Mirage
-another epilogue- "M i r a g e"
夢か現か。問われれば、答えは後者を僕は選ぶだろう。
世界は確かに表裏あり、選ぶ答えが一つだけだということなど存在しない。
人が人であるためには、人格というものが必要だ。その人格を構成するのは他ならない、記憶になる。記憶が人を作り、魂を示す。もし僕が、記憶を損失したということは僕個人の喪失を意味する。
だが、全てを失ったわけではないのなら、僕はまだあの世界に生きていられる。
それから、僕は走った。病院を抜け出し、あの世界を証明する何かを探すために。言葉でなら示せる。僕がいるべき場所、僕が生きる世界。それはこんな、薄汚れた世界なんかじゃない。人が個人と存在し、どこか自由組織に似た世界構築の方法。別世界で学んだ、この魂が信じる正しい世界だ。
今の世界は、駄目だ。そう思って、立ち上がった。目指した理想を、僕はこの目で見て、感じた。そうして、居場所を見つけたのだ。僕という個人を必要とし、生きていると実感出来る場所を。
だが、そんなものは幻だったのか。僕が毎日通っていた、僕がいた居場所は、無かった。跡形もなく、存在すら消滅し、この地上から消え去っていた。浅川医院という職場も、スロウなんていう組織も、誰も知らず、誰も見ていない。知らなければ、存在したという意味さえ無い。
「そんな、バカな。嘘なんかじゃない、僕は確かに――――」
叫ぶ。道の真ん中で、誰が見たとしても、唯一、僕だけが知っている限りは嘘などではないと証明するために。振り向く人々の目は、冷たい。まるで異常だと責め立てているようだ。
違う、異常なのは、貴方たちだ。誰が誰とも知らず、社会という枷に填められて、並列することこそがルールだと同じ顔で常識と示してくる。押さえられる。社会から外れた者は排除される。社会という一つの世界から逸脱すれば、生きてなどいけない。何が正常なのかなどわからない。正しいものがわからない。正常が異常だとすることが異常だと言われる。その正常が果たして正しいのかなどわからない。唯一正義は社会にあれ、と。絶対的な力で押さえられる。
外れた僕は、除外される。
親に連れられ、家に行く。警察署で頭を下げる親を、どこか冷めた目で見た。
自室に立つ。ここだけが、僕を認める世界だ。だが孤独だ。絶対多数の力は強く、個人などでは立ち向かえるはずもない。だから、徒党を組んだ。スロウという名で保護された。それも一つの社会だったが、少なくともこの世界よりは正常だった。
だから、この世界だけ。この部屋から一歩出れば、全てが敵になる。自然、部屋に篭るようになった。部屋から出ず、与えられる食事にだけ手をつけて、独りで、情報を集めた。この、部屋。部屋と同じ世界はどこに行ってしまったのかと探していた。
夢。あれは夢だったのか。否、夢などではない。この傷は、この胸の痛みが幻ではないと言っている。もし夢なら、こんなにも苦しいはずがない。ここは異常だと思えるから、今が痛い。だから、逃れるために、眠った。現実から目を背いて、何も聞きたくなかったから、眠った。
夢の中で、思い出す。いつでも戦った。死の直前まで行って、目が覚める。痛んだ。全てが、痛んだ。支離滅裂な夢は、今の僕を締め付けてくる。現実とのギャップが激しすぎて、苦しむ。そして何より、あの世界はもう無いと示されて、苦しむ。
だから、眠りが怖かった。夢が怖かった。たとえ楽しくとも、起きるのが苦痛だから。これが夢なんだと、わかってしまうのが怖かった。するとそのうち、寝たくなくなった。日夜、目を研ぎ澄まして、頭の中であの世界を探し、求めた。
「こんにちは、冬真くん。ボクはね、お母さんに頼まれた医者なんだ」
医者が部屋に来た。彼は自分を精神科医だと名乗った。知らない男。ソイツは、僕の世界を、理想を妨げる敵だ。部屋という一つの世界に入り込んだ侵入者を、許せるものか。
「出て行け。ここは僕の場所だ。この世界を邪魔する敵なんだろ」
「違うよ、それはキミの妄想なんだ、冬真くん。キミはね、病気なんだよ」
医者は僕を病気だと言う。精神病だと。妄想癖だと。
「僕が精神病患者だと貴方は言うんだな。この思考が誇大妄想だと。なら、言う。世界はひとつの社会を生んだ。情報化社会と言われる、科学技術が過度に進化した現代だ。情報は利用者にとって、有益かつ必要なものだとされる。情報技術の向上は広く一般市民に情報が伝達され、必要に値する情報を知らないことが非常識だと言うだろう。人々の価値観は並列化される。誰もが皆、同じような道を歩む。歩まなければ非常識とされるからだ。画家を志した少年がいかほどいると思う?その中で実際になれるのは少数だ。もちろん、実力が足りないというのもあるだろう。だが、大抵の人間は『それは無理だ』と諦める。諦めざるをえない。なぜなら、画家という存在が希少であるため、常識という範疇から離れていると考えられるからだ。人々は普通を目指す。常識を目指して人生を歩む。そうしなければ社会に認められないからだ。認められなければどうなるのか。ほら、今の僕じゃないか。社会に認めれず、精神病とレッテルを張られ、貴方のような人物が来る。これのどこが誇大妄想だと言う?観念奔流のように話が脱線しているか?道筋や脈絡が無いか?もしそうだと貴方が言うのなら、喜んで僕は精神病患者になろう。だが、こんなものは病識でもなんでもないのではないだろうか?攻撃的か、そうだろうな。貴方から見ればこの言葉の全てが攻撃的だ。いや、社会から見ればか。そういったモノを、社会は排除していくんだろう?犯罪、病気、理由などなんでもあるさ。だけど、世界はひとつじゃない。個人個人それぞれが自分の世界を持つ。社会を代表して、今、貴方がここにいて社会を押し付けるのなら、それは僕の世界に対する冒涜なのでは?もっとも、こんな話が貴方に理解できるとは到底思えない。なぜなら、貴方も個人という世界を失った現代社会の住人だから」
医者は、反論しなかった。呆れるように僕を見て、帰るだけだ。翌日は別の人間が訪れ、同じように反論すれば帰ってしまう。同じことの繰り返しだ。やがて反社会性人格障害とでも名付けられ、強制的に病院送りにでもなるのではないか。
その前に、限界が来る。極度の睡眠不足と疲労で朦朧とした頭。不鮮明な意識と視界を保ったまま、ベッドに横たわる。ドアが開く、扉の先には今日の医者。
「今に悩んでいるなら、まず自分を見なさい。そして周り(セカイ)を見て。それは幻なんかじゃなくて、貴方が立つ貴方の世界だから」
霞む世界、揺らぐ視界。薄らと開かれた視線の先から、声がした。
自分の姿は、きっと酷い。もう立ち上がれない。こんな現実、吐き気がする。周りはそんな僕を許容しないだろう。
「それでもイヤなら、手紙を残すわ。貴方と貴方の幻を繋ぐ線を。ただし、よく考えること。もう戻れないカラ」
そんな言葉を、昔に聞いた。僕は首を縦に振って、その幻想へと飛び込んだのだ。だから、二度目の答えも決まっている。今度は、皆がいる。僕が道を過てど、正してくれる皆がいる。
誰かは去っていく。机上に置かれた紙切れを睨み、しばし、眠りに身を任せた。
――――次、目覚めても。幻が醒めることはない。
そう、僕は戦うのだ。この世界を許容しつつ、不断の正義で社会と戦う。
人は独りじゃ立てないから、君がいる世界で。
物語はここからが始まり。道は開け、ここから続く。
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