氷彩、夏海と連絡をし終えて、まるで戒厳令だなと苦笑した。
状況はかつて無いほどに悪い。矢上彩は一人で島へと向かって、椎名渚も途中までしか同道しない。柚葉も冬真も、敵に対するには役不足と見做(ミナ)された。
矢上彩は天使だ。世界が産み落とした対人類の兵器。故に負けるはずが無く、彩の敗北は即ち世界の負けとなる。
ただ、もし敵が、「妖精」という同じ存在なら。
「条件は互角だ。すると、勝負は互いの相性と能力による」
夜の七時には掃除が完了した。四階は無くなって、三階に吸収された。三階は今までと同じ、診療室とベッドが置かれた病室などで、階段を二つ、エスカレーターが設置された。
四階には吹き抜けで、幾つかの部屋が置かれた。ガラス張りの大部屋でカウンセリング・ルーム、事務所などが四階になる。
その四階の一室で、柚葉と二人で向かい合っていた。
「夜神色は接近戦・遠距離戦の両方に長けている。万能型の戦闘力だ。まず、負けることはない。が、能力差が桁違いだ。遠距離戦のエキスパートが相手なら、万能ではなくどちらかに特化していなければ勝機は無い。飛び道具を避けて突進するか、あるいは遠距離戦に活路を見出すか。夜神色は、そのどちらも出来ず、中途半端に終わる」
「ちょっと待ってください。彩には、赤光の魔眼があるじゃないですかっ」
「空気を焼却出来るか?妖精を焼却することは、不可能だ。逆に相手はイグナイトを使える。空気だろうと熱する魔法だ。金紗の魔眼も、互いに魅了し合えば無駄に終わる。時間さえも操る大魔術師を相手に、夜神色は蒼穹の魔眼とハイロゥで対処しなければならない。一撃が足りないのだ。元々、暗殺者の家系である彼女は、防御など考えてはいない。必殺の攻撃があれば、鬼の攻撃など無意味だからだ」
ああ、そうだ。だからいつも、彼女は傷ついていた。身も心も、いつも襤褸(ランル)のごとく、孤独な戦いに投じている。
「・・・僕じゃ、役不足なんですよね」
「まぁ、端的に言えば。妖精相手に銀銃は通用しないし、アンプテイトで切断できるとしても近寄れない。唯一の武器がディバイダーだが、それもどう使えばいいのかわからん困ったものだ。かと言って身体的能力が優れているわけでもない。100メートルを五秒で駆け抜ける脚力もなければ、コンクリートを破壊する腕力も無い。それでも行くと言うなら、せめてコレを持って行け」
投げようとする柚葉に手を伸ばす。いつも物を投げようとするのは、この人の悪い癖だと思う。
近くにいるのだから、手渡せばいいものを。すると柚葉は、困ったような表情で渋々、手渡してくれた。
青、いや、紫に近い宝石。水晶のように煌くそれは、綺麗に飾られた指輪だった。
「アメジストだ。本来は送信機として霊線を強めるものらしいが、何の因果かわたしに回ってきた。気休め程度だが、紙の防御よりマシだろう」
紫水晶。宝石にはいつもなんらかの力が働いている。人を惹きつけてやまないその魅力。神秘性とも言えるような力。紫水晶は、二月の誕生石で、確か癒しの効果を持つ。
「馬鹿者。それはトルマリンだ。マイナスイオンを発生させる装置だろうが。アメジストは対誘惑性だよ」
酔わない、酔わせない。誘惑に負けない力を得られる宝石。
名の由来にある。ギリシャ神話のアメシストから来るその宝石は、確かに美しく、力強く輝いている。
「妖姫。これは主に幻惑や魅了を得意とする魔女の呼称だ。彩には通用しないだろうが、冬真なら容易く通じそうだ」
「失礼な。これでも僕は、一筋な純情を持ってますよ」
他の女がどれほど綺麗でも、神がかった美人の彩に敵うもんか。浮気も不倫も有り得ない。
見事にへこんだ愛車を前に、いつも通り見送ってくれた柚葉に感謝しつつ、君塚冬真は決死の覚悟を決めていた。
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(氷夏/5)
青い花が咲き乱れる島。
夜神色は静かに古刀、三日月宗近を抜いた。月はまだ浅い位置。夕闇とは正反対の位置で、ゆっくりと夜を侵食していく。
三日月三条宗近。刀身は二尺六寸とやや長め。反りは高く細身。元幅が広く、先幅が狭い美麗な刀身が月光を帰す。
だが、この刀の最たる特徴は、「三日月」の異名を持つ刃文にある。二重、三重の刃文となり、複雑な小乱。そして、打のけと呼ばれる手法で、三日月形の刃文が幾つか散らばっている。
平安時代の刀匠、三条宗近が天下護持のために伏見稲荷の加護を受けて打った名刀。それはまさしく、「神剣」であろう。
三日月を手に、夜神色は迫る。影すらない月光の翳り。やがて具現する、集束の光を見つめ、小さく召喚の声を上げた。
「わざわざ貴様の土地まで来てやったんだ。姿くらい見せろ、モルガン・ル・フェイ」
鬼火の正体。ウィル=オ=ウィスプとなった、騎士王の義妹を呼び捨てにし、現世の鬼は妖姫と対峙した。
「あら、随分と乱暴な言葉遣いをなさる姫君だこと」
「余計な世話だ。生憎、煌貴(オレ)は女じゃないもんで」
秀麗な振る舞いで、三日月を背負う。右肩をとんとん、と叩く姿は、どこか威風を帯びた侍のようですらある。
「東洋のサムライですか。なんとまぁ、野蛮な」
「騎士っつってもそう変わらんだろ。ま、ナイトは守るのが仕事だが、武士ってのは殺すのが仕事だ。騎士道だか何だか知らないが、下手なコトしてると俺の武士道に殺されるぜ?」
冷笑を浮かべつつ挑発をする色を、心の底から笑って妖姫は迎え撃った。
「ふふ、本当に貴方、面白いわ。いいでしょう、ヤガミシキ。遠慮せずに殺して御覧なさい」
口を笑みに歪めたまま、まるで求愛するように、妖姫は右手を前に差し伸べた。
――――ふん、と鼻を鳴らしたが刹那、一本の右腕が月光を遮った。
妖姫、モルガンは戸惑った。
あれほどの速度、そして鋭さ。よもや人間、それも伝説に残るような騎士でもない人間に右腕を飛ばされるとは思いもしない。
笑みは凍り、やがて憎悪に姿を変えた。
造作も無く右腕を飛ばされた。何の魔法でもなく、何の奇跡でもなく、斬り捨てる。あれほどの一撃は、長く久しく、見ていない。
油断は二度と無い。全力を持って、あの男を殺す。
「Restriction. She is infected. Then, it can't move any more.」
それは呪いの言霊。対象を空間に縛り付けるような呪詛を紡ぎ、妖姫は魔術を行使した。
一気に距離を開き、さらに追撃を加える。幻惑の魔法。すでに強制に近いほどの魅了を行い、あの男を虜にする――――
「は。ブリテンを荒らし回った稀代の魔女なぞ、こんなものか」
弾けるような音が、聞こえた。
鬼。口元を歪め、まるで笑うように、敵は呪術を焼却させる。
そして、猛進。神速のごとき突撃は、過去の如何なる英雄にも無かったものだ。知らない。こんな、速さを持つ人間など。
何の行使もない。魔法も呪術もあるいは祈祷さえせず、敵は一瞥をくれるだけで全てを踏破した。
一足。飛び込むように色は目の前に忽然と現れる。魔法といえば、その速さが魔法だった。
光。目を覆う光が、眼前を照らす。いつか見た、異母兄の光と、よく似ていた。
「――――認める、ものか」
烈風に似た衝撃。光が敵なら、自分は闇だ。生涯、表に出ることが許されぬ陰の存在。栄光と声望を一身に集めた、兄とは違うのだ。
憎悪こそ愉悦。罵倒こそ賞賛。全ての者が、妖姫、魔女と貶めるがいい。
例え影であろうとも。兄(アーサー)とは対称のこの力、優劣の違いなぞあるわけがない――――
幻の火。鬼火。イグニス・ファトゥス。ウィル=オ=ウィスプ。フライアー・ラッシュ。ジャック=オー=ランタン。呼び名は様々とあれど、共通する項目はただ一つ。
命を騙し、誘惑し、死へと誘う光。故に、その能力は「強制的かつ絶対なる牽引」にある。
なれば、その逆もまた然り。牽引が可能なら、斥力もまた働く。
灼熱の炎が高速で迫る。避けることも弾くことも出来ないまま、色はしかし、回避不能の一撃を回避した。
強制力を打ち破るのは、ハイロゥの力だろう。不可能を可能にする力。モルガンから発せられる炎を紙一重で回避して、色は目を疑った。
無数の火。それは数え切れるものではなく、おそらく、絶望という数が相応しい。
妖姫、モルガン・ル・フェイ。モリガン、ダム・ド・ラック、ニニアンなどの名を持つケルト神話の妖精。その能力はまさしく魔女であり、あらゆる魔法に通じ、数々の英雄を魅了した。
ケルト神話に通じる彼女は、戦いの女神とも評される。魔法と武芸。争いにおいて絶大な力を発揮する魔女は、現代では辿り着けない、神代の魔術師。
故に、最強。回避不能なら、回避する場所までを消す。不可能を可能にするのは、ハイロゥだけではない。
ここに来て、勝敗は明らかとなった。
神がかった直感と回避能力で、次々と色は炎を避ける。しかし、それも束の間。右足を掠める炎が色を襲った。直後、顔面を襲う炎。氷のような、冷たい意志の灯。
「――――詰み、よ。その冷えた頭、じっくり温めなさい」
明らかとなった勝敗の中、妖姫は勝利を確信した。
明らかとなった勝敗の中、色は勝利を手繰り寄せた。
微笑するモルガンは、二度目の失態を犯すこととなる。呪術による重圧、魅了による強制力、そして鬼火の網。足を削られては、素早い兎でも罠にかかるのは自明である。
「青赤の魂、空に還れ」
青の光。今まで、この場所に存在しなかった光を、妖姫は見た。
体勢を崩し、地面に倒れた色。何という幸運だ。転んだおかげで、鬼火の網を掻い潜れたと言うのか。
定められた運命さえ変えるのは、他ならぬ運に過ぎない。だが、その運を引き寄せるのだとすれば。
アーク・エンジェル。最高位階天使の名を冠する敵は、世界という最強の背景に守護されている。
刀。彼女自身、一度たりとも見たことの無い剣が、振るわれた。
「そう。ならば貴方は、私の僕となりなさい」
切り裂く剣。服もろとも肉体を剥いだ剣を見捨て、ただ夜神色だけをモルガンは見た。
魅了。ただ唯一、男性にのみ通じる最高の技術がある。裸体となった妖姫を前に、色はその行動を停止させた。
「驚かさないでほしいものだわ。ほら、そんな物騒なツルギ、もう仕舞いなさい」
かちり、と鍔が鳴る。驚くほど端整な顔立ちをした敵は、彼女好みの男だろう。
微笑は妖艶に、いつしかその横顔に見惚れていた。
「美しいヒト。傷つけるのも、触れるのも勿体無いわ。そうね、このまま理想郷へ持ち帰りましょうか」
まるで氷の彫刻を眺めるように、モルガンは動かない色を眺める。
不意に、官能の時間が終わった。無粋なまでの横槍に、眉を寄せてモルガンは振り向く。
銃を手にした、黒髪の男。迫力も威厳もない男は、震える手でスライドを引いた。
「彩に、触るな」
「・・・それは、どうしてかしら?」
「え、っと。彩は触られたらどうしようもなく怒るんだ。きっと、お姉さんも酷い目に遭うよ」
途方も無く見当違いな発言をする彼を、思わず笑いで返した。ああ、本当に面白い。
「って、そうじゃなくて。悪いけど、彩はテイクアウトさせないからな」
「そう。それは、残念ねぇ」
ついでだ。この男も、連れて行こう。一瞬、凝視すると青年はのこのこと近寄ってくる。
目前まで迫って、モルガンは深く息を吐いた。本当に、残念だ。
「騙されると思って?」
緊張が伝わる。今度は、本気で呪いに近い魅惑を――――
「こっちも本当に悪いけど、僕は彩以外は見えないんだ」
正面から見据えて、彼は不思議と、そんなことを言った。
「だったら、死になさい」
残った左手を水平に、刃へと変えて青年へと放つ。このヤガミシキさえいれば、他に何もいらないのだ。
「Restriction. She is infected. Then, it can't move any more.」
言霊に意識は支配される。
思考が止まり、この男の言葉しか聞こえない。
ヤガミ、シキ。ああ、そう。私は、知らずこの男に「魅了」されていたのだろう――――
剣が伸びる。三日月のように美しく、流麗な刀身は、本当によく、似合っていた。
どうか、死しても彼の隣にいられますよう。
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右目を押さえるいつもの仕草をしながら、彩は比較的無傷で立っていた。
冬真自身に怪我は無い。お守りのおかげで、魅了にも何とか耐えられた。
モルガンは姿を消し、二人は竜胆の咲き誇る島で向かい合っていた。
「その、彩。大丈夫?」
「くそ、あの女。魔眼に憑きやがった。私は女だってのに」
「久し振りに煌貴みたいに喋るからだよ。で、どうなの?」
「あァ?使い魔みてえなもんだろ。ま、魔眼のパワーアップくらいにゃなりそうだけど」
彩の姿に変化は無い。目も、いつもと変わった様子はなかった。
月光を背に、僕らは島を後にする。船着場には、バンパーがへこんだ愛車が待っていてくれた。
見ると気持ちまでへこんでしまう。ローンだって残っているのに、赤字財政でどうやって修理すればいいのか。仕事用みたいにこき使われているのだから、ちょっとくらい経費で賄ってくれてもいいと思う。
「災難ね」
彩の無機質な慰めも聞こえない。気持ち、ボンネットから白煙を上げているような気さえする。
「仕方ない。ほら、おいで」
隣に駐輪している大型バイク。ジャックさんの所有物を、まだ彩は乗り続けているらしい。
動く気配ではない車を放置して、二人乗りをする。ヘルメットもナンバーさえも無いバイク。これでよく、捕まらないものだ。おまけに朝里煌貴と違い、矢上彩は無免許だ。
シングルシートに、強引に二人乗りをする。1200ccだから、捕まることは無いだろう。
自然と、ぎこちないままに密着した。華奢なウエストに手を回しても、彩は何も言わなかった。
「怒らない、んですね」
「そりゃ仕方ないもの。これで両手はバンザイしてなさいって言ったら、それこそ特攻(バンザイ・アタック)」
神風を起こす気にもなれず、そのまま風を切ってバイクは走り出す。
「彩って、意外と柔らかい」
「何、煌貴(オレ)の体を思い出してたのか?一応、女の子なんだから筋肉は少ねえぞ。っつーか修学旅行で一緒に風呂入っただろ」
懐かしい話を思い出させる。一緒に入ったのは煌貴だ、と反論すると、珍しく彩が笑った。
「たまには、こういうのもいいって思ってる。ちょっと無理してるけど、やっぱ男同士っていいもんだなぁ、と」
「そういう言い草、煌貴ソックリだから」
笑い声が夜に響く。笑顔は見られなかったけど、笑い方はいつかの親友によく似ていた。
「んじゃ、一つオマエにプレゼントをやろう」
「え、なに?」
「今日は冬真に助けられたからな。オマエの願い、一個だけ叶えてやるよ」
願いなんて、願うほどある。思えば思うほど、願いは見つかる。
けれど、夏の終わりに願うなら、きっとひとつしか見つからない――――