[ O d y s s e y ] /Redone Rendezvous Ruin "Ophelia = Adelaide" |
| 私は定刻まで、余人に入室を許さない。私室のバルコニーで独り、茶を楽しむ時間を邪魔されたくないが為だ。白い陶器の器、緑の萌える庭園、飾り気の無いシンプルなテーブルクロス。何も無いからこそ、優雅な朝。鳥の歌声と、木々のざわめきが心地いい。 乱れた髪をリボンで結い、鏡さえ見ずに広がる森を見る。あえて、私の部屋からはオリュンペイオンが見えないようになっている。続く視界は、森だけ。神が眠るこの森だけだ。あまり広くもない庭の向こうに森が広がり、やがて海が見える。 白亜の城で、私は独り。あの海の向こうを夢想する。
[ O d y s s e y ] : R e d o n e R e n d e z v o u s R u i n - 「 再 び 」 0318, Ophelia = Adelaide
扉の先から、ハーミアの声がした。朝食の時間らしい。朝食といっても、すでに時刻は十時を過ぎている。朝に弱い私は、いつもこの時間に軽く食事をする。すでに着替えも終わっている。彼女が運びやすいよう、ティーセットを一箇所にまとめてからドアを開けた。 廊下を歩き、食堂に入る。そこには、いつもいるはずの兄の姿は無かった。やや驚き、ハーミアを見る。我々の一族に、サプライズはない。ルテティア・パリシオールムに軟禁されているようなものだ。だから、兄がいないというのは事件だった。 給仕の彼女も、兄の居場所はわからないようだった。小首を傾げる仕草を頭から信じず、それでも安直に納得し、いつもの場所に陣取った。 「そうそう、アデレード様。カルディア大統領が近々、お邪魔したいと仰ってましたよ」 カルディアは兄の友人ともいうべき人物だった。リューヴの大統領を務めているが、悩める時はよくオリュンペイオンにやって来る。静かな場所で、考え事をしたい時もあるのだろう。物腰の穏やかな青年だった。私は好印象を持っていたが、兄にしてみれば、なよっとしていて叩き直したいらしい。 「ええ、構わなくてよ。まさか今日いらっしゃるというわけでもないでしょうし」 「本日の御来客は一件ですね。スカラ号が寄航予定、オペラ・ヴァン・レーヴェ、リゴレット・リエンツィ、セリア・ウェーベルン・イザークの三名――――あら、イザークさんですね」 イザーク、と呼ばれて、すぐに端整な顔が思い浮かんだ。背の高い黒髪の凛々しい女性だった。不届きな発言をしたため、オリュンペイオンに詰めている教団兵に追われ、ルテティアから叩き出された。あの時はアリアの友人であり、両親とも知己があったため、ルテティアに入れたのだが。 今回はリューヴ政府から認可を受け、正式に渡航して来たようだった。他の二名、レーヴェとリエンツィという名前に憶えはない。楽しげに名前を読み上げるハーミアに辟易しながら、何がそんなに楽しみなのだろうと疑問に思う。 「またおかしなコトを口にする気かしら。正直そうな方でしたから、騙されたのかもしれないわね」 「バカ正直ですか。一言多いですよ、アデレード様」 言ってねぇよ。 「……で?他の二名は何なワケ?武装テログループとでも言うつもり?」 今度こそ、本気で一言付け加え、ハーミアの答えを待つ。手にした端末を操作し、情報を引き出す間、最後の一切れとなったパンを口に放った。朝はあまり食べない。あっという間に片付いたテーブルに肘をつき、少しだけ来客を楽しみに思う。 「リゴレット・リエンツィ。SSU軍軍曹、現在は除隊しアルフェラツ星系第二惑星ティールにてエンジニアとして労働。太陽系第六惑星サターン衛星タイタン出身のタイタン人ですね。オペラ・ヴァン・レーヴェ。アンドロメダ・クラスター下部組織、高度情報指導局情報調査室所属。リューヴ星系第一惑星リューヴ出身」 全員が軍属に近い。元軍人に情報局員、それに警備員のトリオはテロリストと判別がつかない。こういった、ちょっとした日常の変化に嬉しさ半分、不安を半分抱え、朝食の席を立った。 ここからは、仕事。聖女に戻る日常を始めよう。
ここからは、私事。少年に戻る日常を懐かしむ。 「最後に。渡したいモノと、感謝を」 スカラから退艦する際、大きな鞄を開けてすっかり増えた私物を整理する。ティアにはすでに送ってあり、後はこの二人に。まずカントに、自分が使っているモノと同じモバイルを手渡した。フィアに言って用意してもらったものだ。軽い口調で礼を言うカントの耳元に口を寄せ、説明を。 「ソレで俺と連絡をとることも出来る。そして緊急時にと用意していた俺のシェルターの位置も確認出来る」 少しだけ緊張感を生み出し、顔を離す。帰還の旅はここで終わりだが、この先、また共闘することもあるかもしれない。いや、必ずまた、出会う。 笑顔で残りの荷物、巨大な鞄をイザークに。邪魔だから預けるような形になる。中にはスカラに備え付けてあった銃火器や装備が詰まっていた。アンドロメダで売りさばけば、かなりの額になるだろう。カントが目の色を変えたが、あえてイザークに渡した。 「――――なァ。やっぱ、一人で行くのか?」 いくらカントとて。感動の再会を邪魔しよう、などというつもりは毛頭ない。ルテティア・パリシオールムは原生林と海しかない未開の惑星で、設置された空港と続くオリュンペイオン大聖堂しか建造物はない。空港にはリューヴ政府の軍が駐屯し、聖堂には教団の兵士が多数在籍している。 もし、何か起これば。前回、イザークは負傷しながら脱出した。だが今回の事件はそれ以上になる。杞憂かもしれない。アデレードの対応が見えない、という点だけでぞろぞろと揃って行動する方が危険かもしれない。 アデレードとオペラの再会。間違いも失敗も、まず考えられない。オペラがオフェリア・フォーレであることに間違いは無く、リューヴにて偽物を殺害している。仮にアデレードが認知せずとも、自分と同じ顔の人間が目の前に登場すれば、叩き出すような真似はしないはずだ。 「どうせなら。皆で行こう――――見てほしいんだ、多分」 故郷を。生まれ育った場所を。友と呼べる者たちに。そして知ってほしいのか。 この旅で、何度も隠そうとしている事実。ルテティアを出てから、一度たりとも明かさなかった事実を。彼らに知ってもらいたいのかもしれない。――――オペラ・レーヴェではなく、オフェリア・フォーレとして。 四人でスカラから降りる。アリアはツェルニーに連れられ、ルテティアに戻るだろう。空港に詰めている兵士は少なく、皆、穏やかな表情だった。平和しかない神の住む星。ここに、争いの気配などない。ようこそ、と声をかけられながら、ついに。この地に帰還を果たす。
―――――変わる世界。そこは、私の知る故郷とは少し、違った。
オリュンペイオンへと道は直線に続いている。左右は開けた草原。遠くに森が広がり、正面に聖堂がある。道幅はさほど広くなく、縁には花壇がある。その光景に変化はない。ただどこか、違和感がある。それはかつて、イザークも感じたものと同じで。 花の無い花壇。不思議なじょうろを振り回しながら、ガーデニングに精を出す女性はもういない。思えば。あの時から全てが狂っていったのかもしれない。土しかない花壇を見ながら、道を行く。そこに、母の面影があるような気がして。肩に背負った小さな鞄が風に揺れた。 「聖堂を右に進めば、家があるんだ。そんなに大きくも無い、白い城みたいな」 そちらへと足を向ける。草原を歩き、森の手前に現れる家。聖堂の前に立つ守衛は動かない。どうやら眠ってしまっているようだ。気配を消しながら、家の方へと向かってみる。 「こっちは人が来るから、遊び場は庭だった。家と森の間に、ある」 そこでイザークとも遊んだ。父と母、それにイザークの両親が手製のウッドデッキから眺め、時に怒声が飛んでくる。そう、イザークの父とウチの父は相性が最悪なのだ。そんな他愛ない日常を、思い返す。 「ああ――――それなら私も、少し覚えている。君は妹と手を繋ぎ、テーブルの下によく隠れていた」 「イザークの親父が嫌いだったんだ。テーブルの下から蹴っ飛ばしてやった」 「頭カタそうだよな、コイツの父親。娘がコレだぜ?」 その真実を知るのは、一人。イザークは親について、あまり覚えていないらしい。両親が他界したのは十五年ほど前のことで、五、六歳だったイザークは顔や名前は覚えていても人物までは思い出せないそうだ。あえて教えることはせずに、家を迂回して庭に回った。 ウッドデッキは無くなっていた。庭はよく手入れされているが、何も無かった。ベランダと、通じる大きな窓があるだけだ。 九年という歳月は、変わるには充分過ぎた。
九年という歳月で、変わったことは何も無かった。 父が死に、兄と二人でオリュンペイオンを取り仕切る。フィルウィリミテア教の教祖、創始者の子孫、最高指導者になった。ただ、ここに市民が来ることは無く。時折、来訪する政府要職の人間に応対するだけだ。 本当に願いを叶えてしまう神様、など。いない。 私に許された力は、せめて祈ること。 「そういえば――――アリアはまだ戻らないのかしら?」 給仕の一人である人物の名を出し、問う。外の世界に出かけた彼女の身を案じるのと、興味があるのと。その二点でのみ、彼女に対する感情が生じる。 外は知らない。あらゆる情報が遮断され、想像の世界でしかない。ルテティアから外に出たことは無い。外に出る必要が無いのだ。少しの興味はある。だが、変化はあまり望まなかった。外に出たからといって、何があるのか。 私はただ、ここに生まれたから特別である。貧困に悩むことも、労働に疲れることもなく。均一なる日常を過ごすだけだ。どちらが良い人生かなど、わからない。 「分かりかねます。リラも先ほど、買出しに出かけましたし」 大聖堂の隣にある私室で読書をする。答えたのは彼女の部下だ。事務など煩雑な実務は全て彼女に一任してある。それは代々、そうしてきているようで慣例に従ったまでのこと。彼女たちユミル種がいなければ、ルテティアは成立しない。 王がいて、家臣がいる。そうでなければ、国家が成立しないように。 「雲が出てきましたね。暖を用意しましょう」 季節は、もう冬。肌寒い季節を迎える。快晴だった朝とは違い、少しずつ雲が空を覆っていた。 「……紙媒体の書籍、ですか。珍しいモノですね」 手にした本は旧時代のもの。紙に書かれた文章が綴じられている。手書きの本。美しいとは言えないが、比較的読みやすい字。一瞬、閉じて表紙を彼女に見せる。題名も、著者も無い物語だ。 それは日記。他人の日記を読み解く。持ち主には内緒にしておくように、と彼女に付け加え、今日と同じ日付のページを開いた。九年前の今日。何があったのかを知ろうとし、苦笑する。九年前も今も、変化などない。それが単に日常を記しただけのモノなら、変わらないこの場所では意味を成さない。 しかし、変わるものもある。時間は常に流れ。登場人物は入れ替わる。 懐かしい兄の日記に思いを馳せる。そこに亡き両親の息遣いを感じ。
懐かしい昔の日々に思いを馳せる。ここに幼き記憶の薫りを感じ。 「二人、とも。デカすぎ……だッ」 押し込めるように中へ。昔と違うのは、体。小さな頃は簡単に隠れられたキッチンとリビングの境目にある隙間に肉体を押し込める。奥に入ったカントはすでに虫の息。両腕を天井に伸ばして臨終だ。押し出ようとするイザークの圧力と、押し込もうとするフィアの圧力から必死に耐えつつ、侵入者を監視する。 「他に隠れる、場所など――――いくらでも、あったろう、に」 イザークの両腕は前に伸ばされ、四人が上手に密着する。身動きすらままならない状況で絞り出される声を完全に無視し、家の中にやって来た誰かを探す。さすがに、観光客がフォーレ家の私邸に入るのは問題で、見つかると面倒なことになりそうだった。 「……後ろの肉ダルマ、息してる?」 「確認できない。救助の可否も微妙だ――――が、どうした?」 両腕の関節が、おそらく外れている。痛みで失神もしている。しかもハマって出てこられない。早まった行動に少しだけ後悔しながら、隙間から身を乗り出した。目の前にやって来た人物の目が見開かれ、大きく。地味ながらも厚そうな服装で身を固めた大司教の参上である。 フィルウィリミテア教第一司教管区長、ハーミア・リラ大司教は硬直し、不自然な位置で手を挙げたまま口を開けた。後方からも驚きの声と隙間からはいずり出る音が聞こえる。イザークは何とか脱出したようだが、そんな様子にもハーミアは反応しなかった。 「――――ぉ、オフェリア様?」 彼女はアデレードの兄の名を声にした。変わるものもあれば、変わらないものもある。ハーミアは九年前と同じく。しかし帰還を目の当たりにした。帰ることの無かった前の主人とは、違って。 「違うよ、ハーミア。午後に来訪すると伝えた、オペラ・レーヴェだ」 認められるには、まだ少しだけ早かった。全ては彼女に出会ってから。今はまだ。 「……ええ、失礼しました。では、 彼女は理解をしている。幼少より私と交流があったせいだろう。この私がどういった人間なのかを知り、また扱いにも長けているようだ。ハーミアがいる限り、きっともう一人の私に関しても、安泰だろう。決して怒らず、また手も出さず。傍観する立場にいながら教育をこなす。 主従関係を第一に、境界を作り相手をする、と昔に誰かの母親が言っていたことを思い出す。 「あ、ところでオフェリア様。アリアの行方とかご存知ないです?」 「ウソくさいな、やっぱ……」 だが、どうにも信用ならない。いや、信用はしているが、甘い人には違いない。しっかり線引きされているかどうかは甚だ疑問だ。言及しても曖昧に濁されて終わるだけなので、正直に白状する。こういった手合いには、シンプルに応対してさっさと逃げるのが吉なのだ。 アリアがツェルニーと共にルテティアへ帰還することを伝え、足早に去ろうと考える。しかしながら、どこぞの巨体が壁にハマっていることを思い出す。とことん使えない肉ダルマさんなのだ。 「もう一つ。質問があります」 ハーミアの視線は、いつもと変わらない。表情も何も、変わらない。変わったのは、他ならない自分自身。 「貴方は何を目的に、何を理由に戻られたのですか?」 その言葉に、少しだけ絶望を覚える。ずっと私は、この場所を「家」だと思ってきた。家に帰るのに理由がいるのだろうか。家に戻るという目的はあってはならないのか。何かを理由にしなければ、家には帰れない。放棄した責任という名の下に、裁かれるべきだと。 「無いのであれば――――お引取りを願います、お客様」 主従という関係さえ無視し、給仕は言う。取り次ぐことをしたくない、と彼女は意志を伝えた。 結局。私が信じられるのは、一人だけだ。
決定。私が信じられるのは、それだけだ。 不確定には興味が無い。揺らぐ事象に意味は無い。定まり、留まる不変こそ信用に足る。 人は、変わる。変わってこそ価値がある。だが私は変わらない。変わらないこそ、「特別」なのだ。 「アデレード様」 名を呼ばれ、立ち上がる。部屋を出て、聖堂へ。 どうやらお客が来たらしい。どうせなら。たまには外まで出迎えに行くのも悪くない。何せ、今日の客はいつもとは違う、テロリストみたいな一派なのだ。刺激的でスリリングな連中には、少しの興味と恐怖がある。 思えば――――その「日常」とは違うことが始まる、今。私は「特別」ではない一人の少女に戻っていたのかもしれない。
扉を開き、陽光の下へ。邂逅の時は、来た。
思えば――――この「日」を願わなかった時は無く、今。私は「役割」ではない一人の人間に戻っていたのだと思える。 「オフェリア様」 名を呼ばれ、渋るハーミアは先に行く。大聖堂の扉へと続く階段の下で、一瞬、立ち止まった。 巨大なステンドグラスは円く、陽光を聖堂へ送り込む。その、下。階段の終着点に、一人の少女が立っていた。ハーミアがその隣につく。見上げた先に――――帰還がある。
1 「――――ハーミア。アレは、誰」 アデレード・ヴァン・フォーレの声がする。手はまだ届かないが、声は届く距離。階段を一歩ずつ踏みしめながら声を求めて上昇をする。先頭にはオフェリア。二十五段の階段の先を目指し、先導を務める。 「止まりなさい。ハーミア、アレは誰です。何故、私と同じ顔をしている――――」 見た目で違うのは、せいぜい髪型くらいだ。頭上の少女は驚きと焦燥感。階下の少女は期待と不安感。それぞれ異なる感情を抱き、それぞれ同じ顔で近付く。ただ二人とも、きっと焦りはあった。 「……オフェリア・ヴァン・フォーレ様の御訪問で御座います、アデレード様」 給仕が答えを口にする。オフェリアとアデレード。その兄妹は同じ顔をし、同一なる個体が別れて双つになったもの。どちらが上か、下か。あるいはどちらがどちらなのか、問うのは意味が無い。完全なまでに一致する、個。 「それは嘘でしょう。私にいるのは『兄』であり『姉』ではない」 オフェリアの昇る速度が、落ちる。それは近付いたからか、あるいはなお拒絶されるが為か。不安はある。だがそれを上回る希望がある。これで。これでようやく、休めると。この痛んだ感情と、悼んだ感傷を癒せる、家に帰れるのだと。 アデレードの足が後退を、始める。それは近付いてくる、何かに。理解を凌駕する何かの為か。不安はある。だがそれを上回る恐慌がある。これは。これはいったい、何なのだと。近付いてくる兄と、今はいない兄と。
――――結論。 彼女は、考えることを…………止めた。
生まれるは、肉体の奥底にある本能と、剥き出しの感情でしかない。 「――――気持ちが、悪い」 あと数歩のところで、階下を進む者の足が、止まった。 空は雨雲。降り出した冷たい涙。
「何で同じ顔してるの、何で『私』がソコにいるの。どうして『兄』と言うの。気味が悪い。そもそも兄さんはドコに行ったの、ハーミア。私の『兄』はコレじゃない、コレじゃない。私が知っているのは『貴方』じゃない――――!」
答えは、拒絶。 ゴールまであと少しで。私の足は前に進むことを止めた。 目の前の妹が泣いている。目の前の少女が錯乱し、涙を流して叫んでいる。唯一、頼れる誰かを求めて、叫んでいる。目の前の、少女、が泣いている。
「――――ぁあ、」
声が、少しだけ漏れた。 来るべきでは、無かったのだ。帰るべき場所など、もう、どこにも無かったのだ。「オフェリア・フォーレ」は私ではなく、彼女の幻想でしかない。
「君さえ、」
体が、少しだけ震えた。 ならば私は誰だ。ならば私は。ならば。何故、生まれた。いる必要が無い。生まれた価値が無い。存在する理由が無い。
「……認めてくれないのか、サーシャ――――」
誰もが否定する。誰もが拒絶する。 この世界で、誰一人として。私が私であることを、認めてはくれなかった。 ならば、何故。神は私を作ったのだ。
「……戻り、ましょう。船でお待ちしています」 フィアは励ますこともなく、ただ言った。全ては潰えた。おそらく、この場で少年の心境を一番、理解していた少女が踵を返す。また元に戻る。この旅だけではない。今までと同じく、一人称の無い人間に戻ろう。与えられる役割をこなすだけの、道具に戻ろう。 誰も何も、喋らなかった。イザークもカントも、その濡れそぼった小さな背中をいつまでも見ていた。長いとも短いとも言えない道中、ずっと見てきた背中だ。誰にも頼ることをしない背は、いつもよりさらに小さく、荷物に押し潰されそうに見えた。
その肩が、震えている。 何も言わず、何もせず。ただ彼は。涙さえ見せずに――――しかし、泣いていた。
「戻ろう、レーヴェ。また私と肉ダルマでどこか行こうではないか。そうだ、旅行がいい。どうせならティアも誘って、だな――――」 階段を駆け上がり、強引にオペラの肩を抱き、引き返す。ここには何も無かった。だが、それでいいではないか。確かに出会いがあった。また気楽に三人で旅をすればいい。全て忘れ、フィアやティアとも一緒にどこかへ。 そんな、新たな将来を夢に描いた時だった。 不思議な奇跡が、頭上より光臨する。
「それが貴女の出した答えでしたか、アデレード。……正直、がっかりしましたよ」
全てを知る人間が、飛び降りる。それは伝達。真実を解き明かし、人に伝えるべき存在。 空よりいずる天使。黒い衣服のガブリエル・ハイネは突如として聖殿に参上した。
2 聖堂は珍しく、薄暗い。扉の前に立つ二人、階段に立つ二人は対照的。激しくなる雨足に打たれながら、介入する天使を見上げ、降りしきる雨に視界を煙らせながら突如として現れた天使の背を見る。 ふと、何かが転げ落ちる音をイザークは耳にした。隣から聞こえる音を見送り、その先に整然と揃う騎士団を視界に。背後――――そして左右。草むらと飛行場へ通じる道を封鎖されている。まず、それが目に入った。次いで、カントの脇に落ちている肢体を確認した。 肢体。だというのに、四肢欠損。手足は不可思議な方向へ折れ曲がり、胸には二つの穴がある。雨に打たれ、薄まる血液が濡れたタイルに滲み出る。じわり、と広がる血流に。一瞬にして生命の消失を悟った。
「これにて、閉幕。拍手喝采もアンコールも無い舞台とは少々、寂しいものです」
風雲。さらに強まる雨に負けず、ハイネは雄々しく立ちながら、言う。いかなる時も華麗な、彼の姿は異様。受胎の天使は言の葉にて告知をし、伝う。彼の持つメッセージ。それを、待った。これは辻褄合わせだ。解明と言っていい。 彼は、味方と思っていた。この世で唯一、オペラを認める人間だと。 「……よォ、ハイネ。話ならさっさとしてくれ、凍えちまうし――――何より負傷者が死ぬぞ」 階下のカントは、動かない。動くことが不利なのだと気付いている。余裕か、経験か。隣ですでに「死体」となった友人に目もくれず、ただ階上のハイネだけを見ている。その途中に立つ、イザークを制しながら、必死に活路を探していた。 「ではそうしましょう。可哀想に、拒絶されたウリエルの死体は私が貰い受けます。間抜けな聖女も少しだけ、この茶番に付き合ってもらいましょう。これでようやく――――オフェリアが世に出れます」 本物が死に、代役が降板する。それで世界という舞台に、誰かが登場する。 それは、この世を導く者だ。先頭に立ち、旗となって世界を先導する。その演者に選ばれた者がようやく、登場する。名を、オフェリア。この世界が暴走を始め、火花を散らせるようになった時より生まれ。終息へと導く宿命を神に定められた、子。 「――――まさか、ハイネ。最初から、貴様それを承知で」 「『オフェリア』が『ウリエル・フォーレ』である必要は無いですし。むしろ『贋作』の方が御しやすい、というのがデルフィオーレの見解です」 伝えるべきメッセージは、終わった。彼は背を向け、ハーミアとアデレードに正対する。迫る教団兵たちにカントは身を委ね、イザークは激しく抵抗をする。全ては。終わる。 「待て。最後に一つ、教えてくれ。生憎と、オレは鈍いもんで、ね」 拘束を受けるカントが、顔を上げた。背を向けるハイネに言葉を投げる。最初に出会った時、彼は真実を語った。ハイネは騙すことはしても、嘘は無い。問えば答える者。 「アンタが軽薄な人間とは思えない。こんな強硬手段に出たんだ。フルジアの動向は無視していいのか。それとも何だ、戦争が大好きか」 オペラ・レーヴェはゲルトラウデの養子。もし殺害したとなれば、どう動くかは明白だ。それはカント自身がフルジアに赴き、肌で感じたこと。フルジアという国家は、必ず動く。喪章を掲げ、憎悪と憤怒に燃え、来襲するだろう。 「一つ、言いそびれてましたが」 その問いに、ハイネは少しだけ動いた。首をだけを後ろに向け、肩越しにカントを見た。智謀に長け、策謀を張り巡らせるハイネが、その一点を見落とすとは思えず。あえて利用するような人間だ。ならば目的は、フルジアの猛攻だというのか。
「ゲルトラウデと私は旧知の仲でして。『クンスト・ヴェルク』を創ったのは私です」
それで、全て解けた。 この帰還さえ、オペラ・レーヴェという「ツヴァイ」にとっての役割でしかなかったということ。 発端も、結末も。全ては用意されていたものでしか、なく。 「ではリューヴへ。『アデレード・フォーレ誘拐事件の犯人』を逮捕してください」
――――――――――――――――――――― “Magier” ---Riel Heine Nov. 25, Neo.Globe.0318 Lutetia Parisiorum Cathedrale Olympeion
意志が目的と一致せず、理由の前に結果が定まる。そんな少年が、いた。 今。現在に限ったことではなく、それは生まれより。オフェリアはこの世に産み落とされた、その瞬間。彼の持つ本来の意志を蹂躙し、ただ存在するという目的を果たすように理由付けられた。 ――――それ、に。同情する感情はすでに湧いている。 少年はただ「いる」だけでよかった。オフェリアという役を与えられた物で、者ではなかった。そんな人形を世界が欲しがっただけの話。そんな話に、憤慨したことをよく覚えている。彼の父も母も、憎んでいる。今も、憎んでいる。 「貴方、誰ですか。先ほどから随分と傲慢に振舞っていますけれど」 目の前の少女が言う。司教の隣に立ち、扉の前で雨を避けている少女だ。全く同じ顔なのに、全く違う言葉を吐く。そう、オフェリアとアデレードは似て、しかし異なる。ゲルトラウデがオフェリアを選んだのはただの偶然でもないだろう。 澄ました顔で、穢れの無い身で聖女は綺麗なまま、存在する。それに少しだけ、腹が立つ。 「――――嗚呼、無知であるとは赦し難い者よな。どうして箱庭の人形如きが、主人に逆らうか。欺瞞の楽園で栄華を誇っていればよかったものを」 砂上の楼閣、天上で暮らしていても。大地が見えねば不安は無かろう。 だが何故、大地が見えないのかと疑念を抱かないのか。 無知であることを認識せざる、白痴の夢だ。
「貴様も全てを失えばいい。貴様の美貌が、貴様の言葉が、貴様の全てがこの私を苛立たせる――――!」
アデレードがオフェリアを認めないなら、二人とも同じになってしまえ。 右手が白く細い首に伸びる。片腕で掴み、頚動脈を押さえながら持ち上げた。強く、絞め殺すほどに強く、首を握る。理由はわからないが、隣にいた司教は何も言わず、さも当然という風にそんな光景を見ていた。 軽い。アデレードには、重みが無い。今まで十八年間の重みが、無い。それがオフェリアとの違いだ。きっと自分は怒っている。世に干渉はしないと決めたはずが、いつしか手を汚し、世界に腕を突っ込むようになった。 失神したアデレードを教団兵の方向へ投げ飛ばす。すでにカントとイザークを連行した後で、残っていた兵士が彼女を受け止めていた。全員、リューヴへ運ぶ。ステージから退場した出演者の代わりに、新たな役者が幕を開けて立つ。 最初は、オベロンだった。彼が戦争を止め、そして息子であるオルフェオが戦争を始めた。オフェリアは退場し、アデレードもまた退場させる。次に出るは、最早、混迷でしかない。 「――――あの、ハイネさん」 去り際、背後からそんな声がした。呼び止める声に応える。ずっと今日という一日を目撃していた神官。ハーミア・リラは歴史の証言者らしく、決して外に出ようとはしない。証言者は証言者であり、時代の英雄でも歴史の転轍者でもない。ただ、見聞きし、伝えるだけ。 「みんな、変わりましたね」 「……立ち止まってはいられない。私たちは日々、歩み、変わり続ける。その変化に、一番ついていけてないのが、私かもしれません」 変わらない何か、特別な何かがあるのではないか、と希望を抱いた。時代を担い、先導し、新たな歴史の扉を開く鍵を持っているのは、変わらない人物と信じてきた。その信念を失い、私は敵になるのだ、オフェリア。 「オフェリア・フォーレをよろしくお願いします、リラ司教」 「言われずとも承知しています、アガーテ様」 何年ぶりかに、名を呼ばれる。美しかった双つの魂に憧れ、好いた者の、幼き名だ。
「今でも、オフェリア様を愛してらっしゃるのですか――――?」
雨は次第に弱くなってきた。晴れそうな空。薄曇の空を見上げて、遠い記憶を思い返す。年下の青年と学び舎で共に過ごした青春の日々を。情熱に溢れ、正義感に燃えていた若かりし日々を。皆がいた。明るい日々だった。 気付けばもう、夫の年齢をいくつか超え、娘と暮らした年数よりも、長い月日が経った。 「さぁ、もう忘れてしまった」 雨に濡れた顔で本当の表情を消しながら、背を向け、去る。階段の下に、自分と同じくずぶ濡れになった誰かの忘れ物が落ちていた。すでに兵の姿も、誰の姿も無くなった聖殿の前。忘れ物だけが、水溜まりに沈み、汚れていた。 濡れたニットのベレー帽と、セーター。ささやかで、誰も気付かないような小さな小さな心遣い。見覚えのある品を、かすかに記憶のどこかで見つけた。ああ、そうだ。この黒いセーターは、君ら二人の母の品か。 手編みのプレゼントを拾い上げる。叶わなかった願いを、一つくらいは、叶えようと。 ―――――――――――――――――――――
3 「君がもし、妹に会いたいと願うなら、叶えよう。君がもし、生家に戻りたいと言うのなら、聞こう。ここはきっと君の願いが詰まった場所だよ」 調度は白、一色。ベッドもシーツも、壁も何もかもが白い部屋。ただ窓だけが、この瞳のようなブルー。 体を起こし、ボードに背を預ける。椅子に座り、こちらを眺めている女医を見た。彼女はマルガレーテ、とファーストネームを自己紹介し、優しく穏やかに微笑んでいる。出口も入り口も見えない室内で。彼女と二人、全てを手にした。 「気色悪いな、ディファイアンス。アンタたちにすれば、量産型の一つに過ぎないだろうに」
「だから、帰ってきた君は特別。一番オリジナルに近いオフェリアは君、『MNo.2b21』です」
ここで生まれ、ここに妹もいる。 真っ白な研究所。独立行政法人として活動を続けるシンクタンク。ここで生まれ、ここには無数の私と妹がいるだろう。 「代わりに、手伝いなさい。君、この前レプリカ・セイクリッドで2b21型の745318号、壊したでしょう。女性型非クローニング胚の2a00型を重複起動で量産しなければならないのだから、2a01型も同時進行で稼動させなきゃいけないのよね」 このシンクタンクは、主に遺伝子工学を取り扱っている。ハイネが提唱した「 「――――また、驚かされた。もしかして、君。このこと知ってたの?」 マルガレーテは表情一つ変えずに、驚いたと言う。確かに、もし自分が誰かのクローンで、名前さえなく、型番でしか自分という個体を形容出来ないのならば、衝撃だろう。 「いや。存在自体は知ってたけど、自分が『オフェリア』のクローンだとは知らなかった」 しかし。私は冷静に事実を受け止める。やはり、表情を変えずに静かに驚く女医。ディファイアンスの存在くらい、諜報員を務めていれば耳にすることもある。政府ではないが、政府に最も近い企業。公式でありながら、非公式の存在。堂々とリューヴにあるのに、誰も知らない。 ここで私は、初めて自分を知った。「自分」など無い。誰かの模倣品だと。
「それが――――今までと何が違う?」
目を閉じる。ここには、全てがあり。そして全てが亡い。ただ、穏やかな眠りを。願って。 未だ癒えぬ胸の傷は。果たして外か内か。あるいは裡のまま、素となるか。
便宜上。この個体の名を、以前のままとする。「オフェリア」のクローンであるとするならば、その名でも構わないのだろうが、残念ながら他にも存在する以上、重複する可能性がある。その点、「オペラ・レーヴェ」なら個体名として問題はない。 「まぁ、あるいは。お前は 前を行くマルガレーテが楽しそうに呟く。どうやら世間では、レーヴェはもう存在しないらしい。存在していたとしても、亡霊みたいなものではあったが。 研究所の内部はひどく複雑だった。区切られたエリア、その中枢に眠るのが遺伝子工学の研究部門だ。基本的には男性型と女性型に分けられ、クローンの度合いによって分かれる三種の人工子宮と、自然胚と人工胚を使い分けることで複数の種類、あらゆる可能性のクローンを生み出している。 オペラ・レーヴェは「2b21」の型番で、自然胚から生まれた男性型クローンで一部分を非クローニングでオリジナルとしている、らしい。男性型はオリジナルが女性であるため、完全なクローンは出来ないためだ。性差が生じることで自己認識に齟齬が発生してしまう。 「お前は最も早い段階で実用に耐えうる性能を持った試作型でね、225体の失敗作の上に完成した待望の子さ。それより古いのは保存用と、現在稼動している1a10型、085299号しかない。仲良くやりなさい」 整然と並ぶカプセル。正面には裸の自分。左右には覚醒を待つ、私。 ふと。どれが「自分」なのか、見失う。 「……平等、というのは。気持ちが悪い」 「真理を衝くものだわ、『レーヴェ』。誰もが同じく、等しく生きるのは存外、理想ではなく醜い悪夢かもしれない」 言って、彼女は。ここにいる同一に対し、差別を始める。同様の容姿なら衣服で。傷一つ無い肉体を覆う衣装で違いとした。目の前の自分にも同様に、今度は違う色の服を着せて。 「では始めましょう。大量生産は結構、手間のかかること」
4 再会。そして、再開。 ハーミアから受け取った報告書に目を通し、オフェリアはソファから立ち上がった。 「そろそろ。俺が世に出る頃合か――――」 オフェリアは帰還を果たし、新たな時代を、新たな意志で漕ぎ出す。聖堂のドアを開き、陽光が射し込む庭園を、階上から望む。待つ者も出迎えも無い。ここから、 「フィアを呼びつけろ。手元に一人、情報収集用の部下を置いておきたい。時間があればカルディアも呼べ」 こうして指示してみると、まるで自分が世界を動かしているようではないか、と錯覚した。 勘違いに陶酔するのも、酔狂でいい。いま少し、この感覚に身を委ねてみた。 |