Mirage

Border of Life-4

「と、いう長い夢を見た」
などと本気なのか冗談なのかわからない話を終えて、柚葉はつまらなそうに空を見上げた。
「・・・はぁ。柚葉さん、それで医院に引きこもってるんですか」
「失礼な。大河ドラマと言うのは、日本人の文化と歴史を学ぶ教材に匹敵する。歴史を学ぶ。人が何故歴史を学ぶのか。過去に起きた事例を知るということは、未来に繋がる。未来で二度と、同じ過ちを起こさぬよう。過去の悲劇を繰り返さないよう、人は歴史を学ぶ」
壮大な言い訳を聞き流し、両足をテーブルの上に乗せる柚葉を見る。さすがに今回ばかりは反省しているのか、冬真に意地悪をする気も無いようだ。
数回分溜まった大河ドラマのビデオを見ながら、昼食の準備を始めるためにキッチンへ向かう。
「あれ?柚葉さん、材料何にも無いですよ」
「ああ、買ってない」
買おうよ。
「買ってきます。一緒にお弁当を買ってくるんで、何がいいですか?」
「冬真に任せる」
「分かりました。じゃ、お金ください」
給与を滞納する社長に抗議の意味も込めている。一月の給与は三万で、合わせて十一万円。ビルの家賃として四万を柚葉に払っているので、君塚冬真の財政は赤字なのだ。十万円の内訳として、食費、光熱費、水道代、電気代と携帯電話の料金を支払う。しかも全額負担。残るのは二万ほどで、それも駐車場代とガソリン代になる。余ったのは、柚葉さんの煙草代で逼迫し、いつも財布にはお札があるか無きかの生活を送っている。
どうするんだ、今月。給与が無いと、生きていけない。ってか柚葉さん、僕は貴女の生活費も払っているのですが。
「無い」
そんな抗議を、彼女は一蹴した。
「無い、って」
「今月は八万円だけだ。後は、実家に行って調達して来い。実は、君塚冬真くん。診療所の設備投資と四階の事務所の整備に国からの補助金と診察料を使い果たしたのだ。ほら、仕方ない」
尤もらしい台詞だが、騙されないぞ。
「じゃあ、そのプラズマテレビは何ですか?」
「うん。何だろうな」

氷彩と、アメリカに本店を持つフランチャイズのハンバーガー・ショップで落ち合う。
街は日々進化していく。
時の流れは抗いようもなく速く、駅前の開発は進み行く。
建設中のランドマーク・タワーを横目に、比較的大きな駐車場に冬真は車を止めた。
どこか寂しげだと思ってしまうのは、どうしてだろう。
「はい、お兄ちゃん。どうしたの、制服が欲しいなんて。ひょっとして、コスプレに目覚めた?」
渡される紙袋の中身は、礼峰高校女子の制服。氷彩は去年より10センチも身長が伸びて、今では冬真と肩を並べるほどだ。将来的には、柚葉より大きくなるかもしれない。
新調したので古い制服は着られなくなる。それを預かって、冬真は違うと首を振る。
「僕の知人が入学するんだ。そう、氷彩と同じクラスだよ。夜神色って言ってね、仲良くしてあげてくれ」
「ヤガミさん?わかったわ」
彼女も制服は持っている。ただ、家にあるだけ。取りに帰らないので、結果として財政難の冬真には妹に貰うという選択肢しかない。
朝里の家には帰らない。荷物を取りに行くくらいはいいと思うが、それすら彼女は拒否した。
「それより、看護士の資格、取ったの?今度浅川さんにご挨拶しなくちゃね」
「やめてくれよ、柚葉さんに挨拶に行ったら、氷彩まで実験体にされちゃうよ」
「どうして?両親が挨拶に行けないから、私が行こうと思ったのに」
浅川医院は、ちゃんとした診療所になっている。国からの補助金でテレビを買う罰当たりな病院だ。
院長である浅川柚葉はあろうことか、医師の免許を持っている。そして何故か、君塚冬真も看護士と心理療法士の資格を取得していた。
本人の知らない間で、進む勉強もあるらしい。スロウの人間が裏に手を回したそうだが、銃砲所持の免許まであるのは如何なる魔法か。
確かに時間は流れていて、夜神色の退院も三月末に決まっている。
まだ、会ったことは無いけれど、煌貴と歩叶の魂を持つ少女は世界にきちんと立っている。

空を翔る天使。
追うのは殺戮ではなく、救出だった。
浅川柚葉を空中で救い出し、着地して浅川医院に放り投げて去っていった。
柚葉は言う。夜神色は、ただの少女でいたい天使と、人を殺したい悪魔が住んでいる、と。
無差別に人を殺戮することはなく、己が敵と認識した相手しか殺さない。
誰よりも死が好きな少女は、空っぽのまま社会に出る。
彼女は、云う。この世界でやれないことはない。やってはならないことなど無いのだから。
だから、探す。
煌貴とも歩叶とも違う、色だけの嗜好と思考を。
少女はまだ、何も得ていない、空の器なのだから。

「あ、外人さんだ」
ハンバーガー・ショップを出ると、氷彩は人波を指差す。
確かに、外人がいる。どこかで見たような顔の外人だ。
「氷彩。そういうの、よくないよ」
指を下ろさせ、車に乗せる。奇しくも、夜神色と妹の名前は似ている。そんなことを考えていた。
そうだ。色、なんて仏教みたいな名前は止めて、彩、にすればいい。

そうすれば、アヤ、なんて風に普通に呼んでもらえるじゃないか。

「うん。矢上彩、いいじゃないか」
一人、微笑みながら冬真は車を発進させた。

医院に戻ると、柚葉は小首を傾げて空を眺めていた。
「どうしたんです?最近、らしくないですよ。柚葉さんでも困ること、あるんですね」
「気付かないか、冬真。違和感とでも言うべきか。どうも来る患者の様子を見ていると、街に違和がある」
皮肉を込めた言葉は、真剣な柚葉に打ち消された。だが、冬真は笑って答える。
「あはは。それは外人のせいですよ」
「外人?」
「ええ。柚葉さんは街に出ないからわかんないかもしれないですけど、駅前には外国企業が次々に参入して来て、まるでニューヨークの町並みを再現してます。ここに来る人って、大抵、近所のオバちゃんとか、高齢者ですよね。そういう人たちにとって、昔の風景を壊してアルファベットの看板が立つというのは、どこか寂しいんじゃないですか?」
なるほど、と柚葉は頷く。慣れというのは恐ろしいもので、ここ最近、柚葉に言い返せることも増えてきた。
ようやく自分もスロウの一員として、働いている。そう実感することもしばしばあって、確かに冬真は充実していた。
「それに外人もたまに見かけるようになりましたし。あ、さっきも見ましたよ。銀髪で赤目のカッコいい人」
「ふん。まさか低身長で長髪とでも言うつもりか」
「あ、知ってたんですか」
氷彩が指差した人は、確かに小さかった。氷彩より小さいのだから、160センチ前後だろう。
髪は長く、地に届くほどの長髪。カッコいいというか、綺麗な顔をした男性だった。
「すぐに病院へ向かえ。銀銃を持ち、夜神色を此処に避難させる」
すでに柚葉は空など眺めていない。夕暮れに染まる横顔は、どこか思い詰めた沈痛な表情。
どうして、と訊く前に。事態はもう、最悪に向かって突き進んでいるのだと冬真は理解した。

「男の名は、カイン。死ではなく『殺』に特化した、天上世界における最高の殺戮者」

夜神色が死に特化した存在ならば、銀の悪魔はそれを凌駕し得る能力を持ち、生み出された。
急げ。
放たれた矢が、少女を貫くその前に。


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(タナトスの花/6)



何処(ドコ)からともなく、一陣の風が吹き抜けた。
落日の刻(トキ)。病院という巨大な死の収容所は、どこぞの古城のように夕日の影となった。
一条の影を背負い、鬼の名を持つ少女は、殺の名を持つ青年と正対した。

――――此処にあるのは、明確な殺意と、研ぎ澄まされた視線のみ。

音も、風も、光さえも殺された。
凪のような朱の時に。互いは互いを認識する。
片方は己が身長に届くほどの巨大な剣を持つ。長すぎるそれは気高く、雄々しさを孕みながら、絶対の死を告げる。
そんな悪魔めいた敵を、少女は凪のように静かに、幽鬼のように冷たく迎えていた。
空手で無想の境地に立つ少女。怯えも、焦燥も見せないからこそ、彼女は完全に「普通」から逸脱(イツダツ)していた。

風は鳴く。
悪魔は天使に向けて動き出した。

二、三と剣を空に舞わせる。
焼却の視線を断ち切って、纏わりつく黒い炎を振り払った。
かの剣。神剣とされる剣。視線という存在すら曖昧なソレを「殺」し、一目散に駆け出した。
見えているのは、ただ敵の姿。全てを愁う美しすぎる敵。
武器など持っていない。魔眼の効力を殺された少女にとって、参ずる敵は強すぎる相手。焼却出来ぬと判断すると、あろうことか彼女は同様に突進して行く。
判断は、正しい。
銀の悪魔を相手にした場合、遠距離からの攻撃などほぼ全て無効化される。近距離戦に活路を見出すしかなく、しかし夜神色に武器は無かった。
あるのは、光。極大の光輪を生成し、拳に集めてぶつけるしかない。
刹那の攻防。悪魔は巨大すぎる剣を肩に担いだまま、背負い投げをするように、一気に振り下ろす。
速さも、威力も、これ以上の無い必殺の剣。さらに重力で加速させ、己が持ち得る攻撃の中で、最大の斬撃を繰り出した。

すらり、と。舞踊のような動きで、迫る刀身に沿いて、少女は必殺を回避した。

何故、避けられるのか。
何故、突っ込んでくるのか。
何故、それほどまでに美しいのか。
戸惑いは、三つ。それだけで、隙となるには充分だった。
垂直に放たれた斬撃を、少女は左にステップするように避け、頭を下げた。
どん、と衝撃。左腕から繰り出されると思われた攻撃は、あまりにも意表を衝いていた。
斬撃。打撃、ではない。ぞぶりと心臓に突き刺さるソレを見下ろし、そして剣を切り上げた。
色の抜けた、色素の薄い、茶色とも灰色ともつかぬ髪。ばっさりと切り落とした髪は、ようやく輝きを失い、悪魔の胸から抜け落ちた。
再び、静寂。
悪魔はその痛みから、天使は唯一の武器を失い――――ついぞ、決着は見えた。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


全てが刹那。
駆けつけた君塚冬真の目は、健常者のそれと変わらない。
かろうじて何をしていたかまでは見て取れたが、剣閃の速さには追いつけない。
一瞬の攻防の果てに。勝者は、剣を持ちて髪の短い少女に突き立てる。
胸から血を流し、死の間際で、彼は動く。
無表情に立ち尽くす、色の名を持つ少女へと――――

腰から銃を引き抜く。
常識とか、銃声とかは気にならなかった。
狙いも適当に、ただ銀を狙って銀の引き金を引いた。

ぱあん、と乾いた銃声。
二人が振り向く。宙に舞いながら、くるくると回転する薬莢があった。
オートマチック式の拳銃を持って、冬真は無心だった。
「シキから、離れろ」
心から言える親友と、好きと思う少女の名。口にして、不思議な響きがあった。
「当たったんなら謝る。けど、シキから離れろ」
二人は動かない。やがて、冬真から目を離して再び向かい合った。
「だ、そうだ」
「撃たれると痛いんだぞ」
「撃たれたことないです」
向かい合ったまま、敵意に満ちたまま、二人は旧知の友のように口を開く。
その光景。呆気に取られながら、君塚冬真は銃を降ろすのさえ忘れていた。
「くそ、胸に穴開けやがって。この服、高いのにさ」
「貴方も私の髪、切ったでしょう?」
「髪の毛はまた伸びるだろっ。あー、毒気抜かれたぜ」
文句を言いながら、戻ってくる異端者二人。
「ほら、おまえもさっさと片付けろって。説明するのが面倒になるだろうが。うわ、銀銃かよ。ソイツで撃たれたら半端なく痛いんだぞ。狙いもつけずに撃ちやがって。もし顔に当たったらどうすんだ。死んじゃうだろ馬鹿者が」
「あ、え、ごめんなさい」
明るい。屈託なく笑うその姿は、とても先程の人物と同じだとは思えなかった。
「新堂薫。カイン・セイクリッド。スロウ総責任者にして、異端の王。心臓ブッ刺したのに生きてる人間はいないでしょ、トーマ」
驚きは、二度。
しかしもう、スロウの長に対する衝撃など消え去っていただろう。
少女は、生前の友人そのままに、生前の彼女の声音で名を呼ぶ。

それはなんて美しくて――――至高の響きに似ているのだろう。

「君は、誰?」
訊かずにはいられない。君は煌貴か、それとも歩叶か。
彼女は無くなった後ろ髪に触れた後、再び流れる風に身を任せていた。

右手で靡く前髪を押さえ、蒼く輝く左眼だけをこちらに向ける。

口元だけを笑みに変えて、静かに、佇むように、微笑んだ。
きっと僕は、その瞬間にやられてしまったんだと思う。
好きだと言える、それも最高に好きな二人がそこにいたのだから。
「なら、後はおふたりさんでごゆっくり」
「責任を擦り付けないように。私も武器はありませんから、ここは冬真に一任しましょう」
「え?」
にこりと微笑んだまま、彼女は去る。
病院。数日だけ残った、滞在の日を過ごすために。
薫を見ようと振り返った。
そこに、異形の何かが迫っていた。

「ええっ、そういうことですかっ。ちょ、薫さんっ」
すでに新堂薫の姿は無い。まったく、何をしに来たのかわからない人だが、今はそれどころではない。
異形の何かは、文献で見るような「鬼」に似ていた。
それでも。確かな質量を持って、敵となる。
拳。握った掌は、それだけで冬真の背丈と並んでいる。ただの一撃。全身に痛打を浴びて、冬真は自らの体が空に飛んでいることに気付いた。
呆れるしかない。顔も胸も手足も痛い。大体、あの怪物、何者だと。
背中に衝撃。ぽきん、なんて。馬鹿げた効果音が体内から聞こえるのがわかった。
「痛・・・」
三回ほど咳き込んで、立ち上がらない体を芝生に横たえた。
これが、異端の戦い。能力を持つ者同士が命を賭けて、敵を殲滅するためだけに行動する。
何度も覚悟したはずだ。レンに教わり、柚葉に言われ、覚悟を決めた、はずだった。

――――あの子だって、立ち上がって戦っていたのに。

踏みつけられる。視界が黒く染まり、透けた月だけが見えていた。
その体勢のまま、手にしたままの銃を向ける。
残弾?構うか、ありったけこの足裏に向けて撃ちまくってやる。
乾いた銃声を十発。貧乏性がうらめしい。しっかり数えて、十個の穴を見上げていた。
軋む体を転がして、立ち上がる。ずしん、と地面に衝撃。敵は、まるで何も感じずに、こちらを燃える敵意の目で見つめてくる。
「・・・僕にどうしろと?」
そこに目は無いはずなのに、確かに敵意を感じられる。肌に突き刺さる、殺意。違和感などを通り越して、直接、この肌で感じられる。
マガジンを左手に落とす。当然のように、中身は空。銀で出来た特殊性の弾丸を全て撃ち尽くしているようで、代わりに詰め込む何かさえ無い。
銃を見つめる。銃身には、聖書の一文が書かれているらしい。
「そうだ。柚葉さんは式を紡いで威力が増すとか何とか言ってたけど式って何だよっ」
式。公式とか、アミノ式とか。
「全然わかんないっ」
二度目の打撃。かろうじて左手を前に出したが、何の防禦にもならず、先程の光景を繰り返した。
骨の折れる音は、聞こえない。支点となった左足が傷ついているせいで、踏ん張れずに力が分散されているのだろう。
それでも、もう一度あの打撃を食らえば死ぬし、食らうつもりもなかった。
「ああ、くそっ。第一、これって何て書いてあるんだ」
病院の壁面に背中を預け、やがて来るであろう死を無視して銃身を見る。
最後の奇跡。あるとするなら、この銃のみ。

「――――地は震えて、声を潜めた。神が裁きに、立ち上がられた。神よ、裁き給え(テラ・テレムィット)」

それは、歌。神を讃える聖なる歌であろう。
銃に変化は無い。冬真は、「式」が何かを瞬時に理解した。
式とは、作法。敵を断罪する儀式の作法であるなら、それは歌。読み上げる行為に他ならない。
マガジンを挿し込み、両手で構える。
異形の鬼はゆっくりと、地響きを鳴らして寄ってくる。
アイツを病院に入れるわけにはいかない。彼女のいる場所に。
だから、ここで、殺してみせる。
ぱんぱん、と手を叩き、歌を思い出していた。
向ける銃口。これが式であるなら、何かの効果があるはずだ――――
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