Mirage

Meteor-1

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(星の雨/2)



べり。
何かを剥がすような音が聞こえ、瘡蓋(カサブタ)状になった頬を地面から離した。
黒ずんだ血を丁寧に拭き取り、数時間、いや、数日を過ごしたアスファルトを見下ろした。
記憶は――――白髪の少女を見たところで途切れている。
首元に若干の痛み。陽光が眩しく、右手で射光を遮る。
携帯電話で日付と時間を確認する。十二月一日の午前十時。自分の昏倒していた時間は、ほぼ丸三日になる。
全身は筋肉痛みたいに鈍く痛んだ。動かしていなかったせいか、ぎしぎしと軋む感触さえある。
光を遮る異形の僧が現れたのは、見飽きた携帯を仕舞ってからだった。
身長は自分より頭が何個も飛び出ている。190センチに達しているのではないだろうか。体は大きく、ラグビーやアメリカン・フットボールの選手をイメージさせる。
だが、何よりの特徴は、剃髪した頭と錫杖。葬式の時にいるような住職などとは大きくかけ離れた、破戒の坊主が立っている。
「怪我はしておらぬな。問題は内だが、痛む内蔵器官はあるか?」
迷える者、精神を病んでいるような人間を救うのが宗教だ。仏教というひとつの宗教を会得している僧は、何の不思議もなく問いかけてくる。
破戒の坊主。髭も無いその顔は、どこか悲壮さを孕んでいる。
「内臓なんて知ってるわけねえだろ。体は全部が痛いぞ、坊主」
「それだけ言えれば充分だろうな。さて、聞きたいことは山ほどある」
偉そうにふんぞり返る坊主に一瞥(イチベツ)をくれ、背を向ける。慌てて止める坊主を無視して、背中越しに言い放った。
「誰かもわかんないヤツにあれこれ詮索されたくないね」
「ああ、それは失礼。私は竜泉寺というお山の僧、定行慧光(サダユキエコウ)だ」
名前のような苗字を言って、坊主は肩を掴んだ。その力に圧倒されつつ、舌打ちしながら振り返る。
「質問をしたい。君の無事を確認する作業のようなものだ。こんな村に高校生がいるという不思議を解決する義務があろう」
東北、岩手県に入って初めての村。唯一舗装された国道で倒れていたのだ。周囲は山だけで、まるで村とは思えない。
「それで、名前からかな。教えてはくれないか、少年」
坊主の言葉には温かみがあった。敵対するような声でも、興味が無い声でもない。

「彼方。西川彼方だ。変な名前だろ?」

かなた、と呟いて坊主は笑いもせず、しかし笑い声を上げた。
「ふむ。しかし私の名前の方が『普通』を逸しているだろうよ」

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‐1‐

土日の二日間をかけて、矢上彩は東京にまで出かけていた。新幹線に乗って旅行をしてきたようなものだが、矢上彩は同行者とは違い、ただホテルで寝ているだけだった。
「彩、どうして外に出ないのよ」
咎めるような君塚氷彩の口調に辟易(ヘキエキ)しながら、彩は寝転がったままで答える。
「面倒だから」
君塚氷彩を東京の女子高に転入させる。夏川憐が言い出したことで、神学を学ばせるつもりだろう。最終的には、悪魔祓いでもさせるのかもしれない。
矢上彩の復学も進んでいた。脱臼ごときで冬まで休んでいたのはいただけない、との見解だった。この連休が終われば、十二月から再び高校へ通うことになる。
「それに。オマエ、煌貴(オレ)のこと嫌いだろ。二人で東京観光したってつまんねえよ、きっと」
黙る氷彩を見つめ、彩は目を閉じた。今日の夜には帰るのだ。
一方の氷彩は、本当に矢上彩が嫌いだった。
兄が豹変した理由こそ、この女にある。物静かで優しげだった兄が、まさか大学を辞めて自由人になるとは思っていなかった。
矢上彩が連れ出したのだ。どこぞの不良娘かは知らないが、悪いヤツには違いない。
そんな予測は、外れる。だって、矢上彩は丘の上のお嬢様で、しかも完璧な美人。頭だっていいし、人にも優しい。しかも見た目が神がかった美人ときたものだ。兄が見惚れて金魚のフンみたいにくっつき回るのも当然に思えてくる。
ところが。二人きりになった途端、これだ。やる気の欠片も無く、終いには「オレ」とまで言い始める。乱暴な言葉遣いに消極性。どこの世界にこんな人格分裂鬱病美人がいるのか。
二人でもつまらないなら、一人ならもっとつまらないだろうに。
「そんなこともわかんないのかしらね、この女」
上品ぶって睨んだ後、仕方無しに氷彩もベッドに寝そべった。

夜、矢上彩はいつもと同じく、ただ独りで新幹線に乗る。

いつも独りだ。
それに不満は無かった。
人と仲良くすることは出来るし、すべきでもある。
ただ――――住む世界が違い過ぎて。
教室には命が多すぎる。密集した命は嫌でも散る風景を連想させ、まるで春先、雨の桜に見える。
「彩、か。冬真も嫌な名前をつけやがる」
彩は殺めるのアヤ。人殺しと知ってのことか、君塚冬真。
自分には感情が無い。
何をされても嫌ではないし、嫌だ。何をされても怒らないし、怒る。
自分には嗜好が無い。
全てが好きであり、嫌いだ。
それでも、少しずつ「矢上彩」という人間は形成されつつあるだろう。平紗歩叶も朝里煌貴も知らない、未知の領域に踏み入れば自然と覚えていくものがある。
だからこそ、既成の領域では嗜好も感情も生まれない。全ては、死と繋がる異界での意識だけだ。
そんな意味なら、あながち柚葉の言葉も外れてはいないのかもしれない。
世界の派遣した天使。ぞっとするような話だが、結局、人に限らず生命というのは星に守られ、育まれ、無意識に意識させている。
温暖化がどうのこうの、オゾン層が壊れるだの何だの。そんなのは、自らを至高の霊長だと称する人間の偽善だろう。自分でぶっ壊しておいて修復もクソもあるものか。
星に抱かれる命は、自然と意識する。無意識のうちに、均衡を望む。
要はバランスが大事だった。世界に関しても、両世界が上手にバランスを取って成立している。
科学は均衡を破壊する。星を無視して生命を保護する。やがて科学の原料となる星命は尽きるのは自明の理で、また新たな星命を見つける。そうやって掘って、手に入れて、果てに残るものは何か。
無限に繁殖する生命を、衰退を嫌う生命を、そして星の死を。
星を宿主として、巨大なガイア生命圏を形成している中で、人間はその均衡を崩す。
生産力を持たず、消費するだけの存在。いつか、星命が尽きれば、また新たな宿主を探すことになる。星を捨て、星を殺し、新たな星を探すだろう。
「――――まるで、ウイルスだな」
ただ宿主を食い尽くして繁殖するだけの存在ならば、意志を持たない病原体と同様だ。
共通の意思。生きて、繁殖して命を繋げるという大義。そこに、自らの繁栄こそあれど星の思惑は無関係だ。
もし、星の意思があるのなら。
害虫と変わらぬ彼らにどのような意思を持つのだろう。

窓の外を眺める。
空は澄んだ青色。冬の空は空気が澄み渡り、雲さえ無い青を演出する。
遠くの教師の声を聞き流し、空の青に没頭した。
学校は、退屈だった。恒常的な日々に愉しみは無く、怠惰な日常を流すだけだ。それこそが、人間というものなのかもしれないが。
「矢上、聞いてるか?」
人間の本質など分かりきっている。繁殖だ。生命の根源にある意識が繁殖と言っていい。娯楽や愉悦などは、結局二の次になる。
「矢上、矢上ッ」
「・・・え?」
黒板の前で仁王立ちする教師をついと眺めた。どうやら、何かの設問を与えられているらしい。
「問題は?」
「十九世紀に西洋化を最初に行った藩を答えなさい、だ。わからないのなら次に飛ばすぞ」
「宇和島藩でしょう」
教師は微笑を浮かべて否定し、後ろの席に座る男子生徒を名指す。薩摩の名を答え、再び注意を受けて、彩は窓を見た。
排他的なのはどうしようもない。紛れていなければ、負けなのだ。わざわざ反目した自分の愚かさを嘲り、思わず苦笑した。
歴史を学ぶのは同じ過ちを繰り返さないため。しかし、歴史を覆すことなど出来もしない。歴史通りの歴史が進むのなら、やがて世界は幕を下ろすだろう。
「・・・な、何で間違ったんだ?」
隣に座る男子生徒が小声で口を寄せる。今さっき無視して注意を受けながら、二度の愚考を続ける気は無かった。
「藩政改革として有名な薩摩藩の島津斉彬は嘉永四年、西暦1851年に藩主に就任したのよ。それから集成館事業を開発して、ガラスなどの西洋文化を諸藩に先駆けて取り入れた。けれど、宇和島藩の伊達宗城は天保十五年、西暦1844年と六年前に就任している。宇和島藩は有名ではないけれど、養父である七代目藩主宗紀の殖産興業を受け継いで石炭の発掘などを行っている。とすれば、独眼竜の末裔が最初、と言えないかしら?」
「・・・ははぁ。うん、そんな気もするけど、どうして何も言わないんだ?」
「言って何が変わるの?反抗的な生徒という先入観が生まれるだけでしょう。なら、少しお間抜けな女子高生の方が聞こえはいいカラ」
議論をしてもさして意味は無かった。なら、黙って座る方が得策だろう。
話しかけてきた生徒は、小泉慈雲(コイズミジウン)という男だった。珍しい名前の彼は、西方にある山のお寺さんだったはずだ。
「そう、龍眼寺。へぇ、覚えててくれたんだ」
「その様子じゃ得度はまだみたいね。卒業後かしら?」
「逃げようと思って。ほら、大谷とか仏教大とかに進学すれば四年は逃げれるじゃん」
「でしょうね。お寺を継ぐのは大変そう」
龍眼。中国で言う、千里眼の一種だろう。おそらくは魔眼の一つに当たる。
だが、お山の小泉は異能の力を持っているわけではない。寺院教会に属しているわけでもないので、スロウとしてもマークはしていなかった。
また、矢上彩は苦笑する。
全てが死を中心に考えてしまう。この男が異能なら、殺せるかもしれないと思ったのだ。

昼。蔵書室でサンドイッチを食んでいると、がらりとドアが開いた。
「あれ?どうして矢上さんがここにいるの?」
なんて、すっとぼけた顔で立ち尽くす小泉慈雲がいるのだから、たまったものではない。
頬に溜まったサンドイッチを咀嚼してから、合鍵を隠して適当に言い繕う。ここに来るのは誰もいないからで、面倒な会話をしなくて済むからだ。
今日は、どうやら違うらしい。
「何?」
近くに座って、しばしばこちらに視線を投げる級友に文句を言う。
「あ、うん。矢上さんって、綺麗って言われない?」
「質問で返すのはマナー違反。見つめるほどの顔じゃないでしょう」
きっちりと言ってから、コーヒー牛乳にストローを刺す。
「そんなこと無いと思うんだけどなぁ。見つめる価値は絶対あるよ。だって、ドキドキするもん」
「力説しない。心拍数が上がって得をするなんて、お寺の人は変わってる」
心拍数が上がるのは、戦闘時だけでいい。余計な焦りを生んで、冷静な思考が消えてしまうのは損だと思う。
「普通だって。ほら、アイドルとかの近くにいられたら、それって素敵なことじゃん」
「残念ながら、私はアイドルでも何でもありません」
全ての言動をすっぱりと切って、コーヒー牛乳を飲み始める。
諦めが悪いのか、小泉慈雲はさらに言葉を重ねてくる。
「やっぱり、それだけ綺麗だったら素敵な彼氏とか、いるよね」
「さっきから何が言いたいのかよくわからないけれど、質問だとするなら答えはノーです」
彼氏がいたら同性愛だ。彼女がいても同性愛かよ、くそ。
「じゃあ」
「そうね、恋人になる人はいないわ。好きだった人はいるけど、こればっかりはどうにもならないし」
「え?だったら、告白とかしちゃえばいいんだよ。絶対、矢上さんなら上手くいくって」
すっかり不味くなったコーヒー牛乳を投げ捨て、目の前の小泉慈雲を見た。
「あ、だって、矢上さん綺麗だし、頭もいいし」
「不思議。顔が良くて頭が良かったら恋人になれるんだ。なら、カッコ悪くて頭も悪い人は彼氏にはなれないのね」
「そうじゃなくて。ええっと、何て言えばいいのかな。例えば、オレは矢上さんをよく知らないでしょ。そういう時に告白されたら、やっぱり最初は外見を気にするじゃん。だから、そうなれば矢上さんならイケるかなって」
「ふうん。でもね、小泉くん。その原理に当てはめると、私がここで告白したなら、小泉くんは受けなければならなくなるのよ」
小泉慈雲は停止する。え、と口を半開きにしたまま、彼は彫像のように行動を止めている。
「なら試してみましょうか。責任とってみせてよ、小泉慈雲くん」
「え、あっと。ちょっと、ちょっと待った方がいいよ、絶対。だって、矢上さんだよっ。学校のアイドルさんだよっ」
待たない。質問を質問で返す阿呆に静かに微笑み、行動を停止させた。

――――オマエは殺す。
大切に育て上げて、殺す価値になった時に八裂きにしてやる。

「その、矢上さんがいいなら、オレは全然拒否するつもり、ないっすっ」
ああ、なんて愉しいんだろう。
この笑顔ごと、首を飛ばせるなら、少しくらいは我慢をしよう。
だって、空腹の方が食事は美味しいでしょう?


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(星の雨/3)



岩手県を北上し、川井村に入る。
定行慧光は不思議な男だった。まるで冷たい岩のような男だが、不思議と優しさがあるのだ。
まぁ、坊主なんてそんなものかもしれないが。
彼は破戒僧だ。寺から追い出され、何故か修験道に走った。山伏と言う人間だ。山に抱かれ、テレビで見るような滝に打たれて煩悩を消す。
だから、あれほどまで屈強な体を持っているのだろう。
「いいか、彼方。東北から逃げるべきだ。北海道に行くぞ」
「え?何で北海道なんだよ。青函トンネル渡る金なんかないぜ」
「わかっている。早く岩手を出たいだけだ。ここには、悪魔がいる」
体に異常は無かった。最近は晴れが続いて、だが風雪が目に厳しい。サングラスを購入し、ゴーグルのような役割を果たしていた。
「鬼、だ。彼方は殺されるかもしれん」
「は、冗談だろ。っつーか俺、何で?」
「彼方の話を総合すると、白い女というのは妖精や幽霊の類だろう。その女に記憶を奪われている。あるいは、もっと大切なものを。それを確認するために、鬼は来る」
数週間前まで普通の高校生だったはずだ。それが、道を少し外れただけで殺される。
冗談じゃない。何もかもが嫌になってただ逃げただけなのに、どうして殺されなきゃならない。
きっかけは無い。ただ、何となく全てが嫌になった。
死んでもいいかな、と思えた日々は余りにも退屈だった。だから、テレビでやってるようにヒッチハイクでもして旅をしようと思っただけだ。
家出をして、見えたものは大きい。世界はこんなにも広くて、自由だから。
「俺はヤだぞ。鬼なんかに殺されてたまるか」
「私もだ。まぁ、鬼退治なら任せておけ。神道ではないが、仏教でも鬼を祓うくらいは出来るだろうが、夜神は厄介過ぎる」
「矢上?」
「ああ。暗殺者の家系だ。平たく言えば、忍者だな。いや、違うか。くのいちという奴だ」
女の忍者のことだったはずだ。思わず、色っぽい女性を連想してしまうのは何故か。
「ここから南、遠野というところに夜神はいる。出来るだけ静かに、隠密に進もう」

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