Mirage

Divina Commedia /epilogue "Vita Nuova"

街の景色は月日と共に変わっていき、一秒たりとも、立ち止まることを許さない。
真新しい背広に身を包み、今日も今日とて見通しの無い面接を受ける。まったくお先は真っ暗すぎて、いい加減、そろそろ自殺願望が芽生えてもおかしくなかった。
コンビニで適当にあしらった昼食。すっかり近代化された市街地。高層ビルらしき建造物が立ち並ぶ中心に設置された公園。噴水のヘリに腰掛けて、膝の上でコンビニ袋を開く。我ながら、質素というか情けない昼食である。だけど、まぁ。ほら、今日はいい天気だし。
自分で自分に言い訳し、どこぞの事務員やら会社員らが二人ペアで、並んでベンチに座って和やかに談笑する光景から目を離す。どうやら今は昼休みらしく、自分と同じ考えをした人間が少なからずいるようだ。
空を見上げて、もぐもぐとサンドイッチを頬張る。ふん、景気が悪いのは日本と自分だけか。
気が滅入る。どうして周囲は楽しそうに昼食なのだろう。ひょっとして、景気が悪いのはこの君塚冬真だけなのではなかろうか。

君塚冬真。二十一歳、無職。大学中退という輝かしい実績を持つフリーマン。
昔のことは、あまり覚えていない。とにかく、大学を辞めてフリーターになって、旅に出て傷だらけで病院に搬送された。病室で、両親の心配そうな顔を見て、決めたのだ。これからは真っ当に生きようと。
社会人になる、ということは不安だ。ちゃんとやっていけるかどうかも怪しいし、大体、これから一生を会社勤めで過ごすことになる。今度の人生の休みは、おそらく四十年以上後の話になる。
「まぁ、でもそれがヒトってヤツなんだろうけどね」
本当にイヤなら、そんな人生など誰も選ばない。平凡というのはある意味、最も幸福な人生のことなのかもしれない。いつか結婚して、家庭を持って、時にケンカをしながら円満に進むのが、幸福か。
食べ終わったサンドイッチのビニールを袋に詰めて、立ち上がる。善は急げだ。気が変わらないうちに、さっさとハローワークにでも行ってみよう。

さしたる収穫も得られずに、帰宅する。時刻は夕暮れ、家では母親が夕食の支度をしていた。居間のソファにかける。少し、気まずい。早く現状を打破しなければ、君塚冬真の立場は無いのだ。
だが、未来にアテなどなし。今日も今日とて、夕方のニュースを見るだけ。
「ねぇ、冬真。ローマ法王って、ナニ?」
そんな、意味不明な質問がキッチンから聞こえた。
「ほら、この前亡くなったでしょ。新しい法王が選挙で決まったんだってさ」
確かに、そうらしい。ニュースでは、遥か西方の宗教事件を報道している。
「法王じゃなくて、教皇。キリスト教カトリック派の最高位の聖職者で、バチカンの元首です」
言うなればキリスト教の頂点に立つ人で、聖下などの尊称で呼ばれる。男性信徒の中から選出され、主に枢機卿が就任する。選出方法はコンクラーヴェ(施錠)と呼ばれ、古来より伝わる厳格な掟に基づいている。
報道されている新教皇は最年少の二十一歳。驚くべきことでもない。枢機卿の最年少記録は十代だし、三十代で教皇になった前例も一度ではない。
「じいさんばっかだと思ってたんだけどね。今度の人、なんてったっけ。カッコいいじゃない」
確かに、教皇のイメージとしては、ふくよかな老体を独特な衣装で包んだ感じがある。スラっとした細身の体で、白に近い金髪を靡かせて手を振る姿は異形ですらある。
青年教皇。コンクラーヴェでは若手からも保守派の老人からも指示されたようだ。若さは行動派と改革を意味し、おそらく同性愛問題や安楽死の問題を解決していくだろう。グローバルに、より広く。保守的な意見を切り捨てていくだろう。
「って、なんでそんなコト知ってるんだろう」
生憎、キリスト教徒ではない。信仰するつもりもない。だと言うのに、どうしてこんな知識があるのか。よく、わからない。わからないが、きっとテレビででも学んだのだろう。悲しいことに、今の生活はフリーター以下なのだ。
だから、また明日。また明日も、その次も頑張ろう。

病院の前に立つ。外傷はすでに完治していたが、内面はまだ壊れたままらしい。精神科にお世話になる自覚は無いが、親の指示では頷かなくてはならない。幸い、病院は家の近所で、暇潰しも兼ねて散歩がてら寄ってみる。
古臭いエレベーターを無視し、階段で三階を目指す。お世辞にも綺麗とは言いがたい待合室でテレビを眺める。エスカレーターらしきモノがあるのには目をつむろう。奥、ドアが開いて診察室へと通される。
精神科医、というには若い女性だ。というか、精神科しかない小さな病院というのは経営に苦しむのではないか。
「私は代理みたいなものよ。院長と副院長は今、イタリアに遊びに行ってるカラ」
無理に親が頼んだのだろう。待合室には誰もいなかったし、営業している雰囲気とも思えない。だが、イタリアに旅行へ行けるほどの金はもうけているらしい。って、人の心配している場合じゃない。
「え―――と、何か話せばいいんですか?」
「さあ。貴方は本気で病んでる人には見えない。単に、暇なんでしょう?」
うわ、投げやりだなぁこの人。見たところ、まだ十代の女の子にも思える。愛想も無いし、どこかお嬢様っぽい空気を出しているし。大方、ここの院長の娘とかか。それにしても美人な子だな。
足を組み、似合いもしない白衣を着て、ちょこんと椅子に座る姿はどこか、愛くるしい。
「――――でも、来てくれて嬉しい。トーマ」
まるで表情は変わらない。それでも、少しだけ口元を微笑ませて、穏やかに、優しく、精一杯の喜びを表現する少女。どこか不器用な、少女の笑顔だった。

「今に悩んでいるなら、まず自分を見なさい。そして周り(セカイ)を見て。それは幻なんかじゃなくて、貴方が立つ貴方の世界だから」


未来は不明で、なおかつ暗い。だがそれが、希望に思える。
わかりきったクイズなど面白くない。先がわからないからこそ、希望があると信じられる。
だから未来は明るくて、今再び、君塚冬真は蘇生するのだろう。今度は、社会へと。目に見える世界に生きて、豊かな笑みを得るために。
道は交差点。市街地、スクランブル交差点に人が舞う。
目的地は決まっている。遠回りなどしない。ただ、真っ直ぐに。決めた方向へ歩く。見えなくとも、愚直なまでに、真っ直ぐに。
ふと、前に立つ人と目が合った。短い黒髪の、医院の少女。何かに悩むように、右手で顔の半分を覆って、左眼だけで前を向く仕草。それが自然で、どことなく妖艶な日本舞踊のようでさえあった。

信号が青に。道は交錯し――――すれ違う。

その道に始まりは無く、果ても無い。
寄り道などしていられない。そんな器用な人間ではない。今は、決めた道を真っ直ぐに進むだけ。
それでも、もし他の選択肢があって、他の選択をした自分がいたなら、と。

――――思って、世界の中で不思議な幻想を束の間、夢見た。
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