一週間が過ぎる。
確かに人は集まったが、それもすでに閑散となった。
予約が途切れて、再び人のいない宿で、冬真は頭を抱えて待っていた。
彩が来ない。彼女が来たからどうなるといったものでもないが、少なくともステロイド薬が届くまで、待つという口実は出来る。
しかし、一週間の休みも今日で終わる。悔しいが、一応、連絡はしなければなるまい。
飽きもせず、ビーチに出かける三人組を見送ってから、冬真は携帯電話を取り出した。
「あ、柚葉さん。もうちょい休みます」
「藪から棒に、何だ。これ以上の休みは認めないぞ。ステロイド薬も彩に持たせてある」
薬が届かない口実さえ否定され、思わず本音を語っていた。人間の賑わいを失ったリゾート地。それは余りにも寂しすぎて、どうにかしたいと思うことを。
「冬真。それは、お前さんの勝ちだ」
「はい?」
「違和感があったのだろう?それは寂れたせいではないさ。解決すべき問題は、別にある。そうだな、『ヒトダマ』をキーワードに探ってみろ。じゃあな、切るぞ」
空しい発信音しか流れない電話を切って、再び頭を抱えた。
ヒトダマといえば、夏の定番だ。墓場とか、海辺とかに現れるお化けの類で、青白い炎というのがイメージとして定着している。
海辺、人魂。もし、この浜に人魂が現れるなら、きっとそれが原因になる。
「あ、土井さん。ちょっといいです?」
最後の客を送り出した土井さんを捕まえて、話を聞く。
「ええ、確かに。有名な心霊スポットみたいに言われていた時期もあります。君塚さんが仰るように、新浜のビーチに夜な夜なヒトダマが現れる、とか。それに、君塚さんが通ってきた高速道路は先日、事故がありましたし、国道の方もしょっちゅう事故が起こります」
幽霊、民族学の五割は嘘で、三割は脚色だろう。残った二割の中には、大本の根拠がある。
知れば知る。いつか感じたレンの言葉を思い出し、二割の根拠を探すことにした。
夜の海は、どこか怖い。漆黒の闇に引き込まれそうになる。
月光だけを頼りにする。もうひとつ、雅に輝く銀の銃。人気の無いビーチはさらに虚無を呼び込み、生命を拒絶していた。
遠くに見える灯台の火。闇に浮かぶ光は、それだけだ。
「くそ。こういうの、煌貴の専門分野なのに」
寒々しい海辺を歩きながら、思わず愚痴る。朝里煌貴は怪談話に強く、あのトンネルでも先頭を切ってマネキンの手を発見して、僕らを恐怖のどん底に叩きつけた。
よく考えれば、やはり夜神の血なのかもしれないなぁ。
周囲には光どころか生命さえ皆無。灯台を目当てに歩いていく。砂浜に打ち付ける波の音だけが耳に心地よく、寂しげな風景に色をつけていく。
人恋しい、とは今の自分のことだろう。まるで世界に取り残されたような気分に陥り、電話を手にして、不意打ちのように彩の自宅へと荷電した。
眠たげな声。ほっとしながら、自分の状況を口にする。
「・・・意外と、大胆なんだ。ヒトダマっていうのは、誘惑の存在。トンネル内の灯に化けて、壁に激突させたり、あるいは沼地や湖、海などの水気の多い場所で引きずり込んだりする。特に、独りだと暗示にかかりやすいカラ」
危険信号を伝える彩の声。シグナルのような警鐘は、確実に今の心象とラップした。
「冷たっ」
不意に足を上げた。しっかりと脛までが濡れていて、水音が耳に木霊する。
海の中。冷たさは足を通じて脳を凍らせ、寒さとなる。
「今、海の中にいるんだけど・・・」
「すぐに出ろ、馬鹿っ」
切羽詰ったような声。慌てて浜辺まで引き下がる。
「くそ、本物か。冬真、用心しろ。近くに光は無いか?漁船の灯や、灯台の光とか。ウィル=オ=ウィスプは死者の魂、銀銃で充分に対処は可能よ。通信が切られるかもしれないから、すぐに銃を抜いて光を探して」
彩の声が途切れる。電話をポケットに入れて、代わりに銃を取り出す。
灯台。目当てにしていた灯台の光を凝視する。揺らぐ炎。二つに分かれた光の塊が、急激な加速力を持って目前へと迫ってくる。
式は紡がず、ただ撃った。狙い撃った人魂は、激しい発光と共に世界から掻き消える。停滞する魂。絶好の標的と思える人魂。もうひとつ、分離した鬼火を撃ち落して、光は月の反射だけとなる。
「鬼火、ってヤツか。やっぱ、柚葉さんに嵌(ハ)められたんじゃん」
惑いの灯。火ではなく、光。故に攻撃性は低く、しかし危険なのには変わりがない。
早々と調査を切り上げて、冬真は海辺から去る。濡れた足を引き摺りながら、目前の宿へと向かっていく。
深夜二時。誰もいない、全てが寝静まった浜辺。目には、光が映っていた。
標的は、動かない。
銃を構えたまま、ゆっくりと近付いた。光の中へ。呼び込まれるように、冬真は近付く。
誘惑の灯。しかし、対処は出来る。
動いたなら、撃つしかない。魂を霧散させ、鏡の世界へ送り出せ。
砂を踏む。きめの細かい砂を一歩二歩と踏みしめる。
光が――――動いた。
「・・・血?」
宿の入り口には血が付着していた。三発減ったマガジンに予備の弾丸を追加しつつ、血を眺めた。
撃ったのは光で、生命ではなかった。血を流す幽霊など、いるものか。
血痕はさらに屋内へと続いていた。銃を構え直し、軽いドアを開ける。
無論、人影はない。アルバイトの二人は帰り、土井さんも同じく、近くに住んでいる。
静まり返った宿。暗い室内で目を凝らし、血痕を辿った。
二階へと続く階段。夏海は一階の部屋で寝ている。客である自分たちと、渚が寝ているはずの二階へ冬真は足音を消して踏み入れた。
血痕は渚の部屋で終わっていた。
「――――」
腹部を押さえて倒れている何かを見つけた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
(氷夏/閑話)
「彩、緊急事態だ。今すぐ国道から新浜へ向かってくれ」
時間は深夜三時。慌しく玄関のドアを叩かれ、矢上彩は目を覚ました。
玄関先で立ち尽くしているのは浅川柚葉。手に救急箱のようなものを持っている。
「冬真はやられたのね」
「いや、違う。患者を誤射したらしい。腹部に損傷。銀銃という性質上、出血量は少ないが致死性は高い。すぐに銃弾を摘出しなければ命が危うい」
一般の銃弾と比べ、銀弾は重量があり、火薬量も少ない。初速が遅く、命中した後に弾丸が貫通せず、体内に残る可能性が高い。貫通してくれた方が、血は出るものの生存率は高いのだ。
「とは言え、車もタクシーも無い」
「いらない。じゃあ、柚葉――――私は行くぜ」
「あぁ、待て。実は面白いものを預かった」
箱と共に、浅川柚葉から黒い布で巻かれた何かを渡され、矢上彩はマンションを飛び出した。
一丁先にある喫茶店。営業はすでに終わっていたが、構わず裏口から飛び込んだ。
「悪ぃ、ジャック。借りるぞ」
定位置にある鍵を手にし、すぐに裏口へと戻る。小さな車庫を開けて、黒い二輪車を前にする。
ナンバープレートを外し、一気にイグニッションを回した。
「・・・は、1200っつーの、すげえな」
心地よい振動に身を委ね、矢上彩は加速する。
闇夜を切り裂き、小さな体で1200ccのハーレー・ダビットソンを駆けさせた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
煌く光を避けながら、冬真は車を北上させる。
黒い海岸線を横目に、不気味なまでに静まる国道を突っ切る。焦りを必死に抑えつつ、迫る光をハンドルを切って回避する。
誘惑の灯は明確な敵意を持って迫ってくる。誘うどころか、こちらの目を潰そうとしきりにフロント・ガラス目指して突っ込んでくる。
助手席に負傷した渚を乗せて、必死に柚葉の医院へと向かう。
途中、電話はした。柚葉は冷静に指示をしてくれて、止血だけは終えている。だが、銃弾を摘出しなければならないらしい。
「・・・んと、はいコレ。サングラスってんでしょ、コレ」
後方から黒いレンズの眼鏡を渡される。掛けると、見事に目の前が真っ暗になった。
「なんじゃこりゃっ」
慌てて眼鏡を外し、投げ捨てる。
「あ、じゃこっち。第二号ですよ」
再び渡される眼鏡。恐る恐る掛けると、今度はまともなサングラスだった。
「って、あれっ」
驚いて振り返ると、笑顔を覗かせるキリアがちょこんと座っていた。
どうしてここにいるのか。氷彩と一緒に寝ているはずではないのだろうか。
「驚かないで、ほら、前見て。んー、でも確かにこれは、スキル的なモノだねぇ」
「え?」
「だって、勝手に火が飛んでるなんて、有り得ないじゃん。ま、スキルでも炎を二つ以上灯すなんて、相当のモノだけどねぇ。発火(ファイア)どころか自然着火(イグナイト)だよ、これじゃ」
スキルにも段階がある。カットは誰でも学べるような初級のものだが、段階を踏んで効果も上げられる。上級にもなれば、切断(アンプテイト)となって範囲を広げることが可能となる。
これらはスキルだけには留まらない。欧州に代表される魔術など、ほとんどの「異能」に当てはまることだ。だから、スロウでは序列のような段階付けを行って管理をしている。
六王のような強力な異能の持ち主はAにプラスが二つもつくような高位のランク。新堂薫に至っては、Aランクを超える能力をいくつも持ち、さらに身体的能力も優れていることから、最高位のEXランクを持っている。
この地に関しては、Aプラスランクの「管理人(オーナー)」である浅川柚葉。そしてAランクの魔眼を三種も持つAプラスランク「原色魔眼(プライマリィ・カラー)」の夜神色。君塚冬真は「境界者(ディバイダー)」として最高位のEXランクのディバイドのスキルを持つが、残念ながらBランクである。
イグナイトともなれば、ランク的にはAプラス。Bランクの君塚冬真では、太刀打ちが出来ないことになる。何せ、あの赤光の魔眼より優れていることになるのだ。
「そりゃ、これだけ出されればプラスも付く・・・っ」
同時に飛んでくる二つの光を回避したところで、集中力が切れた。眼球を貫いて、視神経を突き刺す光。一瞬、視界を全て失って左側、ガードレールに派手に突っ込んだ。
車はきっと、まだ動く。けれど、動けば次は死ぬだろう。
キリアも渚も無事だった。スピードを落として突っ込んだからだ。とりあえず、キリアと二人で車を降りた。
光は数え切れない。取り囲まれた状態で、ゆっくりと銃を抜いた。
「僕のディバイドじゃどうしようも出来ない。キリアのスキルって?」
「あたしはクリエイト。さっきみたいに、サングラスを作る程度だよ。けれど、自分の知る範疇になるから、弾丸は作れないよ」
光をひとつずつ撃ち落す。弾が切れる度に、敵は増えているようにも思えた。
一際、強い光が見えた。低音のエンジン音。目を凝らすと、それは一つのライトだった。
「――――彩」
ヘルメットも被らず、小さな体で巨大なバイクに跨る姿は、どこか威風堂々としていて、似合っていた。
月光を照り返す光。淡く、微かに、しかし確かに、光る鋼が見えた。
言うなれば、三日月。やや長めの三日月が、彩の手の中で艶やかに動いた。
取り囲む鬼火を全て切り裂き、矢上彩は颯爽と、バイクに乗って参上した。
「刀・・・?」
「三日月三条宗近。そんなことは後だ。二人とも、戻ろう。私が先導するカラ。あ、それとキリア、久し振り。元気だったみたいね」
挨拶もすぐに、彩は再び来た道を戻りだす。
迫る光を斬り捨てて、蹴散らすように前へ。迫力に圧倒されたのか、冬真はしばし、そんな光景に見惚れていた。
浅川医院に到着し、すぐさま三階へ渚を連れて行く。
柚葉は準備していてくれたらしく、ベッドの上に寝かせるだけで、出て行くよう指示された。
二階。知らないうちに怪我をしていた左肘に包帯を巻いて、煙草を吸う彩にコーヒーを、それ以外には日本茶を用意した。
「おっどろいたぁ。ほのか、まったキレイになった?」
「さぁ。キリアはちょっと背が伸びたみたいね」
彩はいつもより少しだけ女性らしく振舞っていた。相変わらず冷たい反応だが、やはりキリアには親しみが持てるのだろう。
キリアも楽しいらしく、笑顔を見せて彩に話しかけている。煌貴との一件を知らないせいか、あまり両手を挙げて喜べる状況ではない。
「ねぇねぇ、アサリくんとはどうなったの?」
核心を衝く一言。彩は表情を動かさず、黙ったまま煙る火を見やっている。
気になる。煌貴と歩叶がどんな気持ちでいるのか。好きな人を失った悲しみが分かるのは、彩以外に他ならない。
「―――― 一緒に、なれたよ」
ただ一言。微笑むように呟いて、煙草を押し付けるようにして消す。
「そ、そういや。何でいっつも黒いストッキング?」
強引に話題を変える。これ以上、聞きたくなかったからかもしれない。
「え?足を夜に隠すためでしょう?」
「それ、きっと彩だけだよ」
ストッキング一枚で徘徊される前に、一応、念を押しておく。
「だって、ズボンは嫌い」
今となって気付く。彩はジーンズに水色のキャミソールという、いつになくラフで普通な格好をしていることに。矢上彩の私服姿など、ほとんど記憶にないせいだろう。
「え、あ、うん」
「走りにくいんだもの。それに、丈を合わせなきゃならないじゃない。私の服に、他の人が触るのは許さない」
相変わらずの我がままっぷりを発揮して、彩は立ち上がった。私服姿にやられたせいか、どんな挙動も目に痛い。
「帰る。また明日、呼べ」
「え?なんで?」
「私は、他の布団じゃ寝られない。何となく、匂いが嫌い」
なんて、猫みたいな一言を発して、さっさと彩は帰っていってしまった。