[ O d y s s e y ]   /Motive Meant Marionette "Ophelia Loewe"

 

「――――食事だ、食え」

 金属の盆に載せた粗末な食事を突き出す。日課とも言うべきわが職務。欠かせば奴隷は死んでしまう。愛玩動物の類であるが、愛でることをしようとは思わない。彼女は大切な捕虜であり、奴隷であり、かつ大切な妹だった。

 無言で食べ始める様子を眺める。食器の音だけが、狭い牢内に響いていた。すでに抵抗する気力さえ無いのだろう。こんな生活が続いて、もう一年以上が経っていた。手なずけた、というより調教したという方が正しい。

 かび臭いベッドだけが置かれた牢。持ち込んだ椅子に座り、地べたに座って行儀も何もない相手を見続ける。見るだけで、嫌悪感が生まれた。どうしてそんなに似ているのか。気の強そうな、目鼻立ちのしっかりした顔。ややウェーブがかった茶色の髪。そしてその、反骨精神だ。

「何さ。私に何か、用でもあるのか?」

 早々に食事を終えた彼女が、スプーンを放り投げて問いかける。投げつけられたスプーンを引っつかみ、ゆっくり食器の上に置き、重ねる。用事などない。用事など、もうなかった。

「相変わらずの根暗。言いたいことがあるならはっきり言えよ、オフェリア様」

 わざとらしく尊称を強調し、挑発的な態度で彼女は目線を上げた。ふと、目が合う。両親を失ってから、ずっとこの牢獄の中なのだ。してはいけないというタブーをしっかりとわかっている。そして彼女なら、そのタブーの限界まで迫るだろう。

 彼女の両親を殺したのはお前だ、と言われれば否定はしない。過程を計画し、その効果を見定め、どのように殺害するかを指示した。実際に手は汚していなくとも、罪が無いわけではない。そしてそのことを、彼女も知っている。

 怨んでいるのか、怒っているのか。自分のことさえよくわからないのだから、他人の心理を見ることなどできるはずがない。ただ、許してはいないだろうな、とは思った。目線をそらし、時計を見る。入ってから、きっかり三十分。がっつくような昼食は、予想よりも早い。

「ヴィオレッタを殺した。もう二ヶ月になるかな。これでソニア、お前はひとりぼっちだ」

 瞬時に、ソニアの顔色が変わった。はっきりとわかるほど、紅潮し、目が憤怒に燃えた。姉の死を伝えることで、どういう効果が得られるのかなど、わかりきっている。まずは怒り、そして喪失感。孤独になった彼女に、最早、頼るべき存在は亡くなった。

「オマエ――――!今度は姉さんまで、それも結婚した妻をッ」

 激昂し、掴みかかろうと立ち上がったソニアの顔面を、手にした鉄の盆で殴打する。頬を強く、横殴りに打ち付けて、衝撃で倒れた。軽く失神しているのだろう。ベッドに横たわったまま、ソニアは動かなかった。そのまま、脇に手を入れて抱き上げる。

「尋問の時間だ」

 誰にともなく呟いて、オフェリアは独房を後にする。残されたへこんだ盆がちらりと視界に入った。

 

 夢を見る。よく、夢を見た。

 長い髪をリボンで結んだ少女の夢。サーシャという名の少女の夢。兄と聞くたび、その娘を思い出した。今頃はさぞ美しい女性へと変貌を遂げていることだろう。まだ幼い女の子と、広い庭で遊ぶ夢。それが現に見る幻なのか、深奥に眠る願望なのか、判断はつかない。

 庭で自分は、あれやこれやと文句を言う。ちゃんと食事をしないと、大きくなれない。サーシャは小柄で、びっくりするぐらい華奢だった。病気かと思うほど色も白く、故に食事しろと注意するのだ。後は、外で遊ぶこと。子供は元気が一番だ。さらに遠くまで行くな、やら。とにかく、うるさく言う。

 まるで小姑のごとく小うるさいのだが、文句をひとつひとつ、サーシャは応えてくれる。そのうち、彼女も文句を言う。お前こそメシを食え、友達と遊んで来い。小さな、幼い言いがかり。それでも、ケンカになることはない。

 いつからだろう。そんな夢を、苦々しい思いで見るようになったのは。

「サーシャ、そんな風に寝たらダメだ。ほら、起きなさい」

 机に突っ伏す彼女を起こす。起きたのは、妻だった。

「オマエこそ、昼寝なんかしてるんじゃないよ。ほら、得意の尋問だろ。さっさと始めろよ」

 ヴィオレッタではない。彼女はもっとお嬢様ぶった口調で喋る。彼女はもっと優しく言う。彼女はもっと、と考えたところで思考を止めた。目の前にいるのはソニアで、彼女の言うがまま、これから尋問を始めよう。

 ソニア・ヴァレリーに問うのは、敵方であるアンドロメダとの繋がりを洗うため。今回の騒動をキレイにまとめる、仕上げである。ヴァレリー夫妻はアンドロメダに通じていて、その娘であるヴィオレッタとソニアも敵のスパイでした、という結果が望ましい。

 妻のヴィオレッタはデケネイアという星系を統治する総督と不倫をしていた。結婚する前から、彼らは関わりがあった。我々としては、まずその男の役職を解きたいという思いがあった。理由は様々ある。一大作戦を展開するにあたって、デケネイア方面から多数の徴兵をするために頂点をすげかえる。政府と太いパイプを持つ名家の息子を名誉職として就かせること。この二点が重視された。

 まず、ヴィオレッタの両親を殺した。彼女の味方は家族だけで、友人さえいなかった。夫である自分も、信用はされていなかった。孤立したヴィオレッタは近付いてきた総督と、という筋書きがあった。それはピタリとはまり、ただし、ヴィオレッタまで殺害してしまった。それは自分の預かり知らぬところで、女王が計画したものだ。

「オマエの口から聞きたい言葉はひとつ。リューヴに属する諜報員です、だ」

 そう言い続けて、もう一年は経つ。その間、ソニアはずっと監禁状態にあった。姉も大差はなかったのだが。とにかく、この件は自分が片付けなければならない。さもないと、ソニアも女王に殺される。自分が女王の非公式な養子で後継者なら、その妻の妹も王族に連なってしまう。

 女王なら、ためらわずその関係を切り裂くだろう。故に、妻は死んだのだから。

「リューヴなんか、行ったこともない」

「言うまで待つ、と言いたいところではあるが。生憎と、時間がない」

 もたもたしてると、殺される。迅速に刑務所にでも何でも送るしかない。それも女王の息がかかっていない、自分の管理する場所でなければダメだ。

 だが、彼女は口を割らないだろう。ソニアは本当に、この星から出たこともないのだ。

 そう、欲しいのは。彼女が自白したという事実のみ。それがあれば彼女を救える。姉と同じ結末を迎えることなく、助けることはできる。

「知っているかな、ソニア。今、このフルジアという星はね、リューヴという星と戦争をしてたりする」

「知ってるわよ。アンドロメダ銀河団とおとめ座銀河団の大バトルでしょ。ねぇ、やってて楽しい?」

「人が死ななければ楽しい。だから認めろ、自分がスパイと」

 最初は、こちらが有利だった。事実、今でも領土を侵しているのはこちらなのだ。だが、徐々に形勢が変わりつつある。彼らは優秀な戦闘種族を盾に、白兵戦闘で活路を見出しつつある。アンドロメダは物量、人員と共に優位にあり、無謀な作戦を二重三重と立てることができる。

 物量に勝つには、質である。そして速やかに、終戦へと導かなければならない。

「オフェリア。アンタの策略にはうんざり。そうやって、リューヴの情報を出そうとするんでしょ?」

「バレたか。大統領の名前くらいは言ってほしかった」

 無論、そんな情報は誰でも知ってるのだが。冗談めかした言葉が出るあたり、この尋問という作業にもかなり倦んでいる。だが、もう帰る家も、待ってくれる人もいないのだ。仕事をするしかない。何の向上心も、何の野望もないが、何かしていないと押し潰されてしまう。

「じゃあ教えてやるよ、お義兄様。アンタの知らない情報をね」

 ソニアが不敵に笑う。二人きりの密室で、顔を近づけて指を鼻先に突きつけられる。その顔を間近で見るだけで、泣きそうにすらなる。何の約束も果たせずに、誓った思いさえ消え失せた、名目だけの結婚生活とやらを、思い出す。

「アンタは人の心のわからない、悪魔だ。よく覚えておきな」

「……では、また後で」

 耐え切れず、席を立つ。マジックミラーとなっていた別室に待機していた部下に引継ぎ、指示を出してから、逃げるように牢獄を出た。

 否、逃げ出した。

 

 家には、もう一人の妹が待っていた。こうも多いと、正直、頭が混乱する。本当に望むのは、あの子だけだというのに。

 本来なら暗い家。それでも、電灯をつけて待っていてくれるのは、少しだけありがたかった。部下であり、世話役のフィアと会話をする義妹が、リビングのソファで帰りを待っていた。血の繋がりはない。女王陛下の本当の娘で、王位継承権第一位の人物だ。

「眠りたい。三時間後に起こしてくれ」

 おかえりなさい、と迎えられる声にそう返して、早々と自室に引き上げる。食事も、何も必要なかった。灯りのない自室で、上着を脱ぎ捨てる。広い家が与えられてたが、空虚さを強調するようだ。義妹のジーナが帰る音が聞こえ、それから物音が全て消えた。

 ベッドに横たわる。暗い部屋で、テレビジョンのモニターをつけた。ニュースでは、今もこの宇宙のどこかで起こっている戦闘の模様を中継し、ある程度の情報操作を介入しつつ映していた。現在、前線は銀河系で止まっている。さすがに、アンドロメダ第二位の地位である地球の圏内に入り、敵も本気になったようだ。

 土星の衛星である、タイタンという星の人間が強敵だった。彼らはその環境からか、強靭な肉体を持つ。刀剣類を手に、勇猛果敢に突撃を繰り出してくる。時として、こちらを負かすほどの圧力。前線は一進一退を繰り返しているだろう。

 画面が切り替わる。国内でデケネイア星系の総督が変わったことを伝え、式典を映していた。片隅に、自分も映っている。三十二歳という若さで就任した新総督は、我々が操りやすいように選んだ貴族の息子だった。

 ニュースは国外へと変わる。アンドロメダで大人気というアイドルの話と、聖教と呼ばれる宗教の教祖が誕生日を迎えたという話。聖女アデレードはアンドロメダの旗印で、神に叛くフルジアを征伐せよ、という名目を作り上げている。

 アデレードは今日で十八歳。式典の儀式に映るのは、まだ少女とも言える幼さを持った聖女だった。その隣に、兄である神皇オペラが映る。彼ら二人が、聖教の信仰対象のようなものだった。

「誕生日、おめでとうございます。アデーレ」

 愛称で呼んでみてから、モニターを消した。星明りだけとなった室内、今宵も夢を見ようと、穏やかな心境で目を閉じた。

 

 フィアに起こされ、素早く着替えて家を出る。向かう先は昼間と同じ、ソニアのいる取調べの部屋しかない。時刻はすでに深夜であり、出歩く人はいない。何も考えず、何をも思わず、気付けばソニアの前に座っていた。まるで、時間が戻るように巡っている感覚。もっとも。それは彼女も同じだろう。

 何も進展がないから、ここにいる。会話もせず、座っているだけだ。となると、頭は考え始める。ソニアにとって、姉の死は二つの意味を持つ。一つは孤独感。もう一つは、最後に助けてくれる人がいなくなったこと。ヴィオレッタさえ生きていれば、ソニアを助け出すことは可能だったかもしれない。

 例えば、独断でオフェリアの権限を用いて牢から出す。例えば、オフェリアを説得してソニアを逃がす。だが、その可能性はすでに潰えた。ソニアの頭には、今。この先に終わりは待っていないという事実だけが浮かんでいる。

 ふと、がくんとソニアの頭が落ちたのが見えた。昼食の頃から始めて、特に会話もせずに十二時間は経過している。眠気があったとしても不思議ではない。二度、三度とソニアの頭は揺れ、やがてたれたまま寝息が聞こえるようになった。

 部屋の片隅あった、水の張られたバケツを手にする。中身を全てソニアに浴びせ、空になったバケツを交換させる。いきり立つように目を見開くソニアを見て、おはようと声をかけてから椅子に再び座る。

「さて、知ってるかなソニア。今このフルジアはね、アンドロメダと戦争をしてるんだ」

 カップに入ったコーヒーを揺らしながら、そう切り出す。尋問はここからが始まり。睡眠という二文字を彼女から奪い取る。疲労と絶望を叩きつけて、豆粒ほどの希望を潰す。さすがに、昼間と同じような反論をする元気は無いようだった。

「リューヴという惑星が彼らの中枢だ。我々とは違い、各星系の連合体のようなものだな。要するに、トップが強固に押さえつけているわけではなく、妥協と調和で成っているクラスターだ。アンドロメダ銀河に属する数多の星が代表を選出し、会議のようなものが行われて、統一すべき内容の議題が話し合われている。通貨や度量衡といったものだな」

「……なにを、考えているの?」

「さて、そこにはアイラという機関がある。リューヴ星系だけの機関ではなく、アンドロメダ全域に影響力を持つ機関だ。高度情報指導局とかいったか。まぁ正式名称などどうでもいいのだが、そこは情報を管理し、指揮する機関で、要するに私のような諜報員が在籍する情報機関、というわけだな」

「ちょっと――――なに。それは、どういうこと。機密を明かすような真似するなんて。それって、もう私は用済みってこと?」

「アイラの局長はクローディアス・カーライルという人間だ。0300年に創設されて以来、彼がずっとトップにいる。本部はサピリオ星で、リューヴ、地球など大都市を擁する惑星に支局を持つ。彼らの工作員がフルジアにも入ってきているだろう。なぜなら、この私がカーライルの部下だからだ」

 フルジアの敵方に属するスパイ。オフェリアの任務は、フルジアに潜入してリューヴへと内情を報告することだ。今回の一件にて、ソニアにだけ関して言うならば、フルジア政府にはリューヴの密偵を捕まえたと報告し、リューヴには身元が割れそうになったが代理を立てた、と報告する。

 ソニアの顔色が変わったのが、はっきりとわかった。それは当然のことだろう。お前が敵だと言い続けてきた男こそ敵だったのだから。だがそれで、きっと辻褄は合う。ヴィオレッタを殺したのも、両親を殺したのも、ソニアの脳内では、オフェリアは敵だからの一言で片付けられる。

「ッ……アンタ、最低だ。生きる価値もない、今すぐ机のカドに頭でも打って消えろ――――!」

「さて、知っているかなソニア。実は今、フルジアとリューヴは戦争をしているんだ」

 

 夜が明ける。おそらく五杯目になるコーヒーを、眼前の女性にぶちまけた。熱湯に近い温度のコーヒーを浴び、しかしソニアはゆっくりと視線を上げた。疲労感や眠気は今が最高潮だろう。日が昇れば、ある程度眠気がなくなってしまう。それが人間の生理現象というものだ。

「交代です、レーヴェ様」

 苗字を呼ばれ、振り返る。部下の一人が、水を張ったバケツを持って入ってくる。交代にはまだ早い。どうしたと問いかけると、どうやら来客のようらしい。仕方なしに立ち上がり、場所を変わる。完全に眠ってから起こすように、とアドバイスを送ってから部屋を出る。

 地下から上へ。続く牢獄を真っ直ぐと進み、エントランスに到達する。衛兵が、応接間に来ているというので、おとなしく指示に従うことにした。こういう呼びつけ方をするのは、一人しかいない。勝手に帰ろうとするオフェリアを引きとめ、自分のところまで連れてこようとする女王様に他ならない。

 案の定。質素ながらもある程度の調度がなされた応接間には、ゲルトラウデ女王陛下がいた。彼女とはヴィオレッタの一件で激しく衝突してから、顔を合わせていない。非公式な後継者という立場からか、おずおずとこちらから出向こうとは思えなかった。

「何か御用ですか、陛下。私は囚人の尋問をしているところなのですが」

「昨夜、娘が会いに行ったと聞きました。兄上様は何だか、とても疲れているようだったと聞きましたよ」

 そういえば確かに、昨夜はジーナが来ていた気がする。王女様が自ら義兄の家に来るとは、何か用事でもあったのだろうか。だが、用事が無くともジーナはたまになら来る。それに、重要な案件なら強引にでも話そうとしたはずだ。

「心配なのですよ、貴方が。少し、働きすぎでは?」

「……自覚しています。ですが、陛下のためにも、一刻も早く他の諜報員の居所を探ることが先決です」

「オフェリア」

 強い声音で、名を呼ばれる。それは、母の声だ。身寄りの無かった自分を養子として育ててくれた母の声だ。配下に任せることもせず、女王という立場だというのに、孤児を拾って育てた立派な母の。

 その声を聞いて、反論することは難しかった。

「昨日は、貴方の誕生日でしょう?ですから、ジーナは待っていたのですよ」

「……あ。しまった、すっかり忘れていた。それは、悪いことを」

「ええ、悪い子ですね。ですから、今日は家にいなさい。十八歳の誕生日を盛大にお祝いしましょうね」

 好意から出る言葉に、返す言葉は出ない。おとなしく頷いて、されるがまま、疲労しきった肉体を抱きしめられる。大きな、母の背。長身の体に身を委ねつつ、そういえば誰かさんと同じだったな、と自身の生誕を思い出した。

 

 妻を亡くした、と彼は言う。だが、どう見ても彼が失くしたのは妻ではなかった。

 オフェリアの邸宅で小さくささやかなパーティを開く。呼ぶのはごく親しい間柄の人間だけだ。それも、ゲルダとオフェリアが母子であるということを知っている人間だけ。集まったのは十名にも満たなかったが、その方がいいとゲルダは思っていた。

 会の最中、オフェリアはずっとソファに座って立ち上がらなかった。ワイングラスを片手に、こちらを眺めているだけだ。例えば、義妹のジーナを。例えば、上司のフォリアを。そして母と呼ぶ人間を。相変わらずの冷たく青い視線で。

「陛下、何か御用でしょうか……?」

 いたたまれなくなったのか、気付けばバルコニーに出ていた。忙しなく動き回る給仕のフィアを呼びつけ、二人きりで夜に立つ。オフェリアのことを自分以外で一番知っているとすれば、このメイドだけだろう。彼女は常に忘れない忠義心と礼儀さをもって、いつもと同じように控えめにやって来る。

「オフェリアを動かしなさい。今の仕事から外し、そうね、前線へと飛ばしましょう」

 彼がソニアという奴隷にかかりっきりなのは知っていた。聞けば、ヴィオレッタの妹だという。娼婦の妹なら犯罪の一つや二つは行っているだろう。それを、敵方の密偵と判断して捕らえた。総督更迭のスキャンダルに使えそうかもしれないと思ったからだ。ただ、今ではもう必要がない。

 まだ娼婦の幻想を追っているらしい。それが、汚らわしく思えた。

「アレは私の息子です。血の繋がりなど無くとも関係はない」

「それが、今のお話を何の関係があるのですか?」

「わからないのですか、フィア。オフェリアの妻がヴィオレッタ?そして今度はその妹?そんなことはさせるものですか」

 アレは私のものなのだ、とまでは言わなかった。フィアも同じ思いを抱いている。彼女もまた、ヴィオレッタとの結婚は反対した一人だった。何せ、相手はどこぞの娼婦。スキャンダルのために利用したとはいえ、そこまでしなくとも、とさえ思った。だからこそ、誰もが反対をしたのだ。

「可哀想なオフェリア。すでに、壊れてしまっている――――」

 誰よりも強く、誰よりも賢く、誰よりも優しく、故に。彼はこの先、生きることなど出来ないだろう。

 だから誰かが、支えなければならない。優しい嘘で塗り固めた甘い箱庭で、生かしてやらねば死んでしまう。誰よりも弱い存在の彼なのだ。たった一人を失っただけで、自分を見失うほど、弱く。

「それは違います。壊したのは、貴女です」

 フィアが視線を上げ、正面から言い放つ。初めて、彼女の意志らしい意志を見た。厳しい視線は咎めるように。叛く視線で女王という存在に怯むことなく挑みかかってくる。

「フィア。オフェリアから聞いたのですか」

「よく、覚えておきなさい。女王陛下。いつか、彼は貴女のその胸に、憎悪の刃を突き立てましょう」

 給仕が去って行く。言葉は、反乱を示唆していた。オフェリアが反旗を翻すことなど、あるのだろうか。ならば、今は何を望んでいるのか。ソニアと毎晩会っているのは何のためか。オフェリアの狙いはどこかに定まったのか。それは、この心臓なのか。

 策略。そんな言葉が、オフェリアの背と重なった。

 

 私室で、フォリアの報告を聞き流す。目線はずっと、テレビに向いていた。空の向こうでは、どこかの聖女の誕生会を放映していた。絢爛豪華に着飾った豊満な肉体の女性。誰もが思い浮かべる女性像が動けば、きっとあんな姿になるのかもしれない。聖女は聖母。全てを生み出す女性だ。

「聞いておられましたか、陛下。昨晩、ギーゼルベルトがデケネイアに出立した、と」

「聖女アデレード・アレクサンドラ・フォーレ。知っていましたか?彼女はオフェリアと同じなのですよ」

 は、と不可解な声をあげるフォリアへと視線を移す。それでも、室内には遠い聖女の声が聞こえていた。演説の才能はたいしたものだ。まだ十八歳になったばかりだというのに、そのカリスマ性は宗教を抜きにしても手ごわいものだった。

「いえ、違いました。オフェリアがアデレード、だったかしら」

「――――」

「敵の旗は人工的に作られるそうです。神に叛く人の業、いえ、彼らが神そのもの、でしたね。美しく、華やかで、胸は大きく腰は細く臀部はしっかりと。完璧な女性型。理想、などというものをカタチにすると、聖女ができる。なら、悪夢をカタチにするとどうなるのでしょう」

 それはきっと、理想に似ている。ただ方向が正反対なだけで、理想と悪夢は確かに、ペア。

「……ゲルダ様。目に見える敵は殺せばいい。目に見えない敵を相手にする陛下を、私は敬っています」

 目に見えない何かがある。意図的に隠せるものと、どうあっても隠せないもの。オフェリアは隠し、しかし隠せていないものがある。時にそれを運命と呼ぶなら、この国は確かに、神へ叛く。

「そして、陛下がオフェリア・レーヴェになさったことを非難もいたしません。彼は、陛下と共に生きるべきです」

 オフェリアが自分を怨んでいない、などということがあろうか。

 それでも、守らなければならない存在なのだ。無条件で、彼を守らなければならない。この世で誰も、彼を味方しないというのだから、自分が守らなくばどうなるのだ。

 そうだろう――――ゲルダ?

 子を守るのが、親の義務。たとえ何があっても、味方であり続けろと教えたのは、貴女でした。

「捕らえなさい。そして、思考を奪うように」

 フォリアは全てを知っている。そして言った。彼を逃がさないように、と。

「通常の牢獄では意味をなしません。営倉、それもある程度の罰を与えなければなりませんが、それでも?」

「乱暴はやめるように。指揮官には女性を配しなさい」

 女性だけだと、逃げられる可能性がある。オフェリアの腕力を押さえられるのは、やはり男だ。フォリアの指揮下にある部隊を使うよう指示をし、テレビの電源を落とした。彼女は通信で即座に、隠密に逮捕するように要請し、まだ部屋から出て行こうとはしなかった。

 いい部下を、持った。こちらの心中を推し量り、なお、出過ぎることもない。フォリアはごく自然に、しかし、いて欲しい時に残ってくれた。きっともう部隊は動いていて、あと一時間もすればオフェリア逮捕の報告を受けるだろう。

「しかし、ヴェルブングは黙っておりますまい。彼がシーリアから駆けつける前に、何らかの手段を講ずべきです」

 フルジアの従属惑星、シーリアの総督を任されているヴェルブングはオフェリアと付き合いが深い。きっと自分が母なら、彼は父なのだろう。オフェリア逮捕の報を受け、任地から駆けつけることは充分に考えられた。

「構いませんよ。来られたとしても、逃がすことはできない。強硬手段に出る男でもないでしょう」

 敵がうるさいことになっている。それを止めるには、「本物」のオフェリアが必要なのだ。偽物が出すぎることになると、話がまとまらない。ヴェルブングとて、それくらいは理解していよう。戦争が終われば、またオフェリアを自由にしてやれるのだ。

 だが、そんなものは口実だった。今は、とにかく、休みたい。何も考えず、朝を待ちたい。ひとつ、胸のつかえが無くなり、しかしひとつ、胸が痛んだ。

「リディア、来てください。どうか私に、慰めを――――」

 彼女を名で呼び、整った顔が眼前に来る。そうして自分は、何かにすがるように、目の前の女性を抱きすくめていた。

 

 大柄な男性、丸太のような太い腕がわずかに見える。抵抗もなく従っていたが、軍施設内に入ってからはオフェリアの後頭部をしっかりと握られていた。前も向けず、半ば引っ張られるように廊下を歩く。他に、後ろから二名ほどの武装した兵士がいることだけは気付けた。

「髪を掴むな、ズィーベン。抜けたら痛いだろ」

「げ、ツヴァイ。アンタ気付いてたのかよ。ホント、油断ならないねぇ」

 軽い口調で答えが返り、幾分、握力が弱まった。難しい態勢での歩行を続けながら、暗号名で呼ばれる意味を少なからず考える。名前で呼ばれない、ということは。これも組織の作戦の一つなのだろうか。となると、後ろの二人も関係者、と考えられる。

「違うか。お前、バカだもんな」

「ははは、オフェリア、考えすぎだ。民衆に知られないように、とのことで我々が動いただけに過ぎん。逃がさないし、説得もせん。営倉にブチ込んで縛って終わりだ」

 後ろから、フュンフの声が聞こえた。それで大体の、作戦概要は掴めた。下位メンバーによる人員配置は、本当に彼が言うとおりの、単なる捕縛任務に過ぎないだろう。

 クンスト・ヴェルク。ある情報機関の名前だ。そこは国境などなく、リューヴに味方するものもいれば、フルジアに味方するものもいる。フリーランスのエージェント集団、というのが正しい。十人の工作員が在籍しており、各々、依頼に沿う形で各惑星に点在している。

 オフェリアは二番手。序列二位の工作員である。ズィーベンが七番、フュンフが五番。共に、今はフルジアに在籍している。他に、フィアが四番で、二番と共にフルジア潜入をしており、フィアは二番の弟子、という立場にある。

「ツヴァイが抜ければ、オレたちは一つずつ序列を上げることができる。まぁ、そういう背景もあるわな。ボスはそう言ってたぜぇ」

「まさか。除籍にするには殺すしかないだろう?」

「ズィーベンが正しいな。多分、営倉から一生出れない。社会的に抹殺、ということではないかな?」

 地下へ。灯りの無い部屋。フュンフの野心も、ズィーベンの感情も、その後ろに立つノインの表情さえ見えるようだ。営倉とは名ばかりの独房は、ソニアのものとは大きく違う。厳重な鋼鉄の扉と、一切の灯りを消した家。寝具はおろか、便器さえない。

 天井に鉤がある。後ろにいたノインが手にした灯りで照らし、フック状の鉄を見た時、フュンフの言葉に間違いがないことを悟る。

「目隠し、猿ぐつわ、鞭。どれか一つをプレゼントだよ、ツヴァイ」

「お好きにどうぞ、元フュンフ。なんなら、鋼鉄の処女でも持ってくれば?」

 選択肢も何もない。彼の笑いかける言葉の意味は、余裕と嘲笑だろう。振り向かされ、初めてまともに三人を見た。面倒なので、自分から腕をクロスさせ、上げる。手首を交差した状態で巻かれ、縛られ、ズィーベンは軽いオフェリアの体を持ち上げ、鉤にかける。

「足が浮く。もっと牛乳飲んでおけばよかったな」

「大丈夫、ちゃんとそっちも苦慮してやるよ」

 この場での指揮官は、やはりフュンフだ。第五位である彼が、最も序列が高いのだから。第七位は面倒そうに答えて足を縛り、第九位は黙って銃を向けている。女性であるノインがいる必要はないが、おそらく女王陛下の気遣いなのだろう。

「ビックリだ。俺に自白させることなんか、あったっけ?」

「多分無いね。それに、ツヴァイともあろう人間を使わないなんて、宝の持ち腐れってヤツさ」

 使わせたくない理由があるのだろう。例えば、我が子可愛さで旅をさせない親の気持ち、など。どう考えても浮かぶ犯人の顔が一人しかないので、こうしておとなしくお縄についているのだが。

「思考力を奪え、とのお達しだ。が、肉体的苦痛にも精神的苦痛にも耐える工作員に何をしろってな。屈辱シリーズを、とも考えたが、アンタは素っ裸にされて街中をマラソンさせても平気な顔してる人間だろうし」

「よくわかってるじゃないか。そもそも自白を求めるモノじゃないし、拷問なんて意味ないだろ。そうだな、思考力を奪う、っていうなら、痛みや屈辱系は除外すべきだ。『耐える』ために思考するからな」

「となると、催眠シリーズですか。洗脳系ならイケそうだけど、アンタに洗脳してたらこっちの方が精神耗弱するってーの」

 精神に苦痛に与えるのは、時間をかけてゆっくりやるのが効果的。ソニアに施したように、寝かせないで延々と喋り続けてやる。そういう方法を選ぶわけだが、対象が頑丈な精神力を持つなら、根競べのようになってしまうだろう。そもそも、こっちに負い目はまったく無いのだし。論戦になれば勝敗は見えている。

「……それでも、まぁ。カタチだけでもやらなきゃならん、と。ズィーベン」

 考えがつかないまま、フュンフが指示を出す。どうせなら首だ、とひとつアドバイスを言って、上着が全て破られる音を耳にした。腰から下に、袖が垂れ下がる。自身の上裸など、ヴィオレッタと女王以外に見せたことはない。

 不意に、フュンフが甲高く、笑い声をあげた。他の二人も同様に、驚きを隠せない表情をしている。

 

「ハ、アハハ――――テメェ、女だったのか」

 

 わずかに隆起した、胸部を見ながら第五位は宣言する。納得いただけたご様子。顔や骨格だけでなく、姿まで女性なら、もう疑う余地はないのだろう。一目でバレるあたり、ヴィオレッタなどより、数段、異性に飢えているのか。

「すごいな、フュンフ。お前、妻より詳しいよ」

「――――コイツは傑作だよ、オフェリア。そうか、なるほど。だからアンタが、『アデレード』なのか。兄貴を守るために男装したってか。ははは、本当、傑作だ」

 ごく一部の人間だけが知る女王の養子という事実。さらにその中でもごく一部だけが知る、オフェリアの正体。単なる工作員が知るには、重すぎる事実を手にしてフュンフは狂ったように笑う。この事実は、戦争の帰趨さえ変える事項なのだと思っている。

 だが、それはきっと違う。権威に必要なのは、過激な真実ではなく、綺麗な嘘だ。

「ちょっと待ってくれよ。なら、今の『アデレード』は『オフェリア』が変装してるのかよ?」

「だろう。元々、フォーレの兄妹は顔も似てるとか言う。豪華なドレスがありゃ、胸くらい隠せる。ズィーベン、聖女サマのラフな下着姿なんか見たことないだろ?」

 それに、と付け加える。本物の妹が貧乳ならバレないだろ、と。半ば嘲笑しながら彼は言う。あの男に眠る様々な思考が、優越感となって出ているようだ。

「さて、やろうかアデーレ。殺したら怒られるからな。軽く、イかせるだけさ――――」

 言われ、首に縄がかかる感触を、覚えた。

 

 その日、彼女は自分の状況を理解することができなかった。

「ご助力を、ソニア様。リューヴへ赴き、ゼクスという者をお訪ねください」

 意識は数日前に途切れた。気付けば政治犯を収容する刑務所に送られていて、しかもすぐにフィアという義兄の部下がやって来た。どうやら自分は、ありもしない罪を被せられ、投獄させられたようなのだ。

 だが、なぜかすぐに釈放された。司法取引というものだ。刑は軽減され、しかも仮釈放が追加された。嘘の自白をしただけで、解放されたのだ。今はこうして、フィアと二人で市街にある喫茶店などにいる。

「ソニア様は、『リューヴのスパイ』ということになっております。そこで司法取引に応じ、逆にリューヴへ仕掛けるフルジアのスパイという名目が成立しています。国内には滞在できませんが、リューヴに逃げることは可能です。そしてそこで、ゼクスという者がソニア様の世話をする段取りになっています」

 ゼクスというのはフィアの部下、つまりオフェリアの部下でもあり、今はリューヴの人間らしい。どうも三人の繋がりがわからないが、とにかくゼクスに会えば、家や金銭は用意してくれているようなのだ。ここまで用意周到に準備されると、オフェリアの狙いが何なのか、わからなくもなる。

「オフェリア様の狙いは、ソニア様を守ることです。ヴィオレッタ様は早くから女王陛下に狙われており、妹である貴女に害が及ぶ前にフルジアから離そうとお考えでした。ですが予想以上にソニア様が折れなかったため、強攻策に出たのです」

「はい?ならオフェリアって、まるで良いヤツみたいじゃん」

「はい。そうですが……何か?」

 あれ、と思う。そんなことがあるはずないのだが、現状を突き詰めていくとそういう答えしかない。憎み続けてきたオフェリアが、まるで良い人なのだ。すぐには、理解がいかなかった。何か裏があるのではないか。長い収監生活で、そう疑うクセがついている。

「もちろん。見返りは求めます」

「ほらやっぱり。で、ソレって?」

「オフェリア様の救出です。先日、オフェリア様が逮捕され、軍施設に収監されました。これは、単なる願望なのですが。ソニア様からゼクスにこの事実を伝えてほしいと思いました」

 ゼクスに伝われば、何らかの手段を講じられるらしい。自分の役割としては、随分、軽いものだ。ゼクスに会って、オフェリアが捕まったと言うだけ。それで自由が手に入ると、彼女は言う。もちろん断って、このままフルジアにいることさえ、彼女は許すだろう。

 だが、すぐには答えを出す気になれなかった。何せ、オフェリアだ。助ければまた、何か企んでくるに違いない。まずは家に帰りたいと申し出ると、姉の家に案内された。そこは、オフェリアの家でもある。もうその二人とも、いないのだが。

 市街から少し離れた閑静な場所。そこにこじんまりとした宮殿のようなものがある。さながら、離宮といったところだろう。豪華ではあるが、質素。よく性格が出ている、とソニアは思う。さほど広くもない庭を抜けて、縁側から居間に。誰もいない家は、広い分、寂しく感じられた。

 一人で、姉を探した。いないことなど百も承知。だがそこに、幻想なら残っているのではないか、と思って。姉の残滓を辿るように、そこに着いた。

「――――」

 思わず、息を飲んだ。ドアの先は、やはりそれほど広くない、姉の私室がある。天蓋のついたベッドや鏡台は豪華で、オフェリアの気持ちを、初めて見た気がした。広い窓の向こうには庭が見えて、そよ風がレースのカーテンをかすかに、揺らす。

 何も変わっていなかった。初めてこの部屋に来た時と、変わっていない。多少、配置が変わっていたり、二年前はなかった家具もある。それでも、ここは姉の部屋だった。

 死んで、二ヶ月は過ぎたという。されどここは、まだ姉の幻想が、残って。

「片付けてないんだ、まだ……」

 オフェリアらしくない。あの人は無駄に潔癖な部分があるので、役に立たない部屋はすぐに片付ける。だが、まだ残っている。それも、埃も、塵も無い、綺麗に整頓されて残っている。ならここは、まだ人が手入れをしてくれているということだ。

 二人に何があったのかなど、知らない。どのような顛末を迎えたのかも、わからない。それでも、きっとここには、二人の幻想がある。

「……本当、あの人は素直じゃないなぁ。徹底して日陰に生きるっていうか」

 決して、太陽を浴びることはない。あの人の行為は、全て影。誰に見られることも、知られることもなく、日陰でこっそり、自分を貫いている。それは、損だ。まるで、夜にしか咲けない花のように。誰にも知られることなく、自分を出している。

 だが、知れた。そんな悲しく、損な生き方しかできないバカモノを。

「――――フィア。義兄を救うには、どうすればいい?」