Mirage

Excelsior-2

この地を踏むのは二度目。前回と違うのは、確固たる目的を持っての上京だった。
「何をしにきたのです、貴方は」
駅では、人目を惹きつける人物が白いコートを羽織って立っていた。
アーシュ・リーティア。スロウの統率を兄に代わって行う人物。
「厳戒態勢の今日、管理地を離れるとは如何なる事態でしょう」
「妹に会いに来ただけですよ」
そのまま、すれ違う。白いコートの聖女は、燃えるような視線で背を焦がしてくる。
「やけに挑戦的になりましたね。自信か驕慢(キョウマン)か、問わずとも答えは自明でしょうが」
「世間は冬休み。正月にも帰れない妹に会うことのどこが挑戦だと?神経過敏になるのもいいですが、貴女に僕の行動を制限する権利など、無い」
振り向くことはしなかった。スロウが何だと言うのだ。不審過ぎる上層部は極秘裏を得意とし、何の情報も降ろさないまま戦場へ駆り出す。それで、何人が死んだのか。
そう、僕は信じていない。
スロウという存在自体が違和なのだ。社会に馴染んでいるように見えて、孤立している。群れて集団を形成しているというのであれば、異端の最たる違和がスロウであろう。
まず、理由がわからない。そして、目的が。
アーシュの姿を無視しながら、目的地である聖蓮(セイレン)学園へと向かう。
本来は私立高校だった教育施設は神学校へと姿を変え、男子禁制の女学院となった。戒律は厳しく、さながら、修道院のシスターを連想させる。
氷彩の言い分では、家族である自分も校内には入れない。自然、調べ物をするには氷彩の手を借りなければならなかった。
校舎は荘厳で、重厚。歴史の重みを肌に感じながら、まるで牢獄みたいだな、なんて考えてしまった。
近くにあった年代モノの喫茶店。古代の骨董品店みたいな不気味な喫茶店だが、あの店には敵うまい。窓側のテーブルについて、待ち合わせの時間を待つ。
目を閉じる。意識を集中させて、世界に網を張る。張り巡らされた線。通常の世界を遮断する箇所。二つ後ろのテーブルに線を遮断する気配を知覚し、目を開いた。
今なら、具体的にイメージが浮ぶ。世界の線。通常という世界から遮断された違和。感知するだけなら、只の歩哨に過ぎないが。
知ったところで、どうもこうも出来ないのが自分。戦う術を知らぬのなら、歩哨にも劣る。
「待った?お兄ちゃん」
テーブルの向かいには氷彩の姿。イメージを頭に投影したまま、クリアファイルを持った右手を掴む。
「――――おっけー。じゃあ、まず渡すね」
そのままクリアファイルを受け取り、手を離す。結合能力。まして血を同じとする実妹なら、こちらの潜在意識を読み取ることは可能だろう。
スロウからの偵察を悟りながら、氷彩は席に座る。調査資料のクリアファイルをめくりながら、コーヒーに口をつける。最初のページが聖蓮の学校紹介であるあたり、気が利いていると言えなくもない。
「それで、正月は戻れないんだろ?じゃあ春休みとかに戻ってくるのかい?」
2ページ目。部活紹介。氷彩はアマチュア無線部。何故だろう。
「うー、どうだろう。お兄ちゃんの家に泊まりたいんだけど、一人暮らし、しないの?」
「そろそろしようとは思ってるよ。じゃあ彩の家に泊まればいいじゃない」
3ページ目。進学、就職先の資料。ウエストミンスターが3割もいる。
「それもアリかなぁ」
4ページ目。世界各地の主たる異能者のデータベース。
驚くべきことは吸血種が占める割合の多さ。ベロニカは700と言ったが、そのほとんどが西洋、それも中央ヨーロッパに集中している。ヨーロッパを三分割し、魔術師のアルルをその担当にした理由もこれで頷ける。
異能者、異端者。天井神由の言葉が忘れられない。
皆、同じ。同じ服を着て、同じ事をして、同じ顔をして生きている世界で、ただ異端者だけが、独自の世界を影に隠れて生きている。
生まれついたモノがある。決められたフォーマットがあるとしても、個性の範疇で形容されるであろう。そんな彼らを、社会という規制に当て嵌めるのがスロウだと思えた。
管理は必要だ。けれど、厳格すぎるルールはいらない。
「多分、答えは次のページにあるよ」
氷彩の言に従い、5ページ目を開く。

「Seventh Heaven」

曰く、七度の神争。
曰く、人類の倫理。
曰く、闘争の原論。
文字に込められた真実は、この戦いは何処から来て、何処に向かうのかということ。
発端は百でも足りぬ時の流れ。数にして七。神と人との戦争は起きる。
三種からなる神の道具は、運命の如く「ある場所」に引き寄せられ、動力を供給される。魂を吹き込まれる。停滞した魂の終着点。きっと其処こそ、「鏡面世界」に繋がる道。
溢れた魂が溜まる。不浄の願望は幻想となって、力を三人に与えた。
あらゆる願望が其処には集まる。最も強い願いは、他者の排他。人は神を憎み、実に七度、願いの集まる場所で戦いを挑み――――敗れた。

勝利者の名は――――新堂薫。

新堂薫は願いを形にする。
争いの浄化。闘争を消すための力を得て、スロウを築き上げる。
その背後に、敗者の滅亡を隠しながら。

「彼は、間違ってる」
管理など、呪縛に過ぎない。
本当に和平を望むのであれば、解放しなければならないのに。
「僕は戻るよ。自分なりに調べてみる」
「気をつけてね。スロウを敵に回すかもしれないんだから」
より、高みへ。
あの光を目指して空を跳ぶ。世界をより良い姿に戻すために。
それこそが、僕と親友の誓いだ。


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(ブレイクダウン/1)                  - Divina Commedia -

いつまでも温まらない部屋。氷点下を示す意識の深遠。
室内は翳(クラ)い。きっと、私という闇に太陽が遮られてしまったせいだろう。
カーテンを閉めて、無理にでも遮光するのは幕のせいだと思うことにする。六畳のちっぽけな空間だけが、私の知り得る、世界の全てだから。
白いベッド。フローリング。小さなテーブルには筆記用具とノートが散乱している。初めから勉強するつもりなど無いけれど、格好だけでもしてみたかったからだ。
冷え切った思考の先に、意識が灯る。無我に窓の外を幻視していたせいか、いつもよりも時間のかかる行為でもあった。
微かに息を漏らす。生きている。まだ、生きていた。

変化は無常のことなれど、恒久を望むが幸福を手にした人の在り様だ。
つまり、私はこうなることを望んではいなかったのかもしれない。
だから今は、消え去った意識を記憶の底から探り出す。平紗歩叶は確かに矢上彩でいて、矢上彩は確かに平紗歩叶に戻り、失った半身を求めている。
記憶、とは。人の全てなのだろう。
人が人で有り得るのは魂、人格の存在に因(ヨ)る。人格を亡くした人間など、ただの人形(ヒトガタ)に過ぎない。人格とは記憶が織り成す人を人で在らしめるための重要な素材(ファクター)。ならば記憶こそが魂、記憶こそが人とも呼べるのではないか。

他人が私のモノに触れるたびに、嫌悪感が走るのは何故か。
無意識に右目を押さえてしまいたくなるのは何故か。
――――鳥の屍骸を見て恍惚とするのは、何故か。

記憶は全て、私が「矢上彩」だということを示す。
氷点下の遺志で、絶対零度の冷徹を持って、絶対的な知覚に変わる。
今の「私」には感情も理性も本能も生きているのに、

「さ、今日も始めようか、彩ちゃん」

貴様をブチ殺したくなるのは何故か――――

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閉めきったカーテンを勢いよく開く。しゃあ、と一閃。室内に夕暮れの光線が降り注ぐ。
外の景色は、美しい。雪で彩られた街に赤い絵の具が撒き散らされる。赤の光。それはどこか穏やかで、優しい光。
テーブルの上にはすでに勉強道具が広げられている。まさに散乱、と言える置き方は、実に彼女らしくない。いや、そう思うのは記憶の中の彼女の姿を、未だ、僕が幻視しているせいだろう。
「寒いな」
部屋は凍えていた。年末も押し迫った冬のある日。暖房器具を使用しなければ、部屋の温度は大きく低下する。

そこで初めて、彼女を見た。

視線の焦点は定まらず、意識の接続は切れている。
神像のように清らかに、黄昏を浴びて生命は停止していた。
「――――彩、ちゃん?」
言葉は彼女の虚無に掻き消える。蒼い瞳に闇が戻る。漆黒の視線。唇が、微かに震えていた。
ゆっくり、ゆっくり。天使は人間に戻っていく。首が傾(カシ)ぎ、目が合う頃には矢上彩が其処にいる。
「え?」
「寒くない?僕は少し、寒いんだけど」
務めて明るく、笑顔のままでそんなことを言った。彼女は何も言わず、か細い指で暖房機のスイッチを入れる。
おそらく、この時以上に違和を感じたことは無かったろう。
矢上彩は微笑む。さぁ、いつもの日常を取り戻そう、と。
断る道理も、訊ねる無粋も持っていなかった君塚冬真は、ただ誘われるがまま、頷いた。

二時間きっかりが経過する頃には、彩の集中力は完全に切れていた。
数学の教科書を見事に宙へ放り投げ、ぱたん、とそのまま仰向けに寝転がる。
「はい。よく頑張りました」
「センセー、もう七時です。晩御飯っ」
階下からは彼女の両親が作る夕食の空気が漂い始めている。きちんとした家族の幸せが、この家にはある。邪魔をするつもりは、僕には無い。
指導用に作成したノートを小脇に抱えて立ち上がる。こうして朝里家で勉強を教えるのは今日で三度目。夜まで長居したことは無かった。
「あれ、帰るの?」
「そりゃあ、ね。家族の団欒(ダンラン)を邪魔するつもりは無いよ」
本当は、引き止めて欲しいのかもしれない。
だから押し付けがましい理屈をこねて、まだ僕は部屋にいる。
「ご飯、食べてこ?」
彩は本当に、こちらの心を見透かしてくる。自己嫌悪の闇の中に、微笑のままで手を差し伸べてくる。
「いや、本当に、いいんだ」
意地っ張りな僕の魂なんか、君に比べれば汚れすぎてるから。
そして今度こそ、本当に帰るためにドアを開けた。何故か感じる嫌な汗を背中に流しつつ、五年近く顔を合わせている彼女の両親に挨拶をする。
優しそうな母親を前に、和やかに夕食の誘いを蹴って外に飛び出した。
「くそ、何してんだ、自分――――」
自己嫌悪の螺旋は続く。意地と嫌悪がぐるぐるとスパイラル。
足元の小石を蹴飛ばす。小石なんかじゃ僕の想いを受け止めてくれず、ぽーんと高らかに空へ跳んだ。
あの空に、この手も届けばいいのに。

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