Mirage

Tunnel-3

すぐに背中は人波に揉まれ、消えてしまった。
予想していたよりも彼女の足は速く、冬真の足は遅かった。ぽつんと知らない世界で孤立してしまったとも言えた。
息が上がり、知らず、人の群れに紛れて立ち止まっていた。
――――鏡の世界。全てが逆さまで構成される。
無意識のうちに、周りを眺めながら散歩になっていた。大通りらしい道を、賑わう生活の場を見ながら歩いていく。
いくら変わっていても、日々の営みは同じだ。
人は労働に精を出し、得た報酬で食物を購い、時には娯楽に身を埋める。基本的な生活こそ変わらなかったが、決定的に違うものも目に付いた。
前時代的とでも言うのだろうか。科学は生活を豊かにし、飽食と貧富を生み出し、情報が全てを操作する時代へと変貌させた。それが当たり前と思っている自分にとって、眼前に広がる光景は珍しくもあり、どこか懐かしかった。
農耕で食物を得て生きる様は、質素ながらも豊かであると言う矛盾を生んでいる。
矛盾だが、解決しようとは思わなかった。人の表情は明るく、活気に満ちている。彼らから見れば、きっと煌貴の方こそ病的で、矛盾だらけなのだろう。
「お、兄さん、平紗さんトコの」
びっしりと通りに面した露店の一つ。厳つい顔にエプロン姿と言う素晴らしいセンスのオヤジに引き止められた。
「・・・」
っつーか、怖い。無駄に笑顔だ。
「噂どおりの無口っぷりじゃねえか。どうだい、大根でもっ」
「だ、大根?」
確かに、店先には大根が並んでいる。
ノーと言えない日本人の性だろうか。買う気はまったく無いにしろ、ポケットの中から小銭を探してしまう。
ふと手に当たる、冷たい感触。取り出すとそれは、夢で見た銀色のナイフ。
「・・・お代は、いらないゼっ!」
「は?」
「持ってきなよ、兄ちゃん。今日は出血大サービスだ」
ヘイ、と無駄な笑顔で大根を差し出してくる。断るのもアレなので、とりあえず受け取る。
笑顔は引きつっていた。きっと、想像力が豊かな人なのだろう。
ナイフを仕舞い、二本の大根を両手に持って再び歩き始める。穏やかで明るい人波に、気分はそう悪いものではなくなっていた。

路地裏に差し掛かる。平屋に囲まれた道外れ。通りを曲がり、ほの暗い裏道へと足を向けてみた。
瞬間、視界の全てを否定する。
薫る血、染まる赤に嘔吐感がせり上がる。
路地裏は血に濡れていた。地という地、壁という壁に赤いペンキがぶちまけられており、幾つかの肉片が転がっていた。
――――ソレらは全て、ヒトガタであったモノ。
今はもう、ただの肉塊。死体と定義される、元人間。腕や足、胴体に首。掻き集めれば元の姿を取り戻すだろうが、どうしたって煌貴には、そんな気は起きなかった。
赤い密室に一条の陽光が差し込んでいる。家々の合間を縫うように、筋となった光が一人の天使をスポットライトのように照らしていた。
そう。きっとそれは、天使だった。剣を手にした翼の少女。
長い黒髪は濡れている。血、血。どこを見回してもソレしかない。
「おまえ、何してんだ」
そんな間の抜けたことしか口に出来ない自分が情けない。
「――――」
天使の容貌をした、歩叶が振り向く。その無表情さに、背筋に嫌なものが走る。
「俺か?俺ぁ、そりゃ。買出し、かな」
途切れ途切れに発音すると、意外に喋れた。屍体の山の上、無関心にこちらを向く彼女は、天使か悪魔かわからなくなった。
「――――ここは寒いな、帰ろうぜ」
何故かそんなことを思った。季節がいつかなんて関係ないほど、心が冷える場所。
「・・・長ネギと玉子と、大根」
「おう。それとコンニャクに白菜もある」
いつの間にか、タダで食材を両腕に抱えていた。決まり文句の「平紗さんトコの」で大抵の露店は無料で食料を供出してくれる。
「ほら、帰ろう」
屍体の山に佇む彼女は、どこか悲しげな顔をしていたから。
だから、すぐに。温かいこの町に返さなきゃならない。
食材の詰まった袋を提げた右手を伸ばす。

彼女は――――静かに戻ってきた。

平紗家で夕食をいただく。何の収穫も無いまま、家に帰りたがった歩叶の意思を尊重したと言っていい。
訪れるのは二度目だが、錯乱状態にあった前回とは違う。まず、驚いた。
「・・・うわぁ」
「今更驚くなんて。煌貴、頭だいじょぶ?」
冬真のきつめの言及も無視してしまう。平紗の屋敷は、まるで城のように大きい豪邸だった。
まず、門がある。鉄格子のような門を開錠し、歩叶はすたすたと広大な庭を通過する。
玄関に到着し、これまた巨大な扉を押し開けて、中央にまたまた巨大な映画でしか見たことの無い階段が聳(ソビ)え立つ。
キリアに言わせると、平紗の家は代々、王様に仕える騎士の家なのだとか。第一線を退いた父に代わって早々に当主となった歩叶は、街で三番目の富豪となった。
「執事さんとか、本当にいるんだなぁ」
感想がそれしか浮かばないと言うのも、何だか小市民っぷりを曝しているようで恥ずかしい。
腕に抱いていた大量の食材を、慇懃(インギン)な仕草で受け取る執事がいた。そこから今日の夕食へと変貌を遂げるのだろう。四人揃って階段を上り、応接間らしい部屋に入れたのも執事さんのおかげだ。
「うーん、やっぱほのかの家は落ち着くねぇ」
主のようにソファで足を目一杯伸ばすキリア。冬真も肩を引っ込めて、狭そうに隣に座っている。
所在無さげに立ち尽くしていると、和服に着替えて戻ってきた歩叶と目が合った。
視線を逸らすように対面のソファに腰掛ける。足を引っ込めてくれるあたり、キリアという人間の良さがわかる。
「ナニしてんのさ、ほのか」
ぼけーっと立ちっぱなしの歩叶に声がかかる。しばらく、虚空を眺めた後、ようやく彼女は煌貴の隣に腰を落ち着けた。
「冬真、お茶」
「出ないよっ」
静かな空気に耐え切れず、冬真に助け舟を要求するも、却下された。
「ってか煌貴、お茶なんか飲まないでしょ。練習の時だってペットボトルにコーヒー詰めて持参する人間じゃんか」
「うるさいな。たまには日本茶で和むこともあるんだよっ」
「ウソだね。だって、お茶飲んだトコなんか見たことないもん」
言いくるめられて、再び沈黙。ぎゃあぎゃあとお茶談義を続けたせいか、執事さんがお盆に湯のみを四つ乗せて現れたのは間もなくのことだった。

一昼夜を共にして、大体の把握は出来た。
歩叶は基本的に無口である。感情を全く表情に出さないが、ちょっとした仕草でキリアとは意思の疎通が出来ているらしい。奥ゆかしい、と言うよりは周囲との関係を拒絶しているような感じだった。
対するキリアは、饒舌。二人分の会話をするものだから、四人いるという感じはした。
「なんか、ここに来てから冬真のキャラがキリアに奪われたよなぁ」
色々と説明をしてくれるのはキリアで、いつもは冬真が解説をするのだが、聞き手に回っていた。さすがに、サーブの打ち方を教えるようにはいかないのだろう。
四人で昼間もらった材料を鍋にして、囲む。ガスコンロも無いのにどうするのかと思えば、火は勝手に燃え上がり、ぐつぐつと鍋を煮込んでいる。
これがスキルというものらしい。キリアが燃やしているようだが、原理まではわからなかった。種の無い手品。目の当たりにして、驚かなくなった自分がいることを驚いた。
「スキルってのは、その人しか持ってない能力とか、技とかのこと。そして皆が使える技のことと二つに分類されるんだよ。着火するにしても、得意な人は派手にやっちゃえるし、苦手な人でもこれくらいなら出来るってこと」
おおよそ、生活に必要なものは誰でも使えるらしい。火や水と言った、ガス、水道の代わりをするものだ。総合的技術(トータル・スキル)と称されるスキルに対し、個人的技術(パーソナル・スキル)がある。
パーソナル・スキルは先天的な才能に左右され、内容も多岐に亘る。速く走るスキルや、高く飛べるスキル。中には、絶対に道に迷わないスキルなどもあるらしい。
「アサリくんが見たほのかの強さってのは、発光するスキルのせいかな。すんごい珍しいスキルで、『ハイロゥ』って言うんだけど」
「と、言われましても」
「便利なスキルなんだよぅ。集約ってことらしいけど、簡単に言っちゃえば、自分の持つ力とかを一箇所に集めて、バクハツさせるみたいなもんかなぁ。その時に光って後光みたくなるから、光輪(ハイロゥ)」
ハイロゥを使えば、一時的にしろ爆発的に能力が飛躍する。そう締めくくって、キリアはハイロゥの持ち主のために肉を追加した。
さっきから黙って肉と大根ばかりを食っている歩叶。口ばっかり動かしているキリアはすでに補充要員と化している。
「なるほど、天使の輪(エンジェル・ハイロゥ)、ねぇ」
「うんうん。ね、ホントはアサリくんもお偉い騎士サマとかなんでしょ、でしょ」
「いや、ただの学生だけど」
自分たちの世界と、鏡の世界。どちらが優れているとは、一概には言えなかった。
集団と個人の違いだ。
現代社会は集団があってはじめて生きられる。
人々は、気付けば群れを成し、街と言う社会を形成し、需要と供給を満たすことで生きていける。火が欲しければ、ライターを売っている売店に行き、水が飲みたくなれば水道局から流される蛇口を捻ればいい。
だが、ここは違う。ある程度の社会はあるが、あくまで個人の集まりに過ぎない。
火など売っておらず、自分で何とかするしかない。自給自足。真の意味での自由が、ここにはあると思えた。
「――――元の世界、に戻りたいと言うのでしたら」
鈴が鳴るような、高く美しい声色が響いた。耳に残るような、けれど嫌な感じは全く無い声。
珍しく、歩叶が口を開いていた。
「私、目がいいのでお役に立てると思います。それに、この家を自由に使っても構いません」
どこかズレているような発言だったが、正直、その提案は嬉しかった。
「先程、兼定が『ヘンな男の人が王城に囚われた』と言っていましたので、明日、行ってみましょう」
兼定、というのは執事の名前らしい。
「まさか・・・陽次先輩じゃねえよな」
「あはは。あのセンパイ、順応性無さそうだし、しかも捕まってるんだ・・・」
きっと、思うより状況は最悪なのだろう。冬真と二人、苦笑を浮かべる。
幸運だった。考えうる中で、最高の環境にいると言っていい。お人好しで喋り好きのキリアと、金持ちで護衛にもなって、王様にも顔が利く歩叶。これ以上は無い二人と出会えたことは僥倖だろう。
もし、いきなりこの夢に放り出されたら。独りで途方に暮れ、あるいは自棄になり、捕まることもあるかもしれない。
心の中から感謝しつつ、二人を眺めた。歩叶の目は、初めて会った時のように鋭かった。
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