Mirage

ilya-4

季節はもうすぐ秋だというのに、今年の残暑は厳しかった。
まるで、夏男だった親友が、最後の夏を少しでも長く楽しみたいかのように。
夏、という字の入った女性と会ったのは、そんな暑い日だった。
病院に行きたがった歩叶を乗せて、クラウチング・スタートの練習をしている病人に会わせてから駅前に向かった。
この頃の歩叶は、週に一回は見舞いに行く。二人だけになりたい時もあるのだろうと思って、三人が揃うことはあまり無い。それが、何となく寂しかった。
駅前の噴水で待っているのは、いつかのカウンセラーだった。
「もうすぐお昼でしょ。私、お腹空いたから」
いい店に連れて行け、ということらしい。
「煌貴くんに良い喫茶店があるって言われたんだけど」
「ああ、そこは玄人好みなんで」
クーラーをがんがんに効かせた車内は涼しかった。夏川、と名乗る女性に良い印象は無く、冬真はずっと曖昧(アイマイ)な返事を続けている。
「柚葉と電話で話したんだけどね」
こうなればフライ・クーゲルに連れて行って、一泡吹かせてやろう。煌貴が紹介したんだから、自分のせいじゃない。
「この土地にも、霊的な潜在性がある。現に、貴方たちは天国に行ってるわけだし」
進路を駅前の喫茶店に向けて、赤信号で止まる。
「管理人を置くとスロウで決まったわ。柚葉が適当だけど、それまでは貴方に代行して欲しいというのが彼女の言葉よ」
「何です、それ」
「この土地、つまり街を管理するのよ。市長になれってことじゃない。裏で起こる不思議な何かを探り、解消する。いい、君塚冬真。いくら神秘が淘汰された社会でも、それは人の持つ力よ。放置すれば起きる。けれど、常識という殻に守られた人々は気付かない。気付けるのは、知ってしまった者だけだから」
冬真は初めて、真面目に話を聞く気になった。すでに、フライ・クーゲルの前で停車していたが、これはきっと、自分が聞かなければならない話だからだ。
「元々、異端者というのは少数よ。この街にいる異端者は、スロウで把握している。浅川柚葉、君塚冬真、君塚氷彩、矢上瑠璃(ヤガミルリ)、朝里煌貴、矢上歩叶、望月孝明の七人。他に潜伏している可能性もある。柚葉はその社会に弾かれる歪みを目で見るために旅をしているわ」
「異端者、って言うと。スキルを使える人のことですか?」
「そういう、『常識』の範疇外にいる人間の規格から外れた者を指すのよ。彼らは放置されては生きられない。社会から弾かれているんですもの。私たちの仕事は異端者を管理して、社会に融和させること。土地の管理と言うのはね、住んでいる異端者を管理することよ。その街で異変が起きれば、異端者が絡んでいる。潜伏しているのなら探り出し、排除する。ルールを外れてキレたのなら、暗殺するか捕縛する。ま、裏の世界の治安維持機構みたいなもんね」
スロウ。組織の名前を、夏川はそう呼んだ。世界規模だと豪語され、圧倒される。
知れば知るのだ。世界の二面を知った僕らは、もう後戻りは出来なかった。知るから、気付く。そんな言葉を、冬真は実感していた。
「ここが煌貴くんの言ってた店?」
「え、あぁ、そうです、けど」
「なら入りましょうか。うん、お姉さんが奢ったげるわよ」
意気揚々と店内に入っていく夏川を見て、どうしてこんな店選んだのかわからなくなった。

ジャックさんとのコーヒー議論に閉口し、うっかり口を出して集中砲火を食らった。
落ち込みながら外に出ると、もう夕焼け空が見えている。
「いい街ね。コーヒーと酒が美味しい街はいい街よ」
夏川は物件を探しているようだった。管理人は表向きで仕事をしながら利益を得ないと、生きていけないと言うのだ。
「そりゃ、ね。最初はさ、教会から頼まれて管理始めたのよ。一掃してから、東北近辺でたまーに暴れてくれるだけで、お金にならないのよ。中東で治安維持とか、人質事件とかまでやらされて、傭兵みたいに世界各地飛び回ってた時期もあったしねぇ。今は何とか世界に人材の網が出来たから、責任者以外は国内に滞在できるけど、結局は財政難だし。あ、絶対にスロウの名義で買わないでよ。消費者金融に行かせるわ。出来なければそこらの異端を狩って借金させなさい」
色々、苦労をしてるんだな。
土地的にも、良い悪いがあるらしく、場所だけは夏川と一緒に探すことになる。
表向きは浅川医院にすることにした。来年には柚葉が戻るので、診療所にしておけばある程度の資金は貯まるだろう。
気付けば、冬真はどんどんのめり込んでいた。つまらないと思っていた日常が、変えられる。
転機なんて、そんなものだろう。
「そうね。免許は無いでしょうけど、治療が出来れば問題ないわ」
「あの、僕はどうなるんでしょう?」
「え?ああ、そうねぇ。ディバイダーなんて使えない能力者だし、記憶を消して日常に戻るとか。人畜無害でしょ、あんた」
「柚葉さんの下で働きたいんですけど、無理ですか?」
夏川は一瞬、本気?なんて目を向けてきたが、すぐに真顔に戻る。
「柚葉に聞くべきよ、それは。使いようによっては、ディバイダーというのは生かせる。分離させられるんでしょ、何でも。能力を開発すれば、他所の送電線から電気を引っ張るとか、色々便利そうじゃない」
それなら、看護士の免許でも取ろうか。いや、でも医師がモグリなのに、看護士だけというのも変だろう。
「言っておくわね、そのこと」
「はい、お願いします」
「うん、いい返事。少なくとも今年くらいまではこっちにいるから、その間にオーナーとしての仕事を叩き込むわよ。柚葉が戻ったら、その助手になれるように、ね。覚悟は大丈夫かしら?」
多分、ここが人生の岐路。
日常を選ぶか、日常の中の異変を選ぶか。
迷うことなど無かった。君塚冬真はもう、知ってしまったのだから。
「はい。お願いします、夏川さん」
「レン、でいいわよ。私も、トーマくんって呼ぶから」
転機なんて、こんなものだろう。
車内で固く握手を結び、僕は逃避とは違う異界に、しっかりと進み出した。


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(パラレル・サーキット・シンドローム/3)


平紗歩叶の腹部を見る。
無言で捲りあげたTシャツの下、癒えかけた傷が見える。
なんと奇遇か。それは朝里煌貴の傷と同じ場所で、しかし小さかった。
もういい、と手で制して、それが若狭陽次につけられた傷だと、朝里煌貴は知った。

全てが、ひとつ遅れていた。
街中、どうして彼女と出会ったのか。どうしていつも鋭い視線をしたのか。
朝里煌貴が平紗歩叶と出会う直前、若狭陽次は騎士である少女に追い詰められる。
その後、若狭陽次は捕縛される。平紗歩叶が傷つき、帰るその間際、朝里煌貴が召喚され、二つは一つになる。
故に戦う。自分という存在が、自分という存在と並んでしまわぬよう。

長剣は折れた。朝里煌貴はシキに伝わるナイフで、キシに伝わるツルギを折った。
魂は螺旋のように輪廻する。停滞するとすれば、魂を残す何かがある。
例えば、一子相伝で伝わる家宝の剣。例えば、娘にだけ与えられる家宝の短刀。
古来より永久のごとく繋がったのなら、それはすでに、螺旋の命。
夜神と平紗。同じ命を共有する一族は、互いに見合うことは無く、ただ魂を残して逝く。
死した魂は螺旋に残り、同じ魂が螺旋を手にする。

なら、その螺旋が誰かに壊されれば。
魂は解放され、元ある形に戻るだろう。

並んだ命は同じもの。
ひとつは傷つき、しかし解放された。
ひとつも傷つき、しかし停滞している。
共有された命。世界という名の境界で分かたれる。
再び並び立つことあれば、きっと、命は元ある形に戻るだろう。

答えが、今。
平紗歩叶の傷は癒えて、朝里煌貴の傷は癒えぬ。


――――だから、怖いんだ。


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