Mirage
Equilibrium-3
――――思えば、きっかけはトンネルだった。
先の見えない未来に不安を感じ、道に迷うのは誰だって同じ。
ただ、その未来は幾条にも別れていて、希望という名の光を握って選んでいく。
僕には見えなかっただけだ。普遍の足跡は、続く道が一つだけだと導いて。レールの上を黙って歩くだけだと信じていた。信じきっていた。
いつかぷつりと道は途絶え、代わりに、逆走するような道が現れた。気付いたのだ。道があるのなら、その裏道もまた存在するのだと。
僕は歩み始めた。長い、永いトンネルの先、裏に続く道を。
そうして辿り着いたのは、ヒトとは違う幸福の叶え方。
櫻(サクラ)の樹。雪降る原生の場所に、ふたりがいた。
すでに退場した老人を超え、終結の場はただ、白かった。
平紗歩叶と、もう一人。男が誰だかわからない。障害になるのなら、排除するだけだと体が訴える。
「止めろ。今ここで私と貴様が争ったところで、得をするのはスロウだけだ」
戦闘態勢に入る間際、男はそんなことを言った。
二人は戦う素振りを見せない。黙って、こちらを見つめているだけだ。それは本気で、争いたくないと訴えるようですらあった。
「何故?お前らだって願いを叶えに来たんだろ、えっと、あぁ、なんだっけ」
「名前かね。訊ねるのもまた必然か」
受胎の天使は礼儀正しく、名乗る。ガブリエル・シュトラウス。原初のヴァンパイアにして、吸血種をまとめる欧州の王者。彼は最初から、いた。こちらが動きを見落としていただけに過ぎない。
「ただ願いを叶えるだけなら、別に誰も死ぬ必要は無い。神争とはそういうモノだ。人間の願いが異端の排斥だったが故に、争う結果を招いた。互いの存在証明。それが発端だったはずだ」
「けど、今回は違う。異端同士が争ってる。でも、なら何故?」
「願いの形だろう。富豪になりたいと願うとする。なら金でも紙幣でも持てばいいが、純粋にただ増やしただけならば、その紙幣や金に意味はない。単なるインフレーションで終わるだけだ。人間の幸福などというものは、他者から奪うことで初めて成立する。家が欲しくば奪えばいい。名を売りたくば名を持つ者を排除すればいい。そういう意味なら、この樹は純粋にヒトの願いを奪って、一極集中する効果を持つ。だとすれば、互いに反発せぬ願いを抱けば叶えられるだろう」
つまり、この男の目的はそんな陳腐なものではないということ。
王が今さら、何を願うのか。奪い尽くした未来の先に、どう君臨するものか。
「根源、だ。私の願いはな、この全ての根源に触れること。世界は均衡、増えるモノがあれば減るモノがある。全ては均衡の上に成立するだろう。故に、増減は無い。元からあるモノは決して変わらない。幾度、循環を繰り返そうと、根源は永遠。世界に永遠があるとすれば、それは根源だけであろう。根源とは何か。世界?否、そのような有限では永遠に届くまい。循環するモノは何か。宇宙?否、それでも足りぬ。破壊と再生を繰り返す螺旋なる永遠。即ち、生命。星の命と直結し、記憶、意識、万物流転し螺旋は永久。零であり∞(無限)である根源に触れられるならば、叶わぬ夢などありはしない」
願うために望む。願いこそが望みだと、彼の者は云う。
欲求。人を人足らしめるのは明日への欲求。この場で叶えてしまえば、明日を失うことになろう。だから彼は叶わない。願い描くことこそが願いだと、不可能を望んで可能を見過ごす。
「貴様もそう変わらないだろう。私は零であり無限を望む者。それ即ち、究極の一ということだ。究極の一を求めるのは、貴様と同じだろう。だから言っている。私と貴様が争うのは無意味で、願いが同じなら同時に叶えればいいだけのこと」
望みは同じ、と。シュトラウスは手を差し伸べる。同じ場所に立つのなら、一緒だと。
世界を変えたいと願った。その結末は、確かに彼と変わらないのかもしれない。
過去を変えることだろうか。いや、違うだろう。根源なるモノであれば、過去と未来が混在する。ほら、やっぱり。お前と僕は同じってことか。
「でも、どうする?」
「簡単だ。奪えばいい。世界そのものを――――」
根源を手に入れるなら、根源を奪えばいい。
世界ひとつだけじゃ足りない。だから、もうひとつの世界そのものを奪う。
そう、両面の世界なら。片方を消せばいいじゃないか。
――――びしゃり、と。雪染める血が花咲いた。
前に立つシュトラウスは、何故か口から鮮血を吐き出した。
苦しそうに悶え、雪の地面を転がり始める。それは、まるで毒物に汚染され、苦しむ姿によく似ていた。
死ぬ。そして、蘇る。繰り返しだ。シュトラウスは死ぬ度に生き返り、永遠に苦しもうとしていた。どうして死ぬのかわからない。濁った目で、ただ必死に死んでいるだけだ。
剣が飛ぶ。よく見れば、童子切だ。いつの間にか手から失った刀が、シュトラウスの胸を正確に貫き、勢いはそのままに、飛翔した。
桜の大木に突き立つ体。磔にされるシュトラウスは、身動きもとれず、まだ死に返りを繰り返していた。
その、足元。血を吸う桜があった。
略奪の樹。願いを集める桜は、人の死を啜っている。
何となく。この解答になると予感はあった。敵は世界。世界を敵に回すのなら、彼女が黙っているはずがない。確かに、受け皿として必要だろう。だが、平紗の意志も夜神の心も失った彼女なら、何の意志もなく、ただ世界の走狗となるだろう。
天使がいた。名前も意識も失った、純然なる空の遣いが――――
警告だ。手をすらりと水平に伸ばし、軌道上にこの身を捉える。
それ以上の干渉は、死を招くと。世界が警告している。
もう平紗歩叶でもなかった。桜の樹。雪。自然。世界そのもの。
――――地に息づく生(エリスレア)。
何人たりとも存在を否定出来ず、生を受けし者、あるいは物を統べる。
黒い髪、白い羽根。目を閉じて悠然と浮ぶその姿、神と見紛う。否、神であろう。
これが、最後の希望なのだろうか。
否。
最後の障害だろう。
「盟約(チカイ)を破るのか、ディバイダー」
よく知る声で、ソレは云う。
何を示す言葉かはわからない。ただ、これは最後通牒。是と頷けば、戦いは始まる。圧倒的で、絶望的な争いが。
目を閉じたまま、空から右手を差し伸べて。天使は答えを待つ。
「僕は願いを遂げる。それが、根源に通じるのなら尚更だ」
答えた瞬間、目が、開いた――――
バロール、という眼だ。
蒼穹でも、金紗でも。赤光でもない。原色とは違う魔眼。
美しい、朱だった。体が凍る。魅入られたように、そしてこの眼が焼きつくように、離れない。
繻子(シュス)の魔眼。どんな能力とも桁が違う。
それは、死。視ただけで相手を殺害する死界の眼――――!
どくん。心臓が、一際大きく高鳴った。死ぬ。間違いなく、死ぬ。絶対に、死ぬ。
境界能力も通じない。視線、否、「死線」なんてモノを分離することは出来ない。故に防げない。この身はあの眼に殺される。
どくん。
そんなこと、許されない。死ぬわけにはいかない。
いつか願った、あの想いを解き放つまでは――――!
「……だから。来い、アテナアァァァァッ!!!」
だから、叫んだ。そして信じた。力の限り、呪縛から逃れるよう、叫んだ。
裂帛の気勢は大気を突き破り、死線を打ち消す盾となる。瞬時に召喚されし遺物。世界に具現する神代の女神。この世最高の盾を持つ彼女は、鏡を前に死線を遮断し現れた。
「どうだ――――」
予想に反し、天使は健在。己が姿を鏡に見ても、無事であった。それも当然。あの眼は「生物」に適用されるモノ。すでに世界となり、己を殺された天使に効くはずが無い。
銃など通用しない、剣など無駄。この身に出来る最高の攻撃。人間が生んだ浄化の炎ならば、世界さえ焼き尽くせるのでは。
「アテナ、護りは任せた」
右手に精神を集約させる。呻く声は奇声に。半ば狂乱の意識の中、ぶちり、と何処か。切れてはいけない何かが切れた。
「君は、誰?」
訊かずにはいられない。君は煌貴か、それとも歩叶か。
彼女は無くなった後ろ髪に触れた後、再び流れる風に身を任せていた。
右手で靡く前髪を押さえ、蒼く輝く左眼だけをこちらに向ける。
口元だけを笑みに変えて、静かに、佇むように、微笑んだ。
きっと僕は、その瞬間にやられてしまったんだと思う。
好きだと言える、それも最高に好きな二人がそこにいたのだから。
「今、おまえには夏川がいる。歩叶もいる。柚葉も戻ってくる。知っているからこそ、皆にしか出来ないことがあるんだろうな。だから、集まる。何かをするために。それは、おまえの敵となる者たちも同じだ。今の世界は過度の情報化社会。並列化された個性の中に個性など無く、社会が望んでいる形になろうと必死で皆が個性を没落させていく。世界が生んだ病気だ、コレは。その中で、冬真たちは戦おうとする。社会、世界が敵だよ、冬真。世界の味方にいながら、世界が淘汰する者でいる。敵も同じだ。淘汰される世界の中、個であろうと必死で戦っている。そこに主義思想の違いこそあれど、目的は一緒だろう。だから、群れる。個は同じ個を呼び集め、群体を成し、戦う。並列となった個は、同一の個となってしまう。ほら、今の世界と同じだ。きっと、世界の仕組なんてそんなもんさ。並列回路のごとく、症候群に似て誰もがそうなってしまう。それでいい。そうやって、世界と対峙すればいい。そうしないと、この世界には勝てないよ、冬真」
ぱりん、と音がした。確かに音がし、確かに自分は聴いた。
忘れちゃいけない何かがあった。気がする。
「う、があ、ぁぁあ――――!」
壊れた頭で、狂った意識を繋ぎとめる。右手に篭る魂。正常を削り、異状を生み出す業火。
アテナ、邪魔だ。今はアイツ、ああ、名前もわからないヤツを殺すことしか頭に無い――――!
思い切り右手を引き、遠心力をつけて天空へ放った。砲丸投げに似ている。目はそのままに、遥かなる大気に君臨する天使に向けられて、衝突する光を見た。
戦う理由?
そんなの、わからない。ただ気付いたらここに立っていたんだ。
立つ意味?
それも、知らない。どこかに置き忘れてしまったんだ。
願う理想?
――――それは、きっと。誰もが幸せになれたら、素敵だと思う。
天使は、堕ちた。母なる大地に激突し、動けないまま、びびびと火花を散らせている。
必死に立とうとし、しかし崩れ落ちる。それは負傷をしたと言うより、三半規管に障害が発生したようだった。
どうせ、すぐに回復する。だがこちらも動けない。肩で呼吸をし、どこか脱力感があった。
逃げる。アイツの追ってこれない場所。願いを遂げる場所まで。
何をしたいのか、よくわからない。ただこの場所にいては死んでしまう。だから、生きるために逃げる。
願いは、わからなかった。生きること、だろうか。だが、何のために生きたいと願うのか。
誰もが幸せで、そうなれるなら。そんなことを考えていたのかも、しれない。
「わからない。けど、行けば。アテナ、反撥を防いでくれ」
桜の樹に手を当てる。ここが、繋がっている場所。
境界を引く。二つの世界の線。一方的にこちらから干渉し、あとは閉じればいい。
ディバイド能力。繋がるパスに線を引けば、二度と世界は繋がらない。
そうして僕は落ちていった。
星の淵。願いが叶う場所へと。
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