結局、矢上の家にもう一泊して登校することになった。
矢上は「今日も泊まっていけ」などと珍しく優しい言葉をかけてくれ、さっさとベッドの上で眠ってしまった。
無謀すぎる。一度、真剣に襲おうかと思ったが、昨夜を思い出して身が震えた。
自分は臆病だ。それは、認める。でも、嫌われるくらいなら臆病でいたい。
矢上と二人、肩を並べて登校すると、やはり視線が気になった。
遅刻常習犯の崇行と、美人と名高い矢上。一緒に登校すれば、そりゃあ気になるのが人だろう。
学校での矢上は、別人だった。
正確には同じだ。口調が違うだけで、冷たい接し方も、無表情さも変わらない。感情を失った人形は、美しくあるがどこか歪だ。
「な、矢上。一緒に昼、食わないか?」
ありったけの勇気で、彼女を誘う。寝食を共にしておいて今更だと思うが、学校のアイツに話しかけるのは、やはり勇気がいるのだ。
矢上は小さく頷くと、先立って歩き始める。仕方なく追っていくと、図書室の前で立ち止まった。
普段、昼休みの図書室は解放されている。しかし、食物の持込は禁止されていた。
知ってか知らずか、矢上は図書室の隣のドアを開ける。鍵を持っているあたり、実は図書委員なのかもしれない。
そこは蔵書室で、司書室とも違っていた。かび臭い空気も無く、綺麗に整頓されているところを見ると、図書委員は優秀らしい。
すでに矢上にとっては馴染みの場所なのか、二、三冊厚めの本を取り出すと、その上に腰掛けた。
見よう見まねで、崇行も百科事典三冊を椅子にする。
「おまえ、飯は?」
いきなり、普段の矢上に戻り、崇行は苦笑する。
「ねえよ」
「なんだよ、それ。誘っておいて、私に飯を奢らせる気だったのか」
仕方ないな、と。矢上は持参していた巾着からお決まりのコーヒー牛乳の紙パックと弁当を取り出す。
小さめの弁当箱は白とシンプルだった。女の子らしい、というか、矢上らしい。
「矢上、朝に弁当作ってないよな?」
「当然。私がそんな無駄なことするか。これはね、望月。冬真が毎朝置いていくものよ」
君塚先輩も可哀想だな、とか思いながら、弁当を見る。今度は五冊重ねてテーブル代わりにして、その上で弁当を広げてくれた。
「ほら、食え。私一人で食べていると、イジメているようで気分が悪い」
ずいっと箸を一本だけ渡してくるあたり、本気でイジメているのかもしれない。
「矢上、どうやってコレで食えと?」
「知るか。私も同じハンディでしょう?」
やはり女の子らしく、間接キスとか気にしているのだろう。矢上は器用に、玉子焼きを突き刺して口に放り込む。
「ちっ、米は無理か」
「女の子が舌打ちなんかするなよ・・・」
「半分に分けるしかない。箸を返せ、私が先だ。その間、コーヒー牛乳は飲んでいい。全部飲むなよ、殺すぞ」
言っていることは半端なく物騒だが、優しい。うん、多分優しい。
やっぱり矢上は体面なんか気にしないで、今まで自分が口をつけていたコーヒー牛乳を差し出してくる。
定規で引いたように、見事に半分にされたご飯が突き出される。代わりに紙パックを返す。
すると、彼女は、本気で激怒した。
「望月、もう残りが少ない。貴様、全て飲むなと言っただろ。ギリギリまで飲むなど器用な真似しやがって。・・・けど、約束だし、コーヒーの恨みは濃いが米は譲る」
「待てよ。矢上、腹減ってる今、ご飯とコーヒーどっちが大事なんだ?」
「コーヒー」
しれっと言うあたり、矢上は大物だと思う。きっと無人島で一人ぼっちでも、コイツはコーヒーをドリップしていることだろう。
「お前、間違ってるからな・・・」
でも、本当にそうなりそうだから、一応、釘だけはさしておいた。
放課後。テニス部の練習を一週間連続で無断欠席して、キャプテン・ダービーの最有力候補は落馬した。
部活より打ち込めるモノがあるから、今はいい。感情に流されているだけかもしれないけれど、克己の精神を持つほど自分は強くないと諦めた。
そうして、望月崇行は家に戻った。
愛する女が言う。今日から一週間、ウチに泊まれと。それは命令口調で、強制力を持っている気がした。矢上の言うことに断る理由は無かったが、矢上の気持ちだけがわからない。
「アイツ、変わってるよなぁ」
思わず、独り言を呟いていた。自室からボストンバックを持ってきて、適当に衣類と教科書を詰め込む。
家は好きじゃない。
十七歳の年頃にもなれば、皆そういうものかもしれなかったが、例外に漏れず、崇行も家と家族が嫌いだった。
家に帰らない父を思っては憎悪を募り、口うるさい父を思っては殺戮を望み、愉悦に浸る。
死。死ねばいいと思う。
死という言葉が、自分の思っている通りなら、だ。
この世界から跡形も無く消え去って、社会的に消失するのなら、そうして欲しい。
だが、崇行が感じているのは、どこか違う。
死という言葉には様々な意味があるように思えるのだ。
例えば、崇行の生まれるずっと昔、日本の武士は切腹なんて自殺作法があったし、死ぬことが美麗で名誉なことだとされていた。ただこの世から消え去るだけで、名誉になる。
理解し難いことだ。そんな名誉を父親にくれてやるつもりもないし、まして、殺害して少年院に送致されるつもりもない。そんな、自分のデメリットになることはしたくない。
結局は、臆病なのだ。死ねばいいと思いつつ、どうにもならない。典型的な十七歳。ずっと片親で、母の顔は知らなかった。
だから崇行は、何も告げずに家を出た。
甘い考えではない。矢上だって親がいるし、親からの仕送りで一人暮らしをしているだけだろう。そこに大きな間違いはないはずだ。
君塚先輩のように、ちゃんと職を持って、自分の力で生活をしなければ、自立は難しい。
本当に親から離れたいなら、「高校生」の言い訳を捨てて、働けばいいだけなのに。
「じゃあまたな」
崇行は、戻ることを考えながら、さようなら、と家に言わなかった。
自分が臆病だからだ。
彼女の家は遠い。この町にある矢上家は、丘の上の豪邸しかないが、矢上彩は正反対にあるマンションに住んでいた。
学校から中程度の距離にある、ワンルーム。十二畳ほどの広さで、清潔感がある部屋だった。ベッドとソファ、冷蔵庫にキッチン、後はテーブルと洗濯機くらいで、日常に必要な最低限度しか置かれていない。
キレイ好きな矢上さんの性格が如実に現れた部屋だった。
その一角に自分のボストンバックを置くと、何だか妙な気分になった。
同棲、みたいなもんだ。一週間だけど。
「何してる、邪魔だ」
驚いて振り向くと、帰ってきた制服姿の矢上が立っていた。
トイレと風呂場に通じる廊下を抜けて居間に。矢上は、鞄を放り投げてベッドに腰掛けた。
いつの間にか、ベッドは矢上、ソファは崇行の場になっていた。
「矢上、普通のこと聞くぞ」
「何だ」
「おまえ、何でオレを泊めるの?」
「昨日帰ろうとしなかったから。家、嫌なんだろ。だったらウチに泊まればいいじゃん」
立ち上がり、恒例のコーヒー牛乳(今日は一リットル)を口付けながら、あっさりと言い放つ。
「あの、もっかい普通のこと聞くよ?」
「何だ」
「おまえ、女の子だよね?」
「微妙な質問だな、それは」
肯定しろ。
「生物学的には女性だよ。あ、性同一性障害とかでもない。自分が女の子だって認識もしてるし、男になりたいとかも思わない。ただ、今が一番、自然なんだ。学校にいる方が、疲れる。きっと、私は人付き合いが上手くなくて、得意でもなくて、好きじゃないカラ」
最後の部分は、とても女性的だった。自分に悩める十七歳という感じで、魅力的でさえある。
「そっか。私、ヘンだ。やっぱり」
「いや、いーんじゃないか。オレ、前から矢上のこと、いいなって思ってたけど、今を知って、もっと好きになった」
「――――」
知らず告白、無意識発言に思わず赤面。
が、これはこれで好機なのではなかろうか。好きって言われた後の、矢上の反応も気になるし。
「――――」
無言が続く。矢上はコーヒー牛乳を両手で抱えたまま、沈痛な面持ちでクッションなんかを見つめている。
「あ、あのさ、そーゆー、深い意味はない、ってことで。オッケイ?」
「うん。やっぱり、好きって言われるのは、困る。どうしていいかわからなくなるし、言葉とか気を遣うから。でも、望月が私をヘンだって思うなら、言え。治す努力はするから」
命令形で言われても説得力は無いが、面白かった。
「っつーか、望月、それは笑い話だぞ」
「は?」
「オマエが私に惚れるなんてな。頭ダイジョーブ?大体、どこを見てオマエはそんなことを言ったんだろうね。過去にそんなバカを言ったヤツは一人しかいない。いいか、望月。最初に一つ、大事なことを言う。勘違いされてはたまらないし」
聞くのが、怖かった。きっと、自分にとって最大のショックを与えるものだから。
「ここにいるのは、私に監視されるため。諦めろ、私が好きなのは朝里煌貴だけよ」
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
(天使再臨/5)
今日は生かしたまま解体をすることにしました。
「う、あぁ、いた、あ、ああぁぁっっ!!!」
転んだ中年男性の足首を握り、引き千切りました。
これで逃げられないと思います。
靴を履いた二つの足をキレイに揃えて、地面に置きました。
傷口からは白い何かが見えています。私は、それにちょんちょんと優しく触れます。
脛から膝までをモぎ取ってみましょう。
「あ、ああアアあぁぁァっっ!!」
ごりっと軽く一回転させると、簡単にとれちゃいました。
左足は違うことをします。えっと、どうしようかな。
「えい」
「ぐああおああおアオっっ!!」
右足と繋げてみました。ちょっと強引になりましたけど、とりあえず成功。
それから、指を全部逆方向に押し曲げて、腕を引っ張ってとっちゃいます。
「あ、四体不満足」
首を取ると死んでしまうので、やめましょう。
次はお医者さんゴッコです。盲腸なので、左下腹部を切開します。
右手を深く突き入れて、盲腸を捜します。
ずるずると引き抜くと、腸が出てきてしまいました。
もう一度です。腸をしまって、今度は肝臓を切除します。
三分の一くらいなら死なないと思います。両手が必要なので、左手も突っ込みます。
「アアあアああアアアアあああアァァァぁァッッ」
うんしょ、よし、ここを捻って、ぶちんと切り取ります。
「オペは大成功だ。午前二時三十二分、ご臨終です。あれ、違った?」
お医者さん言葉は難しいので、もうやめます。ごめんなさい。
これ以上体内をいじくると、死んでしまうのでやめましょう。
眼球を取り出します。人差し指と親指を眼孔に入れて、眼底に当たったところでつまみます。
涙を流したので、悲しいのかもしれませんね。
だから、私は目玉さんを返すことにしました。
もう一度押し込んで、きゅっきゅっと捻じ込みます。
それでも涙は止まりません。
「ねぇ、どうして欲しいの?」
彼はアァ、と叫ぶばかりでさっぱり返事をしてくれません。
私も悲しくなってきたので、何もしてあげられなくてごめんね、と言って、帰ることにします。
バイバイ、けっこう楽しかったよ。
私は、家に帰ります。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
午前三時頃、寝付けないでごろごろしていると、何故か玄関のドアが開いた。
息を忍ばせて誰かを探る。侵入者は、乱雑に衣服を脱ぎ捨てた後、ベッドに飛び込むように倒れた。
まさか、矢上か。どこに行っていたのか聞こうと起き上がる。
刹那、意識が死んだ。
目。
赤い目。
二つの赤い光が眼球を貫き、脳髄を殺した。
「・・・望月、死にたいのか」
矢上は、赤い目で捉えたまま、そう言った。
きっと自分は殺される。誰でもない、矢上の目に、殺される。
あの夜とは違う。コイツは、本気で、オレを殺す。
「今日はもういい。明日も学校だ、寝ろ」
赤が消える。矢上は目を閉じて、ベッドに倒れた。
翌朝、部屋の片隅に、赤い服が捨ててあった。
崇行はそのまま部屋を飛び出した。
夜毎繰り返される猟奇殺人事件。何故か、その場に、彼女が立っているような気がして。
嫌な予感だけが離れない。監視するためと言い放った矢上の顔も忘れて、崇行はただ走っていた。
浅川医院、という小さな看板の下に、崇行は立っていた。
あの女医なら全てを知っている。だから、柚葉という女に聞けば、矢上は違うと首を振ってくれる。
階段を上るのももどかしかった。それでも、急げるだけ急いで、三階のドアをタックルした。
「急患、ではないな」
柚葉は待合室のソファであろう場所に座り、煙草を吸っていた。病院のくせに、不衛生だと思う余裕さえ、無かった。
「いつぞやのボーヤか。どうした、矢上が死んだか?」
「違うッ!アイツは、矢上は」
「とりあえず落ち着け。なに、話だけは聞いてやろう。一つだけ、質問にも答えてやる」
言うなり、柚葉は立ち上がり、文句を言いながら奥のデスクに座った。
深呼吸しろと促され、従った。二度、息を大きく吸って吐くと、何とか胸の鼓動は静まりつつある。
「昨日の夜遅く、矢上が帰ってきた。そん時、アイツの目、おかしかったんだ。それに、血みたいな匂いもしたし、真っ赤に濡れた服があった。怪我とか、してんのかもしんねえけど。ああ、それに、オレを監視するとか言ってたし、もう、アイツ滅茶苦茶だぜっ」
支離滅裂な崇行の叫びに、柚葉は尤(モット)もらしく頷く。彼女自身、聞いてやると言ったからには真面目に聞いているつもりなのだろう。
「で、お前さんが聞きたいのは何だ?」
一つだけ。ソレは必ず、答えてくれる。だから、今一番知りたいことを、崇行は言葉と紡いだ。
「矢上彩が、この町で起こってる殺人事件の犯人なのか?」
否定してくれると信じて。
「そうだよ。何だ、ただのマヌケかと思ってたら、案外鋭いな」
柚葉という名の女医は、表情を崩しながら肯定した。