Geschick

Paradise Lost-4

正面から突入する。門を超え、橋上には兵が配備されている。
盾を持ち、敷き詰めたように兵が置かれる。整然と並んだ部隊。蟻一匹通さぬだろう肉の壁。これなら飛び越すことも強引に突破するのも難しい。
止まれない。止まるヒマなどありはしない。
「色さん、これでは――――」
近付きながら、両腕に力を込める。魔力を高め、ハイロゥを放出する。
言霊を呟く。集束したエネルギー。それを両腕に通し、平面と展開しながら前方に向けて広げる。
「――――Kaiserカイゼル
一瞬、足に力を込めて止まった。重心を背に、体を傾けながら来るべき衝撃に備える。
後光。ハイロゥという力。エネルギーを貯蓄し、爆発させることで瞬発力とするスキル。なら、貯蓄したものを前へ照射すれば。
Haloハイロゥ――――!」
極大のエネルギー砲。およそ3メートルほどの直径を有する光の波動。それが橋上を一瞬にして駆け抜け、城門を破壊した。
煙が立つ。兵士たちは吹き飛ばされたか、蒸発したかのどちらかだ。煙る橋。一歩、ゆっくりと踏み出した。
「呆気にとられてる時間は無い。行くぞ」
背中越しに声をかけ、走る。熱せられた橋を一気に通過し、城門から内部に突入する。
来未のナビゲーションで城内を進む。敵兵は多い。時に殴り、時に蹴飛ばし、文字通り蹴散らしながら前進する。
後方から追ってくる足音。数は四人ほど。さらに前方から敵兵。集団となり、六名ほどの小部隊だった。
雑魚に構うヒマなど無し。指から蒼い光を垂らしながら、ひたすら前へ。
「後ろは私に」
「ああ、任せた」
言葉は短く、次いで魔法の詠唱を聞いた。世界の魔力が彼女に吸い上げられる。独自の魔法。魔法学校(ウエストミンスター)でも最上級ランクに位置する「光の魔法」を発動させる――――
Licht Pfeil光の矢―――」
放たれるは九本の光矢。一度上空へと飛翔し、標的目掛けて一気に加速する。
負けていられない。右手に魔力を集中させ、こちらも術式を解放する。黒い紋章に彩られた右腕。指先は青く、蒼く、光り輝きながら曲線の軌跡を描く。その五本全てが必殺の斬撃。
魔術師に与えられた魔法の指。銃騎士の持つ魔指(フライ・ナーゲル)は閃き、通過する際に敵兵を四散させる。立ち止まらない。そのまま走り去り、上を目指す。
「ずっと不思議でした。貴方は強い。しかしそれは、肉体的にです。精神は元より、暗殺者という概念が先立ってました」
「間違いではないだろう?」
階段を上る。上で待ち伏せしていた兵士に強烈な蹴り上げを食らわし、倒す。
「ええ。そうですが、色さん、貴方は魔道士です。それも最上級――――魔術師というが相応しいほどの」
魔術師(メイガス)。魔法使いが持つ称号で、最も高位なるもの。魔法を学ぶ者は魔道士から始まり、魔の道を導く者、魔導士を目指す。魔術師、ともなればその名の通り、「魔術」を行使する者を差す。
魔術。魔法と呪術の混成術。即ち、二種の魔法を同時発動させること。
「固有魔法(アイソレーション・エピソード)か。そういや、オマエの前で披露したな」
「はい。魔弾の射手(ディア・フライシュッツ)――――悲しい詩でしたね、あの魔術式は」
独立した個別の魔法(アイソレーション・エピソード)。ただ一人だけが行使することを許された特別な魔術。絶対的な効果を持つと言われるその魔術は、独立しているからこそ効果がある。誰にも真似の出来ない、届かない境地にあるからこそ。
「魔術師か。そんなつもりなかったんだけど、な」
「膨大な魔力量を有し、またそれに匹敵する固有魔法を持つのなら称号も当然でしょう」
おそらくそこが王のいる間なのか、扉の前で足を止めていた。
「ぁ――――ごめんなさい」
後ろからは謝罪の声。何に気を遣ったのかはわからない。普段は口うるさく、いつも不機嫌そうな彼女だが、本質は繊細な心で出来ているらしい。
おそらく、魔術師で当然、ということに怒りを覚えたのではないかという推測。
「気にするなよ。今更言っても、仕方がない」
開けるぞ、と続けて、答えを聞かずに扉を開いた。

扉を開けた瞬間、目の前を白刃が通過した。
避けるまでもなく回避し、剣を叩き落す。敵は――――見た顔だった。
「――――あれ、オマエ」
「――――」
顔を合わせて、互いに絶句。
ブロンドの髪、青い瞳。白い肌、ドイツ人丸出しの彼女をまじまじと観察する。
「ベアトリクス、あー、なんだっけ?」
長い名前が思い出せない。と言うか、覚えようとした記憶は無い。
「アレクサンドラ・フォン・ディア・プファルツです」
「そうソレ。ベアトリクスがファーストネームで、ミリアが祖母の名前だったっけ」
「はい。ですが、それはハンガリー読みです」
「そっかそっか。だからあん時はプファツなんだな――――って、ナニユエここにっ?」
しばし錯乱。冷静に切り返す彼女は心底冷静なんだなとか思う。
「それはこちらの台詞。夜神色、もしや貴殿も此方の住人では」
「いや、ああ、どっちかわかんねえ。あ?ちょっと待て、ってことはオマエ、鏡面世界の出身なのか?おぉ?なら姉貴はどっちだよ?ん?まさかディエゴ・セルジュもこっち出身とか?あれ、っつーかどっちがどっちだーー!」
後ろから、衛兵がタックルをかましてくる。とりあえず回避して、その背中を蹴っ飛ばす。静止の声はベアトリクスだ。号令一閃、部屋を取り囲む兵士はぴたりと止まる。状況が、ますますわからなくなる。
落ち着いて、まずは部屋を見渡した。客間、というには豪華な部屋。広さもあり、数名の兵士と、貴族らしい二人が立っている。
そのうちの一人がベアトリクス。もう一人もドレスで着飾った女性。
囲まれている。兵士は少なく、すぐにでも打倒は可能だ。だが、動かない。それはきちんと統制がなっている証拠でもあった。
「よし、話し合おう。冷静に、ゆっくりじっくり話し合おう」

話し合いの結果、状況はさらに把握が困難となった。
ベアトリクスはベアトリクスだ。現実世界で出会った女性。紋章院に所属し、ガーター・キング・オブ・アームズの称号を持つ魔導士。間違いなど無い。彼女は確かに現実世界の彼女である。
「王女?つまり、父親がこの町、国の支配者なのか」
彼女は王女であるらしい。もう一人の貴族らしき女性は、彼女の侍女だと言う。確かに、よく見ればベアトリクスのドレスの方が豪華と言えば豪華だ。
「正直、私にも判りかねます。王女だという記憶もあれば、セシリアの妹だという記憶もある」
「時間軸がズレてるんだろう。俺も前に体験した」
だが、それでもおかしい。
彼女の記憶が途切れたのは、赤いマフラーの吸血鬼に殺されてからだ。死者は天国へ還る。理屈は正しいが、システムとしては破綻している。
前世の記憶がある、とでも言おうか。この世界で王女である可能性は多少だがあるだろう。ただ、いきなり世界に具現し、前世の記憶も現在の記憶も混合していることは考え難い。
「前々から用意してあったということか。王女という席を確保し、ベアトリクスをそっくりそのまま移籍させればいい。外部記憶さえ可能なら無理ではないが、そんなことをするメリットが吸血鬼にあるとは考えられない」
いや、待て。単純に、そんなことを可能とする医者はいる。
「柚葉か?まさか、それこそ意味がわからない」
「いいえ、色さんの推論は外れてはいないでしょう。浅川柚葉の能力を持ってすれば、ベアトリクス・ミリアの意識を外部に委ね、世界を越境させて確保しておいた席に移すことは容易いはずです」
「そうだ。ただ、理由が無い」
 浅川柚葉。鏡面世界の住人でありながら、平紗歩叶と同様に現実世界へ出向した医師。彼女は現代において、吸血鬼という怪異に味方した。騎士のような存在にとって、敵側に回った。だから、敵であるベアトリクスに対し、浅川柚葉がそんな面倒なことをする意味が無い。
結果を見ろ。理由はどうであれ、ベアトリクスは確かに此処にいる。なら柚葉が何かを狙ってこうしたのだ。今はわからなくとも、後でわかる。それは嫌でもわかってしまうことだろう。
「ふん。とにかく、それならオマエに従うのが正しいようだ」
運命などは信じない。人の手による自由な運命ならば乗ってやってもいいが。
「夜神色?」
「オマエが王女なのだろう?なら決めてくれ。天井派の騎士たちを逃がすのか、殲滅するのか。あるいはオマエが国を導くのか。俺はオマエに従うさ。生憎、王様は不在らしい」
ベアトリクスもその意味が理解出来たらしい。背後、来未からは抗議の視線が突き刺さるが、無視と決め込んで王女だけを見た。
「わかりました。夜神色、貴殿を信じよう」
周囲の兵士たちの気配が変わる。ひとまずは、これでこの国の内情に入り込んだことになる。味方は王女。なら恐れるものなどありはしない。
「国王は騎士たちの手に落ちた。父にはまだ利用価値があります。生きていると、思う」
「奪還作戦だな。場所はわかるか?」
「ええ、見当はつきます。謁見の間でしょうね」
大人数、騎士たちの集まれる場所は限られる。集結するのならそこしかないだろう。
準備を整えるよう指示して、立ち上がる。ぐいっと後ろから引っ張られる感触。足元をよろめかせながら、背後の壁に手をついた。
「んだよ、文句あるのか」
「当然です。話を聞く限り、王女が天上世界の人間だとはわかりました。しかし、現実で色さんとどういった関係にあった方なのですか?正直、素性もわからない、いきなり現れた人物に背中を預けるような真似は出来ません」
む、と口を尖らせて抗議してくる平紗来未。慣れてきたのか、それを愛らしいとか思える自分に驚いてもみる。
「ああ、っと。親しくはない。むしろ初対面で――――」
殺されかけてぶん殴った、とは言えない。そんなことを白状すれば、ますます不機嫌になるだろう。よしよし、俺にも来未の扱い方がわかってきた。
「好印象だったのさ。びびっと来たね。二人して一目惚れ、みたいな?」
これで、どうだ。おそらく、色さんの好きな方なら問題ないですわとか何とか言って納得してくれるのではなかろうか、ってなに勝手に部屋から出てるソコーー!
「ポイントマンは私が努めます。夜神さん、貴方は後ろに」
追いかけて引き止めると、無表情でそれだけを述べられる。くそ、失敗したか?
「馬鹿言うな、先頭は俺だろ。大体、オマエ丸腰じゃないか」
強引に位置を入れ替える。が、なかなか引き下がらないお嬢様。くそったれ、俺が何したって言うんだ。
自然と、廊下をぐるぐると先頭になろうと回る。押しのけあってバカやる姿は情けないと言えなくもない。
結果、背後のベアトリクスには仲良くじゃれあってると思われたようで。
「行きます。後ろから付いてきなさい」
と、王女によって結論はあっさり出てしまったり。

「大体、貴方は緊張感が無さすぎます。戦場に立つ時も憎らしいほど余裕を持ち、本当にやる気があるのかと問い詰めたくなります、ええ、いつも。日常生活でだって怠慢そのものです。弛んでます。戦士たるもの何時如何なる時でも緊張感と冷静な心を持って、何事にも対処しなければなりません。それを、何ですか?いつも暴風のように現れたと思ったら消えていて、やることやってさっさと帰ろうとします。いいですか。もっと積極性を持ちなさい。それだから人に利用されたりするのです。貴方ほどの才気があれば、人を統率する立場にいるべき人物でしょう。だと言うのにのらりくらりと狸ぶりを発揮して、恥を知りなさい」
小言、というか説教を聞き流す。来未お嬢様は絶え間ない攻勢を開始し、王女様は閉口してしまったようだ。最初は反論してたものの、キリがないと判断したのだろう。
ここで突っ込むと説教タイムが延長戦に入るだけなので無駄だ。今はひたすら、タイムアップを待つしかない。初心者であれば、緊張感が無いのはお前だ、と突っ込んで事態が深刻化する。
内容には、少しだけ王女批判も含まれているようだ。まだ、多少なりとも反論されたことを根に持ってるらしい。
「いつもこうなのか?」
小声で、隣に立つベアトリクスが問う。心底、困った表情だった。
「悪い」
同じく小声で答えて、後ろで説教を続ける来未を無視する。
まったくもって緊張感が無い。来未は説教に夢中で、ベアトリクスは惑わされてる。ぞろぞろと兵士と侍女が続き、歩いて城内を闊歩している。
立ち止まり、天井を見上げた。謁見の間は近いらしい。最後の一兵が横を通過するのを見届けて、夜神色は口元を歪ませた。前からは早くしろと怒号に似た説教が続いている。
一閃。崩れる天井、仲間の姿は瓦礫の奥へと掻き消える。
飛び出る、敵。両手に剣を持ち、仮面で顔半分を隠す男。事情が知れるのを恐れての行為だろう。それなりに名が売れた人物であるらしい。
「最初から狙ってただろ。殺気が満々だったぜ、痛いくらいな」
「無論、我が当主の仇である。討つのは私、義弟の役目」
弟分だったらしい。国での地位も高く、天井に次ぐほどだったのだろう。
「これは決闘である。名乗れ、我が主の仇よ」
「ふん。御託はいいからかかってこいよ。俺を殺せたら名乗ってやるよ」
名など聞いても仕方が無い。仮面で顔を隠すなら、正体を名乗っても意味などない。名乗りたいなら、まずその面を外せ。
 二人の女性が前に出る。来未と、ベアトリクス。戦闘には慣れている二人が、前線で食い止めようと前へ。その光景が、敵の目にはどう映ったのか。くつ、と不思議な音が聞こえた。口を閉じ、歯を食いしばった笑い方。くつくつという不可思議な笑い声は、静寂の廊下に響く。
「緊張感の無い連中め。その罪、万死に――――」
 ああ、どうやら。
 ソレは俺の笑い声だったらしい。

「ハハ、緊張など必要なものか。コレは――――余裕だ」

 銀の魔眼など不要。制御も出来ない力に頼るほど愚かではない。夜神色は一瞬、目を見開いて敵を視る。月の目。魅入られたように、敵が、その思考を――――時間を止めた。魅了、恐怖、あらゆる要素が組み込まれた魔眼。夜神特有の行動阻止の目。おそらくは、砂時計が最後の一粒を落としきるように、ゆっくりと周囲を停止させていく。
 光は一閃。空を切り裂く風に似て。蒼い暴風が敵の生命を散らせる。
 単なる嗜好か、あるいは策か。夜神は朽ちる敵にあえて一撃を加えて、打倒した。何の障害も無い。立ち塞がる者なら蹴散らせばいい、引っ張る者なら千切ればいい。死すれども、色は幾度も蘇るのか。たとえ意識が途切れ、記憶が歪もうとも、存在としての死を迎えられたとしても。
 恐怖は無く、また狼狽も無い。あるとすれば、悲哀のみ。

「――――ドコの超人か神様ですか、色は。そもそも、無敵という存在が実在すること自体、破綻してます」
 彼女は全てが片付いた広間で、実に似つかわしくない皮肉を口にした。そんなもの、超絶お嬢様の来未サマに比べたら、生易しいレベルだ。むしろ、若干褒めてるっぽい。
「まぁ、そうだな。しかしガーター、人には相性というものがあるのだよ」
「色にも勝てない存在がある、と?」
 理屈では無敵でも、天敵というのは存在する。どう戦っても勝算が浮かばない相手、という意味なら、いくつか思いつく。
「例えば俺は暗殺者、って属性があるだろ。そうすると対単体なら絶大な効果を発揮できるわけですよ。どんなに強い相手でも、一対一なら活路を見出せる。逃げることも含めて、ね。それが大多数を相手にすると、火力不足になるな」
「なるほど。魔道士のような遠距離戦における絶大な火力を誇る存在とは逆なわけですね。一対百なら百戦しなければならない。やがて疲労も生まれるでしょうし、一対一の戦いを同じステータスで繰り返すことは出来ない。攻撃には滅法強くとも、守りに不足が生じます」
 陣地防衛や砲撃戦には向かない。撹乱や特殊工作には向くものの、先陣切って兵を率いて突撃するのもあまり得意ではない。要するに、暗殺者などという工作兵は特殊な使い道以外役に立たないというわけだ。尤も、身を置いている戦闘は戦争ではないのだから問題はないのだが。
 王女と二人、鎮まった城内を歩く。今頃は、平紗の騎士である来未が城内の事後処理に追われていることだろう。クーデターは阻止、王様は復権、全てこの世はコトもなし。
「ははぁん、大体読めてきた」
 浅川柚葉がこちらにベアトリクスを残した理由は一つしか思い浮かばない。王ではなく王女というところが、いかにもあの医者らしい。
 ひとつ、勢力を極秘裏に築けということだろう。天井派のクーデターなど猿でも読める。とすればその鎮圧方法が問題になってくる。また、鎮圧後の体制も考慮しなければならない。天井派の殲滅をするならば、残るのは平紗派の騎士だけだ。全ての結果を鑑みれば、仕組まれたという気分が嫌でも残った。
「となると、柚葉は何を結末に置くかな。平紗派騎士の台頭だろうが、数が少なくないか?」
「騎士として仕える者の数ならば、一応は軍勢ですから、それなりには。ただ、代々世襲で指揮を執る騎士、つまりは名門出身の軍人であれば、数は八名ほどです。勿論、色が望むのは後者の数でしょうが」
名門出身者は天井、平紗を含めて三十名ほどだ。内訳で平紗側につくのは八名。残りは此度のクーデターで失権するか死んでいるか。形だけ、という意味なら平紗だけでも充分整えられる。
ひとつ、気になる言葉があった。軍がここにある。騎士としての治安維持も含まれるが、軍がある以上は他からの干渉を防ぐ抑止力か、あるいは外征のための遠征を意味するか。
「なにを寝ぼけたことを。ここは世界だ、色。国家が単一であり、なおかつここにしかないというのは浅慮すぎるのでは?」
 ベアトリクスの言葉が冴える。そりゃ、そうだ。統一国家における治世など、大陸が一つだけなら可能かもしれない。が、神代まで遡っても、国家というのは複数である。国家間における干渉や衝突などが生まれるのも当然であり、その法則が鏡面世界にだけ除外されるということも考え難い。
「平和である、というのはありますが。外城の向こうには道が続き、当然、他国が存在します」
「そうだよな。じゃないと、ここだけでこれだけの人が生活するのは不可能だ」
 王国としての行政府が存在するのが、二重の城の内側、内城だった。城というのは雑多な行政府を一元化したものであり、金銭を司る機関もあれば、軍関係の事務所もあるだろう。内城の外側は一般民が生活を営む場であり、商業を中心に栄えている。なら、生産には外城の外が必要であり、広大な農場によって人々の食を支えなければならない。
 外の世界を見たことがない。なので、そんな実感が湧かなかったのだろう。ベアトリクスは誘うように上へ、かつて侵入したテラスなどよりさらに上へ向かっていく。テラスから見下ろす風景は街全体だけであり、外城の外までは見えなかった。だが、この城の屋上ならば、外の世界まで見渡せるだろう。
「覚悟だけはしたほうがいいかもしれません。ああ、それと色。貴方は高所恐怖症ですか?」
「いや、違うけど」
なぜにそんなことを聞くのか。城のてっぺんは確かに高いだろうからか。不要な心配だ。高所は怖くない。
 王女が誘う。衛兵に合図し、屋上の扉が開かれる。

「――――ま」

吃驚。否、驚天。下からの風がベアトリクスの長い髪を巻き上げて、彼女は目を細めて服を押さえた。そんな魅力的な仕草も、きっと目に入らない。怖いといえば、怖い。死を連想させる俯瞰の映像。落ちたら死ぬ、というか。絶対に帰ってこれない。
確かに、外城の外はある。あった。あったのだ。

 雲海が広がる外の世界。まるで、ここだけが空に浮かんだ楼閣のようで――――

 浮かんでいる。外城の外は空しかない。この場所、城の全てが空に。
「ここは、外と隔離された楽園。繋がりはあれど、堕ちた楼閣に過ぎない。現代という楽園を放逐された我らには、絶好の牢獄かもしれません」
 空に、堕ちる。
 天地が逆転した世界で、奇妙な感覚に陥った。
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