暗い世界だった。光ひとつ無い場所は、自身の手さえ見えない。
どこへと辿り着いたのかもわからずに、ただ僕は、立ち尽くしていた。
ほのかに。碧(ミドリ)に輝いた。淡い光。それは軌跡となり、揺らぎながら舞って逝く。一つ、二つと。やがて数は増え、無数の煌きが世界を照らした。道。碧の光が道のように進み、一直線へ前へ。
そこは、世界の狭間。星が生み出す隙間。螺旋のように無限に、永遠の如く無限に。ヒカリは中央へと連なり、遠景は霞む。
放たれる光の奔流。中を円に、世界を二分と別つ。
距離は、遠く。中央に、光に立つ天使だけが。
剣を握る。魔炎の剣。聖者に託された剣を両の腕で支え、天空高く掲げる。
線を引くということ。クリアな思考で奥を知る。単純なことだ。元あるものを二つに分けるということは、全てのものを分断してしまうこと。
切断能力をも持ち得た力。全てはこの境界能力から。
そそり立つ炎。その全てが幻覚。だが見える。この剣、この剣先。天地すら別つ純然たる魔の剣だと。
境界の剣。天高く伸びたその剣を、逡巡もなく振り下ろした。
鋸。神話にはそう遺されている。
天地分つ純然たる魔の剣(ナイフ)。バビロニアにて信じられたその名。今となっては知る者もいない、史上最大の剣。その剣は天と地、宇宙を分断する巨大な剣である。
元より、そのような規模の剣など存在するはずがない。空と大地を切り離す剣など、有るはずがない。
だが、確かに古代バビロニアには有った。有るとすれば、使用者が境界者であったのだろう。
故に――――その剣は在った。存在は再び、使用者の元に還るのならば、在るのだ。
世界すら凌駕する能力(ナイフ)を、天使は呆然と見上げた。
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(Ars) - Divina Commedia -
彼女は、焦っていた。
救援は来る。ディアナの名を持つ味方と、騎士。二人が加勢するのなら、こんな戦いは早々に決着がつく。
君塚冬真。スロウ最大の敵は、根源の場所で悠然と佇んでいる。
傍らには、倒れ伏したエリスレア――――矢上彩の姿。
彼女の責務、私の意志、そして、誓いを忘れない。
「お待ちなさい」
意を決して、止める。君塚冬真を止める力など無い。世界さえ凌駕する力を、止めるなど出来ない。私は、生命。第二位である以上、君塚冬真には敵わない。
ただ、思うのだ。私が私なら、来る未来を見届ける義務があると――――
振り向く敵。君塚冬真は右手を翳し、鋭いテイク・バックと共に、光を集めた。
言葉など無い。彼は、ただ立ち塞がる障害を滅するだけ。
即座に式を編み上げ、神剣を手にする。人間、生命という存在が作り上げた営み。文化、芸術、何でもいい。それこそが力ならば、世界にも劣らない。
放たれる極光。恐怖だけが、残った。
科学(ボウリョク)の頂点に立つのは、君塚冬真。
死に際、そんなことを思った。
人を幸せにするチカラ、楽しくて、面白くて、笑顔になれるチカラだったはずだ。
それを、暴力と化するチカラを許せなかった。それは人世の常なれど、諦めたくなどなかった。
だから――――死にたくなかった。
だから、早く戻ってきて。
貴方を呼ぶ声が。求めの声が届くのならば。
願って、アルス(アーシュ)は目を閉じた。
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(Dracul) - Divina Commedia -
気付くと、空を飛んでいた。
飛翔能力自体は珍しいものではない。彼女にとって、空を飛ぶなんてことは、容易であろう。
ただ不思議があるとすれば、それが他者のものであり、自分は誰かに抱かれて空を飛んでいるということ。
異常に高速、非常に不測。焦燥の鼓動が耳に響く。
視界に入るは男の顔。汗一つ流さず、涼しげな顔で疾走し続ける男。
銀色の髪、赤い瞳。頬に浮き出る三日月の紋。
不確かな意識で思うのは、新堂薫の死だ。死者が蘇って吸血鬼を救うことも考えられないが、あの男ならやりかねないと思うのも事実。が、別人だ。顔つきが違うし、新堂薫は頬に紋章など浮かび上がらない。
不意に、耳を劈(ツンザ)く騒音が聞こえた。
「っ」
胸に耳を当てている姿勢なのが、良くない。騒音としか思えない着信音。彼は無言で、視線すら動かさず、首で携帯電話を挟んで答える。
電話は、結果として速度を加速させ、瞬時に拠点へと運んでいた。
ノイシュヴァンシュタイン。フェイスタッドの居城で、私は降ろされた。
ベッドに寝かされる。部屋には数名がいる。そこで、ようやく私は起き上がり、答えた。
「君塚冬真です。彼が、私を殺した」
言う。絞り出す声。感情は無かった。いずれ殺されると思った身。それが善悪に繋がることはない。
もう一人、赤いマフラーを巻いた男をベッドに寝かせ、彼は振り返る。部屋には他に、女と城主がいた。
吸血鬼を殺すのは難しい。魔剣であろうと何であろうと、それが祓魔の効果を帯びていなければ、致命傷にはならない。剣で首を刎ねても、死なないのが吸血鬼の常。故に、エリオット・ガーシュウィンも私も死んでいないのだろう。西川彼方だけは、別だが。
致命傷ではないが、致命的だった。回復には数週間を要するし、エリオットに関しては後遺症も残るかもしれない。ガブリエル・シュトラウスもそのつもりなのか、動けないうちに封印でもしようと思ったのだろう。
「アセリアどころか、エリスレアでさえ止められないか。まいったね、こりゃ」
「ご冗談を。貴方はその為に来たのでしょう、ディアナ」
城主が男を見つめる。セイクリッドの人間に見つめられる彼は、やはりセイクリッドなのだろう。だが、聞いたことはない。大体、セイクリッドの生き残りは新堂薫とアーシュ・リーティアだけのはずだ。
「バーカ、観測者に干渉を求めるなよ。オマエがやれっつの」
面倒そうに、気だるい瞳で見つめ返し、そんな馬鹿げたことを言い放った。
観測者。あらゆる視点を持つ、世界の観測を行う者。
ああ、なら。たとえ地獄に住んでいようと、この場所に帰ることは可能だろう。
「勘違いするなよ、リヴィエルロット。俺はセイクリッドでも何でもない。オリジナルのオリジナルさ」
飄々(ヒョウヒョウ)と言い、銀髪の男は部屋から去る。追うように、彼女らもまた退室する。
「問題は解決する。世界は変わるだろう。そこで、使命や運命を失ったオマエがどう生きるかは、オマエ自身の問題だ。ただ、今まで不幸ばっか背負ってたオマエが、変わる前に死ぬのがイヤだっただけだ。だから――――楽しく生きる用意だけはするよ」
去り際、彼はそんなことを言った。
観測する者(ディアナ)。ああ、当然だろう。私が助けられるのも、私を救えるのも、私が惹かれるのも。
この身は、月夜に支配される身。なれば、彼に惹かれ、命じられるのは当然というものだ。
夜の神こそ、月。
深まる夜は、すでに月を西の空へと進めていた。
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(Diana) - Divina Commedia -
すでに、傷だらけ。誰も知らない真実は、彼にとって苦笑モノでしかなかった。
誰も知らない以上、それは嘘だ。たとえ負傷していようとも、誰も知らないのでは通常の戦力を期待するのは当然だ。だから、真実は嘘だった。
彼は思う。自嘲するように笑みを浮かべながら、どいつもこいつも救いを求めやがって、と。
冬真は暴走するしエリーは笑顔でやっつけろと言うしアーシュはすぐ泣くしアセリアは弱いし薫は死ぬしエリオットは襲われるし。平紗歩叶は冬真を止められずに倒れるし。
だが、それも自分の責任。俺が止められなかったから、皆が困るんだ。
もしも。もしもの話、自分さえ残っていれば、こうならなかったのではないか。皆が生きてて、笑ってハッピーエンドを迎えられたのではないか。
そう思うと、心が痛む。だから必死で走って、たとえ死ぬ一歩前だろうと問答無用で助けた。けれど、柚葉は死んで、西川彼方も助けられなかった。その他にも、救えなかった者は大勢いる。
責任は重く、しかし重圧ではなかった。
ただ気付いたのだ。英雄になるつもりなどない。さしたる願いも持っていない。自分は、誰にも泣いてほしくなかっただけ。だから味方だろうと敵だろうと、生きてる以上は救わなくてはと思った。味方だけを救う救世主なんて、嘘だ。一方を泣かせて一方を笑わせるなら、いっそ誰も救わない方がいい。
理想。
狂気じみた理想だった。
けれど、どうせ願うなら、理想の方がいい。下手に現実じみた空想(ユメ)などいらない。
桜の樹。三輪神社に咲き誇る、異端の樹。
それが、無かった。君塚冬真のせいだろう。境界能力を駆使して世界に線を引いた。結果として、発動点である場所そのものごと狭間に飲み込まれたのか。
知らず、唇を噛む。成長してくれたことには敬意を払おう。敬おう。ただ、どうしてオマエがこうなった。均衡を崩してまで、力を欲したのか。
もう理由も遠く、遠く、記憶の彼方に。壊れた意識に眠るのみ。
理由は見えない。ならば、意義も価値も見出せない。あるのは、必然だけ。
覚悟を、決めた。彼女が呼んでいる。何より、彼女が泣いている。
吸い込まれるような闇へ、黒衣をはためかせて飛び込んでいく。
再誕(リバース)。魂は星に、そして世界に還る。
此処が命のいずる場所。輪の中心、螺旋の交わる場所だろう。
碧の光が飛び交う最中、赤い目をした観測者は――――彼と出会った。
「――――吸血鬼。根源となるか」
長身痩躯の男がいる。互い、黒の衣装に身を包んでいる。
吸血鬼の王は声に気付いたのか、満足そうに頷いて侵入者を見た。
「とうに忘れたがね。此処には全てがあり、全てが無い。それこそが永遠というものだろう。ただ、何故私は此処を目指したのか。言うなれば、解放の為だ。人類の解放、などと戯(タワ)けたことを言うつもりではないが」
言葉を切り、黒い天を見上げる男。感慨深い、というわけではないだろう。今の彼には、全てがあって全てが無いのだから。
ガブリエル・シュトラウス。「契約」の力を持って、吸血鬼のルールを作り上げた男。言うなれば、法律だった。違反する者は、ガーシュウィンの「制約」によって罰せられる。
それは、自分でさえ縛る。そして、彼女さえ縛った。
「御託はいらねえよ」
理由など不要だ。目指した意味など必要なく、ただ結果だけを求めると男は言う。
その反応に半ば驚き、そして満足したのか。根源に辿り着いた吸血鬼の王は、笑顔を向けてから頷いた。
「――――ただ、此処にリリスはいない、ガブリエル」
視線は直線。笑みを浮かべる吸血鬼に、そんな簡単な答えを持って返した。親しげに、ファースト・ネームを呼びながら。
「オマエが求めていたのは、多分彼女さ。リリス、そしてアセリアに母親の姿を垣間見てな。どうして彼女が生まれたのか。そして、何故自分が生まれたのか。いや、違うか。何故異端が生まれたのかだ。答えは回帰する。異端者などというものは、リリスそのものだ。自己の意志によって己を進化させてしまうもの。結果はどうでもいいさ。その願いを貫くこと。変わろうとする人の意志それこそが、オマエの答えだ」
「ふ、まるで理論的ではないな。私が求めたのはそんな答えではない。失われし環(ミッシング・リンク)、欠けたピースを探すことこそ我が使命。嗚呼、故に私は――――彼女を求めたのか」
繋がらない線がある。例えば、猿はどのように人になれたか。見つからない繋がりがある。例えば、リリスはどのようにして発現したのか。根源はわからない。だから、彼女を求めて此処に来たのか。
異端を支配するのではなく、解放する。その原因を知り、今この世界に生きている人間と同じようにしたい。そんな、新進気鋭の政治家めいた思想を持って、シュトラウスは動いていた。そう、あくまでも過去の話。今がどうなのか、もう、結末は出ている。
世界は確かに構築され、今もこうして、立っていられる。
「変化を望まないわけじゃない。変革なら望むところだ。革命でないなら、な」
「その必要もあるまい。貴様が何者かは知らんが、君塚冬真は止められん」
そうして、世界を一つにする。
ガブリエルが望んだのが「解放」ならば。君塚冬真が望むのは、「共有」だ。
幸福も、罪も。正義も悪も全てを内包する世界を望む。解放による自由も、共有による自由も大差はあるまい。自由とは名ばかりの、無意識下に流す自然なる管理に違いない。彼は望む、理想郷(ユートピア)という名の世界を。
「動くな。止められないだろうが、万一がある。そして刃向かうな。根源を手にした私に戦わせるな」
絶対的優位からの物言い。当然か。今のガブリエルはアセリアどころの話ではない。君塚冬真を持っても勝てるかどうかというところ。
怪物じみた敵を前に。一歩、踏み出してみた。
「なら、始めよう――――今宵の月は少々、紅く荒い」
月夜に輝く鬼がひとり、夜神が参る。
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