Mirage

Excelsior-4

窓ガラスを突き抜ける。背中から割ったガラスは空中で静止し、一片たりとも体には触れさせない。
三階の高さから落ちる。盗まれた短刀はさておいて、他の装備は揃っている。ナイフだけは、机の引き出しにいつも仕舞ってあるからだ。
体を浮遊させ、足から着地する。外は夜。2004年を迎えた夜は、いつもと同じ、雪景色。
空から舞って来る雪に紛れて、黒いシャツを着た青年が降りてくる。西川彼方。今、はっきりと敵対した十人目の吸血鬼。
この世でドラクールに血を吸われた人間は九人だった。それらは即(スナワ)ち、九人のヴァンパイアである。吸血鬼社会において、絶大な権力と権勢を誇る格式高い吸血鬼。
ドラクールに血を受けるというのは名誉であろう。まして、吸われる確率も低ければ、生き残る確率も低い。限りなくゼロに近い状況で、西川彼方は十人目に名を連ねた。
「リヴィエルロット。今度はヴァンパイアが来日したってこと」
ヴィルヘルム、バルトーク、アルヴェンの家は断絶するなり、帰依するなりでヴァンパイアの連盟から離れている。残る六人のうち、誰かがやって来た。先ほどの赤い男も、ヴァンパイアに違いない。すでに、リヴィエルロットが来日している話は聞いている。
「やっぱり。君ら、何か隠してるな。まぁ、いい。そんな下らない話は、彩を捕まえてからだ」
正直、頭にキていた。
もう何の関係もない彩を連れて行くなんて、どういう了見だ。
そして。それを防げなかった自分自身にも。

「は。あんた、ヤガミアヤに惚れてるんだっけか。何でだ。あんな傲慢(ゴウマン)な女、どこがいい?」

バカか。何でだって、そんなこと、決まってる。
「――――あれ」
答えが、無い。考えれば考えるほど、答えが、無い。
自分は「平紗歩叶」はよく知らない。知らないが、今の彼女が「平紗歩叶」なら、きっと周りの評価は高いと思う。優しくて、可愛くて、どこか守ってあげたくなるような、そんな感じ。
けれど、自分が知ってる「矢上彩」は正反対だ。傲慢で、高飛車。これ以上ないってくらい性格は悪い。積極性はゼロだし、誰にも懐(ナツ)かないし、無口で、無愛想で、勝手極まりないわがままな女。そりゃ、学校じゃ猫を被ってるだろうけど、本当の彼女を知る限り、誰も好きになんかならないんじゃないかって思う。
良いのは見た目だけ。最強の笑顔で最悪の言葉を口にする魔女みたいな人間だ。その点、柚葉より数倍も凶悪。
だから――――どうして僕は、彼女を好きなんだ?
「ほら、な。結局あんた、どーでもいいような理由と過去に縛られてるだけだろ」
黄色い目。黒髪の少年は、黄金に目を輝かせて、言う。
「―――あぁ、そうかも、しれない」
頷いていた。
断る理由が無くて、逆らう必要が無くて。僕は、何でだかわからない人間を、昔に憧れていたってだけで、惚れていたんだ。
「よし、説得完了。本当に、どうしてもあんたには行ってほしくない。白崎なんて、行っても」

だから、気に入らねえ。

そんな言葉で簡単に意思を曲げる自分が。
こんな矛盾を追及されるだけで諦める僕。
呼ばれない非力さと必要とされない技能。
この世界に入ってもなお、普通であろうとする俺の存在が――――!

「――――出ていけ、この違和」

胸を、掴んだ。強く握り締めると、ぱりん、と割れる音が聞こえた。
これでひとつ。僕はオカシクなってしまったわけだ。
手には割れた僕の心が。オレンジの光になって拡散していく。
視える。
今ならきっと、おまえの矛盾する魂が視える。

「帰れ、その違和――――!」

銃を握った。雪を蹴立て、今は敵となる西川彼方に向けて走り出す。
敵は素早い。驚くことなく、真正面に僕を見据えて、その瞳を金紗に輝かせる。
金紗の魔眼。リヴィエルロットの魔眼。さすがに、ドラクール直属ともなればプライマリィ・カラーくらいは持っているか。
誘惑の灯を見つめ、いい加減、うんざりした。

「――――小賢しいッ!」

徒手の右手を前に掲げ、握る。金紗の視線を握壊させ、引き千切った。
あと三歩。黄金の目には惑わない。西川彼方に、遠距離攻撃の手段は無いと見切る。
あと二歩。三度襲われる視線を気勢だけで弾き、銃を持つ左手を右に構えた。アンプテイト。この銃の剣で、その心、消し去ろう。
あと一歩。碧眼黒髪の少年を前に、最後の一歩を蹴飛ばした。

碧眼。緑の色は、翠嵐(スイラン)の魔眼――――

「君塚冬真。あんたは俺を、『切断』出来ない」
空を切る刃。銃を振り下ろし、しかしなお、西川彼方は健在である。
翠嵐の魔眼。結果を定義付ける「因果」の魔眼。原色に次ぐとされる魔眼は、西川彼方の式と共に発動した。
近距離。回避すら必要の無い西川彼方は、無表情のまま、その爪を凶器と変えて振るっていた。
頬に三本の線が引かれる。かろうじて後退したものの、完全に避けることは不可能だったらしい。
防御に使った銀銃を削り、勢い余って頬に傷をつけた一撃。その速さ、その強さ。目の前の敵は、リヴィエルロットと知れ。
無意識のまま、引き金を指にかけた。銃声は、三度。追撃に移る彼方に向けたものだった。
吸血鬼を殺害するには、銀の弾丸を使うしかない。今は。
回避。回避回避。闘牛士のごとく軽やかに、迫る弾丸を回避しては、西川彼方は距離を詰めた。なるほど、避けられるのなら魔眼など使わなくてもいいのだろう。
続けて、六度。必中の願いは神速の前に敗北する。
予見は出来る。間合いに入られる前に、二歩、大きくバックステップ。再び開いた距離。詰める前に、式を紡げ。
襲い来る爪撃。敵は最後の攻撃と跳躍し、月を翳らせた。
審判の光(テラ・テレムィット)。裁きの弾丸は極光の輝きを放ち、敵へと。
渾身の十発目。市街地を爆心に変える一撃。あと一歩と迫った西川彼方は空に跳び、回避する術を知らなかった。
「経験(キャリア)の差だ。空で、移動は無理だろう?」
見事に胸板を貫通し、爆風の向こうに西川彼方を消し、ぼそりと呟いた。
銃を右手に構え直し、君塚冬真は爆心へ向けて歩き出した。破壊の爪痕は残る。
浅川医院の三階から、ひらひらと白衣が舞ってきた。雪と混じった、純白の白衣を手にして、半壊したイタリア料理店の中を見る。
白衣の中には黒い皮手袋。ポケットの中から手袋を取り出し、填めた。
「柚葉さん、というのは面白い人でね」
違和。気を失った西川彼方を、眼前に見下す。
「患者さんの中に手を突っ込む。それで、病気を治す」
胸を右足で押した。小さな呻きと共に、西川彼方の目の色が引いていく。
「抵抗は無駄だ。今、おまえの能力に線を引いた。魔眼も何も使えない」
「胸が、いた」
「話の途中だ。黙っていろ」
貫いた胸。血が吹き出ているが、まだ死なないだろう。吸血鬼とはそれほど、生き汚い。
「つまり、だ。その能力とこの手袋があれば、患部を摘出できるってわけじゃないか」
言って、君塚冬真は西川彼方の右目に手をかけた。

完全に意識を失い、動かなくなった西川彼方の顔面を二度、銀弾で破壊してから、僕は病院に移動して、施術した。
右目の調子は良好。魔眼の制御方法は知らないが、式を紡げば何とかなるのではないか、と楽観することに決めた。
時刻は深夜の三時。そろそろ、年賀電話の殺到も治まる頃だろう。
携帯電話の向こうは浅川柚葉の声。律儀に電話に出るとは、やはりここが心配なのだろうか。
「あ、柚葉さん。彩が攫(サラ)われました。白崎という場所なんですが、心当たりはありませんか?」
西川彼方は彩を好く理由が無いと言った。
ふん。理由もなく、■■になってはいけないのか。最初に会った時に、もうこっちはやられてるんだ。後からどうこうされても、あの■■は消えない。
「白崎か。具体的な場所はわからないが、東北だったはずだ。ああ、冬真。悪いが上京してくれ。お前さんに嫌疑がかかっている」
彩の自宅。マンションの方だ。階段に足をかけ、一歩ずつゆっくり上っていく。
「へぇ。どんなです?」
「密告だ。フリーメイソンの連中が来日している。極秘だったはずの情報を求めてな。それで、何やら極秘で調査していたお前さんに嫌疑がかかったというわけだ」
見慣れた部屋番号。ネームプレートは無い。鍵を破壊して、ドアを開けた。
いるべきはずの人物はいない。ガーター・キングは雲隠れしてしまったようだ。
無論、神隠しなどとは違う。明らかに、人為的に隠されたものだ。
「なるほど。ガーターを殺しましたか」
箪笥を開ける。彩の私服が詰まった箪笥。その中に、一振りの刀を見つけた。
右肩に童子切を背負い、電話を持ち替える。
「ほう。きちんと管理しているようだな。そういえば、西川彼方の様子はどうだ?」
マンションを出る。
ドアを足で開けて、いつかの拠点はすでに事跡へと変わったことを認識した。

「殺しました。ああ、柚葉さん。明けましておめでとうございます」
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