[ O d y s s e y ] /Joker Justice Judgment "Rigoletto" |
| 「ヒ、フヒヒ、グヒヒヒ。もしかして、アンタ、わしが人間だとか思ってんじゃねェの?」 そう、彼は笑った。肩をゆすり、表情を隠す金の前髪をそのままに、得体の知れないバケモノが笑った。粗野な声は華麗で耽美な場所に似合わず、この中でただ一人、奇怪であった。皮肉めいた言葉と反骨の態度。周囲が、少しだけざわついた。 頭をたれ、背を曲げ、異様そのものである「物体」が声をあげる。 「卿。貴殿は夜毎違う、名のある麗しい女性と過ごされているようだ。まったく羨ましい。わしも男だ。一人身であるから、女性は欲しいのさ。だが悲しいかな、生憎とわしは女性に嫌われるので、夜毎違う女性を相手にしている。ううむ、実は似たもの同士なのかな、私と卿は」 彼は笑う。聴衆も笑った。笑わないのは、道化と同じと笑い者にされたどこぞの領主だけだった。しかし反論はない。反論は無駄なのだ。この男は何を言ってもあらゆる詭弁で返してくる。何を言っても無駄であった。故に、顔を赤らめて睨みつけるしかない。紳士であるなら、こういった下劣な話をするわけにもいかなかった。 「おお、怖い怖い。まさに赤鬼。ふ、頬が膨れたぞ。まったく、怒張するのは下半身だけにしてくれないか」 高らかに笑う。道化師は口汚く、勝利を確信してなお醜く、笑い続けた。相手が誰であろうと関係などない。彼は道化師。笑われ、そして笑うピエロ。去り行くその背に、憎悪が向く。 反論できないのではなく、相手にされていない。理由は、道化師の背を孤独に見せた。
1 十六歳で徴兵され、二年で戻ると世界が変わっていた。 最前線からの帰還。土星を周回するいくつもの衛星。その一つであるタイタンに帰った時、彼はどこにも帰る家が無くなっていたことに気がついた。帰ってきたわけではなく、訪れたという言葉がぴたりとはまった。 二年。銀河系の果てで立派に戦った。タイタン出身の若者たちは結束し、敗戦続きの前線にて善戦した。彼らはその勇猛さを武器に、白兵戦闘を挑んだ。結果として、銃の効かない相手を打倒するのは剣だとわかった。それを証明したことは、戦機を転換させることだった。 英雄として戻ってくる、はずだったのだ。だが、名誉を手に入れ傷も持った彼らを受け入れた場所は、すでに故郷ではなかった。タイタンは十七の首長が十七の領域をそれぞれ治めていて、ヴァンドームという首長がリゴレットの領主だった。 同い年で、トリスタンという友がリゴレットにはいた。他の仲間は皆、戦死していたのだ。父は軍人としてまだ前線に留まっている。リゴレットには、帰る場所などキレイに無くなっていた。 「これから、俺たちみたいな人間は増える。だから、そういう集まりを作ろうと思っている」 トリスタンはそう言った。彼は退役した軍人を領地から募り、わずかな人数だったが集団を形成した。他の領地でも、同じような状態だったのだろう。田舎の騎士団は結成され、しかしリゴレットは入ることを逡巡した。 「わしは、そういうのは好きじゃねえ。軍なんぞ大嫌いじゃからな」 「んなこと言っても仕方ねえだろ。何かしなけりゃ生きてけねえ。農作業でも何でも、鍛えられたコトで応用できるなら得じゃねえか」 カヴァレリア、と名付けられた田舎の騎士団は大工作業や農作業に従事するようになった。それで生計を立てるのだ。トリスタンはその長として、そして何度もリゴレットを誘ったが、彼は首を振らなかった。それでも、余った資金で彼の妹と共に住める家を提供し、何くれなく面倒を見た。 「ホント。お前はいいヤツだにぁ」 「言うなら働け。リゴレット、お前は口ばっかり達者だからな」 しかし、リゴレットの背景は無い。トリスタンには、まだ帰る家があった。家の資金でカヴァレリアを結成したといってもいい。騎士団とは名ばかりではあったが、村落にたむろするような盗賊にならなかっただけマシだろう。リゴレットは居酒屋で働く姉の下での居候生活である。 「そうだ。ヴァンドームが宮廷道化師を募集しているのだそうだ。お前なら、その口で渡り歩けるんじゃねえか?」 トリスタンがどこからか、そんな誘いを持ってきた。生真面目で純粋なトリスタンとは対照的に、リゴレットは口も悪く、悪知恵ばかり思いつく人間だ。道化師には持って来いだろうとトリスタンは判断していた。人を馬鹿にすることにかけては、この男は天下一品なのだ。 「ダメダメ。わしは優しい男だからにぁ。そんな恐れ多いことは出来ん」 「はいはい。じゃあヴァンドームの家に言っておくからな。ちゃんと行くんだぞ。イレーネちゃんのためにもきちんと働くんじゃ」 こうして、リゴレットは宮廷道化師になる。華やかな舞踏会やパーティで、おどけて笑いを提供するのが仕事である。それが仕事なので、たとえ王様だろうと馬鹿にしてもいい。風刺と皮肉。それがリゴレットに与えられた権利と義務だった。
十七の領域。その中でも、最も田舎といっていい。世間は狭く、小さなパーティは毎度同じ面々が集まっていた。リゴレットは天職か、と感じていた。争い事は好きではなかった。体を使うより、頭を使う方が好きだった。 だが、タイタノイドと呼ばれる人種は違う。彼らは大きな体と優れた運動神経を生まれながらにして持つ。リゴレットらが前線で、白兵戦闘の有効性を世界に知らしめたのも、その卓抜した肉体能力のせいだった。そんな中で、研究者になりたいという願いが通じるとは考えにくい。 そのため、カヴァレリアが小さくとも認められるのだ。彼らは来るべき時に備え、軍事調練を施している。軍人が尊ばれる世相。まして、今は戦時下だった。戦闘種族とも噂されるタイタンの人間が、槍より本を好むことが受け入れられないのも当然といえば当然だった。 「リゴレットは誇り高きタイタノイドらしからぬ。髪を伸ばし、色も白く、道化には打ってつけよ」 十七首長の一人であるヴァンドームには、そう言われていた。髪は腰に届くほど伸びた。人とは違う格好をするのが道化だ。宮廷は、まるで世間の醜悪さを集めたようだった。蔓延する蔑視と誇張。見栄と世間体が飛び交う会話。道化でなければ、一生、入ることは無いだろう。また、耐え難くもあった。 全ては芝居。そう思うことで、リゴレットは宮廷で生きることが出来た。笑われているのは自分ではなく、道化を演じるもう一人の自分だ。そう思わなければ、やってなどいれなかった。世界は腐っている。お前たちは腐っている。そう、何度叫びたかったことか。 ただ、救いがあるとすれば、純真無垢な妹の存在だ。帰る場所を作ってくれた、妹。家族とは、本当に心のよりどころだった。 「兄ちゃん。トリスタンさんが来てるにぁ」 とある夜。宮廷から帰ると、トリスタンが家に来ていた。彼にはまったく頭が上がらない。トリスタンのような生真面目で純粋な青年は、まさしく騎士と呼ぶに相応しい。その性格についてくる人物も多いだろう。 「おう、来たかい。なぁ、リゴレット。後日、お前に頼みたいことがあるんだにが」 「なんじゃい。わしぁ、何も出来んぞ。武術をするにはブランクがあり過ぎる」 カヴァレリアは結成から一年で、人数を大きく増やした。来年になれば、また人が増えるだろう。前線から帰ってくる人間だけではなく、これから戦争に行く十六歳の若者も多かった。戦地で生き残れるよう、トリスタンは調練を課している。 「なぁに。俺はもうお前を誘うのを諦めとる。ちょっと手ぇ、貸してくれるだけでええ」 「それなら、いい。ただわしが使うのは頭で、体は弱いのよ」 「言っとれ。諦めたとは言ったが、お前が望むならいつでも大歓迎だかんな」 買われていた。背中を任せられる、信頼の置ける友人としてだけではなく、腕を買われていた。田舎の貧乏人は木の棒を振ることでしか体を鍛えられなかった。都会の若者のように、銃の訓練などしていなかったのだ。 機転が利き、頭の回転も速い。そういった部分を、トリスタンは買っているようだった。 「話は変わるが。お前、まだイレーネちゃんを幽閉しとるんか」 酒を飲み始めた頃だった。トリスタンは酔った素振りを見せてはいなかったが、そんなことを言ってきた。イレーネは、ずっと家にいる。友人もおらず、家事だけをしていた。妹にだけは、この醜悪な世界を見せたくない、という思いがある。知らず、それが出ているのかもしれなかった。 「まぁ、お前の気持ちもわからんではないけど」 「何せ、こんな仕事じゃ。見たくないもんまで見えてくる。道化の妹なんぞ、いい評判ではないにぁ」 「道化が愚痴るか。こりゃ、珍しい」 「茶化さず、聞け。わしぁ、お前に妹を託したいと思ってる。田舎者だが顔はそこそこいいし、泥臭いがオシャレさんじゃ」 「一言余計だが、道化が褒めるか。こりゃ一大事だ」 茶化すな、と言ってもトリスタンはまだふざけて笑っている。双方、共に酒豪。まだ酔うには早すぎる。珍しく、リゴレットは怒ったような顔でトリスタンを見た。端整な顔で、剛直な唇の線が特徴的だった。まだお互いに十九歳。イレーネは2つ下の十七歳だ。結婚には早いが、昨年まではトリスタンの家にもいたのだ。 「駄目じゃ駄目じゃ。俺ぁ、恋人には向かん」 「イレーネは口は良くないが、顔と胸はいいぞ。どうじゃ、それでも駄目か」 「そりゃ、確かに可愛らしいし、十七にしては胸も大きいかもしれんが」 「二人とも。そういう密談は、本人のいない間にやってくれませんかにぁ……」
2 髪の長い道化師は、酒場では大人気である。口調を変えるわけでもなく、リゴレットはいたって普段と変わらないのだが、不思議と男性客に人気だった。おそらく、その地味すぎる細やかな気遣いが原因だろう。 ここ最近、広まった風潮である。二年間の出征を終えて戻ってくるのは、半数にも満たない。現に、リゴレットの代には、全体の八割が戦死という有り得ないほどの戦死者率を誇った。三年後には十六歳から二十二歳の間の年齢層が極端に落ち込み、男女比率が崩壊すると計算されている。 そこで導入されたのが女性の結婚権の保障制度だった。重婚の許可、それに伴う男性側の経済的扶助。ただ実際に配偶者を二人も三人も扶助し続けるのは無理がある。結果、容姿に優れた女性を富裕層が専有するという事態になった。除隊後で仕事の保障も無い若者には、結婚すら許されない。 となると、若者たちが男色行為に走るのが道理である。 「リゴレット、コレ二番テーブルね」 「えぇッ――――あそこ冗談で済ませれないっぽくて嫌なんじゃけど、さ」 カウンターに運ばれる酒と料理。その向こうで、リゴレットの姉で、店を取り仕切るジルダが睨みを効かせている。アタシじゃジョークで済まされないから行けよ、愚弟。その目つきに圧倒され、渋々動き始める。 今日という日、トリスタンに頼まれたのは、ジルダと二人で酒場の切り盛りをしてくれ、とのこと。兵士の士気向上のために使われたようだ。リゴレット同様、トリスタンも酒の瓶を持ち歩き、ふらふらと各テーブルの部下たちに酒を振舞っている。 そう、妹を出したくないのは、こういう理由だ。富裕層は美しい女性を根こそぎ奪い、貧困層は伴侶探しに目の色を変えている。器量さえ気にしないほどの激しい争奪戦。その中にイレーネを放り出したいとは思えない。それに関しては、ジルダも同意見だった。 「なぁ、リゴレット。明日合戦やるんだが、来ないか?」 「行かん、トリスタン。戦勝前祝も結構じゃが、ホントに勝てんのかァ?」 「リゴレット、私の前で訛るなって言っただろ――――!」 カウンターから洗っていないジョッキが飛んでくる。そうなのだ。ジルダは何故か、方言を許さない人なのだ。教育熱心な人だが、いまいちその意図が読み取れないのがネックである。厳しくしすぎた自覚はあるのか、それとも女には甘いのか。イレーネにその被害は無い。 「はいはいはいはい、言わなきゃいいんだろ、クソッタレ」 隊長、と声がかかる。見事にジョッキが命中した団員の悲鳴のようだ。最早、場は混沌。酔いと罵声が競演する楽しいバー。 「うむ、我慢するのだ。しっかしお姉さんも相変わらず豪快だにぁ」 「トリスタン、アンタも訛るな――――!」 そうなのだ。この人は親友相手でも全く手加減をしない人なのだった。
方言禁止の酒の席。ジルダの前で、二人は語らう。明日はトリスタン率いるヴァンドーム領地の騎士団と、ヴァルトブルクの騎士団との演習があるらしく、今日は景気付けに現れたようだった。すでに明日に備え、カヴァレリア団員たちは眠っている。ヴァルトブルク騎士団と言えば、「黒い狼」の異名を持つ精鋭中の精鋭だ。 「これを上回る実力を見せれば、我らの名は上がる。いずれ、我らがタイタン全土を動かすような役を担わねばならん。そうしないと、ここは変わらない。いつまでも地球の属国だ」 「大層なこと考えてるんだ、な。ま、確かにヴァンドームの無能が治めてるようじゃ、脱却は無理だ」 十七首長。現在はヴァルトブルク首長がタイタン代表となって、地球やユーロパなどの太陽系による統合政府に参加している。しかし実情は、地球が盟主となり先頭を突き進んでいる。実際、ユーロパもタイタンも、昔の地球人が移住した結果で地球人には変わらない。属国というより、植民地だ。 その体制を変えるには、独立に近い刺激が必要だ。決して靡かず、ひれ伏さない強硬な姿勢。それを、タイタンに求める。だがトリスタンは、自分が盟主たらんという野望がある。自らの手で世界を変えるのだという夢と、気迫がある。リゴレットには、それが無かった。 ある意味、憧れだ。国に戻っても、動かなかった。動こうと思えなかった。トリスタンは親友だが、もう、手の届かない場所にいる眩しい存在だ。しかし――――焦っている。 「だが、動かなければ何も変わらない。今、こうしている間にも、俺たちの仲間は死んでいるんだ」 「だからといって、今動けば何が変わる。ヴァンドームを殺して、お前が首長になるか?それとも、ヴァルトブルクも殺すか?それぐらいの劇薬でなければ、変わらん。時代には流れがある。そして、いつしか熟す。逸るのは、損ぞ。トリスタン」 着実に、現実的にトリスタンは事を進めている。彼には、叛逆といった方法など考えもしなかったに違いない。騎士団の名を上げ、人々に知られるようになり、いつしか担がれ、首長になる。だが、その時はいつになる。十年、二十年。あるいは、もっと時間がかかるかもしれない。 機が熟す。それまで、待つ。その時、一気にして、一瞬に。世界は、変えられる。 「ダメだ、ダメだダメだ。それは、許さんぞリゴレット。いくら大義のためとはいえ、人を殺して上に立つことに、意味は無い」 「ならば爺になるまで待ってろ。なぁに、そん時にはタイタンの青年なんぞいなくなってるかもしれんな」 トリスタンが、怒気を含ませ立ち上がる。思わずリゴレットも、立った。 「正論で世界が変わるか。理性で何が出来るものか。狂気じゃ、トリスタン。狂ってみろ、お前に足りんのはソレだにぁ」 「まだわからんか、リゴレット。それで掴んだとしても、人はついてこんのだにぁ」 思わず、熱くなる。喧嘩になりそうな口論。そう、もう議論には火がついている。それを消すように、強烈な一撃が脳天に降ってくる。酒の瓶が割れる。同様に、トリスタンの頭上にもジルダの鉄拳が降った。何故に自分だけ酒瓶なのだ。 「青いねぇ、お二人さん。愚弟、アンタは暴論。トリスタン、アンタは真面目すぎる。理想主義者と現実主義者のコンビなのに、どーしてウマが合うのかな」 さて、理想主義者とは、どちらなのか。ああ、それはきっと。 二人とも理想を求める現実主義者だから合うのだ。
3 賭けに負けた。元より分の悪い賭けだったが、単なる負け損でもなかった。失ったのは妻の一人であるし、トリスタンという若い騎士はそれなりに善戦したのだ。うら若いヴァルトブルクの息子にくれてやるのは些か癪ではあったが、代わりはすでに見つけてある。 教会で出会った女だ。若く、地味だが美人だった。今まで色恋沙汰も無かったような田舎の娘を口説き落とすことなど、老練なヴァンドームにとっては楽な仕事だった。そのまま寝室に連れ込み、後はその快楽を何度も与えてやれば、自ずと現れるようになるだろう。 どうやら彼女は、道化師の愛人らしい。おどけたいつもの調子で城内を回っていたが、探し人を訊ねていることは明らかだ。口は上手い。度胸も中々だ。だがしかし、あの男に忠義というものは無いだろう。飼い慣らすのは、不可能だ。もちろん、邪魔になれば消すだけである。 ヴァンドームには理解が出来なかった。自分には大した野心も、欲望も無い。小さな田舎の領地で、こじんまりとした富豪で充分過ぎる。妻も四人もいらないと思えるし、ヴァルトブルクのような壮大な夢も無かった。ただこうして、自分の領地とある程度の権力を守れれば、それでいい。 夢など、若く熱血とした青年が持てばいいのだ。すでに老齢に近くなった初老の男が持つべきものではない。そうして、血気に逸る若者を押さえるのが大人であろう。現状維持すらままならず、無闇に逸るのは野望というより無謀である。 「たかが女一人に、無謀をするか。道化師」 もし道化師が、その女を欲しいといえば、きっとくれてやるだろう。だが、あの男はそれで満足するような飼い犬ではない。次は金、そして権力。欲望は果てが無い。なぜなら、道化師はたかが女一人に無謀をするような浅慮をするはずがない。その先にある何かを見ての行為だろう。 トリスタンも同様だ。先日、酒場で叛逆を示唆するような会話をしていたとも聞く。真実かどうかは定かではない。元より部下の言葉、その全てを信じるつもりも無い。だが、頭の片隅には入れておくべきだ。血気に逸る青年たちの暴挙が起きないとは限らない。 タイタンの未来は明るい、とは決していえない。同郷の青年が戦地で、その半数以上が死んでいく状況で、黙っているのは難しいのかもしれない。だが、体制を変えたとして、何が変わるのか。田舎の一首長が倒れたとして、何が変わるのか。そんなことも、彼らはわからないのか。 リゴレット・リエンツィ。単なる道化師。無愛想だが、口が達者で愛嬌がある。ブロンドの髪は驚くほど長く、酒姫とも呼ばれ身内の男性からの人気を集めていた。ひょっとすると、トリスタン・シュトラスブルクより、もし決起するとするなら、この男が中心になるのではないか。 それは、勘だ。自己保身の勘だが、予感でもある。 「……悪魔は死んだ。邪魔な罪だけ遺して、か。さて、彼は悪魔となるか、あるいは英雄になるか」 夢などに、価値は無い。 それを持った
部下の一人から、それは語られた。敗北はしたものの、かなりの善戦をし、ひとまずカヴァレリア騎士団の名前を覚えさせることには成功した。どうやら、ヴァンドームとヴァルトブルクの間で賭けのようなものもあったらしい。 イレーネがヴァンドームの三人目の妻となるらしい。そんな話を、部下から聞かされた。無論、王宮に出入りを頻繁にしているリゴレットの耳にも届いているだろう。経緯はともかく、こうなってしまった以上、リゴレットの動向だけが気がかりだった。 早まるな。それだけを、思う。だが同時に、何かが起こることを期待している自分に、トリスタンは失望した。リゴレットなら。彼ならば、本当にヴァンドームを殺すぐらいはやってのける。そのことを期待し、待つ自分がいた。 「馬鹿か、俺は。手を汚すとすれば、それはアイツじゃなく俺だろうに」 イレーネ、ジルダを含めて、リエンツィの家とはずっと懇意にしてきた。リゴレットと共に、ジルダに育てられたようなものだ。年の近い姉。そしてイレーネを預かったこともある。それは徴兵中の間の出来事だったが、トリスタンも姉弟の一人で、兄妹の一人のつもりだ。 家族。そして兄弟でもあるリゴレット。このまま、見過ごすことなど出来るか。 「お前は今すぐ、リゴレットを探せ。今夜、ジルダさんの店だ」 伝令役を走らせる。間に合うことだけを願い、自分もジルダの店へ急ぐ。ヴァンドームの評判は、あまりよろしくない。リゴレットが無能と評すように、上に弱く下に強い、典型的な専制君主だ。しかしあまり野望めいたことはせず、極めて安定に、穏便に領地を治めている。 ただ、やはり貴族で、女性の扱いにかけては巧みな部分がある。およそ恋などしたことがないイレーネなら、容易い。そしてそんな道を彼女に歩ませるのは、忍びない。ジルダなら玉の輿で保険金でも狙うような精神なのだろうが。ほら、絶対に旦那の方が早く死ぬだろうし、子供でも出来れば万々歳、みたく。 「いや。だから俺、何考えてんだ――――!」 今はそれどころではない。残念ながら、引っかかったのはイレーネだ。何故、リゴレットとジルダが今までイレーネを世間に出さなかったのか。出すタイミングを失ったのだ。今さら出るには出られない。それが、悔やまれた。 世間知らず。だが、とても素直で純粋な女性だ。リゴレットに縁談の話を持ちかけられた時も、まんざらではなかった。だからこそ。だからこそだ。自分が今、おそらくリゴレットと同じ心境でいることに気付いた。奴が死ぬのを待つのではなく、奴が死ぬことを望んでいる。 「あ、トリスタン。どしたい、まだ店、開けてないんだけど」 ジルダの店に飛び込む。さすがに、まだリゴレットは来ていないようだった。血相を変えて飛び込んできた客の形相で、彼女は事件について知ったことに気付いたようだ。急に、表情が引き締まる。そうすると、リゴレットとよく似ていた。 時折、リゴレットもはっとするほど美しく見えることがある。髪が長いせいもあるが、女性顔なのだろう。姉に育てられたせいもあるかもしれない。それは男の自分から見て、彼を男として純粋に美しいと感じる。風流。そんな言葉がはまる。 「いや、だから。そうじゃなくて」 「アンタ、その独り言のクセ、直せって言ったのに。ぶん殴ってやろーかぁ?」
夜になっても、リゴレットは来なかった。開店する素振りも見せず、ジルダと二人、待っていただけだ。気持ちだけが先回りする。そしてやがて、待ちきれず、立ち上がった。 今日は、王城で仮装パーティなどがあるらしい。トリスタンの言葉を蹴り、そのパーティに出るということは、今夜。あの男は何かしでかす気だ。 「気になるなら、堂々と行けばいい。そう容易く、門前払いされることは無いでしょう」 フラストレーションだけを貯蓄していく頭に、冷水のような一言。名前を出せば、身内だけのパーティなら出席は出来るかもしれない。田舎の片隅で行われる、ごくごく狭い社交界。自分なら、その資格は充分にある。 「――――ジルダさんは、」 行こう、と思った。だがその前に、彼女に訊ねたいことがある。助言だけをして、未だ彼女はカウンターの奥。こちら側に、活動をする側には回らなかった。 「アイツが何をすると思っています?」 「リゴレットは、殺すわ。止めるのは、トリスタン」 大きな瞳。魅入られるように、ふと、足が止まった。彼女は酒の瓶を片手に、やはりカウンターから動こうとはしなかった。その言葉は、腑に落ちない。きっと止めることは、しない。こうなれば二人で、という思いさえある。 「行きなさい。振り返らず、足を止めず。未来へ」 何だ、と思った。何か理解出来ない。 自分はその時、瓶に映った彼女の覚悟を知ることは出来なかった。
4 細い長剣を腰に。髪の長い貴族が腕を組んで壁に寄りかかり、周囲を流し見ていた。顔のペイントすら無い。道化師は化粧を落とし、リゴレットはここに立つ。燕尾服に身を包んだ姿は普段とは違い、どこか気品さえ感じさせるものだ。 何もかもが違う。口を開くことはせず、片手に握ったシャンパングラスを傾けるのみである。おそらく。あれは誰だと噂されることはあれど、道化師と信ずるものはいなかっただろう。長い髪を縛り、美しく櫛で整え、どこかの若い貴公子を演出していた。 凛とした表情の行方。階上を睨む。首長は耳打ちで何かを部下に聞き、寝室の方へと去っていった。その動作を見た時、ようやく動き出す。颯爽と会場を横切り、階段を上がる。自然な動きは誰の目にも映らず、容易く階上への移動を成功させた。 「道化師。私が憎いか――――」 廊下の先。突き当たりに見える首長の姿。呼ばれ、向き直る。階下からは華やかな音、灯りから逃げるように、一歩二歩と前に出た。イレーネの姿はどこにも無い。正直、迷う。彼女を探すべきか、否か。全てを終えてからの方がいいかもしれない。 「イレーネを返すつもりは無いか、好色首長」 最後通告である。だが、可能性は低くともある。首長ともなれば代わりの妻などいくらでも手に入れられる。何も、世間を知らない田舎娘である必要は無い。 「では、問おう。道化師、貴様はあの娘をどうしたいのだ。ずっと飼っていたいとでも言うか?」 「いんや。『醜悪な世界』を見せたくなかっただけ、サ」 「それは無理な相談だろう。家の中に閉じ込める以外、無いな」 世界は、変わる。今日、この日。今、これより。 誰に阿ることもなく、私は私と立ち上がる。従属など知らぬ、隷従など行うものか。その現状、満足して上を目指さない者と比較など。戦場で、知る。何ともならない世界の掟。それを覆そうと思うほど、強烈な世界。それは使命感に似て、強力な衝動に変わった。 「オレもオマエも、地球人じゃねえ。タイタン人。何故その誇りが無い、何故そう思えない。諦観で何が変わる、明日は今日より素晴らしいと、何故思わない、何故願わない。何故、アンタは歩こうとしない」 「青臭い、夢だ。独立を果たしたとして、どうする。戦うことを止めるか、抗うことを止めるか。あるいは、いっそフルジアに降伏するのか。何も変わらない、戦えるのは我らだけなのだ。青臭い正義心がある限り、お前は戦い続けるだろう?」 戦争は、終わらない。それはいつ。五年、十年で終わるのか。もし勝つとしても、それは何十年も先の話ではないのか。それまで、戦い続けるのか。 それが、責務。変えたのなら、責務を背負い、先頭で戦い続けるだろう。いつかこの身が、朽ち果てるまで。 「そんなものは、今だけだ。三十になったお前が、最前線で剣を握れるはずがない」 細剣を、抜く。言葉は無用。最初から話すことなど無かったのだ。お互いに、相容れない。少しでも通じる部分があれば、理解出切ることがあれば、おそらく衝突には至らなかったろう。ヴァンドームはイレーネを返すこともあるかもしれない。あるいはリゴレットが、彼女を託したかもしれない。 薄暗い廊下、階下もすでに終幕が近い。騒然としてきた階下の音とは反対に、廊下は静まっていた。剣を抜き、対峙する。互いに、負けるとは思わなかった。 道化師。武を捨て、誇りを捨て、戦士ではなくなった。親友の誘いも蹴り、戦士であることを止めた。 「斬れるか、私が。道化師」 状況は、不利だった。もし誰かが駆けつければ。ここは首長の館。まずは場所を変えること。その焦りに、あえて首長は乗った。後ずさりしながら、後ろ手にドアを開ける。バルコニーへ通じるドアを抜け、外へ。一定の間合いを保ったまま、リゴレットもバルコニーに出た。 およそ、両手を広げられるだけの横幅。闇夜に二つの三日月が輝く。心理戦に近い。ヴァンドームはよもや、この道化師が武に長けているとは思ってもいなく、故に外へ出た。そのことで、襲撃されている側が襲撃側へ有利に動くという撹乱の作戦に出ている。 「先ほどの問いだがな――――ヴァンドーム」 口元が、釣り上がった。怪しく笑うリゴレットの表情が、一瞬、見える。 「地下で会った時、答えよう」 ふ、と。リゴレットの体が消えた。闇に消え、再びヴァンドームが見た時。深々と剣が自らの腹部を貫通しているのがわかった。手を伸ばせば届く距離。髪さえ触れる位置。間近で見る道化師は、顔を伏せているようで別人に見えた。 まさか、という思いと。やはり、という思いがある。彼は失念をしていたのだ。リゴレット・リエンツィが兵役の際、戦地でどのような働きをしたのかを。彼はトリスタンの友人、だけではなく。トリスタンの上官で、タイタン軍を前線でまとめ、白兵戦闘の有効性を全世界に示した指揮官である。 勇猛果敢、鬼神の如き活躍をした一騎当千の戦士。 唯一、敵軍を退けた経験を持つ。アンドロメダ最強の英雄を。
ヴァンドームの死体から剣を引き抜き、崩れる体をそっと床に倒した。 ふと、背後の気配に気付き、振り返る。剣を突きつけた先に、乱れたままの衣服でいる、妹がいる。赤い血。彼女にだけは、見せたくないモノ。 「――――何で。何で。お兄ちゃん、コレは。何」 そして、気付かなかった。彼女は確かに恋をしていて、未だ、その幻は解けず。死してなお、幻は強く、強く、呪うように、強く残る。 初めて。兄は妹を、最悪の形で、泣かせた。 その涙に、どんな説明が出来るだろう。たとえ最低の男だったとしても、そうと知らない彼女に、何を伝えられるだろう。自分が守りたかった何か。守るはずの、妹を傷つけているのは。 「リゴレット。ここはジルダさんに――――」 さらにその奥から、トリスタンとジルダが現れる。ここに人が駆けつけるのも時間の問題だ。そうすれば、リゴレットは殺人罪で裁かれ、トリスタンの立場も危うい。捕まるわけにはいかなかった。逃げる。その一手しか選択肢は思い浮かばなかった。 「いや、違う。トリスタン、イレーネを任せるのはアンタ。リゴレット、剣を貸しなさい」 強引にジルダが割って入り、泣きじゃくるイレーネをトリスタンに、文字通り押し付けた。何を、と思う前に。右手を強く、握られて。ふと、ジルダは前に立った。 彼女の意図が、見えない。何をするつもりだ、と問う前に。何故だか、勝手に、右手が動いていた。 左胸に突き立つ。先ほどと同じはずなのに、妙に、その感触が手に残った。ゆっくりと、手を伝って脳へと感触が行った。そして同時に、理解した。この手が。我が姉を貫いた事実を。 「は――――馬鹿、姉ちゃん何やってんだアンタ――――!」 急いで腕を引く。最早握る力も残されていないのだろう。あっさりとソレは抜け、支えを失った肉体がヴァンドームの上へ重なる。そんな音も、嫌に耳に残った。 「うっさい。愚弟、わかるでしょうが」 予感は、あった。トリスタンとリゴレットによる謀反計画。そんな噂が流れていた事実もある。ヴァンドームの死体を見つけたのなら、嫌疑が及ぶのは二人だ。だが、その嫌疑を逸らせることは出来る。もしも動機が情痴絡みのものならば。妻の一人が嫉妬心から殺害したとなれば、話は変わるかもしれない。 可能性の問題だ。だがもし逸れたなら、ジルダがイレーネと間違えられたなら、誰も傷つかずに終末は迎えられるかもしれない。ただ一人。罪になるのは、ただ一人でいい。対価の問題。その判断を、ジルダは勝手に下しただけ。 「む、無理だって、姉ちゃん。だって姉ちゃんブサイクだもん」 冗談気味に放つ言葉も、もう届かないのかもしれない。彼女は穏やかに、呼吸を繰り返すだけで反応をしなかった。穏やか、ではなく。弱々しくだったのかもしれない。その大きな目は、もう何も映していないのかもしれない。 「早く行けって、愚弟ども。アタシのめっちゃ崇高すぎる意志を無駄にするのかよ」 浅慮だったのは、誰だ。もっと何か、別の方法があったのではないか。だが浅慮なのは、きっと遺伝なのだろう。ここにも浅慮過ぎて先走る姉がいるのだ。嘆き悲しむ暇さえ、与えずに。 考えることを、リゴレットは止めた。感情も思考も理性も全て止めて。背だけを向けた。 去り際、ふと声が聞こえた。その声を、一生、忘れはしまいと心に決めて。
5 出立の日。トリスタンだけが送りに来た。 「首長になれるチャンスだ。経歴に傷のつくような真似は、するな。せっかくオレ様もいなくなるんだからな」 「酒姫のキレイな 責任がある。残る者、去る者。きっと残るトリスタンの方が辛いだろう。だが、おそらくトリスタンならやってのける。責務を果たし、いつか、この国を背負う。そこに自分は当てはまらないのだ。リゴレットはそう勝手に納得し、逃げることと決めた。 ここには辛いことが多すぎる。イレーネのためにも、姉のためにも、去る方が賢明だ。 「妹は、頼むぜ。色男」 「任されよう」 別れは、それだけ。背を向けて、歩き出す。いつか、また会う。それを信じ、今は交わす言葉は無い。 思い残すことは多く、未練が無いわけではない。ただそれを上回る、希望があるだけだ。 |