[ O d y s s e y ] /Elapse Engraved Eternity "Opela, Canto, Isaac" |
| 1 フルジアを背後に。スカラは一路、ルテティアを目指す。広大な漆黒の海。そして浮かぶ無数の光。星の海を進むその先、第一の関門である電磁宙域が待つ。 ヴァルゴ・クラスターからアンドロメダへの通行は、不可能ではない。まずスターバースト宙域を通行するミザール航路。そして前線を突破するレグルス航路の二つだった。どちらも厳しい出入国監査を行う関所が存在し、軍が航路を塞いでいた。 電磁宙域は防衛ラインでもある。定められた関所以外を通過しようとすれば、電磁波攻撃に引っかかり、船は作動停止に陥る。関所には軍が詰めており、アンドロメダの船が通ることは不可能だった。唯一、通行が許されているのはネアポリスの商人くらいなものだ。 経済での繋がりは、イリーガルに限定して存在する。フルジアは技術を売り、商人は原材料を売る。例えば、ティールで鉱夫を働かせて鉱石を得て、それをフルジアに売りつける。フルジアは製品へと加工をし、逆に売りつける。買い取った商人がアンドロメダ内で売りさばく、といった面倒な流通路である。 シーリアを出発して三日目。士官用の個室で眠る三人に、自動操縦の警告が鳴る。飛び起きたカントが狭い通路を伝ってコックピットに赴くと、広がる視界には電磁宙域の関所が待っていた。混雑し、雑多な航宙艦が通過するのを待っている。渋滞ともいえる風景に圧倒されながらも、カントは眠る二人を呼びつけた。 「おいおい。こりゃあ、どうすればいいんだ?大体、コレ軍艦だろ?」 スカラはフルジア帝国軍のスピカ星系軍団に属するフリゲート艦だった。軍属の船が民間に混ざって関所を抜けようとすれば、おそらく問題になる。徐行しながら大型の輸送艦の後ろにつけ、渋滞する関所を見ながらゆっくりとスカラは止まる。 「突っ切ることは出来ないのか?そもそも、民間の船籍であれば、渡航が許可されるものなのだろうか」 「知るかよ。こればっかりはフルジア人に聞かねぇとわからん」 やって来たイザークに、両手を挙げて降参の意を示す。少しだけ、前にスペースが空く。大型艦の後ろに詰め、再び停止。この分だと、あと三十分は通行できないだろうとカントは推測した。肝心のオペラはまだ来ない。 あれほどけたたましい警報とアナウンスでも起きないとは、何かあったのだろうか。ふと心配になり、イザークが立ち上がる。ついてこようとするカントを制止し、ここは女同士だから、一応と付け加えてコックピットを後にする。 旅客機とは比べ物にならないほど狭く、無骨な造りのフリゲート艦。中央に個室と広間がいくつかあり、左右に狭く暗い通路がある。真っ直ぐにオペラが寝ているだろう個室に向かい、イザークは操作盤に触れてドアを開く。 「オペラ、朝だぞ。緊急事態だ、早く起きてくれ」 声をかけつつ、入室する。自室と同じ調度の部屋。奥にあるベッドは盛り上がり、人が寝ていることを示している。それに近付き、顔を覗き込んだ。口元までを布団で覆った寝姿は、年相応の少女のものだ。可愛らしい、と感嘆しながら、しばし、その表情を見守る。 こうして見ると、本当に綺麗で可愛らしい寝姿である。アデレードと双子であるなら、それも当然。本来なら絶世の美女姉妹として世間を風靡すべき存在なのだ。乱雑に切られたセミロングの髪はやや青味がかった黒色。それに美しい蒼い瞳。閉じられた今は、迫力が無い代わりに可憐さがあった。 「……オペラ、起きよう。君がいないと困るのだ」 頬に触れる。両手で頬をぺたぺたと触る。にひー、とかいう不思議な鳴き声が聞こえた。思わず、強くつまんでみる。鳴き声がやや、大きくなった。 「……可愛い」 「にひー」
順番待ちはまだ続く。だが、フルジア軍の人間のチェックは確実に近付いている。二つほど前の輸送艦に対してフルジア軍のダグボートが近寄り、中に入っていった。 コックピットの後部が開く。イザークがオペラを連れて戻ってきたようだ。 「やぁっと来たか、寝坊だぜ――――」 振り返るカントの顔が、変になる。視線を外すイザークの隣には、紛れも無いオペラ・レーヴェの立ち姿。寝乱れた衣服は脱がせようと努力した痕跡が見られるものの、効果は無し。目は細く、開かれているのかもわからない。半分どころか九割は夢見心地なヴェルク第二位の非情なるエージェント様である。 「オペラの弱点が寝起きだとは……不意をつかれた」 「いやいやいやいや。ソイツ、起きてんのかよ?」 挙手するオペラ。どうやら問いにイエスと答えたらしい。ぼっさぼさの髪の毛がかすかに揺れる。オペラ・レーヴェはこくんと頷いた後、その顔を上げることはしなかった。 「ソレで意識あるのか……奇跡、だなぁ」 「いくらなんでも冗談だろうと思ってな、一発本気でぶん殴ってみたのだが――――」 引っ叩かれた後頭部を押さえて鳴くだけだったのだ。この寝覚めの悪さは神業としか形容のしようがないらしい。頭を下げたオペラががくんと倒れそうになるのを必死でフォローするイザーク。これは本気で万事休すかもしれない。 だが、フルジアは待ってくれない。気付けばダグボートが前方の輸送艦からやって来て、通信を入れた。ひどく事務的な問いかけに動揺しながら、当たり障りのない返答をするカント。ディスプレイ越しの女性士官がハッチを開けるように指示し、仕方なしに応じて操作をする。 コックピットの扉が開かれ、先ほどの女性士官と軽装ながらも武装した兵士が二名、随行して入ってきた。ふと、オペラの顔が上がった。起き上がったのか、とイザークとカントが胸を撫で下ろした。 「フルジア船籍スターフリゲート、ラ・スカラ号ですね。積荷の有無と渡航内容、並びに渡航許可証の提示をお願いします」 「……渡航許可証はコレ、渡航の理由は旅行、積荷は私でしゅ」 ほひー、といつものモバイルを渡すオペラ。その口調とか態度とか。胸を撫で下ろした二人が再び、唖然とした。だが、特に怪しむこともせず、受け取ったモバイルを操作し、確認した女性士官は一礼し、良い旅をと付け加えてモバイルを返却する。 「給油は関所の先、アンドロメダ側に設置されたステーションをご利用ください。レグルスまでの航路はこちらで示します。また、レグルス星系まではフルジア軍の指示に従いますよう」 「……わかりました。お勤めご苦労様」 ばいばーい、と手を振って三人を送り出す寝ぼけバカ。とりあえず、色んな意味で呆れ返るしかない。
2 「……民間人がおとめ座からアンドロメダに行くことは可能でー……その場合、渡航の理由を示した申請書を政府に提出し、認可を受けるの。『敵国に行って死んでも政府は知らにゃいよー』って内容の許可証を。自己責任で行ってねー……ぇってコト。逆にアンドロメダの人間は指定された非武装地帯までしか行けないケド」 コックピットの椅子に座り、わかりやすく解説をするオペラは、まだ夢見る少女だった。起床から一時間近くになるが、一向に覚醒する気配は無い。しかしながら、よくよく真剣に聞いてみると、普段のオペラとさほど変わらない気もする。妙に間延びした声ではあるが。 半分も開いていない目から視線を外し、二人は計器類を見る。フリゲート艦は旅客機でも航宙母艦でもないので、長距離の運航は想定されていない。燃料の補給が急務で、食料などの備蓄も揃えなければならなかった。 電磁宙域のバリアを抜け、すぐ見えるアンドロメダ側のステーションに接近する。周辺は混雑しているようで、行き交う船が交錯していた。ステーションからの通信で誘導され、指示されたドックへと向かった。 「つっても管理方法とかはわからんからな……事務的なことはオペラに任せるしかないのか」 「不安と言えば不安ではあるが、この状態でフラフラ出歩かせるわけにもいかんだろう。係員に料金を支払って留守番をしてもらうのが一番だ」 役割を分担する。オペラは係員と共に係留し、停泊と燃料補給の代金を支払う。カントとイザークの二人は食品などを購入し、昼食に近い朝食を用意する。意図は眠り姫にも伝わったようであり、こくりと頭が下がったのでよしとする。 指定されたドックに入渠し、停止する。上部から固定用のクレーンが降りてきて、しっかりとロックされたことを確認して二人はハッチから外に出た。連絡通路を伝い、全てのドックと繋がった管制室に入る。入ったドックの管理をしている担当に、オペラから指示を受けるようにと言伝をしてからステーション内部へと足を向けた。 ステーションではアンドロメダのマネーも使用可能らしく、調達に困ることはなさそうだった。雑多な人種で溢れる内部はなかなかに賑わっており、珍品なども置かれている。おそらく、流通の中間地点に当たるのだろう。税も安く、物価は比較的低価格だった。 フルジアから直輸入することもでき、中間マージンを挟まないことで低価格化しているようだ。やはりここでもネアポリス星系の人間が多く、その独特な頭部を揺らして買い付けなどを行っていた。何かと蔑視されがちなネレイド人ではあるが、やはりその経済力が持つ影響は大きく、羨望も蔑視の原因ではある。 「フルジアの軍人も結構多いんだな。電磁宙域ともなると、後方の一大駐屯地で平和なクセに人手がいるからか」 「オペラが言っていた非武装地帯、とはこのことだろう。後ろでフルジアが睨みをきかせているから交戦も起きず、ある程度の中立になっている。経済の力は強いな、恐ろしいほどだ」 補給用の商店が並んだフロアに入る。広大なショッピングエリアには数々の商店が並び、新鮮な食料品から保存食まで取り揃えている。中には武器や弾薬、そして船そのものを売る店もあった。 ひとまず、次はレグルスまで一気に行くしかないため、多めに備蓄を揃える必要がある。飛ばせば燃料が保てないので、およそ一週間ほどの旅路だ。 「イザーク。お前、いくら持ってる?」 「個人資産か。貯金をするほどの余裕はないからな、せいぜい十万というところだ」 ヴァルトラウトからもらった額とほぼ同じである。合わせて二十万。独力でルテティアに向かうには充分過ぎる額面だった。イザークの金も合わせればおそらく、金に困ることはないだろう。 「よし、貸してくれ。実はオレ、船買ってもうお金ないんだわ」 「……仕方のない奴だな」 パンツのポケットからカードを取り出し、支払う。一週間分の水と食料、それにいくつかの備品を合わせて二万ほど。ドックの使用料と燃料代で三万くらいだ。レグルスと太陽系で二度補給をするという予定から考えれば、まだ余裕はある。 「小市民だなァ、オイ。曲がりなりにもリューヴ=レイスのご帰還の旅だってのによ、チマチマ金の計算せにゃならんとは」 「どうせならリューヴに寄って政府に金の要求でもするか?まあルテティアで要求すれば経費以上が支払われるだろうがね。ああ、商品は八番ドックの航宙駆逐艦(スター・フリゲート)に運んでくれたまえ」 頭の大きなネレイド人に注文をつけ、フロアを去る。一応はここも今ではフルジア領なので、来たことなどない。普通のアンドロメダ人はマンティネイアの前線までしか来られないだろう。そう考えると、貴重な体験である。 物事をプラスに考えよう、とイザークは思う。まだ金の余裕もあるのだ。素敵なレストランでブランチと洒落込もうではないか、とカントを誘ってみた。
ステーションの下層にあるレストランで遅めの朝食とする。最下層全てのフロアを敷地としたレストランは広く、かつ展望も素晴らしい。床と壁面のほとんどが窓で、漆黒の宇宙空間が一望出来る。まださほど混んでいない時間帯か、自由に席を選ぶことも出来た。 「すげぇな。ネレイド人がフルジア人を働かせてるぜ」 アンドロメダ側であるマンティネイアの種族が、ヴァルゴ側のフルジア人をウェイターとして雇っている。こういう、経済の力をまざまざと見せ付けられ、思わず感嘆の息を漏らした。指が七本あるウェイターに食前のコーヒーと手頃なランチを頼んで、一息を入れる。 「あのー……すみませんお客様」 コーヒーを飲みながら、そんな声が背後から聞こえた。二人が振り返ると、店主らしきネレイド人が表情を曇らせて、事前に出しておいたイザークのカードを見せてくる。 「残高が足りないようなのですが」 「――――は?馬鹿な、何故足りない。どう考えても二万の買い物で十万が消えるはずがないだろうがッ」 激昂しながら、イザークはカードを引っ手繰る。口座の残高を確認すると、確かに貯金が全額消え去っている。その表情にやや驚きながらも、画面を覗き込むカント。二人で確認しても、やはり消えている。これは事件だ、と明細を出してみる。 「……光子魚雷?なんでそんなモンお前買ったのよ?」 「馬鹿か。私が今日のいつ、君と一緒にそんな兵器を購入した」 「だよなぁ。大根買ったら魚雷でしたって話は無ぇ」 そんな詐欺にもならない話は存在のしようがない。大根と間違えて魚雷買う人間はいないだろう。店主は親切に、購入先に電話をして確認をしてくれるという。好意に甘え、待つこと数分。全ての事態が解決した。 「どん臭い女の子が燃料と一緒に魚雷買ったらしいですよ。上手く口車に乗せられたようですなぁ」 オペラ・レーヴェとかいうヤツしかいない。心当たりがありすぎる。スカラは全ての武装を外されて渡されている。補給といっても燃料だけで、足りない武器を補給する必要はないのだが、居眠りを続けるオペラはそれも補給を済ませてしまったのか。 「ええ、代金が足りなかったのでお友達はドコかと聞いたら、お二人のお名前を言ったそうです」 「チィ、口座使用の許可を二人に出したのが失敗だったか――――!」 「オレだけにしときゃよかったのによ。まぁ、いい。クーリングオフだ、クーリング!」 これ以上、あのどん臭い子を放置するわけにもいかない。まずはオペラを逮捕し、事情聴取を進めながら販売先へ問い合わせる。行動の内容を瞬時に決断し、立ち上がろうとするイザークを店主が止めた。 「こちらの代金は結構ですから、解決後にまたお戻りくださいよ。なんせ、リューヴ=レイス様のご帰還ときたぁ。ウチで接待できるとは光栄ですなぁ」
急いで管制塔へ入る。その歩みと態度はすでに、恫喝に近い。 「給油担当を出せ。私のクルーを騙して魚雷を買わせた大馬鹿者だ」 おどおどとした態度で前に出る担当者。こちらもまたネレイド人だ。ただ、あまり度胸はないらしい。 「いえ、困惑しているのはこちらですッ。給油の際に艦の整備も行うんですが、その際に弾薬も無くなっていたことに気付いたので、一緒に補給しますかと訊いたんです。そうすると、艦長さんが頷いたものですから」 ないのは度胸ではなく罪の認識だ。彼の話に落ち度は無い。思わず、態度を軟化させたイザークが言葉を詰まらせる。突っ込みどころがあるとするなら、オペラは「頷いた」のか「居眠りで頭を落とした」のかわからないという点である。が、その艦長が船の責任者なのだから仕方がない。というか、普通寝てるとわかるはずがない。 「光子魚雷と燃料代、バッテリーの補充に整備代金。合わせると残高と足りなかったので、他のクルーの口座から引き落とさせてもらいました。けどそれでも足りなかったので、金融業に電話をしたんですよ。金を稼ぐ。足りなければそれしかないでしょう?」 「じゃあオペラはドコだよ。その闇金業者が持ってったのか?」 どうやら、我らがオペラ・レーヴェは怪しげな金融のオジサマに持っていかれたらしい。厨房で皿洗いなら問題もないのだが、額が額である。どうにも嫌な予感がカントにはした。なんといっても、居眠りを続けるどん臭い女の子なのだ。 「……よっくもまぁ、いなくなるお姫サマだ」 独白をする。今度からは首輪をつけてやろうか、と半ば本気でカントが思った頃、一本の電話が管制塔に鳴った。
3 「調べて欲しいことがある。電磁宙域に駐屯しているフルジア軍の指揮官――――おそらくヴァルトラウトの指揮下にあるレグルス軍団の将官だろう。そしてアンドロメダ側のステーションにいる慰安施設のオーナーの口座を洗ってほしい」 そんな指示を伝える電話をもらい、カントはステーション内に設置された性風俗店の並びに足を踏み入れた。さすがにイザークは外して、従業員からの聞き込みへと回してある。スカラの中にあった通信機をベルトに差し込み、右耳にイヤホン、襟元にマイクを忍ばせて準備は完了である。 歓楽街。こういった手合いの施設は、一点に集中して立ち並ぶ。そしてオペラの話によると、店主は違っても元締めは同一人物のようだ。経営者は一人で、その人物が全ての店を握っている。この店のどこかにオペラはいるらしい。 軍に対し、必要なものの一つとして慰安施設がある。主に長期駐屯の際、駐屯地に設置される性風俗店のことだ。軍、あるいは政府が出資をし、または経営をする。従業員を雇用し、用意をして軍人、あるいは民間人の客をとるといった内容である。 軍隊というのは禁欲でなければならない。時に睡眠を削って行軍をし、食事を抜いて戦闘をする。だが、そういった生命に直結するような欲望を完全に禁止することはしない。軍の風紀が乱れる原因の一つに性欲が存在する。 同性による性交渉。禁欲が欲望を強め、強引な手段に出る可能性もある。駐屯地における現地人への強姦事件、暴行事件。軍内部での同性の性交による性病の蔓延。それらのデメリットを防ぐため、ある程度の施設が必要になる。 電磁宙域というのは、常に監視が必要である。敵側の船が来ないように、そして出入国を管理するために。大々的な人員の確保と長期の駐屯を要する。そして用意されたのが、巨大な基地と娯楽要素と慰安施設の揃ったステーションである。 だが、慰安施設というのは、ともすれば人権問題に発展しかねない。軍が経営の主体になる以上、その方法が強引なものになる可能性が高い。雇用の際に、武器で脅して従業員を確保する。給与を支払わない。従業員側の権利を除外し、仕事を押し付けてしまうかもしれないのだ。 かといって、軍が全く経営に無関係になるのも問題になる。民間から雇った経営者の横暴が進む可能性もある。背後に軍がある以上、強引な手段で経営者、あるいは委託された業者の専横が進むことも考えられる。 どこまで軍が手出しをするのか、というバランスが問題なのだ。その均衡が崩れた時、慰安施設は雇用される側にとって悪夢になる。しかし、無尽蔵とも言える需要がある限り、決して無くならない。そして決して、潰されることがない。 限りなくグレーに近い合法。だからこそ、不正が起こりやすい。 「そうか――――だからフルジアの軍人の姿が多いのか。なるほど、わかったぜオペラ。この歓楽街、フルジア軍の慰安施設である可能性が高いんだな」 「そう、多分ね。けど、問題なのはそこじゃない。どうしてここにあるのか、というのが問題なんだ」 別段、慰安施設が作られることに問題はない。そうではなく、オペラが気にするのは立地条件。意図を理解できず、カントは呻くように猜疑の声を上げた。 目の前にあった店舗に入る。一番大きく、派手な店だ。正面から入店すると、すぐに男性の従業員が姿を現した。まずは店に入る。そしてどこかの端末にアクセスし、口座情報を得ればいい。強引に突破しようかとも思ったが、ここは客のふりをする方が得策だとカントは判断した。 「今日の新人とか、いるか?まだ客もとったことないようなヤツがいいんだ」 出来ることなら、オペラと合流出来るといい。救出する手間が省ける。従業員は少しだけ答えに窮し、いるにはいるが、今さっき客がついたと言う。二番でもいいから、と押しに押して、わかりましたと了承までこぎつけた。 「……オペラちゃん、ひょっとして、お楽しみ中かよ?」 「イエス。実況中継してやるから覚悟しなさい」 「――――馬鹿をやってないで、さっさと逃げるべきだろう。レーヴェ、私は聞きたくもない」 イザークの不快そうな声が聞こえ、思わず笑った。オペラのだから聴きたいんだろうが、と思うのに。
個室が並ぶ廊下。そこはやや広く、カントのように待つ人もいるのだろう。ベンチが各部屋の前に置かれていた。従業員が去っていくのを見計らい、すっと立ち上がる。個室の奥で繰り広げられるだろう、とんでもない光景を夢想するのも聞き耳を立てるのもやめて、廊下を奥へと進んでみる。 「オペラちゃんよ、可愛がるのもいいが、ぶっ殺すことのないように頼むぜ」 一応、念を押してから廊下を行く。調子に乗った変な客だと、本気で心配する。何せ、新人を望む客なのだろう。すっかり覚醒してしまったオペラに手を出せばどうなるか、あまり考えたくはなかった。 突き当たりで、従業員とぶつかりそうになる。思わず避けるも、怪しまれることは必須だ。トイレはどこか、と訊ねることで切り抜ける。突き当たりを左です、と答えをもらって従業員に背を向けた。とりあえずトイレに向かって歩いてみる。 「……おい、オペラ?まさかマジに楽しんでるんじゃねえだろな?」 「そんなわけがない。おっぱい見せたら昇天したよ」 不安を覚える。上着を脱ぐところまでは行ったらしい。その後、その客がどうなったのか。一番いいのは、喜びで気絶すればいい。最悪、息を引き取られているのだが。 「こ、殺してませんよね……?」 「――――多分」 ああ、無残。 「そんな心配するなって、カント。実はちょっと昔に研究してたから、結構詳しい。ソツなくやるから、さっさと与えられた仕事をすること」 研究してたのか。本当にこの人、何者なのだろうか。単なるリューヴ人ではあるまい。 しかし、オペラが言う以上は本当なのだろう。保身に関しては任せることにして、トイレに入った。 「しっかし……俺、女に見えるのかな」 「はははは!何を言うのだ、オペラ・レーヴェ!テメェを男と認識するほーが難しいわッ!」 「ぶははは!私が女装しても君には勝てんよ。ふ、ふ、貧乳同士仲良くやるか!」 爆笑モノの独白を聞き、トイレの中で思わず吹き出してしまった。
気絶した肉片を見下し、背もたれの大きな椅子にだらしなく腰掛ける。面倒で、どうでもいい。消極的な姿勢になるのも当然。どう考えても自分のやるべきことではなく、しかし巻き込まれてしまった以上、解決せずにはいられない。 心理と態度は表裏が逆さま。気だるく椅子に腰掛けた姿からは、義務感など微塵も感じさせない。 「あれぇ――――ゴツい金髪のお兄さんが来てたはずなんだけどな」 ボーイが二人、入室する。先約の客はトイレにでも行ってしまったのだろう。もちろん、知るはずがないのでわからないという態度をとる。 二人は失神している肉片を怪しむこともなく外へ連れ出そうとする。後払いなので帰すわけにもいかず、廊下に備え付けのベンチに寝かせたようだ。財布を盗む、という仕草は注意していたが、見られない。 「したら今来た人入れちゃって。いない人、気にしても仕方ないし、今のお客さんは懇意の人だから。じゃ、よろしく」 指示を下す若いボーイ。それで一人が退室し、おそらく客を連れてくるのだろう。残った方はこちらへと振り返り、愛想良く笑顔を見せながら調子などを聞いてくる。オペラがここに来た経緯など知る由もないのだろう。 「何かあったらすぐ男手に言って。やっぱ、こういう店だからさ、ヤバい人とかも来るのよ。ストーカーとかあったら対処するから」 店の評判は悪くない。イザークから逐一、他の従業員についての報告が入る。経営者サイドの方針としては、雇用者を粗末に扱うことはしていないらしい。しっかりとした管理体制と契約を組み、白に近いグレーな営業をしているようだ。 そこに問題は全く見られない。もし、もしも。彼女がこのような店にいたのなら――――きっと悲劇には、ならなかったのに。 刹那。郷愁の念を抱く。終わりしかなかった出会いに、幾分の羨望と数多の無念を持って。 「……今後のために聞きたいんですけど。休みはどれくらいもらえるのですか?」 「え?ああ、そっか。体験の人ね」 体験、というものがあるらしい。正式な雇用ではなく、アルバイト感覚ということか。数日間だけの契約雇用で、給与が支払われるもの。実に良心的なシステムなのかもしれない。 当たり障りのない会話を続けながら、それでも心は、どこか浮ついていた。 この場所は――――痛みと悼みが、強すぎる。
ボーイが退室し、即座にカントから通信が入る。その声で、オペラは目を覚ました。 「便所の端末からアクセス中。各店舗の口座は一つにまとめられてあり、法人名義で開かれてる。ここにフルジア軍との関係は見られないな。こっちから個人名義の方――――おそらく、オーナーのものだろうが、そっちには週一で百万単位の金額が引き落とされている。なァ、コレってどういうことだ?」 「ヒット。入金先はわかる?」 「当然だろが。口座はフルジアの銀行で、名義は前にお前が睨んだ電磁宙域駐屯基地の司令官だ。慰安施設のネレイド人と、癒着があるってことか?にしても何だって?」 立地条件に問題がある。慰安施設というのは軍人だけが利用するとは限らない。民間人も利用することが可能ならば、その収益性は自然と増加する。この世に人間が生きている限り、無限の需要を伴う以上、決してなくならず、そして収益を見込める営業だろう。 だが、法律の問題に抵触する可能性がある。アンドロメダとヴァルゴ。その中間点に位置するステーションは、どちらの法にも関与し、しかし関与しない。だが税法上の問題を抜けるためだけに店舗を姉妹店、並びに一元化したとも思えない。 「まず、フルジア軍の慰安施設ならフルジア領内に作るのが妥当という点。わざわざ越境してアンドロメダ側に作る理由があるということ」 もちろん、電磁宙域のアンドロメダ側であるレグルス星系は侵略されているわけなので、アンドロメダの領内でも統治はフルジアになっている。フルジアとアンドロメダ。市民レベルでは、その両方からの干渉を受ける緩衝地帯とも言える。 慰安施設を設置するに当たって、やはり民間人に経営を委託する方法の方が、面倒ではない。半官半民とまではいかないが、軍属であるよりはソフトな印象を与える。民間人が経営をする方が、メリットが大きい場合がある。 「何故アンドロメダ側に設置したのか、というわけではなくて。最初からアンドロメダに設置することが目的だったんじゃないのかな」 「……ははァ、そういう意味だったか。兵士たちのために慰安所を作ったんじゃねぇ、金銭面での利害が目的っつーわけだ。委託されたネレイドは箱代として設置してくれた司令官サマに上納するってな」 だが、そのこと自体は問題ではなかった。利益のために商売をするのは当然のことだ。その結果、公共性を持って周辺住民の役に立つ事業となった、というだけの話。利用者からすれば、どちらが理由なのかは問題ではなく、ただそこに存在することが意義である。 問題は、金銭の授受が行われていること。軍は経営者に無尽蔵の客と資本を提供し、経営者は軍に供給をする。それだけの関係ならよかった。真っ当な契約として成立はしている。 「個人的な金銭授受。指揮官が収賄をしている事実があるなら、見返りもまたあるんだろう。例えば競合店をヴァルゴ側に設置しないなど。まぁ、最初から設置が目的なわけだから、その時点で斡旋の事実があるんだけど」 ふと、オペラのいる部屋がノックされる。どうやら先ほど話していた客が到着したようだ。急いで通信を切る旨を伝え、ドアを凝視した。
4 精悍な顔つきの、まだ四十ほどの将官だった。襟首につけられた徽章は中佐の階級、肩の紋章はレグルス軍団を意味していた。機甲師団に所属する中佐なら、電磁宙域にある駐屯地の司令官に相当するだろう。およそこのような場所に似つかわしくない容姿。だが、こういう人物が来るという事実は意外ではなかった。 前デケネイア総督も、そうだった。貴族で、老齢に達していない男性。権力も資金も、そして容姿も整った、魅力的な男性。 「おや。生娘と言われ見に来たのだが――――」 彼女があそこまで追い詰められていたことを、どうして気付けなかったのか。 このような仕事にあったからこそ、きっと自分は彼女を手に入れられた。汚れきったと言うけれど、その在り様は美しく、気高い心を持っていたからこそ、きっと自分は彼女を求めた。それは、キレイなモノに惹かれ、憧れた、真に汚れたモノの願い。 中佐は一定の距離を置いたまま立ち、椅子に座り、胸元をはだけさせたままのこちらを品定めするようだった。手馴れた、姿。見れば見るほど――――彼女の想いが浮かび上がる。 ただ一つの願いと、ただ一つの夢。 それを捨てたのが、他ならない、自分自身。どんな想いで君が日々を過ごしていたかなど知らず、そして気付かないフリをして。自分は自分の役割をこなそうとした。それが与えられた役で、それこそが自分だったのだ。与えられなければ、何をしていいのかわからない。わからないのは、自分自身の意味。 それが、今この場で。明確な意思と変わって意味を知った。 「私は、オペラ・レーヴェ――――」 今。この時、この場所だけだとしても。 この身は名を持ち、意思を持ち、具体的な目的を持つ。 「フルジア帝国国防省、国防省長官リディアーヌ・ラ・フォリア中将麾下、アルククトゥルス軍団近衛師団所属の副官であり、フルジア帝国元首、第二十四代フルジア女王ゲルトラウデ・クリスティーナ・ネブカドネツァル二十四世の長子、オフェリア・ヴァン・ゲルトラウデ=レーヴェである」 それが、自分。今の自分を構成する、全てだ。意味など無くとも、意義がある。この名と、与えられた自分だけは、裏切ることの出来ない尊く崇高なモノ。 「与えられた権限と職務、そして責務に基づき、レグルス星系総督ヴァルトラウト・フォンアイツェルン少将麾下、レグルス軍団機甲師団、電磁宙域駐屯地の中佐であり司令官でもある貴公に対し、斡旋収賄、並びに服務規程違反の疑惑が生じていることを確認、調査を行った」 事は的確に、一切の落ち度も無いように。付け入る隙さえ作らないよう、慎重に言葉を選び、中佐へと言い放った。そこには、何の私情もなく。ただ言った。 「調査の結果、明らかな収賄の証拠を得た。よって貴公の身柄を拘束、証拠と共に憲兵部隊へ送り、然るべき場所で罪を裁くことになろう」 「――――レーヴェ、といえば二級貴族の統帥従属家か。このような場所で潜入捜査とはご苦労なことだ。が、その言葉に信憑性があろうか。然したる証拠もなく、我が名を毀損するような真似をしてみろ。ふん、そもそも。貴族たる人物が薄汚い慰安婦に身を窶すとは思えんがね」 がちん、と。脳の内部で、撃鉄が落ちる音が聴こえた。 椅子が倒れる。床が鳴る。刹那の後に、大気を切り裂く速さと、大気を貫く憤怒が走る。上着がさらに乱れ、最早、上裸に近くなった状態で、まとわる袖を靡かせながら、左腕が中佐を示す徽章に触れた。 ぎちぎち、と。脳の内部で、怒りに震える音が聴こえた。 首を掴む。上背のある「敵」の首を左手で掴み、投擲するように全力で地面へと叩きつけた。押し倒す格好。背を強烈に打ち付けた「敵」の口から小さく、苦痛の音が漏れた。押さえた手から、声を絞り出そうと声帯が歪む感触をはっきりと覚える。 「レーヴェ、この馬鹿、何を――――!」 憲兵を引き連れたイザークが、逡巡することもなく室内に飛び込んでくる。彼女らしくない即決と焦燥。それに些か、冷静さを取り戻した心が言葉を思い出す。引き離されるように、しかし優しく体に触れてくるイザークに身を委ねながら、決して視線は床に倒れた男からは、離れない。 「……よく、頭に叩き込んでおけ。二度、逆らうことは許さない。ヴィオレッタを貶めるような口を利いたならば、即刻、その小汚い内臓を視認することになると知れ」 無言で上着を差し出してくるイザークの手。オペラは答えることもせず、未だ冷めないこころ記憶と共に、服を引っ掴み華麗に羽織った。
いつも陽気なカントも、その異様さに気付いたのだろう。無言でフロアを行くオペラの背後につき、訝しげな視線でイザークを見た。見られても、彼女に答えることは出来ない。ただ首をすくめ、理由が不明なことを伝えるだけだ。 「よォ――――オペラちゃん、どした?何か悩みがあるならお兄さんたちに言ってごらん」 「こ、馬鹿者ォ!いきなり何を言うのだ、君は」 イザークの鉄拳が飛ぶ。いくらなんでも、デリカシーが無いというか。深刻な顔つきは恐怖を覚えるに近く、あからさまに一人になりたいと背中で訴えている。その背中に、いつもの調子で訊ねる人間がいるか。 「……ヤだ。言いたくない」 歩調を緩めず、背中越しに駄々をこねる。何故だか、その背が。兄であるはずの、いつか会ったアデレードと重なった。やはり、双子なのか。そんな仕草と意地の張り具合が似ているようで。イザークは憶測の中で仲睦まじい、同じ顔の姉妹を夢想した。 思い返せば、最初出会った時から、この少女はそうであった。一人で勝手に行動をし、壁にぶち当たっては一人で泣いているような子だ。助けを出そうと、その手は拒まれ。一人で思い悩んでめそめそと泣いている。 せめて、その重すぎる荷を。分けるということが出来るのだと、知って欲しい。 「ぬおォァ!愛しい子よっ!」 がばちょ、と背後から泣きべそ少女を抱きかかえるカント技師。隣でイザークが見ている分には、襲い掛かっている悪いオトナにしか見えない。憲兵がいれば一緒に逮捕されるような光景だ。感極まったのか、幾分、瞳は涙目ですらある。 抱きついた時と同じ奇声をあげながら、派手に今度は壁に激突する。ビダァァン、なんて。冗談にしか聞こえない大音響。周りを通行していた人間の九割は振り返ってこちらを見た。 ふひー、と威嚇するように鳴き声をあげる犯人。寝起きといい、弱っているオペラさんは至極可愛らしいのだった。男でなくとも愛でたくなる、という衝動をイザークは抑えながら、傍観するように二人から離れていった。 「冗談だよ、バァカ。怒ったら腹減ったろ、メシ、食いに行こうぜ」 右の頬を腫らしながら言っても、あまり格好はつかなかった。
5 最下層のレストランを貸切にしてもらって、三人で夕食を摂る。店主はリューヴ=レイスであるオペラを見て、一目でノックアウトされたのか、縮こまってこちらの要求を呑んでくれた。最後の方は光栄ですとしか言っていなかった気さえする。 やはり、彼女は。この世界で信仰に値する人物なのだ。気高く、神々しく、尊い存在。それは、美しく。必死に、健気に生きようとする姿に人は憧れ、神を重ねる。美しいもの。ただそれだけで、憧れるもの。オペラ・レーヴェはそういう人だった。 だから、汚さないよう、汚れないよう。どうかそのままで、と願って。助けたくなったのだ。 「いや……嫁が元娼婦だったから」 「嫁ッ!なにそのアヤしすぎる関係ッ!」 オペラのカミングアウトに興奮最高潮のカント。カントでなくとも、驚くし興味を抱く。パスタをフォークで丸めながら、食べもせず、渦を眺めてオペラは言葉を続ける。 「そか……下手すりゃ同性愛だね」 「百合色の世界でございますなァ、オイ」 「その理論だと。仮に私がカント、君とラヴラヴしながら歩いていたら、ゲイカップルになるぞ」 端整な顔立ちの好青年と、厳つく体格のいいスポーツマンの二人組みが手を繋いで歩いている。これ以上ないシチュエーション。同性愛者という謗りから逃れる術さえないだろう。だが、オペラと女性が歩いていたのなら。それはきっと、誰もが振り返る美しいカップルに違いない。 「でもよ、お前ん家に嫁さん、いなかったぞ」 「ああ。うん。別れたんだ。離婚した」 ようやく、丸めたパスタを口に放り込む。大口を開けるでもなく、どこか気品を感じさせる仕草だった。オペラは呆気なくそう言ったが、聞いている方としては言葉に困るセリフでもある。何と返せばいいのだろう、とイザークが思案していると、デリカシーなどいう言葉を知らない男が口を開いた。 「ほー。で、理由は?」 やっぱ同性愛になるから、とかかな。などとくだらなく茶化すようにカントが言う。しかし、オペラの口から発せられた理由は、想像を軽く超えるものだった。 ――――死別、だった。そう言い残して、最後の一口をオペラは食する。 「それでも、人は残酷なもの。一ヶ月くらいだっていうのに、時に、彼女を忘れることがある」 「そうしないと、とても生きていられないのだ。人は別れ、そして出会う。過去の別れなど、悲しみなど、忘れてしまわなければ――――生きていけない」 時間よりも、人の方が残酷だと自嘲をするように笑うオペラに、イザークが慰めの言葉を本心から言った。
「だから。今度は、もう。忘れちゃいけないコトがある」
それは、宣言。そして決意。生まれる、意志。 オフェリアは忘れてはならないモノのために。後悔を乗せて航海を続ける。 それでも、その背中は。前より少しだけ、軽く感じられた。 |