「やったやった。海、うみっ、ウミぃ〜」
はしゃぐ子供たちを連れて、君塚冬真は海岸線を隣に、車を無言で走らせる。
柚葉は足、彩は脱臼した左腕の治療のために来ていない。
目指す新浜までもう間もなく。すでに海は目の前であり、自然と興奮してくるものだ。
意気消沈していても始まらない。何の覚悟かはわからないが、とにかく心の準備だけはしておこう。
「実は冬真。昨日の患者さんが割引券をくれてな。この街から一時間ほど走ったところにある新浜という海岸に行かないか?寂れた漁村だったらしいが、近年、観光化されて海の家やらペンションやらが乱立しているそうだ。ほら、夏休みだよ。夏の暑さにやられた爺さんどもは任せておけ。冬真の代わりは色がいる。あぁ、そうだ。左腕を脱臼しているんだからな、まして水着を着て海にダイヴは無理だろう。そう落ち込むな。代わりにキリアを連れて行け。妹さんも一緒に行けばいいだろう。そうそう、キリアだ。そんなに驚くな。ほら、あの娘は海を見たことがないのだ。慈善事業だと思って行ってこい」
だが、もう騙されないと決めたのだ。前回は観光と思って東京に行ったが、実は六王会議出席のためで、大遅刻した挙句、アーシュにこってり絞られた苦い思い出がある。
何か企んでいると疑おう。そして、銀の銃に手をかけておけ。
が、どうにもテンションが上がらない理由は、矢上彩の水着姿を見られないことだろう。
「はぁ。脱臼してるんだから、仕方がないんだけどさ」
無いものねだりをしていても、彩は来ない。ここは気持ちを切り替えて、せっかくの休みを美少女二人と楽しもうと思えばいいのだ。
もう二十一にもなって、女子高生とドライブ出来るのは、ある意味、幸運なことではなかろうか。
新浜に入る頃、不意に携帯が鳴った。それは本当に不意打ちで、矢上彩の自宅番号が表示された。
「も、もしもし?」
語尾が上がるのは、恐る恐る偵察をしている証だ。
「・・・私は、失望している」
「え?」
「冬真。私にナイショで、勝手に旅行に行くなんて。悪いけれど、今すぐ戻ってきて」
戻って来い、ではなく、来て?
「事件発生?」
「ううん、別に。ただオマエがいないと、話し相手もいないからつまらん。柚葉は柚葉でご老体の介護をしろと言う」
どういう我侭だろう。確かに魅力的な提案だが、キリアと氷彩をそっちのけで戻るわけにはいかない。
「あのさ、彩」
「悪いな」
がちゃん。受話器特有の通信切断音を耳にする。人の話を無視して、しかも悪いなって思うんなら切るな。もう了承してしまったような印象を残してしまう。
いい。行ってやるもんか。たまには独りで柚葉の悪口に耐えろってんだ、ふん。
浜辺にはそれなりの観光客がいる。少し寂れた観光地で、過疎化とパンチに欠ける観光が目立って見えた。
キリアは背も低くて丸っきり子供。兄妹と言うより姪に見える。氷彩は家にあったスクール水着とかいうヤツで、色気も何もあったものではない。
やはり。女連れの観光客としては、周囲のバカンス気分の男どもの視線を釘付けにして欲しいのだ。が、このメンバーではさすがに無理か。十六歳コンビは綺麗と言うより可愛い女の子なのだ。
「僕は宿に荷物を置いてくるから。また後で戻ってくるよ」
元気良く手を挙げる二人。どうやら、もう仲良しになってしまったようだった。
車に戻り、エンジンをかける。小さな民宿や海の家が少し、立ち並ぶ。数えるほどであり、外観も少し古ぼけて見える。
違和感。東京浅草寺や先日の連続殺人事件で感じた違和感と、その感じは似ていた。
どこか、寂しい。どこか、生気も人気も無い。
このビーチも、ひょっとすると異端者が紛れ込んでいて、何かの前兆として静寂を保っているのか。だから、柚葉は冬真を派遣させた、と考えられる。
やがて、予約していた民宿が見える。ダイヤモンドヘッドとは言い難いも、小奇麗にしている民宿だった。砂浜のすぐ隣で、広い駐車スペースも砂場だった。
「すいません、予約していた浅川医院の者ですが」
ハワイとかでありそうな、白い塗装が剥げかかった簡素な木のドアを押し開ける。予想通り、抵抗も無くドアは開き、民宿「海猫館」に入る。
「いらっしゃいませっ」
パタパタ、と走る足音。威勢の良い声が響き、何となく悪くない雰囲気だなぁ、と思う。
宿の中はごちゃごちゃっとしている。雑貨屋のようなイメージで、麦藁帽子や浮き輪などの夏を感じる小道具が置かれていた。
「あの、お客様、ですよね?」
「あ、うん」
声がして、正面を見る。宿と言うか、家のような素朴な内装。窓が大きく、そのままビーチに抜けられるようだ。大きなテーブルは食事用なのだろう。階段が見え、おそらく部屋は二階だな、と理解した。
目の前には若い女性。二十にもならない高校生くらいで、氷彩と同じくらいに見えた。
「浅川医院、で予約してるはずだけど。ほら」
入り口に立てかかった、「浅川医院ご一行様」を指差す。
「えと、お一人様です?」
「いいや、三人。とりあえずチェックインと荷物だけ置こうと思って」
「あ、はい了解ですっ。とりあえず、ここにお名前とご住所を」
差し出された帳簿に指示されたまま書き込んで、中に入る。靴のままでいいらしく、土足でまずは居間のような大テーブルが置かれた部屋のソファに座る。
「あ、麦茶です」
「ご親切にどうも」
風鈴の音とグラスの氷の音。涼しげな音は、エアコンさえ無い民宿内を冷やしている。
どこか、ホっとした。違和感はどこかに消え失せて、穏やかな空気だけが流れている。
「キミ、一人でやってるわけじゃないよね?」
「え、はい。山本さんと渡辺さんはいつものバーで飲んでて、土井さんはお魚を買いに行ってます」
「じゃあ、四人?」
「えと、ホントはお姉さんがやってるんですけど、ちょっとあって」
どうも、聞いてしまった以上は気になってしまう。渋る少女を何とか説き伏せて、その続きを聞いた。
「あたしの兄が始めた民宿で、渚さんと、父の知人だった土井さんの三人だけだったらしいです。でも、兄が死んで、土井さんの紹介で男手二人が加わって、あたしは夏休みの間だけお手伝いに来てるんです」
現在の経営者は彼女、椎名夏海の義姉、渚になっている。しかし、この春に旦那であり夏海の兄である前経営者が病死し、塞ぎこんでしまっていた。
その兄とやらはなかなかの人物だったらしく、地元の商店や民宿で、様々な観光を企画、花火や祭りを運営する委員会の長として、寂れた新浜を盛り立てていった。
活気の損失は、それが原因だろう。実際に牽引していくリーダーを失って、委員会としてもどう動いていいのかわからない状態なのだ。
この民宿もそれほど大きくない。せいぜい、客も六人が限界だ。三人、男手と、料理の出来る女性が二人いれば成立している。それを、五人でやらなければならないらしい。
「ホントはですね、病院の方々って聞いて、ちょっと期待しちゃってたんです。だからお名前も浅川医院っていう風にして、ちょっとでも大きくなったらいいなぁって。もうシーズンらしいのに、君塚さんで五人目なんです」
「それは、何だか悪かったね。五人で来れればよかったんだけど、怪我人と院長だから」
仕方ないです、と寂しそうに少女は笑う。
聞いてしまった以上、何とかしなければなるまい。冬真は立ち上がり、二人を呼ぼうと車に乗った。
「わーっ、キレイだーっ」
「プライベート・ビーチってヤツだよね、コレ。フルパワーで遊んじゃおっと」
誰もいないビーチ。宿からすぐそこの海に、二人は怒涛のごとく突っ込んでいく。
ざっばーん、と波に体当たり。心の底から楽しそうな声を出す二人に刺激されたのか、夏海が民宿から出てくる。
「他に予約、あるのかい?」
「いえ、無いです。少なくとも二週間は」
「そっか。なら、遊んじゃおう。あ、それとも海なんか見飽きちゃってるかな?」
「そんなこと、ないです。あたし、海って大好きなんですよ。けど、夕食の支度をしなくちゃならないんで」
「それなら僕も責任をとって手伝うよ。ほら、行こう。僕もね、何だかストレス溜まってるみたいなんだ。たまには遊んじゃおう」
強引に手を引いて、海の中に招き入れる。Tシャツにハーフパンツという出で立ちのまま、前方の二人と同じようにダイブした。
はしゃぐ二人に夏海を紹介する。五分と経たないうちに、仲良くなるだろうと思ったが、案の定、キリアと氷彩はすぐに打ち解けてしまっていた。
泳いだり、海を掛け合う。四人が笑顔になって遊ぶ光景は、やはり夏の暑さに似て明るくなれる。
ビーチはこうでなくてはならない。はしゃぐ声と明るさ。欠けてしまった何かを取り戻せば、この浜もまた、人で埋まる。
姉、渚の復帰。どう考えても、答えはそこにしか行き着かない。しかし、愛する人を失った悲しみは、簡単なことでは消えない。それでも、彼女には立ち上がってもらわなくてはならない。
結局、君塚冬真は平紗歩叶を失ってはいないのだから。言葉には何の重みも無いだろう。
派手な効果音と水飛沫。思考を中断させるような一撃を頭から被った。
「うわっ、しょっぱい」
「へへー、冬真クンがボケっとしてるのが悪いんだよ」
「・・・今、海面が爆発したように見えたんですけど・・・」
まさか、スキルを使ったのか、キリアは。
得意げな表情で第二撃を繰り出すキリア。海面を叩く、のではなく爆破させるような一発は三人をびしょ濡れにさせる。
「・・・やったなぁ」
左手で手刀を作り、空高く翳してみせる。
「見ろ、海を切ってやる」
カットのスキルは学んでいて、それなりに使えるようになった。最初は人差し指くらいの長さを。修練を続ければ、体の一部を刃にすることも出来るのだ。
左手を一閃させると、綺麗に両断され、またすぐに元に戻った。
歓声に応え、二度、三度と繰り返すと、飲みに行っていた山本さんと渡辺さんも戻ってきた。
あまりにも盛り上がっているのが気になったのか、近付いてきた二人を強引に海へ連れ込み、海水を被せた。
笑い声は笑顔を生み、連鎖となって人を増やす。
こうやって、ここを盛り上げることも出来ないだろうか。
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(氷夏/1)
三ヶ月。長かったのか、短かったのかはわからない。
生命、という曖昧なものに形を与えて、人間にすればあの人のようになる。
だから、あの人を失った私は、生命の無い人形になる。
二人で目指した夢の中。浸る思い出は充分過ぎて、いつまでも涙は途切れない。
過去に生きる。だから、未来の私は死んでいる。
今年ももう夏になる。貴方のいない、夏が来る――――
死体になった私の代わりに、あの人と私が信頼していた彼女が息巻く。
アルバイトを二人雇って、ようやくそれで、夏を迎えたようだった。
義妹の夏海が来たのは、予想外だったと言っていい。それほどまで、私は死んでしまっていたのだろう。
夏が来る。けれど、凍ったように、何も動かない夏。
いつも、夏になると、あの人は目を輝かせる。いつしか周囲に人が集まり、大騒ぎをしているとまた人が集まる。そうやって、この民宿にはいつでも人がいたものだ。
今はもう、氷のような夏。動かない、聞こえない、そして見えない。
七月のカレンダーをめくった翌日、やけに階下が騒々しかった。
久し振りに客が入ったらしい。それも、親子連れの客。
いつか、私たちも子供を連れて旅行に行った。それは遠くない未来で、叶わない願いなんかじゃなかった。
そう思うと、階下の客は腹立たしくもある。
きゃあきゃあと騒ぐたび、怒鳴りつけたくなる。
あははと笑うたび、目を背けたくなる。
やがて事情を知ると、同情を抱いて「お気の毒」と声をかけてくる。気の毒なんかじゃない。死んでるのだから。この世の毒は、幸福な家族とさえ思える。
「渚お姉ちゃん、晩御飯、持ってきたよ」
義妹の夏海は、可愛かった。家族だと胸を張って言える。ずっと一緒だった土井さんも同様に、家族だった。
ドアを開けて、お盆を持った高校生が立っている。彼女は普段と同じく、電灯を点け、少量の夕飯をテーブルに置き、私の体温を測る。
「夏海ちゃん、今日はお客様、来てるのね」
「あ、うん」
ぴぴ、と電子音が聞こえ、夏海が体温計を取り上げる。ここ一ヶ月、微熱がずっと続いていた。
病気と言うわけではないだろう。気落ちしていて、体調を崩した程度だ。夏海を助けようとしても、階下に下りて倒れることがしばしばあった。
「うーん。あ、そうだ渚お姉ちゃん。お客様、君塚さんって言うんだけど、お医者さんなんだって。診てもらおうよ」
「ううん、夏海ちゃん。私は大丈夫だから。今は迷惑かけてるけど、今月からは頑張るから」
「ダメだよっ。そうやって言って、また倒れたらどうするのさ。ほら、呼ぶからねっ」
駆け出して、ドタバタと階段を下りる音。
心配してくれるのは、純粋に嬉しかった。けれど、私はもう死んでしまっているから。
死体を蘇らせるなんて、医者でも不可能だろう。
すぐに医師はやって来る。
まだ若い青年。彼の目に、同情はない。あるのは、悲哀だけだった。
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