Mirage

ilya-1

2002年の元旦を、僕は実家で迎えていた。
大学に入学してから初めての冬休みは、冬真にとって長く感じられた。
冬季休業だけではなく、学校そのもの、日常が退屈で、毎日が長い。
異変を知ってから二ヶ月。共有された約束は、まるで子供時代の秘密基地のように、いつでも行きたい場所になっていた。
「お兄ちゃん、お客さん」
三が日を寝正月で過ごした後、妹の氷彩が部屋に入ってくる。
「すんごい綺麗なお客さんよ。誰、彼女?」
「え、知らないよ。誰?」
二人して誰、と首を捻っていても仕方が無い。冬真が部屋の外に出ようとすると、客は意外にも、すぐそこまで来ていた。
ブロンドに近い長い髪、全身を黒で統一した自分よりもスラリと背が高い女性は、氷彩の言うとおり、極上の美人だった。
「柚葉さんっ」
「はい。あけましておめでとうございます、君塚さん。今日はお正月なので来てみちゃいました。お邪魔じゃなかったですか?」
「いえ、ぜんっぜん」
浅川柚葉は、若狭陽次と同じく、秘密の話を出来る相手だった。もう一人、親友の朝里煌貴は未だに入院中で、意識さえ戻っていない。
氷彩を部屋から追い出し、柚葉を招き入れる。去り際、氷彩が念を押すように睨んでから、出て行った。氷彩は受験シーズン真っ只中で、余裕だと宣告されたのにも関わらず受験勉強を必死でしている。
静かにお願いします、と柚葉に頼んでから、座布団を二枚置いた。

ずっと、こんな話題に飢えていた。
柚葉はまず、二つの世界の仮説から発表し始めた。三ヶ月前の冬真なら一笑に付すものだが、真実を知る今では熱心に耳を傾ける。
「二ヶ月、こちらで生活して、わたしは朝里さんの仮説が正しいものだと思いました。全てが逆の、鏡の世界。わたしから見ればこちらが鏡で、君塚さんから見ればまたその逆なのでしょう。当然、例外もあります。最低限度の常識は共有されていました。例えば、物を食べて人間は大きくなる、という常識は、正反対の食わざれば育つ、ということにはなりませんね。つまり、人間の住む世界として、両方とも正しいものであるのでしょう。ここからはわたしの推測です。両方共が正しい、とすれば、両方とも『死後の世界』となります。もう一方の世界への認知は確かにしているのですから。天国が二つ、では困りますね。けれど、確かに両方とも天国なのです」
「うーん。こちらで死んだ人が向こうに行き、あちらで死ねばこっちに来る、ってことですか」
「そうです。わたしがここにいる。しかし、『浅川柚葉』なる人物がいたという証拠はこちらにはありません。仏教、というものがこちらにはあるそうですが、輪廻転生という言葉をご存知ですか?」
仏教用語における輪廻転生は、人の死は肉体の死であって、魂が死ぬわけではない。魂は廻って、どこか他の時代にて蘇るという考え方だ。前世や来世、というのはこの生まれ変わりを指す言葉で、魂は常に死なず、何らかの形で世界に具現する。
「輪廻転生の考え方では、命は世界において一定数が確保され、補充も欠損もないと思われます。この輪廻転生を、二つの世界に置き換えて考えてみてください。こちらで死んだ人間の魂は昇華し、鏡面世界で再生される。勿論、顔も体も性格も記憶も違います。そして鏡面世界で死ねば、またこちらに別の形で戻ってくる」
確かに、その考え方なら、双方が天国であるという設定でも無理が無いような気がした。
「そっか。だからあの時、煌貴は」
どうして「自分」がいないのか、と訊ねた。冬真に意味は理解出来なかったが、今なら説明できる。
「それは、興味深いお話です、君塚さん。朝里さんは自分がいないと仰った。朝里さんの仮説では、ただ逆、というのですね。ですが、自分がいないのは当然で、まだ元の世界に生きているからです。君塚さんも、若狭さんも、『自分』という存在には出会わなかった。しかし、性格は変わるようです。それこそ、朝里さんの言う『逆』に」
煌貴がお茶を欲しがったり、どこか冷たくなった。冬真が説明をしなくなった、陽次が真剣に悩み、笑わなかった。奈美の豹変ぶり。全て偶然で片付けられる事項だが、柚葉と煌貴の仮説の前では、理論的に解明した方がいいと思えた。
「話は変わりますが、旅に出ます」
ようやく思考が追いついたところに、飛び抜けた一撃が加えられた。理論的だった冬真の頭に、再び混乱のステータスが書き込まれる。
「えっ、どういうことですかっ?」
「二ヶ月、生活をしました。アルバイトというのをやりました。それで、何とか生きていけるとわかりました。双方の世界にはそれぞれ、主体となる文明の利器があります。それは正反対ですが、鏡面世界にも科学はあるのです。石炭を使い、強い火力で製鉄する技術などがそうです。なら、こちらにも『スキル』に相当するものがあると思いませんか?」
「・・・そう、ですね。低レベルかもしれませんが、昔の神話とか、宗教とかでは『魔法』なんてものがあります」
「科学も魔法も、人間の力です。やってやれないことはありません。ということで、わたしはそれを探してみたいんです。あ、はいこれお年玉です」
す、と黒いジャケットから魔法のように封筒を差し出す。「御霊前」と書かれているのはお茶目として受け取っておこう。
「この袋、探すの難しかったんじゃないですか?」
どうして「御仏前」ではないのだろう、と何となく気になった。
だって、御霊前というのは葬式の時だけしか使わないじゃないか。

ちなみに、黒い注連縄風のイラストの中は、十枚の一万円札だった。

一週間後、冬真は駅まで柚葉を見送りに行っていた。
柚葉は大きめのスーツケースみたいなものを手に、東京行きの電車を待っていた。
「もし旅先でわからないことや、困ったことがあったら、いつでも電話してください」
携帯電話の番号を書き込んだメモを手渡し、この前のお年玉のお礼を言った。
「柚葉さんはまだこっちの常識に慣れてないから、遠慮せずに電話してくださいよ。あ、これは煌貴の番号です。意識が戻ってたら、彼の方が力になれそうな気がしますから。それに病院でヒマ、持て余してますよ、きっと」
「そんなことはありませんよ、君塚さん。確かに朝里さんは物事を見抜く洞察と直感に秀でていますが、君塚さんはそれを理解する能力があると思います」
本当は、こうして慰めて欲しかったのかもしれない。いつも一歩先に行く朝里煌貴に、自分は負けていないと。
土俵が違えば、比べられない。きっと、柚葉はそんなことを言いたかったのかもしれない。
「その朝里さんですが、もうすぐ意識は回復すると思います」
煌貴の傷は思っていたより酷く、特に腹部への一撃は致命的だった。病院へ担ぎ込んだ時は本当に重体で、今でも毎日が生死の峠だ。
医師である柚葉でも、難しかった。最も、柚葉は切除を得意とする医師で、外傷のような創傷を縫合するのはこちら側の医師の務めだろう。
「必ず戻りますよ。どうかそれまで、ご健勝でいてください」
「はい。柚葉さんも、怪我とかには注意してください。何度も言いますが、困ったことがあったら電話、お願いします」
ええ、とたおやかに微笑んで、浅川柚葉という一つの秘密は去っていく。
冬真は手にした十万を加えて、自動車の免許でも取ろうと思った。
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