巨人。橋上に突如として具現するは、顔の無い巨人だった。
平紗歩叶を守護するように立ち、冬真と断つ。禍々しいほどの圧力。
瞬時に理解する。これは、戦ってはならないモノだ。歩叶を守護するならば、それはこの星でなければならない。何らかの加護を受けているのだとしても、星に勝てるのは星だけだ。
星の巨人。冬真とアセリアを、目の無い視線で抑え付ける。
動いてはならない。動けば、即座に死ぬ。圧倒的な死の圧力は、抗いがたい重圧になる。
「冬真さん。貴方は切り札、です。前は、私が――――」
アセリアが飛び出る。プレッシャーを払い、星の巨人へと肉薄する――――!
それは、神か悪魔か。いずれにしても、人では到達し得ない高みにいるモノ。巨人は何をするでもない、動かず、されど攻撃を仕掛ける。
風。そう、風に似ていた。豪なる風。おそらく、触れれば飛ばされるなどという優しいモノではない。触れれば、体中が四散するような刃物に似た風。
それを、アセリアは「回避」していた。
如何なる眼か。視認を許さぬ自然の概念さえ、アセリアは捉えていた。
橋上の決戦。アセリアは、舞うように地面を蹴り、時に空へ上昇し、その懐を目指す。敵が風なら、アセリアは風に舞う木の葉。受け流し、避けながら迫る。
誤解、していた。確かにアセリアは弱体化している。その力の数割を、西川彼方の損失と共に失っているはずだ。回復しているとはいえ、まだ万全ではない。
あれが、竜王。ドラクールの名を持つ、吸血鬼の王。
呆けたように眺めている。アセリアは確実に自分の間合い、巨人の足元、懐を奪う。
が、そこまで。呆れるほど速く、呆れるほど強い少女は、巌とした巨人の防壁の前に、決定打を見出せない。単なる相性の問題だ。その速さで敵を裂く動きと、緩慢でも一撃に必殺の威力がある動き。アセリアほどの速さと眼を持たなくば避けられはしないのも事実だったが。
右腕、次いで、血まみれの肉体が吹き飛んだ。それで、意識が、再び、駆け始める――――!
遠く、深奥の果てへ、遠く、遠く、なお遠くへ。
意識が欠ける。激しく振動する右腕。何も考えず、橋上で、アセリアの傷ついた体が落ちるより早く、意識を深奥に飛ばして、右腕を前面に押し出した。
フューリー。オマエが星の巨人ならば、人が生んだ業火の炎に焼かれろ――――
何かわからない。爆風か敵の攻撃なのか。気付けば、橋の上を浮いていた。反転する世界。強くアスファルトの橋に叩きつけられ、ごろごろと無様に転がった。
煙る向こうはまだ見えぬ。体を起こして、アセリアを拾い上げる。腕ごときじゃ、アセリアを殺せない。不死の彼女を殺すには、特別な手法が必要なのだ。
霧が晴れる。橋の揺れも治まり、晴れた視界の先を眺める。
「無理だろ、それ」
呆れた。星の巨人は、以前と何一つ変わらない姿で立っている。
どうしろと言うのか。倒せるはずがない。敵は、星。考える思考を遮るように、死の暴風が視界を閉ざした。
負けた。
完膚なきまでに。勝利が見えたはずなのに、負けた。
唯一の救いは、平紗歩叶が無言で立ち去っていったことだけだった――――
傷だらけの肉体を引き、城に逃げ込む。
一度目はエリーの仲介で引き分けた。二度目は、エリオット・ガーシュウィンが逃げた。
そして三度目。平紗歩叶に、二度と起き上がれないほど叩かれた。
エリーもセシリアも、怒ることはなかった。必死の表情で、傷の手当てをしてくれるだけだ。幸い、アセリアも冬真も自然治癒力だけは高い。
「星の守護、ですか」
「そんなもの、勝てる道理がある?」
二人が頭を抱える。打倒する手段が、無い。防ぐ手立ても無い。
勝てるとすれば、夜神色だけか。星である彼女なら、見込みはあるはずだ。
だが、その彼女が敵となっているのだから、この思考は無意味だろう。
「悠長に守っている場合でもないわ。敵が攻めてきたらオワリよ。今までは高をくくってたけど、そんな兵器がある限り、いつでも死刑宣告されたままじゃない」
白鳳を攻め落とすしかない。だが、どうやって?
あの巨人さえいなければ、エリオットと柚葉しか残っていない。二対二の決戦に持ち込めるはずだ。それ以上は計算出来なかった。戦力は拮抗。運に頼る部分が増えるか。
「星が相手ですか。ならば、勝つのは『絶対死(カイン)』のみでしょう」
絶対死。あらゆる存在に、必定の滅びを与える権利。永久不滅は存在せず、世界に「ある」とされるモノ。空気、原子、風。果ては言葉や視線すら殺すとされる権利を行使するなら、あの巨人さえ倒し得るだろう。
星。そう、星に対するのは星の力。世界が生む無限の力を。
エリーは、切なく笑う。
最後の手段。それが、最期だと知って。
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(Ave) - episode of “Soir Larme”-
きっと、自分は卑怯だ。
全てを君塚冬真に押し付けて、苦しみから逃れようともがいている。
君塚冬真は世界を変えたいと願っている。朝里煌貴との約束だろう。ルールに支配された世界を打ち壊して、個性を持った人々が生きる、アイデンティティの世界に。
そんな世界に、自分は不要なのだろう。
剣を握る。戦うことはしないと決めた。今回は関わらないと誓った。
だからアーシュも、憐もシルヴィアもエララも動かしていない。妹たちには、ただ人並みの幸せを掴んでほしかった。
白鳳の城。天守閣を見上げ、ただ一足で頂点にまで到達する。
「――――矢上彩」
名を呼ぶ。君塚冬真に全てを委ねるのなら、せめて、彼女だけは助け出してみせる。
天守には小さな一室のみ。矢上彩は、純粋な蒼い眼でこちらを見ていた。
「ちょうどいいところに来た、新堂薫」
隣には、浅川柚葉が立っていた。敵となった彼女。もう、殺すしかない。
「まさか来るとは思っていなかった。だが、まぁ。冬真にこの子の相手をさせるのも可哀想だ」
ずん、と。新堂薫は柚葉の言葉が終わらぬうちに、畳の地面に剣を突き立てた。
床が落ちる。自由落下に巻き込まれる三人。話など聞く気はない。広い場所で、エリオットもろとも殺すしかない。
階下に落ちる。広大な畳のフロア。他に何も無い。観光客にさえ検閲させないこの場所は、見渡す限りの襖と畳で構成されていた。
待ち受けるは赤いマフラー。エリオット・ガーシュウィンと、数多のストリゴイ。
「決着をつける気か、カイン・セイクリッド」
「当然だ」
浅川柚葉と矢上彩も落ちてくる。エリオットは二人を庇うように立ち、薫の周囲には何十もの肉の壁が聳える。
その数、軽く五十を超える。吸血鬼側の戦力が結集していた。居城において、戦力が結集しているのは当然のことだろう。
勿論、薫も知っていることだ。故に、ここへ忍んだのだから。
「食い殺せ。肉は極上、聖者の物だ」
牙を剥き、一斉に襲い掛かる敵。
取り囲む四体を弧を描くような斬撃で一蹴し、薫は軽く、息を吐いた。
何という早業か。動き出した直後だ。その技量、シルヴィアとは比較にならないとエリオットは悟る。だが、押さえるには数で対抗するしかない。
続く四匹。さらに二体。一振りで三体を消滅させ、返す刀で二体を切り上げ、残る一匹を切り下ろした。その間、わずかに数秒。
驚愕し、言葉を失うエリオットを遠くに。新堂薫は、呟く。
「全てを殺す悲運の愚者(カイン)、発動」
薫の周囲が黒く染まる。はっきりと、誰もがその異質な空気を視認した。
剣が、腕が、浮ぶ紋章(クロ)に染められる。ただ唯一、銀糸の髪だけが世界を照らす。
畳を蹴る。藺草を撒き散らし、銀の悪魔は疾駆する。塞がる肉の壁。突き立つ黒剣。触れる者は、何かの冗談のように、刹那に消え逝く。
これこそ、新堂薫、「カイン・セイクリッド」の代名詞。殺(カイン)の名、自身の名と同等の剣。
触れしモノ全てを殺害する剣。防ぐ手立てなどありはしない。消失した左眼の奥、はっきりと恐怖するエリオットに向かっていく――――!
まさに暴風。迫るストリゴイを弾くように消滅させ、肉の壁を踏破していく。
「止めろッ!どうしてでもいい、その男を止めろ――――!」
柚葉の絶叫が空しく響く。だが、すでにその声さえ、薫の耳には届いていない。
左の聴覚が麻痺する。カインの剣は、己が主人さえ殺しながらあらゆる全てを抹殺するだろう。
最後に立ち塞がる二体のストリゴイ。剣を前に、突撃する薫に抵抗すら許されず、消えていく。
残る、二畳。より強く蹴る最後の一足。薫は、もうエリオットしか見ていない。
だと言うのに、エリオット・ガーシュウィンは小さく――――笑った。
「サユリ」
ただ一言。小さく呟いた。
ただ一瞬。薫は、全ての思考を停止させた。その隙。見逃すはずもない一撃が、容赦なく、新堂薫の右腕を襲う。
神剣が空に舞い、畳に落ちた。右腕からは紅のシャワー。右腕の動脈が損傷し、畳を朱に染めていく。
ぶしゅう。びちゃ。大きすぎる傷口を左手で押さえ、止血にもならない止血をする。
流れ出る血はかなりのものだ。極度に血を失った薫は、堪らず、片足を地面に接した。
不意に、世界が揺れた。
右腕に強い衝撃。それで、自分が蹴り上げられ、右腕を踏まれているのだと認識できた。
痛みを、堪える。こんなもの、痛みになどならない。彼女に、比べれば。
「無様だ。異端の王。肉体に傷の無い箇所など無く、精神にまともな部分など無い。貴様のどこが王なのか、クラトスも貴様のような女々しい腑抜けに負けるとは」
大司教の名。アイツは、信念があった。誰にも負けない、強く、雄々しい魂が。
世界を変えたいと願う心。犠牲を無くそうともがいた姿勢。
それを、貶めることなど、許されるものか。
「そして結局は、コレだ。貴様は亡霊に取り憑かれ、永遠に消えない罪は永遠に忘れない幻像となって脳裏に焼きつき、中途半端に志を遂げられずに死ぬ」
忘れる。忘れちゃいけない、何かがある。
彼女を心から失うのならば、それは、新堂薫という人間の損失に他ならない。
「幻でも、追いかけていたい。キミは、其処に待っているのだから」
力が灯る。負けてなんかいられるか。新堂薫は、逃げることなんか出来ない。
真正面から立ち向かって、負けても立ち上がって、勝つまで戦う。
キミを救えなかった。だから、もう誰も、失くさない――――!
「お前たちの好きにはさせない。もう誰も、失うわけにはいかない――――」
動かない右腕を動かす。何かが切れる音。構うものか。後には、冬真がいる。アーシュがいる。
エリオットを転倒させる。足を掴み、引き倒した。立ち上がる。
目の前には柚葉と彩。血で視界が赤くなる。頭部にも裂傷がある。くそ、傷だらけか。
柚葉の顔が引きつる。立ち上がろうとするエリオットの顔面を踏み潰し、痛みに全身が支配された。足の神経までどうにかなったらしい。
痛まない場所は無く、正常な場所は無い。それでも、戦う。
戦うと決めた。遠い誓い、果たさなければ意味など無い。
「く――――出て来い、ガイア――――!」
柚葉の声と同時、再び世界が反転する。
世界に落ちる。否、落ちているのは自分だ。さらなる落下。傷だらけの肉体が、再び衝撃に汚染される。
畳に叩きつけられる。背中に激痛。気にせず、立ち上がった。
世界は、大きい。目の前に立ち塞がるのは、巨大な、壁だった。
ガイア。地球そのものの名を冠した怪物が、降臨する。
浅川柚葉が作り出した魔物。それは、世界そのもの。平紗歩叶という存在から取り出した、世界を敵に、新堂薫はただ一人、敵となって前に立つ。
歪なヒトだった。見覚えは、ある。古の吸血鬼。初代の竜王、リリス・リヴィエルロット。
「リリス・リヴィエの肉体は保管されていた。わたしのソウル・イーターで歩叶の魂を引き抜き、肉体を補強し、入れた。器は魂によって決まるものだ。ガイア、という存在は巨大で、誰も立ち向かえるモノなどいない」
もう、ヒトなどではなかった。巨人。天井を突き抜ける頭部。全てを打ち砕く腕。柚葉の言葉に誇張は無い。こんなもの、生物として間違っている。
「カイン・セイクリッド。お前さんは、人によって生み出された人とあらざるモノだ。だが、コイツはどうだ?世界によって生み出されたモノに、抗うか」
「――――なら、彩は人になれたのか」
それなら、冬真は喜ぶだろう。
今、別れの時。
後に続く者はいる。君塚冬真は彩を取り戻し、世界を変えろ。
アーシュには、謝らないといけないかな。
涙は流すな、下を向くな。ただお前たちは、前だけを見て、進め。
「―――百年の時を越えて歴史は繰り返され 千年の時を越えて歴史は神話となる」
ガイアが俺を見る。上等だ。道連れにしてやるぜ、世界。
詠唱を開始する。セイクリッドが持つ、最高の技術を味わえ。
後に続く者はいる。セイクリッドの名は、アーシュが立派に継いでくれるだろう。
その歴史。その悲願。その歩み。俺たちが目指した世界で、俺たちの名前を呼んでくれるから。
奇声が聞こえる。続いて、吹き飛ぶ体。襖を突き破って、畳を削って、肉体が大地を転がる。
気にするな。体は死しても、言霊で世界を変えてやれ。
「真名をここに告げる 『神々の終焉(ラグナロク)』はここにあり――――!」
さぁ、行こう。
キミが待ってる、夢の世界へ――――
「接続(コネクト)―――発動(オンライン)」
夜の闇が支配する。照らす光は銀月のみ。
無数の死体と赤い雪で構成された世界で、キミと俺は、再び、出会う。
「ユズハ!周囲に気をつけろ、ここは、ラグナロクだ」
白鳳城ではなかった。まるで、別世界。
神域ラグナロク。聖者の持つ、最後の魔法。其処に、歩叶、柚葉とエリオットの三人は取り込まれていた。ガイアだけが、三人を守るように壁となる。
すでに薫の意識は無い。その姿さえ、消えてしまった。あるのは、意志。
構成に希望を繋ぐ、不撓の意志だけが遺されて――――
瞬間、柚葉は我が眼を疑う。
迫り来る極光。
目の前に立つガイアそのものの彼女を、倒す術など有りはしない。
だが、感じる。あの光は、世界さえも打ち崩してしまう光だと。
「ラスト・フェンサー」
最後の剣。神剣セイクリッドハートが放つ、最後の光。
声が聞こえた。同時、極光が全てを薙ぎ払い、世界を、完全に破壊した。
ガイアが消える。世界が消える。意志は、やがて人々の記憶となる。
だが、まだ終わらない。
新堂薫は、まだ、立っていた。意識も、思考も、記憶さえ失って、まだ、立っていた。
「何故、だ」
もう倒れてもいい、と。柚葉は疑問すら浮ばせながら、問うた。
空は暗い。永遠の闇だ。セイクリッドが抱く、罪の世界へ。
もぎ取れそうな痛みを堪え、薫は剣を拾う。
「まだ、彩を救っていない」
歩く。一歩、一歩。すでに走るという機能さえ失われているのだ。
エリオット・ガーシュウィンが立ち塞がる。血を流し、両手を広げ、行かせないと立ち塞がる。
吸血鬼特有の魔眼を拡大し、その場に押さえつける。制約や強制などとは比べられぬ力。並の人間なら、窒息さえしかねない力を前に、薫は、ただ進んでいた。
止まらない。やがて、エリオットの正面に立つ。
ぐわん、と。頬が歪んだ。振るわれる左の拳。あらゆる能力を断ち切って、エリオットの顔面を殴り飛ばす。
剣を握る。再び、極光が振るわれる。質量を持った光が、正面を塞ぐあらゆる障害を除外する。
世界に亀裂が走る。この世界は、薫の命そのもの。
時間は、間に合う。
「君(セカイ)を――――今、解放するよ」
言葉は優しく、穏やか。新堂薫は、最期の力を剣に込める。
カイン。全てを殺す剣で、矢上彩を縛るあらゆるモノを殺す。
朝里煌貴の記憶も、
世界を守る天使も、
戦う必要も理由も、
少女を普通の世界に帰すために、新堂薫は、剣を振り下ろした。
英雄は去り逝く。
最期に、魂は浄化され、浄罪を果たした代償か、束の間、失った少女の幻想と共に。
笑う夢は、どうか穏やかであれ。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――