Mirage

Excelsior-1

銀色のナイフを見つめる。
己を超えるのは、己。身をもって、体験した。
「皮肉だね、煌貴」
死鬼を殺すのは死鬼ということだろう。思い返せば、鬼を殺めるために鬼になった一族だ。その方法にどれほど瑣末(サマツ)な意味が残るものか。
「冬真、いるか?」
自室に浅川柚葉の姿。パーテーション代わりにもならないカーテンを無視して女医は全身で部屋を侵していた。
「スロウ本部へ出頭する。場合によっては、しばらく帰ってこないかもしれない。管理人代行は冬真に任せる。守備にはDを置くし、西川彼方もいる。連れて行くのは矢上藍、ヒース・アルヴェン、セシリア・ミリアの三名だ」
「ええ、わかりました」
矢継ぎ早に用件だけを告げて去っていく師匠を視線だけで見送り、目を閉じた。
柚葉たちが何を隠しているかは知らない。知りたくもない。およそ平和的な話し合いにも思えない。僕は前もって、気になっていた事柄を調べることにした。
目を開く。
窓の外には街の風景。どこか曲がった、人と、世界の融合を。
あの場所、あの想い、あの願い。思えば、僕が今の僕で有り得たのは、全てがあの場所から。

市役所の一室。コンピューターのディスプレイに表示されているのは、住民票である。
朝里という苗字は珍しい。まして、夜神などはいるはずが無かった。
矢上瑠璃。息子は朝里透子と結婚し、婿に入る。子供は、二人。
朝里煌貴、矢上歩叶。
その文字列。意味は深い。戸籍謄本には、確かに長男の朝里煌貴の死亡年月日が記載されている。
矢上歩叶。俗称は彩。異端者としての名は夜神色。難読かつ男女共に適用されるような名前は、的確に彼女を表現している。
続柄は養女。矢上の生まれだが、非摘出児であるため養子縁組は可能。現在は県立礼峰高等学校の第二学年に在籍。九月から三ヶ月、病気療養のために休学届けを提出し、受理されている。
そこまで考えた後、背後から声がかかる。市役所の係員だろう。時間を過ぎると、さらに料金を水増し請求される。
「いえ、もう結構です」
勝手に料金を水増しされる前に断り、席を立つ。
ふと、思うのだ。
あの三人、朝里煌貴、若狭陽次、上山奈美は死亡し、果たして、幸せだっただろうか。
「そんな、バカな」
ありえない。第一、煌貴はそんな知ってしまった運命に憤慨し、絶望し、想いを託して雪と散ったのではなかったか。
なら、彼女は。果たして、今、幸せと言えるのだろうか?

「どうして、群雄割拠みたいな時代になったんでしょうね」
陰鬱(インウツ)な気分で医院に戻ると、Dがヒマそうにコーヒーメーカーを作動させていた。
背中に問いかける。それは意図的な質問ではなくて、煩雑(ハンザツ)な思考の一部分が漏れたに過ぎない。
「ある程度、認知されたからじゃろ。その昔、っても二十年くらい前だが、異端者ってのは教会に追われる立場で、社会どころか人から隠れて生きてくしかなかった」
その教会と和睦し、提携を結んだのが新堂薫。現スロウ総責任者である。新堂薫はローマ教会と条約のようなものを結び、ウエストミンスターに知識を提供、全国の異端者をデータベース化し、管理した。
だから異端でも生きられる。厳格な法の下、社会に融和出来るようにスロウが斡旋(アッセン)してくれる
「吸血鬼どもは別だが、それで味を占めた者もいたワケじゃ」
「人間でしょう。ヒトというのは、いつでも他者よりも高みを望む。頂点を目指したがる。その結果、ヒトと呼べない異端者に到達しようとも」
例えば、中国。古くから道教の思想にあった仙人に、実際なれるとすれば?
分派し、スロウとは別の管理体制を敷くのも当然だろう。
「異端は増える。そして独立すれば、残るのは分派、権力争いによる闘争に過ぎないさ、トーマ」
「僕らはスロウ派な異端ってだけですからね。新堂薫が戦力を募集し、強大になればなるほど、他派も力を求める」
「ま、気にすんな。スロウは教会と手を結んでいる限り、最大勢力で有り得る。ウエストミンスターから補充されるからな」
憐は言った。此処はおかしいと。
圧倒的に集中した力。まして、単なる極東の島国に集まったのだ。首を傾げるのも不思議ではなかった。
それは意図か、あるいは偶発か。
「お」
不意に、思考を遮る電子音。
「こっちに来るってことは、お客さんですネー」
二階の住居に来訪するのは患者ではない。三階は現在透析中でヒマを持て余している西川彼方が応対するだろう。
「コーヒー、沸いてますよ」
Dに指示してから、僕は玄関へと向かった。

長く伸びた黒髪はストレート。
分けられた前髪も胸を覆うほど長く、穢れを知らない巫女をイメージさせる姿。
ほわほわとした微笑。茶色いジャケットには雪が積もり、胸の前で組まれた指先は赤い。
「――――」
言葉を失うとはこのことだろう。事実、僕は驚いて、声を失った。
「こんにちは、君塚先輩。今、忙しかったです?」
「あ――――あぁ、いえ。えっと」

えっと、こんな時は、何て言うべきなんだろう。

彼女はそんな、心の愚問にも丁寧に答えるのだ。
「彩です。矢上、彩。まさか忘れちゃいましたか?」
「まさか」
煌貴とは、違う。歩叶とも違う。まして、色とも違う。
まだ十六歳の年相応の笑顔。茶色の丈の短いダウンジャケットを着込み、ぴょこりと小さな鞄を背に、色素の薄い目で見つめてくる。
尖った口先、上目遣いの瞳。そのどれもが、見覚えのある、しかし見知らぬ誰か。
「だったら、どうしてそんな驚くの?」
責めるような視線と口調。ああ、確かに。僕は君を好きでいる。
「いや、うん。入りなよ、ヘンな外国人はいるけど」
「はい。それじゃ、お邪魔します」
外人は勝手に音楽を鳴らしている。首だけでリズムを取っているあたり、かなりノっている。
彩はそんな外人にも明るく、右手を挙げて挨拶する。いや、ホント。何事だろう、コレは。
珍しく驚いた様のDを置き去りにし、僕は彼女を自室へと導いた。

雪の降る日、朝里煌貴(トモダチ)は死んだ。
それは僕の一言。彼を死に導いた僕は、親友としては失格で、もう戻ることは出来ないだろう。
けれど後悔はしたくない。彼自身が言うよう、幽霊を退治するのは自分の役目なのだから。

それは、君塚冬真の魔眼。違和を見つける洞察の視線。

矢上彩に境界を引き、余分な部分、陰性の魂を解離させる。
憑依霊の手を借り、矢上彩に巣食う陰性を取り除き、霧散させた。いつか浅川柚葉が教えてくれたこと。平紗歩叶だけを救う手段を。
もう、こちらの世界に煌貴はいない。
「あの、先輩、聞いてます?」
「え、ああ。何だっけ」
「また言うんですか?」
後悔はしないと決めたのに、まだ僕は、思い出す。
一度だけ、右目を覆って死者を弔おう。
一度だけ、眼を瞑って死者を送ろう。
「うん。ごめん、もう一度言ってくれる?」
「イヤです。代わりに、コレをどうぞ」
ぷいっと顔を背け、何やら紙切れを渡される。
成績表、らしい。中身は煙突とアヒルさんがいっぱいいっぱいだった。
出席率も悪い。アヒル口ばっかりしてるから、2が増えるんだ。
背負っていた鞄の中には教科書と参考書が詰まっているようで、要は勉学を教えろということらしい。
欠席自体は皆無に等しい。しかし、休学という名目で三ヶ月も休んでいた。これから毎日通えばリカバリーは出来るだろうが、勉強に追いつくのは難しい。
そして、もう幾日もせずに冬休みに入るのだ。用件の察しくらいはついた。
「煌貴は頭良かったのになぁ」
鏡面世界から飛び込んできて、順応できるとは思えない。今までは「朝里煌貴」という記憶、思想があった。それを無くした今、リカバリーは出来るのだろうか。
ああ、だから。自分が責任を持って教えなければならないのか。
「いいよ、引き受ける」
矢上彩にトモダチは、いない。頼れる人物といえば、きっと僕しかいないのだろう。
「ホント?」
「うん。一応、僕は氷彩の兄だからね。勉強は出来ると思うよ」
成績表は見るに耐えない。担任が鳥山先生という表記を見る限り、かなり絞られたに違いない。
だが、あの先生ならきちんと努力を評価してくれるだろう。
「特にね、社会科と国語科がダメなの」
「だろうね。文系だったから」
カバーしてくれる知識が消え去っている。文系は苦手だが、何とかなるだろう。
英語はDがいるし、数学や理科は得意分野だ。音楽や体育はどうしようもないにしろ、出席していれば評価はくれるはずだ。
「じゃあ、早速やろうか。まずは、日本史か」

期末の定期試験は一月と早い。社会科目、日本史の範囲はおよそ戦国から江戸時代、それに明治が入り、さらに進んで昭和初期くらいまで適用されるかもしれない。
江戸時代の上方文化を教科書を見ながら講釈しているところで、受講生がダウンした。
ノートが広がった小さな円卓でむぎゅうと突っ伏した受講生は起き上がる気配を見せない。時計を見ると、開始してからきっかり一時間が経過していた。
どうやら、一時間しか集中力が保てないらしい。
勝手に休憩とするため、僕は席を立って部屋から出る。似合わない眼鏡をかけて、目を閉じている外国人を横目に、冷蔵庫からオレンジジュースの紙パックを取り出す。
「歌舞伎か。男性による鎮魂を能、女性による鎮魂を歌舞妓と言う。互いにその発端は、僧侶や巫女などが手がけた儀式的な祓魔だったのだろう」
柚葉のような物言いで、Dは豆知識を教えてくれる。
上方文化。能楽や歌舞伎など、現代の伝統芸能と呼ばれるエンターテインメントが開花した時代だ。発祥は古く、能は平安、歌舞伎は戦国時代末期とされる。
能楽、古くは猿楽と呼ばれる芸能は式三番、能、狂言の三種から成立する。鎮魂を目的とした仮面劇。雅楽に伴い舞と言霊で霊を鎮めるのなら、それは確かに祓魔と呼べる。
一方の歌舞伎は出雲大社の巫女が発端である。傾(カブ)く、を語源とするように、人目を惹く格好、仕草で「普通」とは一線を画すもの。現在では男性が女役までこなすが、本来は女性や少年が演ずるものだった。故に歌舞「妓」と称されるのが正しい。
「神邪馬の発祥も、コレなんじゃないか?」
「出雲、でしたっけ。そうかもしれませんね」
置いた紙パックをそのまま口付けるD。濃度の高い柑橘系の渋みに一瞬だけ眉をしかめて、彼はそのまま一気に傾けた。
避難させていた二つのグラスに氷を入れて、程よい休憩時間を終えるべく自室に戻ろうとする。
「やる気の無い生徒を教えるのは大変じゃろう?」
「まぁ、あと一時間ほどでやめますよ」

冷えたグラスを静かにテーブルに置くと、気配で彼女が目覚めてしまう。
寝ぼけ眼のままで、長い髪を手櫛で梳きながら目蓋を擦る。
「そういうトコだけ似るんだね」
「ん?」
「集中力が続かないトコ」
顎でグラスを示して、今後の多難を知る。
瞬間的な爆発力は勉強には不要だ。それこそ、やったことは無いが剣術に通じるものなのだろう。
そんなことは、もう、しなくていいというのに。
気負うわけではなかった。ただ何かが始まろうとして、僕たちは、その流れに逆らうことさえ出来ず、流されて、変わらない瞬間さえ無いということ。変わらなきゃ、やっていけない。この流れについていけない。
この先、待ち受ける困難は途方も無く、まるで、見もしない悪夢に悩まされるよう。
「先輩」
ふと、真摯(シンシ)な目が向けられる。今はもう、黒い瞳が。
変わらない瞬間など無い。この選択が正しかったのかどうかなんてわからない。
それでも、今を正しいと思わなければ、決断も選択も出来やしない。
「明後日から、冬休みだよ」
けれども、無邪気な瞳と、無垢な言葉を痛いと感じるのは何故だろう。
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