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(レネゲード/1) - Divina Commedia -
「ふん、臭い街だ」
開口一番、長身痩躯(ソウク)の男が悪態を吐く。まさか彼自身が動くとは思ってもいなかったが、現にこうして集団行動をしているのだから驚きだ。
「嫌なら帰ればいい。あるいは、勝手にやれ」
正面から長身を睨みつける。涼やか、とは形容し難い視線。濁った泥沼のような目で見下げる男は鼻を鳴らして、そのまま何処へと消えていく。
残るは、三人。目的を達成するためならば、二手に分かれることも悪くはない。
「私が残ろう。ガーター・キング・オブ・アームズは使えない」
「分かった」
四人の中では最も低身長の男が去る。残ったのは、紅色のマフラーを巻いたコートの男だ。
ブロンドの髪は長く、肩にも届こうとしている。一見して女性のような姿だが、180を超える身長が否定している。
「よく来た、エリオット」
「来たくて来たわけではないさ。やむを得ず、かな」
目線を上げ、一瞬、思考を張り巡らせる。表情は豊かで、あの四人の中でも人間らしいと言うのがこの男だろう。
正確には、人格が出来ている、というところか。
「そのマフラー、似合うじゃないか」
空港を出る。寒空の下、世辞ともつかぬ言葉に赤い男は笑う。
「最初から血に濡れている色なら問題ないだろう?」
「違いない」
エリオット・ガーシュウィン。彼がどういう理由で異端者になったのかはわからない。
堕ちる異能者というのは、大抵、狂気の世界に足を突っ込んでいる。
だが、エリオットはどこか違う雰囲気を持っている。狂気に飲まれない何かを持ち合わせているのか。裏の世界では名の知れた異能者でも、一般なる社会に踏み出れば好青年に違いはない。
「先(マ)ずはガーターの始末か」
口さえ開かなければ、という前提がつくものの。
ガーター・キング・オブ・アームズはチェスター・ヘラルドの殺害に失敗している。どころか、スロウの人間に引き入れられようとしている。
姉のセシリアに比べ、能力は数段劣る。オールラウンダーな姉に対し、接近戦でしか活路を見出せないようなインファイター。おそらく、エリオットの敵にはなるまい。
下手にベラベラと情報を提出されても困る。紋章院の意思ではなかろうが、生かしておく必要性も無い。
ガーター・キングの拠点でもある矢上彩の自宅へ向かう。マンションの鍵はあらかじめ、持っていた。素早く鍵穴に通し、扉を開いた。
真昼のマンション。エリオットを先に通して、私は廊下の壁に背中を押し付ける。
いよいよ、戦国が始まる。フリーメイソン、紋章院が加わっていることを考えると、当然、寺院協会も動いているだろう。スロウなどは早くも調査を開始している。
当初、最も危険視していた矢上彩という障害が消え去ったことで、勝利は目前にやって来た。スロウの新堂薫が厄介だが、戦力の幅が違う。
「終わったぞ」
両手を真紅に濡らしたエリオットが玄関先に立つ。マフラーで手を拭いているあたり、便利な道具を手に入れたものだと感心した。
「後始末はスロウがするだろう。この街には超優秀な管理人がいるのだから」
「どうかな。ほら、エリオット。愚図愚図している時間は無いぞ」
返り血を拭い終えた青年が立ち尽くす。どうやら、話の意図が見えないらしい。
「足止めがいる。此処にはどうしても行かせたくない男がいる」
「ディバイダーか。なるほど、厄介事には変わりない」
赤い男は感心しながら、穏やかに笑う。
澄んだ瞳。碧の瞳が宙を睨んだ。
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空の世界。
大晦日にDは消えた。それは本当に「消える」という感じで、朝起きたら書置き一つ残さずにどこかへ消えていた。
だから。今年は一人寂しく、年末スペシャル番組を見ながら年を越すのだ。
「はぁぁ」
溜息はいつもより長い。
まさかこんな寂しいお正月になるとは、想像すらしていなかった。いっそ実家に帰ってしまえばいいのだが、Dが帰ってくる可能性と氷彩の帰ってくる可能性を考慮してやめておく。
西川彼方がいる。人工透析真っ最中の患者を起こすわけにもいかず、こうなればガーター・キング・オブ・アームズに電話でもしてやろうかと企んだ。
今年もあと数分。結構本気で電話を持った直後、電池交換を忘れてマヌケに聞こえる電子音が鳴った。
玄関先に立つのは、黒い少女。冬だっていうのにスカートを穿いた彼女は、いつぞやの少女に似ている。
「明けまして、にはまだ早いよ」
「フライングですね」
にっこり微笑んで、矢上彩は靴を揃えてやって来る。何となく、白い指先が丁寧に靴を揃えるのを見て上品だなぁ、とか。
コートをソファに脱ぎ捨て、大量に中身が詰まった買い物袋をキッチンに置く。慣れたもので、壁にかかった柚葉の白衣を羽織り、何の説明もないまま鍋に火をかけている。
「年越しソバでも作ろうと思って」
喋りながら、アバウトに分量を量る彼女。はっきり言って、「矢上彩が料理」という発想が浮かばない。
そんな不安を打ち消すように、彩は言葉を連ねてくる。
「正月くらい親から離れたくって。私、料理は得意なはずだから」
二つほど間違っている点があると思う。正月は家族と過ごすもので、矢上彩は料理などしたことはないはずだ。
「・・・違うか。煌貴は料理なんかしなかったもんな」
「――――はい?」
「いや、何でもない」
彼女の前で煌貴の話はタブーだろう。第一、彼を消したのは紛れも無いこの自分自身で、いつまでも煌貴煌貴と喚くわけにもいかない。
罪は心の奥に。少女の前では笑っていろ。
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(ブレイクダウン/2) - Divina Commedia -
体が疼く。それは悲鳴のようで、絶叫だった。
“その”単語を耳にするたび、弾ける悲鳴が体内を這いずり回る。
ディバイダー。融合した心を別つ境界者。だがそれだけだ。別っただけ。
だから柚葉は無理と言ったのに。天空の破片(ラピスラズリ)で患部のみを浮かせ、煌貴の指示で位置を確認し、女神の加護で反撥(ハンパツ)を防いだ。結果として、魂を二つに引き裂いただけだ。
表層化した意識に深奥が告げる。反撥しかない思考は意識を混濁させ、疲労させ、磨耗(マモウ)させていく。
だから、全てのスイッチを切ればいい。
意識も思考も、葛藤も逃避も抑圧も全て切って、ただ存在しているだけでいい。
そして心の中で、意識下の記憶に手を差し伸べればいい。
こちらにおいで。出ておいで。戻ってきなよ、朝里煌貴。
「なんか、コゲ臭いんですけど」
だが、どうしてだろう。
煌貴の意識は「記憶」としてしかない。だから問いかけても、今までの答えしか帰ってこない。
君塚冬真に魂を消すことなど出来やしないのに。ここにあるのは、彼の片鱗だけ――――
ふと、記憶が、爆ぜた。
触れようとする手を掴む。目の前には見覚えのある、普通の顔な普通の姿の普通な青年。
嫌悪感が手を伝って魂に向かう。私の答えはいつもと同じ。
すぐに手を離して、顔を見上げた。
「えっと、鍋、泡噴いてる。しかも、麺が延びきってる」
「ぇ――――えぇっ?」
え、だけで感情を表現して、意識を取り戻す。
確かに、二つの鍋は悲惨な状態にあるようだった。
とりあえず火を止めて、鍋のフタ
止めろ赤い魂をを取る。麺を茹でてい
神の争いを止めろる鍋の中身を
”俺”はここにいるから―――!
呼んでいる。あの人の、声が聞こえる。
「――――ぁ」
呼んでいる。あの人のいる、あの人の待つ、あの人の場所に――――!
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やはり、様子がおかしい。
彩は小さく呻(ウメ)いた後、そっと鍋から手を離した。まるで、意識は無いようにも見える。
「其処(ソコ)に、いる――――」
蒼。
目を開き、前を向いたその目は蒼穹。真っ青な空の色。
辛いほど笑顔で、切ないほど涙目で、悲しいほど愛しく、彩は一歩、踏み出した。
「ちょ、彩ちゃ――――」
白衣を脱ぎ捨て、キッチンを出る彩を追おうと、目を向け、足を向けた。
「おいで。鬼さん、手の鳴る方に」
場には三人。
元旦を告げるテレビの音だけが、空しく、居間を包んでいた。
赤いマフラーを巻いた、黒い男。一見しただけで、男が持つ異質な空気に医院が穢されていた。
間違いようがない。アレは異端だ。それも、飛び切り上等な、ハイクラスの。
赤い男はこちらをまるで見ていない。ただ、彩だけを。愛しい彼女を呼ぶように。
「おまえ、誰だ」
男は一瞬だけ、興味も関心も無い瞳をこちらに向けた後、視線を外してポケットに手をやった。
――――銀色の短刀。彩を呼ぶ、魔法の剣。
「窃盗。それは、僕のだ」
「だろうな。拝借しただけさ」
ナイフを握った右手で、すでに目の前に寄っていた彩を抱きとめ、身を隠すように外套(コート)を翻す。
どんな魔法かはわからない。
黒いコートの向こう側、見慣れた景色だけの壁を見て、僕は彼女が攫われたのだと知る。
視線の先。待ち受けるは、十人目の吸血鬼(ヴァンパイア)。
「退けろ、彼方くん」
「嫌だ。あんたがあの場所に行くんなら、俺は止めなくちゃならないんだ」
諦めたのは、一言だけの会話でだった。