冬真に呼ばれたのは、朝の十時というところだった。
着の身着のままで出かけて、バイクに乗る。どこどこと排気音を撒き散らしながら診療所の駐車場に乗り付けた。
「あのバイク、すんごい排気量じゃない?ここからでも聞こえたよ」
椎名渚という女性は、ベッドの上でまだ目を閉ざしたままだった。キリアも交え、四人でベッドを取り囲む。
「ジャックのだ、私のじゃない。幸い、運転は出来る」
目を凝らしてベッドを見る。椎名渚は水色。重なって、赤が見える。
「さて、冬真が椎名渚を誤射した理由だが。彩からウィル=オ=ウィスプのことは聞いている。海岸や周辺に鬼火が出る。炎というよりは単なる光で、冬真を襲ったのは炎と考えるべきだろう。誘うと称するには、攻撃的過ぎる。あれはキリアの言うとおり、イグナイトだ。ウィル=オ=ウィスプが生み出した炎に過ぎん。では、なぜ海岸の鬼火は違うか。それは、本体が生んだ幻影だからだ。コピーと言おうか。アレは、椎名渚が生み出した鬼火だ。椎名渚の夫が死んだそうだな。おそらくはソレだと思うが」
「違う。コイツはそんな優しいモノじゃないわ。誘惑もすでに魅了に近いものだった。呪いに匹敵する巫術士、呪術師、魔術師の類。妻を愛する夫が成仏できないんじゃなくて、夫を愛して塞ぎ込む女が同調し、憑いたモノ」
「ふむ。どちらにしろ、引き剥がすべきか。ウィル=オ=ウィスプなどと厄介なモノに変わりはない。彩、お前さんの魔眼でも駄目だろう。なら、境界を引くしかない」
魔眼で赤色の魂を凝視する。炎のような塊を見極め、そっと冬真の手を掴んだ。
喉元、下って左胸。さらに弧を描くようにして臍、鳩尾と指を這わせる。冬真の手が緊張で強張っているのがわかったが、無視して最後、右胸を触れさせる。
瞬間、眼球を破壊する閃光が走った。
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(氷夏/3)
目を、ゆっくりと、静かに開いた。
白い部屋。覗き込むのは、いつか見た医者の顔だった。
痛む腹部も、微熱さえ感じられない。完治してしまったように、私の体は生きていた。
それが、痛い。
胸を焦がす辛い想いは、どこかに消えていたのだから。
「彩、大丈夫?」
右に立つ女性は、両目を強く押さえていた。私は、状況が分からず、ただじっとしていた。
「心配いらない。早く、彼女を」
君塚冬真と目が合う。彼は、優しく微笑んで肩を貸してくれた。
すんなりと、私は立ち上がる。胸を締め付ける想いが消えて、私はまるで、空っぽのように。
「何を、したんですか?」
「除霊のようなものだ。どうだ、気分はすこぶる良いはずだが」
黒い服の上に白衣を着た女性が満足そうに言う。それが、癪に障る。
「そうですよ、渚さん。もう大丈夫だと思います」
優しい笑顔が、嫌だ。腹の立つことしか、ここにはない。
全てが消えてしまえばいい。そう、私さえも。
だって、この胸の痛みが無い。それは、忘れてしまったことと同じ。
全て消え去ればいい。燃えて、焦がれて、夏に殉じればいい――――
「私から、出て行け―――」
女性が目を開いた。赤く、燃えるような視線。それを振り切って、カーテンの向こうへと逃げる。
燃えろ。焼かれろ。焦がれ焦がれたこの想い。私は、いっそ心中しよう。
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医院を炎が取り囲む。イグナイト。焼却とは違う、触れれば焦げて、燃え尽きる最高温度の灼熱の弾。
五つ、六つ。宙を舞い、空を飛ぶ炎を避けて、地面に伏せる。
「鬼火の残滓か。彩、どうにかしろ」
「魔眼が死んだままだ。あの女、よりによって私に憑こうとしたのよ」
ウィル=オ=ウィスプは何処かヘ消え、ひとまず敵は椎名渚だけだ。三日月宗近を抜くも、視界は未だ焼かれたままだった。
「上に逃げたぞ」
「上って、柚葉さん。なんで吹き抜けになっちゃってるんですか、ここっ」
「改築したんだ。後で説明する。冬真は銃で鬼火を消せ、突破さえ出来れば、後は私と彩で何とかする」
そう、突破して、椎名渚に到達できれば、殺すことは容易い。
この炎の罠から抜け出せればいいのだ。冬真は頷き、すぐさま銃撃を開始した。
柚葉が私の手を取る。立ち上がり、走り出す。柚葉は、驚くべきことに、ハサミで炎を分断していった。
階段上の敵を冬真が一掃し、一気に部屋へ。灼熱の部屋で、何とかその温度に耐えた。
知っている。彼女の空虚を、彼女の願望を、彼女の悲哀を。
「人は死ぬ。それは、絶対よ」
手を離し、一歩、前に出た。
炎が迫る。触れれば、即座に蒸発する炎。それを、見えぬ双眸で睨み付けた。
「だから。いつか、必ず愛する人も消える」
停滞する炎を越え、さらに一歩。
「胸には大きな穴が空く。体は動くことをやめ、頭は考えることをやめ、目は見ることをやめる」
炎を恐怖で凍らせて、近付く。邪魔などさせない。私の命は、炎で焦げるほど熱くない。
「そんなに悲しいなら死ねば良かったのよ、貴女。おとなしく殺されれば良かった」
そうして、辿り着いた。慰めてもらえると期待をかける未亡人の前に、恐怖と絶望を連れて。
「痛みは繰り返さないためにある。未来に生きるが故に、胸が痛むの」
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(氷夏/4)
少女は、ただ悲しかった。
怖さも何も無い。ただ、悲しさだけがあった。
だから、少女は自分よりも辛い過去があるのだと思う。けれど、誰よりも強いのだとも思う。
言葉は胸に響き、痛んだ。未来に過去を繰り返さないための、痛みを。
青い眼の少女。その目は、きっと誰よりも悲しい。
「私には、家があります。誰よりも立派な、誰もが喜んでくれる家が」
家は人に幸せを呉れるもの。だから、その幸せを他の人にも分け与えようと思った。
いつか願った幸せのカタチ。それは遠く、消え去ったのではない。
いつか叶う、幸せのカタチ。
「うわ、酷いな、コレ」
診療所らしき場所は、台風に直撃したみたいになっていた。瓦礫のようなモノを椅子にして、それぞれが適当な場所に座る。
「六月のことです。私はそれまで、脱力感と倦怠感で一杯でした。しかし、急に何かをすべきだと焦燥感に駆られたんです。それで仕事をしようと思ったんですが、体は言うことを聞かず、倒れてしまうようになりました」
事情を説明すべきだと思った。浅川と名乗る女医と、君塚冬真は真剣な表情で聞き入っている。
「それは、正しい。ウィル=オ=ウィスプも貴女と同じだと聞いた。ならば、幸せになろうと思うのは当然で、仕事をするという情熱に駆られるのもわかる。針鼠と一緒だ。好き合った針鼠が近付こうとしても、互いの針で自分たちを突き刺してしまう。好きになればなるほど、傷つく。いくらウィル=オ=ウィスプが貴女を幸せにしようとも、結局は悪霊の類だ。不幸にするしか出来ない」
「そんな心理学的な見地を聞きたいワケじゃない。教えろ、近くに島のようなものはあったか?」
矢上、という女性がせっつくように答えを待った。尋常ならざる口調に、思わず答えてしまう。
「え、ええ。竜胆の咲く島が」
「間違いない。ソレだ」
「ちょっと待て。彩、ウィル=オ=ウィスプは海辺ではないのか?」
「アイツは特別。林檎の島へと誘う森湖の妖姫よ。聖権を追ってここまで来たのでしょう」
君塚冬真と浅川の表情が変わるのがわかった。驚き、というか、もっと最悪の状況のようだ。
「ええっ、聖権って、あの?」
「すぐにスロウに連絡するぞ。アレはわたしたちでは対処できるモノではない」
「冗談。あんな厄介なモノ、放置しておく選択はねえだろ。船を用意しておけ、すぐにねじ伏せて逆に洞穴にでも放り込んでやる」
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