朝日の光を切り裂き、疾駆する。
街に張り巡らせた違和の糸。エリオット・ガーシュウィンを絡める糸を無視し、他に動くはずも無い糸を辿る。
白鳳周辺は、無関係だ。劉世徳は仙人。なら、どこに張った糸が正しいのか。
白崎市、市街地にも何も異変は無い。昨日の戦闘くらいだ。
「――――南湖?」
公園に張り巡らされた糸が異常を感知する。
白崎市南部、人のいない自然の地区。美しい紅葉と、南湖と呼ばれる湖がある大規模な自然公園だ。この時期、湖も凍り、紅葉などあるはずもないので、人気は無いだろう。
水。湖を拠点とすれば、何より、侵入者の察知には最高でもある。振動は波紋となり、最小の結界で侵入者を感知出来る。
「逃げ腰の爺か」
戦う気が感じられない。傍観を決め込んでいるのか。
ひとつの戦略ではある。敵の数が減ってから、戦闘に参加する気だろう。
ならば迅速に。逃がす前に決着をつけなければならない。
幸い、ノイシュヴァンシュタインから南湖公園は近い。すでに走る速度は常人のソレを逸している。接地する足は雪を蹴り上げ、頭上高くまで舞い上がった。
早く、速く。もっと速く。高速移動は迅速かつ光の如く。
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(インナー・ダイアログ) - Divina Commedia -
言葉、というのは不思議なもので。
人間が己の意思を伝達するには、身振り(ジェスチャー)や文字より、空気中を走る音声信号が最も手早く、何より確実だ。故に言葉は必要不可欠である。
もし、その言葉を失してしまえば。きっと不便この上ない。表現方法が制限され、意志伝達に不備が出る。だから、神は。言語という意志そのものを分割し、世界から平和を消し去った。
そう、恒久平和というバベルの塔。別たれた言葉は他者との意思疎通を不可能にし、やがて関係は疎遠となり、悪化し、対立と変わる。言語と一口言えど、それがどれほど大切なものか認識している者は余りにも少ないだろう。聾(ロウ)の者なら、よくわかるだろうが。
耳を塞げば、声は消える。声が消えれば、言葉は失われる。口を塞ぐと同意だろう。
だが、もし。全ての「声」を聞く耳を持てば、全ての「声」を発することは可能だ。精神対話(インナーダイアログ)と呼ばれる異能の力。稀有な能力は、実の無い空の能力とも思えた。しかし私は、神に感謝しよう。この素晴らしき能力を授けてくれた、神に。きっと私なら、神に礼することも可能だからだ。
――――マスター、リュウ。誰か来る。
自然の声。結界など不要。自然の協力があれば、何もいらぬ。
彼らは私の味方だ。自然を味方につけるというのは、ひょっとすると、神そのものと同じ存在にまで高まっているからかもしれない。神だから、聞ける。神だから、喋る。そう、この惑星と。
神よ、感謝しよう。貴方の下へと導いてくれたことに。
――――ニンゲンじゃない。何だろう、わからない。
異能者のようだった。如何なる能力を保持していようと、脅威にさえならない。
例えば、此度の争いで暗躍を続けるエリオット・ガーシュウィン。彼奴の能力は「制約」の魔眼。私の声を絞ったところで、無意味。私の筋力を縮ませたところで、無駄。
喋る必要など無い。ただ語りかければいい。故にガーシュウィンでは私に敵わない。最強の吸血鬼と呼ばれる男でも、勝つのは無理だ。
刺そうとすれば、その腕に中止を語りかければいい。筋肉組織、神経組織。人間は決して、単一の意志で動いているのではないと、やっと悟れるだろう。
そして、脳に。直接意識に語りかければ、終わる。
精神侵入(ソウル・ハック)。彼らは素直だ。指導者たる私の声に従い、自殺でもさせるか。
凍った湖面が、揺れる。侵入者は、終わるためにここまで来た。
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予想に反し、湖面に立つのは老人ではなかった。
肩に鳥のような生命を乗せ、目を閉じて佇む姿は確かに、老いを感じさせないこともない。
白髪、だった。白いスーツに長い白髪。新堂薫のような銀髪ではなく、どこか痛んだ白。
「あんたが劉世徳か」
距離は、かなり近付いている。敵は寸分違わず同じ位置に立ち、未だ、瞳を解放していない。
魔剣も童子切も抜かず、近寄る。殺す。ただそれだけの行動。
「――――確かに。私が劉世徳だが、君は誰かな。ガーシュウィンにしては、若い」
「別に。知る必要、無いだろ」
尤(モット)もだ、と頷いて白い敵は両手を広げた。目的も理由もすでに知れたこと。会話に意味など無い。言葉に、必要など無かった。
鳥が、飛び立つ。それが、合図だ。
「ふむ。君は慎重なのか、臆病なのか。若気に任せて突っ込んでくると思ったのだが」
双方、共に動かず。冬真自身、突っ込むつもりは無い。元より、遠距離戦を得意とする人間だ。
代わりに、銃を抜いた。応えは、弾丸で。何の思考も無く、ただ、右手を上げてぱん、と引き金を絞った。
二発目。右肩、左肩と撃ち抜き、三発目で足を撃った。
敵は回避することを忘れたかのように、黙って痛みを享受している。困惑に眉を寄せると、僅かに、口元を歪める劉世徳の表情が見えた。
弱い。弱すぎる。
手足を撃ち抜き、敵は倒れる。近寄って、無様な敵を見下ろした。
「何だ、予想外れじゃないか。寺院協会の仙人だと言うのに」
銃口を向ける。倒れた敵に向ける、冷たい鋼。憎々しげに、目を開いて敵はそんなつまらないものを眺めていた。
「――――御前は根源から、殺人鬼だ。無為の世界に死のみが意識している」
「そうか。それは、災難でしたね」
笑った。本当、哀れだ。何の能力も発揮出来ずに、ただ死んでいく敵が。
あははは。愉快だ。
■の時は邪魔をして、不愉快だった。しかし今度の敵は、哀れで、間抜けで、何も出来ず死ぬ。
「笑えばいい、悪鬼め。それが、御前の最期だ」
不意に、踏みつけた腕から何かが迫る。
これは、意識。いや、声か。肉体を伝い、精神に届かんとする声。
果たして、何か。何を語るのか。すでに失いかけた、正常とは言い難い頭脳と精神に、何を訴える。
あハはハハは。愚か者は、ドッチだ。
――――悪鬼よ、その足を退けろ。
響く声。まったく、意外と声量あるじゃないか。
とりあえず、左足を上げてみる。痛みに耐えて、立ち上がる劉世徳が見えた。
敵の能力は、声。全てを聞く耳と、全てを発する声と判断する。
使えねぇ能力だな。
――――銃をこめかみに向けろ。
「わかった。向けるよ」
目の前に立つ、敵のこめかみに銃口を押し当てる。
瞬間、青ざめる顔が見えた。思わず、口元が緩む。本当、バカじゃねえのか、コイツ。
仙人。他者を欺く、偽りの愚者。その声は全てを操るだろう。
指でそっと、劉世徳の耳に触れる。左右の耳、その効果を分離させ、続いて口、喉と触れていく。
――――悪鬼。御前は、何を――――!
「見てわからないのかな。あんたの能力を『分離』させてるよ」
――――まさか、ディバイ
ぱん、と華が咲く。飛び散った頭蓋。降る脳漿が白に紛れる。左手で汚れた顔を拭い、雪に咲く赤い花を見下ろす。
まるで、いつかの冬のよう。友達が死んだ、あの冬。
残るは三人。そのうちの一人、セシリアの去就を確かめるべく、冬真は冬の湖から帰還する。
帰る歩みはゆるりと進む。連戦の疲労か、睡魔が容赦なく襲い来る。
耳をつく音が、睡魔を弾き飛ばした。懐かしい感じさえする着信音。白崎に来てから、携帯電話など使っていなかった。
相手は、エリー。
ノイシュヴァンシュタイン襲撃。襲い来るのは――――矢上藍だった。
正門から城内に入る。女性しかいないノイシュヴァンシュタインは、堅固な守りがあるとはいえ、不安が残っている。まして、魔剣フランヴェルジュはここにあるのだ。
エントランスに人影は無い。直感的に階上だと感じ取り、階段を大股で駆け上る。
おそらく、狙うならアセリアだろう。彼女とてスロウに属する身。シルヴィアを暗殺するメリットは無い。
アセリアの寝所に飛び込む。いない。誰も、ない。
「くそ、どこだ――――」
否。誰もいないわけではなかった。何かを求めるように周囲を見渡した、視線の先。
金髪の女性が、壁面にいた。心臓に剣――――見覚えのある短剣を刺され、一目で絶命しているものだと認識した。
夜神の持つ短刀。エリオット・ガーシュウィンに奪われたナイフ。それが、ここにある理由。
襲ったのは矢上藍だ。だとすれば、彼女は敵側に寝返ったのか。
短刀を引き抜き、砕いた。部屋を飛び出す。すでに侵入者を殺すことしか頭には無い。
階下。床に向けて、銃口を向ける。移植した眼が映すモノ。透視した先、食堂で起こる剣戟を凝視し、引き金に指をかける。
穴と共に突き抜ける銃弾。向かい合うエリーと藍の狭間に抜ける。
床を砕き、ショートカットしながら階下へと落ちる。両手に黒い手甲を填(ハ)めた敵。落ちつつも、剣を抜いてその姿に強襲した。
手甲。いや、篭手と呼ぶべき防具。交錯した両腕が斬撃を受け止め、弾き、冬真は体勢を崩しつつも着地した。
部屋には、五人。セシリア、アセリアの両名が脇を固め、エリーが正対する。四対一の絶対的優位に立ち、ここで殲滅せんと包囲する。
元来、暗殺者というものは表に出ない。もし出るとするなら、初撃で標的の生命を奪えなかった場合だろう。一対一の戦闘を基本とし、対多数の戦闘となれば、踵(キビス)を返して逃げるのが得策だ。
逃げない。いや、逃がさない。さすがに、エリー。作戦を熟知している。数で優位に立ちながら、しっかりと戦術のセオリーを踏んでいる。
後は、降伏するか否か。動機と目的をしっかりと把握したい。何より、今はあらゆる情報が不足しているのだから。
――――その状況で。彼女は微笑み、黒衣を靡(ナビ)かせ双剣を閃かせた。
左。篭手による殴打。線となる打撃は最短の軌道。敵の速度はまるで光。一瞬の出来事、が、殴打なら黙って享受(キョウジュ)出来る。
それが、間違い。敵の手甲は打つのではなく
――――刺さった。
「・・・あ?」
心臓を突き刺す刃。見下ろすと、篭手の先、刃渡り20センチ程度の刃が伸びている。
異端者の中でも最速に近いスピードで、直線の軌道で襲い掛かる刃。そんなもの、防げるはずも無い。
続いて、引き裂かれる痛み。心臓を貫いた小刀はそのまま左に抜け、鮮血を飛ばした。
今度は、右。頚動脈を断つ一撃。喉を捌き、声帯が潰れる。さらに三撃、腹部を貫き、捻(ヒネ)られる。
贓物をかき回されながら、思う。矢上藍は本気で殺そうとしているのだ、と。
おそらく、殺戮の三撃は一秒にも満たない神速だったろう。誰もが気付かず、ただ死体に変わろうとする君塚冬真を馬鹿のように眺めただけだ。
そうして、舞いのような攻撃が止んだ。だから、次は自分の番。
右腕で小柄な体、その頭部を掴んだ。
頭上に持ち上げ――――潰す瞬間、映像が流れた。
潰れた頭から流れ
赤いマフラー。黄金の髪。無表情でた血液が腕を伝う。
空を眺めるその隣に浅川柚葉。視点は第三。俯瞰とも鳥瞰ともつかない飛び散る脳漿は敵の死を意味し、
無限の視線。神による神のための世界観察の日記。そして再び思い出
長い黒髪。青い瞳。蒼穹なる魔眼が消える。
に映る世界はグランド・ロッジの人間也。想う願いはただ純然とした知識への欲求。何を目指すのか、何を果たすのか。知映像が薄れ始める。
り得る情報では足りない。異端が異端であるが故の願望。外れた理由を探るその為だけに戦う。すでにチェック・メイト。ヒ■■・アル■ェ■、■ィ■ゴ・セルジュ、矢■藍、君塚■彩を消去。分断される記憶の果てに残る欠片は、統一さる思考の途切れた記憶、意識が世界を取り戻す。
「――――最後のは、妹、だった気がする」
言葉。それが記憶を灯し、血液に怒りを混ぜて脳に運んだ。
まるで鈍器のような右腕、赤やら白やら色が混ざってぐちゃぐちゃ。首の無い少女の死体が屍体になって、ぱたりと床に倒れた。
目的も動機も、何一つわからないまま、ただ答えだけを求める。必要なのは結果。意味も善意も全てが消え去って、視界には目標だけがある。
すでに後悔も罪悪も無い。無感の瞳。浮ぶ言葉は哀悼ではなく、眠気を訴える。
ただ、妹の死だけが――――残った。
目覚めは夜。カラカラになった喉と心でのそりと起き上がる。
部屋は二階で、入り組んだ迷路のような廊下と構造を抜けながら、一階の食堂へと移動する。食堂の奥、厨房を発見して冷蔵庫らしきモノを漁る。
傷だらけの肉体はすでに完治している。が、感触だけは残留していた。心臓を穿たれる感触、身を食われる感覚。思い返せば、いつでも嘔吐出来るだろう。
水らしき何かを口に含み、体に浸透させる。それだけで、馬鹿げた考えは溶けていってくれた。
「ドタバタうるさいと思いきや、君塚さんでしたか。ノドが渇いたのなら仰(オッシャ)ってください」
咎めるというより、穏やかで優しげなエリーの声。どうやら自分は、かなり城内を迷っていたらしい。
「あ、はい。ごめんなさい」
「――――む」
目を細め、じっと見つめてくる金髪の女性。二十代後半のクセに、そこらの女学生みたいな容姿をしているのは、どんな魔法か。いやいや、外人の女学生なんて見たことはないのだけれど。
だがやっぱり、美人に見つめられて緊張するのに国境は関係ないのだ。
「それ、お酢ですけど、だいじょぶです?」
「え、え?」
酢で健康法を実践したことは無い。素で間違えていた。舌下神経が麻痺しているのか、それとも麻痺は全身なのか。異状しかない肉体に、異常とも思える精神。この体のどこにマトモな箇所があるのだ。
「ほら、もう置いてください。飲み物用意しますから。あ、ご飯はどうしますか?」
空腹だった。よく見抜いているというか。頭が上がらないとはこのことだろう。
素直に厚意に甘えるとして、誘われるまま食堂の席についた。テレビなどといった俗な物は無い。ロウソクでもあれば完璧なシチュエーションだが、残念ながらシャンデリアである。
「ホント、今何時だと思ってるのよ、あんた方は」
呆れた顔のセシリアが入室する。時計を見ると、深夜二時。今さら二時も何も無いような気もするが、起こしてしまったのは事実なので黙っておく。起き出さないアセリアはさすがに大物なのか。
「さて、ディバイダー。ちょっと作戦会議をしましょうか」
対面に座り、提示してくる今後の対策。
そう、ここまでは速戦だった。残るは吸血鬼チーム率いるエリオット・ガーシュウィンと浅川柚葉。彼らこそが白鳳城を拠点とする一大勢力であり、今までのようにはいかない。
セシリアの言いたいこと。それは、加勢。冬真、アセリアの二名だけが戦力として残存しているスロウ側にセシリアが付くと言う。何を企んでいるかはわからないが、今後の展望としてその方が都合がいいらしい。
つまりは。勝利するのはスロウだと予測しているのか。
「なら、セシリアさんに魔法を習うというのはいかがです、君塚さん」
お盆に夜食を載せて、エリーが戻ってくる。味噌汁の香りがするあたり、どうにも彼女がわからない。
「そんなの、付け焼刃だよ」
「ええ。ですが、魔道士に魔道士として対抗するわけではありません」
魔法を行使する相手に魔法勝負を挑むわけではない。すでに魔法という概念を知り得た冬真にとって、足りないのは実践経験のみだ。付け焼刃の魔法は、戦闘において必要な経験になり得るだろう。
「応用も機転も利く。足りないのは、経験だけでしょう」
「じっくりやるべきね。焦ったって白鳳は落ちないワケだし。焦れて敵が攻め入ってくるなら、それはそれで好都合、というものだし」
白鳳城を陥落させるほどの火力を持つか、あるいは城から引きずり出すか。
現状では後手に回るしかない。今のところ、こちらの作戦は上手くいっているのだから。