Mirage

Meteor-2

バイクを取りに浅川医院に行く。厄介なのは、窓から柚葉に呼び止められたことだ。
けたたましい排気音が原因だが、今更、どうにもならない。観念して、彩は古臭いエレベーターに乗ることにした。
自分から呼び止めたというのに、柚葉は驚いた表情で、行動を停止していた。
「まさか、男連れとは何事だ、彩」
「別に何事でもないわよ。コイビトってヤツなんだから仕方が無いでしょう?」
行動を停止していた柚葉は、思考まで停止させたらしい。きょとんとしたまま動かなくなった柚葉に手を振ってから、後ろを振り返る。
「この人は浅川柚葉。私の保護者みたいな人。さ、行きましょう。私の親だけ見せるなんて、不公平だし」
「待て待て待て。ちょっと待て。話があるから、そこの間抜け顔を追い出せ」
「え、コイビトって隠し事とか、しないんじゃない?」
「―――ああ、もう。知ったことか。彩、冬真との連絡が途絶えた。おそらくはリーインカネーションへの扉を開いたせいだ。お前さんは第三案を遂行するために、岩手に飛んでもらう。背後で六王が動いたとの報告も受けている。リヴィエルロットが来日したとの情報もある。お前さん以外に適任者がいない」
リヴィエルロット。異端者の中で、新堂薫と並び「EXランク」を持つ最強の能力者。
ポルディーニが言った。原色の魔眼はリヴィエのモノで、夜神色と並ぶと。
最強の敵と戦えるのなら、これ以上望むべきものはない。
「遠野夜神と連絡をとれ。連携して情報を得て、あわよくばリヴィエルロットを発見しろ」

「なら、見つかったら教えて頂戴」

だが、今は。
この男を殺すのが先だ。
首を横に振り、私は診療所を出た。
あぁ、そうか。きっと私は、怒っている。
――――心地の良い感情に身を委ね、冷徹な激情で世界を焦がそう。

街の西側、外れた場所に小高い山がある。
山林の中、境内はまるで世界から分離されていて、鬱蒼(ウッソウ)と繁(シゲ)る草木が進入を阻んでいた。
死鬼の身である夜神の血。神聖な仏教の世界に入るには、些(イササ)か汚れすぎている。
だが、今は小泉慈雲がいる。
誘われるがまま、夜神の末裔は境内に足を踏み入れていく。
龍眼寺は囲まれた塀に四つの門から入ることが出来る。俯瞰で見れば、南北に長い見取り図となる。正門は東の塀、北東にある土門。艮の方角は元より鬼門とされ、封じるために本堂、本尊が置かれている。
さらに北と、西の塀は北西に裏門があり、東にはもう一つ、中央より南に小さな門が置かれている。
正門から入る。邪気は本尊で滅され、あるいはそのまま流れて西の裏門で帰る。
正面、即ち北側に本堂があり、廊下で南の居住区へと繋がっていた。どうやら、東の塀にある南側の門は寺の人間が使うためのものらしい。
本堂を無視して南へ。勝手口のような小さな門を背に、小泉の家に矢上彩は上がる。
居間らしい部屋に通される。時刻は午後の四時。洋室らしいその部屋は、一般の家庭とさほど変わらない。
住職である小泉慈雲の父はいない。代わりに、穏やかそうな表情の母親がいた。
「私は小泉慈雲くんの級友で、矢上彩です。学校では良く目を掛けてもらっていて、お寺のお話などをよく聞かせてもらっています」
型通りの挨拶を済ませ、礼をする。母親は少々驚いたような表情を見せ、それから笑いかけてくる。
「古くて汚いところでしょうけど、ゆっくりしていってね」
「いいえ。長年で培われた古さと言うのはどこか懐かしく、荘厳な印象を与えます。立派で、素敵な御家だと思います」
住職には会いたくない。お祓いされるのはどうも好まない。邪気退散とでも言われた日には、返り討ちにしてやりたくなる。
「あ、夕食の支度をしていたのですか。それは、お邪魔をしました」
広い龍眼寺には、数名の僧が寝食を共にしているようだった。それでなくても、色々と寺の嫁というのは大変だろう。たかが食事の支度だけでも、量は一般家庭と比較にならない。
笑いかけてくる母親は、苦労を苦労と理解していないようだった。


いや、ビビった。
何がビビったかって、あの矢上彩がウチに来て、しかも料理なんぞをしていることに驚いた。
小泉慈雲に自室というものは無い。故に、たとえ矢上彩が家に来ようと居間で応対するしかないわけで、そうすると嫌でも家族に会ってしまうわけで。
夜の七時。制服姿に白いエプロンという、ひどく家庭的でしかも似合っている矢上彩がお盆を手に出てきた。台所から、母と二人で別室の食堂へ夕食を運ぶためだ。
学校一の美人、というのに誇張は無い。肩に届くか届かないかの長さの髪は、茶髪というより黒が抜けてしまったような薄い黒。目もどこか茶色く、何より、肌が透き通るように白かった。
色素が薄いのだと思わせる容姿。本当に小柄で、華奢な体格。清楚な容貌にたおやかな挙動。お嬢様のような印象だが、しかし凛とした顔立ち。
「ははぁ、慈雲。あんた、いつの間に」
姉の葉月がソファに座り、にやけながら質問をぶつけてくる。
「嗚呼、あんたが彼女を連れてくるなんて。いつの間にそんな歳になったのやら。お姉ちゃんは悲しいよぅ」
「じゃあ姉ちゃんも連れてくればいいじゃんか」
抗議しながら戻ってきた母親のために席を譲る。明るい表情で、母はソファに腰掛けた。
「それも飛びっきりの美人ときたものだ。引っ掛けたというか、騙されてんじゃないの?」
「そうかしらねぇ。素直でよく気の利くいい子だと思うんだけど」
「お母さんが正解かな。矢上の家のお嬢様だもん」
あっと驚く二人。矢上と言えば、丘の上の豪邸に住んでいる矢上しか思い浮かばない。逆玉の輿もいいところだ。
「・・・慈雲、どこで引っ掛けたのよっ」
「え、学校でだけど。それに、引っ掛けてきたのは向こうだって」
なにっと驚く二人。いや、そんな驚き方をされるとオトコゴコロが傷つくんですけど。
「・・・こんな冴えない弟をね。矢上さんって、目でも悪いんじゃないの?」
「いいえ、目は至って健康です。おば様、料理はこちらでよろしいんですか?」
葉月の後ろに立ってエプロンを脱ぐ矢上彩。仕草がどこか上品で、気品がある。妖艶ではないが、清い美しさだった。神秘性、とでも言うべきなのだろうか。
食卓テーブルには四人分の食事が並べられていた。母は何もしていないらしく、全て矢上彩の手作りだ。タイミングよく、父が帰宅して姉と同じようなリアクションをするのだから、何とも腹立たしい。
丁寧にエプロンを折り畳み、矢上彩は去ろうとする。確かにテーブルには四人分で、自分の分は最初から作る気が無かったらしい。
母の必死の説得が功を奏し、何とか矢上彩を留めることに成功する。
そうして、何故か五人の夕食が始まった。

多分、超が付くほどの高級カイセキ料理ってヤツはこんなんだと思う。
食卓には様々な料理が並んでいた。ガラスの皿にスーパーのパックで売っている鮪の刺身を角切りにしたヤツに、姉が興味本位で買ってきたアボガドを四角く切って和えてある。しかもすりおろした山芋つきで、だ。味噌汁は合わせ味噌なんていうテクニックを駆使して白味噌の甘みが効いてて、白身の魚が饅頭みたいになって包まれて出てきたり、ホタテを油で揚げたヤツとか綺麗に型抜きされたかぼちゃと挽き肉の和え物だとか、まぁ、何がなんだかわからない。
で、味もこれまたすごく上品で。ダシがよく効いた薄味、とやら。色とりどりに並べられた皿やら小鉢やらを眺めていると、どっかの料亭に迷い込んで、しかしお金が無いことを思い出すような感じ。
矢上彩の料理の腕前は板前さん並みで、本職なんではなかろうかと思わせるのだ。
どこを取っても完璧、超絶最強八方美人の彼女。すごくか弱そうで、けれど凛としている女性。
「ヤガミの字は、八つの神様かい?」
「いえ、矢に上です」
その彼女は、父母と仲良く談話している。協調性もあって、されど統率力もある。
すごく不思議だ。何で、あんなにまで完璧な人が、ここにいるのだろう?
「八つの神と言いますと、宮中八神ですか?」
「残念ながら、ここはお寺だ。仏教の八神と言えば、天竜八部衆か八大龍王になるよ。いずれもナーガ、龍と言われている。ここも龍の目のお寺だ。日本各地には龍の名を冠する寺などが幾つもあるし」
だから、いい名前だね、なんてお世辞を言って、父は笑う。
昔から、神道と仏教は仲が悪い。今の日本ではあまり考えられないが、やはり神道と仏教に通じる部分というのは多々あって、互いに忌み嫌って重ならないようにしている。
今の日本は、宗教の自由が約束されている。結婚式はキリスト教で教会、正月は神道で神社、葬式は仏教で寺、なんてメチャクチャさも許される。しかし、昔はそうではなかった。
宗教が混在するというのに無理がある。インドではイスラム教が寺を破壊したり、中国では道教が仏教を排他することもある。十字軍だって、イスラム教とキリスト教の戦争だ。
日本でもそれは起こった。明治維新の余波。日本という国が完成して、国教を神道と定めて仏教と分けた。今でも、神社と寺の違いをよく知らない人もいるはずだ。
神道が国教だとされて、民衆は寺を攻撃し始めた。廃仏毀釈(ハイブツキシャク)運動が起こり、仏像は壊され、寺は燃やされる。当時の混乱は物凄かったと言うが、今では史実から知ることしか出来ない。
日本の天皇は、神道だ。だから、仏教徒ではない。宮中八神、などはまさに代表で、天皇の御所を守護する神は、決して釈迦ではない。
「龍、というのは味方なのでしょうか、それとも敵でしょうか?」
「少なくとも、仏教では神様だろうね。インド、中国、朝鮮では神格化された扱いで、イギリスではセント・ジョージとして『英雄に退治されるモノ』と描かれている。ヨーロッパでは龍、ドラゴンと呼ばれるのに英雄はセットで、圧倒的な力を持ちながらも、それを超える英雄を演出する役割に過ぎない。神道だと、倭健命(ヤマトタケル)が八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治している。大蛇は龍神、即ち水害を意味し、英雄は英雄のシンボルを手に入れ治水したとなる。竜退治(ドラゴン・スレイヤー)とはね、土地柄によって英雄的行為にもなる」
父はいつも、分かりやすく教えてくれる。博識で、仏教だけに捕らわれない。言葉も、神道だか英語だかわからない用語を使い分けるので、聞いている方も理解しやすいのだ。
「自然、ということでしょうね。海や水という自然は、時として大蛇のように荒々しく人々に襲い掛かり、時として神のように豊饒を与えてくれる。厳しくも、しかし深い優しさを持った星というのが、竜の持つ二面性の答えなのかもしれません」
「なら、我々人間というのは、星殺しだ。仏教だの神道だのと神の存在を己が心に刻み付けるが、実際に歩んでいる道程はすでに神の領域を超えているよ。追い越してしまっている。だから、神話、過去に遡るかのごとく神秘性を求める。もうとっくに、人間は神秘性を通過してしまっているのにね」
話が哲学的な方向になってくる。しかし、本当に矢上って、何でも知ってて頭がいい。
「それなら、星は自然を竜の姿へと変えるでしょう。今度は人間に殺されないような、最強の竜の姿で」
矢上彩は微笑む。
それが何故か、死の宣告のようにさえ思えた。


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(星の雨/4)



岩手県は岩泉町に入ってから、定行慧光は口を重くした。
定番となった野宿。慣れた手つきで、森林の中で焚き火を熾す。
慧光は町に入ってから、一言も口を開かなかった。無理に話しかけることは止めて、彼方は火に手をかざし、じっと見つめることに専念した。
夜でも目は見えた。夜を徹して進むことも出来るだろうが、無駄に体力を消費する気は起きなかった。どうせ、朝になれば眠たくなってしまう。
なら、見通しの利く昼間に行動した方がいい。
風で木々が揺れる。夜の森に恐怖することは、すでに無い。
火の粉が散る。ぱちぱち、と暖かな音を立てて、焚き火が崩れた。手にした枝を追加して、彼方は寝転がった。
空は満天の星空。星降る夜空は幻想的で、世界の美しさを教えてくれる。
周囲は雪。雪原の中での野宿は身に堪えるが、焚き火の近くなら凍死しない。背中が、じわりと濡れる。明日こそは宿に泊まると言い続けて、もう一週間は経つだろう。
星。光が瞬き、空が歌う。
「――――」
瞬間、跳ね起きた。どすん、と何かが落ちる気配。見ると、影が光る何かを持って雪を突き刺していた。
死の鬼。影のような動きで、影のように不可視な鬼。
「来たぞ、クソ坊主何とかしやがれ――――!」
第二撃。突き立てた短刀を雪から引き抜き、頚動脈を切り裂く横への斬撃を後退して避ける。
神速とは、きっと今。華麗に身を翻したかと思うと、足、下部を狙う第三撃が光より速く襲ってきた。
どん、と背中を突き飛ばされ、もんどりうって影に倒れこむ。刃は大腿に突き刺さり、しかしそのまま、押し潰すように影の鬼を倒した。
錫杖の音が聞こえる。定行慧光が星光を遮った。
横に流れる。転がって、雪まみれになりながら、彼方は暗殺者を抱いたまま仰向けになった。

はらり、と髪が流れる。
視界を覆うのは、月光に映える見るも可憐な女性の顔。

おそらく、時は止まった。
見惚れる。間近にある女性の顔は、あまりにも美しすぎて、息さえ呑めない。
不意に、その唇が消失した。目も、鼻も、全てが消える。
探すために、体を起こした。
目の前で繰り広げられるのは、目を疑うほどの速度と重量で繰り返される斬撃と打撃。
定行慧光は錫杖(シャクジョウ)で、暗殺者の女は逆手に握る短刀で対峙する。
否、対峙などという静寂には無い。互いが互いを滅するため、一瞬の空隙も無く、一寸の距離さえ許さず、恋人のように密着して、しかし殺し合っていた。
間合いとしては、暗殺者の勝ちだ。
錫杖は長く、重量を活かして遠間から相手を撲殺するためにある。ここまで近寄られれば、錫杖は活かせない。
しかし、離れることも出来ない。慧光が後退をするならば、暗殺者は一足に間合いを詰め、その頚動脈に短刀を突き立てるだろう。
故に慧光は防戦しかない。無尽蔵に繰り出される短刀の連撃を錫杖で防ぎ、止まぬ驟雨(シュウウ)のごとき攻撃を受けて、受けて、その果てにあるものを待つだけ――――

ごきん、と。骨が砕ける破砕音が聞こえたのは、刹那だった。

錫杖を捨て、一瞬の果てに右拳を顔面に叩きつける。
華奢な体が、耐えられずに流れ、倒れた。短刀を落とし、千載一遇の好機に、慧光は腰の短刀を引き抜いた。
「ちょ、待てよ坊主。あんた、殺生はご法度だろっ」
「無駄な殺生をするつもりはない。しかし、殺さねばまた彼方、お前が狙われる。それでもよいか?」
慧光は歩みを止めず、起き上がろうとする暗殺者の腹を思い切り踏みつけた。
苦悶の声が漏れる。肋骨が折れる音と共に、流麗な唇が血で濡れた。
「ダメだっ。狙われるのもヤだけど、殺すのはもっと嫌だ」
「難しい注文をする。善処はするが、失敗した時は許せ。上手く成仏はさせてやろう」
言うなり、慧光は短刀を小さな胸目掛けて振り下ろした。

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