たれた窓の先にはバルコニー。揺り椅子に座り、日差しを浴びながら、膝の上に置かれた手が小刻みに動いている。長い金髪が、風に揺れる。背中は小さく、穏やかに。とある、午後。そこに悠久を、見た。

 編み物をしているようだ。熱中しているのか、背後にいる我々には気付いていない。イザークはどこかで見た景色だといい、それが壁面に飾られた絵画のワンシーンだと気付くには時間がかかった。

「……金髪、とは。おい、あれ、本当にオペラか?」

「懐かしい。ああ、わたしの記憶にある、『姉』上様です――――」

 オフェリア・フォーレがいる。穏やかに、優しく揺れる彼女がいる。壁に飾った絵のように、微笑む彼女の肖像が、そこに。

「残、念。三人とも、俺はオペラ・レーヴェだよ」

 金髪が立ち上がり、振り返る。椅子の上に編みかけのセーターを置き、振り返る姿は、笑み。その仕草や顔が、幼く見える。これがオフェリア・フォーレ。九年前に失われた、本物の姿。

 アデレードもオフェリアも、昔は透き通るような金毛だった。年を重ねるごとに、色は深まり、ブルネットから黒くなるのだそうだ。壁にいる彼女は、どうやら十歳ほどの少女らしい。

「ああ、ならば。今の君は昔に出会った子なのか」

「……うん、そう。あるいは、母かな」

 言って、オペラは壁を見た。かけられた二枚の絵画。一枚は、オフェリア。そしてもう一枚が、彼の母であるガートルード・フォーレだった。

 

「――――これは、光栄。銀河系の英雄、救世の戦士、屈強果敢な鬼軍曹をこの目で見られるとは」

 館で雇われている給仕らしき人物に連れられ、オペラとアリアを残し、主であるジオットの私室に通された。中で待っていたのは芸術家というには若く、四十代の天才絵師。客間と違い、室内に一切、絵は無かった。

 ジオットはカントの肉体を上下に、眺め。満足そうに息を吐いてから着座を促した。

「とっくの昔に退役したんだ。二年で全てが変わったが」

「そんなもんだよ、リエンツィ軍曹。士官でもなければ、道具と同じさ」

 リューヴに徴兵制は無い。ジオットが軍務につくことはまず無いだろう。仮にあっても、著名なクリエイターである彼には何らかの優遇を受ける。軍とは関係ない、といった立場で彼は発言をした。とは言え、カントは自身で言うように、除隊した身で、同じく無関係の立場で語っている。

「さて、君たちのルテティア入りの件だ。ハイネ氏の後援もあるように、ファンダメンタリストは特に妨害するつもりもないらしい。リゴレット・リエンツィは政府の認可を受け、正式に寄航することが可能だろう」

 ただし、と彼は付け加えた。条件が一つと悪条件が一つある。

 オペラのルテティア入りは問題が無い。しかし目的によっては問題が生じる。直にアデレードと謁見し、彼女の機嫌を損ねた場合、大聖堂にいる教団が黙っているとは思えない。原理主義者ならば話し合うことも可能かもしれないが、もし教義主義者なら血統など関係が無い。黙って排除するのみ、である。

「もしアデレードに、『兄』の記憶が無ければ。オペラはその場で射殺されるかもしれないな。それが本物であるとしても、だ。憶えていてくれればいいのだが。おそらく、彼のことだから一計を案じるだろう」

「大丈夫だ。オペラがオフェリアであることは正しい。まして血の繋がった妹なら、余計、感じるだろう。して、もう一つの条件とは何だ?」

 オペラの帰還に関しては、イザークもカントも心配はしていなかった。ルテティアが彼の故郷であることは間違いがない。要はルテティアに辿り着ければ問題は解消される。アデレードを説得するのではなく、アデレードに会うことこそが目的なのだから。

「いや、これは単なる依頼に過ぎない。後日、レプリカ・セイクリッドにてツェルニー大将の式典が行われる。元帥昇任の授与式だが、形式的にフィルウィリミテアの祝福がどうのこうの、だそうだ。何分、一手不足で。司教からアルバイト募集を頼まれている」

「……神父を手伝えってか。ははぁ、残念だけど、オレら祝詞も祈りも知らないんだが?」

 言って、カントには目的が見えた。物凄くうってつけの男がいるではないか。オペラ・レーヴェとかいう聖女の妹で四大天使という偉い幹部サマがいるではないか。オペラなら、祈りだろうが洗礼だろうがこなしてしまうに違いない。

 レプリカ・セイクリッドは古代リューヴに存在した亡国の王城を再現したもので、ルテティアに行けない一般人にとっての聖地である。無論、規模としてはルテティアよりも大きく、賑わいもある。そこの責任者であり、数少ない司教という高位につく神官が四大天使の一人、ノア・リーティア司教だった。

 ガートルードの弟で、オペラとアデレードの叔父だ。オペラとの面識は無いらしく、こっそりやればバレないとのこと。そもそもオペラはリューヴに近付くことなどほとんど無く、ジオットとも九年ぶりの再会だった。

「ああ、分かりやすいよう当時の姿になってくれたので。こちらも理解したのだ。かつて、彼女と母親の絵を手がけたから、かな」

 客間にある二枚の絵。微笑むオペラと、椅子に座ったオペラ。笑っている方が母であるガートルードなのだろう。どちらも似た顔で、子供は母親似なのだとわかる。ジオットに訊ねると、彼は笑って否定した。何でも、座って無表情な方が母で、立って笑っているのがオフェリアの肖像なのだとか。

 母の絵は随分と古いものらしい。並んで飾られた二枚の絵。ややこしいことこの上ない。

 

 レプリカ・セイクリッド。古代リューヴ城のレプリカ。レプリカと言えど建築から百余年。城は古城で、真に迫るものである。すっかり元の姿に戻ったオペラと三人で人の背丈よりも遥かに高い扉の目に立つ。アリアは混乱の元になる可能性があるので、スカラでお留守番である。

「これも、憶えてんのか?」

「まさか。千年前の城なんか、憶えてない」

 だから、これは偽物だとわかって。臆することなくオペラは扉を開いた。ここに残る想いは無い。白く透明な、希望だけを持って中へと。

 九年。それが長かったのか、短かったのか、わからない。姿は、変わった。顔つきもまた、変わった。金色の髪は黒く染まり、深い海のようなブルーの瞳が残った。名を失い、栄光も名誉も何もかもを手放し、今更。何を求むか。誰も何も。理解などされない。

 想いを同じく。願いを通じることが出来るのは、この世界で、たった一人。

 刹那。その記憶せかいを幻視した。

「――――おや。授与式の準備で今日より大聖堂は使えないのです、が」

 迎える声は、切なく響く。片隅に残るわざかな断片。やわらかな声音。それさえ、大して聞こえなかった。光、射し込むレプリカ・セイクリッドの大聖堂。中央には主人。そして正面には、自由に遊ぶ二人の、きょうだい。

 握った拳に、力を込める。この記憶さえ、打ち砕く、強さで。

「アルバイト。人手が足りないと聞いて」

「ああ。話は聞いています。何でもスゴ腕の流浪の旅神父、とか」

 これは、何だろう。帰還。九年を逆行する旅か、あるいは。十八年を捨てる旅か。

「すっげぇ。旅人さんかよ、姉ちゃん」

「いいなぁ。ボクも他の星に行ってみたいなぁ」

 だが違う。ここはまだ、遠く。故郷には、満たぬ。

 二人の兄弟が遊びながら、目の前に立つ。まだ十歳かそこらの二人だ。司教の息子、となるとオペラにとっては従弟になる。母の甥、叔父の子だ。

 名前は、と誰ともなく問う。胸を張ろう。目的は、ただ帰還。ここにいるのは。

「――――レーヴェ。オペラ・ヴァン・レーヴェです、司教」

 聖者でも神の代理でもない、単なる、人。

 

 儀式めいたこととなると、連れである二人には何かさっぱり理解がいかなかった。翻訳機でも訳せない単語の羅列に、軽い振り付けのような腕の動き。舞うように軽やかに、オペラは丁寧に、しかしあっさりと儀式をこなす。一挙手一投足が、実に堂に入って。洗練されたものだった。

 ブルネットの神父は衣装も改め、こうして見ると本当に、聖者に見えた。気配というか存在感というか、やはり本物には違いない。そう二人に思われるには、充分な儀式である。司教という頂点であるはずのノアさえ食ってしまうような存在感を持つ。

 長い袖をまとめ、儀式のリハーサルを終えるオペラに対し、周囲は感嘆の息が漏れる。不思議な空気、神性の雰囲気を作り出す。目を閉じた姿は、まるで。どこぞの聖女のようだった。

「そもそも、バレないってのがスゴいよな。同じ顔なのによ」

「聖女はシンボリックな一般人であって、芸能人やら政治家じゃない。メディアへの露出も極力避けているはず。誰もが知っているクセに、うすぼんやりとしたイメージしか湧かない」

 曖昧な存在であるに加え、髪型がまず違う。それだけで、アリアをリューヴで出歩かせるような危険は回避される。アリアとアデレードでは、存在としての認知度は聖女であるも、偶像として表現されるのは歌姫になろう。

「が――――人目を惹く超絶美形、グラマラスでバケモノ級の体型。この二点を持って、アデレードが世を出歩けば騒ぎにはなろう、レーヴェ」

「そうかもしれないけど、その二点が似て非なる点さ」

 ふむ、と頷きながら、イザークは二枚の画像を見比べる。オペラとアデレード。同じアングルで映る二つの被写体を、構造的に解析してみる。わずかな差だが、オペラは鼻がやや高く、アデレードはぷくりとした唇が可愛らしく印象的な人。見比べ、構造として解析してようやくわかる、差だ。

 それもアングルの違いなどによるものかもしれず、ほぼ100パーセント、同じ顔だった。

「明日、式典を終えて、出立。そのままルテティアへ入る。もう二日か三日ほどの道。ゆっくり休めるのは、今宵が最後と思おう」

 座を代表し、オペラが言う。夕刻。レプリカ・セイクリッド内にある客間を用意され、三人での会議はそれで終幕。長い旅路は、すでに、終わろうとしている。それは、始まり。そして終結。帰結する物語に、一抹の寂しさと期待を抱き。三人はそれぞれ、過去を思う。

 星歴318年の、暮れ。数ヶ月の旅が、終わる。

 

 全ての準備を終え、手が届くほど近く、大きな月を見上げる。夜空に浮かぶ、双子の星。風景は悠久と。変わることない空のままで。変わってしまったのは、人。

 古城の頂点より。遠景に摩天楼を控え、私は決して届かぬ、星に憧れる。

 途方もなく、大きく、輝く双子の星は。まるで。

「――――殿下。ローゼンミュラー氏への協力要請、並びに人員調達の手筈は整えました。カント、イザーク両名は最前列にて観客に紛れ警備を。明日の式典ではヴェールをご利用ください。現状でルテティアに知られるのは厄介かと」

 背後から感傷をかき消す声が聞こえる。現実へと引き戻す、我が部下の声。分析は正しく、推測は確定された未来のヴィジョン。彼女、フィアを疑ったことは一度も無い。振り返り、声も無く頷くだけでいい。アンドロメダにいるからか。フィアの髪は黒く染められ、一見、別人に見えた。

「体を洗う。準備をして、待っていてくれないか」

 罪を禊ぎ、罰を祓え。明日は友人の輝ける日。祝うのなら、相応しい、身であろう。そして、再会を。

 古城の頂上。宛がわれた部屋は最高級か。広いワンルームに付随して設置されたシャワールームに入る。何も身に着けない肉体。そこに、右腕はある。欠損している場所など無い。それでも、畸形の体。

 かつて本当に、オフェリアとして生きた証。記憶。それだけが真実の証明とは、随分と曖昧な証拠だった。「自分」を構成するのが泡沫のような記憶でしかないのならば、「自分」さえ希薄。確定とも決定とも程遠い。自分がオフェリア。最近は、そう思うこともめっきり、減った。

 おそらく。その記憶していた「自分」と、鏡に映る「自分」に差異があるからだろう。

 ならば。この記憶している「自分」か、あるいは。鏡に映った「自分」のどちらかが、偽物。

「サーシャ。君なら、覚えているんだろうな。君が、君だけが――――」

 想いを重ねられる、唯一の、味方だ。

 口に出すのは、不安があるから。もしアデレードがオペラをオフェリアと認識しなければ。もしそうなった時、きっと全てが瓦解する。そのような結末を想像し、不安を生み出し、葛藤となる。だが、そこには希望も、あるはずで。

 自分自身が信用ならない。だから、君に証明を。

「オフェリア・ヴァン・フォーレ。純血リューヴ原住種、星歴300年生まれ。父オルフェオ、母ガートルードの長男。一卵性異性双生児であり結合双生児、アデレード・アレクサンドラ・フォーレを妹に持つ。五歳で四大天使ウリエルを継承する神童。気弱、病弱。憶病で女性的性格。染色体異常児、低身長で不妊症のクラインフェルター症候群。両性具有ではなく両性不具の畸形児――――こんなところ、です。口では何とでも言えますが」

 出口に立つフィアがいる。乾燥機はないのだろう。タオルを手に、無表情で「オフェリア」という個体に対する情報を羅列し、該当する人物を認識している。あまりにも特徴的。全てが当てはまるのは、世界でも一人。完全に最も近い、完全なる不完全。

 タオルを受け取り、全身の滴を拭う。濡れた髪は驚くほど黒く見え、ぺたりと額に張り付き、陰鬱な表情を演出している。上半身も下半身も、未成熟な性徴を見せ。中途半端な在り方だった。フィアの言葉と変わらない。オフェリアは「男女」のどちらにも、「当てはまらない」中性でしかない。

「知ってるか?その代わりに妹が染色体を一本引っこ抜いたそうだ。1.5倍の性徴を見せるバケモノに」

「トリプルXですか。全く、羨ましい話ですね」

 片乳の女性が苦笑するように、皮肉を言う。結局、そうだ。フィアのように強くいれば、この腹立たしい乳房を切り取り、好き勝手肉体をいじくればよかった。

 心臓を強く、拳で叩く。押し付ける。それで少しでも、消え去れと願い。何度も、痛みと共に、叩き付けた。精一杯の悪あがき。変えてしまう不安に負けた、臆病者の最後の抵抗だ。

「オフェリア様、それは豊胸運動です」

「ああ、そうか。なら止めなきゃな」

 代わりに、強く縛ってもらう。明日、式典にいるのはアデレードのコピーではなく。オフェリアだと。

 息さえ出来ないほど、強く。この胸を締め付けよう。

「――――大丈夫です。オフェリア様と同じなら、きっと素敵な人です」

 フィア。君は、それでいい。

 オペラ・レーヴェを見続けてくれれば、いい。

 君こそ。「オペラ」の九年、そのものだ。

―――――――――――――――――――――

「おめでとう、とは聞き飽きた言葉でしょう。その双肩に三つの銀河が懸かっている。ここのところ、敵が動かないのも君のおかげかな」

 こういう場では、あまり口を開かない方がいい。笑顔で頷き、わからないことに対しては濁さず、はっきりわからないと伝える。あくまで、自分は軍人だという認識でもって対応すればいいのだ。さもなくば、政府間での権力闘争やら政治家のコネクションの一つに数えられる。

 一人の人間にとって、直接、司教から祝福され、元帥という軍の最高位に昇ることは栄誉の極みだ。そこに異存は全く無いが、形式として式後のパーティに主賓が出ないわけにもいかない。それが厄介ではある。

 聖堂の席を全て取り払った即席の会場。立食にて、政府高官や軍上層部の人間が談笑をしている。忙しなく動く関係者は飲食物を各テーブルへと運び、壇上では司教がそれぞれ、訪れる人と会話する。ふと、その隣に助祭がいることに気付いた。

 あまり、見ない顔だ。というより、全く知らない助祭だった。短い黒髪の女性は司教にグラスを渡し、そそくさと壇上から逃げ去る。何となく、気になった。追うように壇上へと足を向ける。

「お久し振りです。ツェルニー、元帥。しばらく聖堂には姿を見せていませんでしたね」

 追おうとして、司教に止められる。にこやかな笑みで言葉を投げるノア・リーティアとは旧知の仲だった。以前は、あまり彼とは親しくはなかったのだ。ただ親友の義弟であったため、通じて知り合っただけだった。

「ずっとカメリアにいたものですから。司教も変わりなく、お元気そうだ」

 前線基地に詰めていたが、それももう無い。崩壊した惑星を後にし、リューヴに戻ったのがつい先日。それまで事後処理やら何やらで、リューヴに戻るのが遅れていた。カメリアの事故では、奇跡的に生き残れた。この強運も、友人に司教がいるからかもしれない。

「司教に尋ねたいことがありまして。助祭が任ぜられたので?」

「あ、いえいえ。実を言うと、私もリューヴからは離れてまして」

 長くなりそうだな、と直感的に感じる。案の定、引き止めるようにノアの話は長くなった。要約すると、人手不足でアルバイトを雇ったとのこと。素性を聞くと、流浪の旅神父とか。オペラ・レーヴェという人物らしい。

「ふむ。思い切り怪しくないのか、それは。疑わなかったのですか?」

「まぁ、幾分は。ただ内容が内容ですし、実力もありましたから」

 怪しい人物だとしても、行動を起こすとは限らない。まして軍の式典で暴れる馬鹿もおるまい。厳重に注意し、後で調べ上げればいい、とノアは容易く考えているようだった。少しでも不安材料を残したくないのだろう。

 そういった気遣いに感謝しつつ、壇上を後にする。では、今宵。その助祭を訊ねてみようか。

 

 決意した時、背後から音が聞こえた。

 壇上が、迫る。それは圧倒的な人波と、ディスプレイの中にのみ存在するはずの、歌姫。

 ディーヴァ。終幕へ通じる、最後の幕が上がる。

―――――――――――――――――――――

 

 歌が始まる。それは全世界へと流される、アリアの美声。

「開幕だ。ふん、しかしいい歌だねェ、やっぱり」

 全世界の足を止める。誰にも気付かれず、背後に回って神の住む社へ入る。その全ての布石が、今、整った。祝砲を上げる艦隊も、彼女の歌に酔いしれる。司令官の眼前で繰り広げられる、歌劇の開演。ソレを耳にしたイヤホンで聞き届け、行動を開始する。

「荷物は全て、リエンツィ軍曹の私艇に積み込んでいます。道は、この少年が」

 フィアは少年を前に案内し、早速と走り出した。彼女はスカラを操縦し、陽動作戦のさらに囮となる。アリアとフィア。この二人を囮とし、カントのボロ船でルテティアへと入る。リゴレット・リエンツィの個人情報がそのまま、ルテティアの門を開く鍵ともなる。

 少年と目が合う。彼は一瞬、怯えに似た表情をし、それから決意したように、口元を引き締めた。見た顔だ。どこか、このオペラ・レーヴェの記憶と似た、臆病な少年。

「ハム。よろしくな。大丈夫、何も起きはしないから」

 名前を呼んで勇気を。次男坊のハム・リーティアはそれで少し、落ち着きを取り戻したようだった。元気良く、とまでは行かないものの頷いて。それから名前を知っていることに驚いたようだ。セムとハムの兄弟については、もちろん知っている。オペラとセムとは会ったことさえ、あるのだ。

「……はい。えと、裏庭を抜けてビークルに乗ってゼルス地区に」

 DMVと呼ばれる、無料で市内を走るビークルは複数の路線と多数の経由地点を巡回する少量輸送車のこと。路線を切り替えれば、一般道を走ることも可能だ。市内の高速移動には必要不可欠だろう。レプリカ・セイクリッドを経由するビークルを利用するらしい。

 アリアが歌っている今こそ、好機。ハムを先頭に、入り組んだ城内を駆け出す。音楽はイヤホンを通さずともかすかに聞こえる。オーケストラが盛り上がり、観客は静かに、歌劇に酔う。電子音と、レトロな管弦楽のミックス。これこそ彼女の音楽――――

 門出を祝うは、いつも歌姫。曲調はいつしか落ち着き、高音の声が静かに、響く。

「荘厳かつ華麗。まるで、この聖堂のようで。全く素晴らしいとしか形容できんな」

「ああ――――イザークは好きそう、こういうの」

 おそらく、オペラの感想は間違いだ。イザークは前を走る長い袖の聖者と重ね合わせたからこそ、素晴らしいと形容する。ただ美しい。ただ在るだけで、綺麗な。しかし儚く、触れれば壊れる脆い夢。

 幻想。オペラは、幻想だ。

「暗いので足元に気をつけてください。降りた先が、中庭です」

 ハムの声が暗闇より生まれる。尖塔なのだろう。螺旋階段。高らかに足音を鳴らしながら、下へ。石造りの壁を伝い、無限へ通じる螺旋の先。少年は扉を開き、夜の世界へ飛び出した。

 

 地上が輝き、天上が光る。天地、輝く今宵。世界は再臨を、喜ぶように。

 

 裏庭には、花壇が広がっている。背後に古城を。前方に崖を。裏庭ではなく中庭。そして、箱庭のように美しい。空に広がる巨大な月と、地を彩る光の花。天地の境界にのみ、闇が広がる。

 ここが、境界。そして限界点。もう戻ることは許されない。この花壇の先は、一方通行だ。

「……凄い、な。地面が光ってるようだ。花、か?」

 イザークが膝をつき、咲き誇る白い花に触れる。輝くわけでも、光るわけでもない。ただ白い花びらを精一杯広げているだけ。茎は薄い朱。花弁は美しい純白。それが光の理由。

「――――叔父さん、アナタも覚えていたのか。……他愛ない、日常を」

 日常の記憶などつまらなく、くだらない。だから誰も覚えていない。ハイネも、幼い妹も、誰も。だからこれは、オペラ一人の記憶で、どうでもいいモノだと思っていたのだ。

 ――――この花が好きだった女性がいる。いつも笑顔で水を撒いていた人がいる。そこに、皆がいた。

「もう、冬になる。雪が降る前に、行こう」

 リューヴとルテティアは気候が同じ。一年の四季、自転周期も公転周期も似ている。だから、この花が咲く今を、知れる。記憶の欠片にオペラは触れ、一つだけ手にした。

 時の経過は何もかもを変えて、奪う。もうあの日になど戻れないと残酷に知らせる。それでも、望むのなら。いつかまた、巡ることもあるだろうと。

 

「何だか。俺もこの花、好きになりそうだよ――――お母さん」

 

 母を呼び、子供は欠片を手に。過去を見る。戻れないと知ってなお、巡る。

「んだよ、枯れるぞバァカ」

 走り出そうとするカントが、一輪の花を手にした子供に声をかける。朝まで、明日まで、いつまでも咲くようにと願う幼い夢に、現実を。

「いいんだよ。花の良さくらいわからないとモテないぞ」

 時をかけ、子は成長を果たす。

 たとえ散ると知りながらも。それでもまた、オフェリアは花を手に。

 

 戻れぬ道を、行く。

 それが、我が人生。

 さあ――――幕を下ろしに、そして幕を上げに行こう。

 

 

 

―――――――――――――――――――――

Narr ---Opela

Nov. 21, Neo.Globe.0318

Ruve south area City of Floris

 

 

「やはり、私の最後の障害は、お前か――――」

 

「そうだろう。あらゆる罪を内包する我々こそ、今更戻ることなど許されないのだから」

 

 

 月下美人が、花の道を進む。月明かりと、花明かりで彩られたもう一つのステージ。演者は二人。観客は、思わず息を止め、その光景を見守ることしか許されない。客は客のまま、壇上に上がることは叶わない。

 

 帰還の旅。その最後に立ち塞がる。「オフェリア・フォーレ」が出現する。

 

 真贋。そのどちらも、本物。共に九年を本物と過ごし、本物である者は全てを失い偽者となり、偽物である者は全てを得て本物となった。ならば、そのどちらが偽物であるとは限らず。

 

 同じ顔。

 同じ声。

 同じ名。

 違いはない。ただ前の九年か、後の九年かだけ。

 

 

「アデレードの兄はただ一人。俺か、オマエだ。二人が揃うことは、無い」

 

「……さぁ。ただ、私とオマエでは違うことがある」

 

 

 だと言うのに、オペラはオフェリアを否定する。

 それは、十八年をオフェリアとして生きた者の言葉。それはただ一人。この世でただ一人だけが、知っている世界。曖昧な証拠。しかし確固たる証拠。オペラ・レーヴェは己が「記憶」を持って。目の前に立つオフェリア・フォーレを否定する。

 だが、それが何だというのか。勝者は一人。ルテティアに立つ者だけが、オフェリア。

 鏡に映る二人は。決定的に、致命的に違ってしまって。

 

 ――――決戦。

 其は。存在を許さぬ、運命がせめぐ。

 

「遊んでるヒマ無いぞオペラ。歌劇終演までにリューヴを出るッ」

 背後でカントが叫ぶ。硬直を止める声。それでも、ここから逃げ出すことは出来ない。踏破しなければならない道。邪魔も、塞ぐ者も、全て踏み潰して、その存在を否定して、この身だけが正しいと証明する傲慢。そこに間違いも、躊躇いも無い。

 目の前に立つオフェリア・フォーレだけは。この手で消さねばならない、罪の一つ。

 中庭は聖堂から近いのか。建物の一つから、音が漏れている。激しい曲調が一転し、静まった。漏れる音は、ソロの歌声。独唱を続ける女性の声。演目からいって、あまり時間は残されていないようだ。とは言え、派手な動きをするのも問題だった。

 再び、曲調が変わる。パイプオルガンが流れ、音は激しく、悲しく奏でる。

 

 中心に点を。二者は等間隔に。距離を保ちつつ弧を描く。互いに、徒手。されど一撃必倒。オペラの左腕に眠る「神の光イスラフィル」があるなら、オフェリアもまた同様の武器を右腕に持つ。

 やがて円周は狭まる。手の触れる超近距離戦。いかに懐へ入るかを競う、間合いの戦い。牽制し合う二人は、迂闊には飛び込まず、ある程度の距離よりは絶対に踏み込まない。草を踏み、場所が入れ替わる構図。近付くオフェリアの背を見ながら、これは彼が決着をつけねばならないこと、とイザークは言い聞かせる。

 動きは、無い。両者、同一。意志さえも同じ。無限に続く膠着の果て。勝敗さえも、螺旋の彼方に。されど――――敗北は、オペラに。

 二人は同じだ。しかし、立場が違う。ルテティアに居を構え、本物となったオフェリアと。フルジアに攫われ、偽者となったオフェリア。先に動く者がいるなら、それは後者。オフェリアへと挑むオペラでしかない。

 故に。敗北は、本物。

 

「教えてやる――――これが、」

 

 片方の弧を描く動きが、止まる。オペラは足を止め、一言、呟いてから。腰を落として横から縦の動きへと変化する。前。上体を低く、両手を広げ突進を開始する。迎え撃つは、オフェリア。同様に動きを止め、迫り来るオペラに備えた。

 神速。地を蹴る歩みは速度を上げ、風を切り、音より速く、光の世界へ挑まんと。一瞬にて、距離をゼロに変える。どのような効果か。光速へ達するオペラが、輝いてさえ見える。輝くは、その黒髪。

 

 彼の神名は、「Ophelia」―――――

 求めの声に応える、助けの者オフィーリア

 

 光と共に、オペラの身が消失する。刹那の影、月光の裏、光あふれる中庭。オフェリアの息が、止まる。翳る月、欠けた。真下、そして背後より淡い輝きに押される神が具現する。

 それは、左上の空。見上げた左手の先、宙を舞う。

 

「これが――――『俺』だ」

 

 跳躍、そして放たれる左腕。勢いに体重を、さらに加速し左腕が伸びる。それはオフェリアの顔面を掴み、刹那の極光の果て、降臨した。頭部を失った肉体が、地に堕つ。次いで、庭園を彩る赤色が流れた。

 勝敗は、一瞬。さらさらと髪が流れる音が、イザークには聞こえた気がした。神はなお、今も凛々しいまま。神々しく明日だけを見ている。

 

 蒼い月下。

 光る長髪を下げた、蒼い瞳の神を見た。

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