Geschick

Paradise Lost-1

振るわれる風。耳朶に響く音を聞き流して、彼は涼やかに、雅に戦う。
それは斧だ。蛮勇轟く賊徒を相手に、対する男は余りにも小さく、また不釣合いだった。
空しく、剛なる風が空を切る。当たれば、斬られるよりもその重みで折られる。断つという言葉がぴたりと当てはまる攻撃を前に、和服姿の男は、口元を歪める。
笑ったのか。楽しいのか、ただ純粋に。己が命を敵へとちらつかせ、その攻防に滅亡を望んで。
男は、徒手。空手で黙々と前進する。そう、そこは死地。振るわれる斧が届く距離ならば、伸ばした手が触れるほどの超接近戦。男の背丈は、斧を持つ賊の胸元ほどまでしかない。小さい、というわけではなかった。余りにも不釣合いなだけだ。
舞踏に、似ていた。死地へ踏み込み、暴風のような攻撃をひらり、ひらりと回避する。それは優雅な舞に似て、最早、力の優劣は明らかである。
怒号。当たらない苛立ちか、それとも、勝負を決める気勢だったか。雅の男は、未だ腕を動かしていない。顔を隠すように、右手で顔面を覆ったままだ。
それが、動いた。殴打するわけではない。右手は、細く伸びた指先。なぞるような仕草。軌跡が、蒼く輝いていた。
魔なる指。否、神かもしれない。何にせよ、ヒトのモノではないだろう。
蒼い軌跡は、刃だ。顔に傷跡の残る山賊のような男に、数え切れない傷をつけ、やがて四散させるように分割していた。
「どこかで見た顔だとは思ったが、ふん」
現世での敵。迂闊にも天使に手を出した若者の果て。来世で罪が把握できるよう、無残な殺害方法で彩られたことを覚えている。
長く伸びた黒髪。背に届かんと伸びた髪を、さも鬱陶(ウットウ)しいと靡かせながら、彼は立ち去る。喪服のような黒には、血の一滴さえ付着していない。潔癖のごとく、血まで回避した雅。
路地裏を抜けようとして、足を止めた。目の前に立ち塞がる、少女。
騎士のお出まし。平紗の名を持つ騎士を前に、彼は驚いた表情で白騎士を迎えた。

普段なら、戦う理由も争う意味も無い衝突は、ここに来て必然となった。

焼き増しのような光景に嘔吐感さえ覚えながら、男は確実に前回の記憶を甦らせる。
武器は長刀。思えば、今が初回。前回に対したあの戦いは、今回の焼き増しだったのかもしれない。
今となってはそれも不明だ。時間軸さえ意味をなさない両世界の道は交錯し、昨日が今なのか明日が昨日なのかも定かではない。
太刀を防ぐ。右手に後光。残念ながら、この体は生身。天使のように、鋼鉄の体を持っているわけではない。故に、暴力的なまでに魔力を注ぎ込んだ一撃で、集束光輪(ハイロゥ)と成す。
弾く。直線、垂直に振り下ろされる一撃を、横から殴り飛ばして弾いた。空隙。前回は引き分けに終わった。だが、成長はしているようだ。今度は邪魔も入らず、相打つこともせず、余った左腕を平紗の腹部にめり込ませた。
「当然と言えば当然か。魔力ならバカみたいに有り余ってる」
そんな、異端者が聞けば卒倒ものの言葉を吐き捨て、落ちた騎士を肩に担ぎ、雅に歩き出す。
ちょうどいい。前回と同じなら、平紗に頼んで現実へ帰るとしよう。

「よぅ、兼定。ほの、じゃなかった来未(クルミ)の部屋ってどっちだ?」
恭しく手で示す平紗家執事の兼定に片手を挙げて礼をし、平紗歩叶の部屋、その隣のドアを開ける。長女は騎士。なら、次女はお嬢様か。
代々、平紗家は騎士と呼ばれる家系だ。長女の歩叶は異世界へと旅立ち、妹の来未だけが残っている。彼が初めて、こちらの世界に来た時。平紗歩叶と対峙した。騎士は世界の不都合を帳尻合わせする者。迷い込んだ、「招かれざる者」を処罰、断罪するのが目的だ。その手にはハイロゥと呼ばれる、ブースターのような加速の役割を持つ技能が握られている。
「また引き寄せられたのですか、夜神様」
兼定が問う。気を失った来未を寝具に寝かせ、部屋から退出した。ドアの前には執事の姿がある。彼を伴い、長い廊下を歩く。
「今度は、違うな。いや、前もよくわからんのだが」
現実世界と異世界。両世界は、とあるパスで繋がっている。死んだ者の行き着く先が、もう片方の世界。二世界は鏡のように合わさって、その数、その在り方は対極ながら一致していた。
システムもよくわからないが、問うのは、こうだ。何故、自分が再びここにいるのか。そして何故、平紗と出会ってしまったのか。夜神と平紗。世界を挟んで対となる各々。
「通常であれば、死した者は転生し、異世界で蘇る。意識どころか記憶も失い、ゼロから再び生き始める。平紗も夜神も、その流通路を遮断したのだろう。平紗は刀に、夜神は短刀にその魂の一部を残留させ、転生を己が世界で成した。故に能力は落ちず、むしろ代を増すごとに向上する。ただ、狭いな。出来ることの幅は狭まる。夜神の魂の受け皿が平紗であり、その逆もまた然り。俺は死んだが、その魂は受け皿である歩叶に流れ、短刀に流れた。その短刀が破壊され、また魂も殺された今、俺がこちらで覚醒するのも当然と言えば当然だな。言うなれば、現状は平紗と夜神が入れ替わったか」
鏡面にいるべき歩叶は未だ天上だ。対を成すなら、自分がこちらにいる不思議も解決される。平紗来未という歩叶の妹も、夜神色の親類である夜神藍がいる限り存在しなければならない。
ただ、疑問は残る。ゼロに戻らないのは越境したせいだ。最大の疑問、ただ一つの疑惑は。
「それにしても。夜神様は落ち着かれましたな。以前に比べ、貫禄のようなものさえ感じます」
「そうかな」
知らず、夜神の血が騒いでいるのか。引き寄せられる。平紗に引き寄せられることで、自分の中の鬼が目を覚ます。
「茶でも飲むか。歩叶がいないとなると、俺に頼みたいこともあるのだろう」
まだ老齢とは言い難い顔が、驚いていた。ふん、オマエの頭、鈍ってるんじゃないか、兼定。

夜神とは暗殺者の一族。古来より、鬼を食らってその身とし、自身をヒトではなくてしていった。言うなれば、平紗は清純派だ。対をなすのが夜神なら、濁流派になる。
標的を視認する。今宵は屋内。月も翳る闇。心気統一、呼吸から始め、意識そのものを闇と同化させていく。暗闇に溶ける感触。闇こそ我、我こそ闇。
武器は無い。駆けるように、音も気配も、命さえも消して対象に接近する。独特の足運び。空間そのものが、我。なれば、前後左右、あるいは上下さえ操るのが夜神。
眠る標的。何の躊躇いも無く、その首元に線を引いた。蒼い線。血さえ流れず、絞殺されたように穏やかに、静かに、一陣の闇に紛れていく。
「手際は見事です。ですが、戦士の戦い方とは思えませんね」
暗闇にぽつりと、浮ぶ光があった。声は低く、どこか大人びた、男性的な響きだった。
上品で、高貴。姉のように鈴に似た煌びやかな響きではないものの、平紗来未の声は涼しげに冷静なものだった。
無視して、屋内から出る。今宵は満月。銀月に照らされて、口元まで覆った黒布を外す。
「当然。俺は戦士ではない」
背後につく気配に言う。戦士になろうと思ったことなどないし、今は歩叶の代わりに騎士業を手伝っているだけ。
「例え異界の者であり、この世界に相容れぬ存在であったとしても。それはひとつの魂として遇するべきです。寝込みを襲い、知らず消去するような真似は、冒涜でしょう」
「冒涜も何もあるか。殺さなければ意味はない。騎士道を振りかざすのは結構、己が正義を貫くもまた良い。だが――――それは貴様ら子供の戯言だろう?」
視線に殺気が篭る。背中を貫く意志。憎悪が生んだ敵視を感じながら、ゆっくりと振り返った。
蒼い瞳。必殺の意志を灯した瞳に、刹那、魅入られる。
青赤の視線が交錯する。争うつもりはなかった。相手も同じだろう。言葉は反論で遮られ、攻撃は反撃で打ち負かされるなら、せめて視線で圧するしかない。
「まるで、飢えた獣。それほどまでに人を殺すのが愉しいですか」
「愉しい」
相手するのも面倒になって、逃げ出した。再び背を向け、平紗の屋敷に帰る。
背後からは引っ切り無しに罵声が飛ぶ。ちくちくと咎めるような嫌味。時に無視し、時に相槌を入れながら、歩き続ける。
「しかし、なんだってオマエは俺の後についてくるんだ」
「私は私の家に向かっているだけですっ」
あ、そうか。先に立って歩いているからか。
「そういう貴方こそ、何故、私の前を歩くのです?」
「兼定に頼まれたからだ。未熟な次女じゃ役に立たないとさ」
こういう物言いが良くないのかもしれない。しかしクセなのだから、仕方が無い。

 鏡面の世界。名付けたのが誰なのかは知らないが、素晴らしいネーミングセンスである。
 現実の世界とは、正反対の要素で構成される世界。生命という部分は共通するが、組織の在り方や文明などはまるで逆さまだった。科学などは無く、また機械も無い。代替するのは、スキルと呼ばれる超能力の一種だ。科学文明とは個人の手に余る神秘を機械という他者に委ねること。同様であり逆さまなら、神秘文明とは個人の手に余る神秘をスキルを用いて個人で昇華してしまうもの。ただ共通するのは、一方の世界に行けなかった魂を排する存在があること。それが悪魔払いであったり、騎士であったりする。
騎士、というのは治安維持を国から委譲された世襲制の職業。街は都市国家であり、国王が統治し、直々に権限を委ねられた一族が天井家と平紗家だった。とは言え、あまりにも数が少なすぎる。両家はそれぞれに独自の戦力を保持し、さながら近衛兵のようだった。
意識が知識に警鐘する。この在り方は歪で、危険なのだと。
「勝負なさい」
屋敷のエントランスで、仁王立ちする少女を見る。顔は憤怒、手に長刀を持つ姿は、確かに迫力があった。
「ふーん。オマエ、表情豊かなのな」
姉とは違う。笑った顔は知らないが、怒ったり慌てたりとその表情は忙しなく変わる。
「それは姉も同じでしょう」
「は。それは勘違いというヤツだ。アイツはな、男を騙すのが好きな魔女だ。って、そうしたの俺か」
歩叶は滅多なことで笑わない。口元を緩ませ、にこりと微笑むのは必殺手段。本当に笑う時は、目が無くなる。そうやって、我が親友たちが騙されていくのだろう。むむ、哀れなり。
「―――話をはぐらかせないでください。その腐った性根を叩きなおそうと言っているのです」
「性格の矯正なんか出来るか。それとも、オマエは心理学者か」
一歩ずつ階段を下りる。マシンガンみたいな来未の口。それが罵声に似た悪言なのには閉口する。まったく、何もかもが姉とは違う。
「違います。言葉に御幣がありましたね。私は、その鼻を叩き潰すと言いたい」
「そういうヤツこそ高飛車だろうが。俺は別に驕っていない」
「高飛車とは聞き捨てなりません。庶民から見ればそのように思えるのかもしれませんけれど」
「ほら、その言い方が高飛車だろ」
言って、剣を握る少女の前に立つ。表情はすでに憤怒を越して般若だ。白い顔が赤くなるあたり、割かし本気でキレてしまわれているのかもしれない。
鼻先に剣が突きつけられる。勝負だ、と言う割に、こちらが不利なのを考慮してくれない。騎士道、と言うが。徒手の相手に剣を突きつけるのはどうなのか。
それは証拠。彼女が戦士ではなく、立派な殺し屋だという証拠。
「まぁ、高飛車とは違うか。純粋に俺が気に入らないか、純粋に俺を気にしているかどちらかだな」
「自信過剰です」
ちくり、と。揺らめく切っ先が頬を掠める。軽く後退して避けるものの、顔面を真っ二つにする軌道に、彼女の本気を知る。
「オマエ、避けなかったら死んでただろっ」
「そのつもりです・・・・・・っ」
ぶんぶんと刃物を振り回す少女。なるほど。叩きなおすとは御幣がある。最初からぶっ殺す気満々だったわけだ。
風を切る白刃。的確に剣の軌道を把握し、最小限の動きで回避する。斬撃は速く、次から次と繰り出される。故に、回避する側は大きな動きを許されない。小さく、足捌きで回避しなければ、避けきれない。
「おぉ、ハイロゥ」
彼女の右腕が輝く。両手で握る柄。一際大きく振り上げられた一撃は、大地さえ砕いてしまう強烈な斬撃に――――

それを、軽く睨んで止めた。

魔眼持ちに魔眼は通じない。制約も魅了も通じない相手。
彼女はその視覚からではなく、全身で恐怖を味わっていた。絶対恐怖。フィアーの名で知られる稀有な結界能力の前に、かの騎士は行動を停止せざるを得ない。
「ソレは没収。オマエ、刃物持つと危ないからな」
振り上げた腕から剣を奪う。表情はかろうじて動かせるのか。ぎりぎり、なんて。マジで歯軋りしている音が聞こえてくる。
無銘の刀。それを、握り砕いて焼却する。魔眼。赤い瞳は炎焼の魔眼。
「次は無い。今度、剣を持って襲われたら食いかねない」
通告だった。殺したくないから、剣を奪う。これで理由も通じた。後は、悔しくて眠れぬ夜を過ごそうと、関係のない話だ。
「じゃあな。兼定に怒られる前に、寝ろ」
手をひらひらと振って、屋敷を後にする。これからはもしもの時の備えだ。
夜の闇。紛れ、暗殺者は空を翔(カ)く。
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