Geschick
Divine Knight/Night-3
夜神色、という青年は不思議だ。それが、アビー・テグジュペリの感じた第一印象である。
リディアの街を政庁に向かって歩く。彼は左手でさきほどのエアジャック犯を圧したまま、大通りを避けて狭い道を歩いている。犯人は時折、思い出したように抵抗を見せるようだが、その度にうめき声が聞こえた。
感じられるのは、戸惑い。それから疑問。色はこの世界に新鮮さを感じているらしく、一から常識を解説しなくてはならない。当たり前な世界の風景。それを、彼は一喜一憂しながら短く感想を述べる。最初は気張っていたものの、次第に表情は柔らかくなった。
当然というモノを解説するのは簡単だ。だが、当たり前を説明すると、同じく自分も目新しく感じられた。何も知らない赤子同然の騎士。彼の言葉は短く、しかし真実を貫く。貫かれる度、こちらも発見してしまうのだ。例えば、畑を耕すことに特化した男性の肉体がマッチョなのも、そう言われれば当然なのだ。
いつしか、色に説明するのが楽しく感じられてきていた。
「で、コイツ、どうするの?」
「リディアの政庁に引き渡すんです。騎士団というのは都市単位ではなく、都市間の広域を守る者ですから、リディアもその規模に含まれます。ですから、ここに軍は無いのです」
リディア、メディア、ティルスの三都市間を埋める。それぞれに自衛の部隊程度はあるだろうが、本格的な戦闘を指示出来るのは騎士だけである。騎士というのは、一芸に秀で、武芸を嗜み、一人であらゆる敵と対峙可能な兵器のような存在。人々の平和を守ることこそが責務。
それにしても。思うとすれば色の態度だ。苦も無く敵船へ飛び移り、体術で敵を圧倒し、捕縛した。騎士と言えば騎士たる武器を持つ。剣であったり、槍であったりと千差万別であるが、武器がなければ戦えない。ましてや、空飛ぶカーゴからカーゴへ乗り移るなど自殺行為であろう。ただ、何となく。神の国から来た人物であれば造作も無いのかもしれないと思った。
政庁へ辿り着く。街の喧騒を後にして、内部へ。受付で氏名を告げ、そのまま、やって来た看守に犯人を預ける。アヴィヨンの名と騎士という所属さえあれば、大抵の道理は通ってしまう。
「さすが。フェニキア一の飛空者なだけある」
「あれ、そんな話どこから聞いたんですか?」
「ん、さっき受付の人、名前見て言ってた」
その名声は、ティルスという街の特性が深く関係している。能力者を多く輩出する街。言うなれば、それだけの教育機関が揃っている。スキルの多くは個人の特技で、世襲で受け継がれるものだ。代々伝わる飛翔の能力を、ここまで昇華させてくれたのはティルスという街の施設に他ならない。
「文化都市、あるいは学術都市と呼ばれる所以ですね。ティルスは能力者の街、そのほとんどが特殊なスキルを身に着けています。技術が優れていると言いますか、ティルスのワーカーは皆さん物凄いです」
「そりゃあ騎士が生まれるのも道理かな」
一応は。自分もその騎士の一人である。戦闘など出来ない。戦になど向かない。だが、騎士だった。飛空者たちをまとめ、国に尽くす。忠義や愛国心とは無関係で、仕事と割り切って働く。人を乗せたり、物資を運ぶ仕事に誇りが無いわけではない。むしろ、誇るべきことだ。
だが、きっと色は、戦の一字に特化した死神。
「戦うことが、怖くはないですか?」
帰路の船上。ゆっくりと流れる風景を眺める男にそう問うた。
色は視線を動かさず、右手で顔を覆っている。表情は見せず、何の感情も悟らせず。意識を殺して問いに答える。
「――――殺されるも、また、良い」
本気で、死を望んだ答えだった。自身の滅亡を望み、同様に、敵の滅亡を願う。だとすれば、戦いなどという命の攻防は、彼にとって愉悦の瞬間でしかない。どちらに転んでも、色は喜ばしいのだから。
「ただ恐れるものがあるとすれば、それは」
語尾は、よく聞こえなかった。空の海から目を離し、こちらに振り向くその顔は、心なしか、笑っていた気がする。
「怖いモノがあるの?」
微笑する色に、再度問いかける。見続けると、魅入られる気がした。
夕焼け空。夕食の買出しに出る主婦たちに紛れ、見知った顔に挨拶する。
「これはテグジュペリ様、御夕飯の買出しですかな」
平紗家の執事、兼定。慇懃(インギン)な仕草で礼をし、丁寧な口調で挨拶が返る。ここまで完璧な執事というのも珍しい。平紗の姉妹と言えば可憐なことで有名で、才色兼備の令嬢と聞く。事実、次女の来未は礼儀正しく、というか堅苦しいまでに純潔。
「羨ましいです、兼定さん。あんな風に育て、」
「ははは!来未みたいな子供のどこが!」
「――――色さん今日こそブチコロス」
「育てちゃったんですね」
世界が凍る。突風のように過ぎ去る黒い悪魔と白い天使。興奮した笑い声と冷静な死刑宣告。きっと、見てはいけないモノで、聞いてはならないモノだ。だから、おそらく姿は見えない。見えないのではなく、覚えていない。最高の自己保身方法である。
「いや、申し訳ないです」
「いえ、お気になさらず」
ぴたりと意見が合う。お互い、思ったことは同じらしい。速やかに記憶を抹消し、無かったことに。人々が再び活力を取り戻す。瞬間的な凍結だったが、皆、思ったことは同じだろう。
「珍しい、ですよね。平紗さん、と言えばあまり感情を出す子じゃないと思ってました」
「夜神様が来られてからです。どうにもあの方は、人を変えてしまうと言うか。何でもこなしてしまう天才なのですが、周りが世話を焼かねば何もできない印象を与えます」
苦笑しつつ、兼定は言う。驚きと言えば、愛想笑いではない兼定の笑いにも驚いたが、自分もその輪に取り込まれつつあるのも否定できないのも驚き。あれだけ頼りがいのある人物でも、放ってはおけないと思う。ただ黙っているだけでも、周りから何かを引き出す。それが魅力ということなのだろうか。
夜神色。あらゆる矛盾を混成させて生まれた騎士。
冷徹であるが時に優しい。思慮深いがどこか抜けている。勇猛ではなく臆病でもなく。誰よりも強いはずでも、弱さも持つ。きっとそれは、弱者が抱いた強者の夢。泡沫に似て小さく、淡い。
「二面性、ということでしょうね。どちらが本当で、どちらが仮面なのかは量りかねますが」
「おや、よく見ていらっしゃる。究極であるが故の欠落。その一点が夜神色という人物の脆弱(ゼイジャク)さなのでしょう」
脆弱だと兼定は言う。弱さ、ということがまったく理解出来ないが、完璧などあるはずがないと言いたいのだろうか。
一点、理解したことがある。それは、夜神色が「何か」を失っているということ。
ティルスの騎士。その日々は鍛錬と退屈に満ち溢れている。警邏(ケイラ)や巡回、といった警戒態勢などない。自身の拠点で変が起こるのを待つのみである。平紗は豪邸で、ベアトリクスと夜神色は王城の各部屋で待機状態にある。
唐突に、城に呼ばれていた。用件として考えられるのは、予算などの会議か事件が起きたか、あるいはただの退屈しのぎか。おそらく、最後の件だと思われる。今日の流通を確認し、業務を港に伝えて城へ向かう。
通されたのは王女の私室だった。侍女である女性に先導され、さほど豪華ではない一室に迎えられる。中には、部屋の主が座っている。
王女ベアトリクス・ミリア,アレクサンドラ。あらゆる言語の読み方で構成される長大な名前。ひとつの言語にまとめるなら、どれほどのバリエーションとなるのか。ただし、それは読み手に関係するだけの話。読み手が最も親しみやすい名で呼べばいいだけのこと。
厳格。誰に対しても公明正大に、厳しく。揺るがぬ正義で突き進む王女。武芸に秀で、自ら騎士を指揮することもある。勤勉で、常に身を磨くことに終始している。それが王女に対する世間の評価である。接することも多いアヴィヨンから見れば、それに愚直を付与するだろう。
見た目は華やかとは言いがたい。質素な衣装を好み、シンプルな服装で行動している。平紗来未は華美で豪勢、まさに対照的だった。ただどちらも、美しさはある。素材は良質、しかし平紗の場合は、自身を演出することに長けている。実に狡猾だが、智慧がある。ベアトリクスが劣るとするならば、そういった自身への配慮だろう。
部屋に入った瞬間、少々驚いた。窓際、テラスで優雅にお茶を口にする王女。その表情は柔らかく、穏やかに微笑しているように見えた。
「しかし、薄い。なんだ、飲んでる気にならないぞ」
「残念ながら、ここにコーヒーは。嗜好品は専(モッパ)ら紅茶に限る。慣れれば紅茶もまた味があります」
文句が耳に入る。王室の紅茶にケチつける輩。そんな無茶ぶりを発揮する人物など、およそ一人しか思い浮かばない。意外だったのは、穏やかに王女が諭していることだ。厳しい彼女にしては甘い気がする。
テラスに出る。そこで初めて来客に気付いたのか、ベアトリクスがカップを置いて顔を向けた。
「来ましたか。アヴィヨン、貴女が来てくれて助かった」
奥には、対面に座った色がいる。こちらは困った表情。どうやら、呼ばれた理由はそこに関係しているらしい。
「夜神さんが困るとは、大変な事態ですか?」
「いや、多分そうでもない」
色が下を指差す。それはまるで呼ぶようであり、下に何かあると訴えている仕草でもあった。つられて、色の下に目を落とす。その膝上に――――何かが、ある。
「アレット――――!」
慌てて、色から娘を奪い返す。眠りこけるアレットはまるで気付かず、そして自分も、この事態に気付けなかった。頭を支配したのは、夜神色が娘を抱いていたという事実だけ。それで充分。意識をせず、思考も無く、近寄って奪い返した。
アレは化け物だ。人を殺すことに特化した、怪物である。人と理解し合うことなど不可能で、よもや娘を預けることなど出来るはずがない。だからだろうか。一瞬、夜神色の姿が――――人を喰う鬼に見えた。
血を啜(スス)り、身を喰らい、肌に牙を立て、愉悦を感じる鬼の姿。その口元が、歪に笑った気さえした。化け物。鬼。アレは人ではないモノ。矛盾した人格。意識が存在を否定する。感情が存在を敵視する。
娘は無事だ。傷も無く、死による眠りでもない。安堵したのは、それだけ。アレは騎士を超えた、万物の敵性。人を愛して殺し、憎んで殺す。結末を死でしか彩れない悪鬼だ。
「驚いた。結婚してたんだ」
人の皮を被った鬼。変わらない表情で、そんな戯言を口にする。そこで気付いた。アレの気を逸らさねば、生きて帰ることなど叶わない。媚びて、気を取り直さなければ死んでしまう。いつ気が変わって殺されるかもわからない。いや、すでに娘を奪われて気が立っているのではないか。だとすれば、こちらも態度を改めなければならない。敵視して、怒らせる真似は出来ない。こちらの命はアレが握っているようなものだ。アレの会話に合わせ、気を紛らわせて逃げるしかない。ここは死地と変わらない。現状では逃げられない。死にたくなければ、必死にアレに媚びるしかない――――!
「あー、聞いてる?」
長く思考していたようだ。アレは訝(イブカ)しげにこちらを見つめている。言葉が、浮かばない。歯の根が合わない。早く、何かを言わなければ怪しまれる。
「お疲れのようだ。ベアトリクス、送ってやれよ」
「しかし、色。それは何かと理不尽では?」
「いいよ。娘さんの件で呼んだわけだし。俺も忙しいし」
助かった。どんな気かは知らないが、助かった。アヴィヨンは逃げるように、その場を去る。事実、逃走だった。死地からの帰還。夜神色の片鱗を見せられ、生き延びる。彼女は真実、感謝しながら家路についた。
アレットが城に遊びに行くことは珍しくない。ベアトリクスを好いて、よく相手もしてもらっている。今日はそこに、たまたま夜神色がいただけ。不運と思うしかない。
だが、次は無い。しっかりと娘に注意し、また自分も注意をすると心に決めていた。彼が忘れていること。善良な騎士の仮面。忘却の彼方に潜む、鬼の面を垣間見たのだ。
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