Mirage

Border of Life-2

君塚冬真と朝里家からの連絡は、ほぼ同時だった。
浅川柚葉は置いてあった君塚冬真の車に乗り、病院を目指す。
矢上歩叶の意識が回復した、という連絡を受けたからだった。

――――矢上歩叶は、覚醒した瞬間に自殺を図った。


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(タナトスの花/2)



「矢上歩叶さん?ええ、知っています。ウチのナースの間では、結構有名人ですよ、彼女。あの子、髪の毛が長くてどこか暗いでしょ?前髪で顔を隠しちゃってて、じっと部屋の一点を見つめたまま、動かないんです。入院してもう二ヶ月目ですけど、どこも身体に異常は無いのに、体を動かそうとさえしないんです。カウンセラーの先生とかでも全然ダメで。けど、今月の頭くらいかな。やっと目を覚ましたと思ったら、いきなり自分の右目を刳り貫こうとしたんですよ。ホラーですよね。止めてもまた目に触るので、包帯を巻いたんです。そしたら、今度は近くにあったハサミを突き刺そうとしたんです。矢上さんの病室に刃物とか、先端が鋭利なものは置かないようにして、包帯で厳重にぐるぐる巻きにするしかなくて。はい?包帯の下からどこを見つめてるのかって?部屋の隅っこですよ。ゴミ箱とかを置くようなスペースです。何も無いんですけど、ひょっとして何か視ちゃってるんですか?えぇ、怖いよぅ・・・今日の見回り、私、矢上さんに当たってるんです・・・」

かつ、かつ、かつ。
リノリウムの床を鳴らして、女医は「矢上」と書かれた病室の前で立ち止まった。
当然、その異変は中にいる少女にも伝わっている。
訪ねるのは、医師か看護士、そして両親だけだった。その三者とも、今は遠ざけるようにしている。自然と、距離が開いた。私がどんどん遠ざかっているだけだろう。
「矢上、入るぞ」
男性のような口調だったが、声は女性のものだった。
気配はベッドの隣まで来て、止まる。椅子に座るためだろう。床を擦る金属の音が聞こえて、椅子の位置を把握した。
「・・・そこに、何かあるのか?」
誰かはわからない。けれど、私が視ているものを知りたがっているように思えた。
「いいえ、何も。貴女は矢上歩叶の知人ですか?」
「ああ、そうだ。矢上歩叶と、朝里煌貴の知人だ」
なら、女性的に振舞うこともあるまい。そもそも、平紗歩叶も朝里煌貴もこのような話し方はしない。
矢上歩叶という人物を知る者しかここには来ないから、矢上歩叶でいただけだ。
「どうして目を刳(ク)り貫こうとした?」
「視えないモノが視えて、視えるモノが視えないカラ」
人が見えない。顔がわからない。どこか知らない。世界は異界で、認識出来ない。
だが、別のものが視える。
雪が見える。白が視える。世界は異界で、雪に覆われた銀世界だった。

「前は命の色が視えた。けど、今は、命が視えない。それって、死を視てるってことでしょう?」

「・・・そう、だな。命を視るはずの目が、命を映さなければ、そこに命は無い、即ち死ということだ」
彼女は冷静に判断して、答えてくれた。私の答えは正しいと。
色を失った世界はあまりにも寂しいから。死に満ちた色はあまりにもかけ離れているから。
だから、ここは異界。私の知らない、天国の世界。

「皆死んでいることに気味悪さを覚えるのか、それとも殺せないことに憤慨してるのか。どっちだろう――――シキ」

わからない。
けど、一つだけ分かることがあった。

「それでも、視えるならこの『眼』は生きているんでしょう?」

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「重症だ。スロウとしては最高の現状だが、歩叶と煌貴の友人であるわたしたちにとっては、最悪だ」
ようやく戻ってきた冬真に告げる。見舞いに行った矢上歩叶は、確かに壊れてしまっている。
ちょうど入れ違いで、夏川は戻った。置き土産と称して故意に忘れていった包みを渡しながら、柚葉は居間で煙草に火を点ける。
「えっと、聞きたいことが山ほどあるんですけど」
「二つしか答えない」
「じゃあ。重症ってどういう意味ですか、と、この包みは何ですか、で」
「後者からだ。ソレは凶悪な祓魔装備で、神尾の古刀、夜神の短刀に匹敵する威力を持っている。彼らはどちらかと言うと『祓鬼』だが。銀銃だ、冬真。悪魔を祓う効果を持っている」
包みを開けると、白金で出来た科学の粋が現れる。重厚な光を放つ武装は、今の冬真には必要なものだろう。分離能力だけでは、もしもの事態に対処できない。
銃には刻印が彫られていた。およそ聖書の一文であるそれは、式を紡ぐことで威力を倍増させる。
「では、前者。矢上歩叶は朝里煌貴と融合している。最悪の事態だろう?」
含み笑いを漏らしながら、柚葉は冬真に問いかける。悪い癖だが、この男の困惑する顔を見ると、楽しいのだ。案の定、冬真はうん?と唸ってから黙り込んでしまった。
笑いを噛み殺して、柚葉は説明を続けた。
「彼らは同一の存在だった。器としてふたつに分かたれていただけだ。それが、世界という境界を越境して、同じ次元、同じ場所に立っていた。命は流れて、歩叶の側に傾いた。今や、矢上歩叶という人格は存在しない。能力的に見ても、もう別人だろうな。朝里煌貴は死んだ。普通なら、遺物、つまりナイフに少量の魂を蓄積させて、大部分の魂は鏡面世界で再生される。しかし、鏡面世界で再生されるべき肉体が隣にある。なら、その肉体に入るだけだ」
「ええと、今の歩叶ちゃんは男なんですか?だって、煌貴なんですよね」
「いや、女性だ。肉体も精神も女性である。けどね、冬真。彼女には何も無い」
無い、と繰り返して、冬真は黙る。思考する時、冬真は無言になるが、今度ばかりは答えが出なかったようだ。
女性でありながら、男性的ということですか。そんな、間の抜けた答えが聞こえたのは、煙草の火を消してからだった。
「例え話をしよう。君塚冬真という男はピーマンが大嫌いだ。もう見るのも嫌なくらいに嫌悪している。この先、二度とその嗜好は直らないというほどだ。しかし悲しいかな、わたしはピーマンが大好きなんだ。わたしはお前さんに命じる。ピーマンを使え。だがお前さんはピーマンを使いたがらないだろう。さて、今日の夕食はどうなる?」
「ピーマンが抜きになります」
「馬鹿を言え。そんなことをしてみろ、お前さんは行き場を無くし、路頭に迷う。だが、この設問に答えは出ないだろう。なぜなら、わたしとお前さんはケンカをして、今日の夕食は無しになるからさ。ほら、虚無の事例がひとつ、出来上がったぞ」
「すいません、何が何だか全然わからないです。それ、どこが歩叶ちゃんと関係あるんですか?」
どうやら柄に無い話をしたせいで、冬真は混乱しているらしい。トーンを落として、いつものペースに戻しながら、柚葉は解説をする。
「朝里煌貴はコーヒーが大好物だ。しかし、平紗歩叶の性格は逆だろう。つまり、嫌い、となる。平紗歩叶の肉体に朝里煌貴が命が注がれる。ひとつの器にふたつの魂が入り込んでしまった。結果は先に述べた通りだ。心が互いに衝突し合う。対消滅を起こした物質は爆発し、消え去る。心同士が対消滅を起こしたのなら、後に残るものは好きだが嫌いという矛盾した結果と、虚無だ」
物理の話を持ち出したせいか、冬真の理解は驚くほど早かった。
「皮肉なことに、同一人物であるからこそ正反対になっている。故に残るものは何も無い。全ての行動が心で対消滅を起こす。矛盾しているからだ。両親が来る。煌貴は『今更、何のために顔を出す』と怒る。歩叶は煌貴の両親を奪ったと思い込んで謝罪する気持ちで泣くだろう。結果として、煌貴も歩叶も『会わない』という答えを出す」
「煌貴は怒るでしょうし、歩叶ちゃんは遠慮するでしょうね」
「だから面会を謝絶している。親であろうと、あの病室には入れんぞ」
柚葉は医者である。それも、平紗家に仕える侍医だった。矢上歩叶に会うのは造作も無いことだ。
「だが、ひとつだけ、あの二人には共通することがある」
「戦い、ですか」
「平紗は世界の矛盾を消すために戦う。夜神は世界の矛盾を消すために戦う。血筋の存在意義は同じで、まして同じ命を共有していたのだ。彼らは、死という一点においては特化するほどまで共通された認識だ。今の矢上歩叶(シキ)には、女性(アニマ)も男性(アニムス)も無い。ただ、死を望む(タナトス)だけ――――」

次の面会の時に渡す、百合の花を花瓶に入れて、柚葉は再び煙草に火を点けた。

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(タナトスの花/3)



死だけが愉悦。
死だけが快楽。
死だけが感情。

死んだ世界は私の居場所。
死んだ庭園に私は花を植える。
病室の隅、そこだけ、黒く残っている。
黒い命。私の眼と、あの子だけが、この世に残された命。
「矢上さん、素敵なお花ですね」
看護婦の世辞を無視する。私は、あの女医以外と話をしていない。
無論、朝里煌貴の記憶も平紗歩叶の記憶もある。
反発し合うだけの意識だけだったが、何となく、統制も執れてきた。
あの女医、浅川柚葉には、共通して好意という感情を抱いている。
包帯の向こう、黒い女医が来るまでの愉しみは花を眺めること。


死だけが道理。
死だけが願望。
死だけが感情。

死んだ世界は私の住処。
死んだ箱庭に私は花を植え続ける。
病室の隅、黒く残る箱庭は、女医が来る度に増えていく。
命が増える。それは、死が増えたのと同意義。
「百合の花壇か」
「女の子らしい趣味でしょう?」
無論、朝里煌貴にガーデニングなどという趣味は無い。
ただ、何となくやってみたら面白かっただけだ。
「その程度なら、問題は無い、か」
「だって、シェフとかピアニストも、男の人がやるものでしょう?」
並列社会において、男性の立場というものは大きい。
父性が拒否されるのは、それこそ母性のみの場所しかない。
そんな場所など、殆ど淘汰されている。その逆もまた、然り。
「女装がカルチャーとして認められる国ですもの。父性の尊厳はどこかへ消え失せ、男がしてはいけないことなど、もうこの世界には残っていない。煌貴(オレ)はこんな体、嫌だけど」
「しかし、君は何がしたいというわけではないだろう?」
私は、無言で微笑んで見せた。
平紗歩叶の癖だ。答えるのが面倒な時、微笑む。それで相手は、大抵、肯定と受け取った。
柚葉は、一瞬だけ呆けて、それから立ち上がった。
今日はもう帰るのだろう。寂しい、という感情は生まれなかった。

部屋の隅の花壇を見やる。
私の願望が三つ、咲いていた。

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珍しく、テーブルの上に肘をついて唸る柚葉に濃いコーヒーを淹れる。
それで冬真の存在を思い出したのか、愛用のマグカップを一気で飲み干し、口を開く。
「わからん。矢上歩叶は確かに死を望んでいる。そこに自身の滅亡さえ含まれているのだ。死、という現象が彼女にとって、最大の快楽であり、そして唯一の感情だ。あの女は人類にとって最大の敵だ、悪魔だ。だのにどうして漂い続ける?」
思えば、何でも成せる。
世界を敵に回して大暴れするのも可能だ。待ち受けるのが自分の死でも、それさえ望んでいるのだから、彼女にとっては障害にさえならない。むしろ、飛び込んでいける。
呆気にとられていた冬真もやがて冷静になって考え、自分の答えを言葉にした。
「僕は分からないですけど、ひょっとして天使なんじゃないですか?ほら、人間は過度に進化をし過ぎて、森林伐採とかで環境を破壊している。人類の崩壊は、天使の仕業かもしれませんよ」
「ガイア論か。わたしは、嫌いだ」
「何です、それ」
地球、惑星といった星そのものもひとつの命であり、意志を持っている。地震はガイアの怒りであり、落雷はガイアの罰である。ラブロックが提唱したトンデモ説を柚葉は丁寧に説明する。
その考えを、柚葉は好んでいない。冬真は好きな部類に入るだろうが、ガイア論は根底にあれど、信ずるものではない。
「それに、もし仮に彼女が世界に遣わされた天使だとしても、だ。彼女は惑星の死さえ笑顔で願うだろう」
微笑を思い出す。背筋が凍るような、笑み。絶対なる静寂の中、柚葉は確かに、刹那の向こうに滅亡を意識した。
「・・・平紗歩叶にとって、ここは異界だ。全ての生命が敵である。全人類の滅亡さえ考えてもおかしくない、のに」
「虚無なんですよね。心が反発し合って、消える。消えないのは死への願望だけ。なら感情も、思考も、欲求さえ無い。『〜をしたい』という欲が無い、『〜は嫌だ』という感情も無い。死だけが、その理論から外れてる」
「そうだ。他に何も無いということは、それしか無い。彼女に選択肢は無く、ただ一つタナトスだけがある。悩んでいても仕方が無いな、スロウの判断を仰ごう」
スロウにとって、彼女の存在は天使か悪魔か。
どちらでもいいだろう。異端を祓う力さえあれば、毒も薬と成り得るのだから。
矢上は猛毒である。即効性の強い、強力な毒。なら、これ以上強い薬も無い。
「冬真、お前さんは動くな。下手に手を出せば、食われかねない」
「バレてましたか。ディバイドっての、使ってみれば歩叶ちゃんと煌貴を分離させられないかな、とか思ってました」
「無駄だよ。心という不確かな要素は見えない。なら、触れることも適わないだろう。仮に心臓に触れたとしても、良くて心臓内の血流が二つになるか、悪くて魂と肉体を引き抜くだけだ」
ディバイダー。
君塚冬真を持ってすれば、確かに統合した性格さえも解離されるだろう。

魂を視る眼。
物を貫く指。
反撥を防ぐ楯。

それだけが揃えば、きっと矢上歩叶と朝里煌貴は再び生まれ変わる。
君塚冬真にしか出来ないことがある。だからこそ、大切に育てていこう。

最も、三つの能力は揃うことなど絶対に有り得なかったが。
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