Mirage
Angelic-3
「それで・・・?」
「うん。落ちてたから拾ってきた。プリント渡したのに、コイツ、読まないんだ」
いい匂いがした。部屋には二人がいるようで、何やら会話をしている。
「拾って?」
「うん。だって、今って物騒なんだろ?あのまま捨てられてたら、コイツが犯人になる」
「いや、うん。そうだけどさ」
「だろ。じゃあ私のしたことは間違ってないわ。ほら、非を認めろ、トーマ」
布団を大きく被ると、矢上の匂いがした。どうやら自分は矢上の部屋、矢上のベッドで横になっているらしい。明るいところを見ると、夜は明けている。
「あのさ・・・」
「何だよ、文句でもあるのか」
部屋には男が二人いるようで、いよいよ事態がわからなくなる。
「今日は妹が来る日なんだ。柚葉さんの事務所に行かなきゃいけなくて、君も呼ばれてる」
「ふうん、そっか」
「だから、早いとこその子を起こして、帰らせてよ。怪我の手当てはしたの?」
「してない。面倒だったカラ」
「・・・」
はぁ、と溜息。何だか、可哀想になってくる。
しかし、狸寝入りを続けるわけにもいかない。覚悟をして起き上がると、殺風景な白い部屋が目に付く。壁は白。クローゼットや冷蔵庫はあるが、テレビや雑誌は無かった。
そして、白いソファに短い髪。対面、ガラステーブルを挟んで穏やかな表情の男性が座っていた。
「あ、おはよう。えっと」
「望月崇行」
「ああ、そうそう。遅刻常習犯の望月くん。どうも、君塚冬真です」
軽く頭を下げる姿は、年上の落ち着きと余裕、そして親切さを表現している。
ソファに座って、駄弁りながらこちらを振り向くのは、紛れも無く矢上だった。
コーヒー牛乳をちゅうちゅうと吸いながら、じっと無言で見つめてくる。どこか愛嬌があって、矢上の別面を見た気がした。
「君塚って、あの君塚先輩?」
寝ぼけた頭で、出た結論がそれだ。同じテニス部の先輩で、何かと有名になっている名前。
「どの君塚先輩かは知らないけど、思っている通りだよ、多分」
なら、きっと君塚氷彩の兄だろう。勝手に頭の中で解釈して、布団を跳ね除けた。
体の節々が痛んだが、矢上の家ということが頭を麻痺させているらしい。
エンジンかけてくる、と言い残して君塚先輩は部屋を出て行き、自然、矢上と二人きりになる。
矢上は飲み終えたらしいコーヒー牛乳を、物一つさえ無いテーブルに置き、冷蔵庫からおかわりを持ってきて、一つを投げて寄越した。
「コーヒーは寝覚めにはいい。頭が覚醒する」
下手な持論があるらしいが、牛乳とミックスされている限り、効果は半減だと思う。
今日は確か日曜日だったはずだ。学校は無くて、だからこんなにのんびりしているのだろう。
「あの、君塚先輩、待ってるんじゃないのか?」
「・・・あぁ、そう。待たせておけばいい、アイツは」
時間だけが過ぎていく。もうとっくに、崇行のコーヒー牛乳は空になっていた。
浴衣のような和服を着る矢上は、それだけで美しい。見惚れていたのだろう。言葉は失われ、ただ牛乳を一息で飲んだだけ。
まるで学校とは違う矢上を、嫌悪どころかますます好きになっていく。
「何、じろじろと見て」
「あ、いや。矢上って、学校とは全然違うんだな」
「うん。だって、学校は小さな社会でしょう。社会が思う矢上じゃなきゃ、社会から排他されるだけよ。情報が過度に社会を形成している中で、群衆から排他された人間は生という根本的な営みは出来ても、生きることは出来ない」
「・・・」
「ん。もしかして、望月は頭、悪いのか?」
乱れた髪を手櫛で直しつつ、矢上は本気でそんなことを聞いてくる。矢上の成績表なんか知ったものではないが、哲学的な響きがあった。
最も。難しい話、なんてのは全部哲学だと思う。
「要するに、人は独りじゃ寂しくて、マトモに生きられない」
ああ、それなら、分かる気がする。
友達だってどうでもよくて、彼女なんか好きでもない自分が、矢上といるだけで、こんなにも充実しているのだから。
無表情でも、視線の中にクエスチョン・マークを表現する矢上と、無言で充実感を帯びる目を、虚空に投げ出す崇行の取り合わせは、きっと他所から見れば珍妙なものだろう。
こんこん、と君塚先輩が入り口で立ち尽くして壁を叩いていた。矢上は、オマエも来るか?なんて言葉を投げてくれた。
君塚先輩と妹、氷彩に会うためだ。お邪魔なのはわかっていたが、頷くしか出来なかった。
だって、君塚先輩と矢上は、特別な関係だろうから。
「何を考えているかはわからないけど、思っているのは間違いだよ、絶対」
彼は心から、笑顔を湛えてそう言った。
「・・・な」
口を開いて唖然とする委員長に片手を上げて挨拶を済ませる。
「来たか。それで、冬真。どうして彼女は寝巻きのままなのかな」
「えっと、アレ、寝巻きだったんですか?」
「そうだよ。アレの昔っからのクセでな。寝る時に和服を着て、そのまま外を出歩くことも度々。まったく、兼定さんは泣いていたぞ」
「兼定はここにいない、ユズハ。トーマが知らないことを責めても仕方がないじゃん」
「弛(タル)んでいると言っている。が、今はまぁいい。お前さんの話は後回しだ。冬真の妹が面白い話を持ってきたそうだ、端っこで口を閉ざしていろ。ああ、それと。隣にいるボーヤは誰だ。勝手に連れてきて。誰が無関係の民間人を連れて来いと言った。ただでさえ妹を巻き込んでいるのに、これ以上邪魔者を増やしてたまるか。男性の割合が増えることにはわたしも冬真も大賛成だが、どこの馬とも知れない男を組み込む気は無いぞ。わかったならさっさと出て行け、目障りだ。阿呆のように口など開けて無駄な質問に答えるつもりは毛頭無い。ここまで言ってわからないのなら天国にしかお前さんの居場所は無いよ」
ユズハ、という可憐な名前をした女性は、最悪極まりない口撃を連発する。どこを捻ればそこまでの言葉を連ねられるのか不思議でしょうがないが、間違いなく崇行の心はへこんでいる。
謝罪するように両手を合わせる君塚先輩が目に入った。それで、崇行の心はへこんだまま、固まった。
非難されるのはわかっていたことだ。好きだから、来た。だったら帰る選択肢なんか無い。
拳を握って立ち尽くしていると、そっと矢上が、前に立った。
「無関係じゃない。望月崇行は望月孝明、由紀夫妻の息子だ」
「ほう。ならば同席する資格はある」
二人だけが納得して、あっさりと許可が下りた。
父と母の名にどんな魔法があるのか、わからない。けれど、確かに名前を聞くだけで、是と柚葉は頷いた。
市街地にあるビルの三階と四階が浅川医院だった。ビル備え付けの小さな看板にだけ書かれた名前では、誰もここが病院だと思わないのではないか。実際、古いエレベーターしかないビルに、探偵事務所のようなドアじゃ病院どころか、オフィスにも見えない。
調度は微妙。三階は一応、病院らしい造りになっているというが、ここ四階を見る限りではそれも怪しい。
コンクリートそのままの床。壁紙さえない壁。窓とソファ、テーブルと三つの机が無ければ監獄だと間違える。二階は住居だからマトモだ、と言い張る柚葉さんだが、普通は四階を住居にすべきだろう。
理由は考えたくなかった。
「四階はオフィスで、前回の入居者が全て張り替えたそうだ。二階はそのまま残ってた。それだけだ」
律儀に理由を話してくれる矢上に呆れつつ、椅子に座る。皆、思い思いの場所を確保したようだ。ぼけっと突っ立っていたせいで、崇行は最後、学校の椅子のようなオンボロに座らされてしまう。
こういうところは、鈍そうな君塚先輩も早かった。
「よし、君塚妹。話してみろ」
院長の席らしい普通のデスクと黒革の椅子に座った柚葉さんは、興味津々らしい。
要領はいいのか、兄の隣、ソファに座った氷彩がええ、と上品に頷いた。
ちなみに、矢上は最初からやる気が無いのか、壁にもたれかけて窓の外に煙を吐いている。
「え、っつーかタバコ?」
「気にするな、望月少年。矢上彩が煙草を吸おうが酒を飲もうと、日本国の法律には触れない」
それはそれで気になるが、追求する勇気は無かった。
「夢を、見るんです」
件はそう、始まった。
「毎夜、人を殺す夢を――――」
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