Mirage

ilya-2

氷彩の合格発表を間近に控えた頃、若狭陽次から連絡が入った。
久し振りに彼と会うことになり、場所は駅前と決まった。
駅前の開発は進んでおり、次々と外国のファーストフード店がオープンしていた。地元の経営者がフランチャイズで受け持っているものだ。
僕らはそれとは別に、煌貴とよく行った喫茶店、「フライ・クーゲル」で待ち合わせた。冬真が到着する頃には、もう若狭陽次はカウンターに座っている。
顔馴染みとも思える厳つい顔のマスターに、キャラメル入りのエスプレッソを注文し、冬真も隣に座った。
マスターは煌貴と馬が合うようで、うんざりするほどコーヒー談義を聞かせてくる。ブラックで飲めねえお子様はキャラメルでも飲んでろ、と口を揃えて言うので、いつの間にか僕の注文は固定されている。
「おー、冬真だっ。久し振りじゃねえか、何してたよっ」
やけにハイな先輩は、素人らしくノーマルなブレンドコーヒーだろう。味の違いなどてんでわからなかったが、マスターはよほどの人物でなければブレンド以外を淹れない。
「教習所に。免許取るんですよ、僕。先輩は就職、決まったんですよね?」
「おうよ。兄貴が好き勝手やって生きてる旅の空だからなあ。せめてオレくらいは、ちゃんと就職しなきゃならんだろう、子としては」
「はぁ。健司さん、まだ帰らないんですか」
若狭陽次は名のごとく、次男坊である。長男の健司さんは何かと伝説に絶えない人で、さすが若狭陽次の兄だと思わせるところがある。
「何でも、『オレにはもうバイクしか見えねえのサ』だとか」
「去年は役者だったじゃないですか・・・」
テンションは高いが、表情は決して明るいものではなかった。来月になれば、陽次はこの街のどこかで働き始めなければならないのだ。
何となく、憂鬱なんだろうな、と冬真は思う。自分も、学校という小さな社会でさえ面倒だと思うし、まして鏡の世界を知った後では、どうにも気持ちが定まらない。
きっと、人間というのは、ああして生きるのが良いんだと思う。
「で、アサリはまだ寝たきりかい」
「ええ。あ、そうだ。柚葉さんが旅に出ましたよ」
鏡の世界との関連性、輪廻転生の理論との融合。柚葉の推論を自分なりにまとめながら、冬真は詳しく陽次に聞かせた。
甘すぎるエスプレッソが空になる。長い話だが、つまらなくはなかった。
「柚葉さんがねぇ。懐かしいな、会いにでも行くかな」
「今は東京だと思います。探すの、無理っぽいですよ」
「いいや。ユズハ様のためなら命懸けで探すしかねえな。よし、オレは東京に行くぞっ」
三月いっぱいまでなら、それもいいかもしれない。
意気揚々と帰っていく姿は、不安や憂鬱さへの裏返しだろう。せめて社会人になる前に、秘密の人に会いに行く。
何となく、大人になりたくないな、と冬真は思った。

「お兄ちゃん、そこ右ね」
危なっかしい手つきでハンドルを切り、入学が決まった見覚えのある学校の制服に身を包んだ氷彩を見覚えのある通学路で送っていく。
「わかってるよ。僕だって通ってたんだ」
「危なっかしいなぁ。だって、お兄ちゃん卒業したのもう一年も前だよ」
そう、気付けばもう二年生になる。氷彩だって高校生で、時間は絶えず、流れていく。
煌貴だけが、まだあの日のまま、時間が止まっている。
「お兄ちゃん、電話」
着信音を鳴らす携帯電話を片手に、少しだけスピードを落とした。学校、県立の礼峰高校まではすぐそこだからだ。
「あ、君塚くんですか?浅川です。頼みたいことがあるんですけどいいですか?・・・あ、ありがとうございます。えっと、今から指定する場所に行って、待っている人物を乗せて、県立礼峰高等学校まで運んでほしいんです。そうです。知ってましたか。では、駅前の喫茶店、フライ・クーゲルというところに。はい。はい。そうです。では、お願いしますね」
何だか強引に電話を切られる。すでに車は校門に到着していて、冬真は氷彩を降ろして、来た道を戻っていく。
運んでほしい、って。モノじゃないんだからさぁ。
それにしても、柚葉にそんな知人がいるとは知らなかった。あの喫茶店を利用するくらいだから、男か変人かのどちらかだ。
喫茶店の前に横付けして、店内を眺める。まだ開店前の店内に、人影は無い。ドアの前、肩を狭め、泣きそうな顔で立っている女の子がいた。
そりゃあ、あの暗めの店の前、誰が来るともわからず、ただ待っているのだ。
「平紗、歩叶さん・・・?」
懐かしい名を呼んでみる。すると、少女は確かに、顔を上げた。
「えと・・・手塚冬真さん?」
「惜しい。君塚、だね。まぁ、冬真ってしか呼ばれないけど。さ、遅刻するから急ごう」
少女は少しだけ、表情を崩して助手席に乗り込んだ。
車は緩やかに発進する。記憶が確かなら、急がなくても間に合う時間で、それほどのスピードは出さず、会話を求めた。
彼女は自分から、事情の説明を始めた。
「私、わからないです。いきなり浅川が若狭陽次とやって来て、若狭陽次をキリアに預け、そのまま私を拉致(ラチ)しました」
「は?いや、そりゃ僕もわかんないけど、陽次センパイも?」
逃げやがった。冬真は何故か、彼をズルイと、羨ましいと感じてしまう。
現実世界を放棄して、夢の世界へ旅立つのだから、それは逃避としか言えない。
仕事が嫌で、社会が嫌で、鏡の世界へ逃げてしまう。
自分も、ひょっとしたら逃げたいのかもしれない。
世界はこんなにもつまらなくて、僕一人が現実に、夢を知ってしまったから。
平紗歩叶は剣を、浅川柚葉は医術を、皆それぞれが仕事を持ち、働いている。変わらない常識もある。変わらない常識は、正反対の社会の上で成立している。僕らはこんな、社会が嫌で、働きたくないわけじゃない。
ただ有意義に、充実した生活を望むだけ。
車は静かに止まった。目の前には、去年までいた母校がある。

山道を走る。
忘れられない場所がある。入り組んだ道を抜けて、視界には昼のトンネルが映っていた。
五ヶ月前。朝里煌貴、君塚冬真、若狭陽次、上山奈美の四人は迷い込んだトンネルで、鏡の世界へ。
今は、一人。割れてしまった手鏡を持っている。
鏡は単体では何も起こせない。映りこむ人がいて、初めて能力を発揮できる。
言わば、媒体だった。あの四人の中の誰かが平紗歩叶の持つサイトを持っていて、増幅された力は媒体である鏡を通して天国へ昇華した。
その誰かは、僕じゃない。
平紗歩叶の「眼」は普通ではない。命を見る色とか言っていた。
他の三人の目は普通だ。眼鏡さえかけていない。
なら、誰が、平紗歩叶と同じだったのか。
「バカ。そんなの、ない」
魂は同一であり、同じ存在が出会うことは有り得ない。
「・・・煌貴は自分に出会わないと言った。柚葉さんは、『君塚さんも、若狭さんも』と言った」
奈美は歩叶に「アマイと繋がった」と告げた。その歩叶は、煌貴に似ていた。

煌貴の右腕が発光したのは何故か。それは、歩叶のハイロゥに似てはいないか。
煌貴がナイフを持っていたのは何故か。それは、歩叶の剣に似ていないか。
煌貴がアマイと戦ったのは何故か。それは、歩叶の務めに似ていないか。

「どうして、戦いなんか」
煌貴はこちら側の人間だ。ナイフを持って人を切るなんて、犯罪者のするソレだ。逆に言えば、あちら側の人間であれば、非常識とはならない。

朝里煌貴とは、誰だ。
平紗歩叶とは、何だ。

同一人物。
だけど、同一じゃない存在。
同じ魂を使って動いているのなら、同じ肉体を使っていなければならない。
どうして、彼らは、あんなにも似ているのだろう。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

(パラレル・サーキット・シンドローム/1)


不意に、目が醒めた。
それは本当に不意で、誰も意識していなかったのだから、誰も気付かなかった。
ベッドから体を起こす。ずきり、と腹が痛んだ。
見ると、体は包帯だらけで、見たことも無い服を着ている。
妙な空気の部屋、清潔感に溢れるその場所は、病院に思えた。
頭は冷静。壁に貼られたカレンダーから今日が四月十日だと知る。最後の記憶は十一月だったから、軽く五ヶ月は眠っていたのか。
ナース・コールを押して、体を横たえた。すぐに、中年の看護婦が入ってきて、同じくすぐに出て行った。

――――その日、朝里煌貴は目を醒ました。

「なんだ、千客万来だな、おい」
駆け込んできた君塚冬真を見ながら、眺めていた部屋のテレビを消す。
「たまには可愛い女の子でも連れて来いっての。お、しかも手ぶらかよ。煙草も無い、コーヒーもマズいんじゃどうしようもねえのに、見舞いのメロンさえ持ってこないたぁ、おまえ、それでも親友か」
罵声にもめげず、冬真は心から安堵した様子で椅子に座った。耐え切れず笑みを漏らしているあたり、自分は相当、心配をかけたと知った。
「ごめんね、煌貴。明日は何か買ってくるよ」
「煙草とジャックのコーヒーだ。テイクアウトしてもらってくれ、親友」
「うん、言ってみる。でも煙草はダメじゃん」
それだけで、挨拶は終わった。親友二人はいつもの表情に戻り、言葉も無く互いの意志を疎通させた。
「よし、聞こう」
ベッドの上で胡坐をかいて、煌貴は冬真と向かい合った。
「十一月、煌貴はアマイという人に殺されかけて、浅川柚葉に連れられて戻ってきた。病院に運ばれたけど意識は無くて、そのままだったんだ。鏡の世界は、煌貴が推測したのと大差ないと思う。柚葉さんは輪廻転生を二つに分けたもの、と言ってたけど。その柚葉さんは旅に出てる。もっと世界を知るためだと思うよ。陽次センパイは就職が決まったんだけど、あっちの世界に逃げてしまった。キリアちゃんと奈美センパイの行方はわからないけど、歩叶さんがこっちに来たよ」
「そっか。平紗歩叶はどこで寝泊りしてるんだ?」
「柚葉さんにもらったお金でホテルに住まわせてるけど、もう限界だよ」
「よっしゃ、なら俺の家を紹介しなさい。君塚くん、君なら親を説得できる」
冬真と両親は顔馴染みだ。主のいない部屋なら、歩叶を住まわせても大丈夫だろう。
「え?」
「柚葉と俺の推論は正しいと思うんだろ。まぁ、歩叶だしな。特別に俺の部屋を許可する」
歩叶が朝里煌貴として生きてくれる。あの家で愛されなかった自分の代わりに、元ある姿に家を変えてくれるだろう。
常々、親は娘が欲しいと言っていた。特に父親は昔から娘が欲しかったらしく、女の子が家を借りるとなれば、喜ばしいことのはずだ。
「高校に行くんだって。入学式は明後日だよ」
柚葉が用意しているのなら、何も心配はいらなかった。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


本当に、平紗歩叶は朝里煌貴の家に住まうことになった。
親友の親はいつもと同じように冬真に笑顔を蒔き、歩叶を受け入れた。
「ここを自分の家だと思うといいよ。同じ家に住むんだから、我が子のようなものだから」
そんな、彼の父親の台詞が印象的だった。
息子がいなくなった喪失感からか、本当に平紗歩叶は愛されていて、滅多に見ない笑顔も見せている。
学校も順調になったらしい。友達も少しずつ増えていき、段々とこの世界の住人になっていく。
「そらそうだ。こっちに来て一ヶ月。魂は世界に合うよう形を変えてるんだろ」
病院の外に抜け出して、ベンチに座って煙草を吹かす煌貴が言う。病状は安定していて、もう外にも出歩ける。年齢的にはまだ十九歳の彼だが、誰も咎める者はいない。
「早く退院してよ、煌貴。三年生になれなくなるよ」
「ふ、愚問だな」
遠くを見て呟く煌貴には、秘策があるらしい。大方、出席だけで単位を与える授業をリストアップして、友達の誰かに出席を託したのだろう。
「でもね、必修はどうするのさ。テスト、出れないだろ」
「冬真、友達っていいものだよなぁ」
「・・・あのさ、物理的に煌貴の言うことは不可能だと思うんだけど」
短期大学部だった陽次とは違い、煌貴も冬真も、四年制、同じ学部学科に在籍している。どう考えても、同じテストを二つこなすのは不可能だ。
「だから、おまえはテストを捨てるんだって。俺、レポートやる。オマエ、テストやる」
「ウソだね。煌貴、自分の分しかしないじゃん」
「ホント。ニッポンジン、マジ嘘つかない」
紙コップに入ったフライ・クーゲルのブルーマウンテン・ブレンドを口にする煌貴を見る。お得意様にしか出さないという伝説のコーヒーで、貴重な代物である。冬真はまだ一度も飲んだことがない。
「なんだよ。砂糖入りのお子様には勿体無いだろ」
「そんなに美味しいの、ソレ」
ば、バカな、と煌貴は絶句した。
「貴様、ブルーマウンテンを知らないのか。ジャマイカの高山地区でしか栽培されない超がつくほど貴重な豆で、政府が認可したものしかブルーマウンテンと言われない。貴重すぎて純粋なブルーマウンテンというのは存在せず、高山で採取された豆を一定量含んだものが政府に認可され、木樽で出荷される。木樽のコーヒー豆はブルーマウンテンしかないんだ。市場では、このブルーマウンテンを1パーセントでも含んでいればブルーマウンテン・ブレンドと言ってしまう。それだけで値段を吊り上げるんだからな、詐欺だ誇大広告だ。あの喫茶店のマスター・ジャックはプロさ。80パーセント以上のブルーマウンテンをブレンドさせて、ドリップしてくれる。欲しいって言ったって、俺んだからな、飲ませないぞ」
長々とコーヒー談義を受けて、うんざりする。対する煌貴は恍惚とした表情で、ちびちびと紙コップを傾けた。
「煌貴、その貴重なコーヒー、一杯で幾らするか知ってる?」
「聞きたくないぜ。見舞い品に金払うつもりもねえぜ」
一杯で1000円近くするコーヒーを飲んで払わないという煌貴こそ、詐欺師だと思う。
Copyright 2005 STELA All rights reserved.

-Powered by HTML DWARF-