額から流れる汗は、夏のせいだけではない。
校内は確かに暑かった。夏服姿の生徒たちを眺めながら、一年A組を目指していた。
今の三年なら知り人もいる。自分が卒業した時、一年生だった彼らだ。テニス部の後輩なら、十人は軽く超えるだろう。
担任だった鳥山先生とすれ違った。鳥山先生はその厳つさに拍車をかけている。スキンヘッドに眼鏡、体格は良く、しかし美術部の顧問という彼は、下手をすれば暴力団幹部とも見て取れない。
「あれ、オマエ、君塚だろ」
「え、ええ」
記憶にある鳥山先生に、一つだけ特徴が追加されている。眼鏡にブラウンの色が追加されている。
怖い。かなり怖い。なのに微笑んでくるものだから、なおさら怖い。
「どうしたんだ、一年の教室なんか見て回って」
「朝里に頼まれて、矢上歩叶という生徒を探してるんですよ」
矢上というのは煌貴の親の苗字らしい。詳しくは知らないが、母親の旧姓だろう。
「あー、矢上か。それならA組だよ」
「ええ、知ってます」
「だが忙しいだろうなぁ。今は学校祭の準備があるだろ。矢上も参加してるから、いつも帰るのは六時くらいじゃないのか?」
学校祭の準備期間では、五時半まで作業が許可されている。それは学校内のことで、誰かの家などでステージ発表などの練習が積み重ねられる。おおよそ、ダンスや歌などの出し物が催される。
「だから聞こうと思って。校門で夜まで待つのは嫌ですから」
「そりゃ賢明だ」
母校で一年の女の子を連れるというだけで汗をかくのに、さらに緊張してしまった。
幸い、鳥山先生はそれ以上追及せず、さっさと職員室に戻ってしまった。今は二年生の副担任を受け持っており、来年は担任になるだろう。
氷彩の担任にでもなったら、何を言われるかわからない。
「あれ、君塚先輩」
「うん?」
背後から声をかけられる。私服で校内を歩き回れば、目立つ。それでも、後ろ姿だけで判別できるとは。
案の定、テニス部の後輩三人だった。一人はキャプテンになっているようで、随分と大人びた印象を受ける。
「オレらはアレですよ、ほら、管理委員」
「ああ、アレね。大変だろう、見回りは」
「そりゃもう。でもまぁ、もう引退してるんで」
五月でインターハイ予選は終わる。敗退が決まれば、三年生はその場で引退だった。
「管理委員かぁ。懐かしいね」
煌貴がその役割だった。ルール違反をしているクラスを見回るためで、不良たちの相手をするには生徒会ではどうも上手くいかない。それで、煌貴が任命された。
あのいい加減な男にしては珍しく、きっちり取り締まっていたらしい。同じ三年生には厳しかった。クラスは違ったけど、ちょっとした反則でも職権濫用で落としていく。
それで結局、煌貴のクラスが賞状をもらったのだ。
とにかく、管理委員というのは煌貴が成立したシステムで、今でも行われているようだった。
四人で一年A組に入った。壁新聞を作る一団、ダンスを練習する一団など様々だ。
教室は慌しく、適当に掃除を始める。それを椅子に座って待つ。管理委員の三人は、床をマジックなどで汚してないか、などをチェックしていく。チェック項目も、全て煌貴がリスト化したものだ。
「あ、冬真さん」
部屋の隅、ちりとりを指揮する歩叶と目が合った。制服姿の歩叶は、クラスによく馴染んでいて、けれど飛び抜けた美人だった。
「うん、こんにちは」
やや緊張しながら答える。三人の管理委員は、歩叶に見惚れているようですらある。
「知り合いっすかっ」
「まぁ、そうだね。歩叶ちゃん、今日は僕と一緒に病院へ行かない?煌貴のお見舞いに行くんだけど」
「今日、ですか。わかりました。煌貴さんにはお世話になりすぎてるほどなので、お礼をしなくちゃと思ってたんです」
言葉もどこか砕け始めている。いい兆候だ、と感じながら頷いた。
そろそろと近付きながら、そっと耳打ちした。鼻に、かすかなローズ花の香り。
「あ、この領収書学校名義だ。クラス名義にしてくれないと」
「見逃してくださいっ。・・・ダメ、ですか?」
「・・・ふうん。それで、見逃してもらったのか。美人は罪だな」
いつものベンチに腰掛け、缶コーヒーの空き缶を灰皿にする煌貴は、楽しげではなさそうだ。
「生徒会の辛さを分かれよ・・・」
「歩叶ちゃん、騙されちゃダメだよ。この悪魔はね、生徒会の権限を最大限利用して、自分のクラスを優勝させたんだ」
「優勝のために利用するのはいいことだと思います。越権行為でなければ、ですが」
「そうだろ。第一、冬真も今日、歩叶に超法規的行為を仕込んだだろ」
二対一。くそ、ホントにこの二人、同一じゃないのか?
「今度何か言われたら、俺の名前を使うといい。アイツら、俺に頭上がらないから。妹です、とか言っとけ」
「そうだね。それが一番、効果がある。生徒会を救った朝里煌貴には、先生も一目置いてるから」
「そうなんですか?」
「うん。でも、一番最後に一発やらかしたけど」
「バカ言うな。あの一発で学祭はフィナーレを迎えられたんだ。それに、後夜祭は別じゃん」
煌貴の言い分はまったくもってその通りなので、否定せずに頷いた。
管理委員、朝里煌貴は学校祭の閉会式を終えて、全体の備品をチェックする。貸し出したモノ、ステージで使ったモノ。それらを備品として管理していたのだ。
外では後夜祭が始まっている。朝里煌貴は、電飾や台、スピーカーを設置して即席のライブハウスを作り上げ、準備されていた後夜祭のステージの客全てを引っ張った経験がある。
その一大プロジェクトは計画され尽していて、ガスを引っ張りクラスの友達に夜店をやらせ、電気等は学校のを盗み、盛り上がった熱気そのままに歌って、踊って、文字通りフィーバーさせた。
この話には続きがある。朝里煌貴は稼いだ金で生徒会に多大な献金をした。賄賂のごとき新たな備品と寄付は教師の口封じに成功し、さほどの汚点を履歴書に残さなかった。
彼は反省文だけで、後夜祭をフィーバーさせた罪を払った。
「うわぁ・・・」
「ね?今の生徒会室のテーブルとか、パイプ椅子とか、そういうの、ほとんど全部、煌貴が買ったんだ。だから、先生も頭が上がらないの」
「権利っつーのは利用するもので、悪用になるのは支持を失った時さ。人気がある時は、自然と罪にゃならない」
「歩叶ちゃん、話半分に聞こう。権利というのは自由に指定された行動を行える資格だから。責任を持ってやらなきゃダメだ」
「ふん、頭のカタいヤツめ」
吸殻の詰まった空き缶を投げ捨て、病院の自然を破壊してから、煌貴は退屈そうにひとつ、伸びをしてから立ち上がった。
「歩叶、コーヒー買ってきてくれよ」
「ダメ人間だなぁ」
こんなダメ人間でも歩叶は優しく、小銭を受け取って駆け去って行く。
「アイツ、怪我治ったのか?」
煌貴は新たな煙草に火をつけながら、そんなことを訊いた。
「わからないなら、いいよ。無理してるみたいなら、ここに連れてきてやってくれ」
二人きりになりたかったのかもしれない。今しか出来ない話を、煌貴はしている。
そして冬真も、煌貴に訊きたいことがあった。
「あのさ、聞きたくないかもしれないんだけど」
「家のことか?歩叶を娘みたいに扱って、まるで俺のことなんか覚えちゃいねえよ、ってか」
「え、あ、うん。そうなんだけど、どうして?」
「やっぱ、俺と歩叶は同一人物だからだろ」
事も無げに、煌貴はあっさりと認めた。
「ハイロゥ、バリア、魔眼。同じ魂だから、ここまで稀有なスキルが揃う。歩叶がこっちに来て、俺の怪我も、歩叶の怪我も治った。命が共有している、としか思えない。ただ疑問なのは、どうして二つとも存在しているか、だな。考えられるとすれば、どちらかが死んでいるか、命が半分しか使えていないかだ」
「死んでる、って。嘘でしょ?」
「わからない。例えば、俺たちが鏡面世界に行った時、歩叶はすでに重傷を負っていた。命が削られ、その分の隙間に俺が入り込んだ。だが、俺は100の力、アイツは削られて30だとしても限界は超えてる。そのうちに歩叶の傷は治ってくる。だったら答えは簡単だ。100ある力を削ればいい。天井に突かれて瀕死になれば、命は分割され得る。が、そのまま世界という境界で阻まれれば、分割されたままで傷は治らない」
煌貴の言葉は柚葉とは違っていた。例えなどを使って、分かりやすく説明してくれる。
理解も早い。冬真はすぐに頷いて、理解した。
「でも、その予測だと」
「――――どっちかは死ぬな。傷が完治した瞬間に」
瞬間、タイミングを計ったように煌貴の携帯が鳴った。
「うわっ、なにその騒音」
「自作しようと思ったんだけど、無理だったから適当に押して作った」
狂ったように鳴り響く煌貴の携帯。遠くから誰かの怒鳴り声が聞こえたが、全く無視して電話に出る傍若無人っぷり。
「・・・うん、寒そうだな・・・へぇ・・・で?・・・は?・・・おい・・・」
どんどん元気が無くなっていく。どうやら、旗色が悪いようだ。
「・・・いらん。ちょ、おい。柚葉っ」
発信音だけになった電話を切り、煌貴はうなだれる。どうやら、何か悪いことになったらしい。
訊かずにはいられない。意気消沈した煌貴に何事かと問い詰める。
「あぁ。柚葉が東京で知り合った友達を俺に寄越すらしい。カウンセラーと言うか、こういう事態に慣れた人物ってんだから、変人か研究者かだ」
「ちょっと、君」
病院から帰る途中、歩叶と二人で歩いていると、声をかけられた。
駐車場には誰もいなく、きょろきょろと周りを見渡してみると、さらに声がかかる。
声の主は女性で、真っ赤な軽トラックの窓を半分だけ開けて、顔を覗かせていた。
「ここの病院に朝里煌貴って男が入院してるって聞いたんだけど」
女性はまだ若い。三十には届かないだろう。肌が白くて、外人のような顔立ちをしていた。きっと、男性陣の好みとしては好きか嫌いか、はっきり分かれるタイプだと思う。
「ええ、そうですけど。貴女は?」
「臨床心理士。重傷のクセに煙草は吸う、カフェインは過剰摂取する、医者の言うことを全く聞かずに我がまま放題やってるんでしょ。そういう捻くれたヤツってのは、大抵、心に傷ってのを負ってるのよ、坊や」
「はぁ。でも煌貴は、そういうの、無いと思いますよ」
カウンセラーの女性は、にやりと笑ったかと思うと、窓を閉めようとした。旧型で手で巻くタイプの窓は、ガタがきていてさっぱり上がらない。
「なんなのよ、このポンコツっ。あー、もう。なんだってこんな屋台しか使えないのよっ。アイツ、親族ばっかり贔屓(ヒイキ)して。帰ったら絶対高そうなプリン買わせるわ」
結局、窓を半開きにしたまま、カウンセラーは降りてくる。
「アンタ、どうせアレでしょ。ディバイダー。個人的にはシキみたいな殺人鬼よりアンタの方がいいんだけど」
「何ですか、それ。煌貴の方がモテるし、頭もいいですよ」
何だか、自分はいらないことをペラペラ喋りすぎのようだ。歩叶が隣で、抗議の視線を送ってくる。思わず、口を噤んだ。
「バカね。自覚の有無は基本よ。それより、柚葉ったらその子のことは言ってないじゃない。なに、魔術師でもないし、何者よ。シキにディバイダー、ディセクターと揃えてるなんて、この土地おかしいんじゃないかしら」
文句を連ね、興味が失せたのか礼も言わず、カウンセラーは消えていく。
きっと、あの人が柚葉の言っていた人なのだろう。
やや不安を覚えながら、すっかり日の暮れた駐車場で愛車に向かって歩く。
煌貴の両親にはなんて言おう、とか。変な苦労ばかりが増えていく。
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(パラレル・サーキット・シンドローム/2)
こんこん、とノックの音。
すでに九時近い時刻で、もう面会は許されていない。
許可を言う前に、ドアは開いて侵入者を招き入れた。
煌貴はベッドに寝転がったまま、興味も無さそうに、窓の外を見たままだ。
「あんた、エクソシストだろ。俺は何かに憑かれてるのか?それとも俺自体を祓いに来たのか?」
彼には妙な威圧感があった。百戦錬磨の悪魔祓い(エクソシスター)でも、その異様過ぎる空気に、少しだけ気圧されていた。
緊張した空気のまま、彼女は椅子に座る。彼に殺意など無く、彼女にもまた、敵意は無かった。
「まさか。祓鬼(フッキ)の人間は味方であり、敵にはならないわ」
「そう。なら、いい。何にも触れるな、他人に私物を触らせたくない。それさえ守れば話は聞く」
ベッドの外を見つめたまま、煌貴は呟く。音も光も無い外の世界を、彼はどのような心境で見つめていたのか。
「貴方、死ぬには惜しい人材よ。ちゃんと訓練すれば、世界を背負って立つほどの器に成り得る」
「冗談じゃない。ぞっとするよ、そんな話」
「悪いけど、易々と死なせはしないわよ。こっちはいつだって人材不足なの」
「好きにしろよ。ただ、俺を生かすのは難しいと思う」
死を見つめ、青年にも届かない年齢の少年は達観する。
「どうして?教えてはくれないのかしら」
「別にいいけど。何となく、名前も言わないエクソシストには言いたくない」
それもそうね、なんて優雅に頷いて、彼女は笑って名を名乗った。
「夏川よ。最後の神争の調停人と言えばわかるかしら」
「知らねえよ」
「あら。じゃあ何で異端なの?」
煌貴は静かに語る。推論は正しく、夏川の思考と照らし合わせても、齟齬は無かった。
祓鬼の一族。異端でありながら、異端を祓う者。夜神の血を引く少年を、夏川は半ば呆れながら観察する。
古来より、日本には魑魅魍魎(チミモウリョウ)の類が信じられてきた。鬼、妖怪、分類するのも煩(ワズラ)わしいほどである。
鬼を祓(ハラ)う一族がいる。神の力を借りて戦う者や、陰陽と風水で封じる者がいる。
その中で、誰の力も借りず、ただ己が力のみで対峙する一族がいた。
夜神(ヤガミ)。鬼といった人間外の存在に、正面からでは敵わない。彼らはひたすら、闇に隠れ、夜に動き、月光の照らす血だけを見てきた。暗殺の技術である。
当然、普通の人間ではない。鬼の死体から血を抜き取り、鬼の死体から腕を奪い、鬼の死体から力を得た。
――――故に、夜の神は死の鬼。死鬼(シキ)という名の所以(ユエン)であろう。
「親父の旧姓が矢上だ。矢上と夜神、遠い昔の話だろう」
「そうね。祓鬼なんて、神尾と神邪馬(カミヤマ)、そして夜神しかないもの。いずれも広く波及してしまって、まさか本物に会えるなんてね。神尾の当主には会ったけど」
「夜神は女しか当主になれない。暗殺者には女性の方が何かと優れた点があったんじゃないか。だから息子より娘を望んだ。父も祖父母も」
「息子だったから、貴方の父は家を出て母親と一緒になった。矢上という名を捨てて。へぇ、盲点だったわ」
だからこそ、平紗歩叶の重要性がある。彼女は確かに夜神の人間でもあるのだから。
「どうだ、これじゃ歩叶は殺せないだろ」
「そうね、難しいでしょう。どうなの、貴方は。貴方が死んで、夜神歩叶のパワーがダウンすることはないの?」
「知らねえって。そういうの、詳しくないんだ」
先天的な能力を持ちながら、開花するには至らなかった。鏡面世界で覚醒した力は、朝里煌貴に無知というハンディを課した。
対する平紗歩叶は正反対。幼くして自分の力を知り、自分の使命を知る。
彼女は騎士として、世界を守る。
「どういうこと?」
「簡単な話さ。世界はひとつの進化しか認めないんだ。捨てられた進化は淘汰(トウタ)される。こっちの世界じゃ科学という進化の分岐を選び、世界が認めた。だから他の進化は認めない。なら、神秘という進化が認められれば、世界は科学を淘汰するだろ。平紗、天井の二騎士は、世界に影響を及ぼすモノを排除する。それは幽霊であったり、科学であったりする」
幽霊。魂の残滓(ザンシ)。廻(マワ)る魂は時として異常を起こす。
魂が二世界の間で停滞する。あるいは、残滓が残ったままで再生されない。そういった世界の不具合を消化するのが、騎士である。
「キシの逆はシキか。とんでもない言葉遊びじゃん、それ」
「けれど、不思議よね。循環する世界は両立を許さないのに、貴方たちは違うわ」
煌貴は笑う。夏川は、壮絶なまでの笑みに恐怖さえ覚えた。
「騎士も死鬼も、廻ってなかったのさ。停滞したまま、魂は勝手に異端となった」
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